小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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第六話
┗騙し合いと騙され合い
「今井さん」
「はい?」
地下室へ戻ろうとした今井を亀梨が引き止めた。いぶかしく振仰ぐと笑ってるんだか笑ってないんだかわからないような曖昧な目を眼鏡の奥で細めて、こちらを手招きしている。
「何?」
「ちょっと見てもらえませんか?」
「は?」
「気になる人が来てて」
ひょいと視線を移す。壁に掛かった布の向こうには小さな穴が開いている。そこから壁一枚を隔てた来客用の応接室の絵画の目を通して、来客者の素性を確かめることができる。
「今、赤西が応対してるんです。華族だって言うんですが、年鑑にも載ってないし」
「僕にはわからないでしょう、華族なら」
唇の片端を上げながら皮肉る。
「何せ地下で夢をむさぼる『もぐら』ですから」
「その『もぐら』の方の知識を頂けないかと」
「裏社会の人間?まさか、こんな昼間っから、正面切って乗り込んでくるような……」
いいかけて今井は顎に手を当てた。思い出したのは数年前の大陸での一悶着だ。『夢幻』絡みだが、当局にも鼻薬を嗅がせてすんなりと通ったはずの仕事を引っ掻き回された覚えがる。
「……あれも真っ昼間に乗り込んできたか」
つぶやいて我知らず溜息をつく。
とにかく眩しい男で、やることは汚いのにやり方が堂々としているあたりが性質の悪さを物語っていた。もっとも、こちらもぱっと見には優男に見えたし、表面だけの官僚視察と甘くみたのがまずかったのだが。
もし、あの男だったとしたら、確かに蛇荷に『夢幻』が動いてると知れば昼間から妙な手を打ってこないこともない。そうして、あの男の後ろには剛直一本、引くことを知らぬ櫻井が居る。櫻井が出てくれば、遅から早かれ、蛇荷が叩かれるのは時間の問題だ。
どのあたりで引くかと算段し始めながら、今井は階段を昇った。亀梨の示した覗き穴に目を当てる。
部屋の中には洋風の応接間に凝った刺繍のソファが配されている。テーブルも飾り棚も欧州輸入の一目みて金がかかっているとわかる代物だ。そんなものをさあどうぞと見せびらかす部下の神経にはうんざりだが、そこにちんまりおさまっている男にはなおうんざりした。
生白い顔。濃い茶色のスーツにこれ見よがしの金時計、ネクタイまで黄金色というのはどうにも頂けない。くわえて髪の毛はふわふわと半端に解き流して、固めてもいない。どこから見ても苦労しらずのぼやんとしたお坊っちゃん顔はすべすべして、細い指先も荒れていない。
「どうですか?」
「さあ………覚えはないですねえ」
「………じゃあ、言う通り、東山さまの御子息の一人なのかな」
「何の用なんです?」
「珍しい本を取り寄せたいって言うんですよ。貴重な本で『極彩色熱帯魚図鑑』の続きものだとか」
「………」
「ええ、そうなんです」
今井が眉を上げて、亀梨はうなずいた。
「『熱帯魚』は合い言葉ですからね。さっきから赤西が真意を探り出そうとしてるんですが、これがのらりくらりと話をうまくかわされてばかりで」
「ほう………赤西が」
今井は改めて男に視線を注いだ。
にこにこ無難に笑っている顔は目を見張る美形というのではないが、どこか妙な色気がある。ときどき伏せてちらりと上げてくる視線に見られるたび、赤西がうっすら赤くなって微妙にうろたえている。
赤西とて、伊達や酔狂で蛇荷貿易の表の顔をつとめているわけではない。客の選別もまかされているのだが、この客ばかりは扱いあぐねているようだ。
「東山さまの方は?」
「それがただいま商談にお出かけとかで。夕刻過ぎないと帰られないそうなんですが、あの方もどうしても取り寄せできないのなら、山風運輸に頼みにいきたいと」
「ふうむ」
山風運輸も『夢幻』を動かしている。だが、珍しい書物の取り寄せとなると、このあたりでは山風か蛇荷、少し足を伸ばして大宮物産ぐらいだろう。
「僕が出ましょう」
「よろしいですか」
「ちょっと………気になることもありますから」
「よろしくお願いします」
「ああ……もし、十五分たって帰らないようなら、お茶、入れ替えて下さい」
「は、ああ、はい、わかりました」
亀梨がうなずくのを背中に今井は通路を通り抜けた。
小部屋の鏡で身だしなみを整える。鬚はいいとして乱れ落ちた癖のある髪は整髪料で軽くまとめ、黒シャツ黒ネクタイ黒スーツのいかにもうさんくさげな格好ににやりと笑った。
まずはどう反応するかを見るつもりだったが、ふと窓の外に目をやって、正面のかふぇを通り過ぎる懐かしい顔を見かけて目を見開く。
「おやおや………松本さん」
忘れもしないあけっぴろげな明るい笑顔は変わっていない。通りでぶつかりかけた小僧にしゃがみ込んで説教し始める姿を見ていると、相手の視線がちら、と一瞬鋭い光を帯びてこちらを見た。
今井の姿はカーテンの影で見えなかっただろうが、明らかに仕事中の殺気を漲らせた視線、それもたまたま蛇荷貿易を掠めたというのではなくて、小僧と別れてからのんびりと煙草を銜える、その視線が何度かこちらに投げかけられる。
「……なるほど」
く、と今井は笑った。
「いらっしゃってるのは、お仲間ということか」
今井がここにいたことが不運だったのか、松本の勘が平和な日本で鈍ってしまったのか。大陸ではぎらぎらした刃を前にしているような気がしたものだが。
「なら、さっさと動かねえとやばいな」
今井が有利なのは、こちらが松本の関与を知っているというその一点でしかない。正体がばれているとなれば、もっと素早く容赦ないやり方に出てくるだろう。それで大陸では散々な目にあって、結果、組織を一つ手放さなくてはならなかった。
「亀」
「あ、はい?」
「お茶、すぐに下さい」
「というと?」
「あれは潜入工作員でしょう。どこまで何を知ってるのか…………吐かせてみます」
「よろしくお願いします」
亀梨が頭を下げるのに、今井は薄笑いを浮かべてネクタイを締め直した。
「で、僕、本当にかんどーしちゃって!」
「はあ」
「ほんの僅かな水温や育て方の違いで、そりゃあ、全く発色が違うんですよ!」
「は、あ……」
目の前の顔の男はぼんやりとうなずいた。
無理もない。もう延々30分は『熱帯魚がどれほど素晴らしいのか』について聞かされ続けているのだ。
「お父様に頼んで、ぶっひゃ、とかべりめろすとか、取り寄せてもらったんですけど、そーだなー、水槽が一部屋占めてます」
「は…………あ………あ?今井さん?」
「はい?」
幽体離脱一歩手前じゃないかと言うほど惚けていた相手がふいに我に返って背後に呼び掛け、相葉も振り返った。
「こんにちは………お魚について詳しい方が来られたとかで、お話に加わりたいとつい」
全身黒づくめの男だった。細身仕立てのスーツもネクタイもシャツも黒い。それぞれに織りが違っていて高価なことはわかる。顔に微笑みを浮かべ、声は高めで優しい。
「ああ………初めまして、僕、東山雅紀といいます。今井……?」
「いや、もう名乗るほどのものでは……今井と呼び捨てて下されば」
立ち上がって差し出した相葉の手を如才なく今井は握り返した。
「よろしいですか…………あ、赤西、新しいお茶をお願いしたいのですが」
「え、ああ、はい、承知しました」
赤西がはっとしたように立ち上がり、そそくさと部屋を出て行く。その後姿を見送りながら、相葉はゆっくりつぶやいた。
「へえ…………今井さんってこちらに長くいらっしゃるんですね。それとも、こちらとの取り引きの?」
くるりと振り返ってにっこり笑ってやる。
ソファの方へ移動していた今井が一瞬動きを止めたが、にこやかに笑い返してきた。
「どうしてですか?」
「いえ………赤西さん、こちらの番頭のようなもの、とおっしゃってたからー。番頭の上となると、大番頭、あるいは御主人ぐらいですよねー?」
にこにこしながら相葉もソファに腰を降ろす。
「ああ、なるほど。これは鋭い。いや、そうですね、まあ言えば、海外担当と申しますか」
「ああ、そうなんですか」
今井が鋭い視線を返してきて、相葉はなおにこにこした。
「じゃあ、僕の欲しいものは今井さんにお頼みするといいのかな」
「そうですね、何をお望みなんですか?」
「えーっとね、赤西さんにもお話ししてたんですが、『極彩色熱帯魚図鑑』の改訂版が出たって聞いたんですよ。前のうぃんぐ・ぱるさー社のは持ってるんですが、新しいのがどうしても欲しくなって」
「ああ、なるほど」
今井が笑みを深める。
「それはひょっとすると、うぃんぐ・ぱるさーではなく、どりーむ・いりゅーじょん社ではなかったですか?」
相葉は目を細めた。今井は微笑みの顔を保ってはいるが、目は笑っていない。
「うーん、そーだったかな」
「外国のことばは難しいですからね。覚え間違いだったのでは?」
「あの」
「はい?」
「僕、何だか脅されてるみたいな気がしちゃうんですけど」
へらんと笑うと相手がゆっくり腕を組んだ。それが癖なのか、顎に指先を当ててこちらを覗き込むような仕草をする。
「心外ですね」
「そうですか?僕って、ほら、いろいろすぐ不安になるたちで。夜眠れなくなることもあるんですよ。心配だったり、調子が悪かったりするとすぐ、ね、いろんなものが欲しくなって」
相葉は唇に当てた指を滑らせた。ちろ、と舐めてみせながら微笑む。
「きっとできそこないなんですよ」
「そんなことはないでしょう」
今井は微笑を崩さない。
「あなたは…………ずいぶん賢い方のようだ」
「そんなこと言って頂いたの初めてです。ありがとう」
「本当に欲しいものは何ですか?」
「言ったら、くれる?」
唇に指を差し込み、舌で嬲った。相手の視線がそこに引き寄せられるのを確かめて、軽く吐息をついて指を離し、困ったように呟いてみせる。
「僕……一人で寝られないんです」
「ほう……」
「それも、誰かを抱いていたいんじゃなくて、抱かれていたい方」
「………」
「でも……そう誰もが応じてくれない………だから、お薬に頼る。気持ちよく眠れますもんね?」
立ち上がると今井が追うように視線を上げた。
「ぼちぼち………なくなるんです、お薬」
すう、と今井の視線が落ちて相葉の手に向かう。その視線の先にある手が微かに震えているのを相葉も感じていた。だからこそ、あえて晒すように立ち上がったのだ。大野が用立てた『夢幻』はほぼ使いきりつつあった。後はそれこそ、山風からでも手に入れるしかない。
「欲しいんですか?」
「はい………欲しいです」
今井が立ち上がった。そのまま相葉に近づくのかと思いきや、側を通り抜け、背後の扉へ向かって、そこで茶を受け取って戻ってくる。テーブルにそれを盆ごと置いた今井の手を相葉は捉えた。半身振り返る相手をじっと見つめて甘え声でねだる。
「あなたが………くれる……?」
「何を?」
「まずは………唇から……」
体を寄せた相葉の顎を今井が掴んだ。舌を待って開いた相葉の口へ、ためらいなく唇を重ねてくる。
滑り込んでくる舌が容赦なく口の中を探り回って、『夢幻』が切れかけ敏感になっている相葉の感覚を見る間に煽った。
「っん、んんっ」
何度か繰り返し重ね直されて上がり始めた息に喘ぎながら目を開くと、今井がじっとこちらを覗き込んでいた。
「情報局に白鷺という花魁がいるそうですね?」
「っ」
体を引き寄せていた龍村の手がするりと滑り降りた。
「男のくせに、女に負けないいい体を持っていて」
「っあ」
勃ちあがりかけていた相葉の前をゆっくりと摩り上げる。
「敏感で、淫乱で」
「…っ……あ、ああっ」
囁かれながら耳から首筋に口を落とされ吸い付かれる。思わず崩れそうになってすがりつくと、相手が強く上半身を抱き込んでくる。煽り立てるもう片方の手に体が揺れて跳ね上がるのに唇を噛んで首を振る。
「けど………その人が『夢幻』中毒で、こんなに容易くこっちの手に落ちてくれると思いませんでしたよ」
「……うっ」
限界近くまで一気に追い上げられてよろめいたところへ、素早く近づいた口が相葉の口に茶を流し込んできた。びくりと大きく体が震える。その味にはこの数日でなじんでいる。
「『夢幻』………」
「よくご存知でしょう? けど、これは改良作………どこかどう違うかは」
「っは、あ……っ」
もう一度口を吸われ、舌で犯され、すぐに気づいた。炎の立ち上がりが数倍早い。疼く体を抱えて撫で回されただけで声を上げて身悶えてしまう。スラックスの前を開かれ、下着を濡らし始めていたものを引きずり出され、直接に扱きあげられて悲鳴をあげる。
「あ、あ、ああっ」
「いい声ですね? ………感度もずいぶんよさそうだ」
容赦なく追い立てられながらスラックスを引き落とされる。崩れそうに震える脚にしゃがみ込んだ今井の肩にすがると、そのまま腰を引き寄せられてずぶりと深く含まれた。
「……うくっ……ああっ………っっ」
温かな口でしゃぶり回される。腰を揺らせる相葉の後ろに指が這う。柔らかな手付きで広げられて、細い指先が滴ったぬめりを押し入れてくる。弱い部分はすぐに見つけられた。繰り返しそこを探られながら、巧みな舌を這わされて、相葉は堪えきれずに呻いて放った。まるで特別な飲み物でも口にしたようになおも吸い付かれ、引こうとした腰を強く押されて銜えこまれ、身をよじってもがく。
「や………ああっ………っっはぅ…っ」
次々に駆け上がってくる快感に視界が白く霞む。限界を越えているはずなのに、なお追い上げられて仰け反りながら悲鳴をあげる。後ろを犯した指がふいに深くねじ込まれた。
「あ………ああああっ……ああっ……ああ!」
ずきり、と鋭い白い刃に意識を切り裂かれた気がして、相葉の体から力が抜けた。
第七話
┗罠にはまった一人の男
少し気を失っていたのだろう。
気がつくと、相葉はいつの間にか薄暗い部屋に連れ込まれていた。 ひんやりした空気から地下室らしいと見当をつける。コンクリートで囲まれた箱のような部屋、留置場のような鉄格子が数カ所に区切っていて、その一室にスーツを剥がれ、カッターシャツ一枚で手錠をはめられ拘束されている。シャツの下の素肌が空気に晒され粟立っている。
両腕を上げて座り込んだ状態で鉄格子に張り付けられている相葉の前に、今井が冷ややかな笑みを浮かべてしゃがみ込んでいた。
「さあ……話してもらいましょうか、白鷺さん」
「何を…でしょ?」
まだ少し整わない呼吸で尋ねた。
「確かに僕は白鷺だけど……どうしてこんなこと、するの?」
今井に不安そうに笑いかけてみせる。
「さっきのは………凄く気持ちよかった……でも」
周囲を見回して溜息をついた。
「僕、抱かれるなら、もっと柔らかいとこの方がいーんだけど」
「……思ったより、強いんですね、あなたは」
今井が低く笑う。
「それはそれで楽しい……まあ、ゆっくりと吐いてもらいましょう」
「ちょ、ちょっと待って」
ゆらりと立ち上がった相手が掌にさらさらとした粉を落とすのに、相葉は目を見開いた。
「それって………『夢幻』……?」
「そう。欲しかったんでしょう?」
「いや、でも、ちょ…………あ、ああああっ!」
今井は掌に落とした粉を指に擦りつけると、相葉の脚を開いた。背後には格子、体を引く空間もなく脚を持ち上げられ、晒された後ろに『夢幻』をまぶした指を突き込まれて悲鳴を上げる。二宮に傷つけられた部分はもっと奥ではあるけれど、それでもまだあちこち傷が残っている状態、そんなところへ『夢幻』を擦りつけられては一気に血液に薬が入る。ただでさえ飲むより吸収のいい腸管に押し込まれているのに、そこに傷があってはたまらない。
「う、うあ、ああっ!」
強く擦りつけられ指を回され、焼けるような痛みに叫ぶ。竦んだ相葉に容赦なく脚を広げさせたまま、一旦引き抜いた指に今井がまた『夢幻』を絡ませる。濡れた指に白い粉がべっとりとまとわりつくのを見せつけて、そのまま相葉の後ろへねじ込んだ。
「やっ、やめっ………あっあああっっ!」
必死に抵抗するのも虚しく、なお多くの『夢幻』を擦り込まれて相葉は絶叫した。ぞくぞくと駆け上がる悪寒、すぐに乱れて激しく打ち始める心臓、息が上がって胸が苦しい。硬直した脚をなお引き上げられて、今井の指が相葉の中を蹂躙する。増やされる指が弱いところを何度もひっかいていくが、かき回される指の感触はまるで巨大なすりこぎを突っ込まれている感覚、本来なら快感につながるはずの刺激がきつ過ぎて吹き零れた涙と一緒に吐き気が込み上げる。
「ぐ、うっ、うあっ、あっあああっ」
「言いなさい、どうしてあなたはここへ来たんですか?」
熱く籠った声が命じた。喘ぐ相葉が首を振るのに、なお指を回して中身を抉る。耳鳴りがして、がしゃがしゃと耳障りな金属音が頭上の手錠から降ってくるのがみるみる遠ざかっていく。
「あっ……あふっ……くうっ、う」
「白鷺さん?」
視界が眩んで俯き喘ぐ相葉に、今井が呼び掛けてくるがそれに応えることすらできない。
「…………あなた………怪我してるんですか……?」
快感に狂うというよりはいきなりぐったりと身動きできなくなってしまった相葉に、今井も不審を感じたらしい。指を引き抜き、しばらく沈黙した後、ぼそりとつぶやいた。
「血まみれになってる」
「う……くっ………」
「大丈夫ですか?」
「うっんっ………っは」
息を荒げる相葉の顔を掬いあげて覗き込む今井の顔が僅かに白くなっている。
「……だから……待って…て………いったのに……」
朦朧としながら、相葉は弱々しくつぶやいた。流れ落ちる汗が唇に落ちてくる。苦痛に噛み切ったのか、ぴりっと染みて顔をゆがめる。
様子がただ事ではないと思ったらしい今井が、とろんと見上げた相葉に少し息を呑み、やがて引きつった顔になっておどおどと謝った。
「………すみません」
「……もー………」
『夢幻』のせいで感覚も鋭くなっているが、痛みは鈍くなっている。目を閉じ眉をしかめて堪えていると少しずつましになってきた。『夢幻』を多少なりとも服用していて幸いだった。もし、初めてこんなことをされたら、急性中毒で死んでいるところだ。
もっとも、予想していないことではなかったが。
乱れた呼吸を繰り返していると、今井が唇を重ねてきた。舌を這わせる仕草が優しい。相葉の唇を舐め回し、首筋の汗を吸い取ってから、掠れた声でつぶやいた。
「………ひどい抱き方されたんですね……」
「あなたが言うの………間違ってるよぉ……」
「………それは……そうですが………」
今井は奇妙な顔をしながら、そろそろと相葉の体を拭った。下半身が妙にべっとりしていると思ったら、再度出血してしまったらしい。
「ね?………ついでに手錠外して?……逃げられっこないし……」
「まあ……はい」
固い金属音が響いて両手が自由になった。そのままくたりと今井にもたれ掛かると、相手が硬直する。
「…なに」
「いや………まさか懐かれるとは」
「懐きたくて懐いてんじゃないもん………うー………吐きそう」
「え!」
「どんだけ………使ったの……『夢幻』………」
「……あ………えーと……すみません……」
「悪いけど………しばらく抱いててくれない?………くるし……」
「あ、はい」
妙な展開に飲まれてしまったのか、ごくりと生々しい気配で唾を呑んだ相手が我に返ったように、ゆっくりと相葉の背中を摩り始めた。
「あ、それ楽かも……」
「楽ですか」
「ん……」
「大丈夫ですか」
「なんとか……はぁ……死ぬかと思った……ひさびさに」
今井が、またこくん、と喉を鳴らす。熱っぽい目で喘ぐ相葉を見つめ、軽く喉に吸いついた。動いた舌に小さく呻くと、ひくりと震えて抱く腕に力が籠る。相葉は笑って片手を相手の股間に滑らせた。ぎくりと固まる相手に掠れた声で囁いてやる。
「元気になったら抱いてもいーから………」
「あ、はい?」
「どして……いきなり情報局だのって……?」
「ああ、だって」
今井が居心地悪そうに腰を揺らす。相葉の指先から逃れ損ねて、勃ちあがったものを撫で回され、唾を呑み込み小さく息を吐いた。
「外に松本さんを見かけて」
「あら…」
松潤のばかとつぶやいて見せると、今井が体を起こさせた。思い詰めた顔でまた口を寄せてくるのに、微笑んで口を合わせる。舌を滑り込ませて、入ってきた舌を弄ぶ。相葉がその気になって煽られない男はまずいない。
「っん、おいし」
「っは」
「僕今こんな状態だから」
相葉はにんまりと笑った。
「口でごほーししてあげよーか」
今井は目を見開いてためらい、やがてゆっくりうなずいた。
第八話
┗力とそれを操るもの
「……っん」
相葉と入れ替わって鉄格子にもたれた今井の、スラックスから引きずり出されたものを、相葉はゆっくり口を開いて銜え込んだ。今井を誘惑するためだけではなく、身体に入れられた『夢幻』がじわじわと熱を追い上げてきている、その熱を逃がすためもあった。
「ふ……」
ちらっと目を上げると、相手は食い入るような目で見下ろしていた。目を伏せながら口を半開きにし、入り込んでいるものを舌を絡みつけながら見せつけてやる。ごく、と唾を呑んだ相手の気持ちに素直に反応して、また嵩を増やしたものが口に入り切らなかったふうを装って、眉をしかめて呻いた。
「あ……う……っ」
喘ぎながらもがいて舌を押し出すように顔を引くと、今井が頭の後ろを押さえた。そのまま頭を押さえつけながら腰を進めてくるのを、今度は諦めたように舌を伸ばしながら喉深くまで受け入れる。
「うぐ…う……っ」
「どうしました?さっきの強気はどこへ行ったんです?」
今井が薄笑いを浮かべて腰を揺らし、口の中を膨れあがったもので満たされて、相葉は目を閉じた。
眉を潜めながら舌を動かし、奥を突かれて呻き、瞬きして懇願するように今井を見上げる。どきりとしたような今井の顔を目を潤ませて見つめれば、相手が逃がすまいとするように一層強く頭を押さえつけてくる。
「くふっ」
「もっと奥まで……」
命じる声が掠れてきた。その今井の気持ちを煽りながら、口を犯しているものを自分で気持ちいい部分に銜え込むことで快楽を拾う。
「う…うぅ……っ」
低く今井がうなった。相葉の唇から零れ落ちたよだれが滑り落ちて喉を這い胸へ流れる。相葉が喘ぐのに煽られて、ゆっくり頭を押さえたまま今井が腰を動かし始める。
「何もの……なんだ…あなたは」
「あ…むっ…」
「なんて……顔するんですか…」
「は…ぐっ……う……」
「こっちが………たまら……ない…」
相葉は眉を寄せて今井のものを舐め回しながら、伝ったよだれで濡れた胸に自分の指を這わせた。ゆっくり摘んで嬲り、立ち上がってからはよだれを指に絡めてくすぐり高めていく。もう片方の手は下に降ろして、汚れ濡れたものに絡めて扱き始める。
濡れた音が相葉の口と身体から広がり、コンクリートの壁に響いて異様に大きく聞こえた。
「とんだ淫乱だ……」
今井の嘲笑う声に軽く首を振ってやった。泣きそうな顔を演じるのはお手のもの、流れてくる汗に目を閉じ、腰を揺らせて、勃ち上がったものを握り強弱をつける。
「あ……っ」
ひくりと身体が震えた。
思い出したのは二宮の指。忘れ切っていたと思った手順、甘くて柔らかくて容赦がない指の動きを思い出して、相葉は自分の声が濡れたのを感じた。
にの。
胸の中でつぶやけば、粒がしこり、二宮の舌を待ち望む。そこを濡らした指で軽く撫で摩ると、舌の感触を甦らせることができて、相葉は身体を震わせた。
演技だけではないくらりとした波が頭に広がり、痺れを産む。それが舌の愛撫にも繋がったのか、
「う……おっ……」
今井が切羽詰まった呻きを上げて相葉の頭を抱えた。苦しげに眉を寄せて呼吸を荒げる。がたん、と鉄格子が鳴ったのはよろめいた今井が身体を打ちつけた音、その音にさっき手錠で縛られたまま抉られた感覚が甦り、相葉は唇を上げた。
今井のものをより深く銜え込み、それが無理に自分を犯し、敏感なところを攻め立てられていると想像する。縛られ拘束され逃れようのない快感に晒されている、と。
「んうううっ」
その手順は二宮が教えたもの。ぎりぎりまで追い立てて、なのになかなかイかせてはくれなくて、何度もねだって懇願して待って焦れてするうちに、意識に霧がかかって視界が霞む。縛りも拘束もしないけれど、二宮の柔らかな声で
「だめ、雅紀」、
そう命じられるだけで相葉は縛られたも同然だ。上からも下からも切ない涙を絞り出しながら、いいと言われるまで耐え続けるのがまた壮絶な快感を産む。
「んっ……んぐ……っ…んっん」
まだだよ、雅紀。
うん、にの。
もう少し我慢。
うん……にの。
もっと鳴け。
うん…うん…にの……。
命令は絶対、一度耐え切れなくて零してしまったら、その後イかされないまま延々と責められ続けて、さすがに意識が擦り切れそうになった。
けれど、その後はいつもうんと優しくて。全てを手放して眠り込む相葉をじっと抱いててくれたことさえあって。目が覚めたときに綺麗な額に髪を乱して眠る顔に驚き、ひどく嬉しくて、起こさないようにそっとまた胸に潜り込んで眠った、至福の時間。
「ぐ、うっ……んぅ…っ………んう」
胸を突き上げた切なさに一つ顔を振って現実に戻った。
今井のものを何度も吸いあげ、舌を這わせる。ひくひく動き始めるのを軽く噛み、尖らせた舌で先端を探り突き立てる。
「う、うあっ……あ」
今井が堪え切れぬように叫んだのをいいことに、身体が揺れたふりをして口を放した。弾けたものが音をたてて顔を横切り、喉から胸へ散るのを受け止めながら、自分もしごき上げて駆け上がり、
「はあ……う……ぅうっ」
声を上げて仰け反りながら放つ。今井が朦朧とした顔で見下ろす足元に倒れる相葉の身体は自分のものと今井のものでべとべとになっている。
なおも寝そべったまま、股間のものを絞りながら、胸を弄り、切ない声を上げて身悶えてみせた。
「あ……ああっ………あ」
「ふ……う……っ」
ゆらっと鉄格子から体を起こした今井の目に獣の火が灯る。
「なに………してるんです……」
「う…んっ……だってー……う、ふっ」
浴びせられたものを掬い、身体に塗りたくる。自分のものも濡らしたまま、なお弄んでいると、再び勢いを取り戻して勃ちあがりはじめた。
「『夢幻』……使われたちゃったから……辛いんだよ……っ」
はあ、と息を吐きながら腰をうねらせた。さっき嬲られ傷つけられた後ろが今井の前でゆらゆら揺れて、それに相手が目を奪われているのを感じとりながら、
「今井さん……もう……だめでしょ…?…いっちゃったもんね…ぇ…っ……だから……っは」
「馬鹿にしないでください」
今井が低くうなって、体を起こした。スラックスを脱ぎ落とす。反応し始めたものを見せつけるように相葉の側に近寄って仁王立ちになる。
「あなたぐらい、どうとでもできる」
「………どう……とでも…?」
相葉は濡れた指を口元に運んだ。今井の目を見返しながら、指を舐め回し、それを顎から喉、首の付け根と滑り降ろしていく。胸を嬲って微かに喘ぎ、腹から脇へ動かして身をよじり、へそへもどって脚の付け根へと辿りながら、乱れ始めた呼吸で呻いた。
「は……う…っ……あ………どう………してくれる……の……?」
勃ちあがったものは新しい涙を零して揺れつつある。それを放置して相葉は両手を股間に降ろした。
ぬめりを掌で広げながら右膝をゆっくりと抱え上げ、開かれた場所にもう片方の手の指を埋める。
「あ……うううっ」
さすがに痛みがきつくて、視界が滲んだ。息を荒げながら、それでもずぶずぶと指を埋め込み、今井を潤んだ目で見上げる。
「んっ…だめ…かなぁ…痛い…よぅ……」
「あたりまえ、でしょう。さっき、怪我してるって言ったじゃないですか」
茫然とした顔になった今井が、誘われるように膝を落として跪き、相葉の指を引き抜こうとする。
それに抵抗してなお深く自分で差し込もうと力を入れた指が、勢いよく突き刺さり、相葉はまた悲鳴を上げた。
「あ…あっう…ふ…くぅん……っ」
「ばか、そんなことしたら」
「だって……っ……足りないん……だもん……っ」
「やめなさい、また血が」
「ひぃっ」
力まかせに今井に抜かれた指に内側を強く擦られ、相葉は芝居ではなく仰け反った。激痛が走り、とろとろと濡れたものが滴るのを感じる。
「あ…うんっ……」
泣きながら今井を見た。
「たす…けて……っ………今井さん……っ」
今井が大きく体を震わせ、目を大きく開いて息を呑む。それから突然、吊られた糸が切れたように相葉の股間に覆い被さった。脚を大きく開き顔を埋める。傷ついた後ろに温かな舌を感じて、相葉は小さく鳴いた。
「あ…あっ……今井、さ…ん…っ」
「もう…無理だ……だから……」
くぐもった声が苛立ったように戸惑いを宿して続く。
「私が……してあげます………どうすればいい……?どうすれば………楽になります…?」
「舐めて……もっと………ああ……舌……入れて……くふっ………んうう……」
両膝を押し上げられ、相葉は今井の舌に舐め回されながら喘いだ。濡れた音を響かせて、今井が必死に舌を使う。弄ばれているはずの相葉が甘い声でねだるたび、今井は何かに憑かれたようにそれに従った。
「あう……んっ………んっ……ん、あああっ」
「ここは?こっちは?」
「は、あっ………あああっ」
身体をうねらせ、声を上げるだけで今井は相葉の求めに従った。快感を貪りながらうっそり笑った相葉が、今井の頭をそっと両手で抱える。
「い…まい…っ…さ…僕……も…狂い……そ…」
「いいん、ですか」
「…んんっ…も……だめ…っ…あ…そこ…やめ…っ…あああっ」
相葉が軽く拒んでみせたところへ吸い寄せられるように今井が顔を落とす。望んだ通りの快感を手に入れて、相葉は、笑った。
今井がそそり立った相葉のものまで含みながら扱き上げてくれ、相葉は高い声をあげながら腰を振った。疼いてきた後ろに今井の指を導く。
「いや…しかし…」
「今井…さんなら…いいから……っ」
「そ…うですか…」
「でも……今日は…大きいの…いれないで…?」
「わかりました」
泣きそうな顔で唇を震わせて懇願すると相手は神妙にうなずいた。
「だから……ね…指で……慰めて…」
「はい」
今井が指を差し込み、やがて相葉の反応に夢中になって突き入れかき回し始める。痛みもあるが、それより勝る快楽に、相葉も身体を開いて今井の指を味わう。
「あ……っ………あああっ」
声を上げて舌を閃かせると、待ちかねたように口を重ねてきて舌を絡ませられた。肩を抱きかかえられ、指で犯されながら悶える相葉の耳元で今井が囁く。
「心配すんな………あんたは俺が……面倒をみる」
掠れて飢えた声音に、相葉は今井に見えない位置で目を細めて笑った。
潜入、完了。
第九話
┗金波銀波の海越えて
ふと、側に人の気配がして二宮は顔を上げた。鼻先を掠めたのは覚えのある煙草の匂いだ。
「………情報局の駄犬か」
「御挨拶だね」
許可する間もなく、同じテーブルにどさりと腰を降ろす音がした。
「……他に席があるでしょ」
冬のかふぇの外側に並べられているテーブルに着く物好きが二宮以外にいるとは思えない。部下が連れてきてくれたときも、他に誰もいません、いいんですか、と繰り返し尋ねたほどだから、よほど奇異に思ったのだろう。
「何してんの、こんなところで、港湾のお偉いさんがたった一人で?」
松本は二宮の拒否に平然と尋ね返してきた。相変わらずの不作法さに溜息をつく。
「そっちこそ、こんなところで油を売ってるほど暇なの、情報局は」
暗に今潜入工作をしている相葉のことを匂わせると、新しい煙草に火をつけたのか、マッチを擦る音がしてきつい匂いが漂った。
「……ちょっと野暮用でね」
声が動いて蛇荷貿易の方向を振り返ったようだ。露骨すぎる動作に眉をしかめる。
「正面で監視もないだろ」
「監視なんてしてないよ?あん中にはウチの切れ者が入ってる。俺がうろうろするだけで余計なことを考えて奥深く連れ込んでくれた今井ってお人好しもいたしね。楽な潜入だったよ」
くす、と微かな笑い声はしたたかな響きを宿している。
「言ったろ?俺は野暮用なの」
声はふわりと淡い調子で続いた。
「あんたこそ、気になんの、白鷺のこと?」
一瞬、松本の吐いた『白鷺』の名前に微かな優越感を感じた自分が忌々しくて、二宮はコートに入れた両手を握りしめた。
「俺がなんで気にしなくちゃいけない?」
「またまた強がっちゃって」
一体何の用、と苛立って尋ね返そうとしたら、あ、ここね、と軽い声を響かせて給仕を呼ぶのが聞こえた。陶器の触れ合う音がして、目の前のテーブルに温かな匂いが立ち上る。
「どうぞ?奢るよ」
「……馴れ合うつもりはない、って言ったはすだけど?」
「違うよ、これは、さむそーに部下の一人もつけずにこんなところでじっと動きを見張ってる同業者への同情」
「動きなんて見張って……」
「白鷺、あんたを裏切ったよね?」
「……」
反論しかけたとたんに切り込まれて二宮は黙り込んだ。
昔から松本は苦手だった。無神経に人の弱身を突き回る。
黙ったままなのがしゃくで、コートから出した手をテーブルに滑らせて端を探りながら、カップの位置を確認した。右手でソーサーを押さえ、左手でカップを取り上げる。ゆっくり持ち上げて、左手の親指に一瞬唇を触れてからカップに口を当てた。香り高い珈琲に濃いミルクの匂い、甘めに入れた砂糖も行き届いた量でむかつく。
松本の不快なところは、これほど無遠慮で不躾なやつなのに、人が何を必要としているかを的確に把握しているということだ、と二宮は思った。寒さで凍えた体にじんわりと温かな飲み物が染み渡って、思わずほっとする。部下の迎えはまだ先のはずで、さすがに何か頼もうかと思っていたところだった。
だから櫻井、あの男が臆面もなくこいつを侍らせて喜んでいるのかと納得しかけ、二宮はなお不快になった。一口二口飲んだところで、右手に軽くカップを触れて場所を辿りながらソーサーに戻す。
「さすがにちょっと言っとこうかと思ってさ」
「何を」
「………白鷺、同じことがあったら、きっと何度でもあんたを裏切るよ」
「情報局の切れ者だからだろ?」
間髪入れずに返すと、相手がカップを取り上げる音が響いた。まだ熱いそれを煽る気配に、松本もかなり長い間外にいたのだと気づく。
「それか、あいつが節操がないから」
「節操がないってのは認めるけど」
再びマッチを擦る音が響いた。
「あいつは『夢幻』を憎んでるから」
「………憎む?」
松本の声が微かに憂えてそちらへ顔を向けた。
「………あのさ、ちょっと尋ねたいんだけど」
「何」
「あんた、あのときに『夢幻』横流しして、その後どうなったと思う?」
「?」
「あんたが市場に放った『夢幻』が何を引き起こすか、わかってた?」
そこまで聞いてようやく二宮は松本の言わんとすることがわかった。吐息をついて前を向く。
「強度の習慣性を持つ麻薬なため、試した9割が依存する。離脱するものは極端に少ない。しかも、飲み始めはむしろ体調の保持や改善に繋がるから、止められなくなるまで一気に量は増える。習慣化して中毒症状で死亡するものは5割を越える、と聞いた」
「……それ、わかってたんだ?」
「……ああ」
自分の汚さぐらいわかっている、そう続けかけたが、松本の低い声がそれを遮った。
「じゃあ、母子汚染は?」
「え?」
「『夢幻』中毒の母親が妊娠した場合、ほぼ間違いなく赤ん坊も中毒になる。生まれたときから『夢幻』の虜だ」
「………それは……」
二宮が怯んだところへ畳み掛けるように松本が続けた。
「生まれた子どもは母乳しか受けつけない。母親の体内にある『夢幻』を必要とするから。他の何を飲ませても吐いて、吐きまくって衰弱していく。けれど、母乳をやった場合、『夢幻』の体内濃度が一気にあがって、早ければ数日で死亡する」
「…………」
二宮は黙った。そこまで詳しくは知らなかった。だが、それが何を意味するのかを考えれば、微かな寒気が這い上がった。『夢幻』中毒になったものは子どもを残せないのだ。
今上層部に広がっている『夢幻』中毒がもっと進めば、次の世代はかなりの率で減少する。貴族階級に大きな変動があらわれるかもしれない。
「…………白鷺はね、大陸の出なんだ。知ってた?」
「……いや……?」
松本の話が急に飛んで、二宮は戸惑った。
「………日本に入る前に大陸の方で『夢幻』は広がってた。山奥で、土地が痩せてて、他にこれと言った産業もない村とかでは『夢幻』精製を主にしてるところもあってさ、白鷺、そこの出身なんだって」
「皮肉だね。作り手が異国で『夢幻』を燃やすのか」
「皮肉?違うよ、当然だ」
「当然?」
「わかんないの、二宮さん?『夢幻』精製を仕事にしてる村って数年で壊滅するんだよ」
「!」
「………そ。仕事はきついし、楽しみもないからね、つい手を出す。始めは仕事も進むし、陽気に楽しくやれるからね、管理してる方もむしろ進めたりしてさ」
松本の声は虚ろで暗い。
「でも………そのうち、赤ん坊がいなくなる。子どもがいなくなって、どんどんみんな『夢幻』に侵されてって…………そして誰もいなくなるとさ、新しい村に精製場所が移る。村に残ってるのは干涸びた死体だけだ」
「……そこから………逃げ出したのか、あいつは」
「…………なら、よかったんだと思うよ」
新しい煙草に火がついた。
「………白鷺、そこで何やってたかっていうとさ、赤ん坊の首、締めてたんだって」
「っ!」
今度ははっきりとした悪寒が二宮の背中を駆け上がった。
「生まれた赤ん坊、どっちにしても死ぬってみんな知ってるから。生まれてあやうくなったらさっさと始末するんだって。手ぇ、かかるから。白鷺、子ども好きだったから、それでも面倒みてたらしい。けど、何も受けつけないでしょ?吐くしさ。痩せ細ってくけど、母乳飲ませるわけにいかないしさ、で、腕の中で冷たくなるの何回も抱えてるうちに、さっさと楽にしてやろうって思うようになったんだってさ」
かたかた、と小さな音が自分の掌で響いている、と二宮は気づいた。震えているのだ。無意識に体が震えている。
細くて白い顔。邪気のないふわんとした笑み。
その笑みの後ろにあったのは、暗黒だったのだ。
紅蓮の炎を背中に笑う顔が甦る。殺気に満ちた満足気な笑み。
壮絶な光を宿した、あの笑みの意味は。
もーりもいやーがーる、ぼんからさーきーは。
いつかの床で微かに小さな声で歌を口ずさんでいたことがあった。それは何かと聞くと、優しく笑って、子守唄だよ、と答えた。
ゆーきもちーらーつーくし、こーもーなーくーし。
好きなのかと聞くと珍しく目を逸らせて、好きだな、とつぶやいた。
子守唄は好きだな、
何度歌っても足りない気がして。
ちゃんと眠らせてやりたいから。
いい子ばっかりなんだから、と。
あのことばの意味は。
「…………村であいつが最後に生き残ったのは、あいつ一人だけが『夢幻』をやらなかったから」
もう、やめてくれ、と叫びそうになって二宮は歯を食いしばった。
「………だから、白鷺は『夢幻』を許さない、けど」
「………け、ど?」
必死に体に力を込めて問い返す。
「今、あいつ、あそこに『夢幻』飲みながら入ってるんだ」
「な……に……?」
魂を引き抜かれた、というのはこういう気持ちなのかと思った。相葉に裏切られたときも、世界が崩壊するような思いだったが、これは全く別の、まるで自分が消え失せたような衝撃に二宮は茫然とした。
「なん……だと……?」
「『夢幻』中毒って設定だから。一週間、連絡がなかったら俺達が入る予定になってる」
「一週間?」
見えない視界が揺れるのを感じた。今日でもう丸3日、白鷺は全く『夢幻屋』に戻っていない。そんなに長く『夢幻』を服用すれば完全に中毒化してしまう。
「遅い……遅すぎる」
「大野君から聞かなかった?大きな取り引きがある。あそこには十数人が出入りしてて、その情報を掴むにはそれぐらいいるからって白鷺が言ったんだ」
「そんな……」
「………さ、て、じゃ、行くね」
「ま、待てっ!」
松本が椅子を鳴らして立ち上がる気配に、二宮はうろたえた。
「あ、何、奢ってくれんの?」
「いや、待て、それを」
「ちぇ、けち」
「違う!なぜそれを俺に教えた!なぜ貴様らは、雅紀を見捨てるっ!」
「………へえ……あいつの名前、雅紀って言うんだ?」
「あ……」
松本の声がふいに和らいでくすりと笑い、二宮はひやりと口をつぐんだ。
「じゃあ……やっぱ……あんたが本命なんだ?」
「………」
「………俺の勘も満更じゃないなぁ…………なら、なぜ俺があんたに教えたか、わかってんじゃない?」
「………」
松本の声がちりちりしたものを含んだ。
「俺達は情報局だ。目的は『夢幻』ルートの確保。けど、白鷺の目的は『夢幻』の消失。前のときは何とかしたけど、今回またやったら俺達は動きが封じられちまう。だが、港湾局が張り合って乗り込まれた分にはどうしようもないしさ?」
「……俺に…裏工作に付き合え、と?」
「まさかぁ。俺が?情報局の松本が?そんなこと言うわけないでしょ?俺は昔話をちょっとして、『夢幻』のコワさについて独り言言っただけだよ?」
急に声が近づいた。煙草の匂いがきつくなる。眉をしかめた二宮の耳元で静かな声が響く。
「あんた、俺が嫌いでしょ?俺もあんた、苦手。すぐ翔くんを馬鹿にするしさ?」
「………」
「けど、俺はあいつが抱えてるものはわかるから。それを守るためなら、矜持曲げるのも嫌いじゃないんだ」
その声に響いた微かな揺らぎに二宮は気づいた。
「………櫻井、か」
「え?」
「………櫻井があいつを心配してるんだな?」
ち、と舌打ちの音がして、松本が体を引くのがわかった。
「他は鈍いくせに」
「駄犬とは違う」
「あんたに振るシッポなんて持ってないよ」
「………せいぜい櫻井に振ってやれ、俺はもう間に合ってる」
ひゅう、と微かな口笛が響き、くすくす笑いが続いた。
「期待してるよ、二宮さん?」
軽い足音が走り去り、二宮は肩の力を抜いた。
『夢幻』の作用を理解しているはずの相葉が潜入するのに服用していくとは思えない。それとも、口八丁ではごまかせないほど難しい仕事だったのか、そう思って気づく。
無言の、あの日の逢瀬は。
「生きて………戻らないつもり……だったのか……」
腕の中で崩れた体の浅い呼吸を思い出す。焼け付くような焦りが広がった。
「雅紀………」
┗騙し合いと騙され合い
「今井さん」
「はい?」
地下室へ戻ろうとした今井を亀梨が引き止めた。いぶかしく振仰ぐと笑ってるんだか笑ってないんだかわからないような曖昧な目を眼鏡の奥で細めて、こちらを手招きしている。
「何?」
「ちょっと見てもらえませんか?」
「は?」
「気になる人が来てて」
ひょいと視線を移す。壁に掛かった布の向こうには小さな穴が開いている。そこから壁一枚を隔てた来客用の応接室の絵画の目を通して、来客者の素性を確かめることができる。
「今、赤西が応対してるんです。華族だって言うんですが、年鑑にも載ってないし」
「僕にはわからないでしょう、華族なら」
唇の片端を上げながら皮肉る。
「何せ地下で夢をむさぼる『もぐら』ですから」
「その『もぐら』の方の知識を頂けないかと」
「裏社会の人間?まさか、こんな昼間っから、正面切って乗り込んでくるような……」
いいかけて今井は顎に手を当てた。思い出したのは数年前の大陸での一悶着だ。『夢幻』絡みだが、当局にも鼻薬を嗅がせてすんなりと通ったはずの仕事を引っ掻き回された覚えがる。
「……あれも真っ昼間に乗り込んできたか」
つぶやいて我知らず溜息をつく。
とにかく眩しい男で、やることは汚いのにやり方が堂々としているあたりが性質の悪さを物語っていた。もっとも、こちらもぱっと見には優男に見えたし、表面だけの官僚視察と甘くみたのがまずかったのだが。
もし、あの男だったとしたら、確かに蛇荷に『夢幻』が動いてると知れば昼間から妙な手を打ってこないこともない。そうして、あの男の後ろには剛直一本、引くことを知らぬ櫻井が居る。櫻井が出てくれば、遅から早かれ、蛇荷が叩かれるのは時間の問題だ。
どのあたりで引くかと算段し始めながら、今井は階段を昇った。亀梨の示した覗き穴に目を当てる。
部屋の中には洋風の応接間に凝った刺繍のソファが配されている。テーブルも飾り棚も欧州輸入の一目みて金がかかっているとわかる代物だ。そんなものをさあどうぞと見せびらかす部下の神経にはうんざりだが、そこにちんまりおさまっている男にはなおうんざりした。
生白い顔。濃い茶色のスーツにこれ見よがしの金時計、ネクタイまで黄金色というのはどうにも頂けない。くわえて髪の毛はふわふわと半端に解き流して、固めてもいない。どこから見ても苦労しらずのぼやんとしたお坊っちゃん顔はすべすべして、細い指先も荒れていない。
「どうですか?」
「さあ………覚えはないですねえ」
「………じゃあ、言う通り、東山さまの御子息の一人なのかな」
「何の用なんです?」
「珍しい本を取り寄せたいって言うんですよ。貴重な本で『極彩色熱帯魚図鑑』の続きものだとか」
「………」
「ええ、そうなんです」
今井が眉を上げて、亀梨はうなずいた。
「『熱帯魚』は合い言葉ですからね。さっきから赤西が真意を探り出そうとしてるんですが、これがのらりくらりと話をうまくかわされてばかりで」
「ほう………赤西が」
今井は改めて男に視線を注いだ。
にこにこ無難に笑っている顔は目を見張る美形というのではないが、どこか妙な色気がある。ときどき伏せてちらりと上げてくる視線に見られるたび、赤西がうっすら赤くなって微妙にうろたえている。
赤西とて、伊達や酔狂で蛇荷貿易の表の顔をつとめているわけではない。客の選別もまかされているのだが、この客ばかりは扱いあぐねているようだ。
「東山さまの方は?」
「それがただいま商談にお出かけとかで。夕刻過ぎないと帰られないそうなんですが、あの方もどうしても取り寄せできないのなら、山風運輸に頼みにいきたいと」
「ふうむ」
山風運輸も『夢幻』を動かしている。だが、珍しい書物の取り寄せとなると、このあたりでは山風か蛇荷、少し足を伸ばして大宮物産ぐらいだろう。
「僕が出ましょう」
「よろしいですか」
「ちょっと………気になることもありますから」
「よろしくお願いします」
「ああ……もし、十五分たって帰らないようなら、お茶、入れ替えて下さい」
「は、ああ、はい、わかりました」
亀梨がうなずくのを背中に今井は通路を通り抜けた。
小部屋の鏡で身だしなみを整える。鬚はいいとして乱れ落ちた癖のある髪は整髪料で軽くまとめ、黒シャツ黒ネクタイ黒スーツのいかにもうさんくさげな格好ににやりと笑った。
まずはどう反応するかを見るつもりだったが、ふと窓の外に目をやって、正面のかふぇを通り過ぎる懐かしい顔を見かけて目を見開く。
「おやおや………松本さん」
忘れもしないあけっぴろげな明るい笑顔は変わっていない。通りでぶつかりかけた小僧にしゃがみ込んで説教し始める姿を見ていると、相手の視線がちら、と一瞬鋭い光を帯びてこちらを見た。
今井の姿はカーテンの影で見えなかっただろうが、明らかに仕事中の殺気を漲らせた視線、それもたまたま蛇荷貿易を掠めたというのではなくて、小僧と別れてからのんびりと煙草を銜える、その視線が何度かこちらに投げかけられる。
「……なるほど」
く、と今井は笑った。
「いらっしゃってるのは、お仲間ということか」
今井がここにいたことが不運だったのか、松本の勘が平和な日本で鈍ってしまったのか。大陸ではぎらぎらした刃を前にしているような気がしたものだが。
「なら、さっさと動かねえとやばいな」
今井が有利なのは、こちらが松本の関与を知っているというその一点でしかない。正体がばれているとなれば、もっと素早く容赦ないやり方に出てくるだろう。それで大陸では散々な目にあって、結果、組織を一つ手放さなくてはならなかった。
「亀」
「あ、はい?」
「お茶、すぐに下さい」
「というと?」
「あれは潜入工作員でしょう。どこまで何を知ってるのか…………吐かせてみます」
「よろしくお願いします」
亀梨が頭を下げるのに、今井は薄笑いを浮かべてネクタイを締め直した。
「で、僕、本当にかんどーしちゃって!」
「はあ」
「ほんの僅かな水温や育て方の違いで、そりゃあ、全く発色が違うんですよ!」
「は、あ……」
目の前の顔の男はぼんやりとうなずいた。
無理もない。もう延々30分は『熱帯魚がどれほど素晴らしいのか』について聞かされ続けているのだ。
「お父様に頼んで、ぶっひゃ、とかべりめろすとか、取り寄せてもらったんですけど、そーだなー、水槽が一部屋占めてます」
「は…………あ………あ?今井さん?」
「はい?」
幽体離脱一歩手前じゃないかと言うほど惚けていた相手がふいに我に返って背後に呼び掛け、相葉も振り返った。
「こんにちは………お魚について詳しい方が来られたとかで、お話に加わりたいとつい」
全身黒づくめの男だった。細身仕立てのスーツもネクタイもシャツも黒い。それぞれに織りが違っていて高価なことはわかる。顔に微笑みを浮かべ、声は高めで優しい。
「ああ………初めまして、僕、東山雅紀といいます。今井……?」
「いや、もう名乗るほどのものでは……今井と呼び捨てて下されば」
立ち上がって差し出した相葉の手を如才なく今井は握り返した。
「よろしいですか…………あ、赤西、新しいお茶をお願いしたいのですが」
「え、ああ、はい、承知しました」
赤西がはっとしたように立ち上がり、そそくさと部屋を出て行く。その後姿を見送りながら、相葉はゆっくりつぶやいた。
「へえ…………今井さんってこちらに長くいらっしゃるんですね。それとも、こちらとの取り引きの?」
くるりと振り返ってにっこり笑ってやる。
ソファの方へ移動していた今井が一瞬動きを止めたが、にこやかに笑い返してきた。
「どうしてですか?」
「いえ………赤西さん、こちらの番頭のようなもの、とおっしゃってたからー。番頭の上となると、大番頭、あるいは御主人ぐらいですよねー?」
にこにこしながら相葉もソファに腰を降ろす。
「ああ、なるほど。これは鋭い。いや、そうですね、まあ言えば、海外担当と申しますか」
「ああ、そうなんですか」
今井が鋭い視線を返してきて、相葉はなおにこにこした。
「じゃあ、僕の欲しいものは今井さんにお頼みするといいのかな」
「そうですね、何をお望みなんですか?」
「えーっとね、赤西さんにもお話ししてたんですが、『極彩色熱帯魚図鑑』の改訂版が出たって聞いたんですよ。前のうぃんぐ・ぱるさー社のは持ってるんですが、新しいのがどうしても欲しくなって」
「ああ、なるほど」
今井が笑みを深める。
「それはひょっとすると、うぃんぐ・ぱるさーではなく、どりーむ・いりゅーじょん社ではなかったですか?」
相葉は目を細めた。今井は微笑みの顔を保ってはいるが、目は笑っていない。
「うーん、そーだったかな」
「外国のことばは難しいですからね。覚え間違いだったのでは?」
「あの」
「はい?」
「僕、何だか脅されてるみたいな気がしちゃうんですけど」
へらんと笑うと相手がゆっくり腕を組んだ。それが癖なのか、顎に指先を当ててこちらを覗き込むような仕草をする。
「心外ですね」
「そうですか?僕って、ほら、いろいろすぐ不安になるたちで。夜眠れなくなることもあるんですよ。心配だったり、調子が悪かったりするとすぐ、ね、いろんなものが欲しくなって」
相葉は唇に当てた指を滑らせた。ちろ、と舐めてみせながら微笑む。
「きっとできそこないなんですよ」
「そんなことはないでしょう」
今井は微笑を崩さない。
「あなたは…………ずいぶん賢い方のようだ」
「そんなこと言って頂いたの初めてです。ありがとう」
「本当に欲しいものは何ですか?」
「言ったら、くれる?」
唇に指を差し込み、舌で嬲った。相手の視線がそこに引き寄せられるのを確かめて、軽く吐息をついて指を離し、困ったように呟いてみせる。
「僕……一人で寝られないんです」
「ほう……」
「それも、誰かを抱いていたいんじゃなくて、抱かれていたい方」
「………」
「でも……そう誰もが応じてくれない………だから、お薬に頼る。気持ちよく眠れますもんね?」
立ち上がると今井が追うように視線を上げた。
「ぼちぼち………なくなるんです、お薬」
すう、と今井の視線が落ちて相葉の手に向かう。その視線の先にある手が微かに震えているのを相葉も感じていた。だからこそ、あえて晒すように立ち上がったのだ。大野が用立てた『夢幻』はほぼ使いきりつつあった。後はそれこそ、山風からでも手に入れるしかない。
「欲しいんですか?」
「はい………欲しいです」
今井が立ち上がった。そのまま相葉に近づくのかと思いきや、側を通り抜け、背後の扉へ向かって、そこで茶を受け取って戻ってくる。テーブルにそれを盆ごと置いた今井の手を相葉は捉えた。半身振り返る相手をじっと見つめて甘え声でねだる。
「あなたが………くれる……?」
「何を?」
「まずは………唇から……」
体を寄せた相葉の顎を今井が掴んだ。舌を待って開いた相葉の口へ、ためらいなく唇を重ねてくる。
滑り込んでくる舌が容赦なく口の中を探り回って、『夢幻』が切れかけ敏感になっている相葉の感覚を見る間に煽った。
「っん、んんっ」
何度か繰り返し重ね直されて上がり始めた息に喘ぎながら目を開くと、今井がじっとこちらを覗き込んでいた。
「情報局に白鷺という花魁がいるそうですね?」
「っ」
体を引き寄せていた龍村の手がするりと滑り降りた。
「男のくせに、女に負けないいい体を持っていて」
「っあ」
勃ちあがりかけていた相葉の前をゆっくりと摩り上げる。
「敏感で、淫乱で」
「…っ……あ、ああっ」
囁かれながら耳から首筋に口を落とされ吸い付かれる。思わず崩れそうになってすがりつくと、相手が強く上半身を抱き込んでくる。煽り立てるもう片方の手に体が揺れて跳ね上がるのに唇を噛んで首を振る。
「けど………その人が『夢幻』中毒で、こんなに容易くこっちの手に落ちてくれると思いませんでしたよ」
「……うっ」
限界近くまで一気に追い上げられてよろめいたところへ、素早く近づいた口が相葉の口に茶を流し込んできた。びくりと大きく体が震える。その味にはこの数日でなじんでいる。
「『夢幻』………」
「よくご存知でしょう? けど、これは改良作………どこかどう違うかは」
「っは、あ……っ」
もう一度口を吸われ、舌で犯され、すぐに気づいた。炎の立ち上がりが数倍早い。疼く体を抱えて撫で回されただけで声を上げて身悶えてしまう。スラックスの前を開かれ、下着を濡らし始めていたものを引きずり出され、直接に扱きあげられて悲鳴をあげる。
「あ、あ、ああっ」
「いい声ですね? ………感度もずいぶんよさそうだ」
容赦なく追い立てられながらスラックスを引き落とされる。崩れそうに震える脚にしゃがみ込んだ今井の肩にすがると、そのまま腰を引き寄せられてずぶりと深く含まれた。
「……うくっ……ああっ………っっ」
温かな口でしゃぶり回される。腰を揺らせる相葉の後ろに指が這う。柔らかな手付きで広げられて、細い指先が滴ったぬめりを押し入れてくる。弱い部分はすぐに見つけられた。繰り返しそこを探られながら、巧みな舌を這わされて、相葉は堪えきれずに呻いて放った。まるで特別な飲み物でも口にしたようになおも吸い付かれ、引こうとした腰を強く押されて銜えこまれ、身をよじってもがく。
「や………ああっ………っっはぅ…っ」
次々に駆け上がってくる快感に視界が白く霞む。限界を越えているはずなのに、なお追い上げられて仰け反りながら悲鳴をあげる。後ろを犯した指がふいに深くねじ込まれた。
「あ………ああああっ……ああっ……ああ!」
ずきり、と鋭い白い刃に意識を切り裂かれた気がして、相葉の体から力が抜けた。
第七話
┗罠にはまった一人の男
少し気を失っていたのだろう。
気がつくと、相葉はいつの間にか薄暗い部屋に連れ込まれていた。 ひんやりした空気から地下室らしいと見当をつける。コンクリートで囲まれた箱のような部屋、留置場のような鉄格子が数カ所に区切っていて、その一室にスーツを剥がれ、カッターシャツ一枚で手錠をはめられ拘束されている。シャツの下の素肌が空気に晒され粟立っている。
両腕を上げて座り込んだ状態で鉄格子に張り付けられている相葉の前に、今井が冷ややかな笑みを浮かべてしゃがみ込んでいた。
「さあ……話してもらいましょうか、白鷺さん」
「何を…でしょ?」
まだ少し整わない呼吸で尋ねた。
「確かに僕は白鷺だけど……どうしてこんなこと、するの?」
今井に不安そうに笑いかけてみせる。
「さっきのは………凄く気持ちよかった……でも」
周囲を見回して溜息をついた。
「僕、抱かれるなら、もっと柔らかいとこの方がいーんだけど」
「……思ったより、強いんですね、あなたは」
今井が低く笑う。
「それはそれで楽しい……まあ、ゆっくりと吐いてもらいましょう」
「ちょ、ちょっと待って」
ゆらりと立ち上がった相手が掌にさらさらとした粉を落とすのに、相葉は目を見開いた。
「それって………『夢幻』……?」
「そう。欲しかったんでしょう?」
「いや、でも、ちょ…………あ、ああああっ!」
今井は掌に落とした粉を指に擦りつけると、相葉の脚を開いた。背後には格子、体を引く空間もなく脚を持ち上げられ、晒された後ろに『夢幻』をまぶした指を突き込まれて悲鳴を上げる。二宮に傷つけられた部分はもっと奥ではあるけれど、それでもまだあちこち傷が残っている状態、そんなところへ『夢幻』を擦りつけられては一気に血液に薬が入る。ただでさえ飲むより吸収のいい腸管に押し込まれているのに、そこに傷があってはたまらない。
「う、うあ、ああっ!」
強く擦りつけられ指を回され、焼けるような痛みに叫ぶ。竦んだ相葉に容赦なく脚を広げさせたまま、一旦引き抜いた指に今井がまた『夢幻』を絡ませる。濡れた指に白い粉がべっとりとまとわりつくのを見せつけて、そのまま相葉の後ろへねじ込んだ。
「やっ、やめっ………あっあああっっ!」
必死に抵抗するのも虚しく、なお多くの『夢幻』を擦り込まれて相葉は絶叫した。ぞくぞくと駆け上がる悪寒、すぐに乱れて激しく打ち始める心臓、息が上がって胸が苦しい。硬直した脚をなお引き上げられて、今井の指が相葉の中を蹂躙する。増やされる指が弱いところを何度もひっかいていくが、かき回される指の感触はまるで巨大なすりこぎを突っ込まれている感覚、本来なら快感につながるはずの刺激がきつ過ぎて吹き零れた涙と一緒に吐き気が込み上げる。
「ぐ、うっ、うあっ、あっあああっ」
「言いなさい、どうしてあなたはここへ来たんですか?」
熱く籠った声が命じた。喘ぐ相葉が首を振るのに、なお指を回して中身を抉る。耳鳴りがして、がしゃがしゃと耳障りな金属音が頭上の手錠から降ってくるのがみるみる遠ざかっていく。
「あっ……あふっ……くうっ、う」
「白鷺さん?」
視界が眩んで俯き喘ぐ相葉に、今井が呼び掛けてくるがそれに応えることすらできない。
「…………あなた………怪我してるんですか……?」
快感に狂うというよりはいきなりぐったりと身動きできなくなってしまった相葉に、今井も不審を感じたらしい。指を引き抜き、しばらく沈黙した後、ぼそりとつぶやいた。
「血まみれになってる」
「う……くっ………」
「大丈夫ですか?」
「うっんっ………っは」
息を荒げる相葉の顔を掬いあげて覗き込む今井の顔が僅かに白くなっている。
「……だから……待って…て………いったのに……」
朦朧としながら、相葉は弱々しくつぶやいた。流れ落ちる汗が唇に落ちてくる。苦痛に噛み切ったのか、ぴりっと染みて顔をゆがめる。
様子がただ事ではないと思ったらしい今井が、とろんと見上げた相葉に少し息を呑み、やがて引きつった顔になっておどおどと謝った。
「………すみません」
「……もー………」
『夢幻』のせいで感覚も鋭くなっているが、痛みは鈍くなっている。目を閉じ眉をしかめて堪えていると少しずつましになってきた。『夢幻』を多少なりとも服用していて幸いだった。もし、初めてこんなことをされたら、急性中毒で死んでいるところだ。
もっとも、予想していないことではなかったが。
乱れた呼吸を繰り返していると、今井が唇を重ねてきた。舌を這わせる仕草が優しい。相葉の唇を舐め回し、首筋の汗を吸い取ってから、掠れた声でつぶやいた。
「………ひどい抱き方されたんですね……」
「あなたが言うの………間違ってるよぉ……」
「………それは……そうですが………」
今井は奇妙な顔をしながら、そろそろと相葉の体を拭った。下半身が妙にべっとりしていると思ったら、再度出血してしまったらしい。
「ね?………ついでに手錠外して?……逃げられっこないし……」
「まあ……はい」
固い金属音が響いて両手が自由になった。そのままくたりと今井にもたれ掛かると、相手が硬直する。
「…なに」
「いや………まさか懐かれるとは」
「懐きたくて懐いてんじゃないもん………うー………吐きそう」
「え!」
「どんだけ………使ったの……『夢幻』………」
「……あ………えーと……すみません……」
「悪いけど………しばらく抱いててくれない?………くるし……」
「あ、はい」
妙な展開に飲まれてしまったのか、ごくりと生々しい気配で唾を呑んだ相手が我に返ったように、ゆっくりと相葉の背中を摩り始めた。
「あ、それ楽かも……」
「楽ですか」
「ん……」
「大丈夫ですか」
「なんとか……はぁ……死ぬかと思った……ひさびさに」
今井が、またこくん、と喉を鳴らす。熱っぽい目で喘ぐ相葉を見つめ、軽く喉に吸いついた。動いた舌に小さく呻くと、ひくりと震えて抱く腕に力が籠る。相葉は笑って片手を相手の股間に滑らせた。ぎくりと固まる相手に掠れた声で囁いてやる。
「元気になったら抱いてもいーから………」
「あ、はい?」
「どして……いきなり情報局だのって……?」
「ああ、だって」
今井が居心地悪そうに腰を揺らす。相葉の指先から逃れ損ねて、勃ちあがったものを撫で回され、唾を呑み込み小さく息を吐いた。
「外に松本さんを見かけて」
「あら…」
松潤のばかとつぶやいて見せると、今井が体を起こさせた。思い詰めた顔でまた口を寄せてくるのに、微笑んで口を合わせる。舌を滑り込ませて、入ってきた舌を弄ぶ。相葉がその気になって煽られない男はまずいない。
「っん、おいし」
「っは」
「僕今こんな状態だから」
相葉はにんまりと笑った。
「口でごほーししてあげよーか」
今井は目を見開いてためらい、やがてゆっくりうなずいた。
第八話
┗力とそれを操るもの
「……っん」
相葉と入れ替わって鉄格子にもたれた今井の、スラックスから引きずり出されたものを、相葉はゆっくり口を開いて銜え込んだ。今井を誘惑するためだけではなく、身体に入れられた『夢幻』がじわじわと熱を追い上げてきている、その熱を逃がすためもあった。
「ふ……」
ちらっと目を上げると、相手は食い入るような目で見下ろしていた。目を伏せながら口を半開きにし、入り込んでいるものを舌を絡みつけながら見せつけてやる。ごく、と唾を呑んだ相手の気持ちに素直に反応して、また嵩を増やしたものが口に入り切らなかったふうを装って、眉をしかめて呻いた。
「あ……う……っ」
喘ぎながらもがいて舌を押し出すように顔を引くと、今井が頭の後ろを押さえた。そのまま頭を押さえつけながら腰を進めてくるのを、今度は諦めたように舌を伸ばしながら喉深くまで受け入れる。
「うぐ…う……っ」
「どうしました?さっきの強気はどこへ行ったんです?」
今井が薄笑いを浮かべて腰を揺らし、口の中を膨れあがったもので満たされて、相葉は目を閉じた。
眉を潜めながら舌を動かし、奥を突かれて呻き、瞬きして懇願するように今井を見上げる。どきりとしたような今井の顔を目を潤ませて見つめれば、相手が逃がすまいとするように一層強く頭を押さえつけてくる。
「くふっ」
「もっと奥まで……」
命じる声が掠れてきた。その今井の気持ちを煽りながら、口を犯しているものを自分で気持ちいい部分に銜え込むことで快楽を拾う。
「う…うぅ……っ」
低く今井がうなった。相葉の唇から零れ落ちたよだれが滑り落ちて喉を這い胸へ流れる。相葉が喘ぐのに煽られて、ゆっくり頭を押さえたまま今井が腰を動かし始める。
「何もの……なんだ…あなたは」
「あ…むっ…」
「なんて……顔するんですか…」
「は…ぐっ……う……」
「こっちが………たまら……ない…」
相葉は眉を寄せて今井のものを舐め回しながら、伝ったよだれで濡れた胸に自分の指を這わせた。ゆっくり摘んで嬲り、立ち上がってからはよだれを指に絡めてくすぐり高めていく。もう片方の手は下に降ろして、汚れ濡れたものに絡めて扱き始める。
濡れた音が相葉の口と身体から広がり、コンクリートの壁に響いて異様に大きく聞こえた。
「とんだ淫乱だ……」
今井の嘲笑う声に軽く首を振ってやった。泣きそうな顔を演じるのはお手のもの、流れてくる汗に目を閉じ、腰を揺らせて、勃ち上がったものを握り強弱をつける。
「あ……っ」
ひくりと身体が震えた。
思い出したのは二宮の指。忘れ切っていたと思った手順、甘くて柔らかくて容赦がない指の動きを思い出して、相葉は自分の声が濡れたのを感じた。
にの。
胸の中でつぶやけば、粒がしこり、二宮の舌を待ち望む。そこを濡らした指で軽く撫で摩ると、舌の感触を甦らせることができて、相葉は身体を震わせた。
演技だけではないくらりとした波が頭に広がり、痺れを産む。それが舌の愛撫にも繋がったのか、
「う……おっ……」
今井が切羽詰まった呻きを上げて相葉の頭を抱えた。苦しげに眉を寄せて呼吸を荒げる。がたん、と鉄格子が鳴ったのはよろめいた今井が身体を打ちつけた音、その音にさっき手錠で縛られたまま抉られた感覚が甦り、相葉は唇を上げた。
今井のものをより深く銜え込み、それが無理に自分を犯し、敏感なところを攻め立てられていると想像する。縛られ拘束され逃れようのない快感に晒されている、と。
「んうううっ」
その手順は二宮が教えたもの。ぎりぎりまで追い立てて、なのになかなかイかせてはくれなくて、何度もねだって懇願して待って焦れてするうちに、意識に霧がかかって視界が霞む。縛りも拘束もしないけれど、二宮の柔らかな声で
「だめ、雅紀」、
そう命じられるだけで相葉は縛られたも同然だ。上からも下からも切ない涙を絞り出しながら、いいと言われるまで耐え続けるのがまた壮絶な快感を産む。
「んっ……んぐ……っ…んっん」
まだだよ、雅紀。
うん、にの。
もう少し我慢。
うん……にの。
もっと鳴け。
うん…うん…にの……。
命令は絶対、一度耐え切れなくて零してしまったら、その後イかされないまま延々と責められ続けて、さすがに意識が擦り切れそうになった。
けれど、その後はいつもうんと優しくて。全てを手放して眠り込む相葉をじっと抱いててくれたことさえあって。目が覚めたときに綺麗な額に髪を乱して眠る顔に驚き、ひどく嬉しくて、起こさないようにそっとまた胸に潜り込んで眠った、至福の時間。
「ぐ、うっ……んぅ…っ………んう」
胸を突き上げた切なさに一つ顔を振って現実に戻った。
今井のものを何度も吸いあげ、舌を這わせる。ひくひく動き始めるのを軽く噛み、尖らせた舌で先端を探り突き立てる。
「う、うあっ……あ」
今井が堪え切れぬように叫んだのをいいことに、身体が揺れたふりをして口を放した。弾けたものが音をたてて顔を横切り、喉から胸へ散るのを受け止めながら、自分もしごき上げて駆け上がり、
「はあ……う……ぅうっ」
声を上げて仰け反りながら放つ。今井が朦朧とした顔で見下ろす足元に倒れる相葉の身体は自分のものと今井のものでべとべとになっている。
なおも寝そべったまま、股間のものを絞りながら、胸を弄り、切ない声を上げて身悶えてみせた。
「あ……ああっ………あ」
「ふ……う……っ」
ゆらっと鉄格子から体を起こした今井の目に獣の火が灯る。
「なに………してるんです……」
「う…んっ……だってー……う、ふっ」
浴びせられたものを掬い、身体に塗りたくる。自分のものも濡らしたまま、なお弄んでいると、再び勢いを取り戻して勃ちあがりはじめた。
「『夢幻』……使われたちゃったから……辛いんだよ……っ」
はあ、と息を吐きながら腰をうねらせた。さっき嬲られ傷つけられた後ろが今井の前でゆらゆら揺れて、それに相手が目を奪われているのを感じとりながら、
「今井さん……もう……だめでしょ…?…いっちゃったもんね…ぇ…っ……だから……っは」
「馬鹿にしないでください」
今井が低くうなって、体を起こした。スラックスを脱ぎ落とす。反応し始めたものを見せつけるように相葉の側に近寄って仁王立ちになる。
「あなたぐらい、どうとでもできる」
「………どう……とでも…?」
相葉は濡れた指を口元に運んだ。今井の目を見返しながら、指を舐め回し、それを顎から喉、首の付け根と滑り降ろしていく。胸を嬲って微かに喘ぎ、腹から脇へ動かして身をよじり、へそへもどって脚の付け根へと辿りながら、乱れ始めた呼吸で呻いた。
「は……う…っ……あ………どう………してくれる……の……?」
勃ちあがったものは新しい涙を零して揺れつつある。それを放置して相葉は両手を股間に降ろした。
ぬめりを掌で広げながら右膝をゆっくりと抱え上げ、開かれた場所にもう片方の手の指を埋める。
「あ……うううっ」
さすがに痛みがきつくて、視界が滲んだ。息を荒げながら、それでもずぶずぶと指を埋め込み、今井を潤んだ目で見上げる。
「んっ…だめ…かなぁ…痛い…よぅ……」
「あたりまえ、でしょう。さっき、怪我してるって言ったじゃないですか」
茫然とした顔になった今井が、誘われるように膝を落として跪き、相葉の指を引き抜こうとする。
それに抵抗してなお深く自分で差し込もうと力を入れた指が、勢いよく突き刺さり、相葉はまた悲鳴を上げた。
「あ…あっう…ふ…くぅん……っ」
「ばか、そんなことしたら」
「だって……っ……足りないん……だもん……っ」
「やめなさい、また血が」
「ひぃっ」
力まかせに今井に抜かれた指に内側を強く擦られ、相葉は芝居ではなく仰け反った。激痛が走り、とろとろと濡れたものが滴るのを感じる。
「あ…うんっ……」
泣きながら今井を見た。
「たす…けて……っ………今井さん……っ」
今井が大きく体を震わせ、目を大きく開いて息を呑む。それから突然、吊られた糸が切れたように相葉の股間に覆い被さった。脚を大きく開き顔を埋める。傷ついた後ろに温かな舌を感じて、相葉は小さく鳴いた。
「あ…あっ……今井、さ…ん…っ」
「もう…無理だ……だから……」
くぐもった声が苛立ったように戸惑いを宿して続く。
「私が……してあげます………どうすればいい……?どうすれば………楽になります…?」
「舐めて……もっと………ああ……舌……入れて……くふっ………んうう……」
両膝を押し上げられ、相葉は今井の舌に舐め回されながら喘いだ。濡れた音を響かせて、今井が必死に舌を使う。弄ばれているはずの相葉が甘い声でねだるたび、今井は何かに憑かれたようにそれに従った。
「あう……んっ………んっ……ん、あああっ」
「ここは?こっちは?」
「は、あっ………あああっ」
身体をうねらせ、声を上げるだけで今井は相葉の求めに従った。快感を貪りながらうっそり笑った相葉が、今井の頭をそっと両手で抱える。
「い…まい…っ…さ…僕……も…狂い……そ…」
「いいん、ですか」
「…んんっ…も……だめ…っ…あ…そこ…やめ…っ…あああっ」
相葉が軽く拒んでみせたところへ吸い寄せられるように今井が顔を落とす。望んだ通りの快感を手に入れて、相葉は、笑った。
今井がそそり立った相葉のものまで含みながら扱き上げてくれ、相葉は高い声をあげながら腰を振った。疼いてきた後ろに今井の指を導く。
「いや…しかし…」
「今井…さんなら…いいから……っ」
「そ…うですか…」
「でも……今日は…大きいの…いれないで…?」
「わかりました」
泣きそうな顔で唇を震わせて懇願すると相手は神妙にうなずいた。
「だから……ね…指で……慰めて…」
「はい」
今井が指を差し込み、やがて相葉の反応に夢中になって突き入れかき回し始める。痛みもあるが、それより勝る快楽に、相葉も身体を開いて今井の指を味わう。
「あ……っ………あああっ」
声を上げて舌を閃かせると、待ちかねたように口を重ねてきて舌を絡ませられた。肩を抱きかかえられ、指で犯されながら悶える相葉の耳元で今井が囁く。
「心配すんな………あんたは俺が……面倒をみる」
掠れて飢えた声音に、相葉は今井に見えない位置で目を細めて笑った。
潜入、完了。
第九話
┗金波銀波の海越えて
ふと、側に人の気配がして二宮は顔を上げた。鼻先を掠めたのは覚えのある煙草の匂いだ。
「………情報局の駄犬か」
「御挨拶だね」
許可する間もなく、同じテーブルにどさりと腰を降ろす音がした。
「……他に席があるでしょ」
冬のかふぇの外側に並べられているテーブルに着く物好きが二宮以外にいるとは思えない。部下が連れてきてくれたときも、他に誰もいません、いいんですか、と繰り返し尋ねたほどだから、よほど奇異に思ったのだろう。
「何してんの、こんなところで、港湾のお偉いさんがたった一人で?」
松本は二宮の拒否に平然と尋ね返してきた。相変わらずの不作法さに溜息をつく。
「そっちこそ、こんなところで油を売ってるほど暇なの、情報局は」
暗に今潜入工作をしている相葉のことを匂わせると、新しい煙草に火をつけたのか、マッチを擦る音がしてきつい匂いが漂った。
「……ちょっと野暮用でね」
声が動いて蛇荷貿易の方向を振り返ったようだ。露骨すぎる動作に眉をしかめる。
「正面で監視もないだろ」
「監視なんてしてないよ?あん中にはウチの切れ者が入ってる。俺がうろうろするだけで余計なことを考えて奥深く連れ込んでくれた今井ってお人好しもいたしね。楽な潜入だったよ」
くす、と微かな笑い声はしたたかな響きを宿している。
「言ったろ?俺は野暮用なの」
声はふわりと淡い調子で続いた。
「あんたこそ、気になんの、白鷺のこと?」
一瞬、松本の吐いた『白鷺』の名前に微かな優越感を感じた自分が忌々しくて、二宮はコートに入れた両手を握りしめた。
「俺がなんで気にしなくちゃいけない?」
「またまた強がっちゃって」
一体何の用、と苛立って尋ね返そうとしたら、あ、ここね、と軽い声を響かせて給仕を呼ぶのが聞こえた。陶器の触れ合う音がして、目の前のテーブルに温かな匂いが立ち上る。
「どうぞ?奢るよ」
「……馴れ合うつもりはない、って言ったはすだけど?」
「違うよ、これは、さむそーに部下の一人もつけずにこんなところでじっと動きを見張ってる同業者への同情」
「動きなんて見張って……」
「白鷺、あんたを裏切ったよね?」
「……」
反論しかけたとたんに切り込まれて二宮は黙り込んだ。
昔から松本は苦手だった。無神経に人の弱身を突き回る。
黙ったままなのがしゃくで、コートから出した手をテーブルに滑らせて端を探りながら、カップの位置を確認した。右手でソーサーを押さえ、左手でカップを取り上げる。ゆっくり持ち上げて、左手の親指に一瞬唇を触れてからカップに口を当てた。香り高い珈琲に濃いミルクの匂い、甘めに入れた砂糖も行き届いた量でむかつく。
松本の不快なところは、これほど無遠慮で不躾なやつなのに、人が何を必要としているかを的確に把握しているということだ、と二宮は思った。寒さで凍えた体にじんわりと温かな飲み物が染み渡って、思わずほっとする。部下の迎えはまだ先のはずで、さすがに何か頼もうかと思っていたところだった。
だから櫻井、あの男が臆面もなくこいつを侍らせて喜んでいるのかと納得しかけ、二宮はなお不快になった。一口二口飲んだところで、右手に軽くカップを触れて場所を辿りながらソーサーに戻す。
「さすがにちょっと言っとこうかと思ってさ」
「何を」
「………白鷺、同じことがあったら、きっと何度でもあんたを裏切るよ」
「情報局の切れ者だからだろ?」
間髪入れずに返すと、相手がカップを取り上げる音が響いた。まだ熱いそれを煽る気配に、松本もかなり長い間外にいたのだと気づく。
「それか、あいつが節操がないから」
「節操がないってのは認めるけど」
再びマッチを擦る音が響いた。
「あいつは『夢幻』を憎んでるから」
「………憎む?」
松本の声が微かに憂えてそちらへ顔を向けた。
「………あのさ、ちょっと尋ねたいんだけど」
「何」
「あんた、あのときに『夢幻』横流しして、その後どうなったと思う?」
「?」
「あんたが市場に放った『夢幻』が何を引き起こすか、わかってた?」
そこまで聞いてようやく二宮は松本の言わんとすることがわかった。吐息をついて前を向く。
「強度の習慣性を持つ麻薬なため、試した9割が依存する。離脱するものは極端に少ない。しかも、飲み始めはむしろ体調の保持や改善に繋がるから、止められなくなるまで一気に量は増える。習慣化して中毒症状で死亡するものは5割を越える、と聞いた」
「……それ、わかってたんだ?」
「……ああ」
自分の汚さぐらいわかっている、そう続けかけたが、松本の低い声がそれを遮った。
「じゃあ、母子汚染は?」
「え?」
「『夢幻』中毒の母親が妊娠した場合、ほぼ間違いなく赤ん坊も中毒になる。生まれたときから『夢幻』の虜だ」
「………それは……」
二宮が怯んだところへ畳み掛けるように松本が続けた。
「生まれた子どもは母乳しか受けつけない。母親の体内にある『夢幻』を必要とするから。他の何を飲ませても吐いて、吐きまくって衰弱していく。けれど、母乳をやった場合、『夢幻』の体内濃度が一気にあがって、早ければ数日で死亡する」
「…………」
二宮は黙った。そこまで詳しくは知らなかった。だが、それが何を意味するのかを考えれば、微かな寒気が這い上がった。『夢幻』中毒になったものは子どもを残せないのだ。
今上層部に広がっている『夢幻』中毒がもっと進めば、次の世代はかなりの率で減少する。貴族階級に大きな変動があらわれるかもしれない。
「…………白鷺はね、大陸の出なんだ。知ってた?」
「……いや……?」
松本の話が急に飛んで、二宮は戸惑った。
「………日本に入る前に大陸の方で『夢幻』は広がってた。山奥で、土地が痩せてて、他にこれと言った産業もない村とかでは『夢幻』精製を主にしてるところもあってさ、白鷺、そこの出身なんだって」
「皮肉だね。作り手が異国で『夢幻』を燃やすのか」
「皮肉?違うよ、当然だ」
「当然?」
「わかんないの、二宮さん?『夢幻』精製を仕事にしてる村って数年で壊滅するんだよ」
「!」
「………そ。仕事はきついし、楽しみもないからね、つい手を出す。始めは仕事も進むし、陽気に楽しくやれるからね、管理してる方もむしろ進めたりしてさ」
松本の声は虚ろで暗い。
「でも………そのうち、赤ん坊がいなくなる。子どもがいなくなって、どんどんみんな『夢幻』に侵されてって…………そして誰もいなくなるとさ、新しい村に精製場所が移る。村に残ってるのは干涸びた死体だけだ」
「……そこから………逃げ出したのか、あいつは」
「…………なら、よかったんだと思うよ」
新しい煙草に火がついた。
「………白鷺、そこで何やってたかっていうとさ、赤ん坊の首、締めてたんだって」
「っ!」
今度ははっきりとした悪寒が二宮の背中を駆け上がった。
「生まれた赤ん坊、どっちにしても死ぬってみんな知ってるから。生まれてあやうくなったらさっさと始末するんだって。手ぇ、かかるから。白鷺、子ども好きだったから、それでも面倒みてたらしい。けど、何も受けつけないでしょ?吐くしさ。痩せ細ってくけど、母乳飲ませるわけにいかないしさ、で、腕の中で冷たくなるの何回も抱えてるうちに、さっさと楽にしてやろうって思うようになったんだってさ」
かたかた、と小さな音が自分の掌で響いている、と二宮は気づいた。震えているのだ。無意識に体が震えている。
細くて白い顔。邪気のないふわんとした笑み。
その笑みの後ろにあったのは、暗黒だったのだ。
紅蓮の炎を背中に笑う顔が甦る。殺気に満ちた満足気な笑み。
壮絶な光を宿した、あの笑みの意味は。
もーりもいやーがーる、ぼんからさーきーは。
いつかの床で微かに小さな声で歌を口ずさんでいたことがあった。それは何かと聞くと、優しく笑って、子守唄だよ、と答えた。
ゆーきもちーらーつーくし、こーもーなーくーし。
好きなのかと聞くと珍しく目を逸らせて、好きだな、とつぶやいた。
子守唄は好きだな、
何度歌っても足りない気がして。
ちゃんと眠らせてやりたいから。
いい子ばっかりなんだから、と。
あのことばの意味は。
「…………村であいつが最後に生き残ったのは、あいつ一人だけが『夢幻』をやらなかったから」
もう、やめてくれ、と叫びそうになって二宮は歯を食いしばった。
「………だから、白鷺は『夢幻』を許さない、けど」
「………け、ど?」
必死に体に力を込めて問い返す。
「今、あいつ、あそこに『夢幻』飲みながら入ってるんだ」
「な……に……?」
魂を引き抜かれた、というのはこういう気持ちなのかと思った。相葉に裏切られたときも、世界が崩壊するような思いだったが、これは全く別の、まるで自分が消え失せたような衝撃に二宮は茫然とした。
「なん……だと……?」
「『夢幻』中毒って設定だから。一週間、連絡がなかったら俺達が入る予定になってる」
「一週間?」
見えない視界が揺れるのを感じた。今日でもう丸3日、白鷺は全く『夢幻屋』に戻っていない。そんなに長く『夢幻』を服用すれば完全に中毒化してしまう。
「遅い……遅すぎる」
「大野君から聞かなかった?大きな取り引きがある。あそこには十数人が出入りしてて、その情報を掴むにはそれぐらいいるからって白鷺が言ったんだ」
「そんな……」
「………さ、て、じゃ、行くね」
「ま、待てっ!」
松本が椅子を鳴らして立ち上がる気配に、二宮はうろたえた。
「あ、何、奢ってくれんの?」
「いや、待て、それを」
「ちぇ、けち」
「違う!なぜそれを俺に教えた!なぜ貴様らは、雅紀を見捨てるっ!」
「………へえ……あいつの名前、雅紀って言うんだ?」
「あ……」
松本の声がふいに和らいでくすりと笑い、二宮はひやりと口をつぐんだ。
「じゃあ……やっぱ……あんたが本命なんだ?」
「………」
「………俺の勘も満更じゃないなぁ…………なら、なぜ俺があんたに教えたか、わかってんじゃない?」
「………」
松本の声がちりちりしたものを含んだ。
「俺達は情報局だ。目的は『夢幻』ルートの確保。けど、白鷺の目的は『夢幻』の消失。前のときは何とかしたけど、今回またやったら俺達は動きが封じられちまう。だが、港湾局が張り合って乗り込まれた分にはどうしようもないしさ?」
「……俺に…裏工作に付き合え、と?」
「まさかぁ。俺が?情報局の松本が?そんなこと言うわけないでしょ?俺は昔話をちょっとして、『夢幻』のコワさについて独り言言っただけだよ?」
急に声が近づいた。煙草の匂いがきつくなる。眉をしかめた二宮の耳元で静かな声が響く。
「あんた、俺が嫌いでしょ?俺もあんた、苦手。すぐ翔くんを馬鹿にするしさ?」
「………」
「けど、俺はあいつが抱えてるものはわかるから。それを守るためなら、矜持曲げるのも嫌いじゃないんだ」
その声に響いた微かな揺らぎに二宮は気づいた。
「………櫻井、か」
「え?」
「………櫻井があいつを心配してるんだな?」
ち、と舌打ちの音がして、松本が体を引くのがわかった。
「他は鈍いくせに」
「駄犬とは違う」
「あんたに振るシッポなんて持ってないよ」
「………せいぜい櫻井に振ってやれ、俺はもう間に合ってる」
ひゅう、と微かな口笛が響き、くすくす笑いが続いた。
「期待してるよ、二宮さん?」
軽い足音が走り去り、二宮は肩の力を抜いた。
『夢幻』の作用を理解しているはずの相葉が潜入するのに服用していくとは思えない。それとも、口八丁ではごまかせないほど難しい仕事だったのか、そう思って気づく。
無言の、あの日の逢瀬は。
「生きて………戻らないつもり……だったのか……」
腕の中で崩れた体の浅い呼吸を思い出す。焼け付くような焦りが広がった。
「雅紀………」
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