小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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最初から、分かっていた。
許されない関係だと知りながら手を伸ばしたのは、唯好きだったから。お互いを、誰よりも愛していたから。誰にも渡したくなかったから。
理由は単純で、けれど他人に理解されることはないのだということも充分に分かっている。誰も、許してくれなかった。
離れたら死んでしまうと思うのに、周囲の大人は自分たちの手を解こうと必死だったのだ。無理なのだと気付いてくれることはなかった。互いの手を離したら、僕たちは死んでしまうのに。
まだ幼い頃に、自分たちの判断で手を離したことがある。本当は離した訳じゃなかった。離した振りをしただけ。
大人に隠れて繋いだ手は、一度も離れることがない。多分、これから先もずっと。
けれど、剛は知っていた。
大人に嘘を吐いたあの日から、光一は苦しんでいる。間違っているものを許容出来ない潔癖の精神は、剛に好ましいものに映ったし、同時に嫌悪すべき対象でもあった。
どうして。
俺はお前がおればそれだけで良いのに、お前はあかんの? 勝手に作られた常識に縛られるの?
幼い自分は、どうしても納得出来なかった。振り返れば、あれは光一の優しさなのだと気付くことも出来る。臆病で他人との接触が苦手だった彼が、懸命に自分のことを考えてくれた。それだけのことだったのに。
大人になった剛は、今も残る光一の幼さに気付いている。彼はまだ、怯えていた。
自分との関係の異常性に。正しくないものを抱えている二人に。
怖がる光一が可愛くないと言ったら嘘になるけれど。
もっと信じて欲しかった。この愛を。逃れることの出来ない宿命を。
「パズル」
近年、仕事では別々が当たり前になってしまった。グループでいられる時間は少ない。
誰も口にしないけれど、多分みんな気付いているだろう。俺たち二人を一緒にいさせない為に、グループでの活動を減らしたのだということに。
その理由を、光一は自分以上に背負っていた。本当は、仕事だけの関係であれば良かったのだと思う。今更考えても仕方のないことを、臆病な恋人の為に考えた。
自分たちは、最初に間違えている。出会ったあの日からずっと、必要なのは互いだけだった。
二人きりになったのは、大人の強制だった筈だ。どうしようもなく不安で怖くて、だから互いに手を伸ばした。体温でしか癒せないものがあることを、多分他の子供たちより切実に感じていたのだ。
伸ばした手を、後悔することなんて出来ない。光一を愛した記憶全てが剛にとっての宝物だった。
彼が罪悪感を抱く度、辛い気持ちと堪え切れない幸福感が剛の心臓を支配する。愛されているのだと、実感出来た。
「こぉいちさん」
「……ん?」
呼んだ先の反応は遅い。ソファに懐いていた光一は、先刻から余り動いていなかった。眠ったのかとも思ったけれど、唯微睡んでいるだけだ。
同じ部屋で同じ時間を過ごす。何でもないことで満ち足りた気持ちになった。光一が傍にいる。それだけで良かった。
同じソファに座って、剛は雑誌を読む。長い沈黙の後に普通の声で名前を呼ぶのも慣れた光景だった。
仕事で一緒にいられないのなら、二人の時間を二人で作るしかない。近い場所に住んだのもその為だった。一緒にいたい。単純な欲求だった。
雑誌に目を遣ったまま、手探りで光一のうなじに触れる。俯せになった状態で、何をするでもなく傍にいる彼は、本物の猫のようだった。
剛が猫を飼う気にならないのは、大きな猫が一緒にいるせいなのだと思う。光一以外の猫はいらなかった。これ以上気分屋の生き物を飼う精神的余裕は、剛にない。
おざなりに髪を梳きながら、なるべく何でもない仕草で呟いた。触れたうなじがびくりと揺れるのを感じる。
「明後日な、飲み会あるん。一緒に行こ?」
「……行かへん」
「何で?」
「何でも何も。行かんもんは行かんの」
顔を上げないまま、子供の声音で呟いた。光一ともうずっと、一緒に出掛けていない。二人のレギュラー番組はさすがに一緒に参加するけれど、それ以外では頑なに彼が拒んだ。
二人でいることに怯えて、二人でいるリスクを恐れて。強い精神を持つ光一が、唯一弱く幼くなる瞬間だった。
俺はもう、お前と一緒にしか生きられんのにな。
誰に何を言われても、離れることなんか出来ない。弱かった自分を殴ってやりたくなった。あの日の弱さがあるから、光一は今も怯える。
二人でいることに罪悪感ばかりを抱いた。彼が安心して手を伸ばせるのは、二人きりの部屋だけだ。
可哀相に、と思った。愛することに手を繋いだことに、彼は後悔ばかりを重ねる。
「光ちゃんに会いたいってみんな言うとったで?」
「みんな?」
「ぉん、昔少し一緒になったスタッフさんがおるんや。テレビでしか見ないけど、変わってませんか? 言われてな。じゃあ、今度連れて来る言うたんや」
「勝手に約束すんな。大体俺、仕事」
「ちゃんと大丈夫な時間やもん。駄目? あかん?」
「……あかん」
「光一」
呼んで、今度はおざなりではなくきちんと手を伸ばした。嫌がる光一の腰を抱えて、膝の上に移動させる。向かい合う形で見上げれば、困ったように瞳を伏せた。可愛い人だと思う。
何年も長い時間を過ごしているのに、未だに恥ずかしそうなうぶな反応を見せた。だから、飽きないのだろう。一つ一つの仕草を記憶に留めても、まだ足りない。
「そんなに、俺と一緒にいるの嫌?」
「違う!……けど、でも」
「仕事ん時に、あーんな強気の癖して。どうして、俺とのことはいつまでたっても逃げたがるんやろな」
「剛」
「もう、俺は離れる気あらへんよ」
「俺は……お前が悪く言われんのやだ」
「光一と、男と、付き合ってるから?」
「ん」
「阿呆やな、光ちゃん。何度も言うてるやろ。お前が恋人なんて知ったら、嫌がられるどころか羨ましがられるわ」
「あり得へん」
「強情っぱりやなあ。そこが可愛いとこやけどね」
「可愛い言うな」
「こぉちゃん。俺が、守ったる」
「……違う。守るのは、俺」
「やったら、逃げんのやめよ。一緒に出掛けたって、誰も怪しまんよ。俺らはおんなじグループなんやからさ。不思議なことなんて一個もない」
「行って、ええの? 平気?」
ぎゅっと抱き着いて来た光一を、しっかりと抱き締める。強い精神を持った彼の、唯一の弱点。
唯一のものになれるのならば、弱点でも良いと剛は思っていた。目一杯悩んで苦しんで、誰にも見せない部分を自分に渡して欲しい。それが、剛の強さになった。
世界から目を背けて深い闇に落ちた精神を救った、光一の弱さ。端から見れば、確かに自分たちはおかしいのだろう。
同性だから、なんて理由ではない。おかしいと糾弾されるべき部分は、外聞的なところになかった。手を繋いで立っている、その足許にある。
支えることではなく、互いの弱さに依存することで成り立っている関係だった。けれど、なければもう生きて行けない。愚かだと笑われても良かった。
「ええよ。たまには、外に出ようや。お前最近、仕事以外で飯食ってへんやろ? ちゃんと美味しいもの食わなあかんよ」
「いらん。めんどくさいし」
「なら、おっちゃんが食わしたるわ」
「……一人で食える」
「相変わらずつれへんなあ」
「つられてたまるか」
憎まれ口を叩く位がちょうど良い。離れたがる光一が、こうして腕を伸ばして来るのが嬉しかった。
いつでも一緒にいることなんて到底無理だけれど。許された時間を、互いに許した空間を共にしたい。
人に怯えたまま大人になった光一が本当に安心出来る場所は、自分の腕の中だけだと知っていた。だからまだ、自分は闇に飲まれる訳にはいかない。
いつか、彼が消えてしまったら足許にある暗闇に全て渡しても良いと思っていた。けれど、いつかのその日まで。
痛くても苦しくても、死んでしまいたくても。ここから逃げるつもりはなかった。
死にたい、と全身が叫んでいる。細胞の一つ一つまで悲鳴を上げているのに。
必死に無視をして、唯愛する人の為に生き残る。自分が逃げたら多分、彼も死んでしまうから。
脆く強いアンバランスな身体。大切な、優しく愚かなその肌の隅々まで自分のものだった。
誰にも渡さないし、きっと誰の腕の中にも納まらない。例え、愛以外のもので自分たちが繋がっていたとしても。誰かが彼を深く愛しても。
離れることなんて、出来なかった。生きる為に傍にいる。愛する為に手を繋ぐ。他人の目を欺いても、誰に何を言われても、二人で生きて行きたかった。
静かになった光一を抱き締めたまま、剛は祈る。けれどもう、それが祈りだったのか呪いだったのかは分からなかった。
強過ぎる感情は、互いを縛る呪詛となる。
+++++
案の定、飲み会を参加しないで帰るつもりだった光一を駐車場で捕まえた。一人で帰ろうと思っているのだから、たいがい彼も考えなしだ。
マネージャーにもきちんと根回しをしていた。帰ることなんて出来る訳がないのに。小さな逃避を重ねる。
しっかりと手を繋いで車に乗り込めば、眉を寄せて光一は黙り込んだ。そんな仕草も可愛くしか見えない剛には逆効果だということに、彼は気付いていない。
店に入ると、繋いだ指先が強張るのを感じた。手を離したいとか、そう言う類いの緊張ではない。むしろもう、手を繋ぐことについては考えられていないだろう。
光一の癖。一人でいる時は堂々たるものなのに、剛が一緒だと途端に子供返りを起こす。初めての場所、知らない人、賑やかな空気、そんなものに光一は怯える。
小さく苦笑して、剛はその手を引いた。多少、見せ付ける気持ちはあったかも知れない。しかもそれは、相方や恋人としてではなく、自慢の子供を見せる父親の心境に近かった。
可愛く綺麗な光一を傍に置いている優越感が強いことに、剛自身が気付いている。自慢したくて仕方なかった。同時に誰にも見せたくなかった。
一通り挨拶をさせると、自分の隣に座らせる。声を掛けて来る人間を把握しておきたかったからだ。
「なあ、剛」
「ん?」
「俺、ええのかな。全然知らん人たちばっかりなんやけど」
「ええの、ええの。俺の相方なんやから。何の問題もあらへんやろ」
「そりゃ、そうやけど……」
「気にしないで、たまにはちゃんと食べて飲みなさい」
「……ちゃんと食ってる」
「はいはい」
BGMに負けてしまいそうな音量で呟く光一の背中を撫でてやると、適当に置かれたアルコールを手にした。今日の集まりは、剛のスタッフを中心に音楽関係の仲間が集まったものだ。
剛が知らない人間も沢山いた。たまには大きなお疲れさん会でもやるか、と言い出したのは剛本人だけど、セッティングをしたのはスタッフだから、黙って店内を観察した。
スタッフの知人とか、友人の友人なんていうのも混じっているのだろう。基本は音楽業界の人間だから、どこのテーブルでも大体が音楽談義になった。剛と光一の座るテーブルも、知っている人間知らない人間を混ぜながら、近年の音楽の多様性についての話になる。
隣に座る光一は、小さく頷くだけだった。普段の会議中の我の強さすら感じる姿はどこにもない。完全オフの恋人は、庇護欲をそそるばかりだった。
「光一さんは、自分で作曲もされますよね? 打ち込みですか? それとも生で?」
「……基本は、打ち込みが多いです。俺、あんま楽器いじれんから」
「いやいや、打ち込み出来るだけでも凄いですよ。僕はギター一筋だから、機械はからっきしなんですよね」
にこやかに話し掛けている男は直接の知り合いではないけれど、見たことがある。真っ直ぐ過ぎる視線が、光一への好意を示していた。
基本的に女より男にもてる人間である。大体予想していたことだから驚くこともないけれど、三十手前になってもまだそのあどけなさで人を誘惑するのかと思うと、少し笑えた。
瞳を伏せて、手許ではグラスを弄りながら、それでも懸命に笑おうとしている姿が、どれだけこの男を煽っているのか。同性の愛に怯える位なら、まずその態度を直せと言ってやりたかった。
自分との関係から逃げようとする癖に、今この瞬間でさえ雄を誘うその矛盾。
「光一」
「なに?」
勝手に光一を誉めて盛り上がっている会話の中から連れ出すべく声を掛ける。救われたように顔を上げるから居た堪れなかった。
「何飲む?」
「……何でも」
「相変わらず主体性ない子ぉやね。酒飲むか? ウーロン茶にしとく?」
「任せる。帰りも一緒やろ?」
「うん、ならウーロン茶にしよな。帰れなくなると困るし」
「ん」
素直に頷いた光一の頭を撫でてやれば、柔らかい表情を見せる。目の前の男が僅かに息を呑んだ。光一の表情の変化をきちんと見つめている。
誰の手にも懐かない猫は、唯一の場所でだけ柔らかな息遣いに変わった。家の中にいる時には感じられない変化だ。
光一に会いたいと言っていたスタッフがいたのは本当だけど、多分自分はこの表情を見たかった。他人に怯えて、唯一のものになる感覚。これからの人生で二人の関係がどう変わっていくかは分からないけれど、こんな風に光一が手を伸ばすのは生涯自分一人だと思う。
せっかく連れて来たのに、今すぐ二人きりになりたくなってしまった。現金な自分を笑うことすら出来ない。
光一は、運ばれて来たウーロン茶をちびちび口に含みながら、別のテーブルから話し掛けて来るスタッフの言葉に耳を傾けていた。そのスタッフは一緒に仕事をしたことがあるから、少し警戒心は薄い。目の前で動かない男が、何かに気付いたように剛を見た。
勘は良い。でも、だからといって何が変わる訳でもなかった。
今度は声に出さず、そっと光一の指先に触れる。きっとそれだけで理解すると思った。顔には出さず、でも全て理解したようにゆっくり瞬く。小さな合図。
鈍感な癖に、自分とのことだけには随分と察しが良い。嬉しくなった。やはり、今すぐ二人きりになりたい。
「ちょぉすいません。俺、トイレ」
立ち上がった光一は剛を振り返りもせずに席を立った。誰も気付かない。この喧騒の中で二人が欠けても、問題はないだろう。一応、発案者なのだからまだ帰る訳にはいかないけれど。
少し間を空けて、剛も席を立った。相方とタイミングが同じなんて恥ずかしいですわ、なんて言い訳をしながら。騙されなかったのは、光一に好意を向けていたあの男だけだろう。
今日は店自体を貸切にしている。トイレには行っていないだろうと思い、そのまま外に出た。案の定、扉の脇でちょこんと光一がしゃがんでいる。
「光一」
「帰るの?」
「違う。二人になりたかった」
「……っそんなんやったら、俺戻る」
「光ちゃん」
「やだ」
「強情張らんで。みんなのいる前では我慢したんやから」
「当たり前や、そんなん」
「言うこと、聞いて? ホントは帰りたいんやけど、さすがにまだ出れへんからさ」
「……やから、剛と一緒は嫌なんや」
「誰も見てへんよ」
店は地下にある。外に出たといっても、誰かの目に触れる心配はほとんどなかった。きちんと計算して、今日ここに光一を呼んでいる。彼が嫌がるリスクはなるべく抑えてやりたかった。
一緒に隣に座り込む。視線を合わせない光一が何を考えているのかなんて、分かりすぎる位分かっていた。
彼が考えるのは、いつだって自分のリスクだ。手を繋いでしまった罪悪感を、常に胸に抱いていた。一緒にいてくれるのは、後悔よりも強い愛情があるから。
「こぉいち。手、繋いでもええ?」
「……嫌、言うたらやめてくれんの?」
「はは。お前は俺んこと、よぉ分かってんなあ」
「誰でも分かるわ、そんなん」
言いながら、控えめに差し出された手を握り締める。なるべく優しい力を心掛けた。無理やり奪うような時期は、とうに過ぎている。
掌を重ねて、指先を絡めた。近い体温は、何よりも尊いものに感じた。剛はキスが好きだけど、光一は手を繋ぐのが好きだ。
安心した分だけ痛みを負うのに、彼は臆することなく繋がれた手を愛しいものだと言った。苦しい気持ちを持て余しながら、それでも尚愛を信じる。
最後の最後で強い人だった。守ってやりたくなる程臆病なのに、痛みを超える強さを持っている。だから、目を離すことが出来なかった。
アンバランスな光一の手を、ずっと繋いでいたい。
「いつになったら、光一は怖がるのやめるんかなあ」
「お前が結婚するまで」
「光ちゃんと?」
「阿呆か」
「阿呆とちゃうよ。やって俺、お前以外と結婚する気あらへんもん」
「俺はいやや」
「うん、お前はな。お前がそうやって我儘通すんなら、俺やって通したる。俺は、光一以外の人間の手を取るつもりはあらへん。光一が嫌がっても逃げ出したくても、離さへんよ」
「俺なんかの、どこがええの?」
「全部。……じゃあ、光ちゃんは俺のどこが良くて、俺と一緒にいてくれるの?」
「剛は……」
「ん?」
「良いとか、悪いとか。そんなんで考えられへん。剛やから、ええの」
「じゃあ、俺もおんなじ。な? あんま難しく考えんな」
「難しくない。でも、俺と一緒にいるのはあかん」
「光一。俺、強くなったよ? お前と一緒にいることを怖がらない位、強くなった」
言いながら、顔を覗き込む。いつまでたっても愛情は堂々巡りだった。お互いシンプルなところに立ち返れば、単純に互いが好きなだけなのに。
長い年月と二人の臆病さが、全てを駄目にする。光一はいつまでも前に進もうとしなかった。離れる術を今もまだ探している。
不毛だと思うのに、その愛情が嬉しいとも思った。長い時間が自分の愛情を複雑なものにしている。
「何で、こんな、なんやろな……」
「うん?」
「何でこんな、剛だけなんやろ」
「運命だから?」
「そんな運命いらん」
「俺は、欲しいよ。光一が俺のものになるんなら、愛情でも運命でも他人の誹謗中傷でも、何でも欲しい」
「つよ、」
「そろそろ観念しようや。もう、三十路やで? こっから俺、新しい人見つけなあかんの?」
「……うん」
「そしたら、俺生涯一人やぞ」
「違う。きっと、ちゃんとした運命の人みつかる」
「ちゃんとした、って何なん? 俺は、光一しか欲しくないの。お前が離れるんやったら、俺はもう一人になるしかないで」
「何でそんな、哀しいこと……」
「哀しいこと言ってんのはお前やし、言わせてんのもお前。分かってる?」
恋人を待つ辛抱強さはきちんと持ち合わせているつもりだが、残念ながら剛は気が長い方ではない。重い溜め息を零すと、腕を引いて抱き締めるのではなく肩を引き寄せた。
相方という関係で言い訳出来るぎりぎりのライン。何も、光一ばかりが気にしているのではない。剛も剛なりに、世間的な立場を考えていた。
理性で懸命に抑えながら傍にいる。多分、何が最後に残るか、なのだ。世間の目や一般論なんかより、光一への愛情が最優先された。光一より余程残酷だろう。
剛の中に、「幸福」という選択肢はなかった。唯、欲しいものを欲しいと言うだけ。魂の欲求のまま手を伸ばす。そこに、計算はなかった。不幸でも構わない。彼が、傍にいるのなら。
「お前は、いつになったら俺を選んでくれるんやろな」
「嫌や。剛なんか選ばへん」
「いつもの強気で、俺んことも欲しがってくれればええのにな。もう、手遅れなんよ」
「そんなん言うな。俺は、苦しそうな剛を見たくない。お前には、ずっと笑ってて欲しい」
「ぉん、だから一緒にいてくれるんちゃうの? 俺は光一が一緒やから笑えるし、光一がいるから、まだ生きて行こう思えるんよ」
「……生き、て?」
「うん。光ちゃんが傍にいないんやったら、この世界にいる意味ない」
「っ駄目」
光一は、剛の足元に巣食う闇に酷く怯えた。十代の頃の苦い記憶。この恋に苦しんで、いっそ闇に堕ちてしまおうと思った。
あの時の恐怖を明確に思い出した顔で、光一は唇を噛んだ。可哀相で可愛い表情だ。
「やろ? やったら、傍におって。お前、俺が好きやろ?」
「好きなのなんて、当たり前や。でも、こんな風にずっと傍にいられない」
「何で?……ってもう、何度も繰り返したな。ええよ、そしたら。お前が一生を怖がるんなら、先のことなんて考えんのやめよ」
「剛?」
「いつもみたく、『今』のことだけ考えよ。今が積み重なれば、きっと永遠になる」
幾ら言葉を尽くしても、多分逃げることばかりを考える光一には理解出来ないだろう。それなら、もっともっと時間を掛ければ良い。構わない。ここに来るまでだって、十年以上掛かったのだ。
死が二人を分かつまで、堂々巡りを続ければ良い。何度だって言ってやる。傍にいて欲しい、と。お前だけが全てなのだと。
愛よりも強い、呪詛の言葉で。
「さ、とりあえず戻るか。まだ盛り上がってるやろなあ」
「……うん」
繋いだ手を引いて立ち上がった。まだ状況を飲み込めてないみたいな表情が愛しい。やっぱり勿体ないから、仕事以外は部屋に閉じ込めてしまおうと決めた。
こんな頼りなげな光一は、心臓に悪過ぎる。指先を解くこともせず見つめて来るなんて、凶悪以外の何物でもなかった。
繋いだ指の先から融合して、一つのものになりたいと何度も思った。
けれど、その度に思い知らされる。別々の存在だから、確かめることが出来るのだと。違う体温が心地良いのだと。
光一は、今もまだ逃げ続ける。二人の関係の距離感が掴めないまま、いつまでも幸福の道を探していた。
ここにあるよ、と教えてやりたい。俺の幸せは、お前が全部持ってる。
一向に理解しようとしない頭の固い恋人を抱き寄せて、何度も何度も繰り返せば良かった。愛してる、と傍にいて。その細胞まで記憶する程に。逃げ道なんて用意させない。
ちょっと異質で異端な二人の関係は、きっとこれからも飽きることなく続いていくだろう。彼と手を繋いでいられるのなら、それも悪くない。
永遠に解けないパズルが目の前にあるようなものだった。光一の望む幸福は、どこにもない。
剛は小さく笑って、隣に座る恋人のうなじを撫でた。臆病な猫は、その仕草に敏感に反応する。可愛いな、と思いながら喧騒の中で早く帰ることばかりを考えていた。
おしまい
BUENA SUERTE !
08/05/03 issue
■Greeting■
こんにちは。もしくは初めまして。椿本 爽と申します。今回は委託での参加となりました。桜井さん、本当にありがとうございます。相変わらずお世話になっています。
さて、「スシ王子」のPRに踊らされた4月でしたが、司ちゃんのシングル発売で一応打ち止めですかね。本当に忙しかった……。追いかける方でこれなんだから、光一さんはどれだけ忙しかったんだか。
残念なことに、まだCDを引き取りに行けてません(泣)。DVDが素敵らしいとの話なので早く見たいです。こんなに可愛い光一さんばかり見られて良いのかな、とちょっと不安になる位なんですけどね。
映画は普通に楽しかったです♪色々とホントに下らない感は満載でしたが、でもエンターテイメントとしては良いのかも知れません。ドラマをほとんど見ないで行ったので、あーこう言うことをやりたかったんだな、ってやっと分かった気もします。
ファミマでうっかりレインボーロールを買ってみたり、ちょいちょいスシ王子に踊らされております(笑)。おかしいなあ。あんまり食い付いていない筈だったのになー。
そんなこんなでのんびりキンキさんを追いかけている今日この頃です。どんな〆だって感じですが、この辺で。またどこかでお会いしましょう。
■information■
普段は、亀より遅いサイトの運営をしております。宜しければ、ふらりと立ち寄って下さいませ。
「SUERTE」 http://tomorrow02.hp.infoseek.co.jp/
■Ahead communicating■
感想・苦情等何でも受け付けております。……お手柔らかにお願い致します。
mail:happy_21@mac.com
■Guide of book■
<新刊>
「blanco SUERTE 01」 P100/\1,000-
+合同誌総集編です。2003年から2006年に掛けての7冊分のお話を収録しました。残念ながら、書き下ろしはありません。あしからず。
<既刊>
「空に憧れた魚、海の底を夢見た鳥」 P36/¥300-
+禁断の「解散」話。2006年の年末から2008年頭に掛けての設定です。暗い話を淡々とした筆致で書く、と言うのを目指しました。余り後味悪くないように書いたつもりですが、お口に会わない方は多そうです……。
許されない関係だと知りながら手を伸ばしたのは、唯好きだったから。お互いを、誰よりも愛していたから。誰にも渡したくなかったから。
理由は単純で、けれど他人に理解されることはないのだということも充分に分かっている。誰も、許してくれなかった。
離れたら死んでしまうと思うのに、周囲の大人は自分たちの手を解こうと必死だったのだ。無理なのだと気付いてくれることはなかった。互いの手を離したら、僕たちは死んでしまうのに。
まだ幼い頃に、自分たちの判断で手を離したことがある。本当は離した訳じゃなかった。離した振りをしただけ。
大人に隠れて繋いだ手は、一度も離れることがない。多分、これから先もずっと。
けれど、剛は知っていた。
大人に嘘を吐いたあの日から、光一は苦しんでいる。間違っているものを許容出来ない潔癖の精神は、剛に好ましいものに映ったし、同時に嫌悪すべき対象でもあった。
どうして。
俺はお前がおればそれだけで良いのに、お前はあかんの? 勝手に作られた常識に縛られるの?
幼い自分は、どうしても納得出来なかった。振り返れば、あれは光一の優しさなのだと気付くことも出来る。臆病で他人との接触が苦手だった彼が、懸命に自分のことを考えてくれた。それだけのことだったのに。
大人になった剛は、今も残る光一の幼さに気付いている。彼はまだ、怯えていた。
自分との関係の異常性に。正しくないものを抱えている二人に。
怖がる光一が可愛くないと言ったら嘘になるけれど。
もっと信じて欲しかった。この愛を。逃れることの出来ない宿命を。
「パズル」
近年、仕事では別々が当たり前になってしまった。グループでいられる時間は少ない。
誰も口にしないけれど、多分みんな気付いているだろう。俺たち二人を一緒にいさせない為に、グループでの活動を減らしたのだということに。
その理由を、光一は自分以上に背負っていた。本当は、仕事だけの関係であれば良かったのだと思う。今更考えても仕方のないことを、臆病な恋人の為に考えた。
自分たちは、最初に間違えている。出会ったあの日からずっと、必要なのは互いだけだった。
二人きりになったのは、大人の強制だった筈だ。どうしようもなく不安で怖くて、だから互いに手を伸ばした。体温でしか癒せないものがあることを、多分他の子供たちより切実に感じていたのだ。
伸ばした手を、後悔することなんて出来ない。光一を愛した記憶全てが剛にとっての宝物だった。
彼が罪悪感を抱く度、辛い気持ちと堪え切れない幸福感が剛の心臓を支配する。愛されているのだと、実感出来た。
「こぉいちさん」
「……ん?」
呼んだ先の反応は遅い。ソファに懐いていた光一は、先刻から余り動いていなかった。眠ったのかとも思ったけれど、唯微睡んでいるだけだ。
同じ部屋で同じ時間を過ごす。何でもないことで満ち足りた気持ちになった。光一が傍にいる。それだけで良かった。
同じソファに座って、剛は雑誌を読む。長い沈黙の後に普通の声で名前を呼ぶのも慣れた光景だった。
仕事で一緒にいられないのなら、二人の時間を二人で作るしかない。近い場所に住んだのもその為だった。一緒にいたい。単純な欲求だった。
雑誌に目を遣ったまま、手探りで光一のうなじに触れる。俯せになった状態で、何をするでもなく傍にいる彼は、本物の猫のようだった。
剛が猫を飼う気にならないのは、大きな猫が一緒にいるせいなのだと思う。光一以外の猫はいらなかった。これ以上気分屋の生き物を飼う精神的余裕は、剛にない。
おざなりに髪を梳きながら、なるべく何でもない仕草で呟いた。触れたうなじがびくりと揺れるのを感じる。
「明後日な、飲み会あるん。一緒に行こ?」
「……行かへん」
「何で?」
「何でも何も。行かんもんは行かんの」
顔を上げないまま、子供の声音で呟いた。光一ともうずっと、一緒に出掛けていない。二人のレギュラー番組はさすがに一緒に参加するけれど、それ以外では頑なに彼が拒んだ。
二人でいることに怯えて、二人でいるリスクを恐れて。強い精神を持つ光一が、唯一弱く幼くなる瞬間だった。
俺はもう、お前と一緒にしか生きられんのにな。
誰に何を言われても、離れることなんか出来ない。弱かった自分を殴ってやりたくなった。あの日の弱さがあるから、光一は今も怯える。
二人でいることに罪悪感ばかりを抱いた。彼が安心して手を伸ばせるのは、二人きりの部屋だけだ。
可哀相に、と思った。愛することに手を繋いだことに、彼は後悔ばかりを重ねる。
「光ちゃんに会いたいってみんな言うとったで?」
「みんな?」
「ぉん、昔少し一緒になったスタッフさんがおるんや。テレビでしか見ないけど、変わってませんか? 言われてな。じゃあ、今度連れて来る言うたんや」
「勝手に約束すんな。大体俺、仕事」
「ちゃんと大丈夫な時間やもん。駄目? あかん?」
「……あかん」
「光一」
呼んで、今度はおざなりではなくきちんと手を伸ばした。嫌がる光一の腰を抱えて、膝の上に移動させる。向かい合う形で見上げれば、困ったように瞳を伏せた。可愛い人だと思う。
何年も長い時間を過ごしているのに、未だに恥ずかしそうなうぶな反応を見せた。だから、飽きないのだろう。一つ一つの仕草を記憶に留めても、まだ足りない。
「そんなに、俺と一緒にいるの嫌?」
「違う!……けど、でも」
「仕事ん時に、あーんな強気の癖して。どうして、俺とのことはいつまでたっても逃げたがるんやろな」
「剛」
「もう、俺は離れる気あらへんよ」
「俺は……お前が悪く言われんのやだ」
「光一と、男と、付き合ってるから?」
「ん」
「阿呆やな、光ちゃん。何度も言うてるやろ。お前が恋人なんて知ったら、嫌がられるどころか羨ましがられるわ」
「あり得へん」
「強情っぱりやなあ。そこが可愛いとこやけどね」
「可愛い言うな」
「こぉちゃん。俺が、守ったる」
「……違う。守るのは、俺」
「やったら、逃げんのやめよ。一緒に出掛けたって、誰も怪しまんよ。俺らはおんなじグループなんやからさ。不思議なことなんて一個もない」
「行って、ええの? 平気?」
ぎゅっと抱き着いて来た光一を、しっかりと抱き締める。強い精神を持った彼の、唯一の弱点。
唯一のものになれるのならば、弱点でも良いと剛は思っていた。目一杯悩んで苦しんで、誰にも見せない部分を自分に渡して欲しい。それが、剛の強さになった。
世界から目を背けて深い闇に落ちた精神を救った、光一の弱さ。端から見れば、確かに自分たちはおかしいのだろう。
同性だから、なんて理由ではない。おかしいと糾弾されるべき部分は、外聞的なところになかった。手を繋いで立っている、その足許にある。
支えることではなく、互いの弱さに依存することで成り立っている関係だった。けれど、なければもう生きて行けない。愚かだと笑われても良かった。
「ええよ。たまには、外に出ようや。お前最近、仕事以外で飯食ってへんやろ? ちゃんと美味しいもの食わなあかんよ」
「いらん。めんどくさいし」
「なら、おっちゃんが食わしたるわ」
「……一人で食える」
「相変わらずつれへんなあ」
「つられてたまるか」
憎まれ口を叩く位がちょうど良い。離れたがる光一が、こうして腕を伸ばして来るのが嬉しかった。
いつでも一緒にいることなんて到底無理だけれど。許された時間を、互いに許した空間を共にしたい。
人に怯えたまま大人になった光一が本当に安心出来る場所は、自分の腕の中だけだと知っていた。だからまだ、自分は闇に飲まれる訳にはいかない。
いつか、彼が消えてしまったら足許にある暗闇に全て渡しても良いと思っていた。けれど、いつかのその日まで。
痛くても苦しくても、死んでしまいたくても。ここから逃げるつもりはなかった。
死にたい、と全身が叫んでいる。細胞の一つ一つまで悲鳴を上げているのに。
必死に無視をして、唯愛する人の為に生き残る。自分が逃げたら多分、彼も死んでしまうから。
脆く強いアンバランスな身体。大切な、優しく愚かなその肌の隅々まで自分のものだった。
誰にも渡さないし、きっと誰の腕の中にも納まらない。例え、愛以外のもので自分たちが繋がっていたとしても。誰かが彼を深く愛しても。
離れることなんて、出来なかった。生きる為に傍にいる。愛する為に手を繋ぐ。他人の目を欺いても、誰に何を言われても、二人で生きて行きたかった。
静かになった光一を抱き締めたまま、剛は祈る。けれどもう、それが祈りだったのか呪いだったのかは分からなかった。
強過ぎる感情は、互いを縛る呪詛となる。
+++++
案の定、飲み会を参加しないで帰るつもりだった光一を駐車場で捕まえた。一人で帰ろうと思っているのだから、たいがい彼も考えなしだ。
マネージャーにもきちんと根回しをしていた。帰ることなんて出来る訳がないのに。小さな逃避を重ねる。
しっかりと手を繋いで車に乗り込めば、眉を寄せて光一は黙り込んだ。そんな仕草も可愛くしか見えない剛には逆効果だということに、彼は気付いていない。
店に入ると、繋いだ指先が強張るのを感じた。手を離したいとか、そう言う類いの緊張ではない。むしろもう、手を繋ぐことについては考えられていないだろう。
光一の癖。一人でいる時は堂々たるものなのに、剛が一緒だと途端に子供返りを起こす。初めての場所、知らない人、賑やかな空気、そんなものに光一は怯える。
小さく苦笑して、剛はその手を引いた。多少、見せ付ける気持ちはあったかも知れない。しかもそれは、相方や恋人としてではなく、自慢の子供を見せる父親の心境に近かった。
可愛く綺麗な光一を傍に置いている優越感が強いことに、剛自身が気付いている。自慢したくて仕方なかった。同時に誰にも見せたくなかった。
一通り挨拶をさせると、自分の隣に座らせる。声を掛けて来る人間を把握しておきたかったからだ。
「なあ、剛」
「ん?」
「俺、ええのかな。全然知らん人たちばっかりなんやけど」
「ええの、ええの。俺の相方なんやから。何の問題もあらへんやろ」
「そりゃ、そうやけど……」
「気にしないで、たまにはちゃんと食べて飲みなさい」
「……ちゃんと食ってる」
「はいはい」
BGMに負けてしまいそうな音量で呟く光一の背中を撫でてやると、適当に置かれたアルコールを手にした。今日の集まりは、剛のスタッフを中心に音楽関係の仲間が集まったものだ。
剛が知らない人間も沢山いた。たまには大きなお疲れさん会でもやるか、と言い出したのは剛本人だけど、セッティングをしたのはスタッフだから、黙って店内を観察した。
スタッフの知人とか、友人の友人なんていうのも混じっているのだろう。基本は音楽業界の人間だから、どこのテーブルでも大体が音楽談義になった。剛と光一の座るテーブルも、知っている人間知らない人間を混ぜながら、近年の音楽の多様性についての話になる。
隣に座る光一は、小さく頷くだけだった。普段の会議中の我の強さすら感じる姿はどこにもない。完全オフの恋人は、庇護欲をそそるばかりだった。
「光一さんは、自分で作曲もされますよね? 打ち込みですか? それとも生で?」
「……基本は、打ち込みが多いです。俺、あんま楽器いじれんから」
「いやいや、打ち込み出来るだけでも凄いですよ。僕はギター一筋だから、機械はからっきしなんですよね」
にこやかに話し掛けている男は直接の知り合いではないけれど、見たことがある。真っ直ぐ過ぎる視線が、光一への好意を示していた。
基本的に女より男にもてる人間である。大体予想していたことだから驚くこともないけれど、三十手前になってもまだそのあどけなさで人を誘惑するのかと思うと、少し笑えた。
瞳を伏せて、手許ではグラスを弄りながら、それでも懸命に笑おうとしている姿が、どれだけこの男を煽っているのか。同性の愛に怯える位なら、まずその態度を直せと言ってやりたかった。
自分との関係から逃げようとする癖に、今この瞬間でさえ雄を誘うその矛盾。
「光一」
「なに?」
勝手に光一を誉めて盛り上がっている会話の中から連れ出すべく声を掛ける。救われたように顔を上げるから居た堪れなかった。
「何飲む?」
「……何でも」
「相変わらず主体性ない子ぉやね。酒飲むか? ウーロン茶にしとく?」
「任せる。帰りも一緒やろ?」
「うん、ならウーロン茶にしよな。帰れなくなると困るし」
「ん」
素直に頷いた光一の頭を撫でてやれば、柔らかい表情を見せる。目の前の男が僅かに息を呑んだ。光一の表情の変化をきちんと見つめている。
誰の手にも懐かない猫は、唯一の場所でだけ柔らかな息遣いに変わった。家の中にいる時には感じられない変化だ。
光一に会いたいと言っていたスタッフがいたのは本当だけど、多分自分はこの表情を見たかった。他人に怯えて、唯一のものになる感覚。これからの人生で二人の関係がどう変わっていくかは分からないけれど、こんな風に光一が手を伸ばすのは生涯自分一人だと思う。
せっかく連れて来たのに、今すぐ二人きりになりたくなってしまった。現金な自分を笑うことすら出来ない。
光一は、運ばれて来たウーロン茶をちびちび口に含みながら、別のテーブルから話し掛けて来るスタッフの言葉に耳を傾けていた。そのスタッフは一緒に仕事をしたことがあるから、少し警戒心は薄い。目の前で動かない男が、何かに気付いたように剛を見た。
勘は良い。でも、だからといって何が変わる訳でもなかった。
今度は声に出さず、そっと光一の指先に触れる。きっとそれだけで理解すると思った。顔には出さず、でも全て理解したようにゆっくり瞬く。小さな合図。
鈍感な癖に、自分とのことだけには随分と察しが良い。嬉しくなった。やはり、今すぐ二人きりになりたい。
「ちょぉすいません。俺、トイレ」
立ち上がった光一は剛を振り返りもせずに席を立った。誰も気付かない。この喧騒の中で二人が欠けても、問題はないだろう。一応、発案者なのだからまだ帰る訳にはいかないけれど。
少し間を空けて、剛も席を立った。相方とタイミングが同じなんて恥ずかしいですわ、なんて言い訳をしながら。騙されなかったのは、光一に好意を向けていたあの男だけだろう。
今日は店自体を貸切にしている。トイレには行っていないだろうと思い、そのまま外に出た。案の定、扉の脇でちょこんと光一がしゃがんでいる。
「光一」
「帰るの?」
「違う。二人になりたかった」
「……っそんなんやったら、俺戻る」
「光ちゃん」
「やだ」
「強情張らんで。みんなのいる前では我慢したんやから」
「当たり前や、そんなん」
「言うこと、聞いて? ホントは帰りたいんやけど、さすがにまだ出れへんからさ」
「……やから、剛と一緒は嫌なんや」
「誰も見てへんよ」
店は地下にある。外に出たといっても、誰かの目に触れる心配はほとんどなかった。きちんと計算して、今日ここに光一を呼んでいる。彼が嫌がるリスクはなるべく抑えてやりたかった。
一緒に隣に座り込む。視線を合わせない光一が何を考えているのかなんて、分かりすぎる位分かっていた。
彼が考えるのは、いつだって自分のリスクだ。手を繋いでしまった罪悪感を、常に胸に抱いていた。一緒にいてくれるのは、後悔よりも強い愛情があるから。
「こぉいち。手、繋いでもええ?」
「……嫌、言うたらやめてくれんの?」
「はは。お前は俺んこと、よぉ分かってんなあ」
「誰でも分かるわ、そんなん」
言いながら、控えめに差し出された手を握り締める。なるべく優しい力を心掛けた。無理やり奪うような時期は、とうに過ぎている。
掌を重ねて、指先を絡めた。近い体温は、何よりも尊いものに感じた。剛はキスが好きだけど、光一は手を繋ぐのが好きだ。
安心した分だけ痛みを負うのに、彼は臆することなく繋がれた手を愛しいものだと言った。苦しい気持ちを持て余しながら、それでも尚愛を信じる。
最後の最後で強い人だった。守ってやりたくなる程臆病なのに、痛みを超える強さを持っている。だから、目を離すことが出来なかった。
アンバランスな光一の手を、ずっと繋いでいたい。
「いつになったら、光一は怖がるのやめるんかなあ」
「お前が結婚するまで」
「光ちゃんと?」
「阿呆か」
「阿呆とちゃうよ。やって俺、お前以外と結婚する気あらへんもん」
「俺はいやや」
「うん、お前はな。お前がそうやって我儘通すんなら、俺やって通したる。俺は、光一以外の人間の手を取るつもりはあらへん。光一が嫌がっても逃げ出したくても、離さへんよ」
「俺なんかの、どこがええの?」
「全部。……じゃあ、光ちゃんは俺のどこが良くて、俺と一緒にいてくれるの?」
「剛は……」
「ん?」
「良いとか、悪いとか。そんなんで考えられへん。剛やから、ええの」
「じゃあ、俺もおんなじ。な? あんま難しく考えんな」
「難しくない。でも、俺と一緒にいるのはあかん」
「光一。俺、強くなったよ? お前と一緒にいることを怖がらない位、強くなった」
言いながら、顔を覗き込む。いつまでたっても愛情は堂々巡りだった。お互いシンプルなところに立ち返れば、単純に互いが好きなだけなのに。
長い年月と二人の臆病さが、全てを駄目にする。光一はいつまでも前に進もうとしなかった。離れる術を今もまだ探している。
不毛だと思うのに、その愛情が嬉しいとも思った。長い時間が自分の愛情を複雑なものにしている。
「何で、こんな、なんやろな……」
「うん?」
「何でこんな、剛だけなんやろ」
「運命だから?」
「そんな運命いらん」
「俺は、欲しいよ。光一が俺のものになるんなら、愛情でも運命でも他人の誹謗中傷でも、何でも欲しい」
「つよ、」
「そろそろ観念しようや。もう、三十路やで? こっから俺、新しい人見つけなあかんの?」
「……うん」
「そしたら、俺生涯一人やぞ」
「違う。きっと、ちゃんとした運命の人みつかる」
「ちゃんとした、って何なん? 俺は、光一しか欲しくないの。お前が離れるんやったら、俺はもう一人になるしかないで」
「何でそんな、哀しいこと……」
「哀しいこと言ってんのはお前やし、言わせてんのもお前。分かってる?」
恋人を待つ辛抱強さはきちんと持ち合わせているつもりだが、残念ながら剛は気が長い方ではない。重い溜め息を零すと、腕を引いて抱き締めるのではなく肩を引き寄せた。
相方という関係で言い訳出来るぎりぎりのライン。何も、光一ばかりが気にしているのではない。剛も剛なりに、世間的な立場を考えていた。
理性で懸命に抑えながら傍にいる。多分、何が最後に残るか、なのだ。世間の目や一般論なんかより、光一への愛情が最優先された。光一より余程残酷だろう。
剛の中に、「幸福」という選択肢はなかった。唯、欲しいものを欲しいと言うだけ。魂の欲求のまま手を伸ばす。そこに、計算はなかった。不幸でも構わない。彼が、傍にいるのなら。
「お前は、いつになったら俺を選んでくれるんやろな」
「嫌や。剛なんか選ばへん」
「いつもの強気で、俺んことも欲しがってくれればええのにな。もう、手遅れなんよ」
「そんなん言うな。俺は、苦しそうな剛を見たくない。お前には、ずっと笑ってて欲しい」
「ぉん、だから一緒にいてくれるんちゃうの? 俺は光一が一緒やから笑えるし、光一がいるから、まだ生きて行こう思えるんよ」
「……生き、て?」
「うん。光ちゃんが傍にいないんやったら、この世界にいる意味ない」
「っ駄目」
光一は、剛の足元に巣食う闇に酷く怯えた。十代の頃の苦い記憶。この恋に苦しんで、いっそ闇に堕ちてしまおうと思った。
あの時の恐怖を明確に思い出した顔で、光一は唇を噛んだ。可哀相で可愛い表情だ。
「やろ? やったら、傍におって。お前、俺が好きやろ?」
「好きなのなんて、当たり前や。でも、こんな風にずっと傍にいられない」
「何で?……ってもう、何度も繰り返したな。ええよ、そしたら。お前が一生を怖がるんなら、先のことなんて考えんのやめよ」
「剛?」
「いつもみたく、『今』のことだけ考えよ。今が積み重なれば、きっと永遠になる」
幾ら言葉を尽くしても、多分逃げることばかりを考える光一には理解出来ないだろう。それなら、もっともっと時間を掛ければ良い。構わない。ここに来るまでだって、十年以上掛かったのだ。
死が二人を分かつまで、堂々巡りを続ければ良い。何度だって言ってやる。傍にいて欲しい、と。お前だけが全てなのだと。
愛よりも強い、呪詛の言葉で。
「さ、とりあえず戻るか。まだ盛り上がってるやろなあ」
「……うん」
繋いだ手を引いて立ち上がった。まだ状況を飲み込めてないみたいな表情が愛しい。やっぱり勿体ないから、仕事以外は部屋に閉じ込めてしまおうと決めた。
こんな頼りなげな光一は、心臓に悪過ぎる。指先を解くこともせず見つめて来るなんて、凶悪以外の何物でもなかった。
繋いだ指の先から融合して、一つのものになりたいと何度も思った。
けれど、その度に思い知らされる。別々の存在だから、確かめることが出来るのだと。違う体温が心地良いのだと。
光一は、今もまだ逃げ続ける。二人の関係の距離感が掴めないまま、いつまでも幸福の道を探していた。
ここにあるよ、と教えてやりたい。俺の幸せは、お前が全部持ってる。
一向に理解しようとしない頭の固い恋人を抱き寄せて、何度も何度も繰り返せば良かった。愛してる、と傍にいて。その細胞まで記憶する程に。逃げ道なんて用意させない。
ちょっと異質で異端な二人の関係は、きっとこれからも飽きることなく続いていくだろう。彼と手を繋いでいられるのなら、それも悪くない。
永遠に解けないパズルが目の前にあるようなものだった。光一の望む幸福は、どこにもない。
剛は小さく笑って、隣に座る恋人のうなじを撫でた。臆病な猫は、その仕草に敏感に反応する。可愛いな、と思いながら喧騒の中で早く帰ることばかりを考えていた。
おしまい
BUENA SUERTE !
08/05/03 issue
■Greeting■
こんにちは。もしくは初めまして。椿本 爽と申します。今回は委託での参加となりました。桜井さん、本当にありがとうございます。相変わらずお世話になっています。
さて、「スシ王子」のPRに踊らされた4月でしたが、司ちゃんのシングル発売で一応打ち止めですかね。本当に忙しかった……。追いかける方でこれなんだから、光一さんはどれだけ忙しかったんだか。
残念なことに、まだCDを引き取りに行けてません(泣)。DVDが素敵らしいとの話なので早く見たいです。こんなに可愛い光一さんばかり見られて良いのかな、とちょっと不安になる位なんですけどね。
映画は普通に楽しかったです♪色々とホントに下らない感は満載でしたが、でもエンターテイメントとしては良いのかも知れません。ドラマをほとんど見ないで行ったので、あーこう言うことをやりたかったんだな、ってやっと分かった気もします。
ファミマでうっかりレインボーロールを買ってみたり、ちょいちょいスシ王子に踊らされております(笑)。おかしいなあ。あんまり食い付いていない筈だったのになー。
そんなこんなでのんびりキンキさんを追いかけている今日この頃です。どんな〆だって感じですが、この辺で。またどこかでお会いしましょう。
■information■
普段は、亀より遅いサイトの運営をしております。宜しければ、ふらりと立ち寄って下さいませ。
「SUERTE」 http://tomorrow02.hp.infoseek.co.jp/
■Ahead communicating■
感想・苦情等何でも受け付けております。……お手柔らかにお願い致します。
mail:happy_21@mac.com
■Guide of book■
<新刊>
「blanco SUERTE 01」 P100/\1,000-
+合同誌総集編です。2003年から2006年に掛けての7冊分のお話を収録しました。残念ながら、書き下ろしはありません。あしからず。
<既刊>
「空に憧れた魚、海の底を夢見た鳥」 P36/¥300-
+禁断の「解散」話。2006年の年末から2008年頭に掛けての設定です。暗い話を淡々とした筆致で書く、と言うのを目指しました。余り後味悪くないように書いたつもりですが、お口に会わない方は多そうです……。
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