小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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スケジュールが組み直される事は、良くある事だ。今日もスタジオに籠る予定が、何故か他の仕事を急遽押し込まれて都内を走り回る羽目になった。
昨日の光一は、明らかに様子が可笑しかった。具合が悪いのが、一番だろう。
普段けろりとしているから丈夫な人間だと思われがちだが、強い方ではなかった。気力だけで保たれている張り詰めた身体は、綺麗だと思う。
けれど、あれは。精神的な揺れが原因だと思う。頬を赤く染めて、俯いた光一。
噛み締めた唇から零される筈だった言葉は、一体何だったのだろう。いつも一番傍に居たのに、いつも彼の本心は分からないままだった。
午後、短いメールを送る。心配の気持ちだけを表現した言葉。スタジオには持ち込んでいないだろうけれど、休憩中にでも読んでくれれば良い。
そう思っていたのに、光一からメールが返って来る事はなかった。彼とアドレスを交換して以来、一度もない事で俺は不安になる。
他愛もないメールには返信がない事もあるけれど、質問形式の文章で送られたものには必ず答えが返って来た。それが彼の生真面目さなのだと、メールを読む度嬉しくなる。
人と付き合うのが今も下手な光一は、自分から連絡を取る事はないけれど、その代わり俺から送ればちゃんと返してくれた。いつか、そんな話を長瀬とした事がある。
彼は親友を自負している割に、羨ましそうに俺を見て言ったのだ。
「良いなあ。俺なんかメールしても、光一返してくんないんだもん。会ってる時は優しいけど、他ん時は俺の存在丸ごと忘れられてるんじゃないかって思うよ」
寂しそうに笑った長瀬の表情に、優越を見出した自分は子供だと思う。俺だけの特権。相方の愛情。
光一は、いつもどんな時でも優しかった。忘れられているなんて思った事、一度も。
見詰めれば怯えた様に逸らす癖に、気が付けばいつでも見守る視線があった。彼の愛情を感じなかった日はない。
仕事を終えて携帯を開いても届いていない返信が気になって、結局帰りの車の中光一のマネージャーに電話をしてしまった。
過保護と言われても、気になる事を見ない振りで通り過ぎる事は出来ない。
「あ、遅くにごめんな」
「良いよ。どうかした?」
「うん、光一なんやけど。今日、調子悪かったりして帰った?」
「……」
「マネージャー?」
「ああ、ごめん。凄いなあと思って。お前達は、本当にコンビなんだね」
「は?」
「光一なら具合悪そうだったから、早めに帰したよ。コーラスのレコーディングにまで付き合おうとしてたからね」
時間があれば少しでも関わりたがるのは、彼のプロ根性でもあり悪い所でもあった。具合悪いんやったら帰れば良いのに。思うのは簡単だが、彼には難しい事だ。
変に逞しいあの精神は、俺のせいやね。
今更否定出来ない事実は、痛みを伴う。パートナーである自分が、もっと強ければ。
俺達の間には、後悔ばかりが積もっている。
車を光一の家へ回してもらい、様子を見て行く事に決めた。もう、何度目の訪問だろう。失った過去の時間を取り戻す様に通ったのは、彼に負担だったろうか。
一度も俺を拒んだ事のない人だった。緊急事態だと言い訳をして、スペアキーを使う。
あっさりと開く扉は、光一の様だと思った。無条件で受け入れられる感覚。それが心地良いのか、悪いのか。
分からなくなったのは、自分の心を誤摩化して生きているからだった。
(あ。具合悪いんやったら、彼女に連絡しているかも知れん)
弱った自分を晒す人だとも思えないけれど、俺が知っているのは仕事中の光一だけだから。プライベートのこの場所なら、甘えたり弱音を吐いたりするのかも知れない。
彼女と鉢合わせしたら嫌やなあ。エレベーターを降りて苦笑する。しんと静まり返った廊下は沈黙を保っていた。冬の冷気が肌に痛い。
そっと扉を開けた。彼女の靴があったら帰ろうと思う。いつか、きちんと紹介されるまで会いたくなかった。
中の様子を窺う。玄関にそれらしい物はなかった。静まり返った部屋は、廊下と同じ冷気を纏っている。静かに扉を閉めて、暗い部屋に目を凝らした。
本当は、初めて彼の部屋に来た時から気付いている事がある。
整然とした、体温のない部屋。独りの場所。愛されている筈の彼の部屋は、何故こんなにも冷え切っているのだろう。
一人で住むには大き過ぎる。いずれ彼女と住むつもりなのだろうと思っていた。けれど。
上着と荷物をソファに置いて、寝室へ向かう。ベッドサイドの明かりが扉の隙間から漏れていた。
ベッドの様子を窺う。眠る光一。風邪を引いたのだろうと思ったから、苦しんでいる姿を想像していた。
口許まで掛けられた毛布が上下しているのを確認する。一歩一歩近付きながら、明かりに照らされた彼の顔を見詰めた。
死んでいるかの様な静かな姿は、小さな驚愕をもたらす。死に近い静寂だと思った。眠る彼の姿は作り物の様で怖い。
硝子の棺に入れられた白雪姫みたいや。いつかのプロモでも思ったな。枕許に腕と顎を乗せて、整った横顔を見た。
「……こぉいち」
不安になって、名前を呼ぶ。毒林檎を食べた美しいお姫様。
お伽噺と重なる儚さなんて、何処にもない筈なのに。静か過ぎるこの部屋がいけないのかも知れない。
反応はなかった。薬を飲んで眠ったのだろうから、当たり前だ。
微動だにしない光一が怖くて、さらりと流れた癖のない髪を掬って小さく呼ぶ。
「光一」
長瀬の言葉を思い出した。彼の中から自分が消える事なんて考えられない。傲慢な思い上がり等ではなかった。
光一は、いつも俺の存在を胸の中に置いている。隣に寄り添う時も、遠い場所で仕事をしている時も。休息を取る時ですら、俺が消える瞬間はないと思う。
その理由を、本当は分かっている。
最初にこの部屋を訪れた時から気付いている事。
彼は、ずっと一人だ。
他人の気配のない部屋、孤独な場所。彼女の存在なんて何処にもなかった。
光一の優しさは、俺への『特別』だ。俺に向けられているのは、この世で一番尊い感情だった。
「こういち」
王子様が口付ける様に、甘く優しく囁き掛ける。梳いた髪は、指の間を呆気なく滑り落ちて行った。
睫毛がふるりと揺れて、ゆっくりと覚醒する気配。潤んだ瞳が、躊躇いなく合わされる。普段は照れたみたいに逸らすのにな。
「……ょし?」
「うん」
夢から抜け出せない声は、現実を認識出来てはいない様だ。ちゃんと分かっとんのかなあ。無理やろな。
小さく笑んで、夢と現の狭間にいる彼へ優しく視線を向ける。
「お見舞い?」
「うん」
子供みたいな喋り方が可愛らしかった。いつも気を張って過ごしている彼のこんな姿は、滅多に見られない。
「具合、どうや?」
「へーき」
「嘘吐き」
「剛が、来てくれた。へーき」
毛布の中から、真っ直ぐ腕が差し出される。その瞳に迷いはなかった。抱き締められる事を望む身体。
怯んだのは、俺の方だった。阿呆やな、今更何怖がってんねん。
本当に怖いのなら、わざわざ此処まで来たりしない。
そっと腕を取ると、自分の首に回した。上体を起こして、安心出来る様に抱き締めてやる。
体温に飢えるのは、弱っているせいだった。
「あったかい」
「寒かったんか?」
「ん」
「ちゃんと暖房入れなあかんやろ」
「……喉、痛めるから」
肩に顔を埋めながら、それでも当たり前に披露されるプロ意識に感服した。部屋は冷え切っていて、温かいのは彼の身体だけだった。
背中に回した掌が抱き締める強度を迷っている。
「なんで、来てくれたん?」
「心配やったからに決まってるやん」
「うん」
「……光一?」
ぎゅっと抱き着いて来た身体は、発熱のせいか震えていた。ああ、何故こんな夜に俺は足を踏み入れてしまったのだろう。
首筋をくすぐる髪、しがみ付く薄い身体、早い鼓動の音、夢の中の彼。来ては、いけなかった。
「好きや」
小さく零された言葉は、甘く柔らかかった。
本当は気付いている事。光一が俺を好きな事。
ちゃんと知っていた。思いには応えられないと思ったから、今まで目を瞑って来たのに。
かくんと重くなった身体に驚いて様子を窺う。
「光一?」
耳許で聞こえる規則正しい呼吸は、眠りに落ちた証拠だった。ゆっくり身体を離すと、元通りベッドに横たえる。
毛布に包み直して、その顔を見下ろした。静かな寝顔、硬く閉じられた瞳から零れる一筋の。
「お前、阿呆やな」
これは、恋の涙だと思った。
透明な雫は光一の思いだ。綺麗な恋の結晶。その涙を拭って、ごめんなと囁く。
彼の事は、勿論大切だ。相方として、仕事のパートナーとして、彼以外には考えられない。大事にしたい人だとは思う。
どうしても『好き』の種類が違った。俺は、お前に触れたいとは思わんのよ。
愛情と恋情の差は、俗物的な考えかも知れないが相手の身体が欲しいかどうかだと思う。俺は、光一を大事にしたかった。
大切に仕舞って、どんな敵からも守ってやりたい。
この感情は恋なんかじゃない。彼を欲しいと思った事は一度もなかった。
けれど、彼がいつか誰かの物になるのは耐えられない。俺じゃない誰かに大切に囲われるのは我慢ならなかった。
向けられる優しさの全ては、いつも俺だけの物であって欲しい。
狡いのは、俺や。本当は、もっと底の方に真実の感情がある。彼には決して告げられない、黒い感情がずっと燻っていた。
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楽屋入りは剛の方が早かった。遅れて来た光一の顔色は、お世辞にも良いとは言えなかった。
「おはよう」
「具合、大丈夫か?」
「え、うん。知ってたん?」
きょとんとした目で剛を見詰める。昨日の事は、覚えていないらしい。繕った表情ではなかった。
「昨日メールしたのに、返信なかったから」
「あ、そか。ごめん。携帯見てへんわ」
資料を入れた鞄に入れたままになっている携帯は、電源が入っているかどうかも怪しい。慌てて取り出そうとすると、ええよと剛に制される。
「体調平気なん?」
「薬飲んだし、平気ちゃう?」
相変わらず自分の体調を他人事の様に言う人だ。苦笑を零して、あったかくしときなさいよと釘を刺す。放っておくと、自分の具合の悪さなんてどうでも良くなってしまうから。
瞳を見詰めても、狼狽える気配はない。昨日の事は、夢の中の出来事だと脳に処理されたんやろな。
当たり前か、素面であんな事の出来る奴じゃない。素直に甘えて腕を伸ばす光一なんて、初めて遭遇した。
恐らくこれから先も見る事はないだろう。夢の中だけの真実だった。
その気がないなら、知らない振りをすれば良い。俺は光一を恋愛対象には出来ない。これから先も、ずっと。
いつか結婚して子供を作り、マイホームで幸せに暮らすのが夢だ。今も、その希望は変わらない。
光一に叶わない思いを抱かせ続けるのは、酷だった。けれど、あの優しさをあの眼差しをいつまでも独占したいと思うのも事実だった。
衣装に着替える後ろ姿に、声を掛ける。彼が安心する甘えた発音で。
「なあ、光ちゃん」
「んん?」
振り返った光一の目は、優しい。彼の恋情は、きっと穏やかなものなのだろう。
「昨日な、」
「うん」
乱れた髪を撫でる指先に視線を向けた。昨日触れた髪、しがみ付いた腕。
薄い身体を通して聞こえた早い心拍は、恋のせいだろうか。それとも単に病気のせいだったのかも知れない。
恋を始める事も終わらせる事も出来ない癖に、こんな事を言うのは間違っていた。分かっているのに、口にしてしまうのは。
「俺、上着忘れて来たみたいやねん」
「うわ、ぎ……?」
「そ。ソファの上に置いてへんかった?」
唯でさえ色の悪い光一の顔から、一気に血の気が引いた。狼狽える瞳、噛み締めた唇。
ああ、これが見たかった。
「……昨日、来たん?」
「キンキさーん! 本番です。お願いしまーす」
「はーい。光一、行くで」
時間を計算して声を掛けた。タイミングは完璧だった。笑い掛ける表情は、いつも通り。
震える身体を押さえて立ち上がろうとした光一の足許がふらついた。
咄嗟に差し出した手が邪険に振り払われる。先刻まで真っ青だった顔が、今は赤く染まっていた。
「ごめん。平気、やから」
全然平気じゃない顔で、楽屋を出て行く。その後を追いながら、自分は何て冷たい男だろうと思った。
不安定な精神状態で収録中放っておく。再び楽屋に戻った時、彼の心は何処に向かうのか。知りたかった。単純な探究心だ。
俺の一挙手一投足に怯えながら、収録を何食わぬ顔でこなす彼が見たかった。
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呂律が上手く回らない。段取りを忘れる。ゲストの話が耳に入って来ない。
剛の期待通り乱れた光一の精神は、どうにか進められる収録中戻る事はなかった。
蘇るのは、夢にしては鮮やか過ぎる昨日の事だけ。頭に入れた筈の台本等、とっくに何処かへ消えてしまった。
少し可笑しくても進められてしまうのは、長年の経験からだ。他のメンバーに突っ込まれながらも収録を終わらせて、楽屋に戻る。
楽屋。剛と一緒んとこに戻るんか。
嫌だ、と反射的に思って楽屋へ向かう廊下を引き返そうとした。逃げても仕方ないのは分かっているけれど、今は会いたくない。
とりあえず誰かの楽屋へ挨拶に行こうと決めた。今日の進行は、謝罪に値するだろう。
「光一、何処行くん?」
「……っや!」
腕を掴まれて、反射的に声を上げた。廊下には少し響き過ぎる音量だ。
「お前、相方相手に何怯えてんねん」
「吃驚、しただけや」
「この後まだ仕事やろ。何処行く気やってん」
「……トイレ」
「阿呆。トイレはあっちや」
問答無用で腕を引かれて、楽屋へ戻った。こんな時に限って、マネージャーは忙しい。一緒にいてくれれば良いのに。
「ほら、早よ着替え」
「剛、昨日……」
「次のに遅れる」
話をする気はないらしい。ハンガーを渡されて、仕方なく着替え始めた。
昨日の事は、何処までが現実で何処までが夢なのか分からない。あんな風に明確に愛されている夢を見たのは初めてだった。
感情の限界、って奴なんかな。夢ん中で妄想するとは思わんかった。思いを叶えたいなんて思った事ないのに。
本当は、彼とそうなる事を願っている自分が潜在意識下にいると言う事だろう。
馬鹿みたいや、俺。それで、現実の剛に思いを告げる様な真似。何処までが彼にした事なのか、思い出せないのが苦しかった。
「なあ、明後日の夜、暇?」
唐突な台詞。今まで通りのトーンが、怖かった。どうして、先刻あんな風に射抜いたのと同じ声で、全然違う言葉が言えるのだろう。
「どうして?」
「昨日、約束駄目になったやん。その埋め合わせ。シチューの材料買ってもうたから悪くなる前に作りたいなあ思て」
瞳を合わせる。剛は、穏やかに笑っていた。ああ、でも。
寂しそうに曇った目に全てを悟る。
あの体温は、ちゃんと剛のもんやったんや。俺、言うてもうたんやな。
落胆よりも諦念が先にあった。長い間隠し続けていた感情が、露呈した。それだけだ。
彼が嫌悪する事を恐れても諦められなかった恋情。愛してはいけない人を愛してしまった。
剛は、視線を逸らさない。それが辛かった。
相方だから。たった一人のパートナーだから。きっとそれだけの理由で彼は優しくしてくれる。
気持ち悪いよな。男が男を好き、なんて。
「……もう、ええよ。優しくしてくれんでも」
思ったより穏やかな声が出た。どうしようもない。昨日の言葉は真実で、取り消す事は出来なかった。
目の前にいる筈の剛が遠い。その体温に触れていたいと思ったのに。
「ごめんな。ええ相方やなくて。友達になれんで、ごめん」
俺は今、失恋してるんかな。明確な終わりのない恋。確かな拒絶だけが此処にある。
俯いて、謝罪の言葉を繰り返した。ごめんなさい。気付いたら、剛しかいなかった。
ぼんやりとした世界で、明確な輪郭を持っていたのはお前だけやった。
憧れて、焦がれて、恋になった。
ごめんなさい。大切に思うだけなら良かったのに。
恋をした。心臓が痛かった。一人の部屋で貴方を思った。
「……お前は、そうやって俺から離れて行く気か」
低い、地を這う様な声だった。何故、そんな事を言うの? 恐る恐る顔を上げて、相方の表情を窺う。
「つ、よし……」
彼は、泣いていた。真っ直ぐ俺を見詰めて、零れる涙を拭いもせずに。
「離れるなんて許さへん」
「剛」
「俺は、お前に恋なんて出来ん。キスしたいって思うた事ないし、抱きたいなんて絶対思わへん」
酷い言い草だと、笑う事も出来ない。傷付く心より、剛の涙が心配だった。
恋でも愛でも構わない。俺の心は、真っ直ぐ彼だけに向いていた。
「でもな、俺だってお前が大切なんや。世界でたった一人のパートナーやと思てる」
「剛」
「俺を、一人にしないで」
溢れる涙ごと抱き締める。触れる事を恐れている場合じゃなかった。
最愛の人が泣いているのだ。出来る事は何でもしたかった。この恋を拒まれても良い。
どんな形でも俺を必要としてくれるのなら、それで充分だった。最初から叶わぬ恋だと分かっているじゃないか。
この恋情を永遠に封じ込めて、剛の傍にいれば良い。
「何処にも行かん。お前の傍しかいるとこないよ」
子供みたいに涙を零す彼が愛しかった。やっぱり、好きだと思った。
大丈夫。此処にいるよ。君が望むなら、恋が泣いても構わない。
ずっとずっと、一人の部屋で待っているよ。
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泣き止まない剛を宥め終えた頃に、マネージャーが戻って来た。
泣き腫らした顔を見て怪訝そうな顔をしたけれど、別に撮影はないから良いよと言われる。改めてしっかりしたマネージャーだなと思って、楽屋を後にした。
相方の泣き顔で立ち直ったらしい光一は、その後の仕事をそつなくこなす。剛はそれが少し面白くなかった。
もう少し、取り乱したままでいて欲しかったのにな。思っても、仕事なので仕方ない。
日付が回る手前でやっと解放された。一緒に帰る車の中、そっと光一の横顔を盗み見る。
硬質の表情。その下に、俺を思う恋の顔があるのだ。深い優越感だった。
どんなに冷静に分析しても、俺の中に恋情はない。あるのは、それよりももっと深く暗い感情だった。
平気だと気丈に言い放った青い顔を思い出す。俺を思って俺が傷付けた表情だ。
ぞくりとした歓喜が剛を襲った。
彼の健やかな精神では、決して理解出来ないだろう。そっと、膝の上に置かれた手に触れた。びくりと反射する身体が可愛い。
「剛?」
「手、繋いで。光ちゃん」
「……ええよ」
伏し目がちに笑んだ優しい表情。苦痛と安寧を、俺が左右しているのだ。指先を子供の仕草で握り締める。それだけで安心する光一を知っていた。
俺の事で苦しんでいる彼が見たい。
光一の思いを拒んだ一番の理由だった。同性愛を恐れたのは十代の一時期だけだ。光一は、今も俺が嫌悪していると思っている様だけど。
そんな恋の嗜好にとやかく言う気はなかった。
俺が何より望んだ事。
ポーカーフェイスの美しい顔を悲しみで満たす事。恋で揺れる瞳を冷静に見詰める事。間違った思いだと認識する真っ直ぐな精神を手折る事。
どれも、彼の思いに応えては出来ない事ばかりだった。幸福な笑顔よりも苦悶する表情が良い。
恋等要らないと突っ撥ねて、相方として必要だと彼の全てを束縛したかった。そうすれば、光一は俺で雁字搦めになる。
何処にも行かせる気なんてなかった。永遠に、俺の傍に。
「光一」
「ん」
指先から伝わる温もりが心地良いのだろう。半分眠りに落ちかけた彼の声は、甘く掠れていた。
「このまんま、俺ん家来ぉへん?」
「……これから?」
「うん」
明日の入りは勿論早い。俺の家に来てのんびりしている暇はないと言いたいのだろう。
「俺、多分風邪やから。あんま一緒におらん方がええよ」
光一らしい気遣いだった。冷えた身体を守るよりも、移る事を恐れる優しさ。
お前は、いつまでも曇らんな。そんな風に生きたって、辛いばかりなのに。適当に折れてしまえないその姿勢が好きだった。
凛と佇む姿は、自分の手で手折りたい衝動に駆られる。
「大丈夫や」
「明日、早いし」
「泊まってけばええやん」
「……つよし」
「あかんか?」
追い詰めるのは得意だった。少し弱い目を見せて、繋いだ指先を解く仕草。
「っ剛」
そうすれば、必ず彼は応えてくれる。可哀想にな。お前は俺の手の上や。
「ええよ。泊まり、行く」
「良かった」
再び手を繋いでみせれば、安堵の溜息を零す。伏せられた瞳を覗き込んで、そっと告げた。
「大好きやよ、光ちゃん」
残酷な台詞。何も知らない子供の声で嘯いた。
握り返す指先は冷たいまま。俺達の関係は変わらずに続いて行く。
「……俺もや」
痛みを抱え、彼は笑う。
繋いだ手を引き寄せて、光一の肩に頭を乗せた。眠る振りをすれば、小さく吐息を零す。諦めて、同じ様に目を閉じる気配。
永遠に光一を繋ぎ止める為に、僕は彼の恋を叶えない。
【終】
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