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第十話
┗不器用に踊る恋人達

櫻井は混乱している。

穏やかな昼下がり、落ち着いたかふぇには人が少なくて快い。

だが、櫻井の心は嵐の小舟だ。

「な、もう4日にもなるんだよ、それなのに、松本も大野も動かない、これどういうこと?」

一つは目の前で5個めのけーきを平らげようとしている男性の胃袋についてだ。一体幾つこの体に入るのだろう。それとも、ここのけーきは人間の体に入ると縮んだりするのだろうか。

「いくら、白鷺が慣れてるからって4日音信不通、心配ぐらいしてもいいだろ?」

もう一つは彼の口からぶちまけられる、櫻井の知らない情報局の動きだ。

滝沢は何と言っている?
あの白鷺が単身蛇荷貿易に潜入したのに、4日戻ってないばかりか、連絡も取れない、そう滝沢は怒っているのではないのか。
滝沢はきりきりしながら6個目のちょこれーとけーきに手を伸ばそうとしている。

「どうなってんだよ」
「どうなってるんだ」
「え?」

ことばが重なって滝沢が瞬きした。櫻井が眉を寄せて顔を上げる、その顔にみるみるひきつった笑顔になる。

「あ、ひょっとして……櫻井……」
「白鷺、というのは、あの白鷺?」
「うん……今回のこと……」
「知らない」
「あー………まずかった………かな……」

そろそろと滝沢は6個目のけーきを皿に戻した。

「まとめるとこうだね?蛇荷に輸入品があるということでその日時をはっきりさせるために白鷺が出かけたまま帰らない、それも既に4日目になろうとするが、松本も大野もまともに返答しない、思い余って俺に相談するため呼び出した、と」
「あ、そう……まあ………そういうことだけど……」

滝沢は上品なグレイの洋装の袖をそっといじった。櫻井を見、険しく寄るばかりの眉に忙しく瞬きして口ごもる。

「あの………とすると……どこまで櫻井は知ってるの…かな?」
「蛇荷の確認は松本が担当していて、まだ確実な情報が掴めていないので引き続き張り込んでいる、と」
「あ……そ……」

櫻井は唇を尖らせて目を落とした。

確かにここ数日、松本は部署にいることが少ない。いつもならうるさいほどにまとわりついてくるのだが、帰宅時にも戻ってこないときがあって気にはしていた。

もっとも全く違うところ、港湾局の者から、二宮を冷えるかふぇで松本が待たせていたので困ると話を聞いてはいる。
港湾局の二宮と松本とは妙な取り合わせで、どちらかというと犬猿の仲だったはず、それがかふぇなどで一緒に座っているところなぞ想像がつかない。唯一つながりがあるとすれば、それこそ白鷺がらみぐらいかと思っていた矢先の滝沢の呼び出しだった。

「俺には………関係ない……ってことか……」
「や、ちょっと、櫻井」

ぼそぼそとつぶやいた櫻井の不穏な気配に気づいたのだろう、滝沢が慌てて繕った。

「じゃ、じゃあ、俺の勘違いなんだな、うん。松本くんが白鷺のつなぎに入ってくれてるだよな」
「…………俺には知らせないで?」
「あ」

白鷺のところへ一時櫻井が出入りしていたのは仕事がらみだけだと松本は知っているが、どのあたりまで仕事がらみだったかとなると断言できない。
何せ相手は白鷺だし、二宮が出入りしなくなった後は誰かれ構わずといったところもなきにしもあらずだったのだから。

「俺だって……………惑わされたし」
「……………」
「潤だって……そりゃ………」

櫻井は瞬きした。
何だか一気に落ち込んできて、それが止められないのが情けなかった。無意識に頭の中で自分と白鷺を比べるなどということまでしてしまい、はたと我に返ってぶんぶんと首を振る。

「さ、櫻井?」
「……いや、うん、わかった」

ぐ、と腹に力を込めて顔を上げる。強ばったままの滝沢にできるだけ愛想よく応じた。

「貴重な情報をありがとう。たぶん、潤が繋いでくれているんだろうけど、俺からも確認しとく。事実、現実に情報局が動いていないのは確かだし、4日というのも長過ぎる」
「あ、あの」
「大丈夫、まかせて」

にこりと笑うと相手がひくりと引きつった。

「うん、じゃ、おまかせしちゃおうかなっっと」

うろたえた様子で手元の珈琲を飲み干し、立ち上がりながら滝沢がおそるおそると言った調子で呼び掛けてきた。

「櫻井?」
「何?」
「あの………ここにこれ入れたまんまで笑われても、怖いんだけど」

眉間に人さし指を立てられて、櫻井は笑みを消した。瞬きしながら指先で眉間を押さえる。確かに寄っている、今までよりもずっと深く。

そそくさ立ち去る滝沢の後姿を見送りながら、なおもぐいぐい眉間を押さえる。

「………いつも笑わないからかな」

俺といるときぐらい笑ってよ、翔くん。
そう言って苦笑する松本を思い出した。

櫻井にくらべれば白鷺はにこにこいつも優しい笑みを浮かべている。
ああいう雰囲気が、男を安心させ落ち着かせ、自分が頼りがいのある人間だと思わせてくれるのかもしれない。
港湾局の気難しい二宮が白鷺にだけ通ったのも、ああいうところがいいのかもしれない。

きゅ、と口を窄めて眉間を押した。瞬きが妙に増えて視界が曇る。

「俺だって」

白鷺を抱いたのだし、そういう意味では松本が白鷺を抱こうと何しようと咎める筋はないのだろう。
櫻井に知らせず、蛇荷に張りついているのも松本なりの思い遣りなのかもしれない。

それとも、櫻井に知られては困るほど、実は白鷺に本気だということだろうか。

櫻井は残っている珈琲をぼんやりと見た。

これを教えてくれたのも松本だ。大陸に渡っていたということもあって、いろんなことをよく知っている。その松本から見れば櫻井はもの知らずでつまらない男なのかもしれない。

口を窄めて歯を食いしばる。
しばらく力を込めていたが、ふう、と深い息をついた。
自分は振られてしまったのかもしれない、とようやくそこへ思考が辿りついた。

「……なら」

やることは一つだ、と珈琲を煽った。

白鷺の一件を確かめ、蛇荷を早急に叩く。
大野の話では山風運輸へ『夢幻』ルートを繋げということだったが、何かまうものか。
もともと櫻井には不本意な仕事、『夢幻』の危険性を知っている今となっては白鷺がいつか望んだように燃やしてしまうのが一番いい。
それで処罰を食らおうが、もうどうでもいい、そんな気分になってきた。

それで、松本と、松本が好きなやつが幸せになるんだもんな、と胸でつぶやいて、また眉をしかめ口を窄めてしまう。
はっとして眉間を指で押し掛け、一体何をしてるんだと苦笑いした。不機嫌な顔をしてようとしてまいと、もう関係なんかなくなるのだ。

…が、席を立とうとしたとたん、明るい声が響いた。

「あれ、翔くん?」
「じ……潤……」

できたら今は見たくなかった顔だったと一瞬固まった櫻井に、松本が不審そうな顔になる。

「珍しいね、翔くんがかふぇ来るなんて?誰と……」

素早くテーブルを探った松本の目が、櫻井の残したカップに止まった。

滝沢はああいう仕事をしている所以か、出かける際はいつも薄く化粧をしていた。
今日だって例にもれなかったわけで、白いカップには紅の跡が残っている。
どきりとして目を上げると、まじまじとこちらを見る松本の視線を浴びた。

「女と来たんすか?」
「あ、いや」
「………何も隠さなくたっていいでしょ……別に……仕事なら」
「あ……」

これは仕事に入るのかな、と一瞬首を傾げた間合いに松本がきつい顔になった。

「違うの」
「いや、その」
「ふうん。……そういう人がいたんなら、さっさと教えてくんなきゃ」
「は?」
「俺が馬鹿みるでしょ?」
「は……?」
「俺一人、翔くん、翔くんってくっつき回ってさ。迷惑してんならちゃんとそう言ってくんなきゃ」
「……それは潤の方だろ」

思わずむかっとして櫻井は松本をにらみつけた。

「……なんでさ」
「白鷺の繋ぎに入ってるんだって?」
「あ」
「俺は知らないぞ」
「…………それは」
「お前こそ、仕事と個人的な事情は分けろ」
「なんだよ、それ!」

松本がぐい、と唇を曲げた。
いら立ちを露にした顔で櫻井をねめつける。

「自分のこと棚に上げて!」
「自分のことって何だよ、俺はただ滝沢くんから白鷺の相談を受けただけだろ!」
「白鷺?」
「俺に黙ってこそこそしてんのはそっちじゃないか!」
「っ!それはないっ」
「何か文句あっか、どうせ俺はいつも不機嫌だよ!」
「はああ?何言ってんの、翔くん」

きょとんとされて、またその顔がいいな、などと思ってしまう自分が悔しくて、櫻井は吐き捨てた。

「白鷺みたいに可愛く笑えねえよっ」

ぎょろりと松本が目を剥く。

「あんたはもう十分可愛いでしょうが!そのうえ可愛く誰に笑おうっての!」
「俺が誰に笑おうと勝手だろっ!」
「あーっ、何それっ! 俺以外に誰を落とす気なのっ!!」
「はあ~い、そこまで」

今にも顔をぶつけそうに松本に詰め寄った櫻井の前に掌が割って入った。

「あのね………お二人さん、頼むからここがどこだか思い出して」
「あ」

どろどろした大野の声に櫻井が我に返ると、静まり返ったかふぇの中で抱き合わんばかりの距離に松本と近寄っていて、一気に顔が熱くなった。

「引いて、松潤」
「ちっ」
「………で、翔くん」
「…」

口を尖らせ目を逸らせると、大野の溜息まじりの声が響いた。

「局に戻って詳しく話すから。とりあえず、こっから退却しよう。…視線が痛いわ」

「………ということで、わかった、翔くん」
「……わかった」
「さっき白鷺が一時的に『夢幻屋』に戻った。衣類を取りに戻ったらしい。その際、情報を伝えていった。取り引きは2日後の夜、山風港の第ニ埠頭付近だ」

大野が松本にうなずきかけて呆れ顔になる。

「松潤もいい加減そっぽ向いてるな」
「だって!この人、俺を全然信じてないし!」

はあ、と大野は大きく溜息をついた。
憮然とした表情で口を尖らせている櫻井が納得なかばなのは仕方ないとして、本来なら櫻井をおさめる側に回ってるはずの松本までふて腐れていて頭が痛い。

「おまけに、誰と一緒だったのやら」
「っ!だからっ、あれは『夢幻屋』の滝沢くんとっ!」
「へー、ほー、俺、滝沢くんが口紅つけてかふぇへ行くなんて知らなかったー、よっぽど翔くんと一緒に行くの楽しいんだねーーっ」
「白鷺みたいな言い方するなっ」
「ふーん、そー、口調一つでもわかんだ、なるほどねー、一回抱いただけでもずいぶん覚えるんだなあああ」
「潤っ!」
「ちぇ、こんなことなら俺が行けばよかったっ」

口をヘの字に曲げて松本がつぶやき、ようやく大野は気づいた。

何のことない、松本は櫻井が白鷺に落とされたことを根に持ってるのだ。
手っ取り早く言えば、櫻井が自分以外を相手にしたとずっと密かに拗ねていたわけだ。
そのくせ、白鷺に何かあったら櫻井が苦しむと、仕事の合間はほとんど蛇荷に張りついていて、他ではずる賢いほどしたたかなのに、どうして櫻井にはここまで手も足もでないんだか。

まったく、簡単なことじゃないか、俺はあんたに嫌われたかと不安なんです、そうあっさり言ってしまえばいいのにとにやにやしかけた大野は、続いたやりとりに含みかけていた茶を吹きそうになった。

「潤?潤を潜入させるわけないだろ」
「何で?へー、俺じゃあてにならないってこと?」
「違う」
「それじゃなんで」
「俺が潤を手放すわけがないだろ」
「げ……げふっ!」

ごほごほ咳き込みながら櫻井を見ると、これがまた当たり前のことを口にしただけだと言わんばかりに、生真面目な顔で松本を見ている。
何か反論しようとしていたらしい松本がぽかんと口を開いたまま、やがてじんわりと薄赤くなっていった。

「どうしてそんな恥ずかしいことを平然と…」
「ん?」
「もう……たまんないなあ…」

自分が何を言ったのか今一つ自覚のない櫻井に、大野もぐったりしてきた。赤くなった松本が、くすぐったい顔で鼻をかき、ふいに気づいたように、櫻井の眉間に触れた。

「どうしたの、ここ?赤くなってる」
「ああ……」

櫻井が戸惑った顔で瞬きした。

「俺の皺が不愉快だと、滝沢くんに言われた」

少し小さな声になって、

「だから…お前もそうなのかと」

そう言えば、ここへ戻る最中も思い出したみたいにぐいぐい押していたな、そうつぶやいた大野の頭を殴りつけるように、松本が嬉しそうにへらへら笑った。

「んなわけ、ないじゃない」
「そう?」
「そう。むしろ、俺、ここが翔くんらしくていいかなあと」
「そっか」
「そう。あ、そりゃ、翔くんが縦皺寄せなくなるようにはしてあげたいけど」

ちゅ、と松本が櫻井の額に口を寄せる。

「ほら、翔くんの縦皺だって愛してるもん」
「そっか」

それをまた当然のように受け止めた櫻井が笑う。

「………あの………お二人さん?」

そのまま抱擁になだれ込みそうになった二人をかろうじて大野は制した。

「頼むから、もう少し周囲ってものを考えてくれ」
「へ?」
「は?」

松本はもう無理だとしても、こいつまで松本化してないか最近、と櫻井をにらむと、あ、と相手が声を上げた。
今にも抱きかかえようとしていた松本の腕をすり抜けて、電話を取り上げる。

「翔くん?」
「………もしもし?あ、ニノか?」

し、と唇に指を当ててこれまた腹が立つほど綺麗に微笑むと、櫻井は電話の向こうの声に軽くうなずいた。

「忙しいところごめん。実は蛇荷の視察を何時に決めたのか聞こうと思って」

電話の向こうできりきりした声が響いている。
大野は溜息まじりに松本を突いた。

「なに?」
「煙草よこせ」
「吸うの?」
「吸わなきゃ、この部屋から出られないだろ」
「あ」

大野はこのやりとりを知らぬこと、そう気づいた松本がにやりと笑って煙草とマッチをよこす。

「俺達二人にしちゃうの?」
「職場では襲うなよ」
「はあい」

部屋を出ながら、大野はやっぱり俺っていい上司だよなあ、と一人ごち、明後日に食らうだろう説教に覚悟を決めて昇り始めた月を見た。



第十一話
┗胸の中で鳴る歌と白い月

「っは、ああっ…」

掠れた声を上げて相葉は仰け反った。
背中から抱えられて貫かれながら、口を奪われ舌を吸われる。
開かれた脚の間に蹲った男が十分に育った相葉のものを深く強く吸い上げて、体中を震わせながら、声を封じられたまま駆け上がる。

「んっ、んっ、んううううっ……ああああっ」

激しく腰を揺さぶられて、堪え切れずに首を振り、声を上げながら身悶えた。
痙攣するように震える手足が空中で揺れる。
二人の男に貪られながら、朦朧として灰色の天井を見上げると、そこに幻の月が見えた。

「…に……の…っ…」

いつだっただろう、二人で月を眺めたのは。
煙る濃紺の空に浮かんでいた、細い脆そうな月だった。
ふんわりと優しく背中から抱かれて、その温もりにまどろむような気持ちで頭を二宮の肩に預けていると、そっと耳を啄まれた。
甘い愛撫。
相葉を酔わせ、憩わせてくれる、ただ一人の人の胸は遠くに消え去るばかりだ。

諦めて薄笑いし、自分の身体にむしゃぶりついている男の髪を探りながらねだる。

「………もっと……」
「あいかわらずだな、白鷺」
「いいのか、それほど?」

くすくす笑う男達に微笑を返し、目を閉じた。

抱かれる前に飲まされた『夢幻』は快く効いている。
男の違いなどわからない。
快感を全て二宮に与えられたものに摺り替えれば、何度だって駆け上がれる。

目を閉じた視界は二宮と同じだろうか。
二宮の失った視界に最後に映ったのが自分だったら嬉しかったが、それはもう確かめる術がない。
背後の男がまたゆっくり動き始め、相葉は眉をひそめた。

「あ……ああ……あっ………は……っ」
「絡みついてくるぞ、白鷺」
「……ん……うっ………は、うっ」
「またその気になってきたのか」

男が形を入れ替えた。
ぬめる舌が耳を探り、胸の粒を武骨な指が摘まみ上げる。
喉を握られ顎を上げられ、開いた口の奥まで舌が入り込む。腰を抱えた男が脚を開き、指で開くのさえ惜しむように直接そそり立ったものを突き入れてくる。
半勃ちの相葉のものを握りしめ、力委せに扱き上げる。

「あ、あううっ」

仰け反った身体の奥深くに入り込む、それでも二宮が付けた傷までは届かない。
濡れた音を響かせて出し入れされながら、快感とは違った思いに微笑んだ。

きっと誰も、二宮ほど相葉を傷つけられない。
二宮ほど相葉を狂わせられない。
二宮ほど相葉を安らがせることなどできはしない。

繰り返し何人もの男に抱かれながら、それは日増しにはっきりと感じる実感になる。
腕をねじ上げられ、一度に何人も受け入れても、それでも相葉の一番深く、一番強く、一番奥まで入り込めたのは二宮だけ。

「あっ、あっ、あっ…………ああっ」

扱かれ吸われ抉られれば、身体は勝手に追い上げられる。
快感を拾い、『夢幻』で増幅された感覚を受け止め、跳ね上がって反応し、男達を喜ばせる。



だが、それだけのことだ。

相葉はずっと胸の中で子守唄を歌っている。


もーりもいーやーがーる。
ぼんからさーきーはー。


あの寒い村で、次々人が倒れていく腐臭漂う場所で、痩せこけた小さな体を幾つ抱き締めただろう。
きつく力をいれるとぽきりと折れてしまうような細い腕を、脚を、あばらの浮いた胸を、温めるように懐に抱えて、その呼吸が止まっていくのをじっと最後まで感じていた。


ゆーきもちーらーつーくし。
こーもーなーくーし。


泣く元気のある子どもなどいなかった。
生まれてもう、これはもたないとわかるような青白い赤ん坊ばかりで、産み捨てるように仕事に薬に戻っていく親を求めて声を上げるものも、すぐに静かになっていく。
その子守唄は日本に来てから覚えたのだけど、聞いたとたんに涙が零れた。

死んでいった赤ん坊に流した、そしてそれを抱くしか力がなかった自分に向けた、最初で、最後の涙だった。


こーのこよーうなーく。
もりをばいーじーるー。


抱かれることに抵抗などない。
男に貪られるのも気にならない。
どれほど身体を虐めても、どれほど心を追い詰めても、相葉の凍り付いた闇には届かない。

あの村の夜、最後の一人の赤ん坊を抱き、死体転がる道をとぼとぼと村を離れていった、あの夜に見上げた月に囚われ動けない。
小さな口が、はあ、と最後の息を吐いた、その瞬間にも月は見事に明るかった。


もーりもいーちーにーち。
やーせーるーやーら。


人の死など瑣細なものだ。
悲劇も喜劇も同じことだ。
『夢幻』に狂う男も女も、わが子を見捨ててよしとする親達も、誰も相葉は責められない。

神がいれば『夢幻』なんぞ作らなかっただろう。
仏がいれば『夢幻』なんぞはたちまち滅ぼしてくれただろう。

けれどこの現実の世に『夢幻』は流通し、増え、人々を闇に狂気に追い落とす。

相葉のすることなど、それこそその流れの前では幻のようなものだ。
どれほど燃やし爆破しても、『夢幻』は人々が求める限りなくならない。
凍りついた心が疲れ切り、果てしない虚無に落ち込もうとするときに唯一支えてくれる温かな腕を失った今、相葉にはもう生きる術がない。

男達がまた形を変えた。
相葉を這わせ、後ろから貫きながら扱き上げ、声を上げる口に前から深く押し入れてくる。

「あ、あぐ……っ……ぐぅっ……うっ」
「どうした白鷺」
「これほどやられてもまだ欲しいのか」
「うっぐ………うっ」

唇から滴るよだれを喉から胸に塗りつけられ摩られる。
限界に揺れるものの根元を締め上げられて、なお深く揺さぶられ、籠った声で悲鳴を上げた。

「くうぅっ……ああっ」
「どうだ?もっとか?」
「お願い……」
「はっきり言えよ」
「もぉ……いかせて………っ」

切ない声で涙ぐみながら見上げると、男が切羽詰まった顔になった。

「あ、ああ」
「……く、ううっ…………あ、ああ……ああああーっ」

激しく追い立てられて何度目かの精を吐く。
それと同時に叩きつけられるように注ぎ込まれ浴びせられ、突き放すように引き抜かれて相葉は床に転がった。
咳き込みながら身体を竦める。
がたがた震えるのをそのまま放り捨てられて、振り返りもせずに笑いながら男達が遠ざかる。

その背中、喘ぎながら見開いた目に二宮の幻が見えた。
さすがに苦笑して目を閉じる。
べたべたに汚れた口元を拭う気力さえ残っていない。

昨日から身体の痛みがわからない。
人肌から離されたとたんに細かな震えが始まり、寒さに縮こまる。
予想以上に『夢幻』に心身を侵されている。

それほど、もたないか、と胸の中でつぶやいた。
読みでは5日ほどは持つつもりだったのだが、一番始めに後ろから『夢幻』を擦り込まれたのが効いた。
何とか色仕掛けでごまかして、衣類を取りに帰ったのは正解、ぼつぼつ自分で後始末ができなくなってきている。
それでも、蛇荷貿易の8割ほどは相葉の色香に溺れていて、頼めば多少は面倒を見てくれた。
けれど、それももう限界か。


どれほど震えていたのだろう。
少し意識が戻ってきて、のろのろと手をついて身体を起こす。
あっという間に細くなった手首に力が入らなくて、またずるりと寝そべった。
床に布団は敷いてもらえたし、周囲に掛け物も用意してもらえたが、そこに戻る体力さえなくなってきた。

「は……」

くたんと倒れたまま苦笑する。

「………も一度…………にのに………会いたかったな……」

できればもう一度だけ抱いてほしかった。

また白い月を思い出す。
暖かくて気持ちよかった、あの腕にずっといられれば、それだけで本当はよかったのだけど。

男達から聞き出した取り引き日時は『夢幻屋』を通して情報局に伝わったはずだ。
情報局が乗り込んでくれば、相葉は拉致されていた花魁白鷺として、しかも既に死んでいたとして始末されるだろう。
蛇荷貿易が『夢幻』を扱っているとの情報で踏み込んでみたが空振り、ただそれ以外の不審な取り引きが見つかったために交易免許取り消しとなり、蛇荷貿易は山風運輸に吸収される、そういう筋書きだ。
そして『夢幻』の取り引き自体は情報局の支配下に置かれながら蛇荷運輸に引き継がれていく。
そのためには、拉致されていた花魁が生きていては都合が悪い。
後々どんな災いになるかわからない。

言わば相葉は、捨て駒なのだ。

実際相葉の身体は『夢幻』と乱交でもうぼろぼろだ。
何とか生き延びても、この先長い療養が必要になる。
情報局にそんな部下を飼っておく義理はないし、そうして生き延びた果てに誰が待つわけもない。

「あー……やっぱりー…………もっかい………会いたかったかも……」

くふふ、と相葉は笑った。
裸で放置された身体が痛くて冷たい。
きっとあの子ども達もそうだったのだろう。

「差し引きぜろ………ってこと……かな……」

『夢幻』が切れてきたのだろうか、息苦しくなってきて相葉は喘いだ。
震えながら顔を両手で拭った。
唇は何度か強めに擦る。
嫌な味は消えない。
呑み込みかけた唾液を吐き捨て、こぶしを握りしめて胸に引き寄せ丸まった。
冷や汗が止まらない。
胸が激しく打ち始める。
かたかた勝手に震え出す体をのたうたせて呻く。

いつもなら、終わればそうそうに今井がやってきて何くれとなく世話を焼きつつ『夢幻』を補充してくれるのだが、今日はその気配もない。

もう今井も相葉には飽きたということかもしれない。

「は、あ……っ……あ」

ぼろぼろと涙が零れた。
霞んでいく視界の彼方に懐かしい顔の幻をまた見た気がして、少し微笑む。
白い月のような面立ち。
きれいで静かで整った姿の愛しい人。

「に………の…………」

目を閉じると、その顔だけが視界に残った。

「よか…た…」

ただそれだけにほっとして、相葉は闇に落ちていった。



第十二話
┗暗躍跳梁、魑魅魍魎

に……の……。

「ま、さきっ!」

甘やかな呼び声に激しく息を吐いて目を覚まし、二宮は悟った。
目をきつく閉じる。
視力を失ってから、自分の闇に怯えたことなどなかった。

もう限界だ。
情報局は動かない。

わかっていることだ。
はなから捨てる駒として投入された潜入工作員は自害用の毒を渡されて入る。
それでなくても、相葉はあれこれ情報局の裏側を知り過ぎているし、それを漏らした可能性さえある。
情報局が入ったら最後、息があろうとなかろうと死体の扱いをされるのは明らかだ。

「く」

きつく歯を食いしばって顔を覆った。

恨みがなくなったわけではない。
二宮の世界を破壊したのは紛れもなく相葉で、妹も視力も相葉が奪ったものだ。
このまま生かしておけば、相葉は何度でも二宮を裏切るだろう。

だが、それも相葉の生き抜いた地獄を聞かされた後では、その強さ激しさが掛け替えなく愛おしく、胸を揺さぶってくるばかりで。

「く、そ……っ!」

明日の夜には相葉の命はなくなる。

ただでさえ、滝沢からひどく痩せていたと聞かされた。
衣類を取りに戻ってきたのだが、屈強な男二人に付き添われているのが滑稽なほど細くなっていたと。

もとから華奢な骨格だった。
体つきはしっかりしていたが、抱きしめるとしなしなと崩れるように腕におさまる、実体の感じられない危うさがあった。
なのに、そこからなお痩せたという。

満足に食事をしていないのか。
それとも、それほどいいように弄ばれているのか。

二宮は目を見開いた。

限界だ。
もう、耐え切れない。

「誰か居るか!」
「はい、ここに」

すぐにふすまの向こうから声が応じた。

「出る、支度をしろ!」
「出来ております」

跳ねるように起き上がり、身繕いを整える。
形だけの懐中時計を投げ捨てる。

「何時だっ」
「もうすぐ5時に」
「召集をかけろっ、蛇荷貿易を視察するっ。書類を整えておけっ」
「済んでおります」
「なにっ」
「既に人員は揃っております、昨夜のうちに」

微かに笑みを含んだ声が続けた。

「情報局にくれてやることはありません」

きり、と二宮は歯を鳴らした。

「………そうだな。では………」

ふいに荒々しい喜びが胸を満たした。



「全て奪いに行こう。喜多の顔を青ざめさせるほど、な」

情報局の電話が鳴った。
早朝にも関わらず、局には大野櫻井を始めとする顔が揃っている。
受話器を取り上げた大野が響いた声ににやりと笑って櫻井を見た。

「ニノが動いた」
「………」

無言で櫻井が黒コートを閃かせながら局を出ていく。
その後に続々情報局の精鋭が続く。行き先は山風運輸。
二宮が蛇荷を叩くのと同時に、かねてより入り込ませていたものからの情報に従い、倉庫の抜き打ち検分に入る。
蛇荷を叩く二宮の陽動を兼ねて、『夢幻』ルートの掌握と追い出しにかかるのだ。

だが、櫻井を筆頭とするその一群の中に松本はいない。

大野は受話器を一旦置くと、別の番号を回した。
すぐ出た相手の脳天気な明るい声に溜息まじりに命じる。

「動いたぞ。翔くんはもう出た」
『さっすが、ニノ!早起きだわ』
「しくじるなよ、松潤?」
『誰に言ってんの、誰に。じゃ、いってくる』


松本の向かった先は大宮物産。

「ううー、さむい、おはようございまーす」
「は?」

大宮物産の夜勤警備員が訝しげに顔を上げるのに、肩を竦めて体を摩りながら松本は笑いかけた。

「あ、遅れちゃいました?俺」
「何、あんた」
「あれ?聞いてませんか?今朝から交代勤務に入る松本ですけど」

笑みを零すと、相手は不審そうに眉を寄せた。

「聞いてないけど」
「えーっ、そんな、俺せっかく早起きしてきたのに。飯もまだなんすよ!」
「知らねえよ!」
「確かめてくれません?」
「まだ誰もでてこねえよっ、何時だと思ってる、まだ6時だぞ、6時」
「じゃあ、何時頃出てこられるんです?」
「早くて7時………重役なら8時回るな」
「じゃ、じゃあ、それまで中で待たして下さいよ」
「わけのわかんないやつを入れるわけにいかねえだろうが!」
「じゃ、この守衛室でいいから!ね、ほら、この握り飯だけ食わして?」

懐から出した竹皮の包みを振り回すと、相手がやれやれと言った顔になった。

「そいつ食うだけか?」
「あ、できれば便所も貸して! 寒くって寒くって、もう漏らしそうで!」
「上も下も一緒かよ、どうしようもない餓鬼だな!ほらよっ、便所はそこだ」
「あ、すいませーん」

竹皮の包みを手にのこのこ便所に入ろうとする松本に相手が嫌な顔をした。

「それ持って入んなよ、ここに置いておけ」
「あ、そうですね、どーも」

進められて警備員の座っている机に包みを置き、いそいそと便所へ飛び込む。
扉を閉めて間もなく、ごとごとごとごとと鈍い音が響いてきた。

「なんだ……?」

不安そうな声ももっとも、机の上の竹皮包みがぶるぶる震えて動きだしたのだ。
それを背中にのんびりと小用を足し出した松本に、警備員が声をかけてくる。

「おい、何かおかしいぞ、これ」
「え、なんすか?」
「何か、動いてるぞ」
「動くわけないでしょ、握り飯が」
「いや、でも確かに……なあ、おい、ちょっと見てみろ」
「急に止まるもんじゃないって」
「早く済ませろっ」
「ったく、ポンプや水道じゃないんだから」

ぶつぶつ言いながら扉を開けて出ていくと、警備員は強ばった顔でじっとごとごと動く包みを凝視している。
松本の気配にほっとした顔で振り返ったとたんに、大きく口を開けた。
だが、既に遅かった。
思いっきり派手に松本に殴られて床にのびる。

のびた警備員の服をさっさと剥いで縛り上げ、猿ぐつわをかませて便所の中に放り込むと、松本は包みを取り上げた。
何のことない、中身はゼンマイ仕掛けのおもちゃで手を離せばゼンマイがきれるまでごとごと動くだけの代物だ。

奪った警備員の制服を着込み、懐にそれを入れて机についたとたん、道路の向こうに自動車のライトが見えた。

「ぎりぎり、だったかな?」

薄く笑って帽子を深めに被る。
出入を記載したノートに屈み込むふりをしていると、重い音をたてて近づいてきた自動車が止まり、運転席から男が一人降りてきた。
助手席にもう一人だけ、二人ともひどく慌てた顔だ。

「おい!」
「はい?おはようございます、何でしょう」
「八草さんを呼んでくれっ」
「は?八草?通信の八草でしょうか、事務の八草でしょうか、企画の八草でしょうか」

すっとぼけて聞いてやると相手がいらいらと声を張り上げた。

「八草俊二だっ!いいから呼べっ、こっちは急いでるんだ!」
「ああ、八草、俊二さんね。あ、でも、今朝はまだお見えになってないんですよ」
「ちっ………まず安全だと言ってたからな………仕方ねえ、東方観光の大西に連絡をよこせと伝えろ、わかったなっ」
「あ、はい、じゃあ、すぐに」

男は慌てて自動車に戻っていく。
名簿を調べながら松本が頭を下げると急げ、と手を振って、自動車のエンジンをかけた。
そのまま走り出していく自動車に、松本がちらと鋭い視線を近くの茂みに走らせる。
茂みから立ち上がった男がうなずいて、自動車の後を追い掛けるのに薄笑いして、松本は八草俊二に電話をかけた。

「もしもし、朝早くからすみません。東方観光の大西です」

電話の向こうの男はひどく驚いて、なんだ、手違いか、と唸った。

「どこかから情報が漏れました、蛇荷に港湾局が入って、山風に情報局が乗り込んでます、どうしますか」

大西は逡巡したが、決断は早かった。
わかった、今夜に俺が引き取ろう、今夜ならまだ港湾局も情報局も動かないだろう、と応じてすぐに切れる。

「あまーい」

松本はにやにや笑いながらもう一度受話器を取り上げた。

「もしもし、キャプテン?面白いものが引っ掛かった。大宮物産も噛んでる。八草俊二ってのが請け負ってるみたいで、蛇荷に流れそこねた品物、今夜大宮物産に渡りそうです。東方観光の大西ってのも調べておいてください。手柄もう一つぐらいあげりゃ、あんたの首も繋がるでしょ?」
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