小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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横顔。ずっと見慣れたその顔。
至近距離。気付かれない様に、そっと。
見詰める。
癖のある毛先の流れ。睫毛の影。悟られない位微かに、視線に思いを込める。
言葉を発する唇の動き。左耳の輪郭。襟から僅かに覗く首の骨の太さ。
じっと、目で追う。ひた向きに。彼だけを視界に入れて。
指先が少し欠けている不完全なエナメルの色。仕事を仕事だと割り切れる様になった、その瞳の決意。目を閉じてもきっと、明確に思い出せる彼の姿。
剛。
名は呼ばずに、思う。秘して見詰める。恋を続ける。
彼が振り向く気配がして、自然な仕草で視線を逸らした。誰にも分からない、視線だけの感情。
俺はもう長い間、彼の事が好きだ。
この世で唯一無二の相方を。同じ性を持った彼を。
何故こんなにも愛してしまったのだろうか。
+++++
「光一、どう思う?」
「……ああ、うん」
此処は会議室で、アルバム制作の最終打ち合わせの途中だった。この会議が終われば、いよいよレコーディングが始まる。
じっと見詰める剛の瞳を見返して、今交わされていた言葉の内容を把握しようとした。
「お前今、寝とったやろ」
悪戯っ子の顔で笑われる。違う、と否定出来ないのが辛かった。もうずっと書類と睨み合う状態が続いている。集中力も限界に来ていたのだろう。
無意識に、彼を見詰めてしまう位には。
「寝てへん」
「嘘」
「嘘ちゃう」
「ええよ、もう。そんな頑張らんでも。ちょぉ休憩しよか」
妙に甘やかした口振りで言われて(剛は自分に余裕がある時はいつもこうだ。今更気にしない)、眉を顰めた。
まだプロモーションの開始時期が決まっていない。広報の人間は一刻も早く動き出したい筈だった。
「平気やって」
「光一」
「平気」
「もう皆も集中力切れとるわ。気分転換した方がええやろ? なあ」
同意は周囲の人間に求められた。そう言えば、先刻からスタッフの煙草やコーヒーの量が増えている様な気もする。
「少しだけな」
「ぉん。お前も此処出た方がええよ。顔色悪い」
当たり前みたいに優しくされて困った。皆も溜息を零したりストレッチをしながら部屋を出て行く。この仕事は体力勝負だった。
剛は、部屋を出もせずに座っている。ああ、心配しているのだなと思った。
相方の健康管理は、刷り込みの様に覚えた物だから。すぐ不安になるのだろう。優しい彼なら尚更。
「俺は平気やから、お前も何か飲んで来たら?」
「光一は?」
「もう立つのもめんどい」
「お前、それはあかんやろー」
資料を持ったままの俺の手を取って、剛は強引に引き上げた。不用意に触れられるのは、今も慣れない。心拍が跳ね上がってしまう。
思春期の子供みたいや。彼の体温に触れる度に思う事だった。
暗い廊下を歩いて、剛の指定席である自販機横のベンチまで連れて行かれる。腕を捕らえたまま外を歩く事に抵抗はないらしい。
どう考えても、可笑しな図なんやけどね。彼の羞恥心とか体面と言うのは、一体どうなっているんだろう。
「コーラでええ?」
「剛、大丈夫や。俺、自分で買う」
「財布持ってないやん」
「あ、」
「ええから」
こん位何でもない事やろ。人に頼る事を嫌う自分をちゃんと知っている彼の優しさだった。ありがとう、と受け取って隣に違和感なく座る相方を見遣る。
いつから、こんなにも。
思考は簡単に内へ向けられる。疲れているのだと思った。堂々巡りの思いに考えを巡らせるのは馬鹿げている。
どうして彼なのかなんて、もう分からなかった。いつから好きなのかさえ。
唯ずっと、剛だけを見詰めて来た。今も昔も変わらずに。
休憩中の彼は、仕事の話をしない。家にいる犬や魚の話。友達の失敗談。ギターのレパートリー。
他愛もない、でも気分を落ち込ませない話ばかり。
いつの間にかこんな風に彼は強くなった。大人になった。迷わない目を見せて、強い言葉を発する。
それでも変わらない自分の思い。弱かった頃の彼も今の彼も、全て愛しい。遺伝子レベルの刷り込みなのかも知れない。
この恋情は、塩基配列にすら組み込まれている様な気がする。
当たり前に、日が昇って落ちる日々を繰り返す様に、生きて行く為に呼吸を繰り返す様に。
剛だけを見詰めていた。唯一人、彼だけが好きだと思う。
一度だけ、恋を終わらせようとした事がある。多分十代の終わりだった。
未来の見えないこの思いに閉塞感を感じて、上手く笑う事が出来なくなった。叶わない恋を抱えているのが辛いと。
あれが、思春期の終わりだったのだろう。これから大人になるのに、いつまでも幼い恋心を抱えていたくないと思ったのかも知れない。
結婚を許される歳になって、現実が怖くなったのかも知れない。
伝える事のない恋を、捨ててしまいたかった。剛とは唯の相方でいようとした。
けれど、触れる度名前を呼ばれる度優しく笑われる度、胸の奥が痛んで。
無理なのだと知った。
俺は、この恋を叶える為に剛を好きになったんじゃない。彼を自分の物にしたくて、恋を抱えた訳じゃない。
諦めに一番近い所にある感情は、きっと偽りのない心にあった答えだ。
辛くても苦しくても悲しくても良いから、ずっと好きでいよう。
傍にいたい。ずっとずっと、相方でいようと思った。
彼の仕事のパートナーである事を誇りに生きて行く。彼の人生の『特別』にはなれないけれど。
それでも構わなかった。自分が思っているのと同じ分だけ思って欲しいだなんて、我儘だけの感情はもう捨ててしまおう。
自分が与えられる全てを、彼に。そうして生きて行く事が自分の誇りになる。
一生彼と共に仕事をして行く。その為には、決してこの恋が悟られては行けない。距離を保って、不自然な事が一つもない様に。
思いがばれて、剛に避けられるのは嫌だった。彼はノーマルな嗜好の持ち主だ。嫌われたくない。
『特別』なんて要らないから、嫌わないで欲しい。この思いを否定しないで欲しかった。
暗い廊下で二人話す幸福を、永遠の物にしたかった。
+++++
季節の移り変わりには鈍感だけど、秋の空気は少しだけ分かる。枯れた植物の匂い、肌を撫でる乾燥した空気、高い空。秋は好きだった。
全てが終息に向かうこの時期、自分の生の気配さえ希薄になる。その感覚が好きだった。冬になる前の空白。
死ぬのなら秋が良いとずっと思っていた。
こんなん考えるんは、剛の専売特許やねんけどな。冷たい風は、少しだけ気分をナーバスにするらしい。
迎えに来た車へ乗り込むと、後部座席に相方が座っていた。
「おはよ。珍しなあ」
「ん。せやね」
一緒に現場入りする機会は少なくなっていた。朝から会えるなんて、嬉しい。落ちていた気分が上昇した。簡単やな、俺。
この場所にいられる事を、彼の隣で生き続けられる事を、馬鹿みたいに単純に喜んでしまう。ポーカーフェイスは見破られないだろうか。口許を気にしながら今日のスケジュールを確認した。
「こっからはほとんどレコーディングだよ。あんま根詰めないで欲しいね」
助手席に座っているマネージャーが振り返って笑う。音を作る作業はつい没頭してしまいがちだ。それを恐れてか、最近スタジオに詰めるスケジュールは組んでもらえない。
夕方から雑誌の撮影を入れられている辺り、抜け目がないと言うか。音楽は幾ら時間があっても足りない。もっともっとと、貪欲に求めてしまう自分がいた。
剛ののめり込み方とは違うけど、多分音楽は好きなのだろう。
マネージャーの言葉に適当に相槌を打っていると、隣で大人しくしていた相方にシャツの裾を引っ張られる。視線を向ければ、楽しそうな笑みを浮かべている彼と目が合った。
滅多に見られない、全開の笑顔。こいつが犬やったら、絶対今、尻尾振ってるわ。
「なん? 良い事でもあったん?」
剛は分かり難い精神構造をしている割に、感情表現は呆気に取られる程素直だから。彼より少しだけ年上の自覚を持って、寛容に笑った。
「うん。……あ、どうやろ? ええ事なんかな」
「何なん。はっきり言い」
嬉しそうな表情を隠しもしない癖に(俺はこんな必死にポーカーフェイスを取り繕っているのに)、勿体ぶって引っ張った裾を更に引く。子供みたいな仕草に怒る気にもなれなかった。
可愛いだなんて思うのは、間違っているだろうか。
「先週な、引っ越したんよ」
「? うん。マネから聞いてるで」
嬉しい事は、引っ越しなのだろうか。彼が家を変えたいと言っていたのは雨の多い季節の事だったから、マネージャーから話を聞いた時にはやっと出来るんかと思った。
俺は引っ越そうと思ったらすぐにでも変えてしまうけれど、剛は色々とこだわりが多い。そんなに出歩く訳でもないのに住む街の環境から始まり、マンションの階数、間取りの居心地、近くに緑はあるか。
言い出したらきりがない事をいつまでも諦め切れずに言う人だった。その頑なさは自分の不器用に通じる所があるけれど、俺はもっと無頓着だから。彼の嗜好は今も分からない。
「引っ越したんよ」
「……うん」
「光一ん家の近くに」
一拍の空白。剛の黒い目が楽しそうに笑っていた。
「はあ?」
「何やねんなー。そんな大声出して。もぉちょいリアクションの取り方あるやろー」
カメラが回っている時みたいな大袈裟な仕草で溜息を吐かれる。否、今のは俺のが正しい反応やと思うで。
引っ越し。家が、近い。そんな事、今まで一度もなかったのに。
お互い何処に引っ越したかは一応知っていたけれど、いつも遠い場所だった。マネージャーが二人一緒だと迎えも送るのも面倒臭いと零す位。
合宿所を出た時に何となく決まってしまったスタンスは、もう変わらないと思っていた。
どうして、今更。近付こうだなんて。
「何処ら辺?」
「光一んとこから徒歩圏内よ」
「阿呆やん」
「何でー。ええやん。考えたら光一ん家の近くって散歩コース結構あるんやもん。通る度に東京でもええなあって思ってたんよ」
「やからって、そんな近くやなくても……」
「間取りが理想通りやってん。今おっきな水槽あるやろ? 引っ越しん時に楽に入れられるとこって考えたら、条件厳しくてなー」
当たり前、と言いたいのを堪えて沈黙する。駄目だ。この男は、たまに楽天的になる事があった。プライベートでは干渉しないと言う暗黙の了解を、わざわざ冒そうだなんて。
どうして、離れたのか。俺が合宿所からなるべく遠い場所に引っ越したのか。彼は、忘れてしまったのだろうか。
「でな、せっかくご近所さんになれたんやから」
「……何」
こんなに機嫌の良い彼は、最近見ていない。だからと言って許容する訳にはいかないのだけど。勝手に心拍を上げる心臓を押さえるのに必死だ。
冷静な声、感情を表に出さない冷ややかな視線。理性的な態度は、恋情を隠す為の最良の手段だった。
「携帯のアドレス教えて」
「今更?」
「ぉん、ええやろ。電話やと気遣うし」
電話番号はちゃんと知っている。メールアドレスの交換をしなくなったのは、いつからだろう。
剛がアドレスを変更する度登録し直すのが面倒臭くて、緊急の時しか連絡しないのだから番号だけ知っていれば良いと断った。以来、ずっと携帯を変える時に教えるのは番号だけになっている。
「別に近所になったからって何も変わらんて」
「えー、ご近所付き合いしたいやん」
「こやって仕事で会えるんやからええやろ」
「……あかん?」
素っ気なく対応して諦めさせようと思ったのに、剛は一番狡い手段を使って来た。弱気に引いて様子を窺ったって、誰が絆されるか。
完全に固定された二人の距離を覆す様な真似、しないで欲しい。今のままでいいじゃないか。付かず離れずの仕事のパートナー。
俺は、それ以上を望んでいない。今更、未来の夢は見ない。
前に座っているマネージャーは、知らない振りをして手帳を捲っていた。カーテンで覆われた車外には、秋の景色が広がっているだろう。
視線を逸らしてどうしようか考えていると、何気ない仕草で手を取られる。剛の常套手段。
「アドレス交換して、普通に飯とか食ったり家で一緒にビデオ見たりしたいだけやん」
「……」
「それは、光一ん中で相方の範囲には収まらん?」
「うん」
「やったら、友達でもええよ。仕事のパートナーやなくて、友達」
「……ともだち?」
二人には一番相応しくない言葉だった。俺らは、友達にはなれんよ。俺にそんな気がないのだから。
長い時間を掛けて納得して、相方でいようと決めた。その決意を、掻き回さないで欲しい。
「そ、友達。今の家な、決める時。光一の事考えたんよ」
「俺の?」
「うん。お前ずっと、俺との距離計りながらいたやろ。……あん時から」
剛は覚えていた。彼が嫌悪した事。自分がそれを恐れて離れた事。今振り返れば、他愛もない中傷だった。
「別に……。最初は、そうやったけど。今はもう、俺らはこれが当たり前やんか」
学生の時に、二人の同性愛説が流れた。最初に顔を知られたドラマや、アイドルデュオと言うのが原因だったのだと思う。
けれど、原因がどうであれ剛は酷く傷付いた。付き合っていた彼女と別れてしまう位。
あからさまに俺を罵る事はしなかったけれど、彼に依存している自覚は多分にあった。それが、噂を増長させているのだと言う事も。
そして、自分の心には明確に疚しい感情があった。中傷はあながち的外れでもなくて。
あの時、初めて悟った。この思いは許されないものなのだと。彼と共に在る限り、告げてはならないと固く決意して。
距離を置く事を考えた。必要以上に近付かなければ、何も問題はない。普通の、唯の相方の距離を必死に模索した。
気が付けば、こんなに遠く。
「当たり前の距離、今更踏み込んだらあかん?」
「……ううん」
「良かった」
降参の溜息を零す。しょうがない。乱れるのは自分の心だけだ。律するのも自分自身。
彼が距離を近付けたいと望むのなら、拒む理由は何処にもなかった。
「夜寂しい時とかさ、呼んでくれてええよ」
「それは、剛やろ。俺は寂しくなったりせえへん」
「飯一人で食いたくない時とかあるやろ」
「ありませんー」
「ホラー映画、一人で見たくないとか」
「俺怖くねーもん」
「なら、具合悪くなった時とか」
「……そう言う時は彼女、呼ぶからええわ」
「そうやな」
アドレスを交換しながら、自分の言葉に自分で落ち込む。
彼女がいると言ってしまったのは、唯の弾みだった。多分、同性愛説と同じ時期の事だと思う。
自分の気持ちを誤摩化したくて、剛に潔白を証明したくて咄嗟に吐いた嘘を彼は今も信じていた。あの頃から付き合ってたら、もうとっくに結婚してると思うんやけどな。
思い込んでくれている方が楽だから、この理由は存分に利用している。それで剛を安心させられるなら、安いものだ。
「お前も、さっさと恋人作ったらええのに」
「えー、やってめんどくさいやん」
「そんなん言うてたら、いつまでたっても結婚出来んで」
「余裕のある奴は、言う事違うわ。ええの、俺ギターが恋人やもん」
「しゃあないなあ」
こんなやり取りは、もう何度もしていた。その度に安堵する自分を醜いと思う。
自分では幸せにしてやれないのだから、せめて彼の幸せを願うべきなのに。どうしようもなかった。
「今度、引っ越し祝い持って遊びに来てや」
「お祝い持ってくん強要すんな」
「やって、お前素で忘れそうなんやもん」
「剛、お前人の事何やと……」
「光一さんは、しっかりして見えるのにたまに抜け落ちてるとこあるからね。心配になんのよ」
大人の表情で笑う。最近、穏やかな表情を見せる事が多くなった。精神状態が安定しているのは良い。とても嬉しい。
だから、俺ん事も見えんのかな。空気みたいに馴染んだ存在が気になるなんて、心に余裕のある証拠だ。
彼の状態に変化が起きる度振り回されるのは、辛い事もあるけれど。自分の事の様に嬉しいと思う。
ご近所付き合いでもお友達でも、何でもするよ。例え、心臓がじくじくと痛んでも。
+++++
今日は、剛が家にやって来る日だ。アドレスを交換してから一ヶ月弱。本当に彼はご近所付き合いを強行している。
朝までスタジオに籠って、その後打ち合わせを一つ終えてから帰って来た。まだ日は落ちていない。こんな早い時間に家にいるのは珍しかった。
剛は自分の番組のロケがあるから、来るのは夜になるだろう。それまでに部屋の掃除をしておきたかった。
掃除機をかける為に椅子の位置を移動させていると、テーブルの上に置いてある携帯が振動した。普段仕事の事以外で余り鳴らない自分の携帯が、最近良く着信を告げる。
相方からのメールだった。剛がマメなのは知っていたけれど、まさかこんなに届くとは思わなくて。
俺が返信をしてもしなくても、ほぼ毎日メールが入る。他愛もない言葉が嬉しいのは、自分が彼を好きだからだ。
剛にそんなつもりはない事位、充分分かっていた。友達の域を出ない連絡の取り方である事も。
けれど、剛が自分の為だけに言葉を綴る。一日のほんの一瞬でも自分の事を考えてくれる。
一方通行の気持ちで構わないと思って来たのに、心かけてもらえる様で嬉しかった。安心した。
剛はまだ、自分を捨てない。
携帯を開いて、メール画面を呼び出した。
『今日は寒いです。光一はちゃんと暖かい格好をしていますか?
十一時過ぎには行けると思う。待ってられんかったら寝てて良いから。また後で連絡します。』
夜行性だから平気だと何度言っても、剛は心配する。早く寝なあかん、なんて母親みたいに。
了承の言葉を一言入れた短い返信を送った。メールに思いを込めるのは苦手で、どうしても素っ気なくなる。
そんな自分すらきちんと理解されているのだから、多くの言葉は要らなかった。
携帯を元に戻して、掃除を再開する。手慣れた作業は思考に余裕を作ってしまうから駄目だった。どうしても剛の事を考えてしまう。
初めて彼の家を尋ねたのは、今月の初めの事だった。メールの交換をしてすぐ、いつ遊びに来るのかとメールが入って。
お互いのスケジュールをちゃんと把握している剛が、日時を指定して来た。お祝いは何でも良いよ、なんて笑いながら。
あの日、朝からずっと緊張していた。相方の家に遊びに行くだけなのに、悪い事をしているかの様な心臓の怯え。
大丈夫。どんな時も押し隠して来た感情だ。今更それが露呈する不安なんてない。
怖いのは、剛の優しさだった。いてもいなくても同じだと言う顔を見せていた時期もあった。
仕方のない事だと自分は割り切って、けれど諦め切れずに見詰め続けて来た人。
彼の変化位分かる。分かってしまう。
剛が自分を気に掛けている事。失った物を取り戻す様に優しくしようとしている事。過去の自身の罪悪感との決着の為だった。
十代の終わりに俺を突き放してしまった自身をずっと後悔している。それは、自己満足の延長上でしかなかった。
だから、俺がしっかりしなくては駄目だ。気紛れに差し出される優しさに目を眩ませてはいけなかった。
彼が同性に恋情を抱く事はない。この思いがばれたら、離れて行ってしまうのだと自覚を持たなければ。
嬉しさに流されそうになる自分が怖い。
不安を抱えたまま、仕事をしていた。マネージャーが気にする位には不自然に。
「光一、今日どうかした?」
「え?」
「朝からおかしいよ」
言われて自覚した。落ち着きのない態度は、現場の雰囲気に影響する。
「ごめんなさい」
「ま、スタッフが気付く程じゃないから大丈夫」
「ごめん」
「で、どうしたの。聞いて欲しい顔してる」
さすがマネージャーだなと思う。きちんと仕事はしていたし、顔には出していないと思っていたのに。
分かってしまうらしい。良く見てくれているのだなと、安心した。
そっとして欲しい時は、顔に出るから僕も何も言わない。彼が付いた最初の頃に言われた言葉だ。
言いたくない事を聞いても余計気持ちが塞ぐだけだから、と。大人の表情で笑っていたのを思い出した。
確かに隠したい悩み事ではない。さすがに相方の家に行くから緊張しているだなんて言えないけれど。
「今日な、友達ん家行くん」
「珍しいね」
「そやろ? でな、引っ越したばっかやの」
「友達が?」
「うん。やから、引っ越し祝い何か持ってってやりたいん」
「何が良いのか分からない?」
「うん」
「何でも良いの? 光一は何贈りたい?」
「んー、思い付かん。手ぶらで行ったらあかんのは分かるんやけど……」
「引っ越し祝いが悩みで良かったよ」
明るい声で言われて、頭を軽く撫でられる。優しい仕草だった。え、と思う前にマネージャーは立ち上がる。
「この収録終わるまでに、何か見繕って来てあげる」
「あ、ありがとう」
「マネージャーは、タレントの精神状態も管理しないといけないからね」
柔らかく笑うと、この後はちゃんと集中しなさいと釘を刺された。素直に返事して、台本に目を戻す。
心配事がなくなれば、驚く程すんなり身体の中が仕事だけになった。収録を終える頃には剛の家へ行く事なんてすっかり忘れていて。
収録を終え控室に戻ると、テーブルの上に花が置いてあった。
「なあ、これ何?」
間抜けな質問だった。マネージャーは苦笑を零して、それでも丁寧に答えてくれる。
「引っ越し祝いだろ。当たり障りのない花束と赤ワイン。剛飲めないからどうかなとも思ったんだけど。ジュースじゃ味気ないしね」
「……え」
「最近、お前の周りで引っ越した人間なんて、剛位だろう」
すっかり全部ばれていたのだと思うと、途端に恥ずかしくなった。相方の家に行くだけで朝からあんなに緊張して、悩んで。
彼はどんな風に、自分を見ていたのだろう。不審に思われなければ良い。
「お前達は、ちょっと不自然な感じで離れ過ぎだよ。剛の引っ越しで、もう少し普通の付き合い方が出来ると良いな」
「普通の?」
「そう。お前達はいっつも『友達じゃないから』とか言って、干渉するのを嫌うけどね。普通、職場の同僚だってもっと砕けた付き合いするよ」
「でも、俺らは……」
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
「うん」
「タクシー呼んだ方が良い?」
「うん」
「よし。少し待ってて」
厳しい表情の多い人なのに、今日は良く笑う。心配されているのだなあと他人事の様に思って、用意してくれた花に目を遣った。
小さなブーケはオレンジを基調とした花で揃えられている。男が男に贈るもんじゃないよなあ。
赤ワインはフランス産の物であると言う事しか分からなかった。剛も多分、味なんて分からないだろうし何でも良い。
俺が贈る引っ越し祝いには適していた。どちらも月日が経てば残らない物だ。彼の部屋を占拠する物じゃなくて良かった。
マネージャーはこんな思いすら汲み取ってくれたのだろうか。近付く事を恐れる自分。今もまだ、迷っている。
本当に彼の家に行って良いのか。俺はちゃんと、相方の表情を作れる? 剥がれ易い仮面は、不用意に恋情を晒したりしないだろうか。
臆病な自分を笑って、ブーケとワインを持つと控室を後にした。タクシーに乗り込む所まで付いて来たマネージャーは、心配そうな目をしている。
もう一度ありがとうと言って、視線を逸らした。その瞳は、そのまま自分の心情だ。
走り出した車の中で、シュミレーションする。相方の表情、何の意図もなく紡ぎ出す言葉、適度な距離。
目を閉じて、舞台に出る前と同じ高揚感を抱いている心を鎮めた。大丈夫。今更、変わる距離なんてない。
剛のマンションは、本当に自分の家のすぐ近くだった。見慣れた大通りを一本奥に入った所にあるマンションは、セキュリティーの厳重さを除けば至って普通の造りだ。
彼が好みそうな家だった。此処なら、ケンシロウ達も散歩し易いだろう。可愛い犬の姿を思い出すと、口許を緩めた。
エントランスを抜けて、インターフォンを押す。剛の部屋番号。来る前にメールを入れようと思ったのだけど、結局しなかった。何と送れば良いのか分からなかったからだ。
『はい?』
いきなり聞き慣れた声がスピーカー越しに聞こえて吃驚した。心臓が跳ねる。すぐに言葉が出なかった。
『……光一?』
「あっ、うん」
『何か言わな分からんやろ。しゃあない子やね』
スピーカー越しの声でも剛が優しく笑った気配が分かる。ああ、彼の家まで来てしまったのだと実感した。
『早よ入り。そんなとこおったら目立つわ』
「ん」
自動ドアの促すままに中へと足を踏み入れる。待ちかねた様に開くエレベーターに乗り込んで、一つ溜息を零した。
少し自信がない。既に舞い上がっている自分を感じていた。
エレベーターを降りて左右どちらだろうと見回した瞬間、一番奥の部屋の扉が開く。迷わず明かりの漏れたその扉へ向かった。
「剛」
「おう。お疲れさん」
身体を半分だけ覗かせた相方は、自然な表情で笑った。黒地に白いプリントの長シャツとスウェットを腰で履いた姿は、とてもリラックスしている。
自分の家にいる時の顔。初めて見る、心から寛いだ表情だった。
こんな顔するんや。
「ごめんな。遅くなって」
「全然平気や。何時でも良いって言ったん俺やし」
現場にいる時よりも穏やかな表情は、きちんと俺を迎え入れてくれた。知らない顔。けれど、安心する。
まだ彼は、こんな風に微笑えるのだと。
「これ、引っ越し祝い?」
「うん。何がええんか分からんくて……」
剛が、抱えた花を指差した。腕の中に収まったブーケは、二人の間に置くには不自然な気がする。失敗したかも知れない。
「王子様、みたいやね」
「……?」
「花とワイン持って来るとは思わんかった。よお、似合ってる。やっぱ王子なんやなあって思うわ」
見上げた彼の微笑は深く優しかった。好きな表情だと思う。
自然な仕草で腕の中の花を取り、部屋の中へと招かれた。一連の動作は、嘘みたいに優しい。
彼の部屋は、大体想像通りだった。聞いてもいないのに、色々と話をしてくれるから何となく想像が出来て。
例えば照明の暗さとか、水槽の酸素の音、カーテンの長さまで思っていたのと同じなのが可笑しい。
何となく落ち着けずにいる俺をさり気なく気遣いながら、剛は水炊きをご馳走してくれた。
暖かい部屋に暖かい料理、彼の表情と懐いて来た愛犬の体温。全てが優しくて、困ってしまう。近付く距離を恐れない自分に驚いた。
気持ちは昇華されなくても、人間の関係はこんな形で昇華されて行く事があるのかも知れない。
長い間、離れた距離を保って来た。それが一番良いと思って。
けれど、こう言う付き合い方も出来るのだ。傍にいられる。近付く事に怯えなくても良い。
剛も自分も、充分に歳を重ねたと言う事なのだろう。大人になったのだ。
部屋に入るまでの緊張感は、何処かに消えて穏やかな気持ちばかりが心にあった。元々、彼を手に入れようだなんて思った事は一度もない。
ならいっそ、相方として彼の一番近い場所にいたいと思った。上手に感情を隠せば良い。
こうして、お互いの家を気兼ねなく訪問する事が出来る様になった。一緒にご飯を食べたり、映画を見たり。最初に剛が望んだ通りの関係を築いている。
たった一つ暗黙のルールがあった。互いの家に泊まらない事。頑なに守ろうとしているのは、自分だけだろうと思う。
何かと理由を付けて、必ず帰る様にしていた。剛が自分の家に来ても同様に。
一緒に眠るのは、怖い。どんなに夜中まで一緒にいたとしても、それは別だった。一緒だなんて耐えられない。
泊まる事以外は、何でもした。今までの分を取り返す様に、友達として過ごせなかった十代を悔やむ様に。
剛は良く笑った。自分でも吃驚する位、良く会っている。現場で顔を合わせれば、次に会う約束をして。
部屋に入れば、他愛もない会話が続いた。剛の家にいると魚の話が多い。俺の部屋なら車の話。内容は何でも良かったんだと思う。
唯、友人になりたかった。彼の本心は、其処に在る。
お互いの家であれば周囲の目を気にしなくて良かった。家が近ければ、帰りの時間を気にする事もない。
出会って初めての穏やかな時間は、甘く優しく胸に迫った。辛いのは、きっと俺だけや。
剛は楽しいんだと思う。俺と友人ごっこをしている事。望むものが違い過ぎた。
俺の願いは叶わない。二人きりの部屋で呼吸の仕方を忘れる度に、思い知らされた。
掃除を終え、夕食の支度をしていたら再び携帯が着信を告げる。濡れた手を拭いて、受信画面を開いた。
『もうすぐ着くよ』
簡潔な言葉は、本当に近くまで来ていると言う事だ。慌てて、煮物を温め直す。
今夜のメニューは、栗ご飯に煮物、味噌汁と漬け物だった。一人では決して作らない和食も食べる人がいるのなら別だ。
食事なんて今もどうでも良いと思っているけれど、一緒に過ごす時間があるのなら大切にしたいと思う。
予想通り五分位経つとインターフォンが鳴った。ちょうど、食卓に全て並べ終わった所だ。グッドタイミング。
「スペアキー渡してるやん」
『お前、開口一番言う台詞がそれかい。スペアは緊急用やろ』
「誰だか分かってるのに、いちいち応答するんがめんどくさい」
『……相変わらずやなあ。その無頓着さ。もうちょい防犯に気を付けた方がええね、君は』
「ちゃんと出来てるわ」
むっとして返せば、含み笑いが返って来た。気分が悪い。どうして彼はこう、自分を何も出来ない子供みたいに扱うのだろう。
今まで一人で生きて来て、無事だったのだ。これからも大丈夫だろう。一人で生きる術は、とうに身に付けていた。出会った頃の子供じゃないのに。
『光一にな、開けてもらうんがええねん』
「……は?」
全く無防備の心臓に直接届いた言葉は、馬鹿みたいに甘く響いた。口の上手い男だけれど。男相手にこの台詞は、凄いを通り越してある意味怖い。
ほんま、天性の魔性やね。翻弄されてる自分を感じながら、ロックを解除した。
最近剛は、俺を嬉しがらせる事ばかり言う。こんな風にしないで欲しい。心臓が痛かった。
見えなくなる。言ってしまいたくなる。もしかしたら、なんて。
彼が男を好きになる事等ないのは分かっていた。多分今も、心の中で同性愛を嫌悪しているだろう。
分かり切った結末を自分で迎える勇気もない癖に、言葉だけが心を裏切って零れてしまいそうだ。
好き、と告げたくなる。
「お前、また料理の腕上げたなあ」
「ほんま?」
「ぉん、上手いわ。和食出来るんはポイント高いでー」
「何のポイントやねん」
テーブルに向かい合って、食事を摂る。今では然程違和感もないこの距離。
目を合わせて、剛は味噌汁を啜った。幸福そうに細められる瞳が、立ち上った湯気で霞む。
「光一もちゃんと食べや」
「食っとるわ」
「そぉか? お前いつまで経っても小食直らんかったから、今でも心配なるねん」
純粋な感情を向けられて、答える言葉に詰まった。そんな心配せんでもええよ。お前に言われんでもちゃんと体調管理してるわ。剛が食い過ぎなんやって。
頭の中に浮かんだ言葉は、どれも相応しくなくてそのまま霧散した。彼の優しさが向けられる度、俺は視線を逸らしてしまう。
お前に心配される様な人間ちゃうから。そう言ってしまいそうになる。
俺は、大切にすべき相方に劣情を抱いてる男やで? 剛の心を傾ける価値等ない。放っておいて。気付かないで。
結末を迎えたくなくて、ずっとずっと蓋をしたままの気持ちは褪せる事なく胸の内にあった。
「光一」
「……ん?」
「お前、どっか具合悪いんちゃう?」
「え、そんな事ないと思うけど……」
食べる手を止めて、真剣に見詰めて来る瞳から逃れて小さな声で返す。具合が悪いのなんて年中だった。調子の良い時の方が少ない位。
剛だってそうやろ? こんなんもう、職業病みたいなもんや。
答えれば良いのに、翳りを帯びた瞳に魅せられて動けない。彼の手が伸びて来ても、ひたりと見詰め合ったままだった。
温かい指先が頬に触れる。労る仕草だった。
「仕事終わって飯作って、俺来るの待ってたらしんどいよな」
「そんな事っ」
「……ない? ホンマに?」
「ないわ! 俺、仕事やったら嫌な事でも何でもするけど、それ以外で自分が望まんのにやった事なんてないの知ってるやろ。俺は、嫌やったら剛と一緒にいない」
「そうやね。光一はそう言う奴やな」
「な? やから、気にせんといて。しんどい時に飯なんて作らんから」
言いながら、触れた体温をそっと離した。頬が熱い。俺達は、スキンシップが多いとは思うけれど、でも。
こんな風に優しく扱われた事なんてなかった。
「光一、顔」
「?」
「赤いで。本当に大丈夫なんか? 無理してない?」
「してへんよ。ホント、平気や」
お前が触るからだなんて言える訳もない。少しだけ怪訝そうな顔を見せた剛は、それでも納得する事にしたのか再び食事を開始した。
食事を終えて、彼が持って来たレコードを聞いた。物悲しいメロディーは、彼好みだ。
サックスの切ない音が部屋中に響き渡った。一緒にソファに座って音楽を聴く。それだけ。
視線も合わさず言葉も交わさず、唯一緒にいる事。二人に足りなかった物なのかも知れない。
日付を越えて翌日の入り時間を考え始めた頃、剛が帰ると言い出した。音楽はかけたまま、玄関に向かう。
「あれ、お前好きやろ? 置いてくな」
何も言わなかったのに、人の嗜好を完璧に把握している辺り、さすがだなあと思った。彼のこう言う心遣いはいつも感心させられる。
「ありがと」
「今度、いつにしよか? 明日明後日はスタジオやよな?」
「……うん」
「したら、明後日がええかなあ。そろそろシチューとか食べたいし」
靴を履きながら、次回の予定を立てるその後ろ姿は楽しそうだった。これからどんどんスケジュールは詰まって行く。それでも会いたいと言ってくれる。
ああ、あかんなあ俺。
剛の背中を見詰めながらそっと溜息を零した。嬉しい気持ちを持て余している。
「あ、でもスタジオやったら帰り一緒やな。出前か何か……」
「なあ、剛」
言葉を遮る様に発した声は、重い響きだった。玄関で立ち上がった剛が、視線を合わせる。一段高い所に立っている俺は、その目を見下ろす形になった。
「あんま、俺ん事ばっか構わんでええよ」
「何で?」
「……何でって。剛、友達一杯いるやん。これからスケジュール詰まるし」
「今の内に友達と遊んどけ言う事か?」
「う、ん」
「それって、俺ん事気にしてくれとんの?」
「……うん」
低い声。何かいけない事を言っただろうか。心臓が持ちそうもないから言ってしまった言葉だけど、確かに思っていた事だ。
俺ばかりに時間を費やしていたら、あかんよ。
「光一。俺は、自分の事位自分で分かるし、自分で決められる」
怖い瞳。先程体調を心配した純粋な色は何処にもなかった。同じ色を生まない彼の目は、プリズムの様だ。
光と影。相反する物が共生している。
「光一、さっき言ってくれたやん。嫌やったらやらんって。あれは違うん? 俺といるより、友達とか彼女とかといる時間大切にしたいんやったら、考えるわ」
「……嫌なんて思うた事あらへん。ホントや」
剛の黒い瞳が怖くて、けれど逸らせずに小さな声で答えた。次の瞬間、諦めた様な風情で彼が笑う。
「何が、嫌なん? 光一、困った顔しとる」
再び伸ばされた手を払って、唇を噛んだ。心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
嫌な訳ない。そうじゃなくて。
「何も、ないで」
どくどくと耳の中に響き渡る血液の音。頬が赤く染まった。
嘘がばれてしまう。こんな顔で言うても、説得力あらへん。
現場以外ではポーカーフェイス、作れないもんやな。
優しくされる度、心が疼く。そんな事、ある訳ないのに。剛が望むのは、友情の形だ。
彼との未来を夢見る事は、やめた筈だ。けれど、まだこんなにも。
「光一?」
「……嬉しい、よ。俺も。お前と友達みたいな事出来んかったから、嬉しい」
「そ、か」
安堵して笑む口許。期待、してしまいそうや。
とうに消えた、最初からなかった希望を、見出してしまいそうになる。剛が望んでいるのは己の罪悪感の払拭と、仕事のパートナーとしての永遠の絆だけだ。
恋なんて、此処にはないのに。
気を付けて帰るんやでと言うと、子供みたいに笑んだ剛を見送って、音楽の鳴り響く部屋へ戻った。
一人の部屋は寂しい。昔も今も、ずっとずっと一人だった。誰といても、この孤独は消えない。
剛は、たった一人の存在だった。孤独の世界を、鮮やかに染め変えた人。
俺の手を引いて走る少年。
強い手、甘えた声、向けられる優しさ。全てが鮮烈な印象を纏って、今もある。
幼い憧憬は、此処にある。今もこの胸の中で飼い続けている恋情は、子供の頃の記憶と共に心臓の一番温かい場所で生きていた。
至近距離。気付かれない様に、そっと。
見詰める。
癖のある毛先の流れ。睫毛の影。悟られない位微かに、視線に思いを込める。
言葉を発する唇の動き。左耳の輪郭。襟から僅かに覗く首の骨の太さ。
じっと、目で追う。ひた向きに。彼だけを視界に入れて。
指先が少し欠けている不完全なエナメルの色。仕事を仕事だと割り切れる様になった、その瞳の決意。目を閉じてもきっと、明確に思い出せる彼の姿。
剛。
名は呼ばずに、思う。秘して見詰める。恋を続ける。
彼が振り向く気配がして、自然な仕草で視線を逸らした。誰にも分からない、視線だけの感情。
俺はもう長い間、彼の事が好きだ。
この世で唯一無二の相方を。同じ性を持った彼を。
何故こんなにも愛してしまったのだろうか。
+++++
「光一、どう思う?」
「……ああ、うん」
此処は会議室で、アルバム制作の最終打ち合わせの途中だった。この会議が終われば、いよいよレコーディングが始まる。
じっと見詰める剛の瞳を見返して、今交わされていた言葉の内容を把握しようとした。
「お前今、寝とったやろ」
悪戯っ子の顔で笑われる。違う、と否定出来ないのが辛かった。もうずっと書類と睨み合う状態が続いている。集中力も限界に来ていたのだろう。
無意識に、彼を見詰めてしまう位には。
「寝てへん」
「嘘」
「嘘ちゃう」
「ええよ、もう。そんな頑張らんでも。ちょぉ休憩しよか」
妙に甘やかした口振りで言われて(剛は自分に余裕がある時はいつもこうだ。今更気にしない)、眉を顰めた。
まだプロモーションの開始時期が決まっていない。広報の人間は一刻も早く動き出したい筈だった。
「平気やって」
「光一」
「平気」
「もう皆も集中力切れとるわ。気分転換した方がええやろ? なあ」
同意は周囲の人間に求められた。そう言えば、先刻からスタッフの煙草やコーヒーの量が増えている様な気もする。
「少しだけな」
「ぉん。お前も此処出た方がええよ。顔色悪い」
当たり前みたいに優しくされて困った。皆も溜息を零したりストレッチをしながら部屋を出て行く。この仕事は体力勝負だった。
剛は、部屋を出もせずに座っている。ああ、心配しているのだなと思った。
相方の健康管理は、刷り込みの様に覚えた物だから。すぐ不安になるのだろう。優しい彼なら尚更。
「俺は平気やから、お前も何か飲んで来たら?」
「光一は?」
「もう立つのもめんどい」
「お前、それはあかんやろー」
資料を持ったままの俺の手を取って、剛は強引に引き上げた。不用意に触れられるのは、今も慣れない。心拍が跳ね上がってしまう。
思春期の子供みたいや。彼の体温に触れる度に思う事だった。
暗い廊下を歩いて、剛の指定席である自販機横のベンチまで連れて行かれる。腕を捕らえたまま外を歩く事に抵抗はないらしい。
どう考えても、可笑しな図なんやけどね。彼の羞恥心とか体面と言うのは、一体どうなっているんだろう。
「コーラでええ?」
「剛、大丈夫や。俺、自分で買う」
「財布持ってないやん」
「あ、」
「ええから」
こん位何でもない事やろ。人に頼る事を嫌う自分をちゃんと知っている彼の優しさだった。ありがとう、と受け取って隣に違和感なく座る相方を見遣る。
いつから、こんなにも。
思考は簡単に内へ向けられる。疲れているのだと思った。堂々巡りの思いに考えを巡らせるのは馬鹿げている。
どうして彼なのかなんて、もう分からなかった。いつから好きなのかさえ。
唯ずっと、剛だけを見詰めて来た。今も昔も変わらずに。
休憩中の彼は、仕事の話をしない。家にいる犬や魚の話。友達の失敗談。ギターのレパートリー。
他愛もない、でも気分を落ち込ませない話ばかり。
いつの間にかこんな風に彼は強くなった。大人になった。迷わない目を見せて、強い言葉を発する。
それでも変わらない自分の思い。弱かった頃の彼も今の彼も、全て愛しい。遺伝子レベルの刷り込みなのかも知れない。
この恋情は、塩基配列にすら組み込まれている様な気がする。
当たり前に、日が昇って落ちる日々を繰り返す様に、生きて行く為に呼吸を繰り返す様に。
剛だけを見詰めていた。唯一人、彼だけが好きだと思う。
一度だけ、恋を終わらせようとした事がある。多分十代の終わりだった。
未来の見えないこの思いに閉塞感を感じて、上手く笑う事が出来なくなった。叶わない恋を抱えているのが辛いと。
あれが、思春期の終わりだったのだろう。これから大人になるのに、いつまでも幼い恋心を抱えていたくないと思ったのかも知れない。
結婚を許される歳になって、現実が怖くなったのかも知れない。
伝える事のない恋を、捨ててしまいたかった。剛とは唯の相方でいようとした。
けれど、触れる度名前を呼ばれる度優しく笑われる度、胸の奥が痛んで。
無理なのだと知った。
俺は、この恋を叶える為に剛を好きになったんじゃない。彼を自分の物にしたくて、恋を抱えた訳じゃない。
諦めに一番近い所にある感情は、きっと偽りのない心にあった答えだ。
辛くても苦しくても悲しくても良いから、ずっと好きでいよう。
傍にいたい。ずっとずっと、相方でいようと思った。
彼の仕事のパートナーである事を誇りに生きて行く。彼の人生の『特別』にはなれないけれど。
それでも構わなかった。自分が思っているのと同じ分だけ思って欲しいだなんて、我儘だけの感情はもう捨ててしまおう。
自分が与えられる全てを、彼に。そうして生きて行く事が自分の誇りになる。
一生彼と共に仕事をして行く。その為には、決してこの恋が悟られては行けない。距離を保って、不自然な事が一つもない様に。
思いがばれて、剛に避けられるのは嫌だった。彼はノーマルな嗜好の持ち主だ。嫌われたくない。
『特別』なんて要らないから、嫌わないで欲しい。この思いを否定しないで欲しかった。
暗い廊下で二人話す幸福を、永遠の物にしたかった。
+++++
季節の移り変わりには鈍感だけど、秋の空気は少しだけ分かる。枯れた植物の匂い、肌を撫でる乾燥した空気、高い空。秋は好きだった。
全てが終息に向かうこの時期、自分の生の気配さえ希薄になる。その感覚が好きだった。冬になる前の空白。
死ぬのなら秋が良いとずっと思っていた。
こんなん考えるんは、剛の専売特許やねんけどな。冷たい風は、少しだけ気分をナーバスにするらしい。
迎えに来た車へ乗り込むと、後部座席に相方が座っていた。
「おはよ。珍しなあ」
「ん。せやね」
一緒に現場入りする機会は少なくなっていた。朝から会えるなんて、嬉しい。落ちていた気分が上昇した。簡単やな、俺。
この場所にいられる事を、彼の隣で生き続けられる事を、馬鹿みたいに単純に喜んでしまう。ポーカーフェイスは見破られないだろうか。口許を気にしながら今日のスケジュールを確認した。
「こっからはほとんどレコーディングだよ。あんま根詰めないで欲しいね」
助手席に座っているマネージャーが振り返って笑う。音を作る作業はつい没頭してしまいがちだ。それを恐れてか、最近スタジオに詰めるスケジュールは組んでもらえない。
夕方から雑誌の撮影を入れられている辺り、抜け目がないと言うか。音楽は幾ら時間があっても足りない。もっともっとと、貪欲に求めてしまう自分がいた。
剛ののめり込み方とは違うけど、多分音楽は好きなのだろう。
マネージャーの言葉に適当に相槌を打っていると、隣で大人しくしていた相方にシャツの裾を引っ張られる。視線を向ければ、楽しそうな笑みを浮かべている彼と目が合った。
滅多に見られない、全開の笑顔。こいつが犬やったら、絶対今、尻尾振ってるわ。
「なん? 良い事でもあったん?」
剛は分かり難い精神構造をしている割に、感情表現は呆気に取られる程素直だから。彼より少しだけ年上の自覚を持って、寛容に笑った。
「うん。……あ、どうやろ? ええ事なんかな」
「何なん。はっきり言い」
嬉しそうな表情を隠しもしない癖に(俺はこんな必死にポーカーフェイスを取り繕っているのに)、勿体ぶって引っ張った裾を更に引く。子供みたいな仕草に怒る気にもなれなかった。
可愛いだなんて思うのは、間違っているだろうか。
「先週な、引っ越したんよ」
「? うん。マネから聞いてるで」
嬉しい事は、引っ越しなのだろうか。彼が家を変えたいと言っていたのは雨の多い季節の事だったから、マネージャーから話を聞いた時にはやっと出来るんかと思った。
俺は引っ越そうと思ったらすぐにでも変えてしまうけれど、剛は色々とこだわりが多い。そんなに出歩く訳でもないのに住む街の環境から始まり、マンションの階数、間取りの居心地、近くに緑はあるか。
言い出したらきりがない事をいつまでも諦め切れずに言う人だった。その頑なさは自分の不器用に通じる所があるけれど、俺はもっと無頓着だから。彼の嗜好は今も分からない。
「引っ越したんよ」
「……うん」
「光一ん家の近くに」
一拍の空白。剛の黒い目が楽しそうに笑っていた。
「はあ?」
「何やねんなー。そんな大声出して。もぉちょいリアクションの取り方あるやろー」
カメラが回っている時みたいな大袈裟な仕草で溜息を吐かれる。否、今のは俺のが正しい反応やと思うで。
引っ越し。家が、近い。そんな事、今まで一度もなかったのに。
お互い何処に引っ越したかは一応知っていたけれど、いつも遠い場所だった。マネージャーが二人一緒だと迎えも送るのも面倒臭いと零す位。
合宿所を出た時に何となく決まってしまったスタンスは、もう変わらないと思っていた。
どうして、今更。近付こうだなんて。
「何処ら辺?」
「光一んとこから徒歩圏内よ」
「阿呆やん」
「何でー。ええやん。考えたら光一ん家の近くって散歩コース結構あるんやもん。通る度に東京でもええなあって思ってたんよ」
「やからって、そんな近くやなくても……」
「間取りが理想通りやってん。今おっきな水槽あるやろ? 引っ越しん時に楽に入れられるとこって考えたら、条件厳しくてなー」
当たり前、と言いたいのを堪えて沈黙する。駄目だ。この男は、たまに楽天的になる事があった。プライベートでは干渉しないと言う暗黙の了解を、わざわざ冒そうだなんて。
どうして、離れたのか。俺が合宿所からなるべく遠い場所に引っ越したのか。彼は、忘れてしまったのだろうか。
「でな、せっかくご近所さんになれたんやから」
「……何」
こんなに機嫌の良い彼は、最近見ていない。だからと言って許容する訳にはいかないのだけど。勝手に心拍を上げる心臓を押さえるのに必死だ。
冷静な声、感情を表に出さない冷ややかな視線。理性的な態度は、恋情を隠す為の最良の手段だった。
「携帯のアドレス教えて」
「今更?」
「ぉん、ええやろ。電話やと気遣うし」
電話番号はちゃんと知っている。メールアドレスの交換をしなくなったのは、いつからだろう。
剛がアドレスを変更する度登録し直すのが面倒臭くて、緊急の時しか連絡しないのだから番号だけ知っていれば良いと断った。以来、ずっと携帯を変える時に教えるのは番号だけになっている。
「別に近所になったからって何も変わらんて」
「えー、ご近所付き合いしたいやん」
「こやって仕事で会えるんやからええやろ」
「……あかん?」
素っ気なく対応して諦めさせようと思ったのに、剛は一番狡い手段を使って来た。弱気に引いて様子を窺ったって、誰が絆されるか。
完全に固定された二人の距離を覆す様な真似、しないで欲しい。今のままでいいじゃないか。付かず離れずの仕事のパートナー。
俺は、それ以上を望んでいない。今更、未来の夢は見ない。
前に座っているマネージャーは、知らない振りをして手帳を捲っていた。カーテンで覆われた車外には、秋の景色が広がっているだろう。
視線を逸らしてどうしようか考えていると、何気ない仕草で手を取られる。剛の常套手段。
「アドレス交換して、普通に飯とか食ったり家で一緒にビデオ見たりしたいだけやん」
「……」
「それは、光一ん中で相方の範囲には収まらん?」
「うん」
「やったら、友達でもええよ。仕事のパートナーやなくて、友達」
「……ともだち?」
二人には一番相応しくない言葉だった。俺らは、友達にはなれんよ。俺にそんな気がないのだから。
長い時間を掛けて納得して、相方でいようと決めた。その決意を、掻き回さないで欲しい。
「そ、友達。今の家な、決める時。光一の事考えたんよ」
「俺の?」
「うん。お前ずっと、俺との距離計りながらいたやろ。……あん時から」
剛は覚えていた。彼が嫌悪した事。自分がそれを恐れて離れた事。今振り返れば、他愛もない中傷だった。
「別に……。最初は、そうやったけど。今はもう、俺らはこれが当たり前やんか」
学生の時に、二人の同性愛説が流れた。最初に顔を知られたドラマや、アイドルデュオと言うのが原因だったのだと思う。
けれど、原因がどうであれ剛は酷く傷付いた。付き合っていた彼女と別れてしまう位。
あからさまに俺を罵る事はしなかったけれど、彼に依存している自覚は多分にあった。それが、噂を増長させているのだと言う事も。
そして、自分の心には明確に疚しい感情があった。中傷はあながち的外れでもなくて。
あの時、初めて悟った。この思いは許されないものなのだと。彼と共に在る限り、告げてはならないと固く決意して。
距離を置く事を考えた。必要以上に近付かなければ、何も問題はない。普通の、唯の相方の距離を必死に模索した。
気が付けば、こんなに遠く。
「当たり前の距離、今更踏み込んだらあかん?」
「……ううん」
「良かった」
降参の溜息を零す。しょうがない。乱れるのは自分の心だけだ。律するのも自分自身。
彼が距離を近付けたいと望むのなら、拒む理由は何処にもなかった。
「夜寂しい時とかさ、呼んでくれてええよ」
「それは、剛やろ。俺は寂しくなったりせえへん」
「飯一人で食いたくない時とかあるやろ」
「ありませんー」
「ホラー映画、一人で見たくないとか」
「俺怖くねーもん」
「なら、具合悪くなった時とか」
「……そう言う時は彼女、呼ぶからええわ」
「そうやな」
アドレスを交換しながら、自分の言葉に自分で落ち込む。
彼女がいると言ってしまったのは、唯の弾みだった。多分、同性愛説と同じ時期の事だと思う。
自分の気持ちを誤摩化したくて、剛に潔白を証明したくて咄嗟に吐いた嘘を彼は今も信じていた。あの頃から付き合ってたら、もうとっくに結婚してると思うんやけどな。
思い込んでくれている方が楽だから、この理由は存分に利用している。それで剛を安心させられるなら、安いものだ。
「お前も、さっさと恋人作ったらええのに」
「えー、やってめんどくさいやん」
「そんなん言うてたら、いつまでたっても結婚出来んで」
「余裕のある奴は、言う事違うわ。ええの、俺ギターが恋人やもん」
「しゃあないなあ」
こんなやり取りは、もう何度もしていた。その度に安堵する自分を醜いと思う。
自分では幸せにしてやれないのだから、せめて彼の幸せを願うべきなのに。どうしようもなかった。
「今度、引っ越し祝い持って遊びに来てや」
「お祝い持ってくん強要すんな」
「やって、お前素で忘れそうなんやもん」
「剛、お前人の事何やと……」
「光一さんは、しっかりして見えるのにたまに抜け落ちてるとこあるからね。心配になんのよ」
大人の表情で笑う。最近、穏やかな表情を見せる事が多くなった。精神状態が安定しているのは良い。とても嬉しい。
だから、俺ん事も見えんのかな。空気みたいに馴染んだ存在が気になるなんて、心に余裕のある証拠だ。
彼の状態に変化が起きる度振り回されるのは、辛い事もあるけれど。自分の事の様に嬉しいと思う。
ご近所付き合いでもお友達でも、何でもするよ。例え、心臓がじくじくと痛んでも。
+++++
今日は、剛が家にやって来る日だ。アドレスを交換してから一ヶ月弱。本当に彼はご近所付き合いを強行している。
朝までスタジオに籠って、その後打ち合わせを一つ終えてから帰って来た。まだ日は落ちていない。こんな早い時間に家にいるのは珍しかった。
剛は自分の番組のロケがあるから、来るのは夜になるだろう。それまでに部屋の掃除をしておきたかった。
掃除機をかける為に椅子の位置を移動させていると、テーブルの上に置いてある携帯が振動した。普段仕事の事以外で余り鳴らない自分の携帯が、最近良く着信を告げる。
相方からのメールだった。剛がマメなのは知っていたけれど、まさかこんなに届くとは思わなくて。
俺が返信をしてもしなくても、ほぼ毎日メールが入る。他愛もない言葉が嬉しいのは、自分が彼を好きだからだ。
剛にそんなつもりはない事位、充分分かっていた。友達の域を出ない連絡の取り方である事も。
けれど、剛が自分の為だけに言葉を綴る。一日のほんの一瞬でも自分の事を考えてくれる。
一方通行の気持ちで構わないと思って来たのに、心かけてもらえる様で嬉しかった。安心した。
剛はまだ、自分を捨てない。
携帯を開いて、メール画面を呼び出した。
『今日は寒いです。光一はちゃんと暖かい格好をしていますか?
十一時過ぎには行けると思う。待ってられんかったら寝てて良いから。また後で連絡します。』
夜行性だから平気だと何度言っても、剛は心配する。早く寝なあかん、なんて母親みたいに。
了承の言葉を一言入れた短い返信を送った。メールに思いを込めるのは苦手で、どうしても素っ気なくなる。
そんな自分すらきちんと理解されているのだから、多くの言葉は要らなかった。
携帯を元に戻して、掃除を再開する。手慣れた作業は思考に余裕を作ってしまうから駄目だった。どうしても剛の事を考えてしまう。
初めて彼の家を尋ねたのは、今月の初めの事だった。メールの交換をしてすぐ、いつ遊びに来るのかとメールが入って。
お互いのスケジュールをちゃんと把握している剛が、日時を指定して来た。お祝いは何でも良いよ、なんて笑いながら。
あの日、朝からずっと緊張していた。相方の家に遊びに行くだけなのに、悪い事をしているかの様な心臓の怯え。
大丈夫。どんな時も押し隠して来た感情だ。今更それが露呈する不安なんてない。
怖いのは、剛の優しさだった。いてもいなくても同じだと言う顔を見せていた時期もあった。
仕方のない事だと自分は割り切って、けれど諦め切れずに見詰め続けて来た人。
彼の変化位分かる。分かってしまう。
剛が自分を気に掛けている事。失った物を取り戻す様に優しくしようとしている事。過去の自身の罪悪感との決着の為だった。
十代の終わりに俺を突き放してしまった自身をずっと後悔している。それは、自己満足の延長上でしかなかった。
だから、俺がしっかりしなくては駄目だ。気紛れに差し出される優しさに目を眩ませてはいけなかった。
彼が同性に恋情を抱く事はない。この思いがばれたら、離れて行ってしまうのだと自覚を持たなければ。
嬉しさに流されそうになる自分が怖い。
不安を抱えたまま、仕事をしていた。マネージャーが気にする位には不自然に。
「光一、今日どうかした?」
「え?」
「朝からおかしいよ」
言われて自覚した。落ち着きのない態度は、現場の雰囲気に影響する。
「ごめんなさい」
「ま、スタッフが気付く程じゃないから大丈夫」
「ごめん」
「で、どうしたの。聞いて欲しい顔してる」
さすがマネージャーだなと思う。きちんと仕事はしていたし、顔には出していないと思っていたのに。
分かってしまうらしい。良く見てくれているのだなと、安心した。
そっとして欲しい時は、顔に出るから僕も何も言わない。彼が付いた最初の頃に言われた言葉だ。
言いたくない事を聞いても余計気持ちが塞ぐだけだから、と。大人の表情で笑っていたのを思い出した。
確かに隠したい悩み事ではない。さすがに相方の家に行くから緊張しているだなんて言えないけれど。
「今日な、友達ん家行くん」
「珍しいね」
「そやろ? でな、引っ越したばっかやの」
「友達が?」
「うん。やから、引っ越し祝い何か持ってってやりたいん」
「何が良いのか分からない?」
「うん」
「何でも良いの? 光一は何贈りたい?」
「んー、思い付かん。手ぶらで行ったらあかんのは分かるんやけど……」
「引っ越し祝いが悩みで良かったよ」
明るい声で言われて、頭を軽く撫でられる。優しい仕草だった。え、と思う前にマネージャーは立ち上がる。
「この収録終わるまでに、何か見繕って来てあげる」
「あ、ありがとう」
「マネージャーは、タレントの精神状態も管理しないといけないからね」
柔らかく笑うと、この後はちゃんと集中しなさいと釘を刺された。素直に返事して、台本に目を戻す。
心配事がなくなれば、驚く程すんなり身体の中が仕事だけになった。収録を終える頃には剛の家へ行く事なんてすっかり忘れていて。
収録を終え控室に戻ると、テーブルの上に花が置いてあった。
「なあ、これ何?」
間抜けな質問だった。マネージャーは苦笑を零して、それでも丁寧に答えてくれる。
「引っ越し祝いだろ。当たり障りのない花束と赤ワイン。剛飲めないからどうかなとも思ったんだけど。ジュースじゃ味気ないしね」
「……え」
「最近、お前の周りで引っ越した人間なんて、剛位だろう」
すっかり全部ばれていたのだと思うと、途端に恥ずかしくなった。相方の家に行くだけで朝からあんなに緊張して、悩んで。
彼はどんな風に、自分を見ていたのだろう。不審に思われなければ良い。
「お前達は、ちょっと不自然な感じで離れ過ぎだよ。剛の引っ越しで、もう少し普通の付き合い方が出来ると良いな」
「普通の?」
「そう。お前達はいっつも『友達じゃないから』とか言って、干渉するのを嫌うけどね。普通、職場の同僚だってもっと砕けた付き合いするよ」
「でも、俺らは……」
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」
「うん」
「タクシー呼んだ方が良い?」
「うん」
「よし。少し待ってて」
厳しい表情の多い人なのに、今日は良く笑う。心配されているのだなあと他人事の様に思って、用意してくれた花に目を遣った。
小さなブーケはオレンジを基調とした花で揃えられている。男が男に贈るもんじゃないよなあ。
赤ワインはフランス産の物であると言う事しか分からなかった。剛も多分、味なんて分からないだろうし何でも良い。
俺が贈る引っ越し祝いには適していた。どちらも月日が経てば残らない物だ。彼の部屋を占拠する物じゃなくて良かった。
マネージャーはこんな思いすら汲み取ってくれたのだろうか。近付く事を恐れる自分。今もまだ、迷っている。
本当に彼の家に行って良いのか。俺はちゃんと、相方の表情を作れる? 剥がれ易い仮面は、不用意に恋情を晒したりしないだろうか。
臆病な自分を笑って、ブーケとワインを持つと控室を後にした。タクシーに乗り込む所まで付いて来たマネージャーは、心配そうな目をしている。
もう一度ありがとうと言って、視線を逸らした。その瞳は、そのまま自分の心情だ。
走り出した車の中で、シュミレーションする。相方の表情、何の意図もなく紡ぎ出す言葉、適度な距離。
目を閉じて、舞台に出る前と同じ高揚感を抱いている心を鎮めた。大丈夫。今更、変わる距離なんてない。
剛のマンションは、本当に自分の家のすぐ近くだった。見慣れた大通りを一本奥に入った所にあるマンションは、セキュリティーの厳重さを除けば至って普通の造りだ。
彼が好みそうな家だった。此処なら、ケンシロウ達も散歩し易いだろう。可愛い犬の姿を思い出すと、口許を緩めた。
エントランスを抜けて、インターフォンを押す。剛の部屋番号。来る前にメールを入れようと思ったのだけど、結局しなかった。何と送れば良いのか分からなかったからだ。
『はい?』
いきなり聞き慣れた声がスピーカー越しに聞こえて吃驚した。心臓が跳ねる。すぐに言葉が出なかった。
『……光一?』
「あっ、うん」
『何か言わな分からんやろ。しゃあない子やね』
スピーカー越しの声でも剛が優しく笑った気配が分かる。ああ、彼の家まで来てしまったのだと実感した。
『早よ入り。そんなとこおったら目立つわ』
「ん」
自動ドアの促すままに中へと足を踏み入れる。待ちかねた様に開くエレベーターに乗り込んで、一つ溜息を零した。
少し自信がない。既に舞い上がっている自分を感じていた。
エレベーターを降りて左右どちらだろうと見回した瞬間、一番奥の部屋の扉が開く。迷わず明かりの漏れたその扉へ向かった。
「剛」
「おう。お疲れさん」
身体を半分だけ覗かせた相方は、自然な表情で笑った。黒地に白いプリントの長シャツとスウェットを腰で履いた姿は、とてもリラックスしている。
自分の家にいる時の顔。初めて見る、心から寛いだ表情だった。
こんな顔するんや。
「ごめんな。遅くなって」
「全然平気や。何時でも良いって言ったん俺やし」
現場にいる時よりも穏やかな表情は、きちんと俺を迎え入れてくれた。知らない顔。けれど、安心する。
まだ彼は、こんな風に微笑えるのだと。
「これ、引っ越し祝い?」
「うん。何がええんか分からんくて……」
剛が、抱えた花を指差した。腕の中に収まったブーケは、二人の間に置くには不自然な気がする。失敗したかも知れない。
「王子様、みたいやね」
「……?」
「花とワイン持って来るとは思わんかった。よお、似合ってる。やっぱ王子なんやなあって思うわ」
見上げた彼の微笑は深く優しかった。好きな表情だと思う。
自然な仕草で腕の中の花を取り、部屋の中へと招かれた。一連の動作は、嘘みたいに優しい。
彼の部屋は、大体想像通りだった。聞いてもいないのに、色々と話をしてくれるから何となく想像が出来て。
例えば照明の暗さとか、水槽の酸素の音、カーテンの長さまで思っていたのと同じなのが可笑しい。
何となく落ち着けずにいる俺をさり気なく気遣いながら、剛は水炊きをご馳走してくれた。
暖かい部屋に暖かい料理、彼の表情と懐いて来た愛犬の体温。全てが優しくて、困ってしまう。近付く距離を恐れない自分に驚いた。
気持ちは昇華されなくても、人間の関係はこんな形で昇華されて行く事があるのかも知れない。
長い間、離れた距離を保って来た。それが一番良いと思って。
けれど、こう言う付き合い方も出来るのだ。傍にいられる。近付く事に怯えなくても良い。
剛も自分も、充分に歳を重ねたと言う事なのだろう。大人になったのだ。
部屋に入るまでの緊張感は、何処かに消えて穏やかな気持ちばかりが心にあった。元々、彼を手に入れようだなんて思った事は一度もない。
ならいっそ、相方として彼の一番近い場所にいたいと思った。上手に感情を隠せば良い。
こうして、お互いの家を気兼ねなく訪問する事が出来る様になった。一緒にご飯を食べたり、映画を見たり。最初に剛が望んだ通りの関係を築いている。
たった一つ暗黙のルールがあった。互いの家に泊まらない事。頑なに守ろうとしているのは、自分だけだろうと思う。
何かと理由を付けて、必ず帰る様にしていた。剛が自分の家に来ても同様に。
一緒に眠るのは、怖い。どんなに夜中まで一緒にいたとしても、それは別だった。一緒だなんて耐えられない。
泊まる事以外は、何でもした。今までの分を取り返す様に、友達として過ごせなかった十代を悔やむ様に。
剛は良く笑った。自分でも吃驚する位、良く会っている。現場で顔を合わせれば、次に会う約束をして。
部屋に入れば、他愛もない会話が続いた。剛の家にいると魚の話が多い。俺の部屋なら車の話。内容は何でも良かったんだと思う。
唯、友人になりたかった。彼の本心は、其処に在る。
お互いの家であれば周囲の目を気にしなくて良かった。家が近ければ、帰りの時間を気にする事もない。
出会って初めての穏やかな時間は、甘く優しく胸に迫った。辛いのは、きっと俺だけや。
剛は楽しいんだと思う。俺と友人ごっこをしている事。望むものが違い過ぎた。
俺の願いは叶わない。二人きりの部屋で呼吸の仕方を忘れる度に、思い知らされた。
掃除を終え、夕食の支度をしていたら再び携帯が着信を告げる。濡れた手を拭いて、受信画面を開いた。
『もうすぐ着くよ』
簡潔な言葉は、本当に近くまで来ていると言う事だ。慌てて、煮物を温め直す。
今夜のメニューは、栗ご飯に煮物、味噌汁と漬け物だった。一人では決して作らない和食も食べる人がいるのなら別だ。
食事なんて今もどうでも良いと思っているけれど、一緒に過ごす時間があるのなら大切にしたいと思う。
予想通り五分位経つとインターフォンが鳴った。ちょうど、食卓に全て並べ終わった所だ。グッドタイミング。
「スペアキー渡してるやん」
『お前、開口一番言う台詞がそれかい。スペアは緊急用やろ』
「誰だか分かってるのに、いちいち応答するんがめんどくさい」
『……相変わらずやなあ。その無頓着さ。もうちょい防犯に気を付けた方がええね、君は』
「ちゃんと出来てるわ」
むっとして返せば、含み笑いが返って来た。気分が悪い。どうして彼はこう、自分を何も出来ない子供みたいに扱うのだろう。
今まで一人で生きて来て、無事だったのだ。これからも大丈夫だろう。一人で生きる術は、とうに身に付けていた。出会った頃の子供じゃないのに。
『光一にな、開けてもらうんがええねん』
「……は?」
全く無防備の心臓に直接届いた言葉は、馬鹿みたいに甘く響いた。口の上手い男だけれど。男相手にこの台詞は、凄いを通り越してある意味怖い。
ほんま、天性の魔性やね。翻弄されてる自分を感じながら、ロックを解除した。
最近剛は、俺を嬉しがらせる事ばかり言う。こんな風にしないで欲しい。心臓が痛かった。
見えなくなる。言ってしまいたくなる。もしかしたら、なんて。
彼が男を好きになる事等ないのは分かっていた。多分今も、心の中で同性愛を嫌悪しているだろう。
分かり切った結末を自分で迎える勇気もない癖に、言葉だけが心を裏切って零れてしまいそうだ。
好き、と告げたくなる。
「お前、また料理の腕上げたなあ」
「ほんま?」
「ぉん、上手いわ。和食出来るんはポイント高いでー」
「何のポイントやねん」
テーブルに向かい合って、食事を摂る。今では然程違和感もないこの距離。
目を合わせて、剛は味噌汁を啜った。幸福そうに細められる瞳が、立ち上った湯気で霞む。
「光一もちゃんと食べや」
「食っとるわ」
「そぉか? お前いつまで経っても小食直らんかったから、今でも心配なるねん」
純粋な感情を向けられて、答える言葉に詰まった。そんな心配せんでもええよ。お前に言われんでもちゃんと体調管理してるわ。剛が食い過ぎなんやって。
頭の中に浮かんだ言葉は、どれも相応しくなくてそのまま霧散した。彼の優しさが向けられる度、俺は視線を逸らしてしまう。
お前に心配される様な人間ちゃうから。そう言ってしまいそうになる。
俺は、大切にすべき相方に劣情を抱いてる男やで? 剛の心を傾ける価値等ない。放っておいて。気付かないで。
結末を迎えたくなくて、ずっとずっと蓋をしたままの気持ちは褪せる事なく胸の内にあった。
「光一」
「……ん?」
「お前、どっか具合悪いんちゃう?」
「え、そんな事ないと思うけど……」
食べる手を止めて、真剣に見詰めて来る瞳から逃れて小さな声で返す。具合が悪いのなんて年中だった。調子の良い時の方が少ない位。
剛だってそうやろ? こんなんもう、職業病みたいなもんや。
答えれば良いのに、翳りを帯びた瞳に魅せられて動けない。彼の手が伸びて来ても、ひたりと見詰め合ったままだった。
温かい指先が頬に触れる。労る仕草だった。
「仕事終わって飯作って、俺来るの待ってたらしんどいよな」
「そんな事っ」
「……ない? ホンマに?」
「ないわ! 俺、仕事やったら嫌な事でも何でもするけど、それ以外で自分が望まんのにやった事なんてないの知ってるやろ。俺は、嫌やったら剛と一緒にいない」
「そうやね。光一はそう言う奴やな」
「な? やから、気にせんといて。しんどい時に飯なんて作らんから」
言いながら、触れた体温をそっと離した。頬が熱い。俺達は、スキンシップが多いとは思うけれど、でも。
こんな風に優しく扱われた事なんてなかった。
「光一、顔」
「?」
「赤いで。本当に大丈夫なんか? 無理してない?」
「してへんよ。ホント、平気や」
お前が触るからだなんて言える訳もない。少しだけ怪訝そうな顔を見せた剛は、それでも納得する事にしたのか再び食事を開始した。
食事を終えて、彼が持って来たレコードを聞いた。物悲しいメロディーは、彼好みだ。
サックスの切ない音が部屋中に響き渡った。一緒にソファに座って音楽を聴く。それだけ。
視線も合わさず言葉も交わさず、唯一緒にいる事。二人に足りなかった物なのかも知れない。
日付を越えて翌日の入り時間を考え始めた頃、剛が帰ると言い出した。音楽はかけたまま、玄関に向かう。
「あれ、お前好きやろ? 置いてくな」
何も言わなかったのに、人の嗜好を完璧に把握している辺り、さすがだなあと思った。彼のこう言う心遣いはいつも感心させられる。
「ありがと」
「今度、いつにしよか? 明日明後日はスタジオやよな?」
「……うん」
「したら、明後日がええかなあ。そろそろシチューとか食べたいし」
靴を履きながら、次回の予定を立てるその後ろ姿は楽しそうだった。これからどんどんスケジュールは詰まって行く。それでも会いたいと言ってくれる。
ああ、あかんなあ俺。
剛の背中を見詰めながらそっと溜息を零した。嬉しい気持ちを持て余している。
「あ、でもスタジオやったら帰り一緒やな。出前か何か……」
「なあ、剛」
言葉を遮る様に発した声は、重い響きだった。玄関で立ち上がった剛が、視線を合わせる。一段高い所に立っている俺は、その目を見下ろす形になった。
「あんま、俺ん事ばっか構わんでええよ」
「何で?」
「……何でって。剛、友達一杯いるやん。これからスケジュール詰まるし」
「今の内に友達と遊んどけ言う事か?」
「う、ん」
「それって、俺ん事気にしてくれとんの?」
「……うん」
低い声。何かいけない事を言っただろうか。心臓が持ちそうもないから言ってしまった言葉だけど、確かに思っていた事だ。
俺ばかりに時間を費やしていたら、あかんよ。
「光一。俺は、自分の事位自分で分かるし、自分で決められる」
怖い瞳。先程体調を心配した純粋な色は何処にもなかった。同じ色を生まない彼の目は、プリズムの様だ。
光と影。相反する物が共生している。
「光一、さっき言ってくれたやん。嫌やったらやらんって。あれは違うん? 俺といるより、友達とか彼女とかといる時間大切にしたいんやったら、考えるわ」
「……嫌なんて思うた事あらへん。ホントや」
剛の黒い瞳が怖くて、けれど逸らせずに小さな声で答えた。次の瞬間、諦めた様な風情で彼が笑う。
「何が、嫌なん? 光一、困った顔しとる」
再び伸ばされた手を払って、唇を噛んだ。心臓の音が聞こえてしまいそうだ。
嫌な訳ない。そうじゃなくて。
「何も、ないで」
どくどくと耳の中に響き渡る血液の音。頬が赤く染まった。
嘘がばれてしまう。こんな顔で言うても、説得力あらへん。
現場以外ではポーカーフェイス、作れないもんやな。
優しくされる度、心が疼く。そんな事、ある訳ないのに。剛が望むのは、友情の形だ。
彼との未来を夢見る事は、やめた筈だ。けれど、まだこんなにも。
「光一?」
「……嬉しい、よ。俺も。お前と友達みたいな事出来んかったから、嬉しい」
「そ、か」
安堵して笑む口許。期待、してしまいそうや。
とうに消えた、最初からなかった希望を、見出してしまいそうになる。剛が望んでいるのは己の罪悪感の払拭と、仕事のパートナーとしての永遠の絆だけだ。
恋なんて、此処にはないのに。
気を付けて帰るんやでと言うと、子供みたいに笑んだ剛を見送って、音楽の鳴り響く部屋へ戻った。
一人の部屋は寂しい。昔も今も、ずっとずっと一人だった。誰といても、この孤独は消えない。
剛は、たった一人の存在だった。孤独の世界を、鮮やかに染め変えた人。
俺の手を引いて走る少年。
強い手、甘えた声、向けられる優しさ。全てが鮮烈な印象を纏って、今もある。
幼い憧憬は、此処にある。今もこの胸の中で飼い続けている恋情は、子供の頃の記憶と共に心臓の一番温かい場所で生きていた。
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