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小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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「Close to me」

 不意に訪れた空白の時間だった。大野と櫻井は、顔を見合わせて苦笑する。
 午前中の仕事が巻きで終わってしまった事、午後の大野の撮影が天候の為に見合わされる事、櫻井の取材先が予定変更を申し出た事、そして夜の仕事は五人一緒のものである事。
 沢山の偶然が重なって、夜まで時間が空いたのだった。マネージャーは「どうしますか」と訊いて来る。選択権は、こちらにあるらしい。
 話し合うでもなく、目を合わすだけで、二人は意思の疎通を行った。
「俺んちで智君と一緒に、待機してるよ」
「出掛けて頂いても、大丈夫ですよ?」
「いいや。そう言うのは。ゆっくりしとく」
「分かりました。車、回して来ますね」
 マネージャーは、そう言って控え室を出て行った。二人きりの空間になって、二人は小さな笑い声を漏らす。
「しょーくんちなのか」
「うん。駄目?」
「良いけど」
「たまには、二人でいようよ」
「そうだな」
「日の高い時に智君と二人っきりとか、幸せかも」
「あんま、特別なもんにすんなよ」
「特別だよ。貴方といる時間は。全部」
「……馬鹿だな」
 必要以上に甘い櫻井の声音に笑って、大野は視線を逸らす。彼の愛情は真っ直ぐで、時々恥ずかしくなった。自分のキャパシティを超えた愛情を注がれるのが、苦しくて嬉しい。
 言葉を返す代わりに、大野は櫻井へ手を伸ばした。櫻井は、楽しそうに笑いながらその手を取って、しっかりと絡ませる。
「甘えん坊だな」
「嫌いじゃないだろ?」
「うん。むしろ、好き。おいで」
 繋いだまま腕を引かれて、大野は櫻井の膝の上に移動した。見下ろせば、機嫌のいい櫻井の目が細められている。優しい表情に、柄にもなくときめいた。
 促されるように、顔を近付ける。ちゅ、と小さな音を立てて口付けを落とした。
 櫻井は笑っている。楽しそうに、嬉しそうに。もう一度キスをすれば、彼の手が背中を撫でた。
 もう昔程の情熱はない。奪い合うような口付けは、長い事していなかった。それで良かったし、飢えを忘れた身体は、存外心地良い。
 櫻井を信じていた。絶対に離れない事。愛し続けてくれる事。迷った時期は長かったけれど、こうして迷わず一緒にいようと決めてから、二人の関係は穏やかで優しいものになった。
 櫻井の傍にいられれば、それで良い。彼の瞳が自分を見詰めてくれて、自分の意識が彼へ向いて。
 愛情って、こんな感じなんだろう。恋の時期は通り過ぎてしまった。愛を知り、二人一緒に生きて行く道を見つけた。
 迷ってばかりの自分達が、答えを出してはや数年。驚く程順調に付き合い続けている。
「午後、何しよっか」
「寝る」
「はは。寝るんだ」
「翔君も一緒だぞ」
「俺も?」
「一緒にいられんだ。仕事なんて、しようと思うなよ」
「そうだね、分かった」
 この男は、放っておけばすぐ仕事をする。キャスター業をやっている以上、勉強は必須なのだろうけれど、小難しい本を読んで、ネットで情報収集して、時には友達に連絡を取って、身近な意見を聞くのだった。
 いつだって、分刻みで動いている男だ。自分と一緒にいる時位、ゆっくりして欲しいと願うのは、恋人ならごく当たり前の感情だった。
 忙しなく過ぎ去って行く時間の中、自分といる時だけは、櫻井の時間がゆっくりと流れれば良いと思う。
「しょーくん」
 名前を呼んで、櫻井の首に抱き着いた。膝の上にいる自分を彼は上手に抱き締める。もう、今すぐ眠ってしまいたい程だった。
 櫻井の腕の中は落ち着く。こんな場所を他に知らなかった。彼はいつだって、自分の為の場所を空けてくれた。
 首筋に鼻を寄せて彼の香水と体臭を嗅ぐ。甘い甘い匂いの下にある、彼の匂い。慣れ親しんでしまったそれに、大野は小さく笑みを作る。
 背中をゆっくり撫でる手は、優しく力強かった。男だから守られたいなんて思わないけれど、この手に全てを託すのも悪くないんじゃないかと、思ってしまう程だ。
 うっとりと櫻井の肩に頭を預けて、その体温を感じている時だった。ノックの音が響いて、マネージャーが顔を出す。
「大野さん、櫻井さん、車の用意出来ました」
「はーい。今行く」
 マネージャーは一瞬驚いた顔をして、けれど何も言わずにまた扉を閉めた。一応、気を遣ったのだろう。櫻井の上に大野が乗っている図と言うのは、世間様に見せられるものではない。
 扉を閉めてもらえて、良かった。とは言っても、この格好を受け入れている時点で、櫻井も同罪だ。誰かに見られるかも知れない不安より、大野を甘やかしたい気持ちの方が強かった。
「智君、行こ」
「うん」
「こら。離れて」
「分ぁってるよー」
「家帰ったら、もっと甘やかしてあげるから」
「言ったな」
「言いましたよ。何の為に、家に行くと思ってんの」
「ヤんのか?」
「……あのねえ。夜もまた仕事がある人をメチャクチャに出来る程、俺駄目人間じゃねえよ?」
「何だー」
「何でそこで、残念そうな声出すかね」
「だって、残念じゃんかよー」
「あんたはもう少し、あんたの身体を労った方が良いね」
「俺の身体は、翔君が大事にしてくれんだろ」
「大事にしてますけどね。だから、帰っても何もしないよ」
「涸れてんなあ」
「年末進行直前で盛ってらんねえって。ほら、マネージャー待ってるしもう行くよ」
「はーい」
 大野は、素直に櫻井から降りると鞄を抱えて、スタスタと扉の方へ行った。切り替えの早さに苦笑すると、櫻井も重い鞄を抱えてその後に続く。
 手を繋ぎたいなと思ったけれど、家に着くまで我慢しなければならなかった。大野と二宮が外で手を繋いでも、違和感はない。でも、自分達では駄目だった。
 滲んだ垣間見えるからかも知れない。家に帰れば、くっ付いていられるのだからと思う事にして、駐車場へ向かった。



 車の中でうとうとしていた大野は、マンションに着いてもその眠気を払えていないようだ。櫻井は、リビングに入ってソファに大野を座らせると、コートを脱がして、鞄を玄関に置いた。
 その間もぐらぐら頭を揺らす姿に、彼の子供らしい愛らしさを見て、櫻井は口許を緩める。可愛い人だった。
「智君。横になっちゃいな」
「ん……しょーくんも」
「うん。俺も一緒に寝るから。先、眠っちゃって良いよ」
「ヤだ」
「我儘だな」
「わがままだもん」
 大野が子供のようになるのは、甘えているからだと知っている。さすがにスーツのままでは横になれないから、着替えて来なければならなかった。
 むずがる恋人の額にキスを落とすと、その存外力の強い手に捕まる前に、寝室へ向かう。クローゼットから適当にスェットを出して、スーツはハンガーに掛けた。
 結局今日は取材がなくなってしまったから、この後はスーツじゃなくても良いだろう。出る時に着る服も用意して、寝室を出た。
 ソファを覗き込むと、大野は既に眠っている。可愛いなあと思った。起きている時でさえ幼い彼の寝顔は、生まれたての子供みたいで、時々困る。こんな風に眠っている人を無理矢理どうこう出来る訳がなかった。
 唯、愛するだけだ。大事な宝物として、自分の腕に囲うのが精一杯だった。
 恋人になって、もう何年も経つのに、未だに慣れない自分がおかしい。今までの恋愛なら、慣れて、飽きて、一緒にいる時間もどこかおざなりになったのに。
 大野といると、毎日毎日恋をする。昨日より今日の方が、愛は深まった。
 一緒にいれば尚更、愛したい気持ちが募る。不思議な人だった。彼に愛されている事も奇蹟だし、彼の恋人でいられる事が、櫻井にとっては神様からのプレゼントだとしか思えない。
「んん、しょーくん……?」
 寝言かと思う程、柔らかな音で、大野が櫻井を呼んだ。ふわ、と中空を彷徨った右手を取って、櫻井は答える。
「何? 智君」
「いる、のか」
「いるよ。一緒にいるって言ったじゃない」
「しごと、だめだぞ」
「分かってる。あんたといる」
「ん」
 満足そうに顎を引くと、大野はソファの背もたれに身体を寄せた。繋いだ手のまま、来い来いと手首が動く。
「狭くなるよ」
「いい」
「ベッドにする?」
「めんどい」
「俺が運ぶよ」
「やだ」
 ほわほわとした声のまま、大野は首を横に振る。頑固な人だから、ソファの上からの移動は難しいだろう。
「ひかりが、」
「光? ああ、眩しい?」
 振り返ると、窓から陽光が射し込んでいた。眠るには、少し明るいかも知れない。
「ちがう。きれい、だから、そのまんまが良い」
「そっか。分かった」
 寝室は暗闇が保たれているから、この光を感じる事が出来ない。お昼寝なんて、最高に怠惰で贅沢な時間を過ごすには、今が何時だと分かる太陽の光は必要かも知れなかった。
 大野が空けてくれたスペースに、乗り上げる。二人一緒に眠るには窮屈だけれど、狭い場所でぎゅっとくっ付くのは、自分達嵐の特技と言っても良かった。
 これ位なら、充分に眠れる。
 重なった身体の部分に、大野を乗せた。小さな彼を潰さないよう、慎重に。けれど、女の子を相手にするような繊細な動作は使わない。
 同じ男の身体。小さくて細くて、心配になる愛すべき身体。抱え上げて抱き締めると、大野が小さく笑い声を漏らした。
「智君?」
「んー。しあわせだー」
「なら、良かった」
「しょーくんは?」
「ぽっかり空いた時間に、あんたと過ごせて、あんたは今俺の腕の中にいて、これ以上の幸せはないよ」
「よかった。……仕事してるほうがいいのかとおもった」
「仕事も好きですけどね。でも今は、智君が一番」
「うん」
 嬉しそうな声音は、言葉を多く紡がなくても、雄弁に大野の感情を伝えてくれる。愛しい人だった。この人と生きて行ける事は、櫻井にとってどれだけの幸福になるか。
 きっと大野には、想像もつかないだろう。
 彼がいるから、頑張る事が出来た。彼の目に映る自分が少しでも格好良いものであれば良いと願って、仕事をしている。
 正直な眼差しが、諦めて逸らされるのが何より怖かった。彼に誇れる自分でありたい。
 それは多分、昔から変わらない大野への感情だった。彼の傍にいる為の努力は、櫻井翔と言う人間の輪郭を作り上げたのだ。
 大野がいなければ、今の自分にはなっていなかっただろう。
「俺は、智君が思ってるより、智君の事が大事だよ」
「そーなのか?」
「うん。そうだよ」
「そっか。……そっか」
「意外だった?」
「うーん。どうだろ。おまえが俺のことみてるのは、ちゃんとしってる。おいらがそばにいなくても、おいらんこと考えてくれてんだろうなあってのは、わかる」
 ゆっくりと紡ぎ出される言葉。大野にとっての自分は、一体どんな存在なのだろう。
 考えても分からなくて、分からないまま傍にいた。
「おれも、おまえががんばる材料になってんなら、うれしい」
「材料って言うか、ほとんど貴方目的だけどね」
「それは、ばかだな」
「うん、馬鹿なんだよ。もっと大きな志で仕事したいと思っているけど、いつでも根底には貴方への思いがある。智君が見て、恥ずかしくない俺でいたい」
「お前はいっつも、かっこいいよ」
「これから先も、ずっとそうやって思ってて欲しい」
「うん。しょーくんは、仕事で手をぬくなんてねえんだから、だいじょうぶだろ。ずっとずっと、お前をすごいとおもう。そんで、そんなにすごいやつにならなくても、おいらはしょーくんを好きだぞ?」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
 大野は、櫻井の上に身体をぺたりとくっ付けて乗り上げると、上目遣いで見詰めて来る。とろんとした、眠りの淵にある瞳。ふにゃと緩んだ口許。指先だけを絡めて、機嫌良く笑う。
「好き。永遠なんて分かんねえから、さきのことなんてやくそくできねえけど、おいらはずっと、お前が好き」
「俺も、智君が智君である限り、変わらずあんたを好きだと思うよ。永遠は、俺には見えてるけどね」
 大野の頭を撫でると、楽しそうに笑った。
 永遠を誓える。彼の傍で、彼と共に在る事は、願いであり実現すべき目標だ。
 大野がいるから、自分はどんな苦難にも立ち向かう事が出来た。
 いつか、命の潰える時が来ても、櫻井は躊躇なく大野を大切だ思うに違いない。永遠の果て、その先まで、自分には見えた。
 大野の傍にいたい。彼の目の届く場所で、死ぬまでこの仕事をしていたかった。
「永遠なんて、おいらにはとおい」
「うん。智君は、それで良いんだよ」
「いいのか」
「良いよ。決まってる」
「うん……」
「眠いね。ごめんね。もう、寝よう」
 時計を見ると、迎えが来るまで、あと四時間だった。ゆっくり眠れるだろう。
 睡眠不足が当たり前の身体だった。こんな日の高い時間に眠るのなんて、何年ぶりの事か。
 穏やかな午後の陽射しと。腕の中にある温もり。
 大野と櫻井は、互いの体温に守られて、あっという間に眠りに落ちて行った。



 良い匂い。
 大野を眠りから最初に呼び覚ましたのは、部屋に漂う香ばしい香りだった。コーヒーの匂い。
 ああ、そうか。もう櫻井は起きているのか。
 ゆっくり瞼を持ち上げると、ブラインドの外はもう暗くなっていた。何時間眠っていたのか。
 身体の上には大判のブランケットが掛けられてて、空調で温度の整った部屋は寒くないのを分かっていても、何となくくるまってみる。櫻井の匂いがするけれど、どちらかと言えばこのブランケットを使うのは、自分の方が多かった。
 ベッドで眠らない大野は、櫻井が帰って来るまでこのソファにいる。大体眠っているのだけれど、目覚めるとこんな風に掛けられている事がほとんどだった。
 ぐるりと顔を巡らせて、ダイニングテーブルの置いてある方へ向ける。そこには、資料を読んでいる櫻井の姿があった。
(一緒に眠るって言ってた癖に)
 一瞬そう思ったけれど、櫻井の後頭部の髪が跳ねていて、一応は眠ったのだと言う事が分かる。いつ目覚めたのだろう。手持ち無沙汰になって、結局勉強している辺り、相当なワーカーホリックだった。
「……しょーくん」
「あ、起きた?」
「ん」
「起きれる? まだ、一時間位時間あっけど」
「翔君、いつ起きたんだ?」
「えーと、一時間前?」
「いちじかん……うー、ん?」
「二時間は寝たって事」
 首を傾げる大野に苦笑して、思考を先回りした櫻井が自分の眠った時間を伝える。それならば、上々だった。普段平気で二、三時間の睡眠で過ごす人だから、ほんの僅かでも休息が取れたのは、大野にとっても嬉しい事だ。
 もそもそと身体を起こして、ソファの背に腕と顎を乗せた。櫻井は優しい目で、こちらを見詰める。
 愛されているなあと感じられた。彼の甘くて優しい眼差しには、大野への愛情が全て詰まっている気がする。
 こんな男前に愛される自分は、幸せ者だった。傍にいられる事が幸せで、誰よりも気に掛けてもらえる恋人と言うポジションは、僅かな痛みと多大な幸福を齎す。
「コーヒー飲む?」
「うん」
 一つ頷けば、櫻井は立ち上がってキッチンへ向かった。勉強の途中なのに、大野が起きればこっちを優先する。もっと邪険に扱っても良い位だった。
 男同士で、遠慮する事は何もないはずで。女の子を扱うような優しさは必要ない。
 何度か訴えた事があるけれど、「女の子だったらもっと甘やかして、もっと駄目にさせる」と言われてしまえば、それ以上何も言う事は出来なかった。
 「智君は男だから、俺が踏み込んじゃいけない領域は、きちんと線引きしておきたい」と彼は言う。
(線引きするって言ってる割には、あっちでもこっちでも嫉妬してんのが、翔君の面白いとこだけどな)
 口ではどう言っても、結局は独占欲の強い男だった。彼を翻弄するつもりはないけれど、可能性のないところでまで嫉妬するから、大野は自分の振る舞いを直すなんて殊勝な事は諦めている。
 嫉妬したいのなら、すれば良かった。そこに優越感を見いださないかと言えば、難しいところではある。
 櫻井が大野を自分のものにしたくて、でも自由のままいて欲しいと願っているのは、分かっていた。だから、大野は自由に振る舞う。彼の望む通り、彼が嫌がっても、それこそが願いだと知っているから。
「はい、どうぞ」
「翔君、ここ」
「って言うと思ったから、俺も持って来た」
 マグカップを二個抱えた櫻井は、優しい表情を浮かべている。数年前までは、尖った表情が多かったのに、いつの間にか彼が大らかな強さを身に付けていた。
 大野は、櫻井が座れるようソファの上を移動する。ブランケットは肩から掛けたままにした。
 両手でマグカップを受け取ると、コーヒーの香りが鼻腔を刺激する。目覚めてすぐ飲めるのは、嬉しかった。
 大野が飲みたがるだろう事まで計算に入れていたのだとしたら、良く出来た恋人である。
 隣に並んで座った櫻井に、身体の右側半分を預けた。苦笑しながらも、彼の手は大野の肩を引き寄せる。
「まだ眠い?」
「ううん」
「夜は、相葉達も一緒だから楽しみだね」
「うん」
 ぽつりぽつりと溢れる話題は、他愛もないものだった。仕事の事、プライベートの事、大野も知らないような昔の事、櫻井の言葉にじっと耳を傾ける。
 自分の為だけに囁かれる言葉は、優しくて温かかった。大野は時々笑いながら、コーヒーを飲んで、頷いてみたりする。
 緩やかに進む時間。ずっとここに留まる事は出来ないけれど、きっといつか今日の事は忘れてしまうけれど、今とても大事な時間を過ごしているんだと言う事は分かった。
 目を閉じて、櫻井の肩に頭を預ける。そうすると、手の中からマグカップを奪われた。かたん、とテーブルの上にカップが置かれる音。
 静かな部屋には、二人分の呼吸しか存在しない。櫻井の腕が伸びて来て、大野を抱き締めた。安心する体温に、全てを任せる。
 呼吸さえ、彼のものになれば良いのに、と思った。この腕の中で、自分は生きている。彼の愛情が支えてくれるから、どんな時も辛くなかった。
 櫻井を同じように支えられているとは思わないけれど。彼もまた、自分の存在がある事で救われる何かがあれば良い。
 もっと近付きたくて、大野は腕を伸ばすと櫻井の心臓にぴたっと耳を寄せた。どくんどくんと脈打つそれは、恋人が抱き着いたからと言って、早まったりしない。
 もう、自分達の中では当たり前の事だった。相手に触れる事。そうして安心感が齎される事。
 また眠ってしまいそうだった。もうすぐ仕事の時間なのに。
 櫻井の腕の中は、心地良かった。どうしたって、安心する。
「翔君」
「うん?」
「仕事行かねえで、このまんまいられたら良いなあ」
「そうだね」
「でも、仕事もしてえよなあ」
「うん」
「ニノ達もいるし」
「うん」
「今日、上がり何時だろうな」
「明け方には帰れるんじゃない?」
「そしたらまた、ここ来て良いか?」
「いつでも来たら良いって、いつも言ってるじゃん」
「うん。そうだけど、でも」
「ここも智君の部屋だと思ってくれれば良い。俺は明日も早いけど、でも帰って来て智君がいてくれたら、俺は嬉しい」
 明日のスケジュールは、櫻井より遅く入って、櫻井より早く上がる。この家に送り迎えを頼むのにも、慣れてしまった。
 彼が望むのなら、いても良いかなと思う。邪魔に扱われない事を分かっていて、けれど一人で恋人の部屋にいるのは、やっぱり寂しいから。なかなか合鍵を使う機会がなかった。
「飯位、作ってやる」
「ホントに?」
「期待すんなよ」
「うん。大丈夫。あんたが作ってくれるもんなら、絶対何でも美味しいから」
「それは、お前の味覚がおかしいだけだ」
 呆れて言っても、櫻井はへこたれない。「楽しみだなあ」なんて、嬉しそうに笑っている。
「なるべく早く帰るつもりだけど、先に寝てて良いからね」
「うん」
「あと、出来ればベッドで寝てて」
「何でだ?」
「ゆっくり眠れてんのか、不安になるから」
「ここのソファ、ゆっくり眠れっぞ?」
「駄目。ちゃんと寝て」
「そしたらお前、俺の事起こさないで寝るだろ?」
「起きたら起こすよ」
「起きなくても起こせ」
「嫌だって」
「そう言うの、優しさじゃないからな」
「分かってるよ! でも、寝てる時のあんたを起こすのって、勇気いる」
「どうして」
「天使みたいな寝顔してるんだもん」
 絶句して、大野は腕の中で固まった。三十を越えたおっさんに、天使はないだろう。いやでも、多分この男は本気で思っているのだ。
「馬鹿だろ……」
 心から思って言ってやれば、逆にいかに大野が天使かを力説された。「もう良い」と言う頃には、ぐったりだ。
「お前、変態だな」
「智君に関してはね」
 悪びれずに言う櫻井には、もう何をしても駄目だと悟った。大好きだけれど、やっぱりこの辺は相容れないなと思う。
 大野だって、愛情は言葉に出したい方だった。けれど、櫻井の囁く言葉の威力の方が絶大で、結局は口を噤んでしまう。
 噤んだところで、櫻井には分かっているのだろうから、問題はなかった。二人一緒にいると、自然と伝わるのだ。
 愛情も、執着も、嫉妬も、何もかも。
「しょーくん」
 名前を呼んで、僅かに顔を持ち上げる。櫻井は何もかもを分かったように、大野の顎に手を掛けた。
 振って来るのは、コーヒー味のキス。大野はブラックで、櫻井はミルクを足していたから、ほんの少し違う風味が、お互いの口の中で混ざり合った。
 寝起きにするには深いキスだったけれど、次にこうして出来るのがいつか分からないから、思う存分貪り合う。
 足りないところがないように、触れていないところがないように。そうすれば、もっと頑張れる。一人でも、五人でも、相手の存在を信じられた。
 幸福な恋をしている。
 辛かった日々はいつの間にか遠退き、今あるのは優しい愛情だけだった。櫻井の背中に腕を回しながら、大野は思う。
 ずっとずっと先の未来、永遠の果てをも超えて、恋をしていたいと。
 将来の事も、永遠についても分からない事だらけだけれど、櫻井が願うのなら、それはきっと現実になるだろう。
 死ぬまで、傍にいる。それは、重い響きを持たず、唯実現すべき未来として、二人の胸の中にあった。
 傍にいよう。永遠の、その先まで。
 口付けを交わしながら、二人はひっそりとした部屋で、未来の事を思い浮かべていた。







【掌編045「Close to me」/2*1】
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