小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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<横書き>
彼が、此処から飛び立ちたいと願っていることを知っている
- Deep in your heart -
剛に抱かれると、世界が真っ暗になる
剛を生かすのは、自分だ
スーッ
<縦書き>
羽根を持った魚
暗い
暗い海の底から
剛を飛び立たせる為の
手の届く距離にいる
自分より
海の底に住む
魚の方が
剛を救えるなんて--
醜い自分が
嫌になる
剛を救って
くれるのなら
彼を飛び立たせて
くれるのなら
剛?
っ……や!
一面の闇
冷たい
海の底
その中にいる
時だけ
剛の世界に
触れることが
出来た
強引な手管は
快楽よりも
苦痛が強い
それで
良かった
剛の苦痛なら
全部欲しい
だからお前は
自由に
何にも囚われず
生きて
……うっ……っ
ん?
どしたん
泣いて
くっ……えっ
俺っ……!
いつか
お前をっ
殺してまう!
ええよ
そんなん
覚悟出来
てるわ
お前の中にある
狂気も
痛みも全部
はっ はっ
すうっ
落ち着いて行く
呼吸が教えてくれる
剛が俺を求めること
俺が剛を愛すること
歯車のように
重なった理由が
動き出して
互いを生かす
海の中より
俺のいる
地上の方が
空は近い
海の底に
いるお前に
剛は
渡さない
大体、こいつ
泳げんのになあ
するり
自分の
背中にある
もう一つの
不完全な羽根
補うことが
愛することと
同義かどうかは
分からないけれど
剛を
飛び立たせるのは
この世界で
ただ一人
自分だけ
<□□>
俺の願いは
愛する人が
自由に
生きること
自分を必要と
して欲しい
訳じゃない
穏やかに
重なる呼吸
空を宇宙を
跳びたいのに
海の底で
蹲る矛盾
剛の背には
元々羽根がある
飛び立てないのは
その翼が一つしか
ないせいだ
俺だけの
特別
彼が、此処から飛び立ちたいと願っていることを知っている
- Deep in your heart -
剛に抱かれると、世界が真っ暗になる
剛を生かすのは、自分だ
スーッ
<縦書き>
羽根を持った魚
暗い
暗い海の底から
剛を飛び立たせる為の
手の届く距離にいる
自分より
海の底に住む
魚の方が
剛を救えるなんて--
醜い自分が
嫌になる
剛を救って
くれるのなら
彼を飛び立たせて
くれるのなら
剛?
っ……や!
一面の闇
冷たい
海の底
その中にいる
時だけ
剛の世界に
触れることが
出来た
強引な手管は
快楽よりも
苦痛が強い
それで
良かった
剛の苦痛なら
全部欲しい
だからお前は
自由に
何にも囚われず
生きて
……うっ……っ
ん?
どしたん
泣いて
くっ……えっ
俺っ……!
いつか
お前をっ
殺してまう!
ええよ
そんなん
覚悟出来
てるわ
お前の中にある
狂気も
痛みも全部
はっ はっ
すうっ
落ち着いて行く
呼吸が教えてくれる
剛が俺を求めること
俺が剛を愛すること
歯車のように
重なった理由が
動き出して
互いを生かす
海の中より
俺のいる
地上の方が
空は近い
海の底に
いるお前に
剛は
渡さない
大体、こいつ
泳げんのになあ
するり
自分の
背中にある
もう一つの
不完全な羽根
補うことが
愛することと
同義かどうかは
分からないけれど
剛を
飛び立たせるのは
この世界で
ただ一人
自分だけ
<□□>
俺の願いは
愛する人が
自由に
生きること
自分を必要と
して欲しい
訳じゃない
穏やかに
重なる呼吸
空を宇宙を
跳びたいのに
海の底で
蹲る矛盾
剛の背には
元々羽根がある
飛び立てないのは
その翼が一つしか
ないせいだ
俺だけの
特別
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イ:トムさんから見て、キンキのおふたりはどんな印象ですか?
ト:光一はすごくまじめ。働くことに対してすごく真面目なのと、真正面を見てるよね。あと引かない姿。
イ:ほ~。引かない姿。
ト:誰が来ても引かない。うん、堂々としている姿。
イ:それは別に戦おう!とかってそういう意思ではなくて、淡々と。
ト:淡々と。引かない。キチっとしてる。
イ:かわしもしない?
ト:かわしもしない、キチっとしている感じがスゴイ。光一はとにかく頭がいい。ボケもうまいし、何もかもデキる。トークがすごくうまくて、だけど何にも気にせずにやってるのがいい。剛はわざとなんか、ボケてみたりいろいろすんだけど、完全に素の光一がすっ飛ぶぐらいのモノ持ってるよね。さらに剛は音楽性が凄い。
イ:ホントですか?
ト:音楽性がいっぱい出てきて、このごろ面白くなってきたな、ふたり見てるの。まだ何をやれるのかっていう頂上が見えないよね。他の若い芸能人の人たちを見てると、「あ、頂上見えたな」って分かると、次には「あ、この子もう自分の見えた頂上で終わった目をしてるな」って。でもあの子たちは全然違う。全く違うところを見ている感じ。
イ:なんか、特に剛くんはどこに行きたいんだ?っていう、謎めいたパルスを放っているように映るんですけど、きっと彼の中にはまぎれもない骨太な未来があるんでしょうね?
ト:ある。音楽がやりたいの。ホントにすっごい真面目で、すごい臆病で、すごく光一に対して、何か自分ももっと面白いことを、もっともっとってやるんだけど、「もっと」って言ってるときって、必ず誰かいるんだよね。(自分の横を指して)ほら、もうここに。
イ:ほ~。
ト:「ココリコの誰々のトーク」とか、「ダウンタウンの誰々のしゃべり」とか、歌は誰々とか、音楽は誰々とか、自分の目標としてる人たちがいるから、どっか似ちゃうんだよね全部が。だからやってることが平らなの。光一は全く誰にも似てないから、突き抜けていっちゃうよ。オリジナルでね。
イ:スゴイマッチングですね。全然違うふたりが。
ト:そう、全く逆に見えるんだけど、中に入ってると、光一が素のボケで、剛のほうが外部にすごい気を使っていて。光一はきっと剛のこと意識してないけど、剛は光一のこと意識してると思う。すっごいそれが見える。信頼関係なんかもね。
イ:若いふたりが番組を切り盛りしている姿をそばでご覧になっているトムさんには、なんか親心みたいなものを感じますね。
ト:う~ん……。フツーにしてあげたいっていうのがあるかな。
イ:無理している感じがあるんですか?
ト:いや、フツーの生活してなさ過ぎるから、フツーのことを僕が教えてあげたい。恋の仕方だったり、飲み屋で女を口説く方法とか、そんなに好きでもない女を抱く方法とか、そんなに好きでもない女を好きになる方法とか。そういうことを教えてあげたい。
イ:そういうことを、どっかで経験することも大事ですよね。
ト:そうそう。ちゃんとしておかないとね。ちゃんと下らないことやっておかないと、あとあと面白くないもんね。
(cafeglobe.com内「どしゃぶりセンチメンタル」19回ゲストより2007/03/29)
ト:光一はすごくまじめ。働くことに対してすごく真面目なのと、真正面を見てるよね。あと引かない姿。
イ:ほ~。引かない姿。
ト:誰が来ても引かない。うん、堂々としている姿。
イ:それは別に戦おう!とかってそういう意思ではなくて、淡々と。
ト:淡々と。引かない。キチっとしてる。
イ:かわしもしない?
ト:かわしもしない、キチっとしている感じがスゴイ。光一はとにかく頭がいい。ボケもうまいし、何もかもデキる。トークがすごくうまくて、だけど何にも気にせずにやってるのがいい。剛はわざとなんか、ボケてみたりいろいろすんだけど、完全に素の光一がすっ飛ぶぐらいのモノ持ってるよね。さらに剛は音楽性が凄い。
イ:ホントですか?
ト:音楽性がいっぱい出てきて、このごろ面白くなってきたな、ふたり見てるの。まだ何をやれるのかっていう頂上が見えないよね。他の若い芸能人の人たちを見てると、「あ、頂上見えたな」って分かると、次には「あ、この子もう自分の見えた頂上で終わった目をしてるな」って。でもあの子たちは全然違う。全く違うところを見ている感じ。
イ:なんか、特に剛くんはどこに行きたいんだ?っていう、謎めいたパルスを放っているように映るんですけど、きっと彼の中にはまぎれもない骨太な未来があるんでしょうね?
ト:ある。音楽がやりたいの。ホントにすっごい真面目で、すごい臆病で、すごく光一に対して、何か自分ももっと面白いことを、もっともっとってやるんだけど、「もっと」って言ってるときって、必ず誰かいるんだよね。(自分の横を指して)ほら、もうここに。
イ:ほ~。
ト:「ココリコの誰々のトーク」とか、「ダウンタウンの誰々のしゃべり」とか、歌は誰々とか、音楽は誰々とか、自分の目標としてる人たちがいるから、どっか似ちゃうんだよね全部が。だからやってることが平らなの。光一は全く誰にも似てないから、突き抜けていっちゃうよ。オリジナルでね。
イ:スゴイマッチングですね。全然違うふたりが。
ト:そう、全く逆に見えるんだけど、中に入ってると、光一が素のボケで、剛のほうが外部にすごい気を使っていて。光一はきっと剛のこと意識してないけど、剛は光一のこと意識してると思う。すっごいそれが見える。信頼関係なんかもね。
イ:若いふたりが番組を切り盛りしている姿をそばでご覧になっているトムさんには、なんか親心みたいなものを感じますね。
ト:う~ん……。フツーにしてあげたいっていうのがあるかな。
イ:無理している感じがあるんですか?
ト:いや、フツーの生活してなさ過ぎるから、フツーのことを僕が教えてあげたい。恋の仕方だったり、飲み屋で女を口説く方法とか、そんなに好きでもない女を抱く方法とか、そんなに好きでもない女を好きになる方法とか。そういうことを教えてあげたい。
イ:そういうことを、どっかで経験することも大事ですよね。
ト:そうそう。ちゃんとしておかないとね。ちゃんと下らないことやっておかないと、あとあと面白くないもんね。
(cafeglobe.com内「どしゃぶりセンチメンタル」19回ゲストより2007/03/29)
直さんの恋
堂本光一は、大概不器用な男だと思う。人前で苦労のない完璧な人間を演じるのは得意だけど、稽古中の彼は、目も当てられなかった。いっそ可哀相な程、何も出来ない。
努力で補う事がこの世界で生き抜く為の処世術だった。ダンスや歌を最初から知っている訳ではないから分からないけれど、想像を絶する努力の結果が光一の身体に染み込んでいるのだろう。
どの世界にいても、勿論努力は必要だ。光一だけじゃない。世界中のどこにだって、努力せずに成功した者はいなかった。
けれど、そもそもスタート地点が違う。まして感性で生き抜くこの世界は、出来ると思って飛び込む人間がほとんどだった。
光一のように、根本的にこの手の感性を持ち合わせていない人間が成功すると言うのは、努力を重ねて来たと自負する自分でも、考えつかない事だ。お世辞でも何でもなく、アイドルの癖に頑張っている男だった。
「光一!」
「え」
稽古の最中だ。いきなり声を上げられれば驚くだろう。吃驚した目を真っ直ぐ向けられた。光一の練習を見ていると、ひやりとさせられる。
「何か間違えちゃいました?」
「いや、自分の手見てみろ」
「手?」
本当に分かっていない顔で、スティックを持った手に視線を落とした。どんなドラマーも通る道だが、それでも痛いものは痛い。光一は、自分の手を見てそれから僅かに眉を顰めただけだった。
「すいません。ちょっと汚れちゃった」
「そうじゃなくて。マメ潰れて痛いんだろ?」
「あー、はい。痛いっす」
「休憩しよう。手当してやるから、救急箱」
「え、あ!大丈夫です。血で汚さんように絆創膏だけ貼ったら出来ます」
「……良いから。こんな時期から無理しててもしょうがないだろ」
「はい、すいません」
しゅんと項垂れたまま、申し訳なさそうに寄って来る。スティックを握る部分は、すぐにマメを作った。親指の付け根の、柔らかな皮膚。
スタッフから救急箱を受け取って、光一を自分の前に座らせた。素直に両手を出す仕草が幼い。
たまに、この男はまともに歳を重ねているのだろうかと不安になった。仕事中の厳しい表情と、こんな瞬間に見せるあどけなさ。
丁寧に消毒を施しながら、なるべく痛くないよう絆創膏をきつく巻いた。俯く光一の表情は不満そうだ。痛みではなく、自分の事で稽古を中断させるのを嫌がっていた。
「はい、おしまい」
「ありがとうございます、じゃあ」
「休憩しよう。俺、まだ見ててやれるから。飯でも食ったら?」
「……でも」
「あそこは難しいから、時間掛かるよ。手、痛いだろ?」
「大丈夫です」
強情に言い張る光一が可愛い。この感覚は何に起因しているのか。プロの顔で稽古を重ねている彼は強いと思う。なのに、抱き締めてキスをしたい衝動に駆られた。
「……何ですか?」
さすがに口付ける事は出来なくて、小さな頭を撫でる。不信な顔。警戒している癖に、無防備に身体を晒していた。取って食っちまおうかと思う。
「んー、いや。前に子供教えたんだけど、そん時」
「俺が子供みたいって話ですか?」
スタッフが持って来た弁当を受け取りながら、不貞腐れた口振りで言った。汗で湿った髪は、手入れが嫌いな癖にさらりと零れる。稽古中位は汚い格好で髭でも生やしていれば良いものを。
今日は撮影の後だから、妙に小綺麗で困った。愛らしい生き物だと思ってしまう。
「光一の頭、小さいよなあ」
「脳味噌詰まってませんから」
「何で、素直に誉められとかないのかね」
「え?誉めたんですか?」
広げた弁当を食べるでもなく突つくだけの光一は、誉められる事が苦手だった。小さいのも可愛いのも細いのも全部コンプレックスで、上手に折り合いを付けられないまま大人になっている。
「誉めてるよ、いつも。ドラムも上手くなったしな」
「ホンマですか?」
「ああ」
「なら、もっとがんばろ。直さんに誉められると嬉しい」
小さく笑んで、唐揚げを口に入れた。表面に浮いた油が唇について、危うい光沢を出す。今すぐ抱き締めて押し倒してやろうか。
「ちゃんと見ててやっから、良いの作ろうな」
「はい」
綻んだ目尻の柔らかさに見蕩れて、いつか言ってやろうと心に決めた。ショーの勉強をしに一緒にアメリカへ行かないか?問うたら、彼はどう答えるだろうか。向上心と努力と、それを裏切る幼い表情。
惹かれて行く自分を否定せず、一緒に弁当を食べた。いつかこの狭い世界からお前を連れ出そう。
もういっそ、この公演が終わったらアメリカに連れて行ってしまおうか。危険な思想に、石川は一人で笑った。不思議な顔で見上げる光一が可愛くて、愛しい。
堂本光一は、大概不器用な男だと思う。人前で苦労のない完璧な人間を演じるのは得意だけど、稽古中の彼は、目も当てられなかった。いっそ可哀相な程、何も出来ない。
努力で補う事がこの世界で生き抜く為の処世術だった。ダンスや歌を最初から知っている訳ではないから分からないけれど、想像を絶する努力の結果が光一の身体に染み込んでいるのだろう。
どの世界にいても、勿論努力は必要だ。光一だけじゃない。世界中のどこにだって、努力せずに成功した者はいなかった。
けれど、そもそもスタート地点が違う。まして感性で生き抜くこの世界は、出来ると思って飛び込む人間がほとんどだった。
光一のように、根本的にこの手の感性を持ち合わせていない人間が成功すると言うのは、努力を重ねて来たと自負する自分でも、考えつかない事だ。お世辞でも何でもなく、アイドルの癖に頑張っている男だった。
「光一!」
「え」
稽古の最中だ。いきなり声を上げられれば驚くだろう。吃驚した目を真っ直ぐ向けられた。光一の練習を見ていると、ひやりとさせられる。
「何か間違えちゃいました?」
「いや、自分の手見てみろ」
「手?」
本当に分かっていない顔で、スティックを持った手に視線を落とした。どんなドラマーも通る道だが、それでも痛いものは痛い。光一は、自分の手を見てそれから僅かに眉を顰めただけだった。
「すいません。ちょっと汚れちゃった」
「そうじゃなくて。マメ潰れて痛いんだろ?」
「あー、はい。痛いっす」
「休憩しよう。手当してやるから、救急箱」
「え、あ!大丈夫です。血で汚さんように絆創膏だけ貼ったら出来ます」
「……良いから。こんな時期から無理しててもしょうがないだろ」
「はい、すいません」
しゅんと項垂れたまま、申し訳なさそうに寄って来る。スティックを握る部分は、すぐにマメを作った。親指の付け根の、柔らかな皮膚。
スタッフから救急箱を受け取って、光一を自分の前に座らせた。素直に両手を出す仕草が幼い。
たまに、この男はまともに歳を重ねているのだろうかと不安になった。仕事中の厳しい表情と、こんな瞬間に見せるあどけなさ。
丁寧に消毒を施しながら、なるべく痛くないよう絆創膏をきつく巻いた。俯く光一の表情は不満そうだ。痛みではなく、自分の事で稽古を中断させるのを嫌がっていた。
「はい、おしまい」
「ありがとうございます、じゃあ」
「休憩しよう。俺、まだ見ててやれるから。飯でも食ったら?」
「……でも」
「あそこは難しいから、時間掛かるよ。手、痛いだろ?」
「大丈夫です」
強情に言い張る光一が可愛い。この感覚は何に起因しているのか。プロの顔で稽古を重ねている彼は強いと思う。なのに、抱き締めてキスをしたい衝動に駆られた。
「……何ですか?」
さすがに口付ける事は出来なくて、小さな頭を撫でる。不信な顔。警戒している癖に、無防備に身体を晒していた。取って食っちまおうかと思う。
「んー、いや。前に子供教えたんだけど、そん時」
「俺が子供みたいって話ですか?」
スタッフが持って来た弁当を受け取りながら、不貞腐れた口振りで言った。汗で湿った髪は、手入れが嫌いな癖にさらりと零れる。稽古中位は汚い格好で髭でも生やしていれば良いものを。
今日は撮影の後だから、妙に小綺麗で困った。愛らしい生き物だと思ってしまう。
「光一の頭、小さいよなあ」
「脳味噌詰まってませんから」
「何で、素直に誉められとかないのかね」
「え?誉めたんですか?」
広げた弁当を食べるでもなく突つくだけの光一は、誉められる事が苦手だった。小さいのも可愛いのも細いのも全部コンプレックスで、上手に折り合いを付けられないまま大人になっている。
「誉めてるよ、いつも。ドラムも上手くなったしな」
「ホンマですか?」
「ああ」
「なら、もっとがんばろ。直さんに誉められると嬉しい」
小さく笑んで、唐揚げを口に入れた。表面に浮いた油が唇について、危うい光沢を出す。今すぐ抱き締めて押し倒してやろうか。
「ちゃんと見ててやっから、良いの作ろうな」
「はい」
綻んだ目尻の柔らかさに見蕩れて、いつか言ってやろうと心に決めた。ショーの勉強をしに一緒にアメリカへ行かないか?問うたら、彼はどう答えるだろうか。向上心と努力と、それを裏切る幼い表情。
惹かれて行く自分を否定せず、一緒に弁当を食べた。いつかこの狭い世界からお前を連れ出そう。
もういっそ、この公演が終わったらアメリカに連れて行ってしまおうか。危険な思想に、石川は一人で笑った。不思議な顔で見上げる光一が可愛くて、愛しい。
【何て面白味のないカレンダー】
とゆー訳で、開けてみました。カレンダー。
・・・うーん、どうにも評価がしづらい(^^;
いや、あれはあれで良いんじゃないかと思います。
KinKi Kidsはもう良い歳な訳で、今更ハワイやサイパンで「きゃー!」な写真を撮って来てくれない事位は分かってたんです。
唯、ファンなのでつい期待してしまうんですよねー。
いけないいけない。
少しひいき目に見てみると、男前表情をしていても何となく雰囲気が柔らかいかなあ、とか。
たとえ、一日でも一緒にいられたのなら良かったね、とゆー感じです(笑)。
くるまってる彼らは可愛いねvv
後は、ちょっと恐怖だったキンキのお言葉ブック。
これも全然~とゆー感じで。
相方の事に触れて頂けたのは、良かったかな♪
とゆー訳で、開けてみました。カレンダー。
・・・うーん、どうにも評価がしづらい(^^;
いや、あれはあれで良いんじゃないかと思います。
KinKi Kidsはもう良い歳な訳で、今更ハワイやサイパンで「きゃー!」な写真を撮って来てくれない事位は分かってたんです。
唯、ファンなのでつい期待してしまうんですよねー。
いけないいけない。
少しひいき目に見てみると、男前表情をしていても何となく雰囲気が柔らかいかなあ、とか。
たとえ、一日でも一緒にいられたのなら良かったね、とゆー感じです(笑)。
くるまってる彼らは可愛いねvv
後は、ちょっと恐怖だったキンキのお言葉ブック。
これも全然~とゆー感じで。
相方の事に触れて頂けたのは、良かったかな♪
貴方の事を愛しています。
誰よりも。
そう思った人間が、自分の前にどれ位いるのだろう。
打ち上げは盛大に行われた。二ヶ月間八十一公演。終わってしまえばあっと言う間だったような気もするが、決して簡単な事ではない。
今日まで頑張れたのは、ひとえに座長である光一が弱音一つ吐かずにカンパニーを引っ張ったからだろう。それぞれがそれぞれに頑張っていた。光一一人が舞台に立っている訳じゃないのに、彼ばかりを誉め讃えるのは可笑しいと外部の人間は言うだろう。
けれど、カンパニーの人間はきちんと分かっていた。彼を持ち上げるのでも自分達を貶めるのでもなく、この八十一回の道程を支えたのは、黙々と働く背中だったのだと。
だから、皆光一に優しい。誰よりも自身に厳しい人を、皆愛していた。
打ち上げは、朝まで行われる予定だ。広い会場を貸し切って、スタッフも出演者も入り乱れて騒いでいた。酒が回れば笑い、カラオケで歌えば踊り、学生並みの食欲で食べては今日までの日々を互いに讃え合う。
この二ヶ月の間、全ての出演者が千秋楽まで舞台に立ち続ける事を目標にして来た。途中何人も故障者は出たものの、最後は皆一緒に迎えられて本当に良かったと思う。スタッフも寝ずに過ごした夜が何度もある筈なのに、文句一つ言わず事故のないよう数えるのも嫌になる位の調整を行ってくれた。誰が欠けても出来ない舞台。此処にいられて良かった。皆が抱いた感想だろう。
「とぉまー、歌わへんのー?」
ソファに座って、しみじみとこの二ヶ月間を振り返っていると、いきなり右側に衝撃が来た。何、と振り返るより先に舌足らずな声が誰なのかを教えてくれる。
「光一君?」
綺麗に酔っ払った座長は、斗真の右腕に両手を絡めてふにゃりと崩れた。会場に入った時からおかしなテンションだったと思う。思う、と言うのは確信を持つより先にMAがフォローに回ったせいだ。彼らは、本気で座長の騎士を務めていた。
上手い具合の距離を保っているグループなのに、こと光一に関しては密接な連係プレーでもってその周囲を固める。しかも、守られるのが嫌いな性格をきちんと把握した上で、絶対に嫌がらない一線と言うのを弁えていた。自分の事で一杯一杯になるのが普通なのに、あいつらは使命なのか趣味なのかいまいち分からない位置に立っている。
だから、MAの手を離れた光一と言うものには慣れていなかった。この二ヶ月間、近いようで遠い場所にいたのだと実感する。彼らはこんな酔っぱらいを放って何処に行ってしまったのか。会場を見回すより先に、光一が動いた。
「なーあ、斗真ぁ。歌ってーカラオケ、やらへんの?」
名前を呼んだまま動かずにいた斗真の視界を塞ぐように、顔を近付ける。目が悪いせいなのか、光一は他人との距離に鈍感なところがあった。男性でも女性でも、それは仕事仲間の距離じゃない、と言う位置まで平気で縮めて来る。下心があるのならまだしも、彼に限っては絶対になかった。なのに、皆その至近距離でやられてしまうのだ。
「いや、俺も歌ってますけど。今ちょっと、休憩中で……」
「休憩なんていらんやん。俺、斗真の歌聞きたいー。座長命令やー」
完璧な絡み酒だった。何度か公演中も酒を飲みに行ったけれど、こんな光一は初めて見る。ぎゅっと抱き着かれた腕は、引く事も抱き寄せる事も出来ず為すがままだった。オンとオフの使い分けがきっちりしていて、しかも一旦箍が外れるとちょっと手に負えない人になるのも知っている。でも、こんなのは。
「光一君が歌って来たら良いじゃないですか」
「嫌や。俺歌下手やもん」
「ギネス記録持ってる人が、何言ってるんですか……」
「あれは、俺のやないもーん」
唇を尖らせる様は、まるで子供だ。帝国劇場の神聖な舞台の上で、堂々と歌っていた人と同一人物とは思えなかった。間近に迫る顔にどきりとする。真っ直ぐに見詰められているから、迂闊に逸らす事も出来なかった。誰も助けてくれないと言う事は、皆それぞれ興じているのだろう。この状況を自分でどうにかしなければならないのか。
「とぉまー」
「はい?」
「とぉま」
「はい、何ですか?」
「お前、ええ子やなあ」
声が甘く響いて泣きそうになる。酔っ払いの戯言なんか、適当に聞き流してしまえば良かった。出来ないのは、彼が普段から言葉の少ない事を知っているせいだ。唇から零れ落ちるものをきちんと掬ってやりたくなる。
「斗真」
「はいはい」
「歌って」
「だから、」
その先の言葉を飲み込んでしまった。自分が歌わなくても、カラオケ設備はダンサーが占領している。会場内に響く音が聞こえていない訳じゃないだろうに。身体の右側が徐々に熱を持つ。べったりと懐いている人は、自覚なんてなかった。
舞台の上で近付くのとは訳が違う。メイクを落とした素の顔が、何故こんなにも綺麗なのか。疲れて痩せてしまった顔を晒しているのに、繕った表情よりもずっと柔らかく見えた。洗い立ての髪は女性陣が羨む程さらさらで、重力に従って光一の輪郭を縁取っている。公演前よりも大分伸びてしまった髪は、彼の表情をより幼く見せた。香る石鹸の香りも、清潔なのにうっかり欲情してしまいそうになる。
アルコールで火照った頬があどけなかった。色気よりも幼さが勝ってしまう不思議は、より彼を魅力的に見せる。とろりと水の膜を張ったような瞳に見詰められると、身じろぐ事さえ出来なかった。男だと分かっていても、惹かれてしまう。
「光ちゃん」
見詰め合ったままの二人の間に入った声は、落ち着いていた。条件反射の動作で、光一が声の方を振り返る。その薄い肩に置かれた手が優しかった。彼らの距離は、こんなにも親密なのか。当たり前に受け止めなければならない事実に凹みそうになる自分に苦笑した。苦痛も苛立ちも共有して来たのだ。自分より長い時を過ごしてやっと得た信頼は、時間が掛かった分簡単には壊れなかった。
「よねはな?どぉしたん」
「どうしたもこうしたもないですよ。そんなに絡まれたら斗真も困るでしょ」
「絡んでへんもん」
「酔っ払ってるんですよ、自覚あります?」
「分かってる。でも、そんなに酔うてへん」
「光ちゃん」
普段「光一君」ときちんと呼ぶ癖に、叱る素振りの声音は隠し切れない甘さが滲んでいる。可愛くて愛しくて仕方ないと、全身で訴えていた。自分が知っている米花は、こんな男じゃなかった筈だ。恋愛でも相手を大切にする誠実さはあるものの、いつでも冷静に状況を見る奴だった。こんな、全てを許して甘やかすような蕩けた目は見た事がない。
上目遣いで怒られている光一は、それでも腕を解かずにしがみ付いたままだった。あの真っ直ぐな視線が離れてしまった事を少し寂しく思う。彼の黒い瞳に自分の顔が映っているのを確認すると、まるで世界中に二人しかいないような、光一には自分しかいないのだと勘違いしてしまいそうな危うさを持っていた。
「……全く、どれだけ飲んだんですか」
「まだ飲んでへんもん。これからもっと飲むんやもん」
「まあ、マネージャーさんの許可も降りてるから良いですけどね。もう少し飲み方ってもんがあると思いますよ」
「……飲み方?」
首をことりと傾げて、悩んでいる仕草を見せる。実際ぐずぐずに溶けてしまった思考がその答えを見付けられるとは思わないけれど。身体を起こして、回していた腕が離れて行った。主導権は既に米花にある。追い掛けようがない右腕は、行き場をなくしてソファの上を彷徨った。
明日も朝から仕事があると言うのは聞いている。ハメを外せない事は分かっていた。けれど、スケジュールを考えていたらこの人はハメを外せる瞬間がなくなってしまう。多分、ずっとそうして張り詰めた糸を身の内に抱えたまま大人になったのだろう。次の時間を考えて、常に輪の外にいるような人だった。
今のマネージャーは聡い人なのかも知れない。全てを分かっていて、煩く注意しなかった。遠くで他のマネージャー達と飲んでいる彼は、決して光一から目を離す事はないけれど、口を出さない。どちらかと言えば、口煩いのはMAだった。
「……まあ、言っても分かんねえか」
「なん?」
「いや、こっちの話。辰巳が光一君と一緒に歌いたいんですって」
「そぉなん?」
「はい。何かキンキの曲一緒に歌ってくれますか?」
「んー、ええよ。辰巳の歌いたいやつ入れたってー」
「了解です。じゃ、行きましょ」
「ん」
素直に頷いて、今度は米花の腕に縋って立ち上がる。そんなに身長は変わらない筈なのに、光一の華奢な印象は米花の態度と相俟って、完璧にお姫様の図だった。酔っ払いから救ってくれたのだと思うけれど、単純に他の人間に触れて欲しくなかっただけだったのだろう。振り返った笑顔が清々しい程で、正直過ぎた。
米花も気を遣ってはいるものの、既にアルコールが回っているのだろう。飲めない彼の事だから、ほんの一口二口の話。乾杯の時に小さなグラスにビールを注いでいたのを見ている。自分の欲望に忠実なのは、少しだけその理性が崩れて来ている証拠だった。
「ま、良いけどね」
テーブルの上に置いたままのグラスに口を付けて、一つ息を吐く。ステージの上では、辰巳が視線すら上げられずに光一と歌っていた。自分より若い彼に免疫がある筈もなく、迫られる至近距離に耐えられないようだ。彼らの冬の新曲は、甘い光一の声に良く似合うラヴソングだった。
サビを聞いて当たり前だけど、キンキの歌なんだなあと思う。剛の声と光一の声が溶け合って、初めて完成された楽曲になるのだ。全然違う人が歌っていれば唯のカラオケ大会なのに、光一の声が入ってしまうから違和感を感じざるを得ない。辰巳が悪い訳ではなく、誰が歌っても同じだった。
一人で生きる事を覚えて、一人のステージで歌う事も出来るのに、光一の声は静かな主張をする。剛以外の誰も混ざり合う事なく生きて行くのだと。相方以外の誰も必要としていない甘い声。君に会いたい、と小さく叫ぶ悲しい声。
彼らの事をきちんと知っている訳ではない。勿論、本人達は何も言わなかったし周囲の人間もわざわざ口に出したりはしなかった。けれど、大体の事情は察する事が出来ていると思う。何よりも光一の表情が雄弁だった。メディアは不仲だ解散だと騒ぐけれど、二人の何を見ているのだろう。あんなにも、一途な瞳をするのに。
ずきん、と心臓が痛んだ。ああ、駄目だなと思う。彼らを見ていて、他人事のように大変そうだと言えれば良かった。男だらけの事務所だからと言って、皆が皆同性を好きになる訳ではない。沢山の偏見は、事務所内にもある筈だった。アイドルと言う職業柄、決して公言出来ない事実。苦しい事の方が多いだろうに、それでも諦めないのはとてもシンプルな理論だ。光一の、彼を呼ぶ時の声。それに応える優しい眼差し。
昔、帝劇の楽屋に遊びに来ているのを見た事があった。自分の職場でもないのに躊躇なく相方の部屋に入って、僅かな言葉を掛けて帰ってしまう。何なのだろうと思ったけれど。あれが労る事なのだと気付いたのは、いつだったか。そして、それに痛みを覚える心臓はいつ生まれたのか。
ふと顔を上げると、ステージの上に光一の姿はなかった。またダンサーが賑やかに歌い始めている。会場を見渡して、小さな頭を探した。何処も彼処も楽しそうだ。充足感と達成感と、僅かの寂しさ。その姿を見付けるより先に、女性陣に捕まってステージの上に上げられてしまった。何でも良いから歌え、と言う横暴な要望に応じて適当にキンキの曲を入れてもらう。此処にいる人間は、多分大体知っている曲だった。他の面々も上がって来て、歌いたいんだか踊りたいんだか階下のフロアが気になるような騒がしさになる。
歌いながら光一を探した。出演者はほとんどステージの上だ。酒を飲んでいるのは、スタッフの人間が多かった。改めて、こんなにもこの舞台に携わる人間がいたのかと思わされる。その全てを背負って立った人。右腕の熱が蘇る。幼い表情を知っている人は、この会場内にどれ位いるのだろう。舞台への情熱と裏腹な脆い表情。いたいけな黒い瞳は、補食される寸前の草食動物と同じ色だった。茶色の小さな頭を探す。
いた。会場の片隅、照明の落とされた窓際のカーテンに隠れるように背中を丸めている。その手には携帯があった。右耳に押し当てて、少し俯きながら通話している。誰、と思う暇もなかった。ダウンライトの中でも表情は鮮明に見える。今自分のいる場所の喧噪と切り離された穏やかな微笑。思わず見蕩れた。先刻の邪気のない笑顔は可愛かったけれど、そんなのとは全然違う。酔っ払っているのに、あんなに危うい顔を見せたのに。
胸が痛かった。キンキの曲を歌いながら、何て馬鹿なんだろうと思う。今更思いを自覚したって、どうにもならないのに。明日からあの劇場には行かなくなって、彼とも会う事はない。もしかしたら事務所やスタジオで会える機会があるかも知れないけれど、多忙な彼の事を考えると可能性は低かった。馬鹿だ、俺。
電話の先は、考えなくても分かる。今日は仙台にいるのだと、MAの誰かが話していた。離れていても、離れる事のない人達だ。遠くで見ている限り、彼と一緒にいて幸福だとは思えなかった。なのに、光一は幸せそうに笑っている。携帯の向こうにいる人が大切だとその表情は明白に語っていた。
悔しくて、視線を逸らす。俺はもう、明日から彼の世界からなくなってしまうのに。翼や亮と同じように、久しぶりに会えば他人行儀な顔をされるのだ。一瞬下を向いて、それからカラオケの画面に向き直った。歌って騒げば、痛くない。誰もこんな感傷には気付かない。ステージの上でテンションのおかしくなっている仲間に混ざって、馬鹿な自分を忘れようとした。
もう歌えねえ、と呟いてステージの上を降りた。八十一と言う公演数は、全ての人間に負担を掛けた筈なのに今この瞬間だけは別らしい。明日起きれない程疲れても、最後の時間を皆で過ごすのだ。一応自分の役目は果たしたと、新しいグラスを手に座る場所を探した。適当な輪に入って、今までの事でも振り返って語ろう。ぐるりと見渡して、一人苦笑した。
自分の目は、悲しい位正直にたった一人を探している。どうせ、明日には消える魔法だ。今だけは、一緒にいたかった。
目的の人はすぐに見付かる。秋山の隣にいた。小さな頭を預けて、すやすやと眠っている。肩を貸した秋山は、気にする風でもなく黙ってサンドウィッチを食べていた。ことごとく酒の飲めない連中だと、もう一度笑う。
「おう、斗真。お疲れさん」
「もう歌い過ぎたよ。喉いてえ」
「いやいや、まだ行けるでしょ」
適当な会話をしながら、光一の隣に座った。秋山が苦笑している。人一倍気遣いな彼の事だ。自分の感情の揺れなんてとっくにばれているのだろう。規則正しい寝息を立てて、全身を預けていた。けれど、その手には携帯が大事に握られている。普段、電源が切れていようがマナーモードになっていようが、全然気にしない人なのに。先刻の微笑を思い出す。
「駄目だよ」
「え」
「そんなに見詰めてたら」
秋山は優しく笑った。この人も大概大物だ。感情に揺れがない分、底が知れないと言うか、心を許しているようできちんと冷静に観察出来る人だった。でも、根源的に優しいから嫌味じゃない。全幅の信頼を置かれているMAが羨ましくもあるけれど、こんなに預けられて動じないのは尊敬に値した。
「MAって凄いよね……」
光一を見詰めて呟いただけの言葉を、正確に理解される。彼らだって自分と同じように、否一緒にいる時間が長い分それ以上に今胸の裡にあるのと同じ感情を抱えて苦しい思いをしているだろうに。米花の目線も優しかった。彼らは自分の感情を抑えて、誰よりも気高く孤高な王子様を守ろうとしている。
「うーん、凄い訳でもないんだよ」
「ずっと一緒だろ?俺だったら絶対おかしくなる」
「まあ、その論理で言ったらね。とっくに全員おかしくなってるんじゃないかな」
暢気に笑う秋山は、己の熱情を決して表に出さなかった。どうしてだろうと思う。こんなに信頼されていて、すぐにでも傾いで来そうな距離にいるのに。
「おかしくなるまで我慢しなくたって良いんじゃね?奪っちゃえば良いのに」
「出来ないよ」
即答される。間にいる光一は、微動だにしなかった。深い眠りに落ちているのだろう。アルコールに助けられて、押さえ込んだ疲労に抗えなくなってしまったのかも知れない。
「何で?」
「俺はむしろ、斗真にそう聞きたい位だけどね」
「へ?」
「だってさ、絶対好きになるタイプじゃないでしょ」
「まあ、そうだけど……。でも、」
「傍にいれば、ね」
「分かってんじゃん」
そうだ。決して好きになるような人間じゃない。馬鹿がつく位真面目で、頑固な癖に不器用。人の顔色を伺っているかと思えば気分屋。大体、男は射程圏外だった。どうしてだろうと思う。どうしてこんなに好きなんだろう。
普通に女の子が好きで、それはMAも変わらない訳で。けれど、ダンサーのミニスカートから覗く太腿より光一のうなじにどきりとする。抗いがたい欲だった。この人を手に入れてしまいたい。誰にも触らせたくなかった。もう、他人のものである彼を閉じ込めたいと願うなんて滑稽だ。
「不毛な恋だよなあ。絶対報われないのにさあ」
「まあね」
「でも、俺はともかく秋山だったら行けるんじゃねえの?こんなに大事にされてるんだからさ」
「うーん、今の斗真なら分かると思うけど。光一君が好きだなあと気付くでしょ。で、戸惑って俺ホモだったのかどうしようってなって。それが光一君限定なら仕方ないかって諦められるようになって、今度は大事にしよう見詰めていようって思うの。そしたら、すぐに分かったでしょ?」
「何が」
「その視線の先に誰がいるか」
手の中にある携帯は、光一を此処から奪い去る力を持っていた。いつもいつも、彼が一番最初に選ぶのは彼で、最後に選ぶのもまた彼一人だ。悔しいとは思わないのだろうか。光一の一番近くにいる人間なのに。
「視線の、先」
「そう。斗真も光一君が気になり出してからだろ。剛君に気付いたの」
「まあ、そうだけど」
秋山の言葉は他意なく零されるから居たたまれない。確かにその通りだった。光一を好きになって、その先に気付いたのだ。知らなければ、強引に奪い去る事も出来た。
「俺達は、ソロの仕事に付かせてもらう事が多いけど、キンキのバックにも付くからさ。そうすると、ああ俺達じゃ駄目なんだなあって思うよ」
「……光一君が剛君の事好きなのは分かる。でも、俺、光一君が幸せだとは思えない」
「うーん、そうかもね。光一君にだけ付いてたら分かんないかも」
困ったように秋山は笑う。分からない事は悔しかった。明確な差がある。MAには簡単に分かる事でも、自分には全然分からなかった。だって、あの人は自分の好きな事追求して光一を置いていつか違う所に行ってしまう。一人になっても何も言わずに笑う人だとは知っているけれど。
「剛君は、周りが思ってるよりずっと、大事にしてるよ。それこそ壊れ物みたいに。触るのが怖いって感じ」
「そんなの」
知らない。いつも身勝手な振る舞いをして、光一がフォローに回っているイメージしかなかった。事務所の枠の中に納まるのが嫌で、でも今の地位を捨てる事も出来ない臆病者。自分の目から見た堂本剛は卑怯な大人だった。そりゃ、ちょっと危険な感じでカッコ良いなと思ったことは何度もあるけれど。
「光一君には剛君しかいなくて、剛君にも光一君しかいないんだよ。普通に考えたら不幸な事だけど、二人はちゃんと幸せだから。何か一緒にいるの見ちゃうとさ、何処にも入る隙間ないの。完璧に閉じられた空間作られるんだよ」
嬉しそうに話す秋山が強いのか、そう思わせるのが彼らの魅力なのか。光一は欲求の少ない人だった。与えられた仕事はきっちり期待以上のものを仕上げるけれど、能動的には動かない。そんな人が、この世界で唯一求めた存在。
「俺には分かんねーな」
「うん、分かんなくて良いと思うよ。てゆーか、そこまで見えてれば充分重傷の域だけどね」
「何で、今更なんだろ」
気持ち良さそうに、と言うよりは全ての色を失って眠っている頬は白い。手を出す事は出来ずに、じっと見守った。男とか女とか、そんな次元を超えて皆堂本光一が好きなのだ。何度も共演しているのに、どうして此処まで来て気付いてしまったのか。どうせならずっと、こんな恋は気付かなければ良かった。
「今更じゃなくて、やっと光一君が見えるようになったんだよ」
「やっと?」
「そう、やっと。前はさ、うーん。あ、ほらさっきの辰巳みたいだったんだよ。きらきらしてて眩しくて、真っ直ぐになんて見れなかった。それが斗真も大人になって、この人の強がりとか脆さとか、そういうの見えるようになったんじゃない?」
例えば、先刻冬の新曲を一緒に歌った時の光一の寂しそうな眼とか。気付いてしまう自分がいる。その分だけ距離が縮んだと言うのなら、何て残酷な事だろう。君に会いたい、なんて。こんなに賑やかな場所の中心にいるべき人が、此処にはいない人に思い馳せる悔しさをきっと光一は知らない。
大人になんてなりたくなかった。永遠に光の中、手の届かない存在であった方が救われる。叶わない恋を心臓の奥にしまって、彼らはこの人の傍にいるのだ。
「あ、電話だ。ちょっとごめんね」
光一に肩を貸しているから迂闊に動く事も出来ず、秋山はその場で電話に出る。ぼんやりと寝顔を見詰めながら、その声を聞いた。相手が彼女だったらからかってやろうと思ったのだが、どうやら違うらしい。先輩、かな。でも敬語と混ざり合った親しげな笑いが、電話の向こうを分からなくさせた。
「はい、そうです。今、打ち上げで……え、ああ。寝てます」
一瞬視線を肩で眠る人に移して、その仕草で相手が誰なのかを悟る。堂本剛だった。秋山は、どちらもフォローをしているのだろう。器用な人だとは知っているけれど、気苦労が耐えないだろうと思った。望んで苦労を背負っている節のある性格だから、同情なんてしてやらない。
「だから、携帯持ってたんですね。珍しいなあって思ったから。はい、大丈夫です。剛君明日もライヴですよね?頑張って下さい。……じゃあ、お疲れ様でした。お休みなさい」
速やかに会話は終わった。携帯を閉じて、秋山は優しく笑ってみせる。
「剛君」
「うん、分かるけど」
「何かね、メールの途中で返事がなくなったから心配になったんだって」
「ふーん」
「斗真、分かりやす過ぎ」
大事にされている瞬間を目の当たりにして、平気でいられる人間がいるのなら教えて欲しい。あ、今目の前にいたか。こいつらはもう、常識の範囲を外れている。大事な人間を簡単に連れ去られても何も言わなかった。唯、穏やかに笑う。光一の幸いの為に。自分には出来ないけれど、もしかしたら一番正しい愛情の注ぎ方なのかも知れない。
「さて、俺も歌ってこよーかなあ」
「えっ」
「俺だって打ち上げだよ。光ちゃんのお守りに来た訳じゃないからね。後は、任した」
「あ、え!」
手慣れた仕草で光一の首の後ろと腰に手を回して、その身体を離す。眠ったままの王子様は、目覚める気配すらなかった。そのまま斗真の膝の上に頭を乗せる。余りの出来事に、為す術がなかった。
「秋山!」
「あ、動かしたら駄目だよー。大事な座長の貴重な睡眠、邪魔したくないでしょ」
「邪魔、したくないですけど」
「うん。あ、それとこの人身体預けるの得意だからねー」
「は?」
それは暗に、先刻の絡み酒の事を言っているのだろうか。助けに来なかった癖に、何処から見られていたのだろう。秋山の表情に嫉妬は見えない。
「野良猫ってさ、撫でてやると擦り寄って来て可愛いでしょ。でも、抱き上げようとしたら引っ掛かれた、なんて経験ない?きっとあんな感じだよ」
「光一君が野良猫って事?」
「せっかく例え話にしたんだから、その突っ込みは頂けないな」
「……何考えて」
「ま、役得役得。分かりやすい斗真君にゆっくり自問自答してもらおうと思って。町田に後でブランケット持って来てもらうから」
何でそこで町田?マネージャーに頼めば良いだけの気がするんですけど。文句を言いたくても、膝の上の重みが身体を自由にさせてくれない。
秋山は、人が良く見えるから騙されがちだけど狡猾な面を持っている人だった。しっかり牽制した癖に、その笑顔は狡い。頭の良い男だった。ひらりと手を振って、ステージの方へ行ってしまう。途中できちんと町田に声を掛けているのが見えた。そう言う問題ではないと言ってやりたい。
膝の上に光一の頭がある状況と言うのは、どう考えても精神衛生上良くなかった。茶色い頭は、力が抜けている筈なのに余り重くない。脳味噌詰まってんのかな、と失礼な発想が頭を過ぎった。恐る恐る右手を伸ばす。
触れた前髪がさらりと零れた。何度も触れた髪に今更動揺する事はない。舞台の上で倒れた光一を八十一回、抱き締めているのだから。
「……ん」
光一の唇から吐息に近い声が漏れた。一瞬手を離して、それからゆっくりと自分の身体とは反対を向いた彼の顔を覗き込む。本当に綺麗な顔をしていた。表情を失うと、その美しさばかりが際立つ。笑顔を見せている時は、あどけないとすら思うのに、眠りに落ちている今は指先が凍る程だった。
この感情は、明日になったら消えるのだろうか。魔法が解けたシンデレラのように、跡形もなく消えてしまえば良い。少しの恋情も心臓に残さないで欲しかった。
「光一」
誰にも聞こえない音量で、愛しい人の名前を紡ぐ。その手にはまだしっかりと、携帯が握られていた。
「もう、剛君から連絡来ちゃいましたよ」
手の中にある限り、彼らの間にある糸が見えている気がした。そっと手の甲に触れる。浮き出た筋を辿って、ひんやりした手を包み込んだ。
舞台の上で手を握る時は、冷えた設定であってもさすがにその手は熱い。今は、元の温度を取り戻していた。トウマの熱が心臓に蘇る。あれは、架空のものだった。けれど、同じ名前で呼ばれている以上全てが虚構である筈はない。きっとこの気丈な人は、「あんなん俺やない」と笑うだろうけど。
冷えた手に竦んで、それでも握り直したトウマの思いが此処にある。あの時、コウイチが幻影でも本物でも構わなかった。体温のない手をまだ握る事が出来るのなら。
「光一」
トウマは、手の届かない場所に行って初めて自分の思いを自覚したのだ。何と罪深い恋だろう。握り締めた手。決して離さないと誓っても、すぐに消えて行く人。コウイチは笑っていた。運命も罪も全て飲み込んで、桜の下鮮やかに笑む。
手に入れたかっただけの、幼い妄執だった。コウイチなら構わない。自分の感情が、愛でも憎悪でも大差なかった。いなくなるまで気付かない単純な執着は、生涯彼を苦しめる。あのストーリーの先にある残された彼らの人生は一体どんなものだろう。手を血に染めたトウマの罪は一生消える事もなく、贖う術もない。
指先を辿った。桜色の爪を撫で、何処にも行かないでと願った。明日には、彼に触れる事すら出来ない。この恋は何処に捨てれば良いのだろう。
稽古に入る前、繰り返し見た映像を思い出した。ツバサとリョウの舞台を研究して今回の役作りをしたのだ。彼らは、どんな感情を抱いてこの場所を去ったのか。次の年に同じ舞台に上がれないと言う事は、永遠のお別れと同じだった。桜の木の下にコウイチを置いて。
ああ、馬鹿げている。自分も相当酔っているのかも知れない。舞台と現実の境目が付かなくなって来ていた。右手で手を重ね、左手で細い髪を梳く。この人を、手放したくなかった。
翼は、もしかしたらこんな苦痛は持っていなかったのではないか。彼の演じたツバサはもっと純粋で、コウイチに追い付きたい一身で起こしたれっきとした事故だった。彼のひたむきな演技は、丁寧に構築されている。自分の胸にある、ドロドロとした感情は最初からなかった。兄のようにコウイチを慕い、決して追い越せない場所にいる彼に憧れ続けたツバサの罪は、一生ステージに立つ事によって償う事が出来る。倒れたコウイチを抱き締めた時の表情は、その決意を示していた。
リョウの方が、自分の感情に近い場所にいる。けれど、多分自分よりずっと計画的な気がした。彼は、ちゃんと自分の恋を自覚している。最初から、手に入れる事だけを望んでいた。舞台の上できちんと昇華された思い。亮の目は本気を示していた。リョウがコウイチを手に入れようとしたのではなく、亮が光一を手に入れたかったのだ。舞台の上で、彼は永遠に愛する人を自分のものにした。冬の恋は、今もその胸を苦しめているのだろうか。それとも、一瞬も思い出す事なく今自分に与えられた仕事をこなしているのだろうか。
愛しくて憎くて、大切な人を壊した自分とは違う亮の恋は成就していた。だとしたら、自分だけが一人永久に救われない恋に溺れたという事になる。舞台の上で丸こい指先を握る度に自覚した。自身の痛みを堪えて笑う人は、日が進むにつれ舞台の上と現実との差がつかなくなる。
今は、もう同じ人だった。コウイチも光一も同じように愛しい。労る仕草で爪先から手首へと指を滑らせた。低い体温は、自分の熱情を促すばかりだ。
「とーま!」
いきなり大声で呼ばれて、びくりと顔を上げた。膝の上の眠り姫を起こさないかと緊張したが、幸い彼の疲労はそんな生半可なものではないらしい。視線を向ければ、鬼の形相で町田が立っていた。
「ま……まちだ、さん?」
「斗真!手!」
「て?」
「手!どかせ!やらしい!」
半分切れているらしい。目が据わっていた。穏やかな彼が珍しいとは思ったけれど、理由は明快過ぎる。そうですよね、見てましたよね。
「やらしいって、それは心外なんだけど」
「放っといたら、ジャージん中まで手入れる気だっただろ!」
「……入れないって」
「信用出来ない」
この人もアルコールが回っているのだろう。皆最後だからって、自分の欲望に忠実過ぎやしないだろうか。動けない自分をよそに、町田は抱えて来たブランケットを丁寧に光一の肩へ掛けた。淡いブルーのそれは、楽屋でも見た記憶がある。
「これ、もしかしなくても光一君用?」
「そうだよ。光一君は、人の毛布とか使えないから。専用」
否、潔癖がどうのと言う話ではなく、これが何処から出て来たのかを知りたい。町田が持っていたとは、死んでも思いたくなかった。そんなMAは嫌過ぎる。視線を光一に向けたまま、固い声音で真剣に注意をされた。
「手、出したら、絶対駄目だからね」
「出さねーって。光一君男だろ」
「……男とか女とか関係ないでしょ、この人」
同意しては自分が意識しているのを認める事になるし、かと言って否定が出来る訳でもなく。黙った俺を町田が睨む。答えにくい質問寄越したのはそっちだろう、と詰りたくなった。俺は悪くない。不可抗力だ。
「光一君が、今日一緒にいたいのが斗真だってのは分かってるから、文句なんか言わないけどさ。この人、最後の最後で流されちゃうから、絶対変な事しないでよ」
拗ねた顔を見せて名残惜しそうにブランケットを直すと、諦めた素振りで離れて行った。光一君が俺と一緒にいたい?聞き間違いか町田の勘違いか。この人が俺と一緒の時間を求めるなんてあり得ない。結局楽屋も一回しか来てくれなくて、この二ヶ月間で二人の距離が縮んだかと言われれば、答えは否だった。皆で彼の家に押し掛けた時も、二人になる瞬間なんてなかったし、強いて言えば稽古の瞬間に何度かあっただけだ。
人見知りで不器用で、先輩なのに横暴にはなり切れなくて。人と打ち解ける為に馬鹿みたいに時間の掛かる人だった。だから、町田の言葉は本当なのかも知れないと、恋に溺れた心臓は期待する。どんな思いであれ、自分に気を留めてくれた事が嬉しかった。この仕事をしていなければ、絶対に惹かれる事のない自分とは違う種類の人。彼の仕事に対する姿勢や真面目さは、相容れない人間ならば嫌うものだ。
だけど、自分は此処にいる。彼を望んで、この舞台を終わらせようとしていた。膝の上で眠る光一。考えたら、一生に一度の出来事かも知れない。無防備に身体を預けるなんて、本当に役得だった。
「光一君、一緒にいたいんだったら、ちゃんと言ってくれなくちゃ」
夢の中にいる彼に届くよう耳元で囁く。吐息ごと吹き込んだ。夜が明けるまで、この人は自分の元にいる。太陽が昇って、二度とこの腕の中に戻って来なくても今この瞬間は、彼が望んで此処にいた。
トウマは、永遠に苦しみ続けるだろう。今更の恋を抱えて、懺悔と後悔の狭間で舞台に立ち続ける。けれど、自分は。この夜に悲しみを捨てて行く。
そっと、唇を柔らかな頬に触れさせた。体温がじんわりと染み渡る。彼は生き続けるのだ。悲しい事は何処にもなかった。大丈夫。償いも永遠も手に入れられないけれど。光の中の世界と現実を混同しては駄目だ。
光一君が好きです。コウイチを愛していました。ゆっくりと桜色の唇に自身のそれを近付ける。
「さっき、町田さんに注意されてなかった?」
まさに恋と決別をしようとした瞬間、新たな邪魔が入った。お前らは、俺が道を踏み外しても良いって言うのかよ!いまいち説得力に欠ける事を思いながら顔を上げると、目の前に立つのは多分正気の屋良だ。他の三人は酔っ払っていたけれど、こいつの目は冷静だった。素面で注意して来る辺りが、怖いところではある。
「何でMAは全員でこうなんだよ……」
「責任持ってやってるからね」
「ノーギャラだろ」
「仕事の内」
きっぱり言い切る屋良は、昔こんな奴ではなかった。もっと向こう見ずで自己顕示欲が強くて、眠る光一を見詰めて満ち足りた微笑を作るような、社会に従順な性格ではない。MAと光一を見ていると、世話をしてるのはMAなのに目覚ましい成長を遂げているのはいつもMAだった。光一はずっと変わらない。何処にいても誰といても。
「別に、町田が注意したような事するつもりないし」
「今キスしようとしてた奴の弁解とは思えないね」
「弁解じゃねーよ」
「ま、光一君も頓着ない人だから、キス位平気だと思うけど。平気じゃない奴多いから、ウチのグループ」
てゆーか、全員だろ!と言いたいのを堪える。最後の接触で、自覚した恋を断ち切るつもりだった。悪い芽は早めに摘んだ方が良いんだろ?此処で一回キスさせた方が、絶対後々面倒臭くならない。既に何処へ向けた言い訳なのか分からなくなってしまった言葉は、唯の悪態に過ぎなかった。
「じゃあ、俺の傍から離せば良いじゃん」
「光一君の意見は最大限尊重するのが、俺らのやり方」
「ほんっとに、すげーな。感心するわ……」
半分は嫌味で半分は本心だ。打ち上げの席で自分本位に楽しまない奴らの気が知れなかった。けれど、それだけの信頼関係が相互で築かれているのだから、文句は言えない。
「斗真の邪魔する訳じゃねえけど、手なんか出しても泣くだけだしやめといた方が良いよ」
「……分かってる」
叶えようだなんてしていない。お別れの為に、それだけを考えて触れたかった。もう二度と触れられないかも知れないのだから。
「今日は打ち上げなんだから、それ忘れんなよ」
「ああ」
「後で、また歌おうな」
それだけを告げて、町田と同じ仕草で離れて行った。彼らには、まだこれからがある。決別を意識する必要はなかった。この二ヶ月の記憶が濃密な程、離れがたいのだと思い知る。唇が触れた頬を掌で包み込んだ。さらりとした感触。汗のない光一は、どこもかしこもするりとした印象を与える。
俺は、この場所を離れて忘れられるのかな。もしかしたら、捨てる事も認める事も出来ず、ずっと心臓に棲んでいるのかも知れない。息を一つ吐いて、それでも良いかと思った。初恋の思いがいつまでも記憶にあるように、この二ヶ月が育んだ思いを留めて生きて行く事も出来る気がした。
無理を無理とせず、出来ると言い張る無鉄砲な座長のように。叶う事のない恋を疲労と共に身体に染み込ませてしまえば良い。小さく笑った。会場の喧噪は、隔離された二人を包み込む。
光一は、終わらない夢だった。
幕が閉じても尚、夢を見せてくれる。
誰が見ていようと構わず口付けた。桜色の唇は、甘い恋の味。
誰よりも。
そう思った人間が、自分の前にどれ位いるのだろう。
打ち上げは盛大に行われた。二ヶ月間八十一公演。終わってしまえばあっと言う間だったような気もするが、決して簡単な事ではない。
今日まで頑張れたのは、ひとえに座長である光一が弱音一つ吐かずにカンパニーを引っ張ったからだろう。それぞれがそれぞれに頑張っていた。光一一人が舞台に立っている訳じゃないのに、彼ばかりを誉め讃えるのは可笑しいと外部の人間は言うだろう。
けれど、カンパニーの人間はきちんと分かっていた。彼を持ち上げるのでも自分達を貶めるのでもなく、この八十一回の道程を支えたのは、黙々と働く背中だったのだと。
だから、皆光一に優しい。誰よりも自身に厳しい人を、皆愛していた。
打ち上げは、朝まで行われる予定だ。広い会場を貸し切って、スタッフも出演者も入り乱れて騒いでいた。酒が回れば笑い、カラオケで歌えば踊り、学生並みの食欲で食べては今日までの日々を互いに讃え合う。
この二ヶ月の間、全ての出演者が千秋楽まで舞台に立ち続ける事を目標にして来た。途中何人も故障者は出たものの、最後は皆一緒に迎えられて本当に良かったと思う。スタッフも寝ずに過ごした夜が何度もある筈なのに、文句一つ言わず事故のないよう数えるのも嫌になる位の調整を行ってくれた。誰が欠けても出来ない舞台。此処にいられて良かった。皆が抱いた感想だろう。
「とぉまー、歌わへんのー?」
ソファに座って、しみじみとこの二ヶ月間を振り返っていると、いきなり右側に衝撃が来た。何、と振り返るより先に舌足らずな声が誰なのかを教えてくれる。
「光一君?」
綺麗に酔っ払った座長は、斗真の右腕に両手を絡めてふにゃりと崩れた。会場に入った時からおかしなテンションだったと思う。思う、と言うのは確信を持つより先にMAがフォローに回ったせいだ。彼らは、本気で座長の騎士を務めていた。
上手い具合の距離を保っているグループなのに、こと光一に関しては密接な連係プレーでもってその周囲を固める。しかも、守られるのが嫌いな性格をきちんと把握した上で、絶対に嫌がらない一線と言うのを弁えていた。自分の事で一杯一杯になるのが普通なのに、あいつらは使命なのか趣味なのかいまいち分からない位置に立っている。
だから、MAの手を離れた光一と言うものには慣れていなかった。この二ヶ月間、近いようで遠い場所にいたのだと実感する。彼らはこんな酔っぱらいを放って何処に行ってしまったのか。会場を見回すより先に、光一が動いた。
「なーあ、斗真ぁ。歌ってーカラオケ、やらへんの?」
名前を呼んだまま動かずにいた斗真の視界を塞ぐように、顔を近付ける。目が悪いせいなのか、光一は他人との距離に鈍感なところがあった。男性でも女性でも、それは仕事仲間の距離じゃない、と言う位置まで平気で縮めて来る。下心があるのならまだしも、彼に限っては絶対になかった。なのに、皆その至近距離でやられてしまうのだ。
「いや、俺も歌ってますけど。今ちょっと、休憩中で……」
「休憩なんていらんやん。俺、斗真の歌聞きたいー。座長命令やー」
完璧な絡み酒だった。何度か公演中も酒を飲みに行ったけれど、こんな光一は初めて見る。ぎゅっと抱き着かれた腕は、引く事も抱き寄せる事も出来ず為すがままだった。オンとオフの使い分けがきっちりしていて、しかも一旦箍が外れるとちょっと手に負えない人になるのも知っている。でも、こんなのは。
「光一君が歌って来たら良いじゃないですか」
「嫌や。俺歌下手やもん」
「ギネス記録持ってる人が、何言ってるんですか……」
「あれは、俺のやないもーん」
唇を尖らせる様は、まるで子供だ。帝国劇場の神聖な舞台の上で、堂々と歌っていた人と同一人物とは思えなかった。間近に迫る顔にどきりとする。真っ直ぐに見詰められているから、迂闊に逸らす事も出来なかった。誰も助けてくれないと言う事は、皆それぞれ興じているのだろう。この状況を自分でどうにかしなければならないのか。
「とぉまー」
「はい?」
「とぉま」
「はい、何ですか?」
「お前、ええ子やなあ」
声が甘く響いて泣きそうになる。酔っ払いの戯言なんか、適当に聞き流してしまえば良かった。出来ないのは、彼が普段から言葉の少ない事を知っているせいだ。唇から零れ落ちるものをきちんと掬ってやりたくなる。
「斗真」
「はいはい」
「歌って」
「だから、」
その先の言葉を飲み込んでしまった。自分が歌わなくても、カラオケ設備はダンサーが占領している。会場内に響く音が聞こえていない訳じゃないだろうに。身体の右側が徐々に熱を持つ。べったりと懐いている人は、自覚なんてなかった。
舞台の上で近付くのとは訳が違う。メイクを落とした素の顔が、何故こんなにも綺麗なのか。疲れて痩せてしまった顔を晒しているのに、繕った表情よりもずっと柔らかく見えた。洗い立ての髪は女性陣が羨む程さらさらで、重力に従って光一の輪郭を縁取っている。公演前よりも大分伸びてしまった髪は、彼の表情をより幼く見せた。香る石鹸の香りも、清潔なのにうっかり欲情してしまいそうになる。
アルコールで火照った頬があどけなかった。色気よりも幼さが勝ってしまう不思議は、より彼を魅力的に見せる。とろりと水の膜を張ったような瞳に見詰められると、身じろぐ事さえ出来なかった。男だと分かっていても、惹かれてしまう。
「光ちゃん」
見詰め合ったままの二人の間に入った声は、落ち着いていた。条件反射の動作で、光一が声の方を振り返る。その薄い肩に置かれた手が優しかった。彼らの距離は、こんなにも親密なのか。当たり前に受け止めなければならない事実に凹みそうになる自分に苦笑した。苦痛も苛立ちも共有して来たのだ。自分より長い時を過ごしてやっと得た信頼は、時間が掛かった分簡単には壊れなかった。
「よねはな?どぉしたん」
「どうしたもこうしたもないですよ。そんなに絡まれたら斗真も困るでしょ」
「絡んでへんもん」
「酔っ払ってるんですよ、自覚あります?」
「分かってる。でも、そんなに酔うてへん」
「光ちゃん」
普段「光一君」ときちんと呼ぶ癖に、叱る素振りの声音は隠し切れない甘さが滲んでいる。可愛くて愛しくて仕方ないと、全身で訴えていた。自分が知っている米花は、こんな男じゃなかった筈だ。恋愛でも相手を大切にする誠実さはあるものの、いつでも冷静に状況を見る奴だった。こんな、全てを許して甘やかすような蕩けた目は見た事がない。
上目遣いで怒られている光一は、それでも腕を解かずにしがみ付いたままだった。あの真っ直ぐな視線が離れてしまった事を少し寂しく思う。彼の黒い瞳に自分の顔が映っているのを確認すると、まるで世界中に二人しかいないような、光一には自分しかいないのだと勘違いしてしまいそうな危うさを持っていた。
「……全く、どれだけ飲んだんですか」
「まだ飲んでへんもん。これからもっと飲むんやもん」
「まあ、マネージャーさんの許可も降りてるから良いですけどね。もう少し飲み方ってもんがあると思いますよ」
「……飲み方?」
首をことりと傾げて、悩んでいる仕草を見せる。実際ぐずぐずに溶けてしまった思考がその答えを見付けられるとは思わないけれど。身体を起こして、回していた腕が離れて行った。主導権は既に米花にある。追い掛けようがない右腕は、行き場をなくしてソファの上を彷徨った。
明日も朝から仕事があると言うのは聞いている。ハメを外せない事は分かっていた。けれど、スケジュールを考えていたらこの人はハメを外せる瞬間がなくなってしまう。多分、ずっとそうして張り詰めた糸を身の内に抱えたまま大人になったのだろう。次の時間を考えて、常に輪の外にいるような人だった。
今のマネージャーは聡い人なのかも知れない。全てを分かっていて、煩く注意しなかった。遠くで他のマネージャー達と飲んでいる彼は、決して光一から目を離す事はないけれど、口を出さない。どちらかと言えば、口煩いのはMAだった。
「……まあ、言っても分かんねえか」
「なん?」
「いや、こっちの話。辰巳が光一君と一緒に歌いたいんですって」
「そぉなん?」
「はい。何かキンキの曲一緒に歌ってくれますか?」
「んー、ええよ。辰巳の歌いたいやつ入れたってー」
「了解です。じゃ、行きましょ」
「ん」
素直に頷いて、今度は米花の腕に縋って立ち上がる。そんなに身長は変わらない筈なのに、光一の華奢な印象は米花の態度と相俟って、完璧にお姫様の図だった。酔っ払いから救ってくれたのだと思うけれど、単純に他の人間に触れて欲しくなかっただけだったのだろう。振り返った笑顔が清々しい程で、正直過ぎた。
米花も気を遣ってはいるものの、既にアルコールが回っているのだろう。飲めない彼の事だから、ほんの一口二口の話。乾杯の時に小さなグラスにビールを注いでいたのを見ている。自分の欲望に忠実なのは、少しだけその理性が崩れて来ている証拠だった。
「ま、良いけどね」
テーブルの上に置いたままのグラスに口を付けて、一つ息を吐く。ステージの上では、辰巳が視線すら上げられずに光一と歌っていた。自分より若い彼に免疫がある筈もなく、迫られる至近距離に耐えられないようだ。彼らの冬の新曲は、甘い光一の声に良く似合うラヴソングだった。
サビを聞いて当たり前だけど、キンキの歌なんだなあと思う。剛の声と光一の声が溶け合って、初めて完成された楽曲になるのだ。全然違う人が歌っていれば唯のカラオケ大会なのに、光一の声が入ってしまうから違和感を感じざるを得ない。辰巳が悪い訳ではなく、誰が歌っても同じだった。
一人で生きる事を覚えて、一人のステージで歌う事も出来るのに、光一の声は静かな主張をする。剛以外の誰も混ざり合う事なく生きて行くのだと。相方以外の誰も必要としていない甘い声。君に会いたい、と小さく叫ぶ悲しい声。
彼らの事をきちんと知っている訳ではない。勿論、本人達は何も言わなかったし周囲の人間もわざわざ口に出したりはしなかった。けれど、大体の事情は察する事が出来ていると思う。何よりも光一の表情が雄弁だった。メディアは不仲だ解散だと騒ぐけれど、二人の何を見ているのだろう。あんなにも、一途な瞳をするのに。
ずきん、と心臓が痛んだ。ああ、駄目だなと思う。彼らを見ていて、他人事のように大変そうだと言えれば良かった。男だらけの事務所だからと言って、皆が皆同性を好きになる訳ではない。沢山の偏見は、事務所内にもある筈だった。アイドルと言う職業柄、決して公言出来ない事実。苦しい事の方が多いだろうに、それでも諦めないのはとてもシンプルな理論だ。光一の、彼を呼ぶ時の声。それに応える優しい眼差し。
昔、帝劇の楽屋に遊びに来ているのを見た事があった。自分の職場でもないのに躊躇なく相方の部屋に入って、僅かな言葉を掛けて帰ってしまう。何なのだろうと思ったけれど。あれが労る事なのだと気付いたのは、いつだったか。そして、それに痛みを覚える心臓はいつ生まれたのか。
ふと顔を上げると、ステージの上に光一の姿はなかった。またダンサーが賑やかに歌い始めている。会場を見渡して、小さな頭を探した。何処も彼処も楽しそうだ。充足感と達成感と、僅かの寂しさ。その姿を見付けるより先に、女性陣に捕まってステージの上に上げられてしまった。何でも良いから歌え、と言う横暴な要望に応じて適当にキンキの曲を入れてもらう。此処にいる人間は、多分大体知っている曲だった。他の面々も上がって来て、歌いたいんだか踊りたいんだか階下のフロアが気になるような騒がしさになる。
歌いながら光一を探した。出演者はほとんどステージの上だ。酒を飲んでいるのは、スタッフの人間が多かった。改めて、こんなにもこの舞台に携わる人間がいたのかと思わされる。その全てを背負って立った人。右腕の熱が蘇る。幼い表情を知っている人は、この会場内にどれ位いるのだろう。舞台への情熱と裏腹な脆い表情。いたいけな黒い瞳は、補食される寸前の草食動物と同じ色だった。茶色の小さな頭を探す。
いた。会場の片隅、照明の落とされた窓際のカーテンに隠れるように背中を丸めている。その手には携帯があった。右耳に押し当てて、少し俯きながら通話している。誰、と思う暇もなかった。ダウンライトの中でも表情は鮮明に見える。今自分のいる場所の喧噪と切り離された穏やかな微笑。思わず見蕩れた。先刻の邪気のない笑顔は可愛かったけれど、そんなのとは全然違う。酔っ払っているのに、あんなに危うい顔を見せたのに。
胸が痛かった。キンキの曲を歌いながら、何て馬鹿なんだろうと思う。今更思いを自覚したって、どうにもならないのに。明日からあの劇場には行かなくなって、彼とも会う事はない。もしかしたら事務所やスタジオで会える機会があるかも知れないけれど、多忙な彼の事を考えると可能性は低かった。馬鹿だ、俺。
電話の先は、考えなくても分かる。今日は仙台にいるのだと、MAの誰かが話していた。離れていても、離れる事のない人達だ。遠くで見ている限り、彼と一緒にいて幸福だとは思えなかった。なのに、光一は幸せそうに笑っている。携帯の向こうにいる人が大切だとその表情は明白に語っていた。
悔しくて、視線を逸らす。俺はもう、明日から彼の世界からなくなってしまうのに。翼や亮と同じように、久しぶりに会えば他人行儀な顔をされるのだ。一瞬下を向いて、それからカラオケの画面に向き直った。歌って騒げば、痛くない。誰もこんな感傷には気付かない。ステージの上でテンションのおかしくなっている仲間に混ざって、馬鹿な自分を忘れようとした。
もう歌えねえ、と呟いてステージの上を降りた。八十一と言う公演数は、全ての人間に負担を掛けた筈なのに今この瞬間だけは別らしい。明日起きれない程疲れても、最後の時間を皆で過ごすのだ。一応自分の役目は果たしたと、新しいグラスを手に座る場所を探した。適当な輪に入って、今までの事でも振り返って語ろう。ぐるりと見渡して、一人苦笑した。
自分の目は、悲しい位正直にたった一人を探している。どうせ、明日には消える魔法だ。今だけは、一緒にいたかった。
目的の人はすぐに見付かる。秋山の隣にいた。小さな頭を預けて、すやすやと眠っている。肩を貸した秋山は、気にする風でもなく黙ってサンドウィッチを食べていた。ことごとく酒の飲めない連中だと、もう一度笑う。
「おう、斗真。お疲れさん」
「もう歌い過ぎたよ。喉いてえ」
「いやいや、まだ行けるでしょ」
適当な会話をしながら、光一の隣に座った。秋山が苦笑している。人一倍気遣いな彼の事だ。自分の感情の揺れなんてとっくにばれているのだろう。規則正しい寝息を立てて、全身を預けていた。けれど、その手には携帯が大事に握られている。普段、電源が切れていようがマナーモードになっていようが、全然気にしない人なのに。先刻の微笑を思い出す。
「駄目だよ」
「え」
「そんなに見詰めてたら」
秋山は優しく笑った。この人も大概大物だ。感情に揺れがない分、底が知れないと言うか、心を許しているようできちんと冷静に観察出来る人だった。でも、根源的に優しいから嫌味じゃない。全幅の信頼を置かれているMAが羨ましくもあるけれど、こんなに預けられて動じないのは尊敬に値した。
「MAって凄いよね……」
光一を見詰めて呟いただけの言葉を、正確に理解される。彼らだって自分と同じように、否一緒にいる時間が長い分それ以上に今胸の裡にあるのと同じ感情を抱えて苦しい思いをしているだろうに。米花の目線も優しかった。彼らは自分の感情を抑えて、誰よりも気高く孤高な王子様を守ろうとしている。
「うーん、凄い訳でもないんだよ」
「ずっと一緒だろ?俺だったら絶対おかしくなる」
「まあ、その論理で言ったらね。とっくに全員おかしくなってるんじゃないかな」
暢気に笑う秋山は、己の熱情を決して表に出さなかった。どうしてだろうと思う。こんなに信頼されていて、すぐにでも傾いで来そうな距離にいるのに。
「おかしくなるまで我慢しなくたって良いんじゃね?奪っちゃえば良いのに」
「出来ないよ」
即答される。間にいる光一は、微動だにしなかった。深い眠りに落ちているのだろう。アルコールに助けられて、押さえ込んだ疲労に抗えなくなってしまったのかも知れない。
「何で?」
「俺はむしろ、斗真にそう聞きたい位だけどね」
「へ?」
「だってさ、絶対好きになるタイプじゃないでしょ」
「まあ、そうだけど……。でも、」
「傍にいれば、ね」
「分かってんじゃん」
そうだ。決して好きになるような人間じゃない。馬鹿がつく位真面目で、頑固な癖に不器用。人の顔色を伺っているかと思えば気分屋。大体、男は射程圏外だった。どうしてだろうと思う。どうしてこんなに好きなんだろう。
普通に女の子が好きで、それはMAも変わらない訳で。けれど、ダンサーのミニスカートから覗く太腿より光一のうなじにどきりとする。抗いがたい欲だった。この人を手に入れてしまいたい。誰にも触らせたくなかった。もう、他人のものである彼を閉じ込めたいと願うなんて滑稽だ。
「不毛な恋だよなあ。絶対報われないのにさあ」
「まあね」
「でも、俺はともかく秋山だったら行けるんじゃねえの?こんなに大事にされてるんだからさ」
「うーん、今の斗真なら分かると思うけど。光一君が好きだなあと気付くでしょ。で、戸惑って俺ホモだったのかどうしようってなって。それが光一君限定なら仕方ないかって諦められるようになって、今度は大事にしよう見詰めていようって思うの。そしたら、すぐに分かったでしょ?」
「何が」
「その視線の先に誰がいるか」
手の中にある携帯は、光一を此処から奪い去る力を持っていた。いつもいつも、彼が一番最初に選ぶのは彼で、最後に選ぶのもまた彼一人だ。悔しいとは思わないのだろうか。光一の一番近くにいる人間なのに。
「視線の、先」
「そう。斗真も光一君が気になり出してからだろ。剛君に気付いたの」
「まあ、そうだけど」
秋山の言葉は他意なく零されるから居たたまれない。確かにその通りだった。光一を好きになって、その先に気付いたのだ。知らなければ、強引に奪い去る事も出来た。
「俺達は、ソロの仕事に付かせてもらう事が多いけど、キンキのバックにも付くからさ。そうすると、ああ俺達じゃ駄目なんだなあって思うよ」
「……光一君が剛君の事好きなのは分かる。でも、俺、光一君が幸せだとは思えない」
「うーん、そうかもね。光一君にだけ付いてたら分かんないかも」
困ったように秋山は笑う。分からない事は悔しかった。明確な差がある。MAには簡単に分かる事でも、自分には全然分からなかった。だって、あの人は自分の好きな事追求して光一を置いていつか違う所に行ってしまう。一人になっても何も言わずに笑う人だとは知っているけれど。
「剛君は、周りが思ってるよりずっと、大事にしてるよ。それこそ壊れ物みたいに。触るのが怖いって感じ」
「そんなの」
知らない。いつも身勝手な振る舞いをして、光一がフォローに回っているイメージしかなかった。事務所の枠の中に納まるのが嫌で、でも今の地位を捨てる事も出来ない臆病者。自分の目から見た堂本剛は卑怯な大人だった。そりゃ、ちょっと危険な感じでカッコ良いなと思ったことは何度もあるけれど。
「光一君には剛君しかいなくて、剛君にも光一君しかいないんだよ。普通に考えたら不幸な事だけど、二人はちゃんと幸せだから。何か一緒にいるの見ちゃうとさ、何処にも入る隙間ないの。完璧に閉じられた空間作られるんだよ」
嬉しそうに話す秋山が強いのか、そう思わせるのが彼らの魅力なのか。光一は欲求の少ない人だった。与えられた仕事はきっちり期待以上のものを仕上げるけれど、能動的には動かない。そんな人が、この世界で唯一求めた存在。
「俺には分かんねーな」
「うん、分かんなくて良いと思うよ。てゆーか、そこまで見えてれば充分重傷の域だけどね」
「何で、今更なんだろ」
気持ち良さそうに、と言うよりは全ての色を失って眠っている頬は白い。手を出す事は出来ずに、じっと見守った。男とか女とか、そんな次元を超えて皆堂本光一が好きなのだ。何度も共演しているのに、どうして此処まで来て気付いてしまったのか。どうせならずっと、こんな恋は気付かなければ良かった。
「今更じゃなくて、やっと光一君が見えるようになったんだよ」
「やっと?」
「そう、やっと。前はさ、うーん。あ、ほらさっきの辰巳みたいだったんだよ。きらきらしてて眩しくて、真っ直ぐになんて見れなかった。それが斗真も大人になって、この人の強がりとか脆さとか、そういうの見えるようになったんじゃない?」
例えば、先刻冬の新曲を一緒に歌った時の光一の寂しそうな眼とか。気付いてしまう自分がいる。その分だけ距離が縮んだと言うのなら、何て残酷な事だろう。君に会いたい、なんて。こんなに賑やかな場所の中心にいるべき人が、此処にはいない人に思い馳せる悔しさをきっと光一は知らない。
大人になんてなりたくなかった。永遠に光の中、手の届かない存在であった方が救われる。叶わない恋を心臓の奥にしまって、彼らはこの人の傍にいるのだ。
「あ、電話だ。ちょっとごめんね」
光一に肩を貸しているから迂闊に動く事も出来ず、秋山はその場で電話に出る。ぼんやりと寝顔を見詰めながら、その声を聞いた。相手が彼女だったらからかってやろうと思ったのだが、どうやら違うらしい。先輩、かな。でも敬語と混ざり合った親しげな笑いが、電話の向こうを分からなくさせた。
「はい、そうです。今、打ち上げで……え、ああ。寝てます」
一瞬視線を肩で眠る人に移して、その仕草で相手が誰なのかを悟る。堂本剛だった。秋山は、どちらもフォローをしているのだろう。器用な人だとは知っているけれど、気苦労が耐えないだろうと思った。望んで苦労を背負っている節のある性格だから、同情なんてしてやらない。
「だから、携帯持ってたんですね。珍しいなあって思ったから。はい、大丈夫です。剛君明日もライヴですよね?頑張って下さい。……じゃあ、お疲れ様でした。お休みなさい」
速やかに会話は終わった。携帯を閉じて、秋山は優しく笑ってみせる。
「剛君」
「うん、分かるけど」
「何かね、メールの途中で返事がなくなったから心配になったんだって」
「ふーん」
「斗真、分かりやす過ぎ」
大事にされている瞬間を目の当たりにして、平気でいられる人間がいるのなら教えて欲しい。あ、今目の前にいたか。こいつらはもう、常識の範囲を外れている。大事な人間を簡単に連れ去られても何も言わなかった。唯、穏やかに笑う。光一の幸いの為に。自分には出来ないけれど、もしかしたら一番正しい愛情の注ぎ方なのかも知れない。
「さて、俺も歌ってこよーかなあ」
「えっ」
「俺だって打ち上げだよ。光ちゃんのお守りに来た訳じゃないからね。後は、任した」
「あ、え!」
手慣れた仕草で光一の首の後ろと腰に手を回して、その身体を離す。眠ったままの王子様は、目覚める気配すらなかった。そのまま斗真の膝の上に頭を乗せる。余りの出来事に、為す術がなかった。
「秋山!」
「あ、動かしたら駄目だよー。大事な座長の貴重な睡眠、邪魔したくないでしょ」
「邪魔、したくないですけど」
「うん。あ、それとこの人身体預けるの得意だからねー」
「は?」
それは暗に、先刻の絡み酒の事を言っているのだろうか。助けに来なかった癖に、何処から見られていたのだろう。秋山の表情に嫉妬は見えない。
「野良猫ってさ、撫でてやると擦り寄って来て可愛いでしょ。でも、抱き上げようとしたら引っ掛かれた、なんて経験ない?きっとあんな感じだよ」
「光一君が野良猫って事?」
「せっかく例え話にしたんだから、その突っ込みは頂けないな」
「……何考えて」
「ま、役得役得。分かりやすい斗真君にゆっくり自問自答してもらおうと思って。町田に後でブランケット持って来てもらうから」
何でそこで町田?マネージャーに頼めば良いだけの気がするんですけど。文句を言いたくても、膝の上の重みが身体を自由にさせてくれない。
秋山は、人が良く見えるから騙されがちだけど狡猾な面を持っている人だった。しっかり牽制した癖に、その笑顔は狡い。頭の良い男だった。ひらりと手を振って、ステージの方へ行ってしまう。途中できちんと町田に声を掛けているのが見えた。そう言う問題ではないと言ってやりたい。
膝の上に光一の頭がある状況と言うのは、どう考えても精神衛生上良くなかった。茶色い頭は、力が抜けている筈なのに余り重くない。脳味噌詰まってんのかな、と失礼な発想が頭を過ぎった。恐る恐る右手を伸ばす。
触れた前髪がさらりと零れた。何度も触れた髪に今更動揺する事はない。舞台の上で倒れた光一を八十一回、抱き締めているのだから。
「……ん」
光一の唇から吐息に近い声が漏れた。一瞬手を離して、それからゆっくりと自分の身体とは反対を向いた彼の顔を覗き込む。本当に綺麗な顔をしていた。表情を失うと、その美しさばかりが際立つ。笑顔を見せている時は、あどけないとすら思うのに、眠りに落ちている今は指先が凍る程だった。
この感情は、明日になったら消えるのだろうか。魔法が解けたシンデレラのように、跡形もなく消えてしまえば良い。少しの恋情も心臓に残さないで欲しかった。
「光一」
誰にも聞こえない音量で、愛しい人の名前を紡ぐ。その手にはまだしっかりと、携帯が握られていた。
「もう、剛君から連絡来ちゃいましたよ」
手の中にある限り、彼らの間にある糸が見えている気がした。そっと手の甲に触れる。浮き出た筋を辿って、ひんやりした手を包み込んだ。
舞台の上で手を握る時は、冷えた設定であってもさすがにその手は熱い。今は、元の温度を取り戻していた。トウマの熱が心臓に蘇る。あれは、架空のものだった。けれど、同じ名前で呼ばれている以上全てが虚構である筈はない。きっとこの気丈な人は、「あんなん俺やない」と笑うだろうけど。
冷えた手に竦んで、それでも握り直したトウマの思いが此処にある。あの時、コウイチが幻影でも本物でも構わなかった。体温のない手をまだ握る事が出来るのなら。
「光一」
トウマは、手の届かない場所に行って初めて自分の思いを自覚したのだ。何と罪深い恋だろう。握り締めた手。決して離さないと誓っても、すぐに消えて行く人。コウイチは笑っていた。運命も罪も全て飲み込んで、桜の下鮮やかに笑む。
手に入れたかっただけの、幼い妄執だった。コウイチなら構わない。自分の感情が、愛でも憎悪でも大差なかった。いなくなるまで気付かない単純な執着は、生涯彼を苦しめる。あのストーリーの先にある残された彼らの人生は一体どんなものだろう。手を血に染めたトウマの罪は一生消える事もなく、贖う術もない。
指先を辿った。桜色の爪を撫で、何処にも行かないでと願った。明日には、彼に触れる事すら出来ない。この恋は何処に捨てれば良いのだろう。
稽古に入る前、繰り返し見た映像を思い出した。ツバサとリョウの舞台を研究して今回の役作りをしたのだ。彼らは、どんな感情を抱いてこの場所を去ったのか。次の年に同じ舞台に上がれないと言う事は、永遠のお別れと同じだった。桜の木の下にコウイチを置いて。
ああ、馬鹿げている。自分も相当酔っているのかも知れない。舞台と現実の境目が付かなくなって来ていた。右手で手を重ね、左手で細い髪を梳く。この人を、手放したくなかった。
翼は、もしかしたらこんな苦痛は持っていなかったのではないか。彼の演じたツバサはもっと純粋で、コウイチに追い付きたい一身で起こしたれっきとした事故だった。彼のひたむきな演技は、丁寧に構築されている。自分の胸にある、ドロドロとした感情は最初からなかった。兄のようにコウイチを慕い、決して追い越せない場所にいる彼に憧れ続けたツバサの罪は、一生ステージに立つ事によって償う事が出来る。倒れたコウイチを抱き締めた時の表情は、その決意を示していた。
リョウの方が、自分の感情に近い場所にいる。けれど、多分自分よりずっと計画的な気がした。彼は、ちゃんと自分の恋を自覚している。最初から、手に入れる事だけを望んでいた。舞台の上できちんと昇華された思い。亮の目は本気を示していた。リョウがコウイチを手に入れようとしたのではなく、亮が光一を手に入れたかったのだ。舞台の上で、彼は永遠に愛する人を自分のものにした。冬の恋は、今もその胸を苦しめているのだろうか。それとも、一瞬も思い出す事なく今自分に与えられた仕事をこなしているのだろうか。
愛しくて憎くて、大切な人を壊した自分とは違う亮の恋は成就していた。だとしたら、自分だけが一人永久に救われない恋に溺れたという事になる。舞台の上で丸こい指先を握る度に自覚した。自身の痛みを堪えて笑う人は、日が進むにつれ舞台の上と現実との差がつかなくなる。
今は、もう同じ人だった。コウイチも光一も同じように愛しい。労る仕草で爪先から手首へと指を滑らせた。低い体温は、自分の熱情を促すばかりだ。
「とーま!」
いきなり大声で呼ばれて、びくりと顔を上げた。膝の上の眠り姫を起こさないかと緊張したが、幸い彼の疲労はそんな生半可なものではないらしい。視線を向ければ、鬼の形相で町田が立っていた。
「ま……まちだ、さん?」
「斗真!手!」
「て?」
「手!どかせ!やらしい!」
半分切れているらしい。目が据わっていた。穏やかな彼が珍しいとは思ったけれど、理由は明快過ぎる。そうですよね、見てましたよね。
「やらしいって、それは心外なんだけど」
「放っといたら、ジャージん中まで手入れる気だっただろ!」
「……入れないって」
「信用出来ない」
この人もアルコールが回っているのだろう。皆最後だからって、自分の欲望に忠実過ぎやしないだろうか。動けない自分をよそに、町田は抱えて来たブランケットを丁寧に光一の肩へ掛けた。淡いブルーのそれは、楽屋でも見た記憶がある。
「これ、もしかしなくても光一君用?」
「そうだよ。光一君は、人の毛布とか使えないから。専用」
否、潔癖がどうのと言う話ではなく、これが何処から出て来たのかを知りたい。町田が持っていたとは、死んでも思いたくなかった。そんなMAは嫌過ぎる。視線を光一に向けたまま、固い声音で真剣に注意をされた。
「手、出したら、絶対駄目だからね」
「出さねーって。光一君男だろ」
「……男とか女とか関係ないでしょ、この人」
同意しては自分が意識しているのを認める事になるし、かと言って否定が出来る訳でもなく。黙った俺を町田が睨む。答えにくい質問寄越したのはそっちだろう、と詰りたくなった。俺は悪くない。不可抗力だ。
「光一君が、今日一緒にいたいのが斗真だってのは分かってるから、文句なんか言わないけどさ。この人、最後の最後で流されちゃうから、絶対変な事しないでよ」
拗ねた顔を見せて名残惜しそうにブランケットを直すと、諦めた素振りで離れて行った。光一君が俺と一緒にいたい?聞き間違いか町田の勘違いか。この人が俺と一緒の時間を求めるなんてあり得ない。結局楽屋も一回しか来てくれなくて、この二ヶ月間で二人の距離が縮んだかと言われれば、答えは否だった。皆で彼の家に押し掛けた時も、二人になる瞬間なんてなかったし、強いて言えば稽古の瞬間に何度かあっただけだ。
人見知りで不器用で、先輩なのに横暴にはなり切れなくて。人と打ち解ける為に馬鹿みたいに時間の掛かる人だった。だから、町田の言葉は本当なのかも知れないと、恋に溺れた心臓は期待する。どんな思いであれ、自分に気を留めてくれた事が嬉しかった。この仕事をしていなければ、絶対に惹かれる事のない自分とは違う種類の人。彼の仕事に対する姿勢や真面目さは、相容れない人間ならば嫌うものだ。
だけど、自分は此処にいる。彼を望んで、この舞台を終わらせようとしていた。膝の上で眠る光一。考えたら、一生に一度の出来事かも知れない。無防備に身体を預けるなんて、本当に役得だった。
「光一君、一緒にいたいんだったら、ちゃんと言ってくれなくちゃ」
夢の中にいる彼に届くよう耳元で囁く。吐息ごと吹き込んだ。夜が明けるまで、この人は自分の元にいる。太陽が昇って、二度とこの腕の中に戻って来なくても今この瞬間は、彼が望んで此処にいた。
トウマは、永遠に苦しみ続けるだろう。今更の恋を抱えて、懺悔と後悔の狭間で舞台に立ち続ける。けれど、自分は。この夜に悲しみを捨てて行く。
そっと、唇を柔らかな頬に触れさせた。体温がじんわりと染み渡る。彼は生き続けるのだ。悲しい事は何処にもなかった。大丈夫。償いも永遠も手に入れられないけれど。光の中の世界と現実を混同しては駄目だ。
光一君が好きです。コウイチを愛していました。ゆっくりと桜色の唇に自身のそれを近付ける。
「さっき、町田さんに注意されてなかった?」
まさに恋と決別をしようとした瞬間、新たな邪魔が入った。お前らは、俺が道を踏み外しても良いって言うのかよ!いまいち説得力に欠ける事を思いながら顔を上げると、目の前に立つのは多分正気の屋良だ。他の三人は酔っ払っていたけれど、こいつの目は冷静だった。素面で注意して来る辺りが、怖いところではある。
「何でMAは全員でこうなんだよ……」
「責任持ってやってるからね」
「ノーギャラだろ」
「仕事の内」
きっぱり言い切る屋良は、昔こんな奴ではなかった。もっと向こう見ずで自己顕示欲が強くて、眠る光一を見詰めて満ち足りた微笑を作るような、社会に従順な性格ではない。MAと光一を見ていると、世話をしてるのはMAなのに目覚ましい成長を遂げているのはいつもMAだった。光一はずっと変わらない。何処にいても誰といても。
「別に、町田が注意したような事するつもりないし」
「今キスしようとしてた奴の弁解とは思えないね」
「弁解じゃねーよ」
「ま、光一君も頓着ない人だから、キス位平気だと思うけど。平気じゃない奴多いから、ウチのグループ」
てゆーか、全員だろ!と言いたいのを堪える。最後の接触で、自覚した恋を断ち切るつもりだった。悪い芽は早めに摘んだ方が良いんだろ?此処で一回キスさせた方が、絶対後々面倒臭くならない。既に何処へ向けた言い訳なのか分からなくなってしまった言葉は、唯の悪態に過ぎなかった。
「じゃあ、俺の傍から離せば良いじゃん」
「光一君の意見は最大限尊重するのが、俺らのやり方」
「ほんっとに、すげーな。感心するわ……」
半分は嫌味で半分は本心だ。打ち上げの席で自分本位に楽しまない奴らの気が知れなかった。けれど、それだけの信頼関係が相互で築かれているのだから、文句は言えない。
「斗真の邪魔する訳じゃねえけど、手なんか出しても泣くだけだしやめといた方が良いよ」
「……分かってる」
叶えようだなんてしていない。お別れの為に、それだけを考えて触れたかった。もう二度と触れられないかも知れないのだから。
「今日は打ち上げなんだから、それ忘れんなよ」
「ああ」
「後で、また歌おうな」
それだけを告げて、町田と同じ仕草で離れて行った。彼らには、まだこれからがある。決別を意識する必要はなかった。この二ヶ月の記憶が濃密な程、離れがたいのだと思い知る。唇が触れた頬を掌で包み込んだ。さらりとした感触。汗のない光一は、どこもかしこもするりとした印象を与える。
俺は、この場所を離れて忘れられるのかな。もしかしたら、捨てる事も認める事も出来ず、ずっと心臓に棲んでいるのかも知れない。息を一つ吐いて、それでも良いかと思った。初恋の思いがいつまでも記憶にあるように、この二ヶ月が育んだ思いを留めて生きて行く事も出来る気がした。
無理を無理とせず、出来ると言い張る無鉄砲な座長のように。叶う事のない恋を疲労と共に身体に染み込ませてしまえば良い。小さく笑った。会場の喧噪は、隔離された二人を包み込む。
光一は、終わらない夢だった。
幕が閉じても尚、夢を見せてくれる。
誰が見ていようと構わず口付けた。桜色の唇は、甘い恋の味。
「つ、よし・・・」
一人きりの朝が訪れる。白い光が差し込む部屋に取り残された声は、何処にも届く事なく光の粒子と混ざり合って溶けて行った。置き手紙があるのでも荷物が全てなくなっている訳でもない。けれど、律儀に畳まれた布団と温められるのを待つだけの朝食に剛の不在を悟った。
この場所を飛び出したのだ。どうしよう。何処にもあの子の気配がない。優しさの残されていない部屋で呆然とした。「家出」と言う言葉さえ思いつかない。
何から始めたら良いのかすら分からず、とりあえずいつものように顔を洗った。冷たい水も思考を取り戻す手段にはならない。悩む、と言う事すら出来ず、困った時の一一〇番通報をした。警察ではなく、城島へのホットラインだ。
「おはよう、光ちゃん。どうかしたんかー」
「っ茂君、どうしよ!・・・俺!」
「おいおいおいおい。落ち着き落ち着き。剛がどうかしたんか?」
「茂君・・・」
城島の声を聞いた途端、感情が追い付いて来てパニックを起こす。要領を得ない自分の話を丁寧に聞き取って(と言っても、すぐに理解出来たらしい。「光ちゃんが焦る理由なんて一つやから簡単やったで」と笑われたのは、勿論後日談だ)、穏やかな声のまま必要な事を指示してくれた。
「それは、『家出』っちゅう成長過程やね。焦ったらあかんでー。あの子にも反抗期が来たんやな、って成長を思ったらええのよ」
「・・・うん」
「よしよし、ええ子や。これから探しに行くんやろ?」
「うん」
即答した。自分が探さないで、誰があの子を追い掛けると言うのだ。
「したら、まずは会社に休みの連絡を入れなさい」
「・・・あ」
「やっぱり忘れてるやろ。普段仕事馬鹿の振りしとる癖に、唯の親馬鹿やないの」
気の抜けた声で笑われて、緊張が解かれる。親馬鹿で構わなかった。一生剛を守ると決めたのだ。誰よりも愛して、愛し抜いてやるのだと誓った。
城島の指示通り会社に病欠の連絡を入れ、動き出す前に心当たりのあるところへ電話をしてみる。案の定学校には行っていないようで、何食わぬ声でこちらも病欠を伝えた。それから、休み時間を狙って岡田の携帯に掛けてみたが、今日は会っていないと言われる。学校が違うのだから当たり前と言えば当たり前だった。落胆し掛けた自分を、察しの良い岡田は気遣ってくれる。
「剛君の学校に共通の友人がいるんで、そっちに連絡してみますよ。学校は僕が気を付けておきます。光一君は、他の場所を探して下さい」
中学生に窘められるのはどうなんだろうと思ったけれど、今の自分がどうしようもない程不安定なのは事実だから、素直に頼む事にした。自分の身体は一つで、そんなに手広く探せる訳ではない。好意は甘んじて受け入れるべきだ。
午後は、自宅から離れていない場所で剛の行きそうな所を探した。公園、ゲームセンター、ファーストフード店、図書館、レコードショップ。何処にも目当ての姿はなくて、泣きそうになる。いつでも傍にいた少年。自分の中の喪失感が大き過ぎて、怖くなった。慣れないこの土地で、文字通り二人きり生きて来たのだ。考えていたよりずっと、彼に救われていた事に気付いた。こんな風に離れているのは初めてで、持て余した感情をどうしたら良いのか分からない。
剛。何処にも行かないで。此処にいて。こんなにも切迫した感情を初めて知った。胸が痛い。誰もいない夕暮れの路地裏で蹲った。普段の強がりすら保てない。このまま、声を上げて泣き出してしまいそうだと思った。心臓の辺りを両手で押さえて、その衝動を抑え込む。
一日中歩き続けて、何処にも剛の気配を見付けられなかった。城島に連絡を入れるともう帰りなさないと諭される。剛が帰って来た時光ちゃんは笑顔で迎えて、それからたっぷり叱らんとあかんのやから、元気残しておくんやで。明るい声に慰められて、素直に家へと向かった。もし剛が近くまで戻って来て窓に明かりがなかったら、もっと遠くに行ってしまうかも知れない。
俯いたまま階段を上って行くと、自分の部屋の前に人影があった。
「剛っ」
反射的に叫んで、残りの階段を駆け上がる。それが違う人だと気付くのに、時間は掛からなかった。大きな背中、着古しているのに汚い印象を与えないジーンズ、振り返った顔は陰のある剛のそれよりずっと明るい。太陽のような男だった。
「なが、せ・・・?」
「あー光一いたー!今日休んだって言うから心配になっちゃってさー、慌てて仕事終わらせて来てみたら誰もいないし。病院行ったのかとも思ったんだけど、せっかく来たからもう少し待とうと思ってさ。・・・でも、病院行って来た感じじゃないね?顔色悪いけど。さっき、剛って言った?」
動物的勘で生きている友人は、確信を持った直感を違える事はない。長瀬の大きな顔のパーツは、彼の感情を豊かに表現した。心配した顔。何の打算もない優しさに、とうとう光一の張り詰めていた糸が切れた。
「剛がっ・・・帰って来ないんや!今朝起きたら、布団綺麗で、一人でっ。俺が、あいつの希望素直に聞いてやれば良かったんか?夜学なんてっ、行って欲しない!何でいらん苦労背負わせなあかんのやっ。あの子は、俺の子供や!俺が大人にするって決めた。何で、一人で先進もうとするん?俺のせいか?俺が頼りないからあかんの?どうして・・・っ」
光一の細い身体を、その叫びごと長瀬は胸に受け止めた。これ以上、不安を与えないようにきつく抱き寄せる。光一に剛と言う養子がいる事を教えられたのは、二年前だった。元々口数の少ない友人だったから、そんなに彼らの関係を知っている訳ではない。どう言ういきさつで二人、この東京で生きて行く事になったのか。
けれど、長瀬にはそんな事はどうでも良かった。今此処にある光一の愛情が全てだ。泣かない彼の精一杯の激昂。
「そうかー剛が家出かー。大人になったもんだなあ」
「俺は、一度も家出なんてした事あらへん!そんなんせんでも大人になれるわ」
「うーん、光一はホントに真面目だからなー。家出は男のロマンよ」
「分からん!」
友人のこんなに怒った声は初めて聞いた。
一人きりの朝が訪れる。白い光が差し込む部屋に取り残された声は、何処にも届く事なく光の粒子と混ざり合って溶けて行った。置き手紙があるのでも荷物が全てなくなっている訳でもない。けれど、律儀に畳まれた布団と温められるのを待つだけの朝食に剛の不在を悟った。
この場所を飛び出したのだ。どうしよう。何処にもあの子の気配がない。優しさの残されていない部屋で呆然とした。「家出」と言う言葉さえ思いつかない。
何から始めたら良いのかすら分からず、とりあえずいつものように顔を洗った。冷たい水も思考を取り戻す手段にはならない。悩む、と言う事すら出来ず、困った時の一一〇番通報をした。警察ではなく、城島へのホットラインだ。
「おはよう、光ちゃん。どうかしたんかー」
「っ茂君、どうしよ!・・・俺!」
「おいおいおいおい。落ち着き落ち着き。剛がどうかしたんか?」
「茂君・・・」
城島の声を聞いた途端、感情が追い付いて来てパニックを起こす。要領を得ない自分の話を丁寧に聞き取って(と言っても、すぐに理解出来たらしい。「光ちゃんが焦る理由なんて一つやから簡単やったで」と笑われたのは、勿論後日談だ)、穏やかな声のまま必要な事を指示してくれた。
「それは、『家出』っちゅう成長過程やね。焦ったらあかんでー。あの子にも反抗期が来たんやな、って成長を思ったらええのよ」
「・・・うん」
「よしよし、ええ子や。これから探しに行くんやろ?」
「うん」
即答した。自分が探さないで、誰があの子を追い掛けると言うのだ。
「したら、まずは会社に休みの連絡を入れなさい」
「・・・あ」
「やっぱり忘れてるやろ。普段仕事馬鹿の振りしとる癖に、唯の親馬鹿やないの」
気の抜けた声で笑われて、緊張が解かれる。親馬鹿で構わなかった。一生剛を守ると決めたのだ。誰よりも愛して、愛し抜いてやるのだと誓った。
城島の指示通り会社に病欠の連絡を入れ、動き出す前に心当たりのあるところへ電話をしてみる。案の定学校には行っていないようで、何食わぬ声でこちらも病欠を伝えた。それから、休み時間を狙って岡田の携帯に掛けてみたが、今日は会っていないと言われる。学校が違うのだから当たり前と言えば当たり前だった。落胆し掛けた自分を、察しの良い岡田は気遣ってくれる。
「剛君の学校に共通の友人がいるんで、そっちに連絡してみますよ。学校は僕が気を付けておきます。光一君は、他の場所を探して下さい」
中学生に窘められるのはどうなんだろうと思ったけれど、今の自分がどうしようもない程不安定なのは事実だから、素直に頼む事にした。自分の身体は一つで、そんなに手広く探せる訳ではない。好意は甘んじて受け入れるべきだ。
午後は、自宅から離れていない場所で剛の行きそうな所を探した。公園、ゲームセンター、ファーストフード店、図書館、レコードショップ。何処にも目当ての姿はなくて、泣きそうになる。いつでも傍にいた少年。自分の中の喪失感が大き過ぎて、怖くなった。慣れないこの土地で、文字通り二人きり生きて来たのだ。考えていたよりずっと、彼に救われていた事に気付いた。こんな風に離れているのは初めてで、持て余した感情をどうしたら良いのか分からない。
剛。何処にも行かないで。此処にいて。こんなにも切迫した感情を初めて知った。胸が痛い。誰もいない夕暮れの路地裏で蹲った。普段の強がりすら保てない。このまま、声を上げて泣き出してしまいそうだと思った。心臓の辺りを両手で押さえて、その衝動を抑え込む。
一日中歩き続けて、何処にも剛の気配を見付けられなかった。城島に連絡を入れるともう帰りなさないと諭される。剛が帰って来た時光ちゃんは笑顔で迎えて、それからたっぷり叱らんとあかんのやから、元気残しておくんやで。明るい声に慰められて、素直に家へと向かった。もし剛が近くまで戻って来て窓に明かりがなかったら、もっと遠くに行ってしまうかも知れない。
俯いたまま階段を上って行くと、自分の部屋の前に人影があった。
「剛っ」
反射的に叫んで、残りの階段を駆け上がる。それが違う人だと気付くのに、時間は掛からなかった。大きな背中、着古しているのに汚い印象を与えないジーンズ、振り返った顔は陰のある剛のそれよりずっと明るい。太陽のような男だった。
「なが、せ・・・?」
「あー光一いたー!今日休んだって言うから心配になっちゃってさー、慌てて仕事終わらせて来てみたら誰もいないし。病院行ったのかとも思ったんだけど、せっかく来たからもう少し待とうと思ってさ。・・・でも、病院行って来た感じじゃないね?顔色悪いけど。さっき、剛って言った?」
動物的勘で生きている友人は、確信を持った直感を違える事はない。長瀬の大きな顔のパーツは、彼の感情を豊かに表現した。心配した顔。何の打算もない優しさに、とうとう光一の張り詰めていた糸が切れた。
「剛がっ・・・帰って来ないんや!今朝起きたら、布団綺麗で、一人でっ。俺が、あいつの希望素直に聞いてやれば良かったんか?夜学なんてっ、行って欲しない!何でいらん苦労背負わせなあかんのやっ。あの子は、俺の子供や!俺が大人にするって決めた。何で、一人で先進もうとするん?俺のせいか?俺が頼りないからあかんの?どうして・・・っ」
光一の細い身体を、その叫びごと長瀬は胸に受け止めた。これ以上、不安を与えないようにきつく抱き寄せる。光一に剛と言う養子がいる事を教えられたのは、二年前だった。元々口数の少ない友人だったから、そんなに彼らの関係を知っている訳ではない。どう言ういきさつで二人、この東京で生きて行く事になったのか。
けれど、長瀬にはそんな事はどうでも良かった。今此処にある光一の愛情が全てだ。泣かない彼の精一杯の激昂。
「そうかー剛が家出かー。大人になったもんだなあ」
「俺は、一度も家出なんてした事あらへん!そんなんせんでも大人になれるわ」
「うーん、光一はホントに真面目だからなー。家出は男のロマンよ」
「分からん!」
友人のこんなに怒った声は初めて聞いた。
「こんにちは。お久しぶりです」
「いらんいらんでー、そんな堅苦しい挨拶は。学校帰りか?したら腹減っとるなあ。僕の秘蔵饅頭出したるから、ちょぉ待っててな」
おっとりした笑顔と賑やかな喋りに気圧されて、勧められるまま室内に入った。城島の自室兼園長室に通される。何度も何度もこの部屋で話をした。涙を堪えた表情で弱音を喉につかえさせて、それでも強く在ろうとした養父をこの場所でずっと見ている。
岡田と並んで古いソファに座って待っていると、程なくして部屋の主が現れた。両手に持ったお盆の上には、三人で食べるには多過ぎるおやつ。此処で生活している子供達には深い愛情故の厳しさで接する人なのに、たまに訪れる子供達には労う素振りで甘やかしてくれた。あくまでも、此処の子供達にばれないように、ではあるけれど。
「子供らはこれから宿題の時間やから、ちょっとは静かやわ。まあ、食べなさい」
「はい、いただきます」
年齢不詳の園長は、日本茶を飲んでいる時が一番老けて見える。悪い意味ではなく、狡猾な翁と言うイメージが良く似合った。秘蔵の饅頭を食べながら、今此処で生活している子供達の事を話される。
「もうすぐお母さんと一緒に暮らせる中二の子がおってなあ。最近はその子が頑張ってくれるおかげで、園内は穏やかなもんやで」
問題を抱えた子供達が集団で生活するのは、容易な事ではない。城島の肩には、大きな傷痕が残っていた。ずっと昔、子供が暴れて包丁を手にしたのだそうだ。自身の傷より子供に犯罪歴を負わせてしまった事をずっと悔やんでいる。
そんな人だった。優しさや正義だけで、私営の施設を維持する事は出来ない。己に厳しい、度量の大きな人だった。
「もう君ら、受験も追い込みやろ?こんな所で油売っててええの?」
「今更焦る事もありませんし」
答えたのは、岡田だ。のんびりした雰囲気は、どちらの方が勝っているだろう。目の前の世界をきちんと見ていないような親友の瞳は、いつも自分とは違う現実を追っていた。城島が苦笑する。
「准一は、そうやな。もう高校の授業で勉強する事なんかないやろ。僕は、早く大学行って勉強して欲しいなあ思てたから嬉しいわ。行くとこは決めとんのか?」
「はい、もう大体は」
「そうか。春が楽しみやなあ」
小さい頃から岡田を知っている城島は、嬉しそうに目を細めた。関わった全ての子供達の成長をこうして心から喜んでいるのだろう。
岡田は、自分と同じように長い間城島の施設に通っていた。家庭環境に問題があっての事ではない。自分達親子とは違って、彼の家族はいつでも大らかな空気が満ちていた。岡田の本当の両親は、幼い時に交通事故で亡くなっている。幸い叔父夫婦が引き取る事となり、小さな頃から大人びた所のある少年は、何の問題もなく養子として迎えられた。
それでも、不安が大きかったのだろう。親交のあった城島に相談へ行くのは、当然の流れだった。園内で一人物静かに過ごしている少年に声を掛けたのが出会いだ。聞き慣れたイントネーションに安心した部分もあるのだろう。それから、不思議な距離感でずっと一緒にいた。小中学校と別々だったのに、秀才の彼が同じ公立高校にいるのは、恐らく自分の事を考えてくれたからだろうと密かに思っている。
「准一に心配はしてへんけどなあ。剛はどうなん?夏休み、数学で苦労してたやろ」
「俺、実はその事で今日来たんです」
「・・・どうしたん」
子供の変化を城島は見逃さない。真剣な眼差しで話を促された。今日の三者面談の事や考えに考えた進路の事、早く自立したいと言う純粋な願いをゆっくり自分の心に偽らないように話す。隣に岡田がいてくれて良かったと、力の入った手を見ながら思った。
「それはまた、強引やねえ」
「2人のルール破ったのは、俺です。でも、光一の願う進路を選べない」
「剛、厳しい事言うようやけど、それは子供の我儘やで。養われてるから自立出来ないんか?子供やからって責任持って生きれん訳ちゃうで。親の期待背負うんも立派な責任や」
違う、と言いたかった。子供だからだとか、親子なのにとか、そんな理屈ではない。唯、光一が好きで光一と対等になりたかった。守られるのではなく、一緒に生きたいのだと。けれど、こんな思いを口に出す事は出来ない。異常な恋である以上、口を噤んでいるしかなかった。
「俺は、光一を苦しめたい訳やない。でも、どうしたらそれが伝わるんか分からんのです」
「剛、僕に大事な事言うてないやろ」
「え」
「茂君」
非難の声を発したのは、岡田だった。大事な事は一つしかない。話の中核にありながら避けていた、自分の恋心。幾ら彼の度量が大きいからと言って、簡単には話せなかった。
「全部言うてくれんと、分からんよ。きっと光ちゃんも、僕以上に困って混乱してるわ」
「茂君。そんな、青少年の育成妨げるような事、言うたらあかんのやないですか」
「うーん、別に助長させてるつもりあらへんよ。でもなあ、はぐらかしながら相談されると、やっぱり人間やから腹立つのよ。こんな中途半端な話じゃ、何を言うてあげる事も出来んしね」
「茂君て、立派な大人に見えて、そう言う人ですよね・・・」
岡田が神妙な顔で頷いた。剛だけが一人、会話に追いつけず固まったまま。青少年の育成?はぐらかす?それは、自分の話なのだろうか。だとしたら城島は、全部知っていると言う事になる。
「茂君・・・?」
「剛が本当はどんな気持ちでいるのかなんて、毎日一緒にいる訳ちゃうから、ちゃんと分かってるんやないよ。でもな、ずっと昔から君らを見てて、お互いを大切にしている事や自分勝手に大事な事を決める親子じゃない事位は知ってんのよ。やからな、ちゃんと話して欲しい」
「俺・・・俺、光一が好きなんや。一番大切。育ててくれた恩とか、ずっと一緒にいてくれたからとかやなくて。俺は、もう長い事光一だけやった」
「剛」
「はい」
「自分がどんな感情で好きなんか、もう答えは出ているんやね?」
「はい」
「それが、光一の望んでへんものでもか?」
「はい」
「君は、一度決めたら強情やからねえ」
父親譲りやな、と優しく笑われた。彼の懐の深さは、既に尊敬の域だ。誰にも告げてはならないのだと決意した思いは、秘めれば秘めただけ辛くなった。岡田がいなかったら、自分の身勝手な感情でとっくに光一との関係は壊れていただろう。それをまた、今城島が救い上げてくれる。
「しょぉのない子やね。光ちゃんがそんな思いを望んでない事、分かってんのやろ」
「はい」
「嫌やな、もう覚悟してる目やないの。困ったなあ、おっちゃんは何言うてあげたらええのかねえ」
全然困っていない素振りで、温くなった日本茶を啜った。穏やかな仕草に、全身の力が抜ける。嫌悪のない眼差しに安堵した。全てを受け入れてくれる人だ。
「今日、帰ってから話しすんのやろ?」
「そのつもりです」
「うん、忘れたらあかんよ。今剛は大切にせなあかん人を、一番最初に傷付けてるんやで」
「・・・はい」
「僕は、昔から嘘を吐いたらあかん言うんが信条やから、アドバイスするとしたらな。黙ってたらええと思うよ」
「・・・黙る?」
「うん、そうや。光ちゃんが好きで、その為に早く対等になりたいから就職したいんやって、真っ正直に言わんでもええんやないかな。これからも、一緒に生きて行くつもりなんやろ?」
「はい」
「じゃあ、優先順位は一緒に生きる事や。・・・これから、辛くなる思うで」
「言えないまま生活して行くのがしんどかったら、とっくに諦めてます」
「そうやな。一番大事な事を見失わないで、ちゃんと話し合ってみたらええ。正直、剛も賢い子やから、僕は進学して欲しいけどなあ」
「後四年もなんて、待てません」
言い切った剛に、城島は苦笑を零す。隣に座る岡田は、無表情のまま饅頭を食べ続けていた。
「若さやねえ。君ら親子の事にあんまり立ち入る訳にはいかんけど、二人が納得出来る答えを探しなさい。その思いが辛かったら、僕でも准一でもたっぷり聞いたるからなあ」
光一はきっと、自分の恋を許してはくれない。二人の間にあるのは、親子の情であって、それ以外の何も要らないと言うだろう。分かっている。でも、自分を偽らずあるがまま生きていたかった。滑稽だと思われても構わない。理解されなくても良かった。ちゃんと墓まで、この恋は持って行く。光一には告げない。だから、傍にいる事を許して欲しかった。
秋は日の落ちるのが早い。急に暗くなった外を見て、もうそろそろ帰りなさいと促された。岡田と別れて一人になると、自分の決断が間違いではなかったかと不安になる。本当にこれで正しいのだろうか。・・・否、城島は正しいとも間違っているとも言わなかった。識者の振りで頭ごなしの説教をしない彼を信頼している。心が揺れたらまた此処に来れば良いのだと、落ち着いた気持ちで思えた。
+++++
三年前にも似たような事があった。一緒に暮らし始めて五年、剛が高校受験の時だ。二人で肩を寄せ合って暮らしていたからと言って、全ての生活が上手く行っていた訳ではなかった。離れそうになる手を何度も繋ぎ直して生きている。
あの時も同じように、光一は剛の高校進学を希望していた。他の子供達が選ぶのと同じ、ごく当たり前の普通科。私立でも公立でも、資金面で問題がないようずっと積立を続けて来た。自分の力不足で、剛の未来を狭めたくない。なのに、彼が選んだのは夜間学校への進学だった。
剛の葛藤が分からなかった訳ではない。全くの他人である自分に頼って生きるのは、気が引けたのだろう。中学校までは義務教育だけれど、これからは違う。生き方の選択が出来るのだ。社会生活への第一歩と言っても過言ではなかった。
とは言っても、今の時代は高校に行くのが当然の選択で、光一自身もその感覚で大学まで進学している。まさか、こんな所で躓くなんて思っていなかった。剛の幼い時から変わらない強い瞳に、真摯な決意を見付けてぞっとする。
どうして、そんなに潔く決断出来るのか。当たり前と思って進学を勧めた自分と、悩みに悩んでこれからの人生を選んだ剛とでは、厳然たる差があった。彼の結論を覆す説得力がない。あの時、焦っていたのは光一だった。自分の思うようにならない事実を変えようとする様は、まるで駄々っ子だ。みっともないと今なら言えるけれど、剛の瞳に気圧されて唯ひたすら必死だった。その為に、彼を傷付けてしまう位には。
今でも、何が決定的な理由だったのかは分からない。幾つも投げた言葉の内のどれが、剛の心を抉ってしまったのか。優しい少年は、今も黙秘権を行使したままだった。明確な理由は分からないけれど、三日月の夜剛は家を出た。
まだあの頃は、一緒に布団を並べて眠っていたように思う。どうしても思い留まって欲しくて、剛の作った夕食を摂りながら不用意に言葉を重ねてしまった。借り物の、頭ごなしの説教ばかり。あの敏感な子供が、偽物の言葉で納得する筈なかったのに。不器用でも足りなくても、ちゃんと自分の言葉で話せば良かったのだと今なら分かる。
剛はずっとしっかりした息子だった。連れ出したあの日から、自分の事は自分で出来たし甘えたがりではあるけれど、一人で夜を過ごさせても我儘は言わない。光一は当時、システム開発と言う今とは違う部署に配属されていた。営業が取って来る納期はいつもぎりぎりで、残業は日常茶飯事の部署だ。休日出勤をしなければ間に合わない事もままあり、剛と一緒に過ごせる時間は少なかった。それでも生活の為には仕方ない、と何処かで言い訳をしていた自分がいる。もっと早くに引き返せば良かった。自分一人の生活ではなく剛と二人の生活なのに、いつの間にか大事なものを見失っていたのかも知れない。
遅い夕食を気まずい空気で終えた後、いつも通り布団を敷いた。二人きりだと言う事を思い出させる距離感。電気を消した室内には、互いの押し殺した呼吸音だけが広がっていた。すぐ傍にある体温。何度も抱き締めて朝を迎えて来たのに、気付けば剛は自分で人生を選ぶまでになっていたのだ。随分歩いて来てしまったのだと思う。
「・・・光ちゃんは、いつになったら分かってくれるんかな」
「俺は、分かってなんかやらん」
「もう、子供やないで?」
「剛は、一生俺の子供や。阿呆な事言うな」
迷いのない言葉に、剛の胸の裡はすっかり混乱してしまった。「一生」と「俺の子供」。泣きたい程の喜びと、死にそうな絶望が血流に乗って指先まで行き渡った。一生傍にいられる。子供と言う距離から抜け出す事は叶わない。
気付いてしまった恋は、自覚したその瞬間から剛の身を苛んでいた。何故、自分は他の同級生と同じように、女の子を好きにならなかったのだろう。若い故の留まる事のない熱情が剛を甘く苦しめる。
「そんなに早く大人にならんでええよ」
目を閉じて聞く光一の声は、いつも通り優しかった。愛する人を苦しめている。愛してはいけない人に恋を抱く自分は、彼の望む普通の子にはなれなかった。父親も母親も兄弟もいる他の子供達と同じように成長出来ないのが、環境のせいだとは思いたくない。
「光一・・・」
普段は口にしない名前で小さく彼を呼ぶ。「父さん」と言わない事に苦痛を感じないでいてくれるのが、せめてもの救いだった。この人を父と呼ぶ事は、一生出来そうもない。
「ん?何・・・剛?」
名前を呼んだきりの自分に焦れて、光一が動くのを気配だけで感じた。目は閉じたまま。彼の舌足らずな発音が愛しい。可愛い、なんて言ったら怒られるだろうか。
「剛。寝たん?」
思いがけず近い場所で声が聞こえて、反射的に目を開けてしまう。
「っこうぃ!」
「・・・ああ、吃驚したあ。寝てなかったんやね」
自分の声とは対照的に、光一はのんびり笑った。元々近い距離にいる二人だ。僅かの差を縮める事なんて容易い事だった。頭では分かっていても、勝手に走り出した心臓は止められない。無防備な光一は、簡単に手を伸ばせる位置にいるのだと思い知らされた。
反応のない自分を不審がって身体を起こした事もこちらを伺っていた事も気付いている。けれど、自分の頭を跨ぐように手を付いて、髪が触れ合う程の至近距離にいるとは思わなかった。
光一の黒目がちな瞳は、薄い闇の中にあっても綺麗だ。頬を擽る柔らかい猫っ毛も、筋張った腕の内側の白い肌も全て。剛の目には魅惑的に映る。
まともに視線を合わせて、まずいと思った。正直な身体に打ちのめされる。下半身に集まる熱は、明確に彼への劣情を示していた。絶望的な欲だ。自分が抱いている恋だと思っていたものが、呆気無く浅ましい欲望に飲み込まれた。
「剛?」
「っ何でもあらへん!もう寝るわ!おやすみ」
無理矢理顔を背けて、きつく目を瞑る。己の劣情を恥じた。これは、光一を傷付ける感情だった。同じ場所で生きて行くのに、こんなものを抱えて良い筈がない。
光一が好きや。どうしようもない程に。本能から生まれた欲は、醜い分はっきりと分かりやすく剛に愛を示す。自分の中にある愛する感情は全て光一に向いているのだと、思い込める程だった。
小さく溜め息を零すと、諦めたように布団に入る気配がある。離れた距離に安堵して、同時に泣きたくなった。一緒にいられない。このままでは遠くない未来に父親である彼を壊してしまう。
確信だった。大切に慈しみ育ててくれたこの年月を全て粉々に砕いてしまう。怖かった。唯、彼を誰よりも愛したいだけなのに。
剛に優しい眠りは訪れなかった。行く先はない。それでも、今の気持のまま此処にはいられないと思った。
真夜中、光一の眠りを確かめる為に首筋に触れる。小さく身じろいだ彼にごめんな、と囁いた。いつも使っているバッグを一つ抱えて、二人きりの部屋を出る。青い空に浮かぶ月の頼りない明かりに照らされて、剛は歩き出した。
「いらんいらんでー、そんな堅苦しい挨拶は。学校帰りか?したら腹減っとるなあ。僕の秘蔵饅頭出したるから、ちょぉ待っててな」
おっとりした笑顔と賑やかな喋りに気圧されて、勧められるまま室内に入った。城島の自室兼園長室に通される。何度も何度もこの部屋で話をした。涙を堪えた表情で弱音を喉につかえさせて、それでも強く在ろうとした養父をこの場所でずっと見ている。
岡田と並んで古いソファに座って待っていると、程なくして部屋の主が現れた。両手に持ったお盆の上には、三人で食べるには多過ぎるおやつ。此処で生活している子供達には深い愛情故の厳しさで接する人なのに、たまに訪れる子供達には労う素振りで甘やかしてくれた。あくまでも、此処の子供達にばれないように、ではあるけれど。
「子供らはこれから宿題の時間やから、ちょっとは静かやわ。まあ、食べなさい」
「はい、いただきます」
年齢不詳の園長は、日本茶を飲んでいる時が一番老けて見える。悪い意味ではなく、狡猾な翁と言うイメージが良く似合った。秘蔵の饅頭を食べながら、今此処で生活している子供達の事を話される。
「もうすぐお母さんと一緒に暮らせる中二の子がおってなあ。最近はその子が頑張ってくれるおかげで、園内は穏やかなもんやで」
問題を抱えた子供達が集団で生活するのは、容易な事ではない。城島の肩には、大きな傷痕が残っていた。ずっと昔、子供が暴れて包丁を手にしたのだそうだ。自身の傷より子供に犯罪歴を負わせてしまった事をずっと悔やんでいる。
そんな人だった。優しさや正義だけで、私営の施設を維持する事は出来ない。己に厳しい、度量の大きな人だった。
「もう君ら、受験も追い込みやろ?こんな所で油売っててええの?」
「今更焦る事もありませんし」
答えたのは、岡田だ。のんびりした雰囲気は、どちらの方が勝っているだろう。目の前の世界をきちんと見ていないような親友の瞳は、いつも自分とは違う現実を追っていた。城島が苦笑する。
「准一は、そうやな。もう高校の授業で勉強する事なんかないやろ。僕は、早く大学行って勉強して欲しいなあ思てたから嬉しいわ。行くとこは決めとんのか?」
「はい、もう大体は」
「そうか。春が楽しみやなあ」
小さい頃から岡田を知っている城島は、嬉しそうに目を細めた。関わった全ての子供達の成長をこうして心から喜んでいるのだろう。
岡田は、自分と同じように長い間城島の施設に通っていた。家庭環境に問題があっての事ではない。自分達親子とは違って、彼の家族はいつでも大らかな空気が満ちていた。岡田の本当の両親は、幼い時に交通事故で亡くなっている。幸い叔父夫婦が引き取る事となり、小さな頃から大人びた所のある少年は、何の問題もなく養子として迎えられた。
それでも、不安が大きかったのだろう。親交のあった城島に相談へ行くのは、当然の流れだった。園内で一人物静かに過ごしている少年に声を掛けたのが出会いだ。聞き慣れたイントネーションに安心した部分もあるのだろう。それから、不思議な距離感でずっと一緒にいた。小中学校と別々だったのに、秀才の彼が同じ公立高校にいるのは、恐らく自分の事を考えてくれたからだろうと密かに思っている。
「准一に心配はしてへんけどなあ。剛はどうなん?夏休み、数学で苦労してたやろ」
「俺、実はその事で今日来たんです」
「・・・どうしたん」
子供の変化を城島は見逃さない。真剣な眼差しで話を促された。今日の三者面談の事や考えに考えた進路の事、早く自立したいと言う純粋な願いをゆっくり自分の心に偽らないように話す。隣に岡田がいてくれて良かったと、力の入った手を見ながら思った。
「それはまた、強引やねえ」
「2人のルール破ったのは、俺です。でも、光一の願う進路を選べない」
「剛、厳しい事言うようやけど、それは子供の我儘やで。養われてるから自立出来ないんか?子供やからって責任持って生きれん訳ちゃうで。親の期待背負うんも立派な責任や」
違う、と言いたかった。子供だからだとか、親子なのにとか、そんな理屈ではない。唯、光一が好きで光一と対等になりたかった。守られるのではなく、一緒に生きたいのだと。けれど、こんな思いを口に出す事は出来ない。異常な恋である以上、口を噤んでいるしかなかった。
「俺は、光一を苦しめたい訳やない。でも、どうしたらそれが伝わるんか分からんのです」
「剛、僕に大事な事言うてないやろ」
「え」
「茂君」
非難の声を発したのは、岡田だった。大事な事は一つしかない。話の中核にありながら避けていた、自分の恋心。幾ら彼の度量が大きいからと言って、簡単には話せなかった。
「全部言うてくれんと、分からんよ。きっと光ちゃんも、僕以上に困って混乱してるわ」
「茂君。そんな、青少年の育成妨げるような事、言うたらあかんのやないですか」
「うーん、別に助長させてるつもりあらへんよ。でもなあ、はぐらかしながら相談されると、やっぱり人間やから腹立つのよ。こんな中途半端な話じゃ、何を言うてあげる事も出来んしね」
「茂君て、立派な大人に見えて、そう言う人ですよね・・・」
岡田が神妙な顔で頷いた。剛だけが一人、会話に追いつけず固まったまま。青少年の育成?はぐらかす?それは、自分の話なのだろうか。だとしたら城島は、全部知っていると言う事になる。
「茂君・・・?」
「剛が本当はどんな気持ちでいるのかなんて、毎日一緒にいる訳ちゃうから、ちゃんと分かってるんやないよ。でもな、ずっと昔から君らを見てて、お互いを大切にしている事や自分勝手に大事な事を決める親子じゃない事位は知ってんのよ。やからな、ちゃんと話して欲しい」
「俺・・・俺、光一が好きなんや。一番大切。育ててくれた恩とか、ずっと一緒にいてくれたからとかやなくて。俺は、もう長い事光一だけやった」
「剛」
「はい」
「自分がどんな感情で好きなんか、もう答えは出ているんやね?」
「はい」
「それが、光一の望んでへんものでもか?」
「はい」
「君は、一度決めたら強情やからねえ」
父親譲りやな、と優しく笑われた。彼の懐の深さは、既に尊敬の域だ。誰にも告げてはならないのだと決意した思いは、秘めれば秘めただけ辛くなった。岡田がいなかったら、自分の身勝手な感情でとっくに光一との関係は壊れていただろう。それをまた、今城島が救い上げてくれる。
「しょぉのない子やね。光ちゃんがそんな思いを望んでない事、分かってんのやろ」
「はい」
「嫌やな、もう覚悟してる目やないの。困ったなあ、おっちゃんは何言うてあげたらええのかねえ」
全然困っていない素振りで、温くなった日本茶を啜った。穏やかな仕草に、全身の力が抜ける。嫌悪のない眼差しに安堵した。全てを受け入れてくれる人だ。
「今日、帰ってから話しすんのやろ?」
「そのつもりです」
「うん、忘れたらあかんよ。今剛は大切にせなあかん人を、一番最初に傷付けてるんやで」
「・・・はい」
「僕は、昔から嘘を吐いたらあかん言うんが信条やから、アドバイスするとしたらな。黙ってたらええと思うよ」
「・・・黙る?」
「うん、そうや。光ちゃんが好きで、その為に早く対等になりたいから就職したいんやって、真っ正直に言わんでもええんやないかな。これからも、一緒に生きて行くつもりなんやろ?」
「はい」
「じゃあ、優先順位は一緒に生きる事や。・・・これから、辛くなる思うで」
「言えないまま生活して行くのがしんどかったら、とっくに諦めてます」
「そうやな。一番大事な事を見失わないで、ちゃんと話し合ってみたらええ。正直、剛も賢い子やから、僕は進学して欲しいけどなあ」
「後四年もなんて、待てません」
言い切った剛に、城島は苦笑を零す。隣に座る岡田は、無表情のまま饅頭を食べ続けていた。
「若さやねえ。君ら親子の事にあんまり立ち入る訳にはいかんけど、二人が納得出来る答えを探しなさい。その思いが辛かったら、僕でも准一でもたっぷり聞いたるからなあ」
光一はきっと、自分の恋を許してはくれない。二人の間にあるのは、親子の情であって、それ以外の何も要らないと言うだろう。分かっている。でも、自分を偽らずあるがまま生きていたかった。滑稽だと思われても構わない。理解されなくても良かった。ちゃんと墓まで、この恋は持って行く。光一には告げない。だから、傍にいる事を許して欲しかった。
秋は日の落ちるのが早い。急に暗くなった外を見て、もうそろそろ帰りなさいと促された。岡田と別れて一人になると、自分の決断が間違いではなかったかと不安になる。本当にこれで正しいのだろうか。・・・否、城島は正しいとも間違っているとも言わなかった。識者の振りで頭ごなしの説教をしない彼を信頼している。心が揺れたらまた此処に来れば良いのだと、落ち着いた気持ちで思えた。
+++++
三年前にも似たような事があった。一緒に暮らし始めて五年、剛が高校受験の時だ。二人で肩を寄せ合って暮らしていたからと言って、全ての生活が上手く行っていた訳ではなかった。離れそうになる手を何度も繋ぎ直して生きている。
あの時も同じように、光一は剛の高校進学を希望していた。他の子供達が選ぶのと同じ、ごく当たり前の普通科。私立でも公立でも、資金面で問題がないようずっと積立を続けて来た。自分の力不足で、剛の未来を狭めたくない。なのに、彼が選んだのは夜間学校への進学だった。
剛の葛藤が分からなかった訳ではない。全くの他人である自分に頼って生きるのは、気が引けたのだろう。中学校までは義務教育だけれど、これからは違う。生き方の選択が出来るのだ。社会生活への第一歩と言っても過言ではなかった。
とは言っても、今の時代は高校に行くのが当然の選択で、光一自身もその感覚で大学まで進学している。まさか、こんな所で躓くなんて思っていなかった。剛の幼い時から変わらない強い瞳に、真摯な決意を見付けてぞっとする。
どうして、そんなに潔く決断出来るのか。当たり前と思って進学を勧めた自分と、悩みに悩んでこれからの人生を選んだ剛とでは、厳然たる差があった。彼の結論を覆す説得力がない。あの時、焦っていたのは光一だった。自分の思うようにならない事実を変えようとする様は、まるで駄々っ子だ。みっともないと今なら言えるけれど、剛の瞳に気圧されて唯ひたすら必死だった。その為に、彼を傷付けてしまう位には。
今でも、何が決定的な理由だったのかは分からない。幾つも投げた言葉の内のどれが、剛の心を抉ってしまったのか。優しい少年は、今も黙秘権を行使したままだった。明確な理由は分からないけれど、三日月の夜剛は家を出た。
まだあの頃は、一緒に布団を並べて眠っていたように思う。どうしても思い留まって欲しくて、剛の作った夕食を摂りながら不用意に言葉を重ねてしまった。借り物の、頭ごなしの説教ばかり。あの敏感な子供が、偽物の言葉で納得する筈なかったのに。不器用でも足りなくても、ちゃんと自分の言葉で話せば良かったのだと今なら分かる。
剛はずっとしっかりした息子だった。連れ出したあの日から、自分の事は自分で出来たし甘えたがりではあるけれど、一人で夜を過ごさせても我儘は言わない。光一は当時、システム開発と言う今とは違う部署に配属されていた。営業が取って来る納期はいつもぎりぎりで、残業は日常茶飯事の部署だ。休日出勤をしなければ間に合わない事もままあり、剛と一緒に過ごせる時間は少なかった。それでも生活の為には仕方ない、と何処かで言い訳をしていた自分がいる。もっと早くに引き返せば良かった。自分一人の生活ではなく剛と二人の生活なのに、いつの間にか大事なものを見失っていたのかも知れない。
遅い夕食を気まずい空気で終えた後、いつも通り布団を敷いた。二人きりだと言う事を思い出させる距離感。電気を消した室内には、互いの押し殺した呼吸音だけが広がっていた。すぐ傍にある体温。何度も抱き締めて朝を迎えて来たのに、気付けば剛は自分で人生を選ぶまでになっていたのだ。随分歩いて来てしまったのだと思う。
「・・・光ちゃんは、いつになったら分かってくれるんかな」
「俺は、分かってなんかやらん」
「もう、子供やないで?」
「剛は、一生俺の子供や。阿呆な事言うな」
迷いのない言葉に、剛の胸の裡はすっかり混乱してしまった。「一生」と「俺の子供」。泣きたい程の喜びと、死にそうな絶望が血流に乗って指先まで行き渡った。一生傍にいられる。子供と言う距離から抜け出す事は叶わない。
気付いてしまった恋は、自覚したその瞬間から剛の身を苛んでいた。何故、自分は他の同級生と同じように、女の子を好きにならなかったのだろう。若い故の留まる事のない熱情が剛を甘く苦しめる。
「そんなに早く大人にならんでええよ」
目を閉じて聞く光一の声は、いつも通り優しかった。愛する人を苦しめている。愛してはいけない人に恋を抱く自分は、彼の望む普通の子にはなれなかった。父親も母親も兄弟もいる他の子供達と同じように成長出来ないのが、環境のせいだとは思いたくない。
「光一・・・」
普段は口にしない名前で小さく彼を呼ぶ。「父さん」と言わない事に苦痛を感じないでいてくれるのが、せめてもの救いだった。この人を父と呼ぶ事は、一生出来そうもない。
「ん?何・・・剛?」
名前を呼んだきりの自分に焦れて、光一が動くのを気配だけで感じた。目は閉じたまま。彼の舌足らずな発音が愛しい。可愛い、なんて言ったら怒られるだろうか。
「剛。寝たん?」
思いがけず近い場所で声が聞こえて、反射的に目を開けてしまう。
「っこうぃ!」
「・・・ああ、吃驚したあ。寝てなかったんやね」
自分の声とは対照的に、光一はのんびり笑った。元々近い距離にいる二人だ。僅かの差を縮める事なんて容易い事だった。頭では分かっていても、勝手に走り出した心臓は止められない。無防備な光一は、簡単に手を伸ばせる位置にいるのだと思い知らされた。
反応のない自分を不審がって身体を起こした事もこちらを伺っていた事も気付いている。けれど、自分の頭を跨ぐように手を付いて、髪が触れ合う程の至近距離にいるとは思わなかった。
光一の黒目がちな瞳は、薄い闇の中にあっても綺麗だ。頬を擽る柔らかい猫っ毛も、筋張った腕の内側の白い肌も全て。剛の目には魅惑的に映る。
まともに視線を合わせて、まずいと思った。正直な身体に打ちのめされる。下半身に集まる熱は、明確に彼への劣情を示していた。絶望的な欲だ。自分が抱いている恋だと思っていたものが、呆気無く浅ましい欲望に飲み込まれた。
「剛?」
「っ何でもあらへん!もう寝るわ!おやすみ」
無理矢理顔を背けて、きつく目を瞑る。己の劣情を恥じた。これは、光一を傷付ける感情だった。同じ場所で生きて行くのに、こんなものを抱えて良い筈がない。
光一が好きや。どうしようもない程に。本能から生まれた欲は、醜い分はっきりと分かりやすく剛に愛を示す。自分の中にある愛する感情は全て光一に向いているのだと、思い込める程だった。
小さく溜め息を零すと、諦めたように布団に入る気配がある。離れた距離に安堵して、同時に泣きたくなった。一緒にいられない。このままでは遠くない未来に父親である彼を壊してしまう。
確信だった。大切に慈しみ育ててくれたこの年月を全て粉々に砕いてしまう。怖かった。唯、彼を誰よりも愛したいだけなのに。
剛に優しい眠りは訪れなかった。行く先はない。それでも、今の気持のまま此処にはいられないと思った。
真夜中、光一の眠りを確かめる為に首筋に触れる。小さく身じろいだ彼にごめんな、と囁いた。いつも使っているバッグを一つ抱えて、二人きりの部屋を出る。青い空に浮かぶ月の頼りない明かりに照らされて、剛は歩き出した。
ザ・ネバーランド・デイズ/04.11.30
夜に照らされた淡き花/01.05.20
アップルジャム/02.05.10
十五の夜/03.03.25
潜在的独占欲/01.05.20
存在意義/01.06.05
君の声/01.07.27
理性と欲望の引力/01.08.03
今だけを過ごす時に/01.05.20
flower*flower/01.07.06
ロマンティシズム/01.06.13
(halfway tale 6より改題)
幸せの存在/01.08.07
百秒ノ逆転/01.08.25
ヒトリゴト/01.10.05
堂本光一氏に関する考察/01.10.12
形あるもの/01.09.05
子羊の眼差し、狼の瞳/01.10.26
甘い香り/01.10.30
愛のかたまり-eve-/01.12.31
愛のかたまり-silent night-/01.12.31
as coler as ....../01.08.22
待ち人/02.04.10
smoke gets in your eyes/02.05.16
光/02.06.20
優しい部屋/02.08.14
夜に照らされた淡き花/01.05.20
アップルジャム/02.05.10
十五の夜/03.03.25
潜在的独占欲/01.05.20
存在意義/01.06.05
君の声/01.07.27
理性と欲望の引力/01.08.03
今だけを過ごす時に/01.05.20
flower*flower/01.07.06
ロマンティシズム/01.06.13
(halfway tale 6より改題)
幸せの存在/01.08.07
百秒ノ逆転/01.08.25
ヒトリゴト/01.10.05
堂本光一氏に関する考察/01.10.12
形あるもの/01.09.05
子羊の眼差し、狼の瞳/01.10.26
甘い香り/01.10.30
愛のかたまり-eve-/01.12.31
愛のかたまり-silent night-/01.12.31
as coler as ....../01.08.22
待ち人/02.04.10
smoke gets in your eyes/02.05.16
光/02.06.20
優しい部屋/02.08.14
何の前触れもなく、真夜中に剛が来た。俺ですらそろそろ寝ようと思う時間は、既に夜よりも朝に近い。
ドラマが始まってからこうしてふらりと現れる回数が増えた。あまり夜が強くないのだから、真っ直ぐ帰って疲れを癒せば良いのに。けれど、眠っただけでは取れない疲れもあるのだと言う事を俺も良く知っている。
「マネージャーに我儘言ってもうた」
剛の寄り道にマネージャーが良い顔をした筈はなかった。確か明日も(と言うか今日も)朝からの撮影だ。良くあの厳しい人が許したものだと思う。余程疲れているのかも知れない。
「今日も上手く行ったん?」
「まあ、ぼちぼちやな」
当たり前の会話をしないと、いつもの様に呼吸出来ない。どんな時間でもどんな場所でも剛といる空間は変えたくなかった。当たり前に、馴染んだ空気で。
「なあ、光一」
「ん?」
剛の声が甘く響く。
「お前明日ゆっくりやろ。ちょお今から海行かへん?」
穏やかに提案された言葉に素直に頷く事は出来なかった。剛の願いなら何でも叶えてあげたい。この気持ちは自分の中にいつでもある真実だけど。
今の彼のスケジュールでこんな時間から出掛けるなど、余りにも無謀過ぎる。躊躇いが顔に出たのか、剛が口許を優しく緩めた。
「ええねん。今帰っても寝れんから」
思わず不安を覚える程の優しさを溢れさせるから、諦めを二人の間に落とすしかなかった。神経が昂り過ぎるとどんなに体が眠気を訴えても寝る事が出来ない。自分もスケジュールが過密になると良く経験している事だから、その感じは手に取る様に分かってしまう。
「どうせ起きてるんなら光ちゃんといたいねん」
我侭過ぎる台詞は、甘さだけでは埋められない距離を簡単に縮めてしまう。
静かに頷いて時計を確認する事はせず、一緒に部屋を出た。
+++++
エントランスを出ると、剛の車が横付けされていた。車と相方の顔を交互に見詰めた自分に肩を竦めてみせる辺り、本当に我儘を言ったようだ。
恐らく撮影中に自分の車をマネージャーに取りに行かせて、帰りは一人で運転して来たのだろう。撮影の時期に自分で運転する事など、まずないかった。
そんな我儘すら受け入れられてしまうのは剛の人徳だなと思うけれど、限度と言う物がある。
「子供やないんやから、あんまり我儘ばっか言うてたらあかんで」
思わず眉を顰めた自分に唯優しい表情を見せるだけで、剛は何も言わなかった。
まさか運転させる訳にはいかないと思い、ごく当たり前の足取りで運転席へ向かったのだが、思いがけず剛に遮られる。手を引かれ助手席の方へ回ると、ドアを開けて座らされる。シートベルトまでされてもこのまま助手席に乗るなんて素直に出来る訳なかった。剛の瞳を見詰めれば、馬鹿みたいに甘い声と真面目な顔で言ってのける。
「助手席に座る光一が見たいねん」
二人の間にある空気が夏の夜よりも更に湿度を増した気がして、もう何も言えなくなってしまった。剛の瞳が満足そうに細められれば、それだけで。
充分だと思ってしまうのだ。
いつも考える。
自分が剛に出来る事は何なのだろうか。何も出来ないのではないかと不安になった。
でも。こんな風に俺の存在全てを必要としてくれるから。本当はこのままじゃいけないのに、これで良いと思ってしまう。
後悔なんて言葉には程遠いけど。
愛されてると意味もなく実感してしまうのだ。
案外スピード狂な剛の運転は思いの他しっかりしていて、本当に眠くないのだと分かる。道路は平日の深夜と言う事もあって、閑散としていた。街灯の奇妙な明るさが、時間の感覚を麻痺させる。
ライトアップされた橋を渡って少し走ると、道路脇に静かに車が止められた。エンジンが止まるのを確認して車を降りようとすれば、それすらも剛は自由にしてくれない。わざわざ助手席側に回って扉を開けると、手を差し出された。
俺はお姫様かと笑う余裕も生まれずに、とても嬉しそうに笑っている顔を見上げたまま手を重ねてしまう。
剛はたまにこうして酷く自分を甘やかした。いつもいつも甘やかされている自覚もさすがにあるのだけれど、この甘さは痛みの方が近い。
彼の中にあるのは、優しくしたい情よりも俺を『自分の物』だと誇示したい独占欲だった。
今剛の生活には仕事と言うかドラマしかない。友達と会う事も趣味に没頭する事も許されなかった。
彼の中には何一つ自分の自由になるものがないから。潜在的に強くある独占欲が満たされないのだ。
だから多分、今剛は俺を『自分の物』にしたいんだと思う。何も自由にならないからせめて光一位は、なんて子供じみた欲を。
まあ、剛と違って今は忙しくないから、そんな我儘にも付き合ってやる事が出来た。自分のプライベートは、気紛れに連絡を寄越す剛の為だけにあるのかも知れない。
指先を引かれて、暗い海岸へと向かう。波の音が二人を包み込んで心地良かった。対岸に見えるネオンの明りよりも海の闇に目が眩む。
剛は、手を引かれたまま存在全てを委ねてくれる光一をそっと見詰めた。身体は本当に疲れているのに、こんなにも優しくしたくて甘やかしたくて。
それが彼に負担になると分かっていても。
「静かやなー」
潮風を受け細い髪を軽やかに乱しながら、光一が気持ち良さそうに言う。返す言葉を必要としない、夜に紛れてしまう呟きだった。柔らかい声は、多分に眠気を含んでいる。
幾らスケジュールに余裕があると言っても、彼だって疲れていない訳じゃなかった。こんな時間に連れ出して良い筈がない。
暗闇を映した瞳が淡く滲んで綺麗だった。散らばる毛先にゆっくりと手を伸ばす。
「……なん?」
光一が振り返る。世界中の何よりも綺麗なものだと思う。
こんな人が隣にずっといてくれる幸福を、自分は誰よりも分かっていなければならなかった。
少しだけ腕を引き寄せて、暗がりでも分かる程澄んだ瞳を覗き込む。確実に毎年綺麗になって行く彼を、ちゃんと自分は繋ぎ止めておけるのかいつも不安だった。消えることのない焦燥を内包したまま、縋るように愛を囁き続けるのだろう。
俺を見詰める光一の瞳は、普通ならば暗く濁ってしまいがちな底の方まで煌めいて光っていた。純粋を保ち続けるその目に自分が映っている事を確認する。其処に確かにある愛情に安堵して。
不意に訪れた静かな衝動のままに薄い身体を抱き上げた。
「うっわ!」
突然地面から離れた事に驚いた光一は、焦った声を上げる。上半身を支えるものがなくて、肩を思い切り掴まれた。
「痛いがな、光ちゃん」
声に笑いを強く滲ませて言うと、耳まで赤く染めて抗議する。
「お前が、変な事っ……!」
「光一、焦り過ぎ」
穏やかに笑ってみせれば酷く気分を害したようで、眉を顰めて唇を突き出した。そんな子供みたいな仕草が可愛くて堪らない。悔し紛れの言葉も子供の様だった。
「お前、ヘタレの癖にー」
「光一さんが軽過ぎるだけですよ。少し太った思ったのになあ」
最近頬の辺りがふっくらして来たし、抱き締めた時の身体の線が変わっていた。それでも細い事に変わりはないのだけど。
「もうええやろ。降ろしてや」
ぶっきらぼうな口調で突き放す様に言うのは、光一の照れ隠しだと知っている。そんな言葉に聞く耳等持たずで、抱き上げたまま脈絡のない会話を持ち出した。
「今日な、差し入れに果物があってん」
「……え?」
抱き上げられた気恥ずかしさに気を奪われていた光一は、反応が鈍い。
「くだもの……?」
酷く幼い発音で呟いた言葉に頷く。薄く開かれた唇を見詰めた。
「食べたら光ちゃんにどぉしても会いたなってん」
そう言うと、嬉しそうに表情を綻ばせて行く。予想通りの解釈の仕方に笑い出しそうになった。
多分光一は俺が『この果物美味しかったから光一にも食べさせたい』なんて思って、会いたくなったんじゃないかと思ったのだろう。隣にいない時間に俺が思い出す事を彼は喜ぶから。四六時中光一の事しか考えていないなんて思いもしない。そんな事を考えてきっと嬉しくなったのだろう。
でも、本当は違う。
当たり前の愛情等とっくに越えてしまった。俺が抱えているのはもっと深い、欲だ。
せっかくの綺麗な笑顔を不機嫌に歪めるのは嫌だけれど。そっと光一の唇を指先で辿って本当を渡す。
「果物食ってたら光一に似てるなあ思て」
「何が?」
「ん、味がな」
ふわふわの表情が分からないとでも言うように少し曇った。
「そしたらメッチャ光ちゃん食べたくなった」
光一を抱いている時に感じる甘さは、果物と同じ種類のもの。そう思ったらもう駄目だった。舌の上に残った甘みが、撮影中ずっと自分を苦しめるから。
会いに行こうと思った。
俺の言葉がやっと脳内で理解されたらしい。嫌な物でも見る様に光一の目付きが険しくなって行く。
「……お前、エロい」
「なぁんで。純粋やろ?フルーツなんて爽やかな感じやん」
「俺を食い物と一緒にすんな」
剛が俺のいない時間に俺を思い出してくれたのは、単純に嬉しい。けれど、発想がどうにも変態臭いのだ。
「やって、お前のケツ桃やしなあ。何処舐めても甘いし、唇なんかホンマに食ってまおうか思う位やし。乳首やって新鮮な……」
「っもおええ!」
俺が耐えられない言葉を選んで使っている。剛はどうしてかこんな身体に、と言うか尻に固執し過ぎだと思う。そりゃ、桃好きやけど。
……あかん、訳分からんくなってる。
「ええよ、分かった。どんなんが理由でも会いに来てくれたんは嬉しい」
最近少しずつ素直に言葉を渡す術を覚えて来た。剛が嬉しそうに笑うから、少し恥ずかしいけどそれも良いかななんて思うのだ。
「顔見たら絶対ヤりたくなると思って来たんやけど、会うだけで満足してもうた」
「剛さん、もう若くねーなー」
「阿呆か。お前とやったら俺はじいさんになってもヤれる自信あるで」
「そんな自信、必要あらへん」
笑いながら視線を絡めて、気持ちが重なり合うのを感じた。同時に自分が『剛の物』であると言う事も、強く。
きっと今一番の問題は、剛が俺を『自分の物』にしている事じゃなくて、そんな扱いを受けている事が苦痛じゃない自分だろう。『剛もの』になっている自分が嫌いではないのだ。
二人してどうしようもないと思いながら、今度こそ降ろして貰おうと足掻く。いい加減剛も腕の限界だったようで、すぐに離してくれた。
その代わり、強く引き寄せられて唇を奪われる。舐める様なキスの仕方は、もしかしたら今日食べた果物の味を思い出しているのかも知れない。
長い口付けの後、至近距離で見詰め合った。やたらと男前な剛の表情。口許だけを笑みの形にして。
「でもやっぱ、果物より光一の方が美味しいな」
果糖の甘みなんかじゃない、砂糖のかたまりみたいな言葉を平然と囁いた。
甘やかされて痛いだなんて。
幸せ以外の何物でもない。
ドラマが始まってからこうしてふらりと現れる回数が増えた。あまり夜が強くないのだから、真っ直ぐ帰って疲れを癒せば良いのに。けれど、眠っただけでは取れない疲れもあるのだと言う事を俺も良く知っている。
「マネージャーに我儘言ってもうた」
剛の寄り道にマネージャーが良い顔をした筈はなかった。確か明日も(と言うか今日も)朝からの撮影だ。良くあの厳しい人が許したものだと思う。余程疲れているのかも知れない。
「今日も上手く行ったん?」
「まあ、ぼちぼちやな」
当たり前の会話をしないと、いつもの様に呼吸出来ない。どんな時間でもどんな場所でも剛といる空間は変えたくなかった。当たり前に、馴染んだ空気で。
「なあ、光一」
「ん?」
剛の声が甘く響く。
「お前明日ゆっくりやろ。ちょお今から海行かへん?」
穏やかに提案された言葉に素直に頷く事は出来なかった。剛の願いなら何でも叶えてあげたい。この気持ちは自分の中にいつでもある真実だけど。
今の彼のスケジュールでこんな時間から出掛けるなど、余りにも無謀過ぎる。躊躇いが顔に出たのか、剛が口許を優しく緩めた。
「ええねん。今帰っても寝れんから」
思わず不安を覚える程の優しさを溢れさせるから、諦めを二人の間に落とすしかなかった。神経が昂り過ぎるとどんなに体が眠気を訴えても寝る事が出来ない。自分もスケジュールが過密になると良く経験している事だから、その感じは手に取る様に分かってしまう。
「どうせ起きてるんなら光ちゃんといたいねん」
我侭過ぎる台詞は、甘さだけでは埋められない距離を簡単に縮めてしまう。
静かに頷いて時計を確認する事はせず、一緒に部屋を出た。
+++++
エントランスを出ると、剛の車が横付けされていた。車と相方の顔を交互に見詰めた自分に肩を竦めてみせる辺り、本当に我儘を言ったようだ。
恐らく撮影中に自分の車をマネージャーに取りに行かせて、帰りは一人で運転して来たのだろう。撮影の時期に自分で運転する事など、まずないかった。
そんな我儘すら受け入れられてしまうのは剛の人徳だなと思うけれど、限度と言う物がある。
「子供やないんやから、あんまり我儘ばっか言うてたらあかんで」
思わず眉を顰めた自分に唯優しい表情を見せるだけで、剛は何も言わなかった。
まさか運転させる訳にはいかないと思い、ごく当たり前の足取りで運転席へ向かったのだが、思いがけず剛に遮られる。手を引かれ助手席の方へ回ると、ドアを開けて座らされる。シートベルトまでされてもこのまま助手席に乗るなんて素直に出来る訳なかった。剛の瞳を見詰めれば、馬鹿みたいに甘い声と真面目な顔で言ってのける。
「助手席に座る光一が見たいねん」
二人の間にある空気が夏の夜よりも更に湿度を増した気がして、もう何も言えなくなってしまった。剛の瞳が満足そうに細められれば、それだけで。
充分だと思ってしまうのだ。
いつも考える。
自分が剛に出来る事は何なのだろうか。何も出来ないのではないかと不安になった。
でも。こんな風に俺の存在全てを必要としてくれるから。本当はこのままじゃいけないのに、これで良いと思ってしまう。
後悔なんて言葉には程遠いけど。
愛されてると意味もなく実感してしまうのだ。
案外スピード狂な剛の運転は思いの他しっかりしていて、本当に眠くないのだと分かる。道路は平日の深夜と言う事もあって、閑散としていた。街灯の奇妙な明るさが、時間の感覚を麻痺させる。
ライトアップされた橋を渡って少し走ると、道路脇に静かに車が止められた。エンジンが止まるのを確認して車を降りようとすれば、それすらも剛は自由にしてくれない。わざわざ助手席側に回って扉を開けると、手を差し出された。
俺はお姫様かと笑う余裕も生まれずに、とても嬉しそうに笑っている顔を見上げたまま手を重ねてしまう。
剛はたまにこうして酷く自分を甘やかした。いつもいつも甘やかされている自覚もさすがにあるのだけれど、この甘さは痛みの方が近い。
彼の中にあるのは、優しくしたい情よりも俺を『自分の物』だと誇示したい独占欲だった。
今剛の生活には仕事と言うかドラマしかない。友達と会う事も趣味に没頭する事も許されなかった。
彼の中には何一つ自分の自由になるものがないから。潜在的に強くある独占欲が満たされないのだ。
だから多分、今剛は俺を『自分の物』にしたいんだと思う。何も自由にならないからせめて光一位は、なんて子供じみた欲を。
まあ、剛と違って今は忙しくないから、そんな我儘にも付き合ってやる事が出来た。自分のプライベートは、気紛れに連絡を寄越す剛の為だけにあるのかも知れない。
指先を引かれて、暗い海岸へと向かう。波の音が二人を包み込んで心地良かった。対岸に見えるネオンの明りよりも海の闇に目が眩む。
剛は、手を引かれたまま存在全てを委ねてくれる光一をそっと見詰めた。身体は本当に疲れているのに、こんなにも優しくしたくて甘やかしたくて。
それが彼に負担になると分かっていても。
「静かやなー」
潮風を受け細い髪を軽やかに乱しながら、光一が気持ち良さそうに言う。返す言葉を必要としない、夜に紛れてしまう呟きだった。柔らかい声は、多分に眠気を含んでいる。
幾らスケジュールに余裕があると言っても、彼だって疲れていない訳じゃなかった。こんな時間に連れ出して良い筈がない。
暗闇を映した瞳が淡く滲んで綺麗だった。散らばる毛先にゆっくりと手を伸ばす。
「……なん?」
光一が振り返る。世界中の何よりも綺麗なものだと思う。
こんな人が隣にずっといてくれる幸福を、自分は誰よりも分かっていなければならなかった。
少しだけ腕を引き寄せて、暗がりでも分かる程澄んだ瞳を覗き込む。確実に毎年綺麗になって行く彼を、ちゃんと自分は繋ぎ止めておけるのかいつも不安だった。消えることのない焦燥を内包したまま、縋るように愛を囁き続けるのだろう。
俺を見詰める光一の瞳は、普通ならば暗く濁ってしまいがちな底の方まで煌めいて光っていた。純粋を保ち続けるその目に自分が映っている事を確認する。其処に確かにある愛情に安堵して。
不意に訪れた静かな衝動のままに薄い身体を抱き上げた。
「うっわ!」
突然地面から離れた事に驚いた光一は、焦った声を上げる。上半身を支えるものがなくて、肩を思い切り掴まれた。
「痛いがな、光ちゃん」
声に笑いを強く滲ませて言うと、耳まで赤く染めて抗議する。
「お前が、変な事っ……!」
「光一、焦り過ぎ」
穏やかに笑ってみせれば酷く気分を害したようで、眉を顰めて唇を突き出した。そんな子供みたいな仕草が可愛くて堪らない。悔し紛れの言葉も子供の様だった。
「お前、ヘタレの癖にー」
「光一さんが軽過ぎるだけですよ。少し太った思ったのになあ」
最近頬の辺りがふっくらして来たし、抱き締めた時の身体の線が変わっていた。それでも細い事に変わりはないのだけど。
「もうええやろ。降ろしてや」
ぶっきらぼうな口調で突き放す様に言うのは、光一の照れ隠しだと知っている。そんな言葉に聞く耳等持たずで、抱き上げたまま脈絡のない会話を持ち出した。
「今日な、差し入れに果物があってん」
「……え?」
抱き上げられた気恥ずかしさに気を奪われていた光一は、反応が鈍い。
「くだもの……?」
酷く幼い発音で呟いた言葉に頷く。薄く開かれた唇を見詰めた。
「食べたら光ちゃんにどぉしても会いたなってん」
そう言うと、嬉しそうに表情を綻ばせて行く。予想通りの解釈の仕方に笑い出しそうになった。
多分光一は俺が『この果物美味しかったから光一にも食べさせたい』なんて思って、会いたくなったんじゃないかと思ったのだろう。隣にいない時間に俺が思い出す事を彼は喜ぶから。四六時中光一の事しか考えていないなんて思いもしない。そんな事を考えてきっと嬉しくなったのだろう。
でも、本当は違う。
当たり前の愛情等とっくに越えてしまった。俺が抱えているのはもっと深い、欲だ。
せっかくの綺麗な笑顔を不機嫌に歪めるのは嫌だけれど。そっと光一の唇を指先で辿って本当を渡す。
「果物食ってたら光一に似てるなあ思て」
「何が?」
「ん、味がな」
ふわふわの表情が分からないとでも言うように少し曇った。
「そしたらメッチャ光ちゃん食べたくなった」
光一を抱いている時に感じる甘さは、果物と同じ種類のもの。そう思ったらもう駄目だった。舌の上に残った甘みが、撮影中ずっと自分を苦しめるから。
会いに行こうと思った。
俺の言葉がやっと脳内で理解されたらしい。嫌な物でも見る様に光一の目付きが険しくなって行く。
「……お前、エロい」
「なぁんで。純粋やろ?フルーツなんて爽やかな感じやん」
「俺を食い物と一緒にすんな」
剛が俺のいない時間に俺を思い出してくれたのは、単純に嬉しい。けれど、発想がどうにも変態臭いのだ。
「やって、お前のケツ桃やしなあ。何処舐めても甘いし、唇なんかホンマに食ってまおうか思う位やし。乳首やって新鮮な……」
「っもおええ!」
俺が耐えられない言葉を選んで使っている。剛はどうしてかこんな身体に、と言うか尻に固執し過ぎだと思う。そりゃ、桃好きやけど。
……あかん、訳分からんくなってる。
「ええよ、分かった。どんなんが理由でも会いに来てくれたんは嬉しい」
最近少しずつ素直に言葉を渡す術を覚えて来た。剛が嬉しそうに笑うから、少し恥ずかしいけどそれも良いかななんて思うのだ。
「顔見たら絶対ヤりたくなると思って来たんやけど、会うだけで満足してもうた」
「剛さん、もう若くねーなー」
「阿呆か。お前とやったら俺はじいさんになってもヤれる自信あるで」
「そんな自信、必要あらへん」
笑いながら視線を絡めて、気持ちが重なり合うのを感じた。同時に自分が『剛の物』であると言う事も、強く。
きっと今一番の問題は、剛が俺を『自分の物』にしている事じゃなくて、そんな扱いを受けている事が苦痛じゃない自分だろう。『剛もの』になっている自分が嫌いではないのだ。
二人してどうしようもないと思いながら、今度こそ降ろして貰おうと足掻く。いい加減剛も腕の限界だったようで、すぐに離してくれた。
その代わり、強く引き寄せられて唇を奪われる。舐める様なキスの仕方は、もしかしたら今日食べた果物の味を思い出しているのかも知れない。
長い口付けの後、至近距離で見詰め合った。やたらと男前な剛の表情。口許だけを笑みの形にして。
「でもやっぱ、果物より光一の方が美味しいな」
果糖の甘みなんかじゃない、砂糖のかたまりみたいな言葉を平然と囁いた。
甘やかされて痛いだなんて。
幸せ以外の何物でもない。
二人だけのこの部屋は、いつでもままごとの気配。少しでも均衡を崩せば消えてしまう、脆く甘い匂いがした。
此処は、御伽話の世界。閉じられた綺羅綺羅の宝石箱の中。手を伸ばせば届く場所にある青い羽根。臆病な僕達は、まだ夢の途中にいる。
彼の寝起きの悪さにはもう慣れた。毎日繰り返される朝の光景に飽きない辺り、自分は良く出来た人間だと思う。間取り二Kの決して広くはない部屋に、剛の声が響き渡った。
「光一!朝やでー!ええ加減起きんと遅刻するわ」
まずは一回目。二人分の弁当を作る手は止めずに叫んだ。こんなもんで彼が起きる等とは勿論思っていない。低血圧で夜型人間の寝起きの悪さは、軽く想像を絶していた。
今日の弁当は、卵焼きとウインナーといんげんのバターソテー。定番メニューはたまに恋しくなるから不思議だ。未だ起きる気配のない光一の白米には、嫌味たらしくハート形に切った海苔を乗せた。我ながら繊細な出来栄えだと満足して、剛は朝食用のトーストをオーブンに入れると二回目に取り掛かる。
部屋の仕切りは全て襖だった。これではプライベートも何もあった物ではないと他人に眉を顰められた事もあったけれど、自分達にはこれ位が丁度良い。近過ぎる距離。安心出来る不可侵領域。二人肩を寄せ合って生きて行く為に必要な場所だった。
遠慮も何もなく襖を開ける。光一の部屋は、いつも簡素な雰囲気だった。六畳の空間には、本棚とアルミ製の机と小さな箪笥が一つ。本棚には、職業柄必要なPCシステムの雑誌と、捨てずに残された教育関連の書籍、そして剛の成長を記録した二人だけのアルバムが並んでいる。他の誰も映っていない、二人きりの密やかな記憶。
その部屋の中央に布団が敷かれている。寝汚い部屋の主は、毛布を抱きしめたまま身じろぎ一つしなかった。声を発する手前で一瞬躊躇する。
足下で蹲る小柄な姿に見蕩れた。寝癖で乱れた髪も少し伸びた髭も、布団からはみ出した骨張った足も、確かに男の物であるのに。毛布を掴んだ幼い指先や柔らかな髪の間から覗く額に僅かに残る傷跡、薄く開かれた誘う唇、晒された肌の発光しているかの様な白に。惑乱される。
不覚にも欲情し掛けた自分を自覚して、剛は焦った。制服の裾を握り締めて、己の劣情を遣り過ごす。あかんわ、俺。朝っぱらから何考えてんねん。自分の年齢を考えれば寧ろ当たり前の事なのだが、何せ相手が悪過ぎる。今はまだ、駄目だ。
すっと息を吸い込んで、今度こそ声を張り上げた。夢の世界にいる彼にもきちんと届く大声。近所迷惑にならないかと、密かに案じてはいるけれど。
「光一さーん!朝ですよー」
言いながら、細い身体を跨いで窓へ向かう。ベージュのカーテンを開ければ、心地良い朝の光が入って来た。彼にとっては、安眠を遮る強い明かり。
「……うー」
後ろから呻く声が聞こえて、剛は間髪入れずに光一を包んでいる毛布を剥がす。尚も呻きながら、やっと瞼を持ち上げた。
「お早う。目、覚めたか?」
「……はよ」
「そろそろ支度せんと、ホンマに遅刻するで」
「……んん」
ぐずる光一の腕を引いて、身体を起こしてやる。其処まで手伝えば、後は身体が勝手に動く筈だった。脳味噌が機能するのは、まだまだ先の事だ。起動の遅いコンピューター。
「俺もう行くかんな。弁当テーブルの上に置いてあるし、ワイシャツも其処に掛けてあるから」
「ありがと」
「なら、後でな」
「うん。……あ、何時?」
「三時半。遅刻せんといてな。昼休みに携帯に連絡入れよか?」
「大丈夫。お前の大事、やもん」
「……うん」
幼い響きで、それでも真面目な言葉を綴る。剛には、それが少し面白くなかった。贅沢な不機嫌だとは分かっていても、嫌な物は嫌なのだ。
「じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃーい」
ひらりと手を振る光一を視界の隅に残して、朝の光が射し込んだ部屋を出た。焼き上がったトーストにバターを塗って、口に銜える。制服のボタンを留めながら、剛は自分の状況に少し笑った。
朝にこんな時間の余裕がある男子高校生なんかおらんやろなあ。原因は確実に彼にある。睡眠第一と言えば聞こえは良いが、地震が起きても起きないだろう眠り方には辟易した。他の人間だったら、絶対に放っておく。
鞄に弁当を入れて、家を出た。安アパートの階段は、体重を掛ける度に軽快な音を立てる。住み慣れたこの街の玩具みたいなアパート。二人の記憶が全て詰まった場所だった。蒼天を見上げて、僅かに眉を顰める。強い光に目が眩んだのではなかった。自分と彼の距離を思う度、胸が疼く。
光一と剛の関係を示す言葉は簡単だった。戸籍にも勿論明記されている。俺達は、『親子』だった。
+++++
小さな手をぎゅっと握り締めていた。それははぐれない為の物だったし、不安そうな瞳を隠そうともしない子供が伸ばして来た温もりを受け止める為でもある。光一は、今もその体温を明確に思い出す事が出来た。
あの時は分からなかったけれど、今ならちゃんと分かる。現実を自分の愚かさを、逃げずに理解していた。繋いだ指の先で怯えていたのは自分の方だ。彼は、子供特有の敏感さで一番正しい方法、安心出来る術を差し出しただけ。
東京行きの最終の新幹線だった。新神戸駅のホームは寒くて、剛にもう一枚着させるべきだったと後悔する。自分の荷物は全て先に送ってしまった。肩から掛けているスポーツバックの中は、剛の物しか入っていない。もう二度とあの家に帰る事はないかも知れないから、と持ち出したい物を全部入れさせた。全部とは言っても、決して多い量ではない。元々持っている物の少なさを示すだけだった。
「寒ない?」
「平気。光ちゃんは?手、冷たいで」
繋いだ指先を引っ張って問われる。吐き出す息がぞっとする程白かった。
「大丈夫や。俺、元々冷たいねん」
「そうなん?やったら僕があっためたるわ」
言って笑う剛の目許と口許には、痛々しい傷が残っていた。彼の父親が付けた暴力の証だ。
ホームに新幹線が滑り込んで来た。手を繋いだまま自由席の車両に乗り込んで席を確保する。窓側に剛を座らせた。シートに凭れると、ほっと息を吐いたのに気付く。緊張しているのだろう。
一週間前の夜、いつもの様に傷の手当をして一緒に夕食を食べている時だった。母親は、剛の父親に再三の勧告を言いに出ている。児童福祉士を長い事続けている母にとって、近所の家庭環境は放っておけなかったのだろう。自分は多分、そんな母親の影響でこの子供が気になっているんだと思う。
口の傷に染みるだろうと少し冷ました食事を剛は黙って食べていた。あの父親と二人では、普段碌な物を食べていない筈だ。
「美味しい?」
光一の問い掛けに剛は頷く。食べる事に夢中な感じだった。子供らしい、本能に忠実な行動。
「……なあ」
呼び掛ければ、視線だけを向けて来る。目を合わせて、光一は少し躊躇った。子供の瞳、肉親に傷付けられても濁る事のない純真な色を持っている。彼に、果たして告げても良い事なのだろうか。
自分は来週、東京へ引っ越す事が決まっている。大学生活を終えて、社会人になる為だった。警備会社のシステムエンジニアとして働き始めるのだ。本来なら、言うべきはお別れの言葉の筈だった。
「何?光ちゃん」
言葉の続きを待っていた剛に促される。その小さな身体の至る所に傷があるのに、彼の目は人を信じる強さを持っていた。環境も何も関係ない、この子供が持っている強い性質だ。
「うん、俺な東京で就職するんよ」
「……そーなん」
吃驚した顔に安堵した心は、罪に値するだろうか。大人の卑怯を、彼は受容してくれるだろうか。
「でな、剛さえ良かったら……」
少なくとも、小学四年生の子供に言って良い台詞ではなかった。頭では分かっているのに、言葉は身勝手に零れて行く。
「俺と一緒に、行かへん?」
目を見る事は出来なかった。一瞬の空白が、光一には永遠の審判の様に感じられる。唇を噛み締めようとした瞬間、呆気無く返答が落ちて来た。目の前には、光がある。
「うん、ええよ」
まるで、明日遊ぶ約束をしたみたいな軽い同意だった。視線を向けると、大人びた表情で笑っていた。幼い顔に浮かぶ理知的な色に、怯む。
「光ちゃんが連れ出してくれるんやろ?それやったら、東京でもアメリカでも何処でもええ。あの家やなければ、構へん」
答えた言葉は真剣だった。自分の言葉の意味をしっかり受け止めている。理解して考えて出してくれた結論だ。自分の中にある迷いや罪悪が綺麗に浄化されて行く感覚。剛を、このしっかりした強い子供を、自分が守るのだ。
「剛、一緒に行こう。一緒に生きよう」
窓の外は暗い。時々明かりが直線を引いては消えて行った。剛は深く眠っている。その表情に翳りは見られなかった。指先は緩く絡めたまま、膝の上にある。
もうすぐ名古屋に着く筈だった。剛がいなくなった事に、あの父親は気付くだろうか。ちょっと考えて、すぐに無理だと結論付ける。いなくなった事に気付ける位の人間だったら、息子を奪う様な真似はしなかった。この手を取ってしまった以上、手放す気はない。
多分一番に母親から連絡があるだろう。逃げない事は決めている。本当はそれが浅はかで無謀な事も知っていた。実の親子を引き離すのが難しい事位、母の仕事を見ていれば簡単に分かる。
今の児童福祉法や児童養護施設に、剛を守る事は出来なかった。ならいっそ、自分が守ってみせる。誘拐犯になっても構わなかった。何を犠牲にしても、この小さな手を守り抜きたい。
社会人にすらなっていない光一が、剛と二人で生活するのは困難だった。逃げ出したあの夜から八年の月日が経っている。二人の生活を支えたのは、沢山の優しい大人達が差し伸べた手によってだった。
あの時の不安も芽生えた罪悪も、胸の裡にある。けれど何より強いのは、繋いだ指先を離さないと言う使命感だった。剛は、自分が大人にする。それだけが、自分の夢であり希望だった。
+++++
会社に着いて、まず早退届を提出する事から始めた。随分前に上司には伝えてある。書類上必要な形式的な作業だった。
本部で勤務している光一は、直接警備とは関係がない。警備用のシステムのメンテナンスを主に担当していた。設置している施設への外回りはあるけれど、内勤が多くシステム異常等の緊急事態にならない限りは定時で帰る事が出来る。まだ学生の剛と生活するのには、丁度良い職場環境だった。
書類を提出しに行く為に廊下を歩いていると、後ろから騒音とも呼べる程の大きな足音が近付いて来る。振り返るより先に、足音の持ち主が光一を捕えた。
「光一ー!おっはよー!」
不意の襲撃を受けて、前のめりによろめく。後ろからこんな大男に乗られては、潰れてしまうではないか。不満たっぷりの声を同僚にぶつけた。勿論そんな言葉が通用しない相手である事は、経験から十分分かっている。
「長瀬!重いっちゅーねん」
「えー、朝のスキンシップじゃーん」
蛇に睨まれた蛙の様に肩を竦めて、大男は渋々離れて行った。大型犬が飼い主に叱られたみたいな表情は可愛い。しょうがないなあと言う気分にさせるのだから、侮れない奴だとは思っていた。
彼は、職場で唯一気の置けない存在だ。と言うよりも、上京した光一の数少ない友人だった。何で其処で親友って言わないかなーと、心の中を読まれていたら突っ込まれるだろう。
「ウチの子達は全然嫌がんないよ?パパーって大はしゃぎだぜー」
「子供と俺を一緒にすんな」
連れ立って歩きながら、背の高い彼を睨み付ける。身長差が邪魔をして、まあそれ以前に光一の顔立ちが愛らしい小動物と同じ物で出来ているから、そんな顔されても怖くない、と言うのが長瀬の意見だった。睨む友人の瞳は可愛いから、余計な事は言わないけれど。
長瀬と光一の始まりは、入社してすぐの事だった。光一は今でも最初の事を覚えている。新人研修の時に馴れ馴れしく声を掛けられた。同期は他に何人もいたし、長身で目立っていた彼がわざわざ女子にさえ埋もれてしまうんじゃないかと言う(身長は同じ位だけど、勢い的に)自分に真っ直ぐ向かって来る意味が分からない。仲良くなって来た今でも理解出来なかった。
だって、光一がダントツで好みだったんだもん。あっけらかんと言う長瀬は良い奴だと思うが、言っている事が自分の常識の範囲を超えていた。それでも仲良くなれたのだから、自分もこの規格外の男が好きなのだろう。
彼の押しの強さは関西の物に似ていた。当時はホームシックになるどころではなかったから思い当たらなかったけれど、多分その懐かしさに惹かれたのかも知れない。強気な姿勢が余り得意ではない自分が、最初から彼の存在を疎ましいと思わなかった。全然タイプの違う人間だけど、波長が合うと言った感じかも知れない。
一緒に行われた研修だが、自分はシステム管理に長瀬は警備部に入ったから、なかなか会う事は出来なかった。人付き合いの苦手な自分がそれでも関係を続けていられるのは、この友人が見た目の印象よりもずっと繊細で几帳面だからだろう。定時で上がれる自分と違って、四十八時間勤務もこなす警備部は想像以上に大変だと思う。警備の仕事を元気に続けられるのは、守る者がいるせいかも知れなかった。
ちなみに今は二人の娘に溺愛中で、親友と豪語される自分でも余り構って貰えなかったりする。全然構わないのだけど、ほんの少し寂しいと思ってしまうのは、自分の性質が我儘だからだった。
こんなお父さんやったら、子供は大らかに育つやろな。また他の家族と比較しそうになって、慌ててその思考を追い払った。他人と自分を比べるのは悪い癖だ。剛にも嗜められた事がある。他人は他人、ウチはウチ。強い息子の言葉を思い出して、弱気な思考を追い払った。
「何?光一。今日早退すんの」
手に持った書類を覗き込まれる。綺麗とは言えない署名と、形式通りの書面。
「うん。今日、三者面談やねん」
「あー、剛の。あいつ幾つだっけ?」
「おっちゃん、それこの間も聞いたで。高三、受験生」
「ごめんごめん。俺、頭悪いからさ。そっかー、あいつもそんな大きくなったか。そりゃ、俺も年取る訳だ」
長瀬は、剛が中一の時から知っている。面倒見が良く情の厚い彼は、自分達の生活を知ってから何気なく気に掛けてくれていた。異質な親子関係に口を挟むでもなく、旅行に行けば二人分のお土産を買って来てくれたし、インドアな養父の知らない遊びにも躊躇なく誘ってくれる。
親友の大事なもんは、俺にも大事。シンプルな発想で生きている長瀬に何度も救われていた。
「長瀬は初めて会った時から変わってへんよ。年取ったようにも見えん」
「それは光一だろ。お前年々若返ってく気するんだけど」
「そんな事あらへんわ。おっさんやもん」
「うん、知ってる。じゃなくて、見た目とか。入社したてん時とか、髪きっちり分けてて、スーツじゃない時も色のない物ばっか着ててさ。手とか唇とか荒れててもクリーム塗るの嫌がってたし。勿体無いなあって思ってた」
「……よぉ覚えとんな」
あの頃は生きる為に精一杯だった。連れ出した幼い命を自分の手で守りたくて、自分自身の事なんてどうでも良かったのだ。今も本当はどうでも良いと思っていた。元々関心がないと言う自覚はある。
「でも、最近変わったよね。ネクタイの趣味も違うし、前髪可愛いし」
「可愛いって言うな」
「剛のおかげなんだろうな。全部あいつがやってるんだろ」
「……何で分かるん」
吃驚した顔で見詰められると、苦笑するしかない。何年自称親友を続けていると思っているのだ。光一の身体にフィットする細身のスーツも、物が入っていれば紙袋でも構わないと言う思考の人が持つには機能的なバッグも、ふわりと香るシャンプーの匂いも、丁寧にファイリングされた爪も全部。
無頓着な光一が出来る事ではなかった。父親の世話を進んで焼いている、マメで凝り性な息子の顔を思い出す。きっと、美容院すら一緒に行って美容師に要望を言っているに違いなかった。顔の周りでバランス良く揺れる茶色の髪は、彼の年齢を分からなくさせる。
「剛は、親の手伝いやから当たり前やって言うんやけどね」
「お前ら、段々どっちが親でどっちが子供か分かんなくなって来たな」
言った途端、長瀬は後悔した。光一が立ち止まって傷付いた顔を見せる。悲しい瞳。彼の黒い目は吸い込まれそうに綺麗だけれど、いつも罪悪の色があった。消えないその色の原因を知っている。
「……そうやね。剛はしっかりしてるからなあ。しっかりせな、あかんかったから」
「光一」
「あの子をゆっくり育てたいって思ったのに、結局俺が大人になるの急かしてる」
「光一、お前のせいじゃない。おいつは元々しっかりした人間なんだ。知ってるだろ」
「うん。向こうにいた時から、しっかりした子供やった」
剛は、自分がきちんとしていなければ家庭環境のせいにされる事を分かっている。あんな若い父親だから、と光一に責任を向けられる事を酷く嫌がった。
「今日の三面って、進路の話?」
「うん」
「剛は、どうすんの」
「……分からん」
暗く沈んだ声。傷付いた顔をさせたくなかった。
「話してないの」
「話そうとは、してる。でも言うてくれん。もう俺は自分の進路位自分で決められる年やから、って。ちゃんと決められたら話もするって。それっきりや」
剛が光一に話さないなんて、あり得ない事だった。この父親は連れ出してしまったその日から、不必要な罪悪感を抱いているせいで、時々過剰かと思う程息子になった子供の事を理解しようと必死になる。全て理解している事が義務だとでも言うように。
そんな光一の心を知ってか知らずか、剛は自分の事を何でも話した。学校であった事、夜中に布団の中で考えた事、街で聞いた音楽が良かった事、釣りに行って何が釣れたのか、帰り道に見上げた空の神秘的な色も。何もかも、自分を形成する全ての事を伝えていた。
基本的にこの二人に隠し事はない。光一は余り自分の事を話さないけれど、それは黙っているだけで嘘や誤摩化しはしない人だった。
だから、剛の行動は可笑しい。初めての事かも知れない。何か考えがあっての事なのは間違いないだろうが、暗い表情で思い詰める親友を見て掛ける言葉は何も見付からなかった。
+++++
柔らかな陽射しが射し込む菜園は、剛達のお気に入りだった。学校内の敷地に於いて、これ以上完璧な優しさを有している場所はない。と言うのが親友の見解だった。
緑が褪せ始め少し肌寒くなっても、昼休みは此処で過ごしている。口数の少ない親友は、本を捲りながら、大して美味しくなさそうにパンを齧っていた。食事に楽しみを見出さない所は、あの養父と似ている。彼の事を思い出して、それから午後の憂鬱な予定を思って、剛は深い溜め息を吐いた。
「……どうしたん」
やっと本から顔を上げて、隣で膝を抱える陰気な人を見詰める。相談したいのなら、素直に言えば良いのに。手を差し伸べるように仕組む癖は、あの人の甘い教育の賜物だ。
彼なりに厳しく育てたつもりなのだろうが、最後の最後で甘さが残った。社会的には問題がないし、何より結局苦しむのは優しい彼なのだ。自分が嗜める事でもなかった。
「岡田ぁ、俺どないしよ」
「何が」
「まだ、進路の話してないねん」
「……ホンマに?」
黒い双眸を瞬かせて、信じられないと言う表情を作った。まさかとは思っていたのだが。決意を固めているのに言葉にしないのは罪に値する。少なくとも、剛と光一にとっては。
他人だからこそ、目を見ても手に触れても通じない。通じ合わせてはいけない。だから、どんな些細な事でも告げようと言うのが彼らのルールだった。
「言おう言おうとは思ってたんやけど、言えんくて」
「光一君は、大学進学希望しとんのやろ」
「ぉん。公立でも私立でも構わないから、行きたいとこ行けって」
「……ホンマ、良いお父さんやなあ。今時言えへんで、そんなん」
感心した口振りに剛は嬉しくなる。自分の大切な人が誉められるのは、優越感だった。慣れた感覚のまま笑おうとして失敗する。その、『良い父親』こそが今自分を苦しめているものだった。
相反する感情に結局剛は表情を消す。優しさも苦痛も、自分の中にある感情を左右するのは光一だけだった。小さな頃からずっと、自分の行動原理は彼にある。
「良い父親なんかやなくてもええねん」
「それでも、光一君は剛君の父親や。良い父親であろうとしてくれてるんやよ」
静かな声で岡田は嗜める。ついこの間合った時も優しい目で「学校どうなん?」と聞かれた。自分には入り込めない場所での息子の事を心配している真っ直ぐな感情だ。大切にしている愛情しか見出せない瞳。
岡田は、自分で認識している以上に彼の事を気にしているのだと知った。不器用な仕草で、でも迷わない意思の中剛だけに向けられる白い手が好きだ。
「分かってる。ずっと分かってたつもりやし、これからもちゃんと親子でいなきゃあかん事も知ってるんや」
剛は、自分の養父である人を愛してしまった。十八にもなれば、自分の恋が気の迷いではない事位分かる。幼い頃から面倒を見てくれた人だ。自分が他人を怖がらずに受け入れられるのは、彼のおかげだった。
此処は、御伽話の世界。閉じられた綺羅綺羅の宝石箱の中。手を伸ばせば届く場所にある青い羽根。臆病な僕達は、まだ夢の途中にいる。
彼の寝起きの悪さにはもう慣れた。毎日繰り返される朝の光景に飽きない辺り、自分は良く出来た人間だと思う。間取り二Kの決して広くはない部屋に、剛の声が響き渡った。
「光一!朝やでー!ええ加減起きんと遅刻するわ」
まずは一回目。二人分の弁当を作る手は止めずに叫んだ。こんなもんで彼が起きる等とは勿論思っていない。低血圧で夜型人間の寝起きの悪さは、軽く想像を絶していた。
今日の弁当は、卵焼きとウインナーといんげんのバターソテー。定番メニューはたまに恋しくなるから不思議だ。未だ起きる気配のない光一の白米には、嫌味たらしくハート形に切った海苔を乗せた。我ながら繊細な出来栄えだと満足して、剛は朝食用のトーストをオーブンに入れると二回目に取り掛かる。
部屋の仕切りは全て襖だった。これではプライベートも何もあった物ではないと他人に眉を顰められた事もあったけれど、自分達にはこれ位が丁度良い。近過ぎる距離。安心出来る不可侵領域。二人肩を寄せ合って生きて行く為に必要な場所だった。
遠慮も何もなく襖を開ける。光一の部屋は、いつも簡素な雰囲気だった。六畳の空間には、本棚とアルミ製の机と小さな箪笥が一つ。本棚には、職業柄必要なPCシステムの雑誌と、捨てずに残された教育関連の書籍、そして剛の成長を記録した二人だけのアルバムが並んでいる。他の誰も映っていない、二人きりの密やかな記憶。
その部屋の中央に布団が敷かれている。寝汚い部屋の主は、毛布を抱きしめたまま身じろぎ一つしなかった。声を発する手前で一瞬躊躇する。
足下で蹲る小柄な姿に見蕩れた。寝癖で乱れた髪も少し伸びた髭も、布団からはみ出した骨張った足も、確かに男の物であるのに。毛布を掴んだ幼い指先や柔らかな髪の間から覗く額に僅かに残る傷跡、薄く開かれた誘う唇、晒された肌の発光しているかの様な白に。惑乱される。
不覚にも欲情し掛けた自分を自覚して、剛は焦った。制服の裾を握り締めて、己の劣情を遣り過ごす。あかんわ、俺。朝っぱらから何考えてんねん。自分の年齢を考えれば寧ろ当たり前の事なのだが、何せ相手が悪過ぎる。今はまだ、駄目だ。
すっと息を吸い込んで、今度こそ声を張り上げた。夢の世界にいる彼にもきちんと届く大声。近所迷惑にならないかと、密かに案じてはいるけれど。
「光一さーん!朝ですよー」
言いながら、細い身体を跨いで窓へ向かう。ベージュのカーテンを開ければ、心地良い朝の光が入って来た。彼にとっては、安眠を遮る強い明かり。
「……うー」
後ろから呻く声が聞こえて、剛は間髪入れずに光一を包んでいる毛布を剥がす。尚も呻きながら、やっと瞼を持ち上げた。
「お早う。目、覚めたか?」
「……はよ」
「そろそろ支度せんと、ホンマに遅刻するで」
「……んん」
ぐずる光一の腕を引いて、身体を起こしてやる。其処まで手伝えば、後は身体が勝手に動く筈だった。脳味噌が機能するのは、まだまだ先の事だ。起動の遅いコンピューター。
「俺もう行くかんな。弁当テーブルの上に置いてあるし、ワイシャツも其処に掛けてあるから」
「ありがと」
「なら、後でな」
「うん。……あ、何時?」
「三時半。遅刻せんといてな。昼休みに携帯に連絡入れよか?」
「大丈夫。お前の大事、やもん」
「……うん」
幼い響きで、それでも真面目な言葉を綴る。剛には、それが少し面白くなかった。贅沢な不機嫌だとは分かっていても、嫌な物は嫌なのだ。
「じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃーい」
ひらりと手を振る光一を視界の隅に残して、朝の光が射し込んだ部屋を出た。焼き上がったトーストにバターを塗って、口に銜える。制服のボタンを留めながら、剛は自分の状況に少し笑った。
朝にこんな時間の余裕がある男子高校生なんかおらんやろなあ。原因は確実に彼にある。睡眠第一と言えば聞こえは良いが、地震が起きても起きないだろう眠り方には辟易した。他の人間だったら、絶対に放っておく。
鞄に弁当を入れて、家を出た。安アパートの階段は、体重を掛ける度に軽快な音を立てる。住み慣れたこの街の玩具みたいなアパート。二人の記憶が全て詰まった場所だった。蒼天を見上げて、僅かに眉を顰める。強い光に目が眩んだのではなかった。自分と彼の距離を思う度、胸が疼く。
光一と剛の関係を示す言葉は簡単だった。戸籍にも勿論明記されている。俺達は、『親子』だった。
+++++
小さな手をぎゅっと握り締めていた。それははぐれない為の物だったし、不安そうな瞳を隠そうともしない子供が伸ばして来た温もりを受け止める為でもある。光一は、今もその体温を明確に思い出す事が出来た。
あの時は分からなかったけれど、今ならちゃんと分かる。現実を自分の愚かさを、逃げずに理解していた。繋いだ指の先で怯えていたのは自分の方だ。彼は、子供特有の敏感さで一番正しい方法、安心出来る術を差し出しただけ。
東京行きの最終の新幹線だった。新神戸駅のホームは寒くて、剛にもう一枚着させるべきだったと後悔する。自分の荷物は全て先に送ってしまった。肩から掛けているスポーツバックの中は、剛の物しか入っていない。もう二度とあの家に帰る事はないかも知れないから、と持ち出したい物を全部入れさせた。全部とは言っても、決して多い量ではない。元々持っている物の少なさを示すだけだった。
「寒ない?」
「平気。光ちゃんは?手、冷たいで」
繋いだ指先を引っ張って問われる。吐き出す息がぞっとする程白かった。
「大丈夫や。俺、元々冷たいねん」
「そうなん?やったら僕があっためたるわ」
言って笑う剛の目許と口許には、痛々しい傷が残っていた。彼の父親が付けた暴力の証だ。
ホームに新幹線が滑り込んで来た。手を繋いだまま自由席の車両に乗り込んで席を確保する。窓側に剛を座らせた。シートに凭れると、ほっと息を吐いたのに気付く。緊張しているのだろう。
一週間前の夜、いつもの様に傷の手当をして一緒に夕食を食べている時だった。母親は、剛の父親に再三の勧告を言いに出ている。児童福祉士を長い事続けている母にとって、近所の家庭環境は放っておけなかったのだろう。自分は多分、そんな母親の影響でこの子供が気になっているんだと思う。
口の傷に染みるだろうと少し冷ました食事を剛は黙って食べていた。あの父親と二人では、普段碌な物を食べていない筈だ。
「美味しい?」
光一の問い掛けに剛は頷く。食べる事に夢中な感じだった。子供らしい、本能に忠実な行動。
「……なあ」
呼び掛ければ、視線だけを向けて来る。目を合わせて、光一は少し躊躇った。子供の瞳、肉親に傷付けられても濁る事のない純真な色を持っている。彼に、果たして告げても良い事なのだろうか。
自分は来週、東京へ引っ越す事が決まっている。大学生活を終えて、社会人になる為だった。警備会社のシステムエンジニアとして働き始めるのだ。本来なら、言うべきはお別れの言葉の筈だった。
「何?光ちゃん」
言葉の続きを待っていた剛に促される。その小さな身体の至る所に傷があるのに、彼の目は人を信じる強さを持っていた。環境も何も関係ない、この子供が持っている強い性質だ。
「うん、俺な東京で就職するんよ」
「……そーなん」
吃驚した顔に安堵した心は、罪に値するだろうか。大人の卑怯を、彼は受容してくれるだろうか。
「でな、剛さえ良かったら……」
少なくとも、小学四年生の子供に言って良い台詞ではなかった。頭では分かっているのに、言葉は身勝手に零れて行く。
「俺と一緒に、行かへん?」
目を見る事は出来なかった。一瞬の空白が、光一には永遠の審判の様に感じられる。唇を噛み締めようとした瞬間、呆気無く返答が落ちて来た。目の前には、光がある。
「うん、ええよ」
まるで、明日遊ぶ約束をしたみたいな軽い同意だった。視線を向けると、大人びた表情で笑っていた。幼い顔に浮かぶ理知的な色に、怯む。
「光ちゃんが連れ出してくれるんやろ?それやったら、東京でもアメリカでも何処でもええ。あの家やなければ、構へん」
答えた言葉は真剣だった。自分の言葉の意味をしっかり受け止めている。理解して考えて出してくれた結論だ。自分の中にある迷いや罪悪が綺麗に浄化されて行く感覚。剛を、このしっかりした強い子供を、自分が守るのだ。
「剛、一緒に行こう。一緒に生きよう」
窓の外は暗い。時々明かりが直線を引いては消えて行った。剛は深く眠っている。その表情に翳りは見られなかった。指先は緩く絡めたまま、膝の上にある。
もうすぐ名古屋に着く筈だった。剛がいなくなった事に、あの父親は気付くだろうか。ちょっと考えて、すぐに無理だと結論付ける。いなくなった事に気付ける位の人間だったら、息子を奪う様な真似はしなかった。この手を取ってしまった以上、手放す気はない。
多分一番に母親から連絡があるだろう。逃げない事は決めている。本当はそれが浅はかで無謀な事も知っていた。実の親子を引き離すのが難しい事位、母の仕事を見ていれば簡単に分かる。
今の児童福祉法や児童養護施設に、剛を守る事は出来なかった。ならいっそ、自分が守ってみせる。誘拐犯になっても構わなかった。何を犠牲にしても、この小さな手を守り抜きたい。
社会人にすらなっていない光一が、剛と二人で生活するのは困難だった。逃げ出したあの夜から八年の月日が経っている。二人の生活を支えたのは、沢山の優しい大人達が差し伸べた手によってだった。
あの時の不安も芽生えた罪悪も、胸の裡にある。けれど何より強いのは、繋いだ指先を離さないと言う使命感だった。剛は、自分が大人にする。それだけが、自分の夢であり希望だった。
+++++
会社に着いて、まず早退届を提出する事から始めた。随分前に上司には伝えてある。書類上必要な形式的な作業だった。
本部で勤務している光一は、直接警備とは関係がない。警備用のシステムのメンテナンスを主に担当していた。設置している施設への外回りはあるけれど、内勤が多くシステム異常等の緊急事態にならない限りは定時で帰る事が出来る。まだ学生の剛と生活するのには、丁度良い職場環境だった。
書類を提出しに行く為に廊下を歩いていると、後ろから騒音とも呼べる程の大きな足音が近付いて来る。振り返るより先に、足音の持ち主が光一を捕えた。
「光一ー!おっはよー!」
不意の襲撃を受けて、前のめりによろめく。後ろからこんな大男に乗られては、潰れてしまうではないか。不満たっぷりの声を同僚にぶつけた。勿論そんな言葉が通用しない相手である事は、経験から十分分かっている。
「長瀬!重いっちゅーねん」
「えー、朝のスキンシップじゃーん」
蛇に睨まれた蛙の様に肩を竦めて、大男は渋々離れて行った。大型犬が飼い主に叱られたみたいな表情は可愛い。しょうがないなあと言う気分にさせるのだから、侮れない奴だとは思っていた。
彼は、職場で唯一気の置けない存在だ。と言うよりも、上京した光一の数少ない友人だった。何で其処で親友って言わないかなーと、心の中を読まれていたら突っ込まれるだろう。
「ウチの子達は全然嫌がんないよ?パパーって大はしゃぎだぜー」
「子供と俺を一緒にすんな」
連れ立って歩きながら、背の高い彼を睨み付ける。身長差が邪魔をして、まあそれ以前に光一の顔立ちが愛らしい小動物と同じ物で出来ているから、そんな顔されても怖くない、と言うのが長瀬の意見だった。睨む友人の瞳は可愛いから、余計な事は言わないけれど。
長瀬と光一の始まりは、入社してすぐの事だった。光一は今でも最初の事を覚えている。新人研修の時に馴れ馴れしく声を掛けられた。同期は他に何人もいたし、長身で目立っていた彼がわざわざ女子にさえ埋もれてしまうんじゃないかと言う(身長は同じ位だけど、勢い的に)自分に真っ直ぐ向かって来る意味が分からない。仲良くなって来た今でも理解出来なかった。
だって、光一がダントツで好みだったんだもん。あっけらかんと言う長瀬は良い奴だと思うが、言っている事が自分の常識の範囲を超えていた。それでも仲良くなれたのだから、自分もこの規格外の男が好きなのだろう。
彼の押しの強さは関西の物に似ていた。当時はホームシックになるどころではなかったから思い当たらなかったけれど、多分その懐かしさに惹かれたのかも知れない。強気な姿勢が余り得意ではない自分が、最初から彼の存在を疎ましいと思わなかった。全然タイプの違う人間だけど、波長が合うと言った感じかも知れない。
一緒に行われた研修だが、自分はシステム管理に長瀬は警備部に入ったから、なかなか会う事は出来なかった。人付き合いの苦手な自分がそれでも関係を続けていられるのは、この友人が見た目の印象よりもずっと繊細で几帳面だからだろう。定時で上がれる自分と違って、四十八時間勤務もこなす警備部は想像以上に大変だと思う。警備の仕事を元気に続けられるのは、守る者がいるせいかも知れなかった。
ちなみに今は二人の娘に溺愛中で、親友と豪語される自分でも余り構って貰えなかったりする。全然構わないのだけど、ほんの少し寂しいと思ってしまうのは、自分の性質が我儘だからだった。
こんなお父さんやったら、子供は大らかに育つやろな。また他の家族と比較しそうになって、慌ててその思考を追い払った。他人と自分を比べるのは悪い癖だ。剛にも嗜められた事がある。他人は他人、ウチはウチ。強い息子の言葉を思い出して、弱気な思考を追い払った。
「何?光一。今日早退すんの」
手に持った書類を覗き込まれる。綺麗とは言えない署名と、形式通りの書面。
「うん。今日、三者面談やねん」
「あー、剛の。あいつ幾つだっけ?」
「おっちゃん、それこの間も聞いたで。高三、受験生」
「ごめんごめん。俺、頭悪いからさ。そっかー、あいつもそんな大きくなったか。そりゃ、俺も年取る訳だ」
長瀬は、剛が中一の時から知っている。面倒見が良く情の厚い彼は、自分達の生活を知ってから何気なく気に掛けてくれていた。異質な親子関係に口を挟むでもなく、旅行に行けば二人分のお土産を買って来てくれたし、インドアな養父の知らない遊びにも躊躇なく誘ってくれる。
親友の大事なもんは、俺にも大事。シンプルな発想で生きている長瀬に何度も救われていた。
「長瀬は初めて会った時から変わってへんよ。年取ったようにも見えん」
「それは光一だろ。お前年々若返ってく気するんだけど」
「そんな事あらへんわ。おっさんやもん」
「うん、知ってる。じゃなくて、見た目とか。入社したてん時とか、髪きっちり分けてて、スーツじゃない時も色のない物ばっか着ててさ。手とか唇とか荒れててもクリーム塗るの嫌がってたし。勿体無いなあって思ってた」
「……よぉ覚えとんな」
あの頃は生きる為に精一杯だった。連れ出した幼い命を自分の手で守りたくて、自分自身の事なんてどうでも良かったのだ。今も本当はどうでも良いと思っていた。元々関心がないと言う自覚はある。
「でも、最近変わったよね。ネクタイの趣味も違うし、前髪可愛いし」
「可愛いって言うな」
「剛のおかげなんだろうな。全部あいつがやってるんだろ」
「……何で分かるん」
吃驚した顔で見詰められると、苦笑するしかない。何年自称親友を続けていると思っているのだ。光一の身体にフィットする細身のスーツも、物が入っていれば紙袋でも構わないと言う思考の人が持つには機能的なバッグも、ふわりと香るシャンプーの匂いも、丁寧にファイリングされた爪も全部。
無頓着な光一が出来る事ではなかった。父親の世話を進んで焼いている、マメで凝り性な息子の顔を思い出す。きっと、美容院すら一緒に行って美容師に要望を言っているに違いなかった。顔の周りでバランス良く揺れる茶色の髪は、彼の年齢を分からなくさせる。
「剛は、親の手伝いやから当たり前やって言うんやけどね」
「お前ら、段々どっちが親でどっちが子供か分かんなくなって来たな」
言った途端、長瀬は後悔した。光一が立ち止まって傷付いた顔を見せる。悲しい瞳。彼の黒い目は吸い込まれそうに綺麗だけれど、いつも罪悪の色があった。消えないその色の原因を知っている。
「……そうやね。剛はしっかりしてるからなあ。しっかりせな、あかんかったから」
「光一」
「あの子をゆっくり育てたいって思ったのに、結局俺が大人になるの急かしてる」
「光一、お前のせいじゃない。おいつは元々しっかりした人間なんだ。知ってるだろ」
「うん。向こうにいた時から、しっかりした子供やった」
剛は、自分がきちんとしていなければ家庭環境のせいにされる事を分かっている。あんな若い父親だから、と光一に責任を向けられる事を酷く嫌がった。
「今日の三面って、進路の話?」
「うん」
「剛は、どうすんの」
「……分からん」
暗く沈んだ声。傷付いた顔をさせたくなかった。
「話してないの」
「話そうとは、してる。でも言うてくれん。もう俺は自分の進路位自分で決められる年やから、って。ちゃんと決められたら話もするって。それっきりや」
剛が光一に話さないなんて、あり得ない事だった。この父親は連れ出してしまったその日から、不必要な罪悪感を抱いているせいで、時々過剰かと思う程息子になった子供の事を理解しようと必死になる。全て理解している事が義務だとでも言うように。
そんな光一の心を知ってか知らずか、剛は自分の事を何でも話した。学校であった事、夜中に布団の中で考えた事、街で聞いた音楽が良かった事、釣りに行って何が釣れたのか、帰り道に見上げた空の神秘的な色も。何もかも、自分を形成する全ての事を伝えていた。
基本的にこの二人に隠し事はない。光一は余り自分の事を話さないけれど、それは黙っているだけで嘘や誤摩化しはしない人だった。
だから、剛の行動は可笑しい。初めての事かも知れない。何か考えがあっての事なのは間違いないだろうが、暗い表情で思い詰める親友を見て掛ける言葉は何も見付からなかった。
+++++
柔らかな陽射しが射し込む菜園は、剛達のお気に入りだった。学校内の敷地に於いて、これ以上完璧な優しさを有している場所はない。と言うのが親友の見解だった。
緑が褪せ始め少し肌寒くなっても、昼休みは此処で過ごしている。口数の少ない親友は、本を捲りながら、大して美味しくなさそうにパンを齧っていた。食事に楽しみを見出さない所は、あの養父と似ている。彼の事を思い出して、それから午後の憂鬱な予定を思って、剛は深い溜め息を吐いた。
「……どうしたん」
やっと本から顔を上げて、隣で膝を抱える陰気な人を見詰める。相談したいのなら、素直に言えば良いのに。手を差し伸べるように仕組む癖は、あの人の甘い教育の賜物だ。
彼なりに厳しく育てたつもりなのだろうが、最後の最後で甘さが残った。社会的には問題がないし、何より結局苦しむのは優しい彼なのだ。自分が嗜める事でもなかった。
「岡田ぁ、俺どないしよ」
「何が」
「まだ、進路の話してないねん」
「……ホンマに?」
黒い双眸を瞬かせて、信じられないと言う表情を作った。まさかとは思っていたのだが。決意を固めているのに言葉にしないのは罪に値する。少なくとも、剛と光一にとっては。
他人だからこそ、目を見ても手に触れても通じない。通じ合わせてはいけない。だから、どんな些細な事でも告げようと言うのが彼らのルールだった。
「言おう言おうとは思ってたんやけど、言えんくて」
「光一君は、大学進学希望しとんのやろ」
「ぉん。公立でも私立でも構わないから、行きたいとこ行けって」
「……ホンマ、良いお父さんやなあ。今時言えへんで、そんなん」
感心した口振りに剛は嬉しくなる。自分の大切な人が誉められるのは、優越感だった。慣れた感覚のまま笑おうとして失敗する。その、『良い父親』こそが今自分を苦しめているものだった。
相反する感情に結局剛は表情を消す。優しさも苦痛も、自分の中にある感情を左右するのは光一だけだった。小さな頃からずっと、自分の行動原理は彼にある。
「良い父親なんかやなくてもええねん」
「それでも、光一君は剛君の父親や。良い父親であろうとしてくれてるんやよ」
静かな声で岡田は嗜める。ついこの間合った時も優しい目で「学校どうなん?」と聞かれた。自分には入り込めない場所での息子の事を心配している真っ直ぐな感情だ。大切にしている愛情しか見出せない瞳。
岡田は、自分で認識している以上に彼の事を気にしているのだと知った。不器用な仕草で、でも迷わない意思の中剛だけに向けられる白い手が好きだ。
「分かってる。ずっと分かってたつもりやし、これからもちゃんと親子でいなきゃあかん事も知ってるんや」
剛は、自分の養父である人を愛してしまった。十八にもなれば、自分の恋が気の迷いではない事位分かる。幼い頃から面倒を見てくれた人だ。自分が他人を怖がらずに受け入れられるのは、彼のおかげだった。
1.ヴァーヴ「The Drugs Don't Work」
2.ロビー・ウィリアムス「Angels」
3.エルトン・ジョン「Sorry Seems To Be The Hardest Word」
4.ホイットニー・ヒューストン「I Will Always Love You」
5.シニード・オコナー「Nothing Compares 2 U」
6.ウィル・ヤング「Leave Right Now」
7.エルヴィス・プレスリー「Are You Lonesome Tonight?」
8.クリスティーナ・アギレラ「Beautiful」
9.ジェイムス・ブラント「Goodbye My Lover」
10.レディオヘッド「Fake Plastic Trees」
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真冬のパンセ
雨のMelody
ビロードの闇
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Harmony of December
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iD -the World of Gimmicks-
藍色の夜風
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百年ノ恋
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