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小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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 僕は、あの日確かに僕自身へと戻った。
 けれど、十一年と言う歳月は、成瀬領を真中友雄へと戻すには長過ぎたのだ。友人に成り代わっただけの筈なのに、気が付けば自分は真中友雄であり同時に成瀬領でもあった。
 あの日、終わったと思った自分の生。
 言い訳の出来ない罪を犯した。決して許される事のない罪を抱えて地獄に堕ちようと、決意していた。止められない自分の狂気は、あの日終わりを見たのに。
 地獄の門は未だ自分の前に現れなかった。ずっと、白い世界を漂っている。
 僕の世界はまだ、終わる事が出来なかった。



 あの日、潰えたかと思った二人の命はしおりの手によって救われていた。一度は絶望を見た彼女だったけれど、早急に救急車と中西を呼び救急士の指示通り応急処置を施したのが良かったのだろう。
 辛うじて、と言う言葉ではあるものの成瀬も芹沢も一命を取り留めた。このまま死んではいけないと強く思ったしおりの願いが効いたのだろうと、中西は後日笑う事になる。
 事件から一週間後、芹沢はゆっくりと眠りから覚めるように目を開けた。
「俺……何で……」
 その時傍にいたのは、高塚だった。仕事の合間を見ては、何度も何度も病院に足を運んでいたと言う。鉛の弾を身体に受けた芹沢は、重体まで陥っていたのだけれど彼の生命力の強さが回復へと繋がった。
「芹沢君、分かる?」
 ぼんやりとした意識の中、高塚の呼び掛けが聞こえたらしい。視線を上げて、問うた言葉。
「……成瀬、さんは……?」
 憎しみよりも強い執着は、芹沢の心すら奪っていた。あの夜、この世界から旅立っていたら生まれなかった感情がある。それは、憎悪であり同時に深く強い絆でもあった。

 芹沢は、目覚めて生きている自覚が出たからなのか驚異的な回復を見せた。元々、丈夫な男だ。命の危機に晒されたとは思えない程、順調にリハビリもこなしていた。
 あの日から一ヶ月、そろそろ退院の日取りも決まるだろう。けれど、同じように傷を受け倒れた成瀬は、未だ目覚める事がなかった。傷の度合いで言えば、命の危険性があったのは同じでも僅かに成瀬の方が程度は軽かったのに。
 傷は治りつつあり、何か障害を生むような危険もなかった。医師に芹沢は何度も問うたけれど、後は本人の気持ち次第だと言われてしまう。
 気持ちと言う点で言えば、成瀬が目覚められる訳がなかった。あの夜、成瀬と真中の間で揺れ動き苦しんでいた人。彼の涙が忘れられなかった。多分あれこそが、彼の真実なのだと思う。
 十一年間、同じだけの月日を苦しんでいた。失われた命のどれもが重く、どれもが芹沢にとって大切なものだ。かけがえのない存在を奪われた。
 けれど、だからと言って成瀬に死んで欲しいとは思わない。出来る事なら生きて欲しかった。否、生きなければならない。
 俺はもう、貴方を許した。そして、自分自身さえ許したのだ。
 早く目覚めて欲しかった。そして、話がしたい。あの夜、確かに見つけた彼の真実。復習の鬼ではなく、一人の優しい人間として。彼の優しさを、今はもう信じる事が出来た。
 朦朧とした意識の中、必死に呼び掛けていた成瀬の声。涙を零す柔らかな頬。そして、自分を抱き締めた腕の強さ。
 全部、覚えている。
 命を留めたのなら、まだこの世界で生きる義務があった。死ぬ事が償いだとは、どうしても思えない。いなくなった彼らの分まで生きなければならなかった。
 二ヶ月が過ぎ、芹沢が退院を迎えても未だ成瀬は目覚めない。いつまで逃げ続けるのか。どれだけ待っても、貴方に死と言う救いは訪れない。貴方は、沢山の命を背負って生き続けなければならないんです。
 早く彼の目が見たいと、純粋な欲求で芹沢は思った。

 リハビリと平行して行っていたのは、これからの自分の身の処し方だった。あの夜の一件は、不慮の事故として処理されている。彼の得意な正当防衛が適用されたものの、芹沢が無断で銃を持ち出した事が責任問題となって中西を左遷させた。
 その処分を聞いたのは、中西の異動が既に決まってからで芹沢は何も言う事が出来なかったのだ。何度も謝る芹沢の肩を優しく抱いた中西は、父親のように温かく強かった。
 お前らが生きてるんだから、十分だろ。俺もそろそろのんびりしたかったしな。
 平気な顔で笑う偉大な先輩に、もう何を言う事も出来なかった。お前はお前の道をしっかり行け。送り出す言葉には、謝罪ではなく感謝で応えたいと思う。
 芹沢は、今まで関わった全ての人達の事を思いそして成瀬の眠る顔を見ながら、一つの決断をした。警察に辞表を書き、父と兄が築いた芹沢リゾートの為に生きようと決める。
 頭で考えるより動いてしまう事が得意な自分には、高いハードルだと思ったけれど。入院中に、兄の妻であった麻里が相当な尽力をしてくれたと言う。上が崩れれば、ピラミッド式の会社はすぐに形を無くしてしまうだろう。会長が死に社長が死に、そしてその秘書さえ死んだ。
 様々な憶測が流れたけれど、麻里は彼らの名誉を守ろうと必死に動いたそうだ。そして、手続きの中で全ての権利を引き継いだのが芹沢自身だった。麻里は一度も病室を訪れなかったけれど、彼女の思いは痛い程に伝わる。
 本来なら、芹沢リゾートで働いていた人間がトップになるべきだろう。何度もその方が良いと考えたけれど、そこに働いている人間が無学な自分に協力してくれた。
 芹沢の元で働くのだから、と躊躇なく言ってくれた彼らの言葉に甘えてみようと思う。そして、現在芹沢は芹沢リゾートの社長となった。
 考えていたより……勿論、知らない世界に飛び込むのだ。辛いだろう事は分かっていた。けれど、想像を遥かに超える大変さに芹沢はもう傷も癒えたのに、痛みで死にそうだった。
 人間、一度生死を彷徨えば大概の事は越えられると言うけれど。社長職と言うのは、想像を絶していた。増して、素養の無い芹沢にはスーツを着こなすだけで精一杯だ。
 身近な部下の協力を得て平気な顔で振る舞うようにはしていた。唯でさえいきなり飛び込んで来てトップに立った人間だ。快く思われていない事位、分かっていた。生死を越えて、一つだけ強くなった事がある。
 彼らの遺したものを大切にしようと言う気持ち。
 心だけでこなせる程、楽ではないけれど今はもういない彼らの顔を思い浮かべれば、どうにか頑張る事が出来た。それから、我儘を一つ。
 今も芹沢リゾートの顧問弁護士は、成瀬領になっていた。彼が目覚めた時、自分から離れないように先に縛り付けている。今は、彼の事務所の人に頼んで代理の弁護士を立ててもらっていた。
 勿論、大きな会社だから弁護士のつては幾らでもあったけれど、成瀬が帰って来た時に揉める事を恐れたのだ。顧問弁護士の場所を他の人間に譲るつもりはなかった。今来ている代理の弁護士は、その辺を十分に理解してくれている。
 後は、成瀬が目覚める事、そして一日でも早く社長職の役目を十分に果たす事。忙しい日々に押し潰されそうになりながら、一日たりとて成瀬を忘れた事はなかった。



 あの事件の夜から三ヶ月が経った。未だ、成瀬は目覚めない。心は死にたいと願っているのだろう。逃避でしかないそれに、芹沢はいい加減腹が立って来た。
 生きなければならない。辛くても悲しくても、逃げてしまいたくても。
 社長職にどうにか追い付けるようになった頃、芹沢は一つの決断を下した。本当に正しいのかどうか不安になって、一度中西にも相談している。すっかりリラックスした表情で迎えてくれた大先輩は、良いんじゃないのかと笑ってくれた。
 芹沢リゾートは主に市街地のシティホテルが有名だけれど、リゾートの名に相応しくリゾートホテルも各地に所有している。その中の一つ。東京からも程近く、仕事をするには十分な距離にあるホテルに、芹沢は社長室を移した。都内にある方が良いのは勿論分かっているけれど、今は通信も交通も手段が発達しているからそこまで困る事はないだろう。部下達も特に反対せず、サポートを約束してくれた。
 社長室の隣には、成瀬の為の部屋を用意する。医師の見立てでは、生命の危機はとっくに越えているとの事だった。後はもう、本人の意思だけだと。
 長い時間、恐らく休息も取らずに生きて来た人だった。目覚めるまできちんと休めば良い。そして、目覚めてからもどこにも行かず生きて行けるように。
 唯、彼の為だけにこの場所を用意した。海の見える部屋。客室の一つを潰して、入院時と変わらない快適な空間を作った。成瀬はまだ、芹沢リゾートの顧問弁護士だ。彼が目覚めた時に彼を生に繋ぎ止める為の枷だった。
 こうして二人共生き残った以上、自分の寿命を全うする必要がある。眠っている今はまだ良いけれど、意識が戻ったら絶対に彼は向こうの世界へ行きたがるだろう。地獄の門を目指すのは明白だった。
 自分の元に留まらせる為に。芹沢は、二度と後悔したくなかった。彼は優しい人だったのだと思う。あの夜でさえ、彼の優しさを感じる事が出来た。
 十一年間を取り戻す事も修復する事も出来はしない。それならばせめて、未来位は自分達の手で築いて行きたい。勿論、失われた命の分まで。

 芹沢は、毎日成瀬に話し掛けた。他愛もない事ばかり。今日の仕事の話や出会った人の事、腹が立った事や嬉しかった事、何でも良かった。彼が目覚めたら、話さなければいけない事は沢山あるけれど、今は唯どうでも良い話を繰り返す。
 成瀬の部屋は、基本的に二人で過ごせるように造られていた。ほとんどを社長室で過ごしてはいても、プライベートの時間は成瀬の部屋にいる。眠る時も朝食を摂る時も彼の傍にいた。少しでも離れず一緒にいたいと思う。
 あの夜、自分達の命は一つのものになったのだと芹沢は信じていた。離れる事の出来ない命として。離れたら死んでしまう存在だと思う。
 目覚めない成瀬を毎日毎日、芹沢は見詰め続けた。白くなってしまった頬の丸みや、目元に掛かる黒髪、こうして見ると「天使の弁護士」と言う評価は言い得て妙だなと思う。顔立ちが幼かった。全く気付かなかったそれらに一つずつ気付く作業が楽しい。指が綺麗だったり肩が薄かったり、唇が赤かったり、数え上げればキリがないのは、ずっと見続けているからだった。
 あの夜からもうすぐで半年が経とうとしている。芹沢が行動を起こしたのは、悲しい出来事の知らせによってだった。目覚めない成瀬に業を煮やしていた事も勿論あるけれど。
 成瀬の姉が亡くなった。重い病気を患い、失明までしていた彼女は弟と会う事だけを楽しみに生きていたと言う。あの時、一度だけ会った彼女は優しい顔をしていた。諦めではなく、弟を思う姉として最大限の愛情を見せていたのだ。
 そんな彼女の生きる希望を奪ったのは、間違いなく自分だった。もう一度、手掛かりがないかと病院に足を運んだ事がある。看護士に話を訊いたけれど、事件の事よりも彼女の目に見える衰弱を心配していた。
 当たり前だ。後にして思えば、彼女は成瀬を庇っていた。庇うと言う事は、真実に辿り着いたと言う事だ。彼ら姉弟の間にどんな言葉が交わされたのかは分からない。
 けれど、世界でたった一人の家族を互いから奪ったのは間違いなく芹沢だった。自分にも、この十一年間で降り積もった沢山の罪がある。
 成瀬領から奪った沢山のもの。
 その最上を成す成瀬真紀子が亡くなった。成瀬の弁護士事務所から電話をもらい、無縁仏になってしまうから弔わなくてはと言う話をそのまま引き受けたのだ。成瀬が意識を取り戻さない以上、当然の使命だった。
 簡素な葬式を上げた後(本人の希望だった)、彼女の少ない遺品を看護士から受け取った時の事だ。長い間看護をしていたと言う女性が、一通の手紙を差し出した。
 『貴方に託して良いのか分かりませんが』と悲しそうな表情で、それでも真っ直ぐとした看護士らしい強さで彼女は渡してくれたのだ。目が見えない真紀子の代わりに書いたと言う手紙の宛先は、成瀬領。最愛の弟に向けての最後の言葉だった。
 ホテルに戻り、すぐに成瀬の眠る部屋へと入る。二人きりになると、ほうと一つ息を吐いた。ジャケットを脱いで、預かって来た遺品を枕元に置く。姉の物が側にあったら安心するかも知れないと思っての事だった。
 ベッドサイドに椅子を引き寄せると、彼に宛てられた手紙を読む事に決める。本当は、姉と弟の間でだけ読み交わされるべきものなのだろうけど、目覚めない成瀬が悪いと芹沢は身勝手に結論付けた。
 椅子に座って、両肘をベッドにつく。ごく近い距離に眠る成瀬の横顔があった。何の表情も浮かべない彼は、今どこにいるのだろう。まだ姉に会って欲しくはなかった。
 一つの命になった自分達は、離れて生きる事が出来ない筈だから。どうしてもここで繋ぎ止めたかった。
 封筒から手紙を取り出す。亡くなる一週間前に書かれたそれは、遺書に近いものだった。弟の為に遺した最後の言葉。
 芹沢は、成瀬にだけ聞こえるように、静かな声で読み始めた。
「成瀬領様。この手紙を書いて良いものかどうか、私は凄く悩みました。でも、貴方にさよならを告げてから、ずっとずっと伝えたい事があったから、こうして残す事にしました。姉の最後の我儘を聞いてくれる?」
 優しい面立ちが瞼の裏に蘇る。仲の良い二人を永遠に引き裂いてしまった。実の姉でない事も実の弟でもない事を互いに知りながら、そして知らない振りをしながら過ごした時間。
 それは決して偽りなんかじゃなかった。
「貴方は、私の光でした。私の、希望でした。領が領でない事をずっと知っていて、でも毎週貴方が来る事が嬉しかった。最後の我儘です。もう貴方とは永遠に会えない。貴方が苦しんでいても、私は何もしてあげられない。もし私が領だったら、本当の貴方を救う事が出来たのかも知れない、なんてこんな身体でも考えてしまいます」
 芹沢は、声を震わせずに読む事が出来なかった。真紀子の思いを痛い程に感じる。何物にも代え難い家族の深い深い愛情だった。
「ねえ、領。覚えている? 貴方が最初に私の部屋に来てくれた時の事。本当に本当に嬉しかった。貴方が誰であっても、私にとって貴方はたった一人の弟です。離れてからもずっと、貴方の幸せばかりを祈っていました。もし、貴方が嫌でないのなら」
 芹沢は唇を噛み締めた。姉と弟の時間。永遠に喪われた平穏。成瀬の唯一の場所を、自分は奪った。
「ずっと、私の弟でいて下さい。今の私が望むのはそれだけです。出来る事なら永遠に、成瀬領でいて欲しい。私は、貴方の優しさを持ってこの世界を旅立ちます。ありがとう。私の、領。成瀬真紀子」
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