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小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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 いつも見ているのは後ろ姿だった。自分と変わらない身長なのに、その背中は大きく見える。強く白い背を持つ彼の後ろに立つ機会は、気付けば随分と増えていた。近くて遠い人だと思う。
 最初に仕事をしたのは昔の事になるけれど、その時にはもう秋山が一番近い場所にいた。だから、自分の中ではお世話になっている先輩の一人に過ぎない。人見知りで後輩との関わり方すら惑うような人だから、敢えて近付こうとも思わなかった。
 それが、いつの間に。理由は分かっていた。自覚している。踊る事が好きな自分にとって、事務所は満足出来る場所ではなかった。演技の仕事もロケの仕事も、勿論自分のプラスにはなっている。沢山の事を経験させてもらえている分、幸福だと思う事はあった。嫌いな訳ではない。でも。
 俺はまず、一番に踊りたい。踊る場所が欲しかった。やりたい事は明白で、踊る事以外に自分を満足させられる事はない。何も考えている余裕がない位踊りたかった。それだけを望んでいた。
 欲しい物を与えてくれたのが、彼だ。
 「お前、踊るの好きやもんな」なんて笑って、何でもない事のように一曲分の振り付けを任せてくれた。本当は多分、そんなに簡単に渡してもらえる事ではない。「俺もお前の踊り好きや」と言われた瞬間に、きっと駄目になった。
 堂本光一と言う人が、特別な存在になる。ずっと、他のメンバーが彼を大切に扱う理由が分からなかった。確かに頼りない一面はあるし、体力はあっても少し不安になる程、身体の線は細いけれど。自分より年上の男性に世話を焼くなんて、と思っていた。今でも、彼は守られる存在ではないと思っている。
 それでも。大切にしたい気持ちを知ってしまった。彼らがたった一人の人として愛おしく思う心が、今の自分の中にもある。
 俺に自由をくれた人。俺達の事をバックについている後輩ではなく、仲間として大切に思ってくれる人。言葉が足りなくて、驚く程不器用な彼の傍にいたいと願う気持ちは、きっと四人全員が抱えていた。独り占めしたいのではなく、唯の後輩に甘んじたい訳でもない。
 絶対的なポジションは、秋山が守っていた。町田のような愛情表現をしたいとは思わない。彼の後ろで踊りたかった。それだけだった。向上心はメンバー一だと思っていたのに不思議だ。前に出るよりも、サポートしたい気持ちの方が強かった。
 今回のツアーで一緒にいる時間が増えたせいか、冬の時よりもお互い馴染んだと思う。地方にいる時は二十四時間一緒だと言っても良い位だった。メンバーといる時だって、こんな風に過ごす事はないのに。
 今日も結局朝までトランプをして過ごしてしまった。最初は体力があるなと感心していたのだけれど、短くない時間を共有する間に気付いてしまう。きっと秋山は、こんな弱さをずっと知っていたのだろう。
 ステージを降りて一人の部屋に帰った時の寂しさは、自分にも分かる。けれど、光一が抱えている寂しさはもっと根源的なものだった。大人数で仕事をして来た自分には、決して理解出来ない孤独。沢山の人間が立つステージと一人の部屋を比べているのではない。二人きりの道程と一人で立っている今の位置を比較しての事だった。多分絶対に分かる事のない光一の深層。
 強いのか弱いのか分からない人だった。寂しさなんて目を背けてしまえば良いのに、真正面から向き合っている。精神面でさえ強く保とうとする光一に不安を覚えた。彼の事を知れば知る程怖くなる。生き急ぎ過ぎだった。もっとゆっくり歩けば良いのに。光一が目指す未来は、何処にあるのだろう。自分は其処に触れる事が出来るのだろうか。
「さ、そろそろ終わりにしましょう」
 最初に声を上げたのは、町田だった。リーダーの責任感と言うよりも、単純に光一を心配しての事だろう。赤い目を瞬いて、率先して片付けを始める。此処は秋山と町田の部屋だった。光一が真っ直ぐ彼らの部屋に来てしまうから、いつも秋山のベッドが犠牲になる。大らかな性格と光一への甘さから一度も文句を言った事はなかった。光一は眠そうに目を擦りながら、町田の手許を見詰めている。
「町田さーん。ホントに終わっちゃうのー。もぉちょっとやろうやー」
「駄目です!もう六時回ってるんですよ。今から寝たら丁度良いでしょ」
「ちょーど良くなーい」
 珍しく駄々を捏ねている。いつもなら町田の合図で素直に片付けを手伝う筈だった。光一の伸ばした手は結局米花に甘やかされて、何もせずベッドに座っている事の方が多いけれど。
 子供みたいに頬を膨らませて、手近にあったトランプを握り締めて抵抗している。良い歳をした大人が、と以前の自分なら思ったかも知れない。両足を膝で折り曲げて座る光一がいたいけな少女に見えて、我ながら頭が悪いと思った。
「光一君、駄目っすよ。ほら、トランプ返して」
「いーや」
「今日の公演終わったら、またやるじゃないですか」
「それじゃ嫌やのー」
 米花の説得空しく、此処で一番大人の年齢である先輩は、首を横に振るばかりだ。ちょっと怖い位の顔を歪めた米花は、諦めて秋山に助けを求めた。
 賢明な判断だと、光一の横に座って見ているだけの自分は他人事のように見ている。普段は可哀相な位聞き分けの良い人が、どうして。
「光ちゃん、あんまり我儘言わないの。まあ、俺らも出来るだけ貴方のそう言う素直なのは聞いてあげたいんですけどね」
 苦笑して、秋山は光一の瞳を覗き込む。不意と逸らした黒目は、硝子玉のようだった。
「でも、俺らは貴方の大切なもの大事にするのも使命だと思ってる。光ちゃんの大事なステージ成功させたいから。それが今一番の願い」
「……秋山」
「ずっと遊んでる訳、いかないでしょ。こんなツアーの合間だけ詰め込んで遊ばなくたって良いんだよ。此処で我儘全部言わないで、いつでも、地方にいる時じゃなくても、光ちゃんが寂しい時に呼んでくれたら良いんだから。ね、もう寝ましょう」
 鮮やかに光一の手からカードを奪うのを見ている事しか出来なかった。やっぱり秋山は凄い。他の誰も出来ない事をあの優しい声で、何て事のない仕草を装って、しっかりこなしていた。
 町田がトランプをしまって、「夜にまた勝負ですね」と屈託無く笑う。自己主張の弱いリーダーは、穏やかな表情を向けるだけでステージ以外の場所では何も言わなかった。酒の席やトランプで盛り上がっている時は嬉しそうに主張する事もあるけれど、自然体に一番近い時間はその瞳だけが雄弁だ。
 何も言わなくなってしまった光一の頭を、秋山がくしゃりと撫でた。すっかり父親のポジションに納まった彼は、多分言葉の足りない先輩の心の内側を覗ける数少ない人間の一人だろう。指先だけで身体中に沁み渡るような優しさを与えるなんて、自分には出来ない。
「じゃあ、また午後ですね。お休みなさい」
「……おやすみ」
 秋山に促されるまま部屋を出る。米花と自分の部屋はすぐ隣だけど、光一はフロアが違った。当たり前の差異すら彼にとっては苦痛でしかない。
 高みに昇る為にこの世界で生きて来て、彼は間違いなく成功者である筈なのに。俯いた横顔には、絶対的な孤独があった。目指す先にいる彼を可哀相だと思うこの感情は、一体何なのか。
 廊下に立ち止まっている訳にも行かず、米花が口を開いた。感情的には余り敏感でないと思っていたのに、優しくなったと言うか良く気が付くようになったと言うか。
 これは、秋山に感化されているのだろう。そして確実に、目の前にいる小さな先輩の影響だった。良くも悪くも皆、変わって来ている。この人は、きっとそんな事意識していないだろうけれど。
「光一君、部屋まで送りましょうか」
「……大丈夫」
「そうやって言うんなら、俺達部屋入っちゃいますけど」
「うん、ええよ」
 おっとりと頷く。米花は甘やかしている自覚がある分、必要以上に手を出してはいけないと戒めているようだった。優しく笑った光一の表情には、先刻の聞き分けのない子供の気配は見えない。いつも通りの、きちんと繕われた顔。他人を拒む温度のない微笑だった。
 諦めた素振りで分かりましたと応える米花は、そのまま部屋に戻ろうと動く。踏み込み過ぎない事。これは暗黙のルールだった。
 だって、ずっと一緒にいてあげられない。光一が望む時に必ず手を伸ばせないのなら、此処で渡す優しさは残酷なだけだった。俺達と離れている時に寂しい思いをさせる位なら、最初から何も与えない方がずっと幸福だ。
 そんなの、分かってるけど。
「お休みなさい。すぐ寝て下さいよ」
「ん」
 穏やかに笑った瞳の奥に、消えない孤独がある。多分それは俺達では埋められないものだった。彼はもう、その魂ごと明け渡してしまっている。踏み込めない領域だった。
 けれど。俯いて歩き始めた光一の背中が。痛ましい印象で遠ざかって行くから。
 一人にしてはいけないと、何の躊躇もなく走り出した。距離は三メートルちょっと。走る程の差でもなく、その指先を捕まえる。米花の舌打ちする音が聞こえた。
 分かっている。知っている。俺達がどうこう出来るものじゃない。でも、泣きそうな気持ちを持て余して凍えている人を、どうして一人にしておける?
「屋良?」
 いきなり取られた左手に驚いて、けれど確かめるまでもなく屋良だと分かっていたから、光一はその指先を振り払おうとはしなかった。薄暗い廊下でもはっきりと分かる瞳の暗さに、屋良は追い掛けて良かったのだと心底思う。
「光一君の部屋って、ベッド二つありますよね?」
「うん。……あ、も一個は使わんからって荷物置いてある」
「そんなの全然良いっすけど、じゃあ大丈夫か」
「うん。……ん?何が、大丈夫なん?」
 相変わらず脳味噌の小さそうな話し方をする人だった。さすがに明け方では、思考回路が上手く繋がっていないのかも知れない。
「ヨネー。そう言う訳だから宜しくなー」
 振り返れば今の会話できちんと事態を把握しただろう米花が、奥歯をぎりぎりと噛み締めているのが分かった。怒りと言うより憎しみすら込めた目に呪われそうな勢いで睨まれる。気持ちは分かるけど、それが同じグループの、しかも同室のメンバーに向ける顔か。
 大体俺だから警戒されないだけで、米花が同じ事をしたら、確実にこの人は怯えると思う。事情は読めなくても、本能の警告で。だって、最近米花さんの態度洒落になってないもん。
「よし、行きましょうか」
「行くって、何処?」
「光一君の部屋っすよ。俺が一緒に寝てあげますから」
「えっ……ちょぉ。屋良!お前……っ」
「じゃあなーヨネー。お休み」
 焦る光一の手を引いて、振り返る事はせずに米花にひらりと手を振った。あんな、優しさばっかで臆病な奴に構っている暇はない。
 すぐ後ろでわあわあ言葉にならない声で喚いている光一は、それでも繋いだ指先を解こうとはしなかった。他人の体温に飢えている事を身体が知っているのだ。
 エレベーターに乗って、やっと横に並んだ。自分よりも高い目線。それでも、小さい事には変わりない。黒めがちの瞳は、戸惑ったようにじっと自分を見詰めていた。
 剛君って、こんな気持ちなのかな。見下ろしている筈の目線は、何故か器用に上目遣いだ。潤んだその瞳を見ると、無条件に甘やかしたくなった。可愛い可愛いと抱き締めてあげたい。
 自分の思いではなく、雄弁な目がそうして欲しいと望んでいるのだ。もしかしたら皆、こうやって落ちてんのかも。と言う事は、自分も既に光一の手中に落ちてしまったと言う事だ。一瞬困って、まあ良いかと開き直った。サポートすべき人をきちんと愛せるのは多分、そんなに悪い事じゃない。
「……ホンマに、一緒に寝てくれるん?」
「はい、そのつもりですけど。って、嫌でした?」
「嫌って言うか……」
 小さく呟いたのと同時に、エレベーターの扉が開いた。優柔不断な人ではないと知っているけれど、こんな箱の中で戸惑いのままぐずられても仕方ない。有無を言わさず、指先をもう一度きちんと握って廊下に出た。あ、と小さく叫んで足が縺れるのを視界の端で捉える。
 反射的にその身体を抱き留めた。相変わらず何もない所で転ぶ人だ。自分がしっかりした人間だとも思っていないけれど、彼の方が危なっかしい。
「ごめん……」
 謝る声に笑って、何処も痛いとこないですか、と聞いた。同じ様なサイズの人間を支えているとは思えない程、光一の身体は軽い。冬の舞台の時期程ではないけれど、今だって充分筋肉質な肢体だった。それでも、空を飛べそうな位、現実味のない薄っぺらさだ。
 さらりと自分の頬に触れた光一の細い髪にどきりとした。腕に抱えた身体を急に意識してしまう。繋いだ指の乾いた感触も微かに香るシャンプーの匂いも。
 米花の事を笑えなかった。光一は無防備に、眠気でとろんとした瞳を向ける。腕の中にいるのだから、息遣いまで分かる程の至近距離だった。
 この人は、言葉を持たない代わりに、残酷なまでに相手の目を覗き込む。それで傷付く人間もいるのだと言う事を知っているだろうか。
 光一は、三日月のようだと思う。儚く頼りなげに夜空で揺れているのに、触れようと手を伸ばせば鋭利な感触で切り裂かれた。誰も容易には触れられない。この淀みない瞳に出会って平然としてられる人間等いるのだろうか。
「屋良……?寝てんの?」
「あっ、すいません!」
「ううん、俺が我儘言うてるんやもんなあ。眠いよなあ」
「そんな、他人事みたいに言わないで下さい。光一君も眠いでしょ」
 身体を離して嗜める表情を作る。自分は、一人で寝られない光一の為に此処まで来たのだ。余計な動揺は必要なかった。自分の中に、彼ら三人と同じ気持ちがあった事に驚く。
 もう一度手を繋いで、光一の部屋を目指した。ポケットから取り出したカードキーを取り上げると、代わりに扉を開ける。彼は、大体こう言った作業が苦手だった。何度も見た光景を覚えていたから、無駄な時間を省く為に自分が開けたのだけど。繋いだ手の先にいる人は、不服そうに頬を膨らませている。
「何拗ねてるんですか」
「別に、拗ねてへんけど……。屋良までこぉゆう扱いするんかい」
 部屋に入って指先を解いた。振り返って向かい合わせになると、そっと視線を外される。むくれた子供の顔。傍にいればいる程、この人の可愛らしい一面を見る事が出来た。
 さすがに本人に向かって可愛いとは言えないけれど。舞台の上で見るのと全く違う表情に引き込まれて行く自分をはっきり自覚する。
 なるべく意識して笑って、優しい声で促した。
「さ、寝ましょっか。俺、隣のベッド占領させて貰うんで」
「うん。あ、荷物……」
「ソファに置いちゃって良いっすか?」
 ずかずかと踏み込んで、壁側に置かれたベッドの上にある荷物を片付ける。荷物と言っても、旅行用には小さ過ぎるバッグ一つだ。ベッドカバーも外して、遠慮なくシーツに滑り込んだ。強引に動いた方が良い事を、経験から既に知っている。
「屋良、ホンマにええの?」
「良いも悪いも、別に寝るだけっすから。入り時間もどうせ一緒だし」
「ん、ありがと」
 素直に頷いて、やっとベッドへ入る。一緒に横になって目線を合わせた。相変わらず真っ直ぐ見詰められる。目尻に眠気が滲んでいて、霞がかった月を思い出させた。
「お休みなさい」
「……屋良」
 いつまでも見ていたい欲求を押さえ込んで視線を外したのに、小さな声で名前を呼ばれる。目を閉じて聞いたせいだろうか。泣き出してしまった迷子の心細さを感じた。
「どうしました?」
 片目だけを開けて、右隣で眠る人を見遣る。もう夢は其処まで迫っていて、現実を捉えるのも困難な程だった。それなのに。
 ぼんやりと見詰めた視界に白い指先が差し出されている。薄闇に浮かぶ三日月。消えないイメージに一つ頭を振って、きちんと現実を映した。違う。此処にいるのは、寂しくて眠れない可哀相な大人だ。
 上半身を起こして、頼りない指先に自分の右手を重ねた。体温を感じさせない肌はいつもの事で、今更驚いたりしない。呼ばれた声と無防備に伸ばされた腕。望んでいた行為は間違っていなかったようで、素直にきゅっと握り込まれた。
「屋良」
「はい」
 吐息に近い呼び声。光一の数少ない望みは叶えてやりたい。俯せて目を閉じている彼が、胸の裡にある寂しさを持て余しているのが分かった。どんなに強い人間でも弱ってしまう時がある。この強気な人は、自身の弱さを認めたがらないけれど。
「眠れそうですか?」
「屋良は?」
 手を繋がせておいて、何を言っているのだろう。思わず笑いかけて、途中で息を止める。伏せられた目許に、確かな怯えを見付けたからだった。
「……俺、こうやって手繋いでたら眠れないんですけど」
「え。あ、そか。ごめん、」
「そのまんまで良いっすから」
 躊躇わず離れようとするその手を確かに掴んで、右足を柔らかな絨毯の上に降ろした。目を閉じたままの光一は気付かない。これは、もしかしたら大ひんしゅくを買うかも知れないとこっそり思って、でもやめようとは少しも考えなかった。
「一緒に、寝ましょう」
 潔癖性な先輩の、限界値が何処にあるのか確かめたい。自分は、何処までを許されている?否、それ以上に体温に飢えているこの人を温めてあげたい。恋の熱情ではなく、他意のない愛情を渡せるのは自分だけだと思った。
 指先を繋いだままシーツを捲り上げると、やっと驚いた表情で光一が瞳を上げる。吃驚した小動物の瞳。彼が愛おしい生き物であると思えるのは、こんな瞬間だった。
「な、何っ?」
「んー、遠くより近い方が良いでしょ」
「や、よぉ分からんし!」
「光一君が嫌ならやめます。どうします?」
「どうしますって、お前……」
「最初に駄々捏ねたのは光一君ですから。ちゃんと我儘聞きますよ」
「屋良」
「はい」
「……もぉ、お前ら俺ん事絶対甘やかし過ぎや」
 屋良はそんな奴ちゃうかった、とぶつぶつ言いながらも身体を端にずらしてくれた。素直に隣に身体を滑り込ませる。小さな男が二人並んでもベッドには充分な余裕があった。
 ああ、もうこんな所まで許されているのだ。ほんの少し前までは拒絶の壁が綺麗に張り巡らされていた。誰をも侵入させない領域を蹂躙出来るのは、彼の唯一の人だけで。どれだけ心許した笑顔を向けても、彼の深層に辿り着く事は出来なかった。
 短くはない自分達との年月を思って、屋良は満足げに笑う。必要以上に頑張り過ぎる彼の、支えになれたら良いと心から思った。寂しい時にこうして手を伸ばしてもらえる存在でありたい。
 体温を直に感じて安心して眠ろうとする光一の目尻を見詰めた。其処に漂っていた寂寥が、少しでも和らげば良い。大事にしたい存在だった。
 愛しさのまま俯せで眠りに落ちようとしている光一の髪をゆっくり梳く。撫でる仕草は、剛の指先を少しだけ真似した。彼自身が感情の揺れを感じるよりも先に、上手い遣りようで全て先回りする指先。あの柔軟な愛情は与えてあげられないけれど、今此処で自覚した感情を癒す事は出来る。
「なあ、」
「はい、何すか?」
 眠りに引き込まれた声は、甘く響いた。繋いだ指先にきゅっと力を込められる。しがみ付くようだと思った感覚は、果たして間違いだっただろうか。
「いつかは……」
「はい」
 躊躇する言葉に、優しい声を返す。一つのベッドの中、朝はもう外に広がっていた。なのに、光一は夜に沈みそうな深い沈黙を作る。
「いつかは、お前らも俺から離れて行くんやもんな……」
 語尾は曖昧に、夢の中へ消えて行った。自分達が感じていた不安を、誰よりも彼が感じていたのか。手を出し過ぎないように、好きになり過ぎないように、四人で制御して来た。これ以上踏み込んではいけない、と何度も何度も。
 規則正しい呼吸に変わった光一を呆然と見詰める。寂しかった理由にやっと辿り着いた。彼の感情を左右するのはいつでも相方一人だから、きっと一緒にいられない今の時期を不安に思っているのだと。
 けれど、今光一が抱えているのは、自分達との距離だった。それを自分がより深い悲しみで捉えたのか僅かな歓喜を覚えたのか、上手く判断出来ない。眠りに落ちた彼に問うても、もう言葉は返らないだろう。
 髪を梳きながら、そっと囁き掛ける。光一の不安は、そのまま自分達の不安だ。共有出来る感情があるとは思わなかった。優しい人だと思う。俺達を、きちんと愛してくれている人だった。
「……そうですね。いつか離れなきゃ駄目なんでしょうね。でも、俺もあいつらもずっと光一君が好きで、光一君が大切なのは変わりません。傍にはいられないかも知れないけど、ずっとずっと」
 変わらない思いもあるのだと、刹那に生きているこの人には分からないだろうけど。一人のまま生きる事を願いながら、ずっと悲しみを身体の中に詰め込んでいた。悲しい悲しいと声には出さずに、涙を心臓の底に零す人。
 彼の力になりたいと、どの瞬間よりも強く願いながらそっと傍らに体温を寄せた。繋いだ指先が自分の愛情で温かくなれば良い、なんて。きっと誰にも言えない。
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