小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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「どうかされたのですか?」
教会の前、大雨の中。それが、二人の出逢い。
『~ not hopeness,but hope ~』
「どうぞ中へ。風邪を引いてしまいますよ?」
傘を差し出したが、しかし長身の男は、弾かれたように一歩下がった。
「…怪しいものじゃないよ。俺はここの神父だから」
「…しん…ぷ?…」
前々からどうしても口慣れない言葉遣いを止めてみた。…だって彼、警戒心剥き出しだったから。
俺の言葉に、やっと顔をふっと上げた。雨に濡れた黒眼が俺を映す。捕らわれそうな深い色に、トクンと胸が鳴る。
しかしそれは一瞬で、彼は倒れ込むように気を失った。
「…え!?ちょ…ちょっと!しっかりしろよ!」
長く、ただ長くて暗い日々
この手にはもう、何も残っていない
どうなってもよかった
…どうにも、ならないのだから。
「………」
目を開けたら、見慣れない天井。体を起こしてシャツのボタンを外すと、胸元に真新しい十字の火傷。気付かないほど深く気を失っていたらしい。
「あ、気付いた?」
木で出来たドアを開けて、先程の神父が手にトレーを持って部屋に入ってきた。
「…あなたが運んでくれたんだね?」
「そう。あんた軽いな、俺でも楽に抱えられたよ」
「…おかげでこんな痕ができちゃった」
「…何か言った?」
なんでもない、とシャツのボタンを留める。
「俺二宮。お前は?」
「…関係ない。上着どこ…っ!?」
ベットから起きあがろうとした途端、吐き気と目眩に襲われ、再びベットに沈んだ。
「おい!大丈夫かよ!」
「…っ!」
二宮が慌てて駆け寄り、手を伸ばすが派手に叩かれる。
「さ…さわる…なっ…!」
「真っ青な顔で何言ってんだ!」
手首を掴まれて引き寄せられた拍子に、二宮の下げている十字が先程の傷に重なった。
「い……っ…!」
ビクンと急に丸められた体を不思議に思い、覗き込むと辛そうに眉を寄せている。
「どうした?」
二宮の手に解放されると、両手でシャツのボタンを握り締めた。
「痛むのか?」
「や…やめ…」
力の入らない腕では、二宮を防ぐことなど出来ない。ボタンを全て外され、勢い良く開かれた。十字の形をした火傷の痕。その上から、引き攣ったような十字の火傷。二宮は目を見開いた。
「これ、は…十字架の…?」
二宮が僅かに震えながら、首から下げている十字を握る。
「……ごめん」
思案顔で傷を見詰めていた二宮が、いきなり頭を下げた。男が何事かと二宮を見る。
「あんた……銀アレルギーだったんだな」
「……へ?」
「銀に触ると、肌が爛れる人が居るって聞いたことある。ごめんな、俺気付かなくて」
そう言いながら、外した十字架をサイドテーブルに置く。
「痛むよな?大丈夫か?」
「…だ、大丈夫」
「でも…」
「…大丈夫だからっ!」
「じゃあ…せめて手当していけ」
「…え、いや、…いい」
「でも顔色悪いよ?体調が良くなるまでここにいろ?また倒れられたら俺が困る」
懸命に拒否する男に負けず、得体の知れない感情に任せて、どうにか引き留めようとする。
「雨に濡れるともっと傷が傷む。ここにいろ。…せめて、雨が止むまで」
どうなってもよかった
どうにもならないのだから
――だったら。
「…やむまで…なら」
重い口を、開いた。
男は、相葉と名乗った。大雨の中、立ち尽くしていた相葉を怪しむ事無く、神父の二宮は甲斐甲斐しく世話をした。あれから雨は止む事は無く、7回目の夜を迎えた。
+++++
「また食べないの?」
二宮はまた一度たりとも、相葉が食べ物を口にする姿を見ていない。受け付けるのは、たまに極少量の水のみ。
「ごはんは食べなくても平気なんだ」
「…でもな、お前具合悪いんだから、少しでも何か食べろよ」
そう言って心配そうに見詰めてくる二宮に、相葉はなんだか自分が悪いことをしている気分になった。――これが、罪悪感だったか。
この人といると、遠い昔に失くしてしまったものを思い出す。持って生まれたはずの感情。感覚。自分は、長い永い時間の中で、どこかではぐれてしまった。
「……のど、かわいた…」
小さい声だったが聞こえたらしく、二宮が小さくため息をついた。
「ったく…食えってのに……わかった、持ってくる」
二宮がゆっくり席を立って部屋を出て行く。相葉はため息をついた。
「…らしくないなぁ」
呟いてフォークを手に取った。
「相葉さん?甘いもん好き?」
いつものように教会から帰ってきた二宮は、客間にいる相葉を呼んだ。テーブルの上には、白い箱。
「なに?にの」
「あ、これ…チョコレートケーキなんだけど」
言いながら箱を開けると、おいしそうな茶色のケーキ。二宮がケーキを切り分け、白い皿に乗せて相葉の前に置く。甘い香りに誘われ、相葉は一口含んだ。口の中でどろりと溶け出し、重量感のある濃厚な甘さが舌に、絡む。
かたん、とフォークが落ちた。
「…相葉さん?」
「な…なんでも、ない…みず、ちょうだい…?」
首を傾けながらも、二宮は水を汲みに背を向けた。口元に手を当てて、小刻みに震える相葉に、気付くことは無かった。
それから毎日、チョコレートケーキを買って帰った。そのケーキは高価なものだったけれど、相葉が食べてくれることが嬉しくて、書物を買うお金を全て回した。
二宮は空を見上げた。満月が夜道を照らす。雨は一昨日の夜から止んでいたけれど、相葉は出て行かなかった。何も言わなかったから、何も聞かなかった。
なぜこんなに相葉に構うのか、自分でも分からなかった。時折、とても寂しそうに伏せられる黒眼が、どうしようもなく二宮の心を掻き乱す。
笑ってほしかった。叶うなら、一生、自分の隣で。
夜中、苦しそうな声で二宮は目を覚ました。廊下に出ると、声は一番奥の部屋から。その部屋を使っているのは相葉で、今この家にいるのは、自分と、相葉の、二人だけ。
「相葉さん?」
ノックもそこそこにドアを開けると、ガラスのコップが顔のすぐ隣で砕けた。
「うわっ!?」
「くるなっっ!!」
コップに続いて、花瓶、枕、本と投げつけられた。
「…っ、ちょ!!危ないってっ!」
「うる、さ…くる…な…っ…!」
「相葉さん!」
置時計が頬を掠めたが、二宮はベットに駆け寄って、シーツに包まる相葉を抱き締めた。
「っ!はなせっ!」
「嫌だ!」
暴れる相葉を、それ以上の力で押さえつける。
「にの…っ!」
「絶対離さない!」
二宮が強い口調で言うと、腕の中の体が大人しくなった。
「なんで…、なんでこんなにおれにかまうの?」
「相葉さんが好き、だから」
さらりと出た言葉に驚いたのは、言われた相葉より、言った本人の二宮だった。
そっか…俺はこの人が好きなんだ。
「相葉さんが、好きです」
二宮が気持ちを自覚すると、相葉が笑った。
「…何がおかしい?」
「何が?可笑しいよ、こんなのばかばかしいもの」
「…じゃあ、お前を好きだと思うこの気持ちが、可笑しいのかよ」
静かな怒りの篭った声で言うと、相葉は答えず、何か考えるように俯いてしまった。
「相葉さ…」
「にのの気持ちは分かった。だけどおれの本当の姿を見たら、きっと覆したくなる」
相葉が頭まで被っていたシーツを落とす。二宮は息を呑んだ。
唇から見え隠れする、長い犬歯、長い爪。二宮を映す、銀色の瞳。
思えば色こそ違うが、初めて相葉と出逢った時に、この瞳に捕まっていたのかも知れない。
「…醜いでしょ?」
そう言って顔を歪めた。一瞬泣き出しそうに見えたのは、二宮の見間違いだろうか。
「こんなおれを、にのは…」
「好きだよ」
これ以上卑下する言葉を聞きたくなくて、二宮は相葉を遮った。
「相葉さんが人でないのは知ってる。初めて逢った日に、十字の火傷を見た時から」
「な…にいって…っ…おれは異形なんだ!満月の夜にはどうしようもなく喉が渇く、血が欲しくてたまらないんだ!」
はあ、と大きく肩で息をする相葉を、二宮はじっと見詰めていた。ふいに思いついて、先程時計で掠った頬に手をやり、血の固まった傷に爪を割り入れる。
「黒い瞳の相葉さんも綺麗だけれど、今の相葉さんもすごく綺麗だよ?」
「に、の…?」
相葉の唇に指を這わせて、赤い跡を残す。
「好き。相葉さんが好き」
優しく微笑まれ、相葉は顔を歪めた。今度は二宮の見間違いではなかった。目尻の涙を舐め取ると、どちらともなく口唇を重ねた。
吸血貴族なのだと、相葉は言った。仲間は当の昔に絶え、一人きりだと。
しかし、多くは語らなかった。
+++++
「え、じゃあ相葉さんは、夜ずっと起きていたの?」
ベッドに腰掛けて、窓の外の満月から相葉を隠すように抱きしめていた。
「うん。にのが起き出す頃に眠って、にのが帰ってくる頃に起きてる」
「もったいない!」
嘆く二宮に首を傾ける。
「これからは、夜はこうして話をしよう。相葉さんにもっと近づきたいんだ」
相葉の頬がうっすらと赤くなる。可愛いと言って、二宮はキスを落とした。
「もう寝て?すぐ夜明けだから」
「うん」
返事をしたものの、相葉は二宮の腕の中に深く入り込んでくる。
「相葉さん?」
「もう少しだけ」
甘えるように擦り寄ってくる相葉に、愛しさが溢れ出す。こんな時間がいつまでも続けばいいと、祈りにも似た気持ちで相葉を抱きしめた。
「おはよう、相葉さん」
「時間的には、おやすみだと思うけど」
部屋を訪れた二宮に、眉を寄せて見せるが、心底嫌ではないことを二宮は知っている。
「今日は、相葉さんが住んでいた北の国の話を聞かせて?」
ベッドに腰掛けて、相葉に向かって腕を広げると、相葉は当然のように腕の中に収まるのだから。
しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。二宮が高熱を出して倒れてしまった。過労だった。
冷静に考えれば、二宮は昼間教会に行って、夜は相葉の相手をして明け方まで起きている。人ならば倒れて当然だった。
「ごめんね、相葉さん」
「ううん…」
二宮との時間に溺れて、気づかなかった。気づけなかった。
「にの」
額にそっと冷えたタオルを乗せる。熱で潤んだ目が、薄く開いた。
「おれも、にのがすき…」
突然の告白に驚きながらも、二宮は嬉しそうに笑った。
すっかり忘れていた。ここに何をしに来たのかを。
二宮に逢ってから、自分は変わってしまった。だけど二宮が倒れて、改めて気付かされた。
人間と異形である自分は、住んでいる世界が違う。相容れないのだ、と。
自分は、長い時間を終わらせるために、この地へ、来たのだ。
看病の甲斐あってか、二宮の具合は二日後には良くなっていた。先ほどからし始めた雨音を聞きながら、二宮は花瓶に赤いバラを生けていた。
「綺麗だろ?さっき近所の人にもらったんだ」
二宮は嬉しそうだが、相葉は無表情だった。…どうして彼は自分の本能を起こすようなことをするのだろう。
バラの花の、深い赤。チョコレートケーキの、濃厚な甘さ。
連想させるものは、ただ、一つ。
「相葉さん?バラ、嫌い?」
「…ううん」
些細なことで思い知らされる。
「だったらそんな怖い顔しないで」
歩み寄ってあやす様なキスを落とすが、目を閉じなかった相葉に気付いて、二宮は困ったように笑った。
「相葉さんは俺を好きだと言ったけれど、何も行動しないの?」
血を吸って、下僕にするとか。相葉は緩く頭を振る。
「そんなこと、おれは望まない。にのに対するこの気持ちは、絶望だから」
相葉がどれほど二宮を愛そうが、人である二宮は相葉を置いて逝く。それがどんなに悲しくて苦しいことか、人間である二宮には分からない。
「俺の相葉さんに対する気持ちは、希望だ」
…だから、そんなことが、言えるのだ。
「…にのはいつか、おれに近づきたいって言っていたね。…今もそう思う?」
「思う」
唐突に切り出された言葉に、目を丸くしている二宮の首に、細い腕が巻きつく。
「相葉さん?あい…っんっ!」
強引に唇を割られて、二宮は驚いて相葉の身体を引き離した。
「…っ!…相葉さん!?」
「おれとは嫌?」
「そういう問題じゃなくて…」
「……ああ、にのは神父だもんね」
相葉は思い出したように言った。ゆっくり椅子から立ち上がり、「ごめんね」と呟く。
「あ、おい!」
「病み上がりなんだから、早く休まなきゃ駄目だよ?」
振り返ることなく、居間を出て行った。二宮が倒れてからは短くなってしまったが、毎晩夜明け近くまで、他愛ない話をして過ごすと言うのに、相葉は一人で部屋へと戻ってしまった。
俺が拒んだから…?確かに俺は神父だけれど、決してあの人の思いを拒んだわけではない。これだけで、すべて無かったことにするなんて事は…。
自分の考えにゾッとした。全て無かったことにする。
二人で過ごした時間も、お互いを思うこの気持ちも、なかったことに。
――まさか。
「相葉さん!」
二宮は二階へと駆け上がった。勢いのまま部屋のドアを開ける。
「あい、ば、さ……」
相葉の姿は、無かった。
雨の中、二宮は傘も差さずに相葉を探した。後悔しても、しきれない思いに苛まれる。どうしてもっと相葉のことを考えてやれなかったのだろうか。降りかかる雨と溢れる涙で、視界が悪くなる。
結局俺は、自分のことしか考えていなかった。
「相葉さん!どこ!」
離れないで
傍にいて
想いを消さないで
愛しいと思う気持ちを、絶望だと言った相葉ならやりかねない。
「相葉さん!」
教えてあげたい、絶望だけではないことを。
思い付くところは全て探した。捜さなかったところが無いくらい、駆け回った。だけど相葉は見つからなかった。病み上がりで雨の中を走ったせいか熱が出てきたようで、眩暈がした。
「教会…」
気が付くと教会の前にいた。相葉と初めて出逢った場所。
重い身体を引きずり、門をくぐって教会の門を開けた。差別なく受け入れてくれる広い空間は、自分にとって心の拠り所であるはずなのに、今は何故か悲しい。そんな時、ふと呼ばれたような気がして、二宮は弾かれたように走り出した。
教会の門を開けると、門の下に相葉が立っていた。大雨の中、黒い傘を差し、教会の屋根の上の十字架を眺めているようだったが、二宮に気付いて、穏やかな微笑を浮かべる。その恐ろしいまでの綺麗な笑みに、二宮は全身が総毛立った。相葉は笑ったまま傘を閉じ、真っ直ぐに二宮に向かって歩き始めた。
「や…いや…だ…」
二宮は、真っ青になって頭を振る。相葉の歩みは、止まらない。
教会の敷地に相葉が入ったらどうなるか位、二宮は十二分に知っている。
「嫌だ!相葉さん!」
二宮は駆け出して、倒れる寸前だった愛しい人を抱きしめた。腕の中の身体は、さらさらと灰に還っていく。
「あ、いばさ…、相葉さんっ!」
「やっと終わる…一人は、もう、いやなんだ…」
黒い瞳に二宮を最期に映して、音もなく相葉は灰に還った。
「あ…いば………」
叩きつける雨に、相葉を流される。
「――――――ッ!!!」
雨に閉ざされた、悲しい叫び。
最愛の日々。
数年後の教会。
神父のいないそこは次第に人々に忘れ去られ、廃墟と化した。
肌身離さず大切に持ち歩く、一握りにも満たない灰。その灰こそが、二宮の愛しい人だった。
+++++
あの日から二宮は、教会の書物を片っ端から読み漁った。様々な町の教会や書物庫、資料庫の見聞録などを調べ尽くし、朝から夜まで本に向かっていた。
相葉を、元の姿に戻すために。
『やっと終わる…一人は、もう、いやなんだ…』
相葉の最期の言葉が、耳から離れない。自分の事しか考えず、相葉を突っぱねてしまった結果だった。
相葉が唇を寄せてきたとき、せめて抱きしめていれば、相葉にあんなことを言わせないで済んだかもしれない。あんなことには、ならなかったかもしれない。そう思うと自分が憎くてたまらなくなる。
今なら分かる。
あの時、自分は試されたのだ。
「…う…っ」
泣いたって、何一つ変わらない。何一つ、相葉には伝わらない。二宮は涙をぬぐって本を読み続けた。
一年が経とうとした頃。
山間の小さな教会で、その本を見つけた。本を抱え、二宮は教会を飛び出した。
――灰になった吸血貴族を復活させる方法
しかしそれには条件があった。
灰が10分の1残っていること。人の半分以上の血液が必要で、灰になる前にその血液を吸血していること。
ホテルに戻り、二宮は本を広げた。
灰は10分の1も残っていない。血液だって、相葉の唇に塗ったぐらいだ。
けれど、やるしか、ない。
バスルームに入り、浴槽に栓をして、刃物を腕に当てる。幾本の赤い筋を尻目に、懐から小袋を取り出して胸に抱えた。
3分1以上血が流れたら、人間は死に至る。怖くはなかったけれど、二度と逢えないと思うと悲しかった。
「相葉さ…ん…」
目が段々と霞んできた。意識も、もう少しで落ちるだろう。
貴方に、逢いたかった。
目が覚めると、白い天井が映った。
「俺…」
確か、バスルームで…。
「気がついた?」
二宮はその声に目を見開き、飛び起きた。
少し離れた窓際から、ゆっくりとベッドに歩み寄ってくるその人は。
「あ、あい…」
「っんのばかっ!!」
怒声と共に、左右の頬を思い切り叩かれた。
「何てことするの!もう少しで助けられなかったんだからな!!」
本当に?本当に…相葉さん?
夢じゃない。頬の痛みが現実だと伝える。
夢じゃないんだ!
「にの聞いてるの!?話を…っ!」
抱き寄せて、その唇を貪るように口付けた。
「や、や…っん…」
放す気なんて全く無い。角度を変えて更に貪る。暫くすると諦めたのか、二宮の首に腕が回された。
「ばさ…ん。相葉さん、相葉さん」
意識がとろりとしてきた頃、漸く唇を解放された。
「相葉さん、相葉、さん…」
「に…の…」
息も出来ないほど深く抱き締められる。身を捩り、苦しいと訴えた。
「あ、ごめん」
二宮は嬉しそうに笑っていた。愛しそうに相葉を見る、優しい目。耐えきれずに視線を逸らした。
「俺は…にのを、殺した」
「…え?」
相葉が二宮から一歩下がり、呟くように言った。訳が分からず、二宮は離れて行く身体を再び引き寄せた。
「どういうこと?」
「仕方なかったんだ!放して!」
「相葉さん!」
ビクリと相葉は身体を震わせ、二宮は声を荒げた事を後悔した。
「大きな声出して、ごめん。でも、どういうこと?教えて」
いてしまった相葉を覗き込むと、二宮は固まってしまった。声も出さずに、相葉は涙を零していた。
「お、おれが…蘇ったときには…にのは、もう……このままだったら、助からなく、て…!だから!」
そう言って、相葉は口を押さえた。
「…!…まさか、相葉さん…俺の血を…?」
「仕方なかったんだ!」
二宮に背を向けて、相葉は身体を丸めてしゃくりあげた。
「残されるのは…一人は…いやなんだ!」
二宮は、相葉を後ろから抱き締めた。
「…っ!ごめん、ごめん…!」
二宮の命を踏み台にして蘇った相葉が、どう思うのか。一人を嫌がっていた相葉が、どう生きていくのか。
二宮はただただ相葉に逢いたくて、死を覚悟でやった。しかし、その後は考えていなかった。
「ごめん相葉さん…。助けてくれて、ありがとう…」
どうして俺は自分のことだけで、貴方のことを考えないのだろう。情けなくて涙が出てきた。
「…にの」
「………」
「にの」
相葉は身体の向きを変え、二宮の頭を優しく胸に抱えた。静かに髪を梳かれる中で、二宮はふと気が付いた。
「…そうだ、俺達、ずっと一緒にいられるんだよね?」
「え…」
「相葉さんと、この先ずっと、一緒なんだよね?」
二宮は顔を上げた。
相葉と、ずっと一緒に。
人間だったら無理な話だけれど、同じ吸血貴族ならば可能な話だ。
「あ…」
二宮はもう人ではない。考えも付かなかった。あの時はただ、出血多量で冷たくなっていく二宮を助けたくて、それだけで動いていた。
「俺が側にいることを、許してくれる?」
「…この想いは、絶望じゃないの?」
「時にそれはある。だけど、それだけじゃない。俺の想いが、希望であるように」
「……許す」
そう言って、俯かせていた顔を上げた相葉は、穏やかに笑った。至近距離でみたそれに、二宮は見惚れた。
「…どうする?夜が明ける前にホテル出るか、もう一泊するか?」
「…もう一泊。貴方を抱き締めて眠りたい」
赤くなった相葉が何か言い出す前に、素早くベッドに押し倒す。「にの!」と抗議が上がったけれど、聞こえない振りをした。
「まだ夜明けじゃない」
「俺が眠たいの。付き合って」
「もう…」
ぶつぶつ言いながらも二宮の腕の中で、相葉は一足先に眠りに就いた。安心しきった無防備な寝顔に、優しくキスを落とす。
「如何なる順境の時も逆境の時も、愛と忠誠を尽くすことを…誓います」
二宮は目を閉じた。
暫くして腕の中の相葉が目を開け、二宮と同じ事を言ったのを、二宮は深い意識の底で聞いていた。
end
教会の前、大雨の中。それが、二人の出逢い。
『~ not hopeness,but hope ~』
「どうぞ中へ。風邪を引いてしまいますよ?」
傘を差し出したが、しかし長身の男は、弾かれたように一歩下がった。
「…怪しいものじゃないよ。俺はここの神父だから」
「…しん…ぷ?…」
前々からどうしても口慣れない言葉遣いを止めてみた。…だって彼、警戒心剥き出しだったから。
俺の言葉に、やっと顔をふっと上げた。雨に濡れた黒眼が俺を映す。捕らわれそうな深い色に、トクンと胸が鳴る。
しかしそれは一瞬で、彼は倒れ込むように気を失った。
「…え!?ちょ…ちょっと!しっかりしろよ!」
長く、ただ長くて暗い日々
この手にはもう、何も残っていない
どうなってもよかった
…どうにも、ならないのだから。
「………」
目を開けたら、見慣れない天井。体を起こしてシャツのボタンを外すと、胸元に真新しい十字の火傷。気付かないほど深く気を失っていたらしい。
「あ、気付いた?」
木で出来たドアを開けて、先程の神父が手にトレーを持って部屋に入ってきた。
「…あなたが運んでくれたんだね?」
「そう。あんた軽いな、俺でも楽に抱えられたよ」
「…おかげでこんな痕ができちゃった」
「…何か言った?」
なんでもない、とシャツのボタンを留める。
「俺二宮。お前は?」
「…関係ない。上着どこ…っ!?」
ベットから起きあがろうとした途端、吐き気と目眩に襲われ、再びベットに沈んだ。
「おい!大丈夫かよ!」
「…っ!」
二宮が慌てて駆け寄り、手を伸ばすが派手に叩かれる。
「さ…さわる…なっ…!」
「真っ青な顔で何言ってんだ!」
手首を掴まれて引き寄せられた拍子に、二宮の下げている十字が先程の傷に重なった。
「い……っ…!」
ビクンと急に丸められた体を不思議に思い、覗き込むと辛そうに眉を寄せている。
「どうした?」
二宮の手に解放されると、両手でシャツのボタンを握り締めた。
「痛むのか?」
「や…やめ…」
力の入らない腕では、二宮を防ぐことなど出来ない。ボタンを全て外され、勢い良く開かれた。十字の形をした火傷の痕。その上から、引き攣ったような十字の火傷。二宮は目を見開いた。
「これ、は…十字架の…?」
二宮が僅かに震えながら、首から下げている十字を握る。
「……ごめん」
思案顔で傷を見詰めていた二宮が、いきなり頭を下げた。男が何事かと二宮を見る。
「あんた……銀アレルギーだったんだな」
「……へ?」
「銀に触ると、肌が爛れる人が居るって聞いたことある。ごめんな、俺気付かなくて」
そう言いながら、外した十字架をサイドテーブルに置く。
「痛むよな?大丈夫か?」
「…だ、大丈夫」
「でも…」
「…大丈夫だからっ!」
「じゃあ…せめて手当していけ」
「…え、いや、…いい」
「でも顔色悪いよ?体調が良くなるまでここにいろ?また倒れられたら俺が困る」
懸命に拒否する男に負けず、得体の知れない感情に任せて、どうにか引き留めようとする。
「雨に濡れるともっと傷が傷む。ここにいろ。…せめて、雨が止むまで」
どうなってもよかった
どうにもならないのだから
――だったら。
「…やむまで…なら」
重い口を、開いた。
男は、相葉と名乗った。大雨の中、立ち尽くしていた相葉を怪しむ事無く、神父の二宮は甲斐甲斐しく世話をした。あれから雨は止む事は無く、7回目の夜を迎えた。
+++++
「また食べないの?」
二宮はまた一度たりとも、相葉が食べ物を口にする姿を見ていない。受け付けるのは、たまに極少量の水のみ。
「ごはんは食べなくても平気なんだ」
「…でもな、お前具合悪いんだから、少しでも何か食べろよ」
そう言って心配そうに見詰めてくる二宮に、相葉はなんだか自分が悪いことをしている気分になった。――これが、罪悪感だったか。
この人といると、遠い昔に失くしてしまったものを思い出す。持って生まれたはずの感情。感覚。自分は、長い永い時間の中で、どこかではぐれてしまった。
「……のど、かわいた…」
小さい声だったが聞こえたらしく、二宮が小さくため息をついた。
「ったく…食えってのに……わかった、持ってくる」
二宮がゆっくり席を立って部屋を出て行く。相葉はため息をついた。
「…らしくないなぁ」
呟いてフォークを手に取った。
「相葉さん?甘いもん好き?」
いつものように教会から帰ってきた二宮は、客間にいる相葉を呼んだ。テーブルの上には、白い箱。
「なに?にの」
「あ、これ…チョコレートケーキなんだけど」
言いながら箱を開けると、おいしそうな茶色のケーキ。二宮がケーキを切り分け、白い皿に乗せて相葉の前に置く。甘い香りに誘われ、相葉は一口含んだ。口の中でどろりと溶け出し、重量感のある濃厚な甘さが舌に、絡む。
かたん、とフォークが落ちた。
「…相葉さん?」
「な…なんでも、ない…みず、ちょうだい…?」
首を傾けながらも、二宮は水を汲みに背を向けた。口元に手を当てて、小刻みに震える相葉に、気付くことは無かった。
それから毎日、チョコレートケーキを買って帰った。そのケーキは高価なものだったけれど、相葉が食べてくれることが嬉しくて、書物を買うお金を全て回した。
二宮は空を見上げた。満月が夜道を照らす。雨は一昨日の夜から止んでいたけれど、相葉は出て行かなかった。何も言わなかったから、何も聞かなかった。
なぜこんなに相葉に構うのか、自分でも分からなかった。時折、とても寂しそうに伏せられる黒眼が、どうしようもなく二宮の心を掻き乱す。
笑ってほしかった。叶うなら、一生、自分の隣で。
夜中、苦しそうな声で二宮は目を覚ました。廊下に出ると、声は一番奥の部屋から。その部屋を使っているのは相葉で、今この家にいるのは、自分と、相葉の、二人だけ。
「相葉さん?」
ノックもそこそこにドアを開けると、ガラスのコップが顔のすぐ隣で砕けた。
「うわっ!?」
「くるなっっ!!」
コップに続いて、花瓶、枕、本と投げつけられた。
「…っ、ちょ!!危ないってっ!」
「うる、さ…くる…な…っ…!」
「相葉さん!」
置時計が頬を掠めたが、二宮はベットに駆け寄って、シーツに包まる相葉を抱き締めた。
「っ!はなせっ!」
「嫌だ!」
暴れる相葉を、それ以上の力で押さえつける。
「にの…っ!」
「絶対離さない!」
二宮が強い口調で言うと、腕の中の体が大人しくなった。
「なんで…、なんでこんなにおれにかまうの?」
「相葉さんが好き、だから」
さらりと出た言葉に驚いたのは、言われた相葉より、言った本人の二宮だった。
そっか…俺はこの人が好きなんだ。
「相葉さんが、好きです」
二宮が気持ちを自覚すると、相葉が笑った。
「…何がおかしい?」
「何が?可笑しいよ、こんなのばかばかしいもの」
「…じゃあ、お前を好きだと思うこの気持ちが、可笑しいのかよ」
静かな怒りの篭った声で言うと、相葉は答えず、何か考えるように俯いてしまった。
「相葉さ…」
「にのの気持ちは分かった。だけどおれの本当の姿を見たら、きっと覆したくなる」
相葉が頭まで被っていたシーツを落とす。二宮は息を呑んだ。
唇から見え隠れする、長い犬歯、長い爪。二宮を映す、銀色の瞳。
思えば色こそ違うが、初めて相葉と出逢った時に、この瞳に捕まっていたのかも知れない。
「…醜いでしょ?」
そう言って顔を歪めた。一瞬泣き出しそうに見えたのは、二宮の見間違いだろうか。
「こんなおれを、にのは…」
「好きだよ」
これ以上卑下する言葉を聞きたくなくて、二宮は相葉を遮った。
「相葉さんが人でないのは知ってる。初めて逢った日に、十字の火傷を見た時から」
「な…にいって…っ…おれは異形なんだ!満月の夜にはどうしようもなく喉が渇く、血が欲しくてたまらないんだ!」
はあ、と大きく肩で息をする相葉を、二宮はじっと見詰めていた。ふいに思いついて、先程時計で掠った頬に手をやり、血の固まった傷に爪を割り入れる。
「黒い瞳の相葉さんも綺麗だけれど、今の相葉さんもすごく綺麗だよ?」
「に、の…?」
相葉の唇に指を這わせて、赤い跡を残す。
「好き。相葉さんが好き」
優しく微笑まれ、相葉は顔を歪めた。今度は二宮の見間違いではなかった。目尻の涙を舐め取ると、どちらともなく口唇を重ねた。
吸血貴族なのだと、相葉は言った。仲間は当の昔に絶え、一人きりだと。
しかし、多くは語らなかった。
+++++
「え、じゃあ相葉さんは、夜ずっと起きていたの?」
ベッドに腰掛けて、窓の外の満月から相葉を隠すように抱きしめていた。
「うん。にのが起き出す頃に眠って、にのが帰ってくる頃に起きてる」
「もったいない!」
嘆く二宮に首を傾ける。
「これからは、夜はこうして話をしよう。相葉さんにもっと近づきたいんだ」
相葉の頬がうっすらと赤くなる。可愛いと言って、二宮はキスを落とした。
「もう寝て?すぐ夜明けだから」
「うん」
返事をしたものの、相葉は二宮の腕の中に深く入り込んでくる。
「相葉さん?」
「もう少しだけ」
甘えるように擦り寄ってくる相葉に、愛しさが溢れ出す。こんな時間がいつまでも続けばいいと、祈りにも似た気持ちで相葉を抱きしめた。
「おはよう、相葉さん」
「時間的には、おやすみだと思うけど」
部屋を訪れた二宮に、眉を寄せて見せるが、心底嫌ではないことを二宮は知っている。
「今日は、相葉さんが住んでいた北の国の話を聞かせて?」
ベッドに腰掛けて、相葉に向かって腕を広げると、相葉は当然のように腕の中に収まるのだから。
しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。二宮が高熱を出して倒れてしまった。過労だった。
冷静に考えれば、二宮は昼間教会に行って、夜は相葉の相手をして明け方まで起きている。人ならば倒れて当然だった。
「ごめんね、相葉さん」
「ううん…」
二宮との時間に溺れて、気づかなかった。気づけなかった。
「にの」
額にそっと冷えたタオルを乗せる。熱で潤んだ目が、薄く開いた。
「おれも、にのがすき…」
突然の告白に驚きながらも、二宮は嬉しそうに笑った。
すっかり忘れていた。ここに何をしに来たのかを。
二宮に逢ってから、自分は変わってしまった。だけど二宮が倒れて、改めて気付かされた。
人間と異形である自分は、住んでいる世界が違う。相容れないのだ、と。
自分は、長い時間を終わらせるために、この地へ、来たのだ。
看病の甲斐あってか、二宮の具合は二日後には良くなっていた。先ほどからし始めた雨音を聞きながら、二宮は花瓶に赤いバラを生けていた。
「綺麗だろ?さっき近所の人にもらったんだ」
二宮は嬉しそうだが、相葉は無表情だった。…どうして彼は自分の本能を起こすようなことをするのだろう。
バラの花の、深い赤。チョコレートケーキの、濃厚な甘さ。
連想させるものは、ただ、一つ。
「相葉さん?バラ、嫌い?」
「…ううん」
些細なことで思い知らされる。
「だったらそんな怖い顔しないで」
歩み寄ってあやす様なキスを落とすが、目を閉じなかった相葉に気付いて、二宮は困ったように笑った。
「相葉さんは俺を好きだと言ったけれど、何も行動しないの?」
血を吸って、下僕にするとか。相葉は緩く頭を振る。
「そんなこと、おれは望まない。にのに対するこの気持ちは、絶望だから」
相葉がどれほど二宮を愛そうが、人である二宮は相葉を置いて逝く。それがどんなに悲しくて苦しいことか、人間である二宮には分からない。
「俺の相葉さんに対する気持ちは、希望だ」
…だから、そんなことが、言えるのだ。
「…にのはいつか、おれに近づきたいって言っていたね。…今もそう思う?」
「思う」
唐突に切り出された言葉に、目を丸くしている二宮の首に、細い腕が巻きつく。
「相葉さん?あい…っんっ!」
強引に唇を割られて、二宮は驚いて相葉の身体を引き離した。
「…っ!…相葉さん!?」
「おれとは嫌?」
「そういう問題じゃなくて…」
「……ああ、にのは神父だもんね」
相葉は思い出したように言った。ゆっくり椅子から立ち上がり、「ごめんね」と呟く。
「あ、おい!」
「病み上がりなんだから、早く休まなきゃ駄目だよ?」
振り返ることなく、居間を出て行った。二宮が倒れてからは短くなってしまったが、毎晩夜明け近くまで、他愛ない話をして過ごすと言うのに、相葉は一人で部屋へと戻ってしまった。
俺が拒んだから…?確かに俺は神父だけれど、決してあの人の思いを拒んだわけではない。これだけで、すべて無かったことにするなんて事は…。
自分の考えにゾッとした。全て無かったことにする。
二人で過ごした時間も、お互いを思うこの気持ちも、なかったことに。
――まさか。
「相葉さん!」
二宮は二階へと駆け上がった。勢いのまま部屋のドアを開ける。
「あい、ば、さ……」
相葉の姿は、無かった。
雨の中、二宮は傘も差さずに相葉を探した。後悔しても、しきれない思いに苛まれる。どうしてもっと相葉のことを考えてやれなかったのだろうか。降りかかる雨と溢れる涙で、視界が悪くなる。
結局俺は、自分のことしか考えていなかった。
「相葉さん!どこ!」
離れないで
傍にいて
想いを消さないで
愛しいと思う気持ちを、絶望だと言った相葉ならやりかねない。
「相葉さん!」
教えてあげたい、絶望だけではないことを。
思い付くところは全て探した。捜さなかったところが無いくらい、駆け回った。だけど相葉は見つからなかった。病み上がりで雨の中を走ったせいか熱が出てきたようで、眩暈がした。
「教会…」
気が付くと教会の前にいた。相葉と初めて出逢った場所。
重い身体を引きずり、門をくぐって教会の門を開けた。差別なく受け入れてくれる広い空間は、自分にとって心の拠り所であるはずなのに、今は何故か悲しい。そんな時、ふと呼ばれたような気がして、二宮は弾かれたように走り出した。
教会の門を開けると、門の下に相葉が立っていた。大雨の中、黒い傘を差し、教会の屋根の上の十字架を眺めているようだったが、二宮に気付いて、穏やかな微笑を浮かべる。その恐ろしいまでの綺麗な笑みに、二宮は全身が総毛立った。相葉は笑ったまま傘を閉じ、真っ直ぐに二宮に向かって歩き始めた。
「や…いや…だ…」
二宮は、真っ青になって頭を振る。相葉の歩みは、止まらない。
教会の敷地に相葉が入ったらどうなるか位、二宮は十二分に知っている。
「嫌だ!相葉さん!」
二宮は駆け出して、倒れる寸前だった愛しい人を抱きしめた。腕の中の身体は、さらさらと灰に還っていく。
「あ、いばさ…、相葉さんっ!」
「やっと終わる…一人は、もう、いやなんだ…」
黒い瞳に二宮を最期に映して、音もなく相葉は灰に還った。
「あ…いば………」
叩きつける雨に、相葉を流される。
「――――――ッ!!!」
雨に閉ざされた、悲しい叫び。
最愛の日々。
数年後の教会。
神父のいないそこは次第に人々に忘れ去られ、廃墟と化した。
肌身離さず大切に持ち歩く、一握りにも満たない灰。その灰こそが、二宮の愛しい人だった。
+++++
あの日から二宮は、教会の書物を片っ端から読み漁った。様々な町の教会や書物庫、資料庫の見聞録などを調べ尽くし、朝から夜まで本に向かっていた。
相葉を、元の姿に戻すために。
『やっと終わる…一人は、もう、いやなんだ…』
相葉の最期の言葉が、耳から離れない。自分の事しか考えず、相葉を突っぱねてしまった結果だった。
相葉が唇を寄せてきたとき、せめて抱きしめていれば、相葉にあんなことを言わせないで済んだかもしれない。あんなことには、ならなかったかもしれない。そう思うと自分が憎くてたまらなくなる。
今なら分かる。
あの時、自分は試されたのだ。
「…う…っ」
泣いたって、何一つ変わらない。何一つ、相葉には伝わらない。二宮は涙をぬぐって本を読み続けた。
一年が経とうとした頃。
山間の小さな教会で、その本を見つけた。本を抱え、二宮は教会を飛び出した。
――灰になった吸血貴族を復活させる方法
しかしそれには条件があった。
灰が10分の1残っていること。人の半分以上の血液が必要で、灰になる前にその血液を吸血していること。
ホテルに戻り、二宮は本を広げた。
灰は10分の1も残っていない。血液だって、相葉の唇に塗ったぐらいだ。
けれど、やるしか、ない。
バスルームに入り、浴槽に栓をして、刃物を腕に当てる。幾本の赤い筋を尻目に、懐から小袋を取り出して胸に抱えた。
3分1以上血が流れたら、人間は死に至る。怖くはなかったけれど、二度と逢えないと思うと悲しかった。
「相葉さ…ん…」
目が段々と霞んできた。意識も、もう少しで落ちるだろう。
貴方に、逢いたかった。
目が覚めると、白い天井が映った。
「俺…」
確か、バスルームで…。
「気がついた?」
二宮はその声に目を見開き、飛び起きた。
少し離れた窓際から、ゆっくりとベッドに歩み寄ってくるその人は。
「あ、あい…」
「っんのばかっ!!」
怒声と共に、左右の頬を思い切り叩かれた。
「何てことするの!もう少しで助けられなかったんだからな!!」
本当に?本当に…相葉さん?
夢じゃない。頬の痛みが現実だと伝える。
夢じゃないんだ!
「にの聞いてるの!?話を…っ!」
抱き寄せて、その唇を貪るように口付けた。
「や、や…っん…」
放す気なんて全く無い。角度を変えて更に貪る。暫くすると諦めたのか、二宮の首に腕が回された。
「ばさ…ん。相葉さん、相葉さん」
意識がとろりとしてきた頃、漸く唇を解放された。
「相葉さん、相葉、さん…」
「に…の…」
息も出来ないほど深く抱き締められる。身を捩り、苦しいと訴えた。
「あ、ごめん」
二宮は嬉しそうに笑っていた。愛しそうに相葉を見る、優しい目。耐えきれずに視線を逸らした。
「俺は…にのを、殺した」
「…え?」
相葉が二宮から一歩下がり、呟くように言った。訳が分からず、二宮は離れて行く身体を再び引き寄せた。
「どういうこと?」
「仕方なかったんだ!放して!」
「相葉さん!」
ビクリと相葉は身体を震わせ、二宮は声を荒げた事を後悔した。
「大きな声出して、ごめん。でも、どういうこと?教えて」
いてしまった相葉を覗き込むと、二宮は固まってしまった。声も出さずに、相葉は涙を零していた。
「お、おれが…蘇ったときには…にのは、もう……このままだったら、助からなく、て…!だから!」
そう言って、相葉は口を押さえた。
「…!…まさか、相葉さん…俺の血を…?」
「仕方なかったんだ!」
二宮に背を向けて、相葉は身体を丸めてしゃくりあげた。
「残されるのは…一人は…いやなんだ!」
二宮は、相葉を後ろから抱き締めた。
「…っ!ごめん、ごめん…!」
二宮の命を踏み台にして蘇った相葉が、どう思うのか。一人を嫌がっていた相葉が、どう生きていくのか。
二宮はただただ相葉に逢いたくて、死を覚悟でやった。しかし、その後は考えていなかった。
「ごめん相葉さん…。助けてくれて、ありがとう…」
どうして俺は自分のことだけで、貴方のことを考えないのだろう。情けなくて涙が出てきた。
「…にの」
「………」
「にの」
相葉は身体の向きを変え、二宮の頭を優しく胸に抱えた。静かに髪を梳かれる中で、二宮はふと気が付いた。
「…そうだ、俺達、ずっと一緒にいられるんだよね?」
「え…」
「相葉さんと、この先ずっと、一緒なんだよね?」
二宮は顔を上げた。
相葉と、ずっと一緒に。
人間だったら無理な話だけれど、同じ吸血貴族ならば可能な話だ。
「あ…」
二宮はもう人ではない。考えも付かなかった。あの時はただ、出血多量で冷たくなっていく二宮を助けたくて、それだけで動いていた。
「俺が側にいることを、許してくれる?」
「…この想いは、絶望じゃないの?」
「時にそれはある。だけど、それだけじゃない。俺の想いが、希望であるように」
「……許す」
そう言って、俯かせていた顔を上げた相葉は、穏やかに笑った。至近距離でみたそれに、二宮は見惚れた。
「…どうする?夜が明ける前にホテル出るか、もう一泊するか?」
「…もう一泊。貴方を抱き締めて眠りたい」
赤くなった相葉が何か言い出す前に、素早くベッドに押し倒す。「にの!」と抗議が上がったけれど、聞こえない振りをした。
「まだ夜明けじゃない」
「俺が眠たいの。付き合って」
「もう…」
ぶつぶつ言いながらも二宮の腕の中で、相葉は一足先に眠りに就いた。安心しきった無防備な寝顔に、優しくキスを落とす。
「如何なる順境の時も逆境の時も、愛と忠誠を尽くすことを…誓います」
二宮は目を閉じた。
暫くして腕の中の相葉が目を開け、二宮と同じ事を言ったのを、二宮は深い意識の底で聞いていた。
end
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