小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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過去も今も未来も。
ずっと、ずっと。
「相葉さん。今日はすぐ帰れるんでしょ」
コンサートが終わって、楽屋で着替える。
俺が帰り支度を終えた頃、ようやく戻って来た相葉さん。
事務所の先輩後輩が一気に集まるこういう場では、この人は色んなところからお呼びが掛かる。
それは、まぁ俺も似たようなもんだけど、適度にかわすことが出来るのと出来ないのと、俺は前者で相葉さんは後者。
「うーんと、いつものうどん屋さん行くでしょ、そしたら飲みに行こうかって…」
不器用に衣装を脱ぎながら、舌足らずでハスキーな声が告げる。
予想していた答えだ。
どうせ某二人組のあの人やら、某関西グループのあいつやら…その辺りからの誘いでしょうね。
「で、何て答えたんですか」
自分でも若干口調がキツクなったのが分かる。
その証拠に関係無いはずのキャプテンと翔くんが寒気でもするように背筋を震えさせながら、こちらに視線を向けないようにして楽屋を出て行く。
ちなみに潤くんは、まだ戻って来ていない。
行き先は考えるまでも無い。
今頃は山P相手に彼の取り合いをしていることでしょう。
「んー、断っては…ない」
なるべくこっちを見ないようにしながら着替え終えた相葉さんは、髪の毛を整えながら微妙な言い回しをする。
誘われるの大好き、飲むのも大好き、で甘やかされるのも大好き。
そんなこの人が、自覚は無いかもしれないけど、自分が好かれてて、限りなく甘やかしてくれる相手からの誘いを断るはずも無い。
俺はばれないように溜息を吐きながら、鏡に向かう後姿にそっと近付いた。
俺よりも身長の高い相葉さんを後ろから抱き締める。
「貴方って人は、どうして…」
抱き締めたら、びくり、と震えた姿はまるで小動物みたいだった。
耳元で囁いたら、鏡の中の相葉さんが大きな眸をぎゅっと閉じた。
「だっ…て、久し振りだったし…」
ぴったりとくっつけた身体、相葉さんの鼓動がどんどん速くなっていくのが分かる。
可愛い反応。
やっぱり行かせるわけにはいかない。
「相葉さん…」
意図的に声を作って、薄い耳朶を甘噛みした。
弱いの、知ってるからね。
それから、細い、細い首筋に口付けを一つ、落とした。
「に、の…」
消え入りそうな声で、拒絶の色を含んだ口調で俺の名前を呼んだ。
薄い胸を服の上から弄る。
流石にまずいと思ったのか、相葉さんが弱弱しく俺の手を掴んだ。
それを無視して、見付けた引っ掛かりを引っ掻くようにしたら、ひゅっと息を吸い込んだ。
「ゃ…め、にの…ぁ…」
口唇から漏れる掠れ声。
細い身体が小刻みに震える。
敏感な耳を濡らして、華奢な首筋に幾つもキスを落とした。
「も…ぉ、ゃだ…にの…」
がくがくと震える身体を支えきれなくなって、床にへたり込んでしまった相葉さんが涙がたくさん溜まって、潤潤した大きな黒い目で上目遣いに俺を睨む。
もちろん、全く怖くなんてない。
「おまえ…ずるい、よ」
ここは楽屋だし、外に人だってたくさん行き来してるし、何よりいつ潤くんが帰って来るか分からないし。
そんな場所で最後までする気なんて無い。
相葉さんだって俺がそんな気が無いのは分かってる。
ただ、行かせたく無かっただけなんです。
それだって、きっと相葉さんにはばれてしまっている。
「初めて逢った時から、今、この瞬間も」
俺はしゃがんで、相葉さんの大きな眸を覗き込んだ。
そこには、割りと情けない顔をした自分がしっかりと映っていた。
「貴方は、俺だけのものなんです」
正面から強く抱き締めて、想いを込めて囁いた。
誰が愛したって、誰が欲しがったって。
この目の前にいる、愛しい人は俺のものなんです。
俺が手に入れた、唯一無二の。
「分かってるよ、にの」
相葉さんが、俺の背中に腕を回して抱き締め返してくれて。
優しい声で言った。
「今年もよろしく。ずっと、一緒にいられるといいね」
子供みたいな俺の独占欲。
欲しいのはこの人だけ。
子供みたいな俺の願い。
叶えられるのはこの人だけ。
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+++++
告白をした夜から、光一の元気がないのには気付いている。元々小食だったのが更に酷くなっていたし、仕事から帰って来るとぐったりした様子でそのまま眠ってしまう事も少なくなかった。危ないとは知っている。彼は弱さを晒したがらない人だから、こんな風に自分の前で辛い部分を見せている段階で殆ど限界を超えていた。
分かってはいても、原因を作ったのが自分である以上、掛けるべき言葉は見付けられない。どうすれば良かったのか。やはり何も言わず「親子」を続けて行くべきだったのか。分からない。だって言わなければ「親子」の関係すら崩れてしまっただろう。堂本剛と言う人間の根底には、光一の存在がある事を知って欲しかった。
けれど、毎日少しずつ内側から壊れて行く養父を、子供として守りたい気持ちも本当だ。自分達はずっと二人きりだったから。どちらかが倒れたらどちらかが守らなければならない。親であろうが子供であろうが、その関係性の背負い方に差異はなかった。共に生きるとは、そう言う事なのだ。
いつものように光一を起こしてから、剛は学校へ向かった。最近ますます口数の少ない彼が何を考えているのかは分からない。唯自分はこれ以上悪くならないよう、形だけの日常を作って行くだけだ。どうにかしてあげたいとは思うけれど、光一にとっての最良と自分にとっての最良は、全く違うものだから。
午後の授業の為に菜園から移動している時だった。制服のポケットに入れていた携帯が着信を告げて震える。メールではなく電話だった。滅多に鳴らない筈のそれに不安を感じて慌てて取り出す。表示されているのは、長瀬の名前だった。
「剛君?」
「ごめん、電話や」
隣を歩く岡田に一言断りを入れて、そのまま通話ボタンを押す。途端に流れ込んで来た一人の男の大声に、剛は僅かに眉を顰めた。
「もしもし」
「もしもし、つよちゃん?授業中じゃない?大丈夫、今?」
「うん」
「あいつには言うなって口止めされてるんだけど、やっぱ心配だし」
「……何?」
「光一が倒れた」
「えっ!」
自分の声に、岡田はそっと視線を向けた。静謐の中にある瞳が幾らか気分を落ち着かせてくれる。
「俺、たまたま夜勤明けだったから一緒に病院行ったの」
「……診断結果は?」
「過労と軽度の栄養失調。今、薬貰いに行ってる。受験生のつよちゃんに頼んで良い事じゃないとは思ったんだけど。光一心配だし。早退とか、して貰えないかな」
「勿論そのつもりや。て言うか、長ちゃんごめんな。仕事終わりやったら疲れとるやろ」
「俺は全然平気。じゃあ、タクシーで家まで連れて行くから」
「うん。お願いします」
電話越しだけど僅かに頭を下げた。通話を終えて頭を切り替える。いつかこうなるだろう事は分かっていた。想定して然るべき事態だ。長瀬がいてくれて良かったと、心から思った。
「剛君……」
「光一が、倒れた」
「そっか。帰るんやろ」
「うん」
「なら、そのまま行き。後は僕がどうにかしたるわ」
「岡田」
「ほら、急いで。光一君より先に帰らな」
岡田の言葉にはいつも無駄がない。必要外の事は殆ど言わないのに、どうして優しく感じるんだろうと思って、多分彼の表情がいつも穏やかだからだと気付いた。光一と同じ種類の優しさを持っている。だから、岡田にも惹かれたのだと自分の分かりやすさに苦笑した。
「ありがと、岡田」
「うん。光一君大事にしてやって」
彫刻のような顔が繊細に動いて笑顔を作る。手を振ってその場を後にすると、一度教室に戻って鞄を持ち学校を出る。急げばきっと光一より先に家に着ける筈だった。
心臓がぎしりと音を立てて歪む。痛んだ分だけ肌を真紅が伝えば分かりやすかったのに。苦しんでもどれだけ辛くても、光一には見えない。お前を思う気持ちを目の前に差し出せれば良かったな。そうしたら、もっと簡単に伝わる気がした。心臓に直接触れて、その指先が赤く染まったら良い。
叶う事のない妄想は、剛の中で留まる事を知らず膨張を続けた。彼を愛おしむ心。失ったら自分が自分でなくなってしまうだろう。生きる事すら出来ないと真剣に考えて、本当にもうこの恋は引き返す事が出来ない場所まで来ているのだと自嘲した。
光一に辛い思いをさせたい訳じゃない。けれど、遠く離れて親として愛する事を決める程の潔さは持ち合わせていなかった。彼を慈しむのは、いつでも自分でありたいのに。
アパートに剛が到着するのと、タクシーが停まるのはほぼ同時だった。長瀬に抱き上げられて車を降りる光一を見付けて走り寄る。色を失った頬、更に細くなった肩。長瀬の腕の中で光一は余りにも不健康だった。意識がないのか、眠っているのか。目を閉じたまま微動だにしなかった。
「光一!」
「……静かにしてやって。薬が効いて来て、タクシーん中で寝ちゃったから」
大きな長瀬は、華奢な身体を軽々と抱えている。自分には出来ない事だった。一瞬、眉を顰めてしまったのを長瀬に気付かれる。鞄を持ってと言われ、そのまま視線を外した。
「つよちゃん」
「……ん。はよ入ろ。光一の身体冷えてまう」
「こっち向け」
普段は優し過ぎる程に大らかで穏やかな人間だけれど、自分の中にある正義を曲げないからいざと言う時は驚く程頑固だ。アパートの階段の手前で、仕方なく振り返った。現実を知るのは辛い。
「つよちゃん。これが今の光一との差だよ。どんなにこいつを守りたくたって、まだつよちゃんは子供だ。子供である事が悪いなんて言わない。でも、この差をちゃんと考えろ。つよちゃんから見た光一との距離なんかじゃない。光一から見たつよちゃんの距離だ。こいつを愛してるんなら、逃げるな。現実をちゃんと見ろよ。困らせて苦しませて、こいつを泣かせるな」
「長ちゃん……」
光一の白い肌が悲しい。愛する気持ち一つではどうにもならない現実を思い知らされた。光一との差異ばかり気にしていた自分は、彼自身の痛みに鈍感ではなかったか。自分の恋を言い訳にして、苦しむ彼の内面を蔑ろにしていたのではなかったか。
長瀬の容赦ない言葉に頭を殴られたような気分だった。光一の場所から見える自分達と、剛から見た自分達とでは決定的な違いがある。親が子を愛する事。他人の子供を奪ってしまった負い目。手放さない為の責任と、親であるが事の自負。全てを自分の為だけに背負ってくれている人だった。気持ち一つで動く事の出来ないしがらみがあった。
「つよちゃんも光一も偉いな」
「何処も偉くなんか……」
「偉いよ。お互いの事大事にしてるの、すっげー分かる。光一は倒れちゃう位までお前の事で悩んでる。お前だって、光一の為にずっと自分の気持ち言わなかったじゃん。一緒に生きて行く為の努力、だろ」
偉い、ともう一度言われて言葉に詰まった。何も言えないまま部屋に入る。偉くなんかなかった。唯の子供の我儘だ。光一の愛情に甘えていた。彼が離れる事はないのだと言う傲慢な確信があった。守る事も出来ない癖に。布団を敷くと、その上に光一を横たえた。長瀬の手は、簡単に彼を守る。
「じゃあ、俺帰るな」
「え、でも……」
「つよちゃんがいるんだから、俺に出来る事はもうないよ」
ぽん、と気安く頭を撫でられた。友人のようで兄のような、もしかしたら光一よりも父親らしい存在かも知れない。長瀬の周りにはいつでも光があった。明るい場所へ導くそれに嫉妬して、けれど彼が光一の友人で良かったと心から思う。
何かあったら夜中でも構わないから連絡しろよ、と言いながら部屋を出て行った。二人きりの場所には沈黙だけが残る。眠る光一の表情は穏やかだった。倒れる前に手を伸ばせば良かったと、後悔しても遅い。血の気のない顔は、世界の全てを拒絶しているようにさえ見えた。後悔はしないと決めている。けれど、その決意すら鈍りそうな程光一は弱っていた。誰でもない、自分の為だけに。
+++++
光一が目を覚まさないまま、夜を越えてしまった。どうする事も出来ず傍らにいた剛は、一睡も出来ずに太陽が昇るのを見詰める。朝の白い光の中、眩まないよう細心の注意を払った。世の中の雑音に惑わされず、自分の心の声を聞く。世間体も見栄も、「普通で」ある事も全て。光一への愛情に比べたら些細な事でしかなかった。自分が欲しい物はたった一つ。就職を決意した時にもう、覚悟してしまった。光一が何を不安に思うと、逃げるつもり等ない。浅い呼吸で眠る彼を見詰めながら、自分は生涯この人だけを愛するのだろうと確信の中思った。
起きたら嫌がるかも知れないと考えながら、光一の会社へ欠勤の連絡を入れようと立ち上がる。幸い今日は金曜日だし、週末をゆっくり過ごせば体力も回復するだろう。自分も休んで後で買い出しに行こうと決めた。光一が好きな物を作ってやりたい。どうせ食べられないのだけど、少しでも口に入れられるように。
携帯を手にしてメモリーを開くより先に着信音が響く。画面には昨日と同じ長瀬の文字。豪快なようでいて繊細に人を気遣える事を知っていた。心配してくれているのだろう。
「もしもし、長ちゃん?」
「おう、おはよう剛。どう?大丈夫?」
「うん、昨日から寝たまんまで全然起きないんです。会社休ませよう思って」
「そうだな、それが良いよ。あ、会社にはじゃあ俺が連絡しておく」
「え、いや、ええよ。俺自分で出来るし」
「大丈夫大丈夫。あのね、こう言う時は甘えなさい。俺が出来るのなんてこんなもんなんだからさ」
「……ありがと」
「いえいえ。一応心配してるからさ光一目ぇ覚めたら俺にも連絡ちょうだい」
「ん、分かった」
じゃあね、と明るい声で回線は途切れる。後ろからは子供の声が聞こえていた。きっと賑やかな家庭なのだろう。自分達のひっそりとした部屋とは全然違う空気。彼が大黒柱なのだから当たり前だった。幸福は当たり前の感覚で彼らの中にある。ほんの少し羨ましいと思って、自分もいつか光一に幸福を見せられたら良いと思った。今は唯静かに眠る。世界の全てを拒絶する様に。
振り返って見詰めた先の光景が余りに綺麗で息を呑む。光の粒子さえ見えるほどの白い陽光の中、彫刻の様に整った養父が身じろぎもせず横たわっていた。光が茶色い髪の先で踊っている。朝の神聖さを切り取った不思議な景色だった。
ぼんやりと白い光一を眺めながら、暫く動きを止める。昔はもっと彼の色々な表情を見ていた筈だ。いつの間に、一緒にいる時間が減ってしまったのか。誰よりも近くにいたかった。朝から夜まで傍にいたいと願った事もある。
大切で愛しくて仕方のない人だったのに。光一を見詰める時間すら失っていたなんて。彼が目覚めるまで、もう少し此処にいよう。買い物も後にいして、唯日が昇るに任せてしまいたかった。きらきらと光る毛先に指先を絡ませて、誰にもばれない様に大人びた笑みを零す。光一が嫌がる、子供らしさのない表情だった。
+++++
午後を過ぎた頃、城島から連絡が入った。どうやら光一が倒れた事を知っているらしい。「栄養のつくもん食べさせたるからウチにいらっしゃい」と柔らかな声が告げた。断る理由もなかったし、結局買い物には行けていないから目覚めた光一が寝惚けている内に連れ出したのだ。
園長室に入った辺りでやっと瞳が焦点を取り戻した。少し焦ったみたいな表情をして、それからゆっくり剛の方を向く。迷子の子供の仕草だった。
「つ、よし?」
「うん。光一、覚えてる?」
「え、やって俺、あれ……」
全く状況を把握していない彼に苦笑して、きちんと説明してやる。まだ思考回路が完全ではないだろうから、なるべく易しい言葉で。
「具合悪くて、長ちゃんに連れられて病院行ったんや。んで、帰り道のタクシーで寝てもうて、今やっと目が覚めたんよ」
「俺、会社!」
「会社は長ちゃんが連絡してくれた」
「お前は?」
「病欠」
「……俺ん事なんかで休むなや」
「お前の事やからやろ」
真剣な声音で告げれば、苦しむ顔で眉を寄せた。子供が親を大事にする愛情だとは、もう取って貰えないらしい。進歩なのか、悲しむべき事なのか。判別出来なかった。光一を苦しめたくはない。
すぐに城島が入って来て、部屋の空気が一変した。明らかに安堵した表情を見せる彼の横顔を気付かれない様見詰める。顔色が良いとは言えない。脳味噌が働いていないのはいつもの事としても、回復するのには時間が掛かりそうだった。そんなに悩む事を渡したつもりなんてないのに。
光一の身体の中を自分で一杯にしたいと何度も思って、その度に不可能な事だと己を笑った。二人だけで生きて来たけれど、世界はもっと複雑な要素が絡み合って構築されている。
けれど、今の彼の状態は正に望んでいたものではなかったか。恋じゃなくても、光一は自分の一挙手一投足で感情を揺らしている。それは、子供の将来を案ずる親の愛情の域を出ていないのかも知れないけれど。
「
告白をした夜から、光一の元気がないのには気付いている。元々小食だったのが更に酷くなっていたし、仕事から帰って来るとぐったりした様子でそのまま眠ってしまう事も少なくなかった。危ないとは知っている。彼は弱さを晒したがらない人だから、こんな風に自分の前で辛い部分を見せている段階で殆ど限界を超えていた。
分かってはいても、原因を作ったのが自分である以上、掛けるべき言葉は見付けられない。どうすれば良かったのか。やはり何も言わず「親子」を続けて行くべきだったのか。分からない。だって言わなければ「親子」の関係すら崩れてしまっただろう。堂本剛と言う人間の根底には、光一の存在がある事を知って欲しかった。
けれど、毎日少しずつ内側から壊れて行く養父を、子供として守りたい気持ちも本当だ。自分達はずっと二人きりだったから。どちらかが倒れたらどちらかが守らなければならない。親であろうが子供であろうが、その関係性の背負い方に差異はなかった。共に生きるとは、そう言う事なのだ。
いつものように光一を起こしてから、剛は学校へ向かった。最近ますます口数の少ない彼が何を考えているのかは分からない。唯自分はこれ以上悪くならないよう、形だけの日常を作って行くだけだ。どうにかしてあげたいとは思うけれど、光一にとっての最良と自分にとっての最良は、全く違うものだから。
午後の授業の為に菜園から移動している時だった。制服のポケットに入れていた携帯が着信を告げて震える。メールではなく電話だった。滅多に鳴らない筈のそれに不安を感じて慌てて取り出す。表示されているのは、長瀬の名前だった。
「剛君?」
「ごめん、電話や」
隣を歩く岡田に一言断りを入れて、そのまま通話ボタンを押す。途端に流れ込んで来た一人の男の大声に、剛は僅かに眉を顰めた。
「もしもし」
「もしもし、つよちゃん?授業中じゃない?大丈夫、今?」
「うん」
「あいつには言うなって口止めされてるんだけど、やっぱ心配だし」
「……何?」
「光一が倒れた」
「えっ!」
自分の声に、岡田はそっと視線を向けた。静謐の中にある瞳が幾らか気分を落ち着かせてくれる。
「俺、たまたま夜勤明けだったから一緒に病院行ったの」
「……診断結果は?」
「過労と軽度の栄養失調。今、薬貰いに行ってる。受験生のつよちゃんに頼んで良い事じゃないとは思ったんだけど。光一心配だし。早退とか、して貰えないかな」
「勿論そのつもりや。て言うか、長ちゃんごめんな。仕事終わりやったら疲れとるやろ」
「俺は全然平気。じゃあ、タクシーで家まで連れて行くから」
「うん。お願いします」
電話越しだけど僅かに頭を下げた。通話を終えて頭を切り替える。いつかこうなるだろう事は分かっていた。想定して然るべき事態だ。長瀬がいてくれて良かったと、心から思った。
「剛君……」
「光一が、倒れた」
「そっか。帰るんやろ」
「うん」
「なら、そのまま行き。後は僕がどうにかしたるわ」
「岡田」
「ほら、急いで。光一君より先に帰らな」
岡田の言葉にはいつも無駄がない。必要外の事は殆ど言わないのに、どうして優しく感じるんだろうと思って、多分彼の表情がいつも穏やかだからだと気付いた。光一と同じ種類の優しさを持っている。だから、岡田にも惹かれたのだと自分の分かりやすさに苦笑した。
「ありがと、岡田」
「うん。光一君大事にしてやって」
彫刻のような顔が繊細に動いて笑顔を作る。手を振ってその場を後にすると、一度教室に戻って鞄を持ち学校を出る。急げばきっと光一より先に家に着ける筈だった。
心臓がぎしりと音を立てて歪む。痛んだ分だけ肌を真紅が伝えば分かりやすかったのに。苦しんでもどれだけ辛くても、光一には見えない。お前を思う気持ちを目の前に差し出せれば良かったな。そうしたら、もっと簡単に伝わる気がした。心臓に直接触れて、その指先が赤く染まったら良い。
叶う事のない妄想は、剛の中で留まる事を知らず膨張を続けた。彼を愛おしむ心。失ったら自分が自分でなくなってしまうだろう。生きる事すら出来ないと真剣に考えて、本当にもうこの恋は引き返す事が出来ない場所まで来ているのだと自嘲した。
光一に辛い思いをさせたい訳じゃない。けれど、遠く離れて親として愛する事を決める程の潔さは持ち合わせていなかった。彼を慈しむのは、いつでも自分でありたいのに。
アパートに剛が到着するのと、タクシーが停まるのはほぼ同時だった。長瀬に抱き上げられて車を降りる光一を見付けて走り寄る。色を失った頬、更に細くなった肩。長瀬の腕の中で光一は余りにも不健康だった。意識がないのか、眠っているのか。目を閉じたまま微動だにしなかった。
「光一!」
「……静かにしてやって。薬が効いて来て、タクシーん中で寝ちゃったから」
大きな長瀬は、華奢な身体を軽々と抱えている。自分には出来ない事だった。一瞬、眉を顰めてしまったのを長瀬に気付かれる。鞄を持ってと言われ、そのまま視線を外した。
「つよちゃん」
「……ん。はよ入ろ。光一の身体冷えてまう」
「こっち向け」
普段は優し過ぎる程に大らかで穏やかな人間だけれど、自分の中にある正義を曲げないからいざと言う時は驚く程頑固だ。アパートの階段の手前で、仕方なく振り返った。現実を知るのは辛い。
「つよちゃん。これが今の光一との差だよ。どんなにこいつを守りたくたって、まだつよちゃんは子供だ。子供である事が悪いなんて言わない。でも、この差をちゃんと考えろ。つよちゃんから見た光一との距離なんかじゃない。光一から見たつよちゃんの距離だ。こいつを愛してるんなら、逃げるな。現実をちゃんと見ろよ。困らせて苦しませて、こいつを泣かせるな」
「長ちゃん……」
光一の白い肌が悲しい。愛する気持ち一つではどうにもならない現実を思い知らされた。光一との差異ばかり気にしていた自分は、彼自身の痛みに鈍感ではなかったか。自分の恋を言い訳にして、苦しむ彼の内面を蔑ろにしていたのではなかったか。
長瀬の容赦ない言葉に頭を殴られたような気分だった。光一の場所から見える自分達と、剛から見た自分達とでは決定的な違いがある。親が子を愛する事。他人の子供を奪ってしまった負い目。手放さない為の責任と、親であるが事の自負。全てを自分の為だけに背負ってくれている人だった。気持ち一つで動く事の出来ないしがらみがあった。
「つよちゃんも光一も偉いな」
「何処も偉くなんか……」
「偉いよ。お互いの事大事にしてるの、すっげー分かる。光一は倒れちゃう位までお前の事で悩んでる。お前だって、光一の為にずっと自分の気持ち言わなかったじゃん。一緒に生きて行く為の努力、だろ」
偉い、ともう一度言われて言葉に詰まった。何も言えないまま部屋に入る。偉くなんかなかった。唯の子供の我儘だ。光一の愛情に甘えていた。彼が離れる事はないのだと言う傲慢な確信があった。守る事も出来ない癖に。布団を敷くと、その上に光一を横たえた。長瀬の手は、簡単に彼を守る。
「じゃあ、俺帰るな」
「え、でも……」
「つよちゃんがいるんだから、俺に出来る事はもうないよ」
ぽん、と気安く頭を撫でられた。友人のようで兄のような、もしかしたら光一よりも父親らしい存在かも知れない。長瀬の周りにはいつでも光があった。明るい場所へ導くそれに嫉妬して、けれど彼が光一の友人で良かったと心から思う。
何かあったら夜中でも構わないから連絡しろよ、と言いながら部屋を出て行った。二人きりの場所には沈黙だけが残る。眠る光一の表情は穏やかだった。倒れる前に手を伸ばせば良かったと、後悔しても遅い。血の気のない顔は、世界の全てを拒絶しているようにさえ見えた。後悔はしないと決めている。けれど、その決意すら鈍りそうな程光一は弱っていた。誰でもない、自分の為だけに。
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光一が目を覚まさないまま、夜を越えてしまった。どうする事も出来ず傍らにいた剛は、一睡も出来ずに太陽が昇るのを見詰める。朝の白い光の中、眩まないよう細心の注意を払った。世の中の雑音に惑わされず、自分の心の声を聞く。世間体も見栄も、「普通で」ある事も全て。光一への愛情に比べたら些細な事でしかなかった。自分が欲しい物はたった一つ。就職を決意した時にもう、覚悟してしまった。光一が何を不安に思うと、逃げるつもり等ない。浅い呼吸で眠る彼を見詰めながら、自分は生涯この人だけを愛するのだろうと確信の中思った。
起きたら嫌がるかも知れないと考えながら、光一の会社へ欠勤の連絡を入れようと立ち上がる。幸い今日は金曜日だし、週末をゆっくり過ごせば体力も回復するだろう。自分も休んで後で買い出しに行こうと決めた。光一が好きな物を作ってやりたい。どうせ食べられないのだけど、少しでも口に入れられるように。
携帯を手にしてメモリーを開くより先に着信音が響く。画面には昨日と同じ長瀬の文字。豪快なようでいて繊細に人を気遣える事を知っていた。心配してくれているのだろう。
「もしもし、長ちゃん?」
「おう、おはよう剛。どう?大丈夫?」
「うん、昨日から寝たまんまで全然起きないんです。会社休ませよう思って」
「そうだな、それが良いよ。あ、会社にはじゃあ俺が連絡しておく」
「え、いや、ええよ。俺自分で出来るし」
「大丈夫大丈夫。あのね、こう言う時は甘えなさい。俺が出来るのなんてこんなもんなんだからさ」
「……ありがと」
「いえいえ。一応心配してるからさ光一目ぇ覚めたら俺にも連絡ちょうだい」
「ん、分かった」
じゃあね、と明るい声で回線は途切れる。後ろからは子供の声が聞こえていた。きっと賑やかな家庭なのだろう。自分達のひっそりとした部屋とは全然違う空気。彼が大黒柱なのだから当たり前だった。幸福は当たり前の感覚で彼らの中にある。ほんの少し羨ましいと思って、自分もいつか光一に幸福を見せられたら良いと思った。今は唯静かに眠る。世界の全てを拒絶する様に。
振り返って見詰めた先の光景が余りに綺麗で息を呑む。光の粒子さえ見えるほどの白い陽光の中、彫刻の様に整った養父が身じろぎもせず横たわっていた。光が茶色い髪の先で踊っている。朝の神聖さを切り取った不思議な景色だった。
ぼんやりと白い光一を眺めながら、暫く動きを止める。昔はもっと彼の色々な表情を見ていた筈だ。いつの間に、一緒にいる時間が減ってしまったのか。誰よりも近くにいたかった。朝から夜まで傍にいたいと願った事もある。
大切で愛しくて仕方のない人だったのに。光一を見詰める時間すら失っていたなんて。彼が目覚めるまで、もう少し此処にいよう。買い物も後にいして、唯日が昇るに任せてしまいたかった。きらきらと光る毛先に指先を絡ませて、誰にもばれない様に大人びた笑みを零す。光一が嫌がる、子供らしさのない表情だった。
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午後を過ぎた頃、城島から連絡が入った。どうやら光一が倒れた事を知っているらしい。「栄養のつくもん食べさせたるからウチにいらっしゃい」と柔らかな声が告げた。断る理由もなかったし、結局買い物には行けていないから目覚めた光一が寝惚けている内に連れ出したのだ。
園長室に入った辺りでやっと瞳が焦点を取り戻した。少し焦ったみたいな表情をして、それからゆっくり剛の方を向く。迷子の子供の仕草だった。
「つ、よし?」
「うん。光一、覚えてる?」
「え、やって俺、あれ……」
全く状況を把握していない彼に苦笑して、きちんと説明してやる。まだ思考回路が完全ではないだろうから、なるべく易しい言葉で。
「具合悪くて、長ちゃんに連れられて病院行ったんや。んで、帰り道のタクシーで寝てもうて、今やっと目が覚めたんよ」
「俺、会社!」
「会社は長ちゃんが連絡してくれた」
「お前は?」
「病欠」
「……俺ん事なんかで休むなや」
「お前の事やからやろ」
真剣な声音で告げれば、苦しむ顔で眉を寄せた。子供が親を大事にする愛情だとは、もう取って貰えないらしい。進歩なのか、悲しむべき事なのか。判別出来なかった。光一を苦しめたくはない。
すぐに城島が入って来て、部屋の空気が一変した。明らかに安堵した表情を見せる彼の横顔を気付かれない様見詰める。顔色が良いとは言えない。脳味噌が働いていないのはいつもの事としても、回復するのには時間が掛かりそうだった。そんなに悩む事を渡したつもりなんてないのに。
光一の身体の中を自分で一杯にしたいと何度も思って、その度に不可能な事だと己を笑った。二人だけで生きて来たけれど、世界はもっと複雑な要素が絡み合って構築されている。
けれど、今の彼の状態は正に望んでいたものではなかったか。恋じゃなくても、光一は自分の一挙手一投足で感情を揺らしている。それは、子供の将来を案ずる親の愛情の域を出ていないのかも知れないけれど。
「
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三年前にも似たような事があった。一緒に暮らし始めて五年、剛が高校受験を控えた冬の事だ。二人で肩を寄せ合って生きていたからと言って、全ての生活が上手く行っていた訳ではなかった。離れそうになる手を何度も繋ぎ直して生きている。
あの時も同じように、光一は剛の高校進学を希望していた。私立でも公立でも資金面で問題がないよう、ずっと積立を続けている。自分の力不足で、剛の未来を狭めたくはなかった。なのに、彼が望んだのは夜間学校への進学だった。
剛の葛藤が分からなかった訳ではない。全くの他人である自分に頼って生きるのは、気が引けたのだろう。中学校までは義務教育だけど、これからは違った。生き方の選択が出来るのだ。社会生活への第一歩と言っても過言ではなかった。
と言っても、今の時代は高校へ行くのが当然の選択で、光一自身もその感覚のまま大学まで進学している。まさか、こんなところで躓くなんて思っていなかった。剛の幼い時から変わらない強い瞳に、真摯な決意を見付けてぞっとする。どうしてそんなに潔く決断出来るのか。当たり前と思って進学を薦めた自分と、悩みに悩んで自分の人生を選んだ剛とでは、厳然たる差があった。彼の結論を覆す説得力がない。
あの時焦っていたのは、光一だった。自分の思うようにならない事実を変えようとする様は、まるで幼い駄々っ子だ。みっともないと今なら言えるけれど、剛の瞳に気圧されて唯ひたすら必死だった。その為に、彼を傷付けてしまう位には。
今でも、何が決定的な理由だったのかは分からない。幾つも投げた言葉の内のどれが剛の心臓を抉ってしまったのか。優しい少年は、今も黙秘権を行使したままだった。明確な理由は分からないけれど、新月の夜剛は家を出たのだった。
まだあの頃は、一緒に布団を並べて眠っていたように思う。どうしても思い留まって欲しくて、剛の作った夕食を食べながら不用意に言葉を重ねてしまった。借り物の、頭ごなしの説教ばかり。あの敏感な子供が、偽物の言葉で納得する筈なかったのに。不器用でも足りなくても、ちゃんと自分の言葉で話せば良かったのだと今は分かる。
剛はずっと、しっかりした息子だった。連れ出したあの時から、自分の事は自分で出来たし甘えたがりではあるけれど、一人で夜を過ごさせても我儘は言わない。この頃の光一は、システム開発と言う今とは違う部署に所属していた。営業が取って来る納期はいつもぎりぎりで、残業は日常茶飯事の部署だ。休日出勤をしなければ間に合わない事もままあり、剛と一緒に過ごせる時間はずっと少なかった。
それでも生活の為には仕方ない、と何処かで言い訳している自分がいる。もっと早くに引き返せば良かった。自分一人の生活ではなく、剛と二人の生活なのに、いつの間にか大事なものを見失っていたのかも知れない。
遅い夕食を気まずい雰囲気で終えた後、いつも通り布団を敷いた。二人きりだと言う事を思い出させる至近距離。電気を消した室内には、互いの押し殺した呼吸音だけが広がっていた。すぐ傍にある体温。何度も抱き締めて朝を迎えて来たのに、気付けば剛は自分で人生を選ぶまでになっていた。随分遠くまで歩いて来てしまったのだと思う。
「……光ちゃんは、いつになったら分かってくれるんかな」
「俺は、分かってなんかやらん」
「もう、子供やないで?」
「剛は、一生俺の子供や。阿呆な事言うな」
迷いのない言葉に、剛の胸の内はすっかり混乱してしまった。「一生」と「俺の子供」。泣きたい位の喜びと死にそうな絶望が血流に乗って、全身へ充満した。一生傍にいられる。子供と言う距離から抜け出す事は永遠に叶わない。気付いてしまった恋は、自覚したその瞬間から剛の身を苛んでいた。何故自分は他の同級生と同じように女の子を好きにならなかったのだろう。若い故の熱情が、剛を甘く苦しめる。
「そんなに早く大人にならんでええよ」
目を閉じて聞く光一の声は、いつも通り優しかった。愛する人を苦しめている。愛してはいけない人に恋を抱く自分は、彼の望む普通の子にはなれなかった。父親も母親も兄弟もいる同級生と同じように成長出来ないのが、環境のせいだとは思いたくない。
「こういち……」
普段は口にしない呼び名で小さく彼を呼ぶ。「父さん」と言わない事に苦痛を感じないでいてくれるのが、せめてもの救いだった。この人を父と呼ぶ事は、一生出来そうにない。
「ん?何……剛?」
名前を呼んだきりの自分に焦れて光一が動くのを、気配だけで感じた。目は閉じたまま。彼の舌足らずな発音が愛しい。可愛いなんて言ったら怒られるだろうか。
「剛。寝たん?」
思い掛けず近い場所で声が聞こえて、反射的に目を開けてしまう。
「っ光ちゃん!」
「……ああ、吃驚したあ。寝てなかったんやね」
自分の切迫した声とは対照的に、光一はのんびり笑った。元々近い距離にいる二人だ。僅かの差を縮めるなんて、容易い事だった。頭では分かっていても勝手に走り始めた心臓は止められない。無防備な光一は、すぐ手に入る位置にいるのだと思い知らされた。
反応のない自分を不審がって身体を起こした事もこちらを伺っていた事も分かる。けれど、自分の頭を跨ぐように手を着いて、髪が触れ合う程の至近距離にいるとは思わなかった。光一の黒目がちな瞳は、薄い闇の中にあっても綺麗だ。頬をくすぐる柔らかい猫っ毛も、微かに見える額の傷跡も、筋張った腕の内側の白い肌も全て。剛の目には魅惑的に映る。
まともに視線を合わせてまずい、と思った。正直な身体に打ちのめされる。下半身に集まる熱は、明確に彼への劣情を示していた。絶望的な欲だ。自分が抱いている恋だと思っていたものが、呆気無く浅ましい欲望に飲み込まれた。
「剛?」
「っ何でもあらへん!もう寝るわ!お休みっ」
無理矢理顔を背けて、きつく目を瞑る。己の劣情を恥じた。これは、光一を傷付ける感情だった。同じ部屋で生きて行くのに、こんな感情を抱いて良い筈がない。
光一が好きや。どうしようもない程に。本能から生まれた欲は、醜い分はっきりと分かりやすく剛に愛を示す。自分の中にある全ての愛すると言う感情は光一に向いているのだと思い込める程だった。
小さく溜息を零すと、諦めたように布団に包まる気配がある。離れた距離に安堵して、同時に泣きたくなった。一緒にいられない。このままでは遠くない未来に父親である彼を壊してしまう。確信だった。大切に慈しみ育ててくれたこの年月を全て粉々に砕いてしまう。怖かった。唯、彼を誰よりも愛したいだけなのに。
剛に優しい眠りは訪れなかった。行く先はない。それでも、今の気持ちのまま此処にはいられないと思った。真夜中、光一の眠りを確かめる為首筋に触れる。小さく呻いた彼にごめんなと囁いた。いつも使っているバッグ一つを抱えて、二人きりの部屋を出る。蒼い空に浮かぶ月の頼りない明かりに照らされて、剛は歩き出した。
「つ、よし……」
白い光が射し込む部屋で取り残された声は、何処にも届く事なく光の粒子と混ざり合って溶けて行った。置き手紙があるのでも、荷物が全てなくなっているのでもない。けれど、律儀に畳まれた布団や温められるのを待つだけの朝食に、剛の不在を悟った。
この場所を飛び出したのだ。どうしよう。何処にも剛の気配がない。優しさの残されていない部屋で呆然とした。「家出」と言う言葉さえ思いつかない。
何から始めれば良いのかすら分からず、とりあえずいつものように顔を洗った。冷たい水も、思考を働かせる助けにはならない。悩む事すら出来ず、困った時の一一〇番通報をした。警察ではなく、城島へのホットラインだ。
「おはよう、光ちゃん。どうかしたんかー」
「っ茂君、どうしよ!……俺」
「おいおいおいおい。落ち着き落ち着き。剛がどうかしたんか」
「茂君……」
城島の声を聞いた途端、置き去りにした感情が追い付いて来てパニックを起こす。要領を得ない自分の話を丁寧に聞き取って(と言っても「光ちゃんが焦る理由なんて一つやから簡単やったで」と笑われたのは、勿論後日談だ)、穏やかな声のまま必要な事を指示してくれた。
「それは、男の子が通る『家出』っちゅう成長過程やね。焦ったらあかんでー。あの子にも反抗期が来たんやな、って成長を思ったらええのよ」
「……うん」
「よしよし、ええ子や。これから探しに行くんやろ」
「うん」
即答した。自分が探さないで、誰があの子を追い掛けると言うのだ。
「したら、まずは会社に休みの連絡を入れなさい」
「……あ」
「やっぱり忘れてるやろ。普段仕事馬鹿の振りしとる癖に、唯の親馬鹿やないの」
気の抜けた声で笑われて、緊張が解ける。親馬鹿で構わなかった。一生剛を守ると決めたのだ。誰よりも愛して、愛し抜いてやるのだと誓った。
城島の指示通り会社に病欠の連絡を入れ、動き出す前に心当たりのある所へ連絡をしてみる。案の定学校には行っていないようで、何食わぬ顔でこちらも病欠を伝えた。それから、休み時間を狙って岡田の携帯に掛けてみたが、今日は会っていないと言われる。クラスが違うのだから、当たり前と言えば当たり前だった。落胆し掛けた自分を、察しの良い岡田は気遣ってくれる。
「後で、剛君のクラスに様子見に行って来ますよ。学校は僕が気を付けておきます。光一君は、他の場所を探して下さい」
高校生に嗜められるのはどうなんだろうと思ったけれど、今の自分がどうしようもない程不安定な事は知っていたから、素直に頼む事にした。自分の身体は一つで、そんなに手広く探せる訳ではない。行為は甘んじて受け入れるべきだ。
午後は、自宅から離れていない場所で剛の行きそうな所を探した。公園、ゲームセンター、ファーストフード店、図書館、レコードショップ。何処にも目当ての姿はなくて泣きそうになる。いつでも傍にいた少年。自分の中の喪失感が大き過ぎて、怖くなった。慣れないこの土地で、文字通り二人きり生きて来たのだ。考えていたよりずっと、彼に救われていた事に気付いた。こんな風に離れているのは初めてだから、持て余した感情をどうすれば良いのか分からない。
剛。何処にも行かないで。此処にいて。こんなにも切迫した感情を初めて知った。胸が痛い。誰もいない夕暮れの路地裏で蹲った。普段の強がりすら保てない。このまま、声を上げて泣き出してしまいそうだと思った。心臓の辺りを両手で押さえて、その衝動を押さえ込む。
一日中歩き続けて、何処にも剛の気配を見付けられなかった。城島に連絡を入れると、もう帰りなさいと諭される。剛が帰って来た時、光ちゃんは笑顔で迎えて、それからたっぷり叱らんとあかんのやから、元気残しとかんとあかんで。明るい声に慰められて、素直に家へと向かった。もし剛が近くまで戻って来たのに窓に明かりがなかったら、もっと遠くに行ってしまうかも知れない。
俯いたまま階段を上って行くと、自分の部屋の前に人影があった。
「剛っ!」
反射的に叫んで、残りの階段を駆け上がる。それが違う人だと気付くのに時間は掛からなかった。大きな背中、着古しているのに汚い印象を与えないジーンズ、振り返った顔は翳りのある剛のそれよりずっと明るい。太陽のような男だった。
「なが、せ……?」
「あー光一いたー!今日休んだって言うから心配になっちゃってさー、慌てて仕事終わらせて来てみたら誰もいないし。病院行ったのかとも思ったんだけど、せっかく来たからもう少し待とうと思ってさ。……でも、病院行って来た感じじゃないね?顔色悪いけど、さっき、剛って言った?」
動物的勘で生きている友人は、確信を持った事実を違える事はない。長瀬の大きな顔のパーツは、彼の感情を豊かに表現した。心配している顔。何の打算もない優しさに、光一の張り詰めた糸が切れた。
「剛がっ……帰って来ないんや!今朝起きたら布団綺麗で、一人でっ。俺が、あいつの希望素直に聞いてやれば良かったんかっ?夜学なんて、行って欲しくない!何でいらん苦労背負わせなかんの!あの子は、俺の子供やっ。俺が大人にするって決めた!何で、一人で先進もうとするん?俺のせいか?俺が頼りないからあかんの?どうして……っ」
光一の細い身体を、その叫びごと長瀬は胸に受け止めた。これ以上、不安を与えないようきつく抱き締める。元々口数の少ない友人だから、光一と剛の関係を深く知っている訳ではなかった。今日までの道程は、多分誰にも分からない。けれど、長瀬にとってそんな事はどうでも良かった。今此処にある光一の愛情が全てだ。泣かない彼の精一杯の激昂。
「そうか、剛が家出かー。あいつも大人になったもんだなあ」
「俺は、一度も家出なんてした事あらへん。そんなんせんでも大人になれるわ」
「うーん、光一はホントに真面目だからなあ。家出は男のロマンよ」
「分からん!」
友人のこんな怒った声は初めて聞いた。騒ぐ事を何処かに忘れて来たような物静かな男だったから、長瀬の目には新鮮なものに映る。小さく笑ったら、しっかりばれてしまった。
「光一が会社休むのなんて初めてじゃん?だからよっぽど具合悪いんだって思って。でも、それ以上の事が起きてたんだなあ。今日一日、良く頑張ったね」
「どんな頑張ったって、見付からんかったら意味あらへん……」
「明日俺休みだからさ。一緒に探すの手伝うよ」
困ったように眉を顰めて断るだろう事が分かっていたから、先回りをして明日の時間を決めてしまう。こんな風に参っている友人を一人にする事はとても出来なかった。
「じゃあ、明日ね!俺の事忘れて先に出たら駄目だよー。じゃあねー」
するりと身体を離して、一方的な約束を告げる。本当は一緒に夜を過ごしてあげたいけれど、自分は其処まで踏み込めなかった。近所の野良猫より扱い難いと、長瀬は一人笑う。せめて、一人の夜が絶望に包まれませんようにと、祈る事しか出来なかった。
剛が見付かったのは、長瀬に手伝って貰った翌日の、彼がいなくなってから三日目の事だ。城島から連絡が入った。息を詰めて、携帯から零れる言葉を一つも落とさないように。
「今な、ウチにおるから。光ちゃんは、今何処?……そうか。なら、ゆっくり来なさい。もう、剛は逃げへんよ」
「……はい。ありがとうございました」
声が震えた。自分は今、怒れば良いのだろうか。喜べば良いのだろうか。頭が真っ白で、何の感情も思い浮かばない。携帯を握り締めたまま動けないでいると、着信を告げる振動が伝わった。城島が何か言い忘れたのだろうと思い表示を見ると、画面には岡田と出ている。
「……もしもし」
「あ、光一君ですか?今、連絡が来て」
「剛から?」
「はい」
「そうか。俺も今、茂君から連絡あったとこ」
「あ、そうだったんですか。じゃあ……」
「うん、ありがとな。気ぃ遣ってくれて」
「いえ、別に僕は」
「ううん。ありがとう」
重ねて礼を言う。空虚に優しい響きだった。あの聡い少年には気付かれたかも知れないと思いながら、繕う言葉を持たずに通話を終える。
会ったら何を言おう。この三日間をどう表現したら良いのだろう。分からなかった。あの夜の響きが、鼓膜に蘇る。光一、と呼ばれたのは初めてだった。予兆はあったのだ。いつもと違う事が。なのに、気付く事が出来なかった。甘い響きの後の焦ったような声音。きちんと覚えている。剛の言葉の一つ一つを。
城島に迎えられ、しっかり怒ってやるんやよと優しく言われた。曖昧に頷くと、今は使われていない子供部屋へ入る。二人きりにしたるから、ゆっくり話してみたらええよ。日本茶と軽食を載せたお盆を渡しながら、下にいるから何かあったら呼ぶんやで、と言い置いて城島は去って行った。
小さな四畳半の部屋へ足を踏み入れると、窓際に立っている小さな後ろ姿が目に入る。三日ぶりの剛の背中だった。今までだって修学旅行や合宿で三日以上顔を見ない事もあったのに。午後の陽射しを浴びた横顔は、酷く大人びて見える。この三日間が、彼に変化を与えたのだろうか。
「光ちゃん……」
振り返って向き合った瞳には、罪悪の色があるものの落ち着いていた。既に城島から何か言われているのだろう。自分の方がきっと、どうにもならない表情をしているのだと思う。まず叱って、この三日間何処にいたのかを問い質して、それからきちんと話し合わなければならなかった。
唇を噛む。胸の中にある感情が、何なのか分からなかった。剛の切迫した響きの声も、今目の前にある瞳の色も、自分の知っているものではない。怖かった。そう、怖いと認めるのが怖かったのだ。
「光ちゃん、ごめんなさい」
何も言わずに立ち竦む養父が戸惑ったように瞳を揺らすのを見て、剛の口からは素直に謝罪の言葉が零れた。きつく噛み締めた唇は柔らかな色が失われている。光一は何も言わなかった。剛は困った顔で一歩踏み出す。父親であるこの人の事は、自分が一番良く知っていた。言葉の足りない人。きっと、叱る言葉を組み立てているに違いない。
入口までは数歩の距離だった。光一の手にあるお盆を取り上げて、部屋の隅にある文机の上へ置く。剛のその動きにつられるようにして、光一は部屋に入った。傾き始めた太陽の橙が、日焼けした畳に鈍く反射する。
光一は、剛の顔を見るばかりで黙ったままだった。茶色い髪の隙間から覗く瞳の中には、様々な色が映り込んでいる。怒りと哀しみ、焦燥と安堵、子供の臆病と大人の理不尽。剛は更に言葉を重ねようとした。この三日間の養父の事は、既に城島から聞いている。彼が仕事を休むなんて信じられなかった。それを聞いて初めて罪悪感が芽生えたのだ。どんな事があっても、二人生きて行く為だと働き続ける人だった。今目の前にいる彼は、自分より大きい筈なのに、酷く小さく見える。
一緒に生きて行けないと思った。でも、帰って来て良かったと今、心から思う。未だこの身体に消えない劣情を抱えていたとしても。
「光ちゃん、本当にごめんなさい。俺、勝手な事した」
此処に辿り着くまで本当に逃げようと思ったし、死んでしまおうかと安易に考えた瞬間もある。離れても欲望は消えなかった。三日間、光一が好きなのだと言う実感しか持てずに歩き続けたのだ。何処に逃げても、この恋は追い掛けて来る。それならば、ちゃんと向き合ってしまおうと思った。若気の至り、と言う言葉が現実になる可能性は低かったけれど。
俯いてしまった光一の肩が震えている。どんな言葉で叱られても良かった。なのに、彼は慎重に選ぼうとする。俺達は本当の親子じゃないから。距離を迷うのは、いつも彼だった。
「ごめんな。俺ん事殴ってもええよ」
力で解決する訳じゃないけれど、今の自分に出来る償いはこれ位だ。三日間光一は何を考えていた?恋は消えない。でも、親子として生きて行く。だから、ちゃんと知りたかった。逃げないで、この熱を飼い馴らしてみせる。光一のいない世界で生きる事なんて出来なかった。
じっと動き出すのを待つ。目の前に立つ彼の目線の位置がほとんど変わらない事に気付いた。これからもっと大きくなる予定だけど、いつの間にか見上げるばかりだった人と肩を並べるまでになっている。息を潜めて、沈黙に耐えた。光一が動き出すのを、その心情を晒してくれるのを。
「……っせっかく、無事に帰って来たのに。何で……俺が怪我させなきゃあかんの」
零れた声は掠れていた。髪に隠されて表情が見えない。橙色の夕日が、畳の上に二人分の影を作っていた。
「剛の阿呆!……っ」
その後は言葉にならない。反射的に震える薄い身体を抱き締めていた。
「ごめんっごめん!光一、ごめん!」
何度も繰り返す。光一は泣いていた。彼の涙を見るのは初めてで、どうしたら良いのか分からない。いつものように気丈に叱られるのだと思っていた。不安も弱音も全部隠して、父親の顔をするのだろうと。
それでも構わなかった。一緒に居続けて、彼の見せたがらない内側にも気付けるようになっていたから。怒りの裏側に息衝く弱さを見抜く自信がある。自分が思う愛情とは違っても、光一の中にある執着が垣間見られれば良かった。
なのに。今腕の中で子供のように泣きじゃくるこの人は誰だ。俺は泣かへんから、と笑う強気な人だった。こんな光一は、知らない。
「ごめんな、光一」
「剛……」
「うん、ごめん。ごめん、光一」
名前を呼んで、しっかりと抱き締めた。俺は、世界で一番大切な人を傷付けたのだ。どんな言い訳も出来ない。こんなにも大事にされていたのに。心臓の奥で、恋情がざわめいている。浅ましいこの感情も自分のものだけど、今は光一を抱き締めている両腕の優しさを信じたかった。俺にはまだ、親子の親愛がある。これから先も此処にある優しさと生きて行こう。
光一の目が真っ赤に染まり、持って来た日本茶も冷めた頃、城島が様子を見に来てくれた。二人を見て笑った表情が優しい。もう、彼は笑うだけで何も言わなかった。お茶を入れ直すと冷えたタオルを用意してくれる。三人でお茶を飲んで、日が沈んでから二人で家路に着いた。
彼の子供として生きる。それは、一生の決意ではなかった。自分が大人になるまで、対等な場所に立てるまでの僅かな時間の話だ。それまでは、彼の望む子供でいようと決めた。並べて敷いた布団の中で、普通科の公立高校に行くと言った。まだ腫れの引かない瞳で嬉しそうに笑ってくれた。光一を悲しませずに生きて行こう。眠りに落ちる寸前、胸に秘めた決意は多分一生のものだった。
彼が会社に転属願いを出したのは、自分が進路変更の希望を出したすぐ後の事だ。大事にされている事を実感して、深く考えないようにしようと決める。どうせ、好きな事には変わりないのだ。傍にいられるのなら、それだけで良かった。
光一は泣くのを見たのは、後にも先にもこの一度きりだ。
+++++
剛の考えている事が分からない。血の繋がった親子であっても全てを理解出来る訳ではないのだから、仕方なかった。一人で帰って来て夕食の支度をする気にもならず、スーツを着たまま剛の帰りを待つ。暗くなった部屋で、先刻の事を何度も何度も考えた。
就職を希望するなんて。三年前のあの時、きちんと話し合った筈だ。自分の保護下にある間は子供でいる事。他の子供にない負担を背負わせているのは、自分が若過ぎるせいかも知れなかった。剛の目には、父と呼べる程信頼出来る人間として映っていないのだろう。どうしてもっと年が離れていなかったのか。親子の年齢差があれば楽だった。十二歳差と言うのは、どう足掻いても親子の距離ではない。
覆す事の出来ない事だから、他で補おうと頑張って来たつもりだった。父親としての落ち度を最小限に留めたいと願う。剛がいつか本当の親だと思ってくれたら、自分は幸せだった。
何の負担も背負わせたくない。大学に行って欲しかった。まだ十八歳なのだから、自分の元にいて良いのに。焦って大人にならないで。一人で飛び立たないで。それが果たして父親として正しい感情なのか、光一は分かっていなかった。
「……ただいま」
静かに扉が開く。人工の光が射し込んで、何度か目を瞬かせた。
「光一、こんな暗いまんまで……目ぇ悪くなるで」
そう言えば、あの時から剛は「光一」と呼ぶようになったのだ。少し寂しかったのを今でも覚えていた。本当に、家出が彼を一歩大人に近付けた。
「スーツ、皺んなるで。明日は違うのにした方がええかなあ」
どうやって切り出そうと不安になりながら剛は帰って来たのに、真っ暗な部屋で動かずにいる光一を見たら、頭より身体が先に動く。部屋の明かりを点けて、カーテンを閉めた。光一を立たせるとスーツを脱がせる。夕飯の支度をしようと動き掛けて、それよりも話が先だと思い直した。光一は、待っている。何も言わないけれど、間違いなかった。
「ずっと、考えてたんや。最初に光一に言うべきやったんは分かってたけど、反対されるの分かってたから。言えんかった。ごめん」
光一の顔を見るのが怖くて、並んで座る。お気に入りのソファは、小さな部屋に少し不釣り合いだけど二人を程良く近付けてくれた。優先順位を間違えないように、ゆっくりと話す。
「俺、別に大学行くん嫌やないよ。でも、目的が見付からんのや。何となくで、光一が積み立ててくれたもん使いたくない」
「……何となくでもええやん。皆、最初から決まってる訳ちゃう。四年間過ごして、やっと進みたい道が見えるんちゃうの?」
「俺は、進みたい先、決まってるで」
迷いのない剛は怖かった。繊細で傷付きやすい心を守ってやろうと思うのに、ずっと強い精神を有している。もしかしたらもう、この子は大人になってしまったのかも知れない。自分の手を必要としない遠くへ行きたいのだろうか。
「何処に、行きたいん?」
「光一と同じ場所」
「……俺と?」
意味が分からない。自分達はずっと同じ場所で生きて来た。今更望まなくとも、同じ所にいるのに。
剛の言いたいのは、もっと抽象的な意味なのだ。視線を合わせない横顔を見詰めた。誰よりも近くで見守って来た少年は、気が付けば随分と男らしくなっている。これもまた血が繋がっていない事を示しているだけなのだが、細い印象ばかり与える自分の容姿とは全然違った。余り女の子の話はしないけれど、もてるのではないだろうか。意志の強い瞳は、自分でもどきりとする瞬間があった。決意を秘めた横顔は、逞しささえ覗かせる。
自分と同じ場所。剛になくて、自分にあるものは少なかった。年齢の差と社会経験と父親と言う立場。後は一緒だと思う。二人の間に優劣の差はなかった。ふと、精悍な表情に遠い距離を思う。彼は、自分に言っていない事がある筈だ。直感だった。
「もしかして、父親になるんか?」
「……は?」
「いや、やって。俺と同じ場所言われてもよお分からんやん。社会に早く出たいなんて、結婚したいとかそぉ言うんやないの?」
剛にこれ見よがしの溜息を零される。我ながら頭が悪いとは思った。でも、他に何も思い付かない。自分の子供なのに分かってやれないこの苛立ちは、親にしか分からない。きちんと視線を合わせれば、諦めに近い笑い方をされる。どうにもならない現実を受け入れる為の、大人の処世術だった。そんなの、身に着けて欲しくない。どうして、子供は大人になってしまうの。
「何で俺が、結婚したいなんて言うねん。彼女もおらんのに」
「……あ、そうなんや。剛、全然そおゆうん話してくれんから、俺とはしたくない話題なんや思うてた」
「まあ、改めてする話でもないから、言わんかったけど。光一の方が、彼女の話とか嫌がりそうやったで」
あからさまにほっとした顔をしないで欲しいと、剛は思った。絶望しかないのに、可能性を見出してしまいそうになる。何度も塗り潰した未来を、また描きそうになった。
「俺は、やって彼女ずっとおらんし」
「不思議やったんやけど、何で?多分やけど、光一東京来てから一人もおらんやろ」
「……よぉ知っとんなあ」
「そりゃ、いたら気付くもん。光一もてるやろ?会社に女の人もおるんちゃうの?」
「おる、けど。欲しいって思った事ない」
「何で?」
「そんなの……剛と一緒にいたかったし。東京来て気付いたんやけど、俺女の人苦手なんや」
光一の言葉に含みはない。確かに、剛の朧げな記憶でも関東と関西では女性の雰囲気が全然違った。でも、それが一人でいる理由にはならない。
「光一は、結婚する気ないん?」
「ない」
「俺がいなくなっても?」
「……やっぱり、家出る気なんや」
自分は何と愚かなのだろう。先刻から、自分で自分の首を絞めている。不可能だと思っていた未来を夢見てしまいそうだった。そんな未来は永遠に来ない。悲しく眉を顰めた人に笑い掛けた。
「何で、俺が出て行く話になるねん。俺は、光一と対等になりたいんや」
「対等?」
「そう。一緒に生きて行く為に。もう、守られるだけの子供は嫌や」
優先順位は、一緒に生きる事。恋なんて必要なかった。全ての情を、親子のものに置き換える。光一の望む子供ではいられないけれど、不用意に恋情を漏らしたくはなかった。
「一緒にいるなら、大学行ったってええんやないの。四年後やって、別に構わんやん」
「俺は、四年も待てへん。早く大人になりたい」
「……剛。俺、よお分からん。何でそんな焦って……」
城島の言う通りだった。光一は混乱している。恋に触れず説得するつもりだった。光一が自分を望んでくれる限り、息子でいるつもりだ。それなのに。
「此処にいてくれる言う事は、俺の子供でいる言う事や。剛が出て行きたい思うんなら、いつ出てってもええ。でも、焦らんかてええやん」
「俺は、光一の子供でいるのが嫌なんや」
「剛……」
しまった、と思った。これでは、自分の願いは伝わらない。簡単に傷付いた顔を見せると動きを止めた。一緒にいたい。子供のままでいたくない。理由は凄くシンプルなのに、言葉にする事は叶わなかった。
「そうやって、最初から素直に言ってくれたら良かったんや。お前の子供は嫌や、もう解放してくれって。それだけで良かったのに……」
丸い指先で目許を覆う。弱々しい響きに何と返せば良いのか分からなかった。ああ、茂君。俺、全然覚悟なんて出来てなかったです。これから辛くなると言う言葉の意味を軽んじていた。口を閉ざせば閉ざした分だけ、光一は離れてしまう。引き留める術が選べなかった。
「光一、違うんや。分かってくれ」
「分からん」
「……俺は、光一が好きや。大切なんや」
入れは、何処に進めば良い?手の届く距離にいる人。今すぐ抱き締めてやりたかった。目許を隠されているから、光一の事がきちんと分からない。俺の為に傷付かないで。
「俺の方が、ずっと好きやわ。そんな口先だけの言葉なんか、いらん」
手を伸ばして良いのだろうか。体内で飼い馴らした筈の激情が暴れている。一生秘めていると決意した。この距離のまま傍にいるのだと。やっぱり、はぐらかしながら喋るなんて出来んもんやなあ。黙すれば黙する程、光一が傷付いて行く。
動く事で更に傷付けると分かっていても、立ち止まっていられなかった。偽らず、生きる。その為に、一生傍にいられなくなったとしても、だ。アドバイス、何の意味もなかったな。そっと右手を伸ばす。躊躇する気持ちが自分の中から消えて怖くなった。光一を手放したくはないけれど、無闇に傷付けたくもない。
「光一」
「っお前が、大人になりたいんなら、一人になりたいんなら、応援する」
「光一。違うんや。大人になるのと一人になるのは、違う。一緒の事やない」
頬に触れれば、冷たい感触に驚いた。血の気を失った肌はさらりと滑って、何も教えてくれない。白い頬の上で蛍光灯の光が無機質に反射した。光一は視線を上げ、真っ直ぐに見詰めて来る。自分と向き合う事ばかりを優先して来た養父のその瞳は、ずっと変わらなかった。
この世界で「絶対」の確信を持って信じられる、唯一の人だ。
「俺はきっと、何処まで行っても剛の父親にはなれないんやね」
「違う、光一。一緒に東京に来てからずっと、光一が一番大切や。他の何もいらない位」
「……剛」
「お前が嫌がるから言わんでおこうと思った。色々考えるんは目に見えてたし、それで後悔するだろう事も分かってる。光一に余計な負担掛けたくなかった。でも、俺これ以上何て言ったら良いのか分からん。光一を納得させる理由が思い付かんのや」
深呼吸をして、僅かに潤んだ光一の瞳を見詰め返す。いつも俯きがちに話す彼が、自分から逃げない為に取った手段だった。言葉には表れない感情を読む為に、必ず合わされる黒目がちの瞳はいつでも綺麗だ。怯まない瞳の底に、戸惑いや恐怖が潜んでいる事も知っていた。全部理解しているのに、こんな事をする自分は卑怯だ。
随分と長い時間見詰めて来た養父へ近付いて行った。黒曜石の瞳は、尚怯まずに煌めいている。唇が自分の名前を象る前に、優しく塞いだ。唇を重ねただけの、幼い仕草。近過ぎて焦点の合わなくなった視界の中でも、光一が瞼を降ろしていない事は分かった。
乾いた感触を確かめて、ゆっくりと離れる。思考回路の停止した光一を可愛いと思った。状況を把握するだけで精一杯の幼い表情だ。触れていた掌も離せば、二人を繋ぐものはなくなった。
「分かった?親としてとか、家族としてなんかやない。俺は、堂本光一が好きや。やから俺、お前と同じになりたい。早く対等になりたいんや」
「……剛」
涙一つ零さない感情表現の乏しい光一が、唇を噛んで感情を押さえ込んでいた。多分、彼の中では色々な衝動がせめぎ合っている。原因は自分なのだから、落ち着かせてやりたかった。いつも冷静に見える彼の脆さを知っている。光一が揺れていた。子供だと思って暮らしていた自分に告白されたのだから当たり前だ。でも、渡してしまった言葉を後悔してはならなかった。例え、光一を苦しめても。
「光一、ごめんな。本当の事なんて言ったらあかんのやろうけど。お願いやから、傍におらせて。一緒にいたい」
「……どうして」
「どうして、やろなあ。気付いたらお前しかおらんかった。光一以上に愛せる人なんて見付からんかった」
言葉を発する度、光一の顔が歪む。可哀相で仕方なかった。けれど、離れない為に言葉を重ねる。
「光一が好きや。光一だけをずっと。愛してる」
痛みを抱えて尚、彼は泣かない。堪える事ばかりを覚えてしまった不器用な大人が、何処かいたいけな存在に思えた。とっくに父親として光一を見ていない事に改めて気付いて、剛はひっそり笑う。今更、何処にも引き返せなかった。
空気を変える為に立ち上がると、夕飯の支度に取り掛かる。プライベートのない小さなこの部屋では、一人で悩む事も出来ないから。なるべく視線を合わせなくても済むように、少しの距離を取った。
冷蔵庫を覗き込みながら、光一と同じように痛む心臓を押さえる。告げて良い感情ではなかった。一生親このまま生きて行くべきだった事は分かっている。受け入れられる筈のない恋。
それでも。光一が一番大切にしているのは、奢りでも何でもなく自分だった。感情の種類が違うだけなのだと、甘く夢を見る事位は許して欲しい。
+++++
光一の額には、今も消えない傷痕が残っていた。うっすらと見えるそれを目にする度、剛は泣きたくなる。陶磁器みたいな綺麗な彼の肌に刻まれた線は、剛の本当の父親が付けたものだった。これ位の傷で済んだのだからと光一は思っているけれど、優しい子供が「ごめんなさい」と何度も言って泣きじゃくるのが嫌で、隠す為にずっと前髪を降ろす事にしている。童顔に見えれば、信頼度が落ちるのは分かっていた。でも、そんな薄っぺらな事より剛の方が大事だったから構わない。顔を合わせる度に泣かれるのはさすがに辛かった。
剛の父親に会いに行ったのは、東京で小学校の入学手続きを終えてすぐの事だ。気の早い桜が舞い始める歩道を二人で歩いた。母親に立ち会って貰い、同意書に署名させる為の帰郷だ。剛としっかり手を繋いで入った部屋では、もう既に彼の父親は酒を呑んでいた。同じ事を繰り返すだけの日々。子供の不在も気に留めない生活は変わっていない。剛が怒りを抑えるように繋いだ手の力を強めるのが苦しかった。
結局、話し合いは行われず、暴れ出した父親を止める為の傷を一つ作っただけ。最後まで剛への言葉はなかった。それ以来二度と父親と会う事はないまま。剛と二人きりの人生を深く決意したのは、多分この時だった。
母親とは毎月連絡する事を約束し、長期休暇の度に帰って来なさいと言われる。剛の成長を目で確認したいから、と笑った母は、もう自分の決意を変えようとはしなかった。剛を連れてすぐの時は、電話口で何度も怒鳴られたのに。頑固なんは私譲りやね、と優しく笑った母親もまた、見守る決意をしたのかも知れない。ずっと最後まで、実の親子で暮らす事を望んではいたけれど。
余り鳴る事のない自宅の電話の呼び出し音が響いたのは、剛が中学二年生の時だった。まだシステム開発部にいた光一を待って、遅い夕食を摂っている時の事だ。嫌な予感がした。電話を取る前から剛は悲しそうな瞳をしている。
「はい、堂本です」
「もしもし、光ちゃん?」
母親からだった。いつにない緊迫した声に息を飲む。静かに告げられたのは、剛の父親が亡くなったと言う事だった。今すぐ戻ってらっしゃいと言われ、食べ掛けの夕食をそのままに家を出る。新幹線の中で剛にゆっくり説明をすれば、「やっと要ったんか」と何の感情も宿さない声で呟いた。今も鮮明に残る暴力の記憶は、そう簡単に彼を悲しませてはくれない。安堵の色すら見せて、隣に座る自分の方が苦しくなった。剛と父親を引き離したのは自分だ。永遠に和解する機会を奪ってしまった。罪は重い。背負うべき罪状は分かっていた。一生を賭けて償って行くべき事も。
葬式を出す親戚もいなかったらしく、遺体安置所には光一の母親だけが待っていた。結局、彼女が納骨までの全ての手続きを行ってくれたのだ。剛のお父さんやから、と笑んだ表情には強さばかりが見えた。逃げずに向き合う事を良しとする潔さが好きだと思う。
遺体を前にしても、剛は涙一つ零さなかった。無表情のまま、じっと父親の顔を見詰めている。まるで、網膜に焼き付けるかのように。母親は悲しそうに、その様子を見ていた。
「なあ、光ちゃん」
「うん」
「分かってると思うけど、言わせてな」
視線を剛から外さないまま、独り言のように言われる。自分は続くであろう言葉を分かっていた。けれど誰かが言葉にしなければならない事なのだと母親は気付いている。
「あの子の人生を滅茶苦茶にしたとは言わん。光ちゃんのおかげで、救われた事も沢山あると思う。あんたがあの子に一生懸命なのは分かっとるつもり。でもな」
「うん」
「剛の価値観や生き方を変えてしまった事、それだけは絶対に忘れんといて」
「ん、うん。ごめん」
「謝る暇あったら、あの子の事沢山抱き締めてやんなさい」
悲しい時も嬉しい時も、傍に居続ける事。それが罪を償う事なのだとしたら、優しくて甘いばかりの罪だった。剛の事だけを生涯の家族とするなんて、難しい事ではない。彼の小さな手を取ったその時から、自分は運命を選択してしまった。いつか、自分の元から旅立つその日が来ても。
養子縁組の手続きをしたのはそれから二年後の、剛が高一になってからの事だった。絵空事の覚悟が自分の身体に完全に染み込むまでに二年の月日が必要だったのだ。まだ、親子になって二年。本当の家族にはどう足掻いてもなれないけれど、剛の父親らしく生きる事ばかりを考えていた。まさか、こんなところで思い知る事になるなんて。
「愛している」と言われた瞬間、目の前が真っ暗になった。お前は父親になれない。そう言われているみたいで。
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三者面談の日から一週間が経った。剛は呆れる位いつも通りで、逆に取り付く島がない。あの夜のキスなんて夢だったんじゃないかと思ってしまう程だった。悩むのにもいい加減疲れた頃、久しぶりに長瀬から飯でも行かないかと誘われる。珍しいと思ったけれど、多分自分の変化に気付いたのだろう。彼には動物的嗅覚が備わっていた。近くの居酒屋に入ってメニューを全部任せると、自分はアルコールだけを待つ。
「光一。ちゃんと食べなきゃ駄目だよ。お前、顔色悪過ぎ」
「大丈夫。食べとるから」
「何でそんな小食なのかなー、光一は」
長瀬に世話を焼かれるのは楽しかった。自分が何も出来ない子供に戻ってしまう感覚は、絶対に居心地の良いものなんかじゃない筈なのに。彼の雰囲気の成せる技だろう。
「で?」
「……え?」
「三面。どうだったの」
「……大学なんか行かん。就職するんやって言われた」
「立派だなあ」
「何処が!」
悲しそうに顔を歪めた光一に長瀬は笑った。取り皿にサラダを載せてやりながら思う。モラリストの友人は、剛を「普通の子」にさせようと必死だった。普通の家庭で普通の愛情を受けて育った普通の大学生になって欲しいのだろう。
規格外の自分には、彼の願いを上手く理解してやる事は出来なかった。大体、光一の愛し方はとっくに「普通の愛情」を超えている。自分も子供を溺愛しているとは思うけれど、その情の深さは全く性質の異なるものだった。
「今の子なんて、何となく大学行って何となく就職するんだよ。其処に自分の意志なんてない。でも、剛は自分で選ぼうとしてるんだから凄いじゃん」
「あんな子供の内から選ばんでええ」
「光一」
苦笑して、長瀬は思わずその小さな頭を撫でてしまった。娘にするのと同じ仕草だ。
「剛はもう、小っちゃい子供なんかじゃねえよ」
甘やかして、行く先を導いて、光一の手の中で守られるような事、あの強い瞳を持つ子供は望んでいない。無邪気とは程遠い、大人びた笑顔を思い出した。
「子供やもん。ずっとずっと、剛は俺の子供や……」
「……光一?」
「俺だけが、あいつの父親なんや」
「お前……剛に何言われた?」
光一を纏う空気が変質して、長瀬は慌てた。冷静に繕えないなんて珍しい。今日誘って良かったと心底思った。光一が本音を話せる友人は、きっと自分だけだから。
「愛してる、って……」
「それは、親子としてじゃなくって意味だな」
小さく頷いた光一の方が、余程子供じみていた。剛にばかり目を向けて生きて来たせいか、それとも彼が本質的に持っているものなのか。分からないけれど。
「でも、何も変わらん。いつも通りなにゃ。だから、どうしたら良いんか分からん。進路の事も、剛の気持ちも……」
「光一がそうやって軌道修正しようって考えている内は、多分変わんないよ」
剛の気持ちは光一を前にして、こんなにもはっきりと伝わって来る。愛しいと訴える彼の瞳は、確かに親子以上の愛情を含んでいた。それが果たして本当に悪い事なのかどうか、長瀬には判別がつかない。だって、この二人はずっと、互いへの愛情によって生かされて来た。
「俺は、どうするんがええんやろ」
「んー、そう言う難しい事は、城島先生に教えて貰った方が良いと思うけど。俺が言えるのは、初心忘るべからず、って事かな。俺は今でも覚えてるよ。剛に会わせてくれた日の事」
「長瀬……」
「覚えてる?光一が俺に紹介してくれたのって、三年も経ってからなんだぜ。俺、お前の事親友だって思ってたのに、一番大切なもの教えてくれないんだもん。結構傷付いたなあ」
「……ごめん」
「まあ、時効だけどね。ちょっと悔しかったな、あん時は。光一に秘密があるのは分かってたよ。お前いっつも真っ直ぐ帰るから、大事な彼女でもいるんだと思ってた。でも違った。もっと大事なもんだったね」
出会った頃の光一は何処か頼りなくて、自分の庇護欲を駆り立たせる存在だった。それは今も変わらないけれど、あの時からずっと、彼の瞳には揺るぎない信念が見え隠れしている。
剛を紹介されて、その色の意味に気付いた。光一が大切に守る唯一の宝物。中学生になった剛は、勿論守られるだけの弱い生き物ではなかった。故郷を離れて血の繋がっていない二人が一緒に生きて行くのは、大変だろう。それでも、光一は自ら選択した。あの子供と、東京で生き抜く事を。
「俺はね、光一。二人の事全部知ってる訳じゃないから、あんまりおこがましい事なんて言えないんだけどさ。光一は、剛を息子以上に大事にしてると思うよ。それがどんな愛情かは、別にしてさ。光一の一番は、ずっと剛じゃん。違う?」
「違わない。でも……」
「光一。二十二の男が十のガキ連れて全部面倒見て、二人だけで生活して来たんだろ。それって凄い事じゃん。お前、誰も頼んなかった。誰が何と言おうと、剛の父親は光一だよ。もっと、自分の事誉めてやれって。お前みたいな父親だったから、剛は人を愛する事やめずに済んだんだろ。あいつの本当の父親の話聞いてたら、剛が愛情を失わなかったのは奇跡に見える。その奇跡を起こしたのは、光一なんだよ」
両親に愛されなかった子供に最初に愛情を与えたのは光一だ。決して言葉数が多い訳じゃない。触れ合う事も得意じゃなかった。だからこそ、幼い心に彼の愛情は染み込んだのだろう。
光一は、悲しげに瞼を伏せた。自分を愛させる為に愛した訳じゃないのだと言いたいのかも知れない。無償の愛情は、子供の成長を願うだけだった。
手を伸ばして、彼の白い頬に触れる。びくりと揺れる肩。こんなに愛情を傾けても、その身体は全力で拒絶を示した。少しだけ痛む心には見ない振りをする。触れる事で癒える心の痛みもあった。遠慮もせずに撫でてやれば、身体の強張りを解いて嬉しそうに笑う。ほらね。人の体温は魔法なんだよ。
「……俺な」
「うん」
「困ってんの」
素直になった光一の唇から、繕わない言葉が零れた。揃った睫毛が頬に落とす影が綺麗で思わず見蕩れてしまう。彼は、笑った顔よりもこんな風に愁いを帯びた表情の方が似合っていた。可哀相だな、と思うけれど、今更幸福だけの満たされた光一なんて想像が出来ない。
「どう言う事?話してくんなきゃ分かんないよ」
「……剛には言わんといてな」
「うん。勿論」
「俺、嫌じゃなかってん。剛に好きって言われて、少しも嫌な気持ちにならんかったん」
「……光一」
「自分で怖くなった。そりゃ、あかんってすぐ思ったよ。聞いたら駄目やって。でも、全然嫌やないの」
舌足らずに言葉を重ねる光一は、分かっていないのだろうか。世間体や体裁を取り払った後に残る自分の気持ちを。困惑した表情で話す彼は、きっと気付いていない。伸ばした指先で髪を梳くと、頑張り屋の親友を甘やかした。光一を生かしているのは、間違いなく剛だ。
「嫌じゃなくて当たり前だろ。愛される事を嫌がるような酷い人間じゃないよ、光一は。剛に愛される事の、何が怖いんだよ」
「っだって、意味が違うやんか!あいつの愛してるは、普通の愛情やない」
「光一はさ、頭良いし物事を整理して考えるのが一番簡単なんだろうけどさ。意味って何?愛情に違いなんて絶対ないんだよ。剛が一番大切にしている心を拒絶して、お前はどうしたいの」
「普通、に、生きて欲しい」
「剛はとっくに普通より良い男だって」
「長瀬……」
「さっきの」
「え?」
「初心忘るべからず。あれね、子供が産まれてすぐお前と城島先生んとこ行った事あったじゃん。覚えてるかな」
「……ああ、うん。何となく」
「その時に教えて貰ったんだ。子供が成長するって事は、親も一緒に成長して行く事だって。でもいつか生活している内に悩んだり息詰まる時がある。そんな時に思い出しなさい、って言われたんだ。子供が産まれた時の喜びとか、初めて顔見た時一生守ってやるって誓った事とか。最初には皆愛しかないから、辛くなったら自分の中に眠る愛情を思い出してやんなさいって」
剛に最初に執着したのは光一だ。傷だらけの小さな子供を力の足りない手で守ろうとした。自分の愛情を全て渡して、人を愛する気持ちを失わないで欲しいと願った。確かに、剛は愛を失わずに生きている。
「何であの時剛を一緒に連れ出したのか、その意味をもう一度考えてみなよ」
「最初……」
「うん。俺には、つよちゃんが間違った道を歩いているようには見えねえよ」
長瀬は頼もしく笑って、光一の髪をかき混ぜた。今、自分が親友に抱いているように。不器用な彼が精一杯の愛情を他人の子供に注いでいるように。剛が光一へ向けた愛情も揺るぎなく力強い。きらきらと光る真っ直ぐな愛が間違ったものだなんて、長瀬は絶対に思いたくなかった。
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むしむしとした梅雨が明けたばかりの頃だったと思う。剛の記憶に残るのは肌の感触ばかりで、正確にいつ頃の事なのか思い出す事は出来なかった。多分、中学生だったのではないだろうか。
同級生に告白をされて、初めての彼女が出来た。友人よりも先に作れた優越感が強くて、別にその子は好きでも何でもない存在だったのだ。好奇心と、剛の心にいつも引っ掛かりを生む「普通」である事。一緒に暮らす年上の人をもう特別の意味で愛していたけれど、その彼が「普通」である事を望むのだから仕方ない。
「普通」に女の子を好きになって、「普通」の交際であるように女の子を抱いた。特別な感情は生まれなかった。身体が持ち合わせた欲求に自身を委ねるのは簡単だったけれど、光一を愛しているのだと実感させられただけだった。そして、欲の吐き出し方を覚えた身体は、彼を目の前にして呆気なく熱を持つ。一緒に暮らしているのだから当たり前だけど、光一は無防備過ぎて、いつ欲望のまま押し倒してしまうのか自分で怖かった。
二人の生活を続ける為に、剛が決めた儀式。一人きりの習慣だった。眠る光一に口付ける事。治まらない欲を逃がす為の卑怯な行為だとは分かっていた。けれど、歯止めが利かなくなるよりはマシだ。もし目が覚めても躱す自信はあった。光一は自分が子供らしく甘えて来る事に弱かったから。
女の子を抱く度に光一に口付ける。彼に自分と同じような欲求はないのだろうかと下世話な想像もした。一緒に眠るこの部屋に一人の場所はない。いつも穏やかな光一が理性を失う瞬間。何度考えてもイメージ出来なかった。彼は自分の感情が乱されるのを極端に嫌がる。恋と言うよりも、女性そのものを遠ざけているように見えた。
自分のせいなのかな、と思うと少しだけ寂しくて、でもそれ以上に嬉しい。光一を独り占めしている感覚は、間違いなく「普通」から逸脱しているけれど構わなかった。誰にも告げなければ、この恋は存在しないのと同義だ。彼はきっと、自分が「好きだ」なんて言ったら離れて行ってしまう。二人でいられるのならそれだけで十分だと言える程、大人にはなれなかった。欲望を身体の奥で飼い馴らしながら、暮らして行く。光一に恋人でも出来ない限りは、自分を抑え込めるだろうと思った。「恋人」になれなくても、今の「親子」と言う関係は唯一のものだ。
触れてしまいたい欲求と闘いながら今日まで生きて来た。もう、限界なのかも知れない。飼い殺した筈の熱は、すぐにでも光一の前で溢れ出してしまいそうだった。
本日、日本テレビにて宿題君の収録日。
だが、ワタクシ二宮和也はただ今、「志村どうぶつ園」のスタッフルームに来ております。
何故って?
それは・・・・あるモノを探して頂戴しにね、来たんですよ。
あれだけは・・・俺の手元に持っておかねばなりません!
盗みは犯罪?
馬鹿なこと言わないで下さい。
盗みなんてしませんよ。
正々堂々、真っ向勝負です。
大丈夫、絶対怪しまれる事はないから。
さあ、行きますよ!
「どうも、おはようございまーす」
「あれ、二宮君。おはようございます。どうしたんですか?」
「宿題君の収録でーす」
「ああ、そっか。で、今日はどんなお題なの?」
ほらね。
んふふ、これぞ日ごろの成果ってヤツですよ。
全く怪しまれる事なく潜入成功です。
おバカな企画を考えてくれてるスタッフに、今日ばかりは感謝しますよ。
「この間は、相葉君の短所だったよね?今度は長所?」
「・・・いえ・・・・」
そんな事はあなたたちに聞かなくても、充分知ってますから!!
「あ、じゃあ・・・おまぬけエピソードとか?」
「そりゃ、ありすぎるくらいあるからなぁ・・・・ほら、この間のアレとか、すごかったよな?」
「ああ!アレね。アレはやばいくらいにおまぬけだったなぁ。いや、ある意味天才だけど」
・・・・相葉さん、どんな事をみんなの前でしてんですか?
是非とも聞きたい!けど、それはまた今度の機会にして・・・。
任務を遂行せねば!!
「今日はですね、番組で使った小道具を何点か・・・」
「ああ、小道具ね。被り物とか?」
「ええ。」
「あっちの方にあるよ。使えそうなの適当に持って行って良いよ」
「ありがとうございます。では・・・」
さて・・・ワタクシのお目当てのモノは・・・。
あ!
ありました!!
んふふ・・・これこそ俺が探していたモノ。
こいつのせいで、俺は眠れぬ日々を過ごしたんですから。
ここからが腕の見せ所ですよ!
「あ、これ可愛い!あの、ここにあるのって、貰えたりしませんよねぇ・・・」
欲しいなぁ・・・・。
と、ここでおねだりビーム!!
「えーと・・・、たぶんもう使わないし、良いんじゃないかな?」
相手の目が泳いでる・・・もう一息ですね。
「じゃあ、これとかもらっちゃっても大丈夫ですか?」
ちょっと鼻にかかった声で、上目遣い。
「・・・ああ、良いよ。持ってきな」
はい、大成功。
「わぁ、ありがとうございます!!それじゃ、失礼しまーす」
まだまだ・・・・。
ここまで離れたら良いかな?
よしっ!!
ああ、おもいっきりガッツポーズしちゃいました。
誰も見てないよね?
んふふ、ゲットできましたよ。
まぁ、カモフラージュに他の小道具も何点かもらっちゃいましたけど。
それはそれで使えそうですしね。
ああ・・・、手の中のモノを眺めるだけで顔がにやけちゃう・・・・いやいや、ここは公衆の面前です!
もうちょっとの間は、カッコいいニノちゃんでいないとね。
さぁ、今日の夜が楽しみだなぁ・・・・。
本日のお仕事終了。
二宮と相葉は2人でご飯を食べた後、二宮の家に来ていた。
先にお風呂に入った相葉は、二宮の部屋でくつろぐ。
「あーいばさんっ。」
「うわっ!にの!急に後ろから抱きつかないでよ、びっくりするでしょぉ」
「ふふっ。ごめんねー・・・」
カチャ。
「え?なに?今カチャって・・・・ええっ!なにこれ!?」
相葉は驚いて二宮の方を見る。
「んふふ、さて何でしょう?見覚えあるでしょ?」
「ええっ・・・あ!これ、ジェームズ!!」
「大正解!あんたが番組でつけたてたジェームズの首輪。と、リードもね♪」
首輪にリードを取り付ける二宮。
「リードもね♪って!!なんでおれに着けるの!っていうか、なんでにのがそんなの持ってんの!?」
「えー?そりゃあ、日ごろの行いが良いからさ」
「は?意味わかんないんだけど」
疑うような視線を二宮に送る。
「そんな目で見ないでよ。今日さ、たまたまスタッフルームを通りかかってさ、いつも相葉さんが出てる番組だし、ちょっとね覗かせてもらったの。
そしたらさ、小道具がいっぱいあってね。可愛くてさー、可愛い可愛いって言ってたら、くれるって言うもんだから、ついもらっちゃった♪」
「ふーん・・・。で、よりによって、なんでこれなの?」
「・・・他にも色々もらったよー。でもさ、これが一番あんたに似合うと思って・・・」
実際、似合ってるし。
「に、似合ってないよ。それにこれが似合うって、なんか嬉しくないし・・・」
そう言って、首輪を引っ張り首を振る。
その姿があまりにも似合っていて、二宮の唇がつり上がる。
「えー・・・、俺は似合ってると思うよ。今まであんたがしてきた被り物や、コスプレのどれよりもね・・・・」
二宮の声が幾分低くなった。
「にの?」
「何ですか?」
「なんか・・・怒ってる?」
「・・・何で、そう思うの?」
「なんとなく・・・、勘?」
そう答えた相葉を見て、クスリと笑う。
「間違ってないけど、正解でもないかな・・・?」
「どういう意味?」
「怒ってるわけじゃない。けど、笑っていられるほど穏やかでもない」
二宮の言っている事がよく分からない。
相葉は首を傾げて二宮を見つめた。
そんな相葉に近づき、頬を撫でる。
「・・・ホント罪な男だね、あんたって。いつも俺を翻弄する」
「にの・・・いっ!」
突然、二宮がリードを思いっきり自分の方へ引き寄せた。。
そのせいで二宮と相葉の距離が更に近くなる。
「な、なに?にの、痛いよ」
驚いたのと突然の痛みに、目に涙を溜めて相葉が二宮を睨んだ。
「言ったでしょ?怒ってないけど、笑ってられるほどじゃないって・・・」
リードを引く手に力が篭る。
首輪がギリギリと悲鳴をあげた。
「ちょ、にのっ!?」
二宮の真剣な眼差しにぶつかり、相葉は戸惑った。
いつものことだが、二宮をイラつかせている原因が分からない。
怒ってないと言いながら、二宮の瞳には明らかに怒りの色が見て取れた。
不安げに二宮を見つめる。
「・・・分かってないんだね。そこもあんたらしいよ・・」
二宮が自嘲気味に笑った。
「好きだよ、相葉さん」
「わっ!んっ・・・・・」
首輪を掴んで引き寄せると、相葉に口付けた。
「んっ、くちゅ・・・ん、はぁっ・・・」
深い口付けに相葉の手足から力が抜けて、膝立ちの体勢から床に崩れ落ちた。
そんな相葉を見下ろし、二宮は立ち上がる。
「にぃのぉ・・・」
二宮のズボンの裾を掴んで見上げた。
「何?」
立ったまま相葉を見下ろす二宮。
「どっか、行っちゃうのぉ・・・?」
「・・・行かないよ。何で?」
「だって・・・」
二宮が立ち上がったことで、自分から離れようとしていると思ったようだ。
相葉の瞳に不安の色が濃く浮かぶ。
二宮が離れていく事を恐れている相葉の姿は、二宮の機嫌を良くした。
「相葉さん・・・さっきも言ったけど、俺は怒ってるわけじゃないんだよ。ただ、あんたに自覚して欲しいんだ」
「じ・・・かく?」
二宮はしゃがんで、相葉と目線を合わせる。
「俺ね、あんたが頑張ってるのテレビで見てるとすっげぇ嬉しいの・・・でもさ、逆に喜べない自分もいてね」
「に、にの・・・・?」
「矛盾してるんだけど、ホントそうなんだよ。みんなに可愛がられて、楽しそうにしてて。
良いことなのに、俺のいない所で何笑ってんだって、思っちゃうんだ。それにね、コレ・・・・」
首輪に手をかけ、再び相葉を自分に引き寄せる。
「うっ・・・・」
首輪が皮膚に食い込んで、相葉が唸り声を上げた。
相葉の顔を上向かせ、二宮が低い声で言う。
「コレをテレビであんたがしてるの見た時もね、誰がこんな格好みんなの前にさらして良いって言ったよ?って思った」
そう、これはただの嫉妬。
自分の心の狭さから来るただのエゴ。
「にの・・・」
「相葉さんが悪いんじゃない。俺の勝手な想いだって分かってる。だから、怒る理由はないんだ。ただ、俺がそう思ってる事をあんたに自覚して欲しい・・・」
片方の手で相葉の頬を優しく撫でる。
首輪をギリギリと締め付けているのと同じ人物の手とは思えないほどに優しく。
そのギャップに戸惑い、二宮を見た。
二宮の切ない瞳とぶつかって、相葉は自分の愚かさを思い知らされる。
二宮から感じるのは怒りだけではない。
痛いほどの愛情。
両方の手に、矛盾する彼の感情が表れていた。
首に感じる痛みなんて比じゃないくらいに、胸が痛い。
ああ、どうして自分はこの人をこんなにも不安にさせてしまうのだろう。
どうしたら彼の心を鎮めてあげられる?
「・・・にの、ごめんなさい。おれ、ばかだからすぐににのを怒らせて。でも、にのがダメっていうことは絶対しないから。だから・・・」
おれを嫌いにならないで。
自分に出来る事は、これだけ。
情けないけど、ただ彼に縋る。
そんな相葉を見て二宮は首輪にかけていた手を離した。
その代わりに両手で相葉の顔を包み込む。
相葉の言葉は少なからず、二宮の独占欲を満たした。
「いつも言ってるでしょ?俺があんたを嫌いになるわけないって。大好きだもん、あんたの事」
「にのぉ・・・おれもだいすきぃ。にのがいなきゃ・・・やだよぉ」
潤んだ瞳から雫が溢れて流れた。
「分かってるよ・・・。だから、怒ってるわけじゃないって言ってるじゃない。この子はもう、しょうがないねぇ・・・」
「ん・・・」
その雫を自らの唇で拭い取り、唇に吸い付いた。
「んあっ・・・はぁ・・・・ん」
相葉の口から甘い息が漏れる。
二宮の服を掴んで、崩れそうになる身体を支えた。
再び二宮が自分から離れないように。
相葉のその態度に思わず笑みが浮かぶ。
二宮は唇を離すと、相葉の手を外し立ち上がろうとする。
「に、にのっ・・・・」
焦った相葉が強く服を掴んだ。
「なぁに?相葉さん」
わざと分からない振りで相葉を見る。
「ん・・・・」
涙目で二宮を見上げながら、くいくいと服の裾を引っ張る。
相葉は、自分から「して欲しい」とは言わない。
こういう時、普段の空気を読まない、騒がしい一面は鳴りを潜め、ただただ二宮を見つめる。
いつもその態度で、その目で二宮に訴えてくるのだ。
キスして欲しい。
触って欲しいと。
それが二宮だけが知る相葉の姿。
潤んだ瞳を二宮へ向け、半開きの口が微かに動く。
「にの、おねがい」・・・と。
その姿に二宮の独占欲は完全に満たされる。
同時に湧き上がってくるのは支配欲。
彼の細い首には二宮の着けた首輪。
首輪から伸びているリードは、自分の手元へと続いている。
二宮は相葉を見下ろして妖しく笑った。
目は口ほどにものを言うとはよく言ったもので。
自分の動き1つ1つに反応して、揺らぐ相葉の瞳がたまらなく征服感を煽る。
欲情を刺激する。
「ねぇ・・・相葉さん。俺にどうして欲しいの?」
ズボンの裾を掴んだままの相葉を見下ろした。
「え?そんなの・・・・」
言えないと、頬を赤くして目を逸らす。
「言えないの?しょうがないね。・・・・じゃあさ、態度で示してよ?」
「たいど・・・?」
どうすれば良いのか分からず首を傾げる相葉。
「俺にどうして欲しいのか・・・・あんたが俺にやってみせて?」
「えっ・・・・おれが、するの?」
「うん。だって俺には分かんないもん、あんたが俺に何を求めてるのか。でも、言えないんでしょ?だからやってみせてよ、俺に分かるようにね。
丁度良いじゃん。今の相葉さん、ジェームズだもんね。ジェームズは喋んないでしょ?」
手元にあるリードを振ってみせる。
「そんな・・・・」
二宮の言葉に打ちひしがれる相葉。
「出来ないの?」
床に座ったまま俯いた相葉を、リードを引いて上向かせると、深いキスを仕掛ける。
「はっ、ん・・・・・」
息さえ飲み込まれそうな激しさに、相葉は座っている事すら出来なくなり、後ろへ倒れそうになる。
二宮は、片方の手でしっかりとリードを握りこんで相葉が倒れないようにすると、もう片方の手で相葉のわき腹を撫で、そのまま下の方へと下ろしていく。
「あっん・・・・はぁ・・・んっ!!」
相葉自身に手を伸ばし、やんわりと触れると、身体が跳ね上がった。
徐々に二宮が触れている部分が熱を持ち始める。
そんな相葉の反応を確認した二宮は、唇を離すと同時に触れていた手も離してしまう。
「あっ・・・なんでぇ?」
急に止められた行為に、相葉は泣きそうになりながら二宮を見た。
「さっきから言ってるじゃない。俺がしたい事じゃない、相葉さんがして欲しい事をやってみせてって」
そう言って二宮はリードを持ったまま、相葉から離れ、近くの椅子に座った。
「うー・・・にのぉ・・・」
相葉は二宮を見つめ、必死に訴えかけるが二宮に動く気配はない。
ただにっこり笑って相葉を見つめている。
この状況を打破するには、自分が動くしかないという事は分かっている。
分かってはいるが、恥ずかしくてたまらない。
しかし、このままやり過ごせるような状況ではない事も確かで。
相葉はぎゅっと目を瞑ると、決意を固め動き出した。
二宮の元へ歩み寄ろうとして、足に力が入らない自分に気付く。
先ほどの二宮からの刺激で、完全に力が抜けてしまっているようだ。
「んっ・・・・にのぉ、立てない・・・」
あひる座りのまま二宮に助けを求めた。
「立たなくても良いじゃない。相葉さんジェームズなんだから。それより、早くおいで。来ないなら俺、寝ちゃうよ?」
椅子からは動かずに、リードをクイっと引っ張り二宮が催促する。
「んっ!い、いくから・・・まってて」
足に力が入らない相葉が二宮の元へ行くにはこれしかないと、相葉は両手を床につき、膝を立てた。
所謂、四つん這い。
その姿はあまりにも扇情的で、二宮の中の加虐心を刺激する。
「相葉さん・・・下、脱いでおいで?」
「えっ!?」
「どうせ脱ぐんだもん、その方が早いでしょ?大丈夫、上着が長いから見えないよ」
「そんな・・・・にのぉ」
必死に訴えても、今日の二宮は助けてくれない。
恥ずかしさに耐えながら、おずおずと自分の服に手を掛け脱ぎ捨てた。
二宮の言うとおり上着が長いため見えはしないが、心もとない。
「ほら相葉さん、はぁやく」
「うー・・・」
再び両手と膝を床につけ、戸惑いがちに二宮へと近づいていく。
少しリードを強く引いてやれば、顔をしかめて睨み付けてくる。
「んふふ・・・・かぁわいい」
「にのぉ・・・」
二宮の足元までたどり着くと恥ずかしさと、これから始まる行為への期待が入り混じった眼で見つめる。
「よく出来ました。えらいね」
そう言って頭を撫でてやると、嬉しそうに眼を細める。
「で、どうすんの?」
「う、うん・・・」
二宮の足の間に身体を滑り込ませ、腿に手を置いて膝立ちすると、二宮の唇に触れた。
最初は恐る恐る触れていたそれが、次第に大胆になり、相葉の舌が二宮の口腔内へと入り込んでくる。
「はっん・・・くちゅ・・・はぁ」
自ら仕掛けたキスに感じ、目元を赤くさせている相葉は本当に艶やかで綺麗だ。
唇を離すと二宮のシャツを捲り上げ、わき腹にキスをした。
「んっ・・・ちょっと、あんた。そんな事どこで覚えてきたのよ」
不意の刺激に思わず声を出してしまった二宮は悔しそうに相葉を見た。
「くふふっ、にの感じちゃったね。かわいいっ」
「・・・あんたに言われたくないよ。次は?どうすんの?」
不機嫌に答える二宮に気分を良くした相葉は、二宮の前に座り込むとズボンから二宮自身を取り出す。
まだ反応を始めていないそれを、相葉は自分の口腔内へと誘った。
二宮の足の間に顔を埋め、行為に没頭する。
二宮の反応が気になるのか、時々上目遣いで二宮の表情を窺う姿が何とも可愛らしく、二宮の欲情を煽る。
「・・・くっ、はぁ・・・あんた、ホント犬みたい・・・ぺろぺろ舐めて・・・そんな好きなの?」
二宮の凌辱的な言葉に、眉根を寄せて二宮に非難めいた視線を送る。
「んふふ・・・睨んじゃって、可愛いね。腰、動いてるよ?」
二宮の言葉に、相葉は自分の腰が揺らいでいる事に気付き、顔を赤くした。
そんな相葉を愛しそうに見つめると、顔を上げさせ、キスをする。
「んっ・・・にの?」
「ふふっ、もう良いよ・・・次はどうしたい?」
リードを引き、自分の方に相葉を引き寄せた。
「ん・・・・」
二宮に促されて立ち上がると、二宮の膝の上に向かい合わせに座って腕を首に絡める。
「あいばさん・・・当たってんですけど」
そう言って、わざと腰を揺らし相葉を刺激する。
「あっん、もう・・・にのっ!」
「んははっ・・・ごめん、次は?あんたの好きにして?」
恨めしげに二宮を見る相葉に、ごめんの意味を込めてキスをした。
それだけで機嫌が良くなった相葉は、一度ぎゅっと抱きつくと、二宮の手を取る。
そのまま自らの口へと運び、先ほどの行為の続きのように舐め始めた。
「ん・・・ぺろ・・・・ちゅん・・・ちゅぱ」
しばらく続けた後、相葉はその指を自分の蕾へと導く。
「んあっ・・・・んっ、ん・・・にのぉ・・・うぇ・・・」
入り込んできた指先は相葉の良いところになかなか当たらず、とうとう相葉が泣き出した。
「ごめんね?ここまで良く出来ました。大好きだよ」
優しく囁き、頭を撫でてやると首にしがみついて泣きじゃくる。
相葉の涙を唇で拭い取ると、相葉の中に入っている指を動かし始める。
「あはっ、ん・・・だめっ、あっ、あ」
的確に良いところばかりを攻めてくる指先に、相葉は喘ぐしか出来ない。
「あいばさん・・・そろそろ、いくよ?」
確認すると、二宮にしがみついたまま、こくんと頷く。
「じゃあ、ベッドいこうか?」
「え?うわっ!」
相葉を抱えたまま移動するとベッドへダイブする。
相葉の上着を脱がせると、自分も服を脱ぎ見詰め合う。
「ふふっ、相葉さん。裸に首輪って卑猥だね・・・すっごい似合ってるけど」
「も、もうっ!言わないでぇ」
「ごめん、ごめん。ほら、いくよ・・・?」
二宮の熱い欲望が入ってくるのを感じ、相葉は眉を寄せる。
「ああっ、にの、にのぉ・・・・んっ!」
完全に収まると、ゆっくりと動き出す。
「はぁ、ん・・・あっ、あ」
「あいばっ・・・・んっ、俺だけを見て?俺だけ・・・感じてイって?」
二宮の動きがだんだんと早くなり、絶頂へと2人で駆け上がる。
「んっ、あぁ・・・にっのだけぇ・・・んあっ!イっちゃ・・・ああっ!」
*****
「次、これ!!うひゃひゃっ!超かわいいい!ひゃはっ」
「ねぇ・・・もういいでしょ?」
「まだ!つぎ、こっち。おお、似合う似合う。ね、ニャーって言って!」
行為後、もらってきた被り物に夢中なのは相葉。
被らされているのは二宮だ。
今被っているのはパンダの被り物なのに、何故かニャーと鳴けと言われて二宮は呆れ果てた。
「パンダはニャーじゃないと思うよ・・・?」
「だって分かんないんだもん、良いじゃんニャーって言って!!」
「にゃー・・・」
「うわぁ、かわいいっ」
そう言ってはしゃぐ相葉の首には、いまだ首輪がつけられたままだ。
「あんたの方がよっぽど可愛いんですけど・・・」
「ふぇ?なんか言った?」
「・・・別に。パンダだって、人を襲うって言ったんです」
「え?うわぁ!」
そのまま相葉を押し倒す。
「んふふ、パンダに食われる子猫ちゃん・・・悪くないね」
いただきます。
「ちょ、にの・・・だめっ・・・・あっ」
相葉さん、ご馳走様ですvv
おわり
だが、ワタクシ二宮和也はただ今、「志村どうぶつ園」のスタッフルームに来ております。
何故って?
それは・・・・あるモノを探して頂戴しにね、来たんですよ。
あれだけは・・・俺の手元に持っておかねばなりません!
盗みは犯罪?
馬鹿なこと言わないで下さい。
盗みなんてしませんよ。
正々堂々、真っ向勝負です。
大丈夫、絶対怪しまれる事はないから。
さあ、行きますよ!
「どうも、おはようございまーす」
「あれ、二宮君。おはようございます。どうしたんですか?」
「宿題君の収録でーす」
「ああ、そっか。で、今日はどんなお題なの?」
ほらね。
んふふ、これぞ日ごろの成果ってヤツですよ。
全く怪しまれる事なく潜入成功です。
おバカな企画を考えてくれてるスタッフに、今日ばかりは感謝しますよ。
「この間は、相葉君の短所だったよね?今度は長所?」
「・・・いえ・・・・」
そんな事はあなたたちに聞かなくても、充分知ってますから!!
「あ、じゃあ・・・おまぬけエピソードとか?」
「そりゃ、ありすぎるくらいあるからなぁ・・・・ほら、この間のアレとか、すごかったよな?」
「ああ!アレね。アレはやばいくらいにおまぬけだったなぁ。いや、ある意味天才だけど」
・・・・相葉さん、どんな事をみんなの前でしてんですか?
是非とも聞きたい!けど、それはまた今度の機会にして・・・。
任務を遂行せねば!!
「今日はですね、番組で使った小道具を何点か・・・」
「ああ、小道具ね。被り物とか?」
「ええ。」
「あっちの方にあるよ。使えそうなの適当に持って行って良いよ」
「ありがとうございます。では・・・」
さて・・・ワタクシのお目当てのモノは・・・。
あ!
ありました!!
んふふ・・・これこそ俺が探していたモノ。
こいつのせいで、俺は眠れぬ日々を過ごしたんですから。
ここからが腕の見せ所ですよ!
「あ、これ可愛い!あの、ここにあるのって、貰えたりしませんよねぇ・・・」
欲しいなぁ・・・・。
と、ここでおねだりビーム!!
「えーと・・・、たぶんもう使わないし、良いんじゃないかな?」
相手の目が泳いでる・・・もう一息ですね。
「じゃあ、これとかもらっちゃっても大丈夫ですか?」
ちょっと鼻にかかった声で、上目遣い。
「・・・ああ、良いよ。持ってきな」
はい、大成功。
「わぁ、ありがとうございます!!それじゃ、失礼しまーす」
まだまだ・・・・。
ここまで離れたら良いかな?
よしっ!!
ああ、おもいっきりガッツポーズしちゃいました。
誰も見てないよね?
んふふ、ゲットできましたよ。
まぁ、カモフラージュに他の小道具も何点かもらっちゃいましたけど。
それはそれで使えそうですしね。
ああ・・・、手の中のモノを眺めるだけで顔がにやけちゃう・・・・いやいや、ここは公衆の面前です!
もうちょっとの間は、カッコいいニノちゃんでいないとね。
さぁ、今日の夜が楽しみだなぁ・・・・。
本日のお仕事終了。
二宮と相葉は2人でご飯を食べた後、二宮の家に来ていた。
先にお風呂に入った相葉は、二宮の部屋でくつろぐ。
「あーいばさんっ。」
「うわっ!にの!急に後ろから抱きつかないでよ、びっくりするでしょぉ」
「ふふっ。ごめんねー・・・」
カチャ。
「え?なに?今カチャって・・・・ええっ!なにこれ!?」
相葉は驚いて二宮の方を見る。
「んふふ、さて何でしょう?見覚えあるでしょ?」
「ええっ・・・あ!これ、ジェームズ!!」
「大正解!あんたが番組でつけたてたジェームズの首輪。と、リードもね♪」
首輪にリードを取り付ける二宮。
「リードもね♪って!!なんでおれに着けるの!っていうか、なんでにのがそんなの持ってんの!?」
「えー?そりゃあ、日ごろの行いが良いからさ」
「は?意味わかんないんだけど」
疑うような視線を二宮に送る。
「そんな目で見ないでよ。今日さ、たまたまスタッフルームを通りかかってさ、いつも相葉さんが出てる番組だし、ちょっとね覗かせてもらったの。
そしたらさ、小道具がいっぱいあってね。可愛くてさー、可愛い可愛いって言ってたら、くれるって言うもんだから、ついもらっちゃった♪」
「ふーん・・・。で、よりによって、なんでこれなの?」
「・・・他にも色々もらったよー。でもさ、これが一番あんたに似合うと思って・・・」
実際、似合ってるし。
「に、似合ってないよ。それにこれが似合うって、なんか嬉しくないし・・・」
そう言って、首輪を引っ張り首を振る。
その姿があまりにも似合っていて、二宮の唇がつり上がる。
「えー・・・、俺は似合ってると思うよ。今まであんたがしてきた被り物や、コスプレのどれよりもね・・・・」
二宮の声が幾分低くなった。
「にの?」
「何ですか?」
「なんか・・・怒ってる?」
「・・・何で、そう思うの?」
「なんとなく・・・、勘?」
そう答えた相葉を見て、クスリと笑う。
「間違ってないけど、正解でもないかな・・・?」
「どういう意味?」
「怒ってるわけじゃない。けど、笑っていられるほど穏やかでもない」
二宮の言っている事がよく分からない。
相葉は首を傾げて二宮を見つめた。
そんな相葉に近づき、頬を撫でる。
「・・・ホント罪な男だね、あんたって。いつも俺を翻弄する」
「にの・・・いっ!」
突然、二宮がリードを思いっきり自分の方へ引き寄せた。。
そのせいで二宮と相葉の距離が更に近くなる。
「な、なに?にの、痛いよ」
驚いたのと突然の痛みに、目に涙を溜めて相葉が二宮を睨んだ。
「言ったでしょ?怒ってないけど、笑ってられるほどじゃないって・・・」
リードを引く手に力が篭る。
首輪がギリギリと悲鳴をあげた。
「ちょ、にのっ!?」
二宮の真剣な眼差しにぶつかり、相葉は戸惑った。
いつものことだが、二宮をイラつかせている原因が分からない。
怒ってないと言いながら、二宮の瞳には明らかに怒りの色が見て取れた。
不安げに二宮を見つめる。
「・・・分かってないんだね。そこもあんたらしいよ・・」
二宮が自嘲気味に笑った。
「好きだよ、相葉さん」
「わっ!んっ・・・・・」
首輪を掴んで引き寄せると、相葉に口付けた。
「んっ、くちゅ・・・ん、はぁっ・・・」
深い口付けに相葉の手足から力が抜けて、膝立ちの体勢から床に崩れ落ちた。
そんな相葉を見下ろし、二宮は立ち上がる。
「にぃのぉ・・・」
二宮のズボンの裾を掴んで見上げた。
「何?」
立ったまま相葉を見下ろす二宮。
「どっか、行っちゃうのぉ・・・?」
「・・・行かないよ。何で?」
「だって・・・」
二宮が立ち上がったことで、自分から離れようとしていると思ったようだ。
相葉の瞳に不安の色が濃く浮かぶ。
二宮が離れていく事を恐れている相葉の姿は、二宮の機嫌を良くした。
「相葉さん・・・さっきも言ったけど、俺は怒ってるわけじゃないんだよ。ただ、あんたに自覚して欲しいんだ」
「じ・・・かく?」
二宮はしゃがんで、相葉と目線を合わせる。
「俺ね、あんたが頑張ってるのテレビで見てるとすっげぇ嬉しいの・・・でもさ、逆に喜べない自分もいてね」
「に、にの・・・・?」
「矛盾してるんだけど、ホントそうなんだよ。みんなに可愛がられて、楽しそうにしてて。
良いことなのに、俺のいない所で何笑ってんだって、思っちゃうんだ。それにね、コレ・・・・」
首輪に手をかけ、再び相葉を自分に引き寄せる。
「うっ・・・・」
首輪が皮膚に食い込んで、相葉が唸り声を上げた。
相葉の顔を上向かせ、二宮が低い声で言う。
「コレをテレビであんたがしてるの見た時もね、誰がこんな格好みんなの前にさらして良いって言ったよ?って思った」
そう、これはただの嫉妬。
自分の心の狭さから来るただのエゴ。
「にの・・・」
「相葉さんが悪いんじゃない。俺の勝手な想いだって分かってる。だから、怒る理由はないんだ。ただ、俺がそう思ってる事をあんたに自覚して欲しい・・・」
片方の手で相葉の頬を優しく撫でる。
首輪をギリギリと締め付けているのと同じ人物の手とは思えないほどに優しく。
そのギャップに戸惑い、二宮を見た。
二宮の切ない瞳とぶつかって、相葉は自分の愚かさを思い知らされる。
二宮から感じるのは怒りだけではない。
痛いほどの愛情。
両方の手に、矛盾する彼の感情が表れていた。
首に感じる痛みなんて比じゃないくらいに、胸が痛い。
ああ、どうして自分はこの人をこんなにも不安にさせてしまうのだろう。
どうしたら彼の心を鎮めてあげられる?
「・・・にの、ごめんなさい。おれ、ばかだからすぐににのを怒らせて。でも、にのがダメっていうことは絶対しないから。だから・・・」
おれを嫌いにならないで。
自分に出来る事は、これだけ。
情けないけど、ただ彼に縋る。
そんな相葉を見て二宮は首輪にかけていた手を離した。
その代わりに両手で相葉の顔を包み込む。
相葉の言葉は少なからず、二宮の独占欲を満たした。
「いつも言ってるでしょ?俺があんたを嫌いになるわけないって。大好きだもん、あんたの事」
「にのぉ・・・おれもだいすきぃ。にのがいなきゃ・・・やだよぉ」
潤んだ瞳から雫が溢れて流れた。
「分かってるよ・・・。だから、怒ってるわけじゃないって言ってるじゃない。この子はもう、しょうがないねぇ・・・」
「ん・・・」
その雫を自らの唇で拭い取り、唇に吸い付いた。
「んあっ・・・はぁ・・・・ん」
相葉の口から甘い息が漏れる。
二宮の服を掴んで、崩れそうになる身体を支えた。
再び二宮が自分から離れないように。
相葉のその態度に思わず笑みが浮かぶ。
二宮は唇を離すと、相葉の手を外し立ち上がろうとする。
「に、にのっ・・・・」
焦った相葉が強く服を掴んだ。
「なぁに?相葉さん」
わざと分からない振りで相葉を見る。
「ん・・・・」
涙目で二宮を見上げながら、くいくいと服の裾を引っ張る。
相葉は、自分から「して欲しい」とは言わない。
こういう時、普段の空気を読まない、騒がしい一面は鳴りを潜め、ただただ二宮を見つめる。
いつもその態度で、その目で二宮に訴えてくるのだ。
キスして欲しい。
触って欲しいと。
それが二宮だけが知る相葉の姿。
潤んだ瞳を二宮へ向け、半開きの口が微かに動く。
「にの、おねがい」・・・と。
その姿に二宮の独占欲は完全に満たされる。
同時に湧き上がってくるのは支配欲。
彼の細い首には二宮の着けた首輪。
首輪から伸びているリードは、自分の手元へと続いている。
二宮は相葉を見下ろして妖しく笑った。
目は口ほどにものを言うとはよく言ったもので。
自分の動き1つ1つに反応して、揺らぐ相葉の瞳がたまらなく征服感を煽る。
欲情を刺激する。
「ねぇ・・・相葉さん。俺にどうして欲しいの?」
ズボンの裾を掴んだままの相葉を見下ろした。
「え?そんなの・・・・」
言えないと、頬を赤くして目を逸らす。
「言えないの?しょうがないね。・・・・じゃあさ、態度で示してよ?」
「たいど・・・?」
どうすれば良いのか分からず首を傾げる相葉。
「俺にどうして欲しいのか・・・・あんたが俺にやってみせて?」
「えっ・・・・おれが、するの?」
「うん。だって俺には分かんないもん、あんたが俺に何を求めてるのか。でも、言えないんでしょ?だからやってみせてよ、俺に分かるようにね。
丁度良いじゃん。今の相葉さん、ジェームズだもんね。ジェームズは喋んないでしょ?」
手元にあるリードを振ってみせる。
「そんな・・・・」
二宮の言葉に打ちひしがれる相葉。
「出来ないの?」
床に座ったまま俯いた相葉を、リードを引いて上向かせると、深いキスを仕掛ける。
「はっ、ん・・・・・」
息さえ飲み込まれそうな激しさに、相葉は座っている事すら出来なくなり、後ろへ倒れそうになる。
二宮は、片方の手でしっかりとリードを握りこんで相葉が倒れないようにすると、もう片方の手で相葉のわき腹を撫で、そのまま下の方へと下ろしていく。
「あっん・・・・はぁ・・・んっ!!」
相葉自身に手を伸ばし、やんわりと触れると、身体が跳ね上がった。
徐々に二宮が触れている部分が熱を持ち始める。
そんな相葉の反応を確認した二宮は、唇を離すと同時に触れていた手も離してしまう。
「あっ・・・なんでぇ?」
急に止められた行為に、相葉は泣きそうになりながら二宮を見た。
「さっきから言ってるじゃない。俺がしたい事じゃない、相葉さんがして欲しい事をやってみせてって」
そう言って二宮はリードを持ったまま、相葉から離れ、近くの椅子に座った。
「うー・・・にのぉ・・・」
相葉は二宮を見つめ、必死に訴えかけるが二宮に動く気配はない。
ただにっこり笑って相葉を見つめている。
この状況を打破するには、自分が動くしかないという事は分かっている。
分かってはいるが、恥ずかしくてたまらない。
しかし、このままやり過ごせるような状況ではない事も確かで。
相葉はぎゅっと目を瞑ると、決意を固め動き出した。
二宮の元へ歩み寄ろうとして、足に力が入らない自分に気付く。
先ほどの二宮からの刺激で、完全に力が抜けてしまっているようだ。
「んっ・・・・にのぉ、立てない・・・」
あひる座りのまま二宮に助けを求めた。
「立たなくても良いじゃない。相葉さんジェームズなんだから。それより、早くおいで。来ないなら俺、寝ちゃうよ?」
椅子からは動かずに、リードをクイっと引っ張り二宮が催促する。
「んっ!い、いくから・・・まってて」
足に力が入らない相葉が二宮の元へ行くにはこれしかないと、相葉は両手を床につき、膝を立てた。
所謂、四つん這い。
その姿はあまりにも扇情的で、二宮の中の加虐心を刺激する。
「相葉さん・・・下、脱いでおいで?」
「えっ!?」
「どうせ脱ぐんだもん、その方が早いでしょ?大丈夫、上着が長いから見えないよ」
「そんな・・・・にのぉ」
必死に訴えても、今日の二宮は助けてくれない。
恥ずかしさに耐えながら、おずおずと自分の服に手を掛け脱ぎ捨てた。
二宮の言うとおり上着が長いため見えはしないが、心もとない。
「ほら相葉さん、はぁやく」
「うー・・・」
再び両手と膝を床につけ、戸惑いがちに二宮へと近づいていく。
少しリードを強く引いてやれば、顔をしかめて睨み付けてくる。
「んふふ・・・・かぁわいい」
「にのぉ・・・」
二宮の足元までたどり着くと恥ずかしさと、これから始まる行為への期待が入り混じった眼で見つめる。
「よく出来ました。えらいね」
そう言って頭を撫でてやると、嬉しそうに眼を細める。
「で、どうすんの?」
「う、うん・・・」
二宮の足の間に身体を滑り込ませ、腿に手を置いて膝立ちすると、二宮の唇に触れた。
最初は恐る恐る触れていたそれが、次第に大胆になり、相葉の舌が二宮の口腔内へと入り込んでくる。
「はっん・・・くちゅ・・・はぁ」
自ら仕掛けたキスに感じ、目元を赤くさせている相葉は本当に艶やかで綺麗だ。
唇を離すと二宮のシャツを捲り上げ、わき腹にキスをした。
「んっ・・・ちょっと、あんた。そんな事どこで覚えてきたのよ」
不意の刺激に思わず声を出してしまった二宮は悔しそうに相葉を見た。
「くふふっ、にの感じちゃったね。かわいいっ」
「・・・あんたに言われたくないよ。次は?どうすんの?」
不機嫌に答える二宮に気分を良くした相葉は、二宮の前に座り込むとズボンから二宮自身を取り出す。
まだ反応を始めていないそれを、相葉は自分の口腔内へと誘った。
二宮の足の間に顔を埋め、行為に没頭する。
二宮の反応が気になるのか、時々上目遣いで二宮の表情を窺う姿が何とも可愛らしく、二宮の欲情を煽る。
「・・・くっ、はぁ・・・あんた、ホント犬みたい・・・ぺろぺろ舐めて・・・そんな好きなの?」
二宮の凌辱的な言葉に、眉根を寄せて二宮に非難めいた視線を送る。
「んふふ・・・睨んじゃって、可愛いね。腰、動いてるよ?」
二宮の言葉に、相葉は自分の腰が揺らいでいる事に気付き、顔を赤くした。
そんな相葉を愛しそうに見つめると、顔を上げさせ、キスをする。
「んっ・・・にの?」
「ふふっ、もう良いよ・・・次はどうしたい?」
リードを引き、自分の方に相葉を引き寄せた。
「ん・・・・」
二宮に促されて立ち上がると、二宮の膝の上に向かい合わせに座って腕を首に絡める。
「あいばさん・・・当たってんですけど」
そう言って、わざと腰を揺らし相葉を刺激する。
「あっん、もう・・・にのっ!」
「んははっ・・・ごめん、次は?あんたの好きにして?」
恨めしげに二宮を見る相葉に、ごめんの意味を込めてキスをした。
それだけで機嫌が良くなった相葉は、一度ぎゅっと抱きつくと、二宮の手を取る。
そのまま自らの口へと運び、先ほどの行為の続きのように舐め始めた。
「ん・・・ぺろ・・・・ちゅん・・・ちゅぱ」
しばらく続けた後、相葉はその指を自分の蕾へと導く。
「んあっ・・・・んっ、ん・・・にのぉ・・・うぇ・・・」
入り込んできた指先は相葉の良いところになかなか当たらず、とうとう相葉が泣き出した。
「ごめんね?ここまで良く出来ました。大好きだよ」
優しく囁き、頭を撫でてやると首にしがみついて泣きじゃくる。
相葉の涙を唇で拭い取ると、相葉の中に入っている指を動かし始める。
「あはっ、ん・・・だめっ、あっ、あ」
的確に良いところばかりを攻めてくる指先に、相葉は喘ぐしか出来ない。
「あいばさん・・・そろそろ、いくよ?」
確認すると、二宮にしがみついたまま、こくんと頷く。
「じゃあ、ベッドいこうか?」
「え?うわっ!」
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「も、もうっ!言わないでぇ」
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二宮の熱い欲望が入ってくるのを感じ、相葉は眉を寄せる。
「ああっ、にの、にのぉ・・・・んっ!」
完全に収まると、ゆっくりと動き出す。
「はぁ、ん・・・あっ、あ」
「あいばっ・・・・んっ、俺だけを見て?俺だけ・・・感じてイって?」
二宮の動きがだんだんと早くなり、絶頂へと2人で駆け上がる。
「んっ、あぁ・・・にっのだけぇ・・・んあっ!イっちゃ・・・ああっ!」
*****
「次、これ!!うひゃひゃっ!超かわいいい!ひゃはっ」
「ねぇ・・・もういいでしょ?」
「まだ!つぎ、こっち。おお、似合う似合う。ね、ニャーって言って!」
行為後、もらってきた被り物に夢中なのは相葉。
被らされているのは二宮だ。
今被っているのはパンダの被り物なのに、何故かニャーと鳴けと言われて二宮は呆れ果てた。
「パンダはニャーじゃないと思うよ・・・?」
「だって分かんないんだもん、良いじゃんニャーって言って!!」
「にゃー・・・」
「うわぁ、かわいいっ」
そう言ってはしゃぐ相葉の首には、いまだ首輪がつけられたままだ。
「あんたの方がよっぽど可愛いんですけど・・・」
「ふぇ?なんか言った?」
「・・・別に。パンダだって、人を襲うって言ったんです」
「え?うわぁ!」
そのまま相葉を押し倒す。
「んふふ、パンダに食われる子猫ちゃん・・・悪くないね」
いただきます。
「ちょ、にの・・・だめっ・・・・あっ」
相葉さん、ご馳走様ですvv
おわり
From: grt-arrival@rakuten.co.jp
Subject: ルナ☆さんからグリーティングカードが届いています。
Date: 2008年1月1日 4:23:07:JST
To: happy_21@mac.com
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Subject: ルナ☆さんからグリーティングカードが届いています。
Date: 2008年1月1日 4:23:07:JST
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Subject: 卯月さんからグリーティングカードが届いています。
Date: 2008年1月1日 14:13:07:JST
To: happy_21@mac.com
卯月さん から
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公演が終わって裏に戻ると、何となくスタッフの視線が痛かった。
理由なんて分かり過ぎる位分かっていたから、光一は視線を足許に向けて楽屋へと急ぐ。
途中からダンサーは目を合わせてくれないし、ストリングスの女性メンバーに至ってはあからさまに顔ごと背けられた。
まだ気持ちが落ち着いていないせいで、光一は普段は気にならない周囲の反応に敏感になっている。
唇には甘い香り。
眩んでしまいそうだった。
お疲れ様の挨拶もそこそこに楽屋へと戻る。
どうせまた最後に挨拶をしなければならないのだから、今はまずシャワーを浴びよう。
堂本光一と書かれた部屋の前に立った。
撤収の為に奔走しているスタッフの喧騒を聞きながら、ドアノブに手を掛ける。
「おーお疲れさーん」
扉を開けた途端脱力して、光一はその場に座り込んでしまった。
おかしい。あり得ない。
「おいおい、大丈夫か?ん?疲れたん?」
「……おま、な、ど……」
「はは。光一、日本語なってへんで」
自分の楽屋に入った筈なのに、何故か衣装を着たままの剛に出迎えられる。
せっかく顔を見なくて済むようにと慌てて戻って来たのに。
これでは何の意味もない。
また心臓が痛んで、光一は両手で顔を覆った。
「光ちゃん、何?泣くんか」
「泣く訳あるか、阿呆。とりあえずお前出てけ」
「何で」
「……意味分からん。何で俺の部屋おるん。帰れ」
「こぉいち」
思い掛けず優しく呼ばれて、光一は恐る恐る顔を上げた。
少しだけぼやけた視界は、もしかしたら本当に涙が溢れ掛けているのかも知れない。
声と同じ優しい表情に絆された。
両手を引かれるまま立ち上がる。
「とりあえず入口やと皆気にするから、入んなさい」
「……お前のせいやん」
「そうかもな」
確かに、先刻まで楽屋の前を走り回っていたスタッフの気配がなくなっていた。
気遣われているのだとしたら、かなり格好悪い。
剛が腕を伸ばして、光一の背中で扉を閉めた。
「はい、密室の完成」
「変な事言うな」
「変な事ちゃうもん。動揺が治まらない光一さんと一緒にシャワー浴びたろう言う相方の優しさをやね、表現しようとしてるのに」
「……変態」
「あら、知らんかったの」
「剛が変態なのなんて、俺が一番知っとるわ」
「まあ、そうやな。俺は光一さん以外に変態な趣味は持ってないからね」
「ステージの上でキスしやがって……」
「腰にキた?」
「阿呆」
叱ってやりたいのに、上手く出来ない。
最初のキスからもう随分と、自分を思い通りにコントロールする術は放棄してしまった。
いつもの慣れた司会の手順も、客席を煽る事も何一つ。
思い通りにならない。
剛がぼけて、自分が突っ込むのが定着したスタイルだった。
公衆の面前、と言うかバンドメンバーの目の前でキスをした事よりも、仕事を全う出来なかった事が光一を苦しめている。
繋いだ腕はそのままに楽屋の真ん中まで連れて来られた。
何も言わず衣装を脱がし始めた剛の腕を慌てて止める。
「え、なに?ホントに入んの?」
「うん」
「嫌やって!スタッフ入って来たらどうすんの!」
「入って来ません。悪いけど今日は、誰も近付かんから」
「つよ!」
「……だって、やっと俺のもんやって言えたんやもん」
「っおま」
悪びれず嘯く剛の目が、嬉しそうに細められているから何も言えなくなってしまった。
自分達の関係は口外して良いものじゃない。
この仕事を続けている限り、と言うよりは社会で生きている以上隠さなければならない事だった。
分かっていて、一緒に生きる事を決めたのだ。
後悔なんてしていないけれど、口を噤む度に剛が悲しそうな顔をするのが辛かった。
俺はもうお前のもんなのに、苦しめてしまう自分が嫌で。
今日のステージでの出来事を許せる訳ではないけれど、嬉しい気持ちも分からなくはない。
ポーズの為に一つ息を吐くと、そっと腰に手を伸ばした。
抱き着くのは癪だから、僅かの意思表示に留める。
「光ちゃん」
「お前のせいやからな。今日の俺が駄目だったんは」
「うん、そうやね。ぜーんぶ俺のせいやわ」
「……余裕なのがむかつく」
「今日は俺、何言われても怒らへんで」
笑いながらあっと言う間に衣裳を脱がされる。
剛もすぐに脱ぎ始めるから、下着姿のまま慌ててその手を止めた。
「え、何?」
「やって!此処で脱いだら衣裳さんに一緒に入ったのばれるやろ!」
「大丈夫。俺んとこのシャワールーム、故障中やもん」
「……壊したんか?」
「其処まで横暴ちゃうわ。マネージャーに使えへんみたい、って適当な事言っただけ」
「全然大丈夫じゃないやん」
「良いよ。出たらちゃんと自分とこに持って帰るから。とりあえず入ろ」
結局光一に拒否権はなく、シャワールームに連れ込まれた。
確認はしていないけれど、剛の事だから鍵は締めているのだろう。
本当の事を言えば、離れたくないのは多分自分の方が強かった。
こんな風に触れられて甘やかされたら、一人でいられなくなる。
せっかく落ち着こうと思ったのにな。
もう良いや、と思って剛の手に委ねた。
狭いシャワールームでは、全てが暴かれてしまうから。
「つよっ!変なとこ触んな」
「一緒に入ってて今更触るなはないでしょ」
「っだ、って……あ!」
「お前稽古あるから最後まではやらんよ。でも触りたい。沢山触って欲しい」
「つよ」
「何か、キスしてもうたから落ち着かん感じやねん」
「剛さん獣やなあ」
「光一が色っぽい顔し過ぎやねん」
「俺はそんなんしてへん。お前、何回ちゅーしたと思ってんの。自業自得やん」
「えー五回?」
「数えんな!……んぅ」
「光一やって最後にしたやんか」
「や、って……も、お前!離せ」
「まあなあ。あんなキスで光一さんが立て直せるなら幾らでも受けるけどな」
「分かって、たんか」
「当たり前やろ。光一は自分で主導権握った方が落ち着くもん」
「……っあ」
平然と会話を進める剛の手は、光一の身体を徒に弄ぶ。
シャワーの水音で自分の声が紛れているかどうか、気が気ではなかった。
唇を噛んで、必死に快楽を堪える。
剛の繊細な指先が弱いところばかりを触るから、縋らなければ立っていられなかった。
「光一」
「……あ、なに……っ」
「俺のも触って」
剛の左手が、光一の手に伸ばされてそのまま熱を持つ部分へと導かれる。
一瞬びくりとおびえた指先は、決意したようにそっと絡まった。
そんなんじゃホントに握っただけやねんけどな。
冷静に剛は思うけれど、潔癖症で身体を重ね始めた頃は触る事も出来なかった光一がこうして触れてくれているのだと考えると勝手に熱は高まった。
単純な自分でも良いと思う。
不器用な手が、自分が施すのと同じ仕草で動いた。
長い間身体に教え込んだ事は、多分言葉よりも確実に愛情を確認させてくれる。
「うん、っそう。上手」
「……っ」
光一が必死に声を抑えているのが可哀相で、意地悪はせず唯快感だけを感じるように追い上げた。
時間がないのは本当だし、余り時間を掛け過ぎて体力を奪うのも得策ではない。
隙間がないように抱き締めると、光一の手の上から二人分を重ねて上り詰めた。
もう抱いていてやらなければ立っている事も出来ないようで、シャワーで滑る背中を必死に抱き寄せる。
「あっ……っぅん、つよの、っ阿呆!……っ」
不当な言葉を投げ付けながら、光一は剛の肩に額を押し付けて果てた。
自分で立っている事は出来なくて膝から力が抜け落ちる。
けれど、しっかりと剛に抱えられてタイルの上に倒れ込まずに済んだ。
自分より小さい癖に頼りになるその身体に体重を全部預けて目を閉じる。
「お疲れさん。ほら、身体洗おうな」
逆らう気力はなく、そのまま光一の身体は剛に綺麗洗われた。
少し前の熱なんか少しも感じさせない優しさに悔しくなる。
自分はキス一つで(一回じゃないけど)、動揺してしまったのに。
剛の手に甘やかされながら、もう一度小さく「阿呆」と罵って光一は目を閉じた。
真っ白のバスタオルで全身を拭かれて、ジャージに着替える。
ソファに座ったまま投げ出した身体は、剛の手によって元通りになった。
さらりとした肌の感触に安心して目を閉じる。
もうすぐスタッフに挨拶を済ませて此処を出なければならないだろう。
マネージャーは二人が一緒にいる事を知っているのかいないのか。
剛が根回ししてるんやろな。
もう良いや。
相変わらず頭は働かないし、今日は誕生日だし。
少し位は許してもらおう。
「なあ、光ちゃん」
「……んん?」
「どうしてさっき阿呆やったん?」
「は?」
「さっき」
「何……あ。……何でもあらへん」
「こーおーちゃん」
「別に、阿呆やって思ったから阿呆言うただけや」
「お前は隠すの下手やな。ほら」
「え、」
唇に柔らかな感触が触れる。
慌てて目を開ければ、目の前に剛の顔があった。
ステージの上と同じ、隠すつもりもない愛情が滲んでいる。
先刻とは違い、もう甘い香りは残らなかった。
「さっきは何でキスしてくれないねん、阿呆。の阿呆やろ?」
確信犯的に笑われて、顔を逸らした。
嘘を吐いてもばれるだろうし、正直に言うのは分が悪過ぎる。
「言わんの?黙秘権行使?」
「……」
「もっかいリップクリーム塗ったろか?」
「やだ」
「光一の良いところは、ステージの上でも此処でも変わらん事やなあ」
「誉められてない気ぃする」
「誉めてますよ?僕の可愛い可愛いお姫様は、三十手前になってもかぁいらしいまんまやなあって」
「やっぱ誉めてへん!」
「誉められたいん?」
切り替えされて言葉に詰まった。
至近距離にある剛の漆黒の瞳には楽しむ色がある。
そっと頬を掌でなぞられて、思わず眉根を寄せた。
優しくされると怯えてしまうのは、光一の癖だから仕方ない。
「光ちゃんが世界一可愛い」
「やから、可愛い言うな」
「何でよ。昨日のカウコンでも思ったで。ダントツでウチの子が一番やなあって」
「お前、ホンマに恥ずかしい。後輩の方が絶対可愛いやん」
「あいつらはまだ子供やからね。光一は大人なのに可愛い」
「……何か阿呆っぽい」
「阿呆ちゃうよ。愛してるって言ってんの」
「っ……つよ」
もう一度触れるだけの口付けを与えた。
光一が不満を持つのを承知で、剛は離れる。
「ほら、そろそろ挨拶行こか。マネージャーも待ってるし」
「お前!やっぱそうやって!」
「物事には色々と準備が必要やねん」
「準備なんてせんでもええ」
「さて、戻りましょうか。ハニー」
「……ハニー言うな」
「思い出す?」
剛はソファから立ち上がると、光一の手を恭しく取った。
相変わらず文句は言うものの拒否をしない恋人が可愛いと思う。
いつだって本当は声を大にして言いたかった。
光一は自分のものだ、と。
大切で愛しくて手放せない人だった。
いい加減、一緒にいさせて欲しいと何度言った事か。
キスをすれば何かが変わる訳でもないけれど、関係者には十分アピールになったと思う。
本当は少しだけ純粋な嫉妬も混ざっているのに気付いていた。
いつでもスキンシップの激しい友人に煽られている部分は否めない。
「もう絶対、公の場所ですんなや」
「さあ、どうかな。もうええんちゃう?キンキはその路線で売れば」
「無意味な事は嫌や」
「光ちゃん」
「嫌や。もうええの、俺は剛がおれば」
「俺もやで。でもな、光一が誰かに攫われるんじゃないかっていっつも不安なのも嫌やねん」
「俺は攫われへんよ。剛が好きやから」
言って、光一は繋いだ手に力を込めた。
淡い言葉は、剛の耳に心地良く響く。
普段ほとんど言わない癖に、まだステージの動揺が残っているらしかった。
自分の事では簡単に揺らぐ彼が愛しい。
「こうい」
「でも!人前はあかん!」
「客も喜んでたやん」
「バンドメンバーは引いてたやろ!」
「えーやん」
「あかん!大体何で!」
「ん?」
「あのふわふわんとこ」
「スポンジベッド?」
「そう!お前、見えてないからって舌入れたやろ!」
「……ああ」
「調子に乗り過ぎや!」
「やのに、シャワー浴びてる時にはキスの一つもせえへんで、って?」
「……もぉ、お前と話してると疲れるわ」
理由なんて分かり過ぎる位分かっていたから、光一は視線を足許に向けて楽屋へと急ぐ。
途中からダンサーは目を合わせてくれないし、ストリングスの女性メンバーに至ってはあからさまに顔ごと背けられた。
まだ気持ちが落ち着いていないせいで、光一は普段は気にならない周囲の反応に敏感になっている。
唇には甘い香り。
眩んでしまいそうだった。
お疲れ様の挨拶もそこそこに楽屋へと戻る。
どうせまた最後に挨拶をしなければならないのだから、今はまずシャワーを浴びよう。
堂本光一と書かれた部屋の前に立った。
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「おーお疲れさーん」
扉を開けた途端脱力して、光一はその場に座り込んでしまった。
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「おいおい、大丈夫か?ん?疲れたん?」
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自分の楽屋に入った筈なのに、何故か衣装を着たままの剛に出迎えられる。
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また心臓が痛んで、光一は両手で顔を覆った。
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剛がぼけて、自分が突っ込むのが定着したスタイルだった。
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繋いだ腕はそのままに楽屋の真ん中まで連れて来られた。
何も言わず衣装を脱がし始めた剛の腕を慌てて止める。
「え、なに?ホントに入んの?」
「うん」
「嫌やって!スタッフ入って来たらどうすんの!」
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分かっていて、一緒に生きる事を決めたのだ。
後悔なんてしていないけれど、口を噤む度に剛が悲しそうな顔をするのが辛かった。
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今日のステージでの出来事を許せる訳ではないけれど、嬉しい気持ちも分からなくはない。
ポーズの為に一つ息を吐くと、そっと腰に手を伸ばした。
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「光ちゃん」
「お前のせいやからな。今日の俺が駄目だったんは」
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「其処まで横暴ちゃうわ。マネージャーに使えへんみたい、って適当な事言っただけ」
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本当の事を言えば、離れたくないのは多分自分の方が強かった。
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「光一やって最後にしたやんか」
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「まあなあ。あんなキスで光一さんが立て直せるなら幾らでも受けるけどな」
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「当たり前やろ。光一は自分で主導権握った方が落ち着くもん」
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平然と会話を進める剛の手は、光一の身体を徒に弄ぶ。
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唇を噛んで、必死に快楽を堪える。
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冷静に剛は思うけれど、潔癖症で身体を重ね始めた頃は触る事も出来なかった光一がこうして触れてくれているのだと考えると勝手に熱は高まった。
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不器用な手が、自分が施すのと同じ仕草で動いた。
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「うん、っそう。上手」
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光一が必死に声を抑えているのが可哀相で、意地悪はせず唯快感だけを感じるように追い上げた。
時間がないのは本当だし、余り時間を掛け過ぎて体力を奪うのも得策ではない。
隙間がないように抱き締めると、光一の手の上から二人分を重ねて上り詰めた。
もう抱いていてやらなければ立っている事も出来ないようで、シャワーで滑る背中を必死に抱き寄せる。
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もう良いや。
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「……んん?」
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「え、」
唇に柔らかな感触が触れる。
慌てて目を開ければ、目の前に剛の顔があった。
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「……」
「もっかいリップクリーム塗ったろか?」
「やだ」
「光一の良いところは、ステージの上でも此処でも変わらん事やなあ」
「誉められてない気ぃする」
「誉めてますよ?僕の可愛い可愛いお姫様は、三十手前になってもかぁいらしいまんまやなあって」
「やっぱ誉めてへん!」
「誉められたいん?」
切り替えされて言葉に詰まった。
至近距離にある剛の漆黒の瞳には楽しむ色がある。
そっと頬を掌でなぞられて、思わず眉根を寄せた。
優しくされると怯えてしまうのは、光一の癖だから仕方ない。
「光ちゃんが世界一可愛い」
「やから、可愛い言うな」
「何でよ。昨日のカウコンでも思ったで。ダントツでウチの子が一番やなあって」
「お前、ホンマに恥ずかしい。後輩の方が絶対可愛いやん」
「あいつらはまだ子供やからね。光一は大人なのに可愛い」
「……何か阿呆っぽい」
「阿呆ちゃうよ。愛してるって言ってんの」
「っ……つよ」
もう一度触れるだけの口付けを与えた。
光一が不満を持つのを承知で、剛は離れる。
「ほら、そろそろ挨拶行こか。マネージャーも待ってるし」
「お前!やっぱそうやって!」
「物事には色々と準備が必要やねん」
「準備なんてせんでもええ」
「さて、戻りましょうか。ハニー」
「……ハニー言うな」
「思い出す?」
剛はソファから立ち上がると、光一の手を恭しく取った。
相変わらず文句は言うものの拒否をしない恋人が可愛いと思う。
いつだって本当は声を大にして言いたかった。
光一は自分のものだ、と。
大切で愛しくて手放せない人だった。
いい加減、一緒にいさせて欲しいと何度言った事か。
キスをすれば何かが変わる訳でもないけれど、関係者には十分アピールになったと思う。
本当は少しだけ純粋な嫉妬も混ざっているのに気付いていた。
いつでもスキンシップの激しい友人に煽られている部分は否めない。
「もう絶対、公の場所ですんなや」
「さあ、どうかな。もうええんちゃう?キンキはその路線で売れば」
「無意味な事は嫌や」
「光ちゃん」
「嫌や。もうええの、俺は剛がおれば」
「俺もやで。でもな、光一が誰かに攫われるんじゃないかっていっつも不安なのも嫌やねん」
「俺は攫われへんよ。剛が好きやから」
言って、光一は繋いだ手に力を込めた。
淡い言葉は、剛の耳に心地良く響く。
普段ほとんど言わない癖に、まだステージの動揺が残っているらしかった。
自分の事では簡単に揺らぐ彼が愛しい。
「こうい」
「でも!人前はあかん!」
「客も喜んでたやん」
「バンドメンバーは引いてたやろ!」
「えーやん」
「あかん!大体何で!」
「ん?」
「あのふわふわんとこ」
「スポンジベッド?」
「そう!お前、見えてないからって舌入れたやろ!」
「……ああ」
「調子に乗り過ぎや!」
「やのに、シャワー浴びてる時にはキスの一つもせえへんで、って?」
「……もぉ、お前と話してると疲れるわ」
大阪一日目。
皆で一緒に上がる筈だったステージの上に、欠けたものがある。
今回のステージには既に欠けた存在がある事は分かっていた。
けれど、誰もその事には触れない。
欠けた部分は幾ら自分達が空けたままでいたくても、埋めなければならなかった。
光の世界で生きている以上、影を隠すのは当然の事だ。
痛む心臓を置いて、残った仲間と生きていかなければならなかった。
自分には剛がいる。
誰がいなくなっても、例えグループの形が消えても彼の存在だけは絶対だった。
だから、怖くはない。
誰かを失っても、
皆で一緒に上がる筈だったステージの上に、欠けたものがある。
今回のステージには既に欠けた存在がある事は分かっていた。
けれど、誰もその事には触れない。
欠けた部分は幾ら自分達が空けたままでいたくても、埋めなければならなかった。
光の世界で生きている以上、影を隠すのは当然の事だ。
痛む心臓を置いて、残った仲間と生きていかなければならなかった。
自分には剛がいる。
誰がいなくなっても、例えグループの形が消えても彼の存在だけは絶対だった。
だから、怖くはない。
誰かを失っても、
二人だけのこの部屋は、いつでもままごとの気配。少しでも均衡を崩せば消えてしまう、脆く甘い匂いがした。
此処は、御伽話の世界。閉じられた綺羅綺羅の宝石箱の中。手を伸ばせば届く場所にある青い羽根。臆病な僕達は、まだ夢の途中にいる。
彼の寝起きの悪さにはもう慣れた。毎日繰り返される朝の光景に飽きない辺り、自分は良く出来た人間だと思う。間取り二Kの決して広くはない部屋に、剛の声が響き渡った。
「光一!朝やでー!ええ加減起きんと遅刻するわ」
まずは一回目。二人分の弁当を作る手は止めずに叫んだ。こんなもんで彼が起きる等とは勿論思っていない。低血圧で夜型人間の寝起きの悪さは、軽く想像を絶していた。
今日の弁当は、卵焼きとウインナーといんげんのバターソテー。定番メニューはたまに恋しくなるから不思議だ。未だ起きる気配のない光一の白米には、嫌味たらしくハート形に切った海苔を乗せた。我ながら繊細な出来栄えだと満足して、剛は朝食用のトーストをオーブンに入れると二回目に取り掛かる。
部屋の仕切りは全て襖だった。これではプライベートも何もあった物ではないと他人に眉を顰められた事もあったけれど、自分達にはこれ位が丁度良い。近過ぎる距離。安心出来る不可侵領域。二人肩を寄せ合って生きて行く為に必要な場所だった。
遠慮も何もなく襖を開ける。光一の部屋は、いつも簡素な雰囲気だった。六畳の空間には、本棚とアルミ製の机と小さな箪笥が一つ。本棚には、職業柄必要なPCシステムの雑誌と、捨てずに残された教育関連の書籍、そして剛の成長を記録した二人だけのアルバムが並んでいる。他の誰も映っていない、二人きりの密やかな記憶。
その部屋の中央に布団が敷かれている。寝汚い部屋の主は、毛布を抱きしめたまま身じろぎ一つしなかった。声を発する手前で一瞬躊躇する。
足下で蹲る小柄な姿に見蕩れた。寝癖で乱れた髪も少し伸びた髭も、布団からはみ出した骨張った足も、確かに男の物であるのに。毛布を掴んだ幼い指先や柔らかな髪の間から覗く額に僅かに残る傷跡、薄く開かれた誘う唇、晒された肌の発光しているかの様な白に。
惑乱される。
不覚にも欲情し掛けた自分を自覚して、剛は焦った。制服の裾を握り締めて、己の劣情を遣り過ごす。あかんわ、俺。朝っぱらから何考えてんねん。自分の年齢を考えれば寧ろ当たり前の事なのだが、何せ相手が悪過ぎる。今はまだ、駄目だ。
すっと息を吸い込んで、今度こそ声を張り上げた。夢の世界にいる彼にもきちんと届く大声。近所迷惑にならないかと、密かに案じてはいるけれど。
「光一さーん!朝ですよー」
言いながら、細い身体を跨いで窓へ向かう。ベージュのカーテンを開ければ、心地良い朝の光が入って来た。彼にとっては、安眠を遮る強い明かり。
「……うー」
後ろから呻く声が聞こえて、剛は間髪入れず光一を包んでいる毛布を剥がす。尚も呻きながら、やっと瞼を持ち上げた。
「お早う。目、覚めたか?」
「……はよ」
「そろそろ支度せんと、ホンマに遅刻するで」
「……んん」
ぐずる光一の腕を引いて、身体を起こしてやる。其処まで手伝えば、後は身体が勝手に動く筈だった。脳味噌が機能するのは、まだまだ先の事だ。起動の遅いコンピューター。
「俺もう行くかんな。弁当テーブルの上に置いてあるし、ワイシャツも其処に掛けてあるから」
「ありがと」
「なら、後でな」
「うん。……あ、何時?」
「三時半。遅刻せんといてな。昼休みに携帯に連絡入れよか?」
「大丈夫。お前の大事、やもん」
「……うん」
幼い響きで、それでも真面目な言葉を綴る。剛には、それが少し面白くなかった。贅沢な不機嫌だとは分かっていても、嫌な物は嫌なのだ。
「じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃーい」
ひらりと手を振る光一を視界の隅に残して、朝の光が射し込んだ部屋を出た。焼き上がったトーストにバターを塗って、口に銜える。制服のボタンを留めながら、剛は自分の状況に少し笑った。
朝にこんな時間の余裕がある男子高校生なんかおらんやろなあ。原因は確実に彼にある。睡眠第一と言えば聞こえは良いが、地震が起きても起きないだろう眠り方には辟易した。他の人間だったら、絶対に放っておく。
鞄に弁当を入れて、家を出た。安アパートの階段は、体重を掛ける度に軽快な音を立てる。住み慣れたこの街の玩具みたいなアパート。二人の記憶が全て詰まった場所だった。蒼天を見上げて、僅かに眉を顰める。強い光に目が眩んだのではなかった。自分と彼の距離を思う度、胸が疼く。
光一と剛の関係を示す言葉は簡単だった。戸籍にも勿論明記されている。俺達は、『親子』だった。
+++++
小さな手をぎゅっと握り締めていた。それははぐれない為の物だったし、不安そうな瞳を隠そうともしない子供が伸ばして来た温もりを受け止める為でもある。光一は、今もその体温を明確に思い出す事が出来た。
あの時は分からなかったけれど、今ならちゃんと分かる。現実を自分の愚かさを、逃げずに理解していた。繋いだ指の先で怯えていたのは自分の方だ。彼は、子供特有の敏感さで一番正しい方法、安心出来る術を差し出しただけ。
東京行きの最終の新幹線だった。新神戸駅のホームは寒くて、剛にもう一枚着させるべきだったと後悔する。自分の荷物は全て先に送ってしまった。肩から掛けているスポーツバックの中は、剛の物しか入っていない。もう二度とあの家に帰る事はないかも知れないから、と持ち出したい物を全部入れさせた。全部とは言っても、決して多い量ではない。元々持っている物の少なさを示すだけだった。
「寒ない?」
「平気。光ちゃんは?手、冷たいで」
繋いだ指先を引っ張って問われる。吐き出す息がぞっとする程白かった。
「大丈夫や。俺、元々冷たいねん」
「そうなん?やったら僕があっためたるわ」
言って笑う剛の目許と口許には、痛々しい傷が残っていた。彼の父親が付けた暴力の証だ。
ホームに新幹線が滑り込んで来た。手を繋いだまま自由席の車両に乗り込んで席を確保する。窓側に剛を座らせた。シートに凭れると、ほっと息を吐いたのに気付く。緊張しているのだろう。
一週間前の夜、いつもの様に傷の手当をして一緒に夕食を食べている時だった。母親は、剛の父親に再三の勧告を言いに出ている。児童福祉士を長い事続けている母にとって、近所の家庭環境は放っておけなかったのだろう。自分は多分、そんな母親の影響でこの子供が気になっているんだと思う。
口の傷に染みるだろうと少し冷ました食事を剛は黙って食べていた。あの父親と二人では、普段碌な物を食べていない筈だ。
「美味しい?」
光一の問い掛けに剛は頷く。食べる事に夢中な感じだった。子供らしい、本能に忠実な行動。
「……なあ」
呼び掛ければ、視線だけを向けて来る。目を合わせて、光一は少し躊躇った。子供の瞳、肉親に傷付けられても濁る事のない純真な色を持っている。彼に、果たして告げても良い事なのだろうか。
自分は来週、東京へ引っ越す事が決まっている。大学生活を終えて、社会人になる為だった。警備会社のシステムエンジニアとして働き始めるのだ。本来なら、言うべきはお別れの言葉の筈だった。
「何?光ちゃん」
言葉の続きを待っていた剛に促される。その小さな身体の至る所に傷があるのに、彼の目は人を信じる強さを持っていた。環境も何も関係ない、この子供が持っている強い性質だ。
「うん、俺な東京で就職するんよ」
「……そーなん」
吃驚した顔に安堵した心は、罪に値するだろうか。大人の卑怯を、彼は受容してくれるだろうか。
「でな、剛さえ良かったら……」
少なくとも、小学四年生の子供に言って良い台詞ではなかった。頭では分かっているのに、言葉は身勝手に零れて行く。
「俺と一緒に、行かへん?」
目を見る事は出来なかった。一瞬の空白が、光一には永遠の審判の様に感じられる。唇を噛み締めようとした瞬間、呆気無く返答が落ちて来た。目の前には、光がある。
「うん、ええよ」
まるで、明日遊ぶ約束をしたみたいな軽い同意だった。視線を向けると、大人びた表情で笑っていた。幼い顔に浮かぶ理知的な色に、怯む。
「光ちゃんが連れ出してくれるんやろ?それやったら、東京でもアメリカでも何処でもええ。あの家やなければ、構へん」
答えた言葉は真剣だった。自分の言葉の意味をしっかり受け止めている。理解して考えて出してくれた結論だ。自分の中にある迷いや罪悪が綺麗に浄化されて行く感覚。剛を、このしっかりした強い子供を、自分が守るのだ。
「剛、一緒に行こう。一緒に生きよう」
窓の外は暗い。時々明かりが直線を引いては消えて行った。剛は深く眠っている。その表情に翳りは見られなかった。指先は緩く絡めたまま、膝の上にある。
もうすぐ名古屋に着く筈だった。剛がいなくなった事に、あの父親は気付くだろうか。ちょっと考えて、すぐに無理だと結論付ける。いなくなった事に気付ける位の人間だったら、息子を奪う様な真似はしなかった。この手を取ってしまった以上、手放す気はない。
多分一番に母親から連絡があるだろう。逃げない事は決めている。本当はそれが浅はかで無謀な事も知っていた。実の親子を引き離すのが難しい事位、母の仕事を見ていれば簡単に分かる。
今の児童福祉法や児童養護施設に、剛を守る事は出来なかった。ならいっそ、自分が守ってみせる。誘拐犯になっても構わなかった。何を犠牲にしても、この小さな手を守り抜きたい。
社会人にすらなっていない光一が、剛と二人で生活するのは困難だった。逃げ出したあの夜から八年の月日が経っている。二人の生活を支えたのは、沢山の優しい大人達が差し伸べた手によってだった。
あの時の不安も芽生えた罪悪も、胸の裡にある。けれど何より強いのは、繋いだ指先を離さないと言う使命感だった。剛は、自分が大人にする。それだけが、自分の夢であり希望だった。
+++++
会社に着いて、まず早退届を提出する事から始めた。随分前に上司には伝えてある。書類上必要な形式的な作業だった。
本部で勤務している光一は、直接警備とは関係がない。警備用のシステムのメンテナンスを主に担当していた。設置している施設への外回りはあるけれど、内勤が多くシステム異常等の緊急事態にならない限りは定時で帰る事が出来る。まだ学生の剛と生活するのには、丁度良い職場環境だった。
書類を提出しに行く為に廊下を歩いていると、後ろから騒音とも呼べる程の大きな足音が近付いて来る。振り返るより先に、足音の持ち主が光一を捕えた。
「光一ー!おっはよー!」
不意の襲撃を受けて、前のめりによろめく。後ろからこんな大男に乗られては、潰れてしまうではないか。不満たっぷりの声を同僚にぶつけた。勿論そんな言葉が通用しない相手である事は、経験から十分分かっている。
「長瀬!重いっちゅーねん」
「えー、朝のスキンシップじゃーん」
蛇に睨まれた蛙の様に肩を竦めて、大男は渋々離れて行った。大型犬が飼い主に叱られたみたいな表情は可愛い。しょうがないなあと言う気分にさせるのだから、侮れない奴だとは思っていた。
彼は、職場で唯一気の置けない存在だ。と言うよりも、上京した光一の数少ない友人だった。何で其処で親友って言わないかなーと、心の中を読まれていたら突っ込まれるだろう。
「ウチの子達は全然嫌がんないよ?パパーって大はしゃぎだぜー」
「子供と俺を一緒にすんな」
連れ立って歩きながら、背の高い彼を睨み付ける。身長差が邪魔をして、まあそれ以前に光一の顔立ちが愛らしい小動物と同じ物で出来ているから、そんな顔されても怖くない、と言うのが長瀬の意見だった。睨む友人の瞳は可愛いから、余計な事は言わないけれど。
長瀬と光一の始まりは、入社してすぐの事だった。光一は今でも最初の事を覚えている。新人研修の時に馴れ馴れしく声を掛けられた。同期は他に何人もいたし、長身で目立っていた彼がわざわざ女子にさえ埋もれてしまうんじゃないかと言う(身長は同じ位だけど、勢い的に)自分に真っ直ぐ向かって来る意味が分からない。仲良くなって来た今でも理解出来なかった。
だって、光一がダントツで好みだったんだもん。あっけらかんと言う長瀬は良い奴だと思うが、言っている事が自分の常識の範囲を超えていた。それでも仲良くなれたのだから、自分もこの規格外の男が好きなのだろう。
彼の押しの強さは関西の物に似ていた。当時はホームシックになるどころではなかったから思い当たらなかったけれど、多分その懐かしさに惹かれたのかも知れない。強気な姿勢が余り得意ではない自分が、最初から彼の存在を疎ましいと思わなかった。全然タイプの違う人間だけど、波長が合うと言った感じかも知れない。
一緒に行われた研修だが、自分はシステム管理に長瀬は警備部に入ったから、なかなか会う事は出来なかった。人付き合いの苦手な自分がそれでも関係を続けていられるのは、この友人が見た目の印象よりもずっと繊細で几帳面だからだろう。定時で上がれる自分と違って、四十八時間勤務もこなす警備部は想像以上に大変だと思う。警備の仕事を元気に続けられるのは、守る者がいるせいかも知れなかった。
ちなみに今は二人の娘に溺愛中で、親友と豪語される自分でも余り構って貰えなかったりする。全然構わないのだけど、ほんの少し寂しいと思ってしまうのは、自分の性質が我儘だからだった。
こんなお父さんやったら、子供は大らかに育つやろな。また他の家族と比較しそうになって、慌ててその思考を追い払った。他人と自分を比べるのは悪い癖だ。剛にも嗜められた事がある。他人は他人、ウチはウチ。強い息子の言葉を思い出して、弱気な思考を追い払った。
「何?光一。今日早退すんの」
手に持った書類を覗き込まれる。綺麗とは言えない署名と、形式通りの書面。
「うん。今日、三者面談やねん」
「あー、剛の。あいつ幾つだっけ?」
「おっちゃん、それこの間も聞いたで。高三、受験生」
「ごめんごめん。俺、頭悪いからさ。そっかー、あいつもそんな大きくなったか。そりゃ、俺も年取る訳だ」
長瀬は、剛が中一の時から知っている。面倒見が良く情の厚い彼は、自分達の生活を知ってから何気なく気に掛けてくれていた。異質な親子関係に口を挟むでもなく、旅行に行けば二人分のお土産を買って来てくれたし、インドアな養父の知らない遊びにも躊躇なく誘ってくれる。
親友の大事なもんは、俺にも大事。シンプルな発想で生きている長瀬に何度も救われていた。
「長瀬は初めて会った時から変わってへんよ。年取ったようにも見えん」
「それは光一だろ。お前年々若返ってく気するんだけど」
「そんな事あらへんわ。おっさんやもん」
「うん、知ってる。じゃなくて、見た目とか。入社したてん時とか、髪きっちり分けてて、スーツじゃない時も色のない物ばっか着ててさ。手とか唇とか荒れててもクリーム塗るの嫌がってたし。勿体無いなあって思ってた」
「……よぉ覚えとんな」
あの頃は生きる為に精一杯だった。連れ出した幼い命を自分の手で守りたくて、自分自身の事なんてどうでも良かったのだ。今も本当はどうでも良いと思っていた。元々関心がないと言う自覚はある。
「でも、最近変わったよね。ネクタイの趣味も違うし、前髪可愛いし」
「可愛いって言うな」
「剛のおかげなんだろうな。全部あいつがやってるんだろ」
「……何で分かるん」
吃驚した顔で見詰められると、苦笑するしかない。何年自称親友を続けていると思っているのだ。光一の身体にフィットする細身のスーツも、物が入っていれば紙袋でも構わないと言う思考の人が持つには機能的なバッグも、ふわりと香るシャンプーの匂いも、丁寧にファイリングされた爪も全部。
無頓着な光一が出来る事ではなかった。父親の世話を進んで焼いている、マメで凝り性な息子の顔を思い出す。きっと、美容院すら一緒に行って美容師に要望を言っているに違いなかった。顔の周りでバランス良く揺れる茶色の髪は、彼の年齢を分からなくさせる。
「剛は、親の手伝いやから当たり前やって言うんやけどね」
「お前ら、段々どっちが親でどっちが子供か分かんなくなって来たな」
言った途端、長瀬は後悔した。光一が立ち止まって傷付いた顔を見せる。悲しい瞳。彼の黒い目は吸い込まれそうに綺麗だけれど、いつも罪悪の色があった。消えないその色の原因を知っている。
「……そうやね。剛はしっかりしてるからなあ。しっかりせな、あかんかったから」
「光一」
「あの子をゆっくり育てたいって思ったのに、結局俺が大人になるの急かしてる」
「光一、お前のせいじゃない。おいつは元々しっかりした人間なんだ。知ってるだろ」
「うん。向こうにいた時から、しっかりした子供やった」
剛は、自分がきちんとしていなければ家庭環境のせいにされる事を分かっている。あんな若い父親だから、と光一に責任を向けられる事を酷く嫌がった。
「今日の三面って、進路の話?」
「うん」
「剛は、どうすんの」
「……分からん」
暗く沈んだ声。傷付いた顔をさせたくなかった。
「話してないの?」
「話そうとは、してる。でも言うてくれん。もう俺は自分の進路位自分で決められる年やから、って。ちゃんと決められたら話もするって。それっきりや」
剛が光一に話さないなんて、あり得ない事だった。この父親は連れ出してしまったその日から、不必要な罪悪感を抱いているせいで、時々過剰かと思う程息子になった子供の事を理解しようと必死になる。全て理解している事が義務だとでも言うように。
そんな光一の心を知ってか知らずか、剛は自分の事を何でも話した。学校であった事、夜中に布団の中で考えた事、街で聞いた音楽が良かった事、釣りに行って何が釣れたのか、帰り道に見上げた空の神秘的な色も。何もかも、自分を形成する全ての事を伝えていた。
基本的にこの二人に隠し事はない。光一は余り自分の事を話さないけれど、それは口下手なだけで嘘や誤摩化しはない人だった。
だから、剛の行動は可笑しい。初めての事かも知れない。何か考えがあっての事なのは間違いないだろうが、暗い表情で思い詰める親友を見て掛ける言葉は何も見付からなかった。
+++++
柔らかな陽射しが射し込む菜園は、剛達のお気に入りだった。学校内の敷地に於いて、これ以上完璧な優しさを有している場所はない。と言うのが親友の見解だった。
緑が褪せ始め少し肌寒くなっても、昼休みは此処で過ごしている。口数の少ない親友は、本を捲りながら、大して美味しくなさそうにパンを齧っていた。食事に楽しみを見出さない所は、あの養父と似ている。彼の事を思い出して、それから午後の憂鬱な予定を思って、剛は深い溜め息を吐いた。
「……どうしたん」
やっと本から顔を上げて、隣で膝を抱える陰気な人を見詰める。相談したいのなら、素直に言えば良いのに。手を差し伸べるように仕組む癖は、あの人の甘い教育の賜物だ。
彼なりに厳しく育てたつもりなのだろうが、最後の最後で甘さが残った。社会的には問題がないし、何より結局苦しむのは優しい彼なのだ。自分が嗜める事でもなかった。
「岡田ぁ、俺どないしよ」
「何が」
「まだ、進路の話してないねん」
「……ホンマに?」
黒い双眸を瞬かせて、信じられないと言う表情を作った。まさかとは思っていたのだが。決意を固めているのに言葉にしないのは罪に値する。少なくとも、剛と光一にとっては。
他人だからこそ、目を見ても手に触れても通じない。通じ合わせてはいけない。だから、どんな些細な事でも告げようと言うのが彼らのルールだった。
「言おう言おうとは思ってたんやけど、言えんくて」
「光一君は、大学進学希望しとんのやろ」
「ぉん。公立でも私立でも構わないから、行きたいとこ行けって」
「……ホンマ、良いお父さんやなあ。今時言えへんで、そんなん」
感心した口振りに剛は嬉しくなる。自分の大切な人が誉められるのは、優越感だった。慣れた感覚のまま笑おうとして失敗する。その、『良い父親』こそが今自分を苦しめているものだった。
相反する感情に結局剛は表情を消す。優しさも苦痛も、自分の中にある感情を左右するのは光一だけだった。小さな頃からずっと、自分の行動原理は彼にある。
「良い父親なんかやなくてもええねん」
「それでも、光一君は剛君の父親や。良い父親であろうとしてくれてるんやよ」
静かな声で岡田は嗜める。ついこの間会った時も優しい目で「学校どうなん?」と聞かれた。自分には入り込めない場所での息子の事を心配している真っ直ぐな感情だ。大切にしている愛情しか見出せない瞳。
岡田は、自分で認識している以上に彼の事を気にしているのだと知った。不器用な仕草で、でも迷わない意思の中剛だけに向けられる白い手が好きだ。
「分かってる。ずっと分かってたつもりやし、これからもちゃんと親子でいなきゃあかん事も知ってるんや」
剛は、自分の養父である人を愛してしまった。十八にもなれば、自分の恋が気の迷いではない事位分かる。幼い頃から面倒を見てくれた人だ。自分が他人を怖がらずに受け入れられるのは、彼のおかげだった。実の父親に付けられた傷は、彼の手によって癒されたのだ。感謝の気持ちを抱くべきであって、今抱えている感情は間違いだった。
捨てなければいけないと思ったのは、中学生の時だ。良い息子になろう、彼の笑顔を曇らせたくない、と必死で振り払おうとした恋だった。けれど。
今も尚、光一への恋は此処にある。捨てる事なんて出来なかった。大切な、自分を成長させて来た思いだ。
「好きって、言わへんの」
「言えへんよ。『親子』って関係の中でやったらずっと言って来た。多分これからも言い続けるよ。けど、そう言う意味では言わん」
「間違った気持ち、やから?」
「そうや。光一が望む俺は、父親の事好きになる様な不健康な奴ちゃう。俺が社会出て、彼女作って、結婚するんを心から楽しみにしとる。家族なんていらん言う俺の子供を抱きたいって言う。あいつが望んでるんは、自分の元を飛び立って社会に溶け込む事や」
「光一君らしいな。剛君いなくなったら一人になってまうのに」
「光一やって、俺がいなくなったらきっと自分で家族作るわ。今は俺がいるから一人なだけで」
「そうかなあ。僕は、光一君はもう剛君以外の家族は持たないと思うよ。どっちかが死ぬまで、剛君の為にいつでも待っててくれる気がする」
冷気を含んだ風が、岡田の黒い髪を持ち上げる。やんわりと毛先を押さえる仕草を追いながら、つくづくこいつは変な奴だ、と思った。血が繋がっていないとは言え、戸籍上は間違いなく親である人を愛し、その上それは同性に向けられている。年齢も一回り離れていて、どれだけの罪を重ねているのか分からない筈はなかった。
それなのに、この親友はあっさりと受容する。偏見も軽蔑もない瞳で「光一君綺麗やもんなあ」なんて暢気に笑う。他人と少しずれた感覚は、環境のせいか持ち合わせた性質なのか。歪んでいると言うよりも精神的な拠り所が違うのだろうと思う。自分の信じるものしか信じない。簡単に見えて、それで生きるには難しい生き方をしていた。岡田の価値観は、絶対的な尺度で構築されている。
「茂君には相談したん?」
「……どうしようか悩んどる」
「話してみたらええよ。きっと何か見付かるわ」
信頼に満ちた声で笑った。茂君、と言うのは自分と光一が一番お世話になった他人だ。法的手続きは、彼の手がなければ出来なかった。おっとりした笑顔を思い出す。
「そうやな。今日、帰りにでも寄ってみる」
「三面の後やなあ」
「茂君とこ行く時、どうなってるんか想像もつかん」
「僕も一緒に行くわ」
岡田と出会ったのは、茂君の施設だった。長い事、光一の母親と同じ児童福祉士として働き今は私営の児童相談所を運営している。法では救えない子供を、自分の手が届く範囲で見守る、と言うのが信条だった。親のいない、帰る家のない子供達が自立出来るまで、広くはない居住スペースで生活までさせていた。
あの場所は、悲しい事や辛い事も沢山ある筈なのに、いつも明るい。離れそうになる二人の手をいつも繋がせてくれたのは、茂君だ。
「俺は、光一を悲しませたい訳でも離れたい訳でもないんや。唯、ずっと一緒におりたい。一緒に生きていきたい」
真っ直ぐな瞳で話す剛が抱えているのは、恋よりも純真な心だと思った。欲も打算もなく、此処にあるのは愛したいと言う尊い感情だけ。恋に近いと思えるのは、其処に隠し切れない独占欲が滲むからだろう。茂君が彼らに明るいものを渡してくれたら良いと岡田は思った。冷たい風に冷えた指先を握り締めて、彼らの未来を願う。それは、午後の陽射しに溶け込む優しい祈りだった。
+++++
小さい頃の記憶は、痛みと共に思い出される。傷付けられた身体が辛くて、泣いてばかりいた。朧になった過去は、いつでも光一の体温が傍にある。今も昔も変わらないのは、彼の乾いた掌だけだった。
光一の母親が幼稚園に行っている筈の剛を見付けたのは、近くにある公園のベンチだ。殴られた痕と転んで出来た擦り傷が痛くて、顔を上げられなかった。涙を零すだけの自分を抱き上げて、父親のいる木造アパートではなくお日様の匂いがする光一の家に連れて行かれる。
リビングに剛を降ろすと、二階に声を掛けているのが見えた。少しもしない内に聞こえる、軽やかな足音。顔を向ける事は出来なくて、手が伸ばされるのを待った。
「剛。いらっしゃい」
俯いて待っていれば、当たり前の仕草で頭を撫でられる。やっと安心して、それでも伺うように顔を上げた。
「光ちゃん、何でおんの?」
友達や家族が呼んでいるのと同じ呼び方をしても、彼は怒らない。嬉しそうに笑って、何でも許してくれた。絶対に曇る事のない笑顔は、多分幼い自分にとって救いだったのだと思う。
「学校のな、試験終わったから、今お休みなんや」
「しけん?」
「普段ちゃんと勉強してるか確かめるもんや。お前も小学校上がったらあるんやで」
「そうなんや」
光一は、この時高校二年生だった。落ち着いた印象は昔から変わらない。近所に住む、こんな子供にも優しくしてくれた。思春期特有の尖った態度も反抗期も、彼からは見えない。
部屋でゆっくりしていたのだろう。ハイネックのグレーのセーターに、ゆったりしたパンツを履いている光一は、制服でいる時よりも柔らかく見えた。臆病な自分でも手を伸ばしやすい。
「あーあ。まぁた派手にやられてもうたなあ。今、手当してやるからな」
痛みを伴わない声音で笑って、一度救急箱を取りに部屋を出た。母親と会話している声が聞こえて、またすぐに戻って来る。自分をソファに座らせて、その目の前に正座した。目線を合わせて覗き込まれると、心臓の音が大きくなる。
「消毒だけしたるかわ、終わったら風呂入っといで。そんで、ご飯一緒に食べよ」
「うん」
「幼稚園には母さんが連絡入れたから、心配せんでええよ」
「……ありがと」
「早く傷、治そうな」
笑って消毒を始めた光一が、自分の気持ちを知っている事が嬉しかった。腹や足に付けられた傷なら気にしないけれど、今日みたいに顔に付けられると幼稚園に行きたくない。口の端と目の周りが青黒く変色していた。口の中に鉄の味がするから、きっと何処かを切っている。
痛いのは何処に付けられても変わらないけれど、友達や先生や他の親の目が痛かった。あれが同情や憐憫だと理解出来るのは、もう少し先の事だ。
温かいお湯は傷に沁みたけれど、浴室を出たら光一が真っ白のバスタオルを広げて待っていてくれたから嬉しかった。ふわふわした感触に包まれると、幸せな気分になる。此処にいても良いと許されている気分になった。
サイズの合わない服を着せられて、再びリビングのソファに座らされる。キッチンからは美味しそうな匂いが漂って来ていた。絆創膏と包帯と、不器用な指先が迷いながらも適切な処置を施す。清潔な肌と温かい光一の空気と、自分の為に用意されている食事の匂い。普段自分がいる場所と余りにかけ離れていて、剛は泣きそうになった。
「……剛、どうしたん?傷沁みるか?」
「ううん」
「じゃあ、何で泣くん」
困った顔で笑われて、頬に丸い指先が滑る。
「光ちゃん、剛に泣かれるとどうしたらええか分からんねん」
「……っう、光ちゃ。あんな家、帰りたない。あんなん、親やないっ」
最後まで言う前に優しく抱き締められた。胸に顔を埋めたら、もっと涙が溢れて来る。光一の匂い。いつでも彼は甘い香りがした。優しいお日様の名残みたいな。もし自分に母親がいたら、きっとこんな健康的な匂いがするのだろう。剛が生まれてすぐに他の男と蒸発した女は、母親の温もりを与えてはくれなかった。
「剛、そんなん言うたらあかんよ」
嗜める声音が優しく響く。背中を撫でる大きな掌に安心した。泣いている自分を宥める大人の手は沢山あったけれど、彼より心地良いものはない。
「やって、あいつのせいで、俺は……っ」
「そぉかも知れん。でもな、どんな風に思ったって、剛のたった一人のお父さんなんや」
「……そんなんいらん」
「辛なったら、光ちゃんが絶対に助けに行ったるから、悲しい事言うたらあかん。ええな?」
光一の口から、一度も父親を非難する言葉は出た事がない。現状を見兼ねてはいても、剛の心に憎悪の感情を植え付けたくなかった。あんな親だから子供もまともに育たないのだ、等と言われたくない。強い子供がそのまま成長したら良いと思っていた。
「剛、返事」
「分かった」
「ええ子やな。俺は、強い剛が大好きやよ」
甘やかす言葉に素直に顔を上げる。黒目ばかりの優しい眼差しにぶつかってどきりとした。この息苦しい感情をずっと抱える事になるとは知らずに、剛はゆっくり笑う。
「俺も、光ちゃんが好き」
「ありがとぉ」
ティッシュで涙を拭われながら早く大きくなりたいと思った。どうして、なんて疑問に思う前に食事が出来たと告げる朗らかな声が聞こえて、理由は見えなかったのだけど。
十八になった今も胸にある、早く大人になりたいと言う願い。愛されるだけの子供ではなく、光一を守る事の出来る強い人間になりたかった。
+++++
机を挟んだ向こうには担任、隣には剛が座っている。傾き始めた陽射しが、木目の机を鈍く光らせていた。息苦しい緊張感。いつだって歳若い養父だと軽んじられないように、気を張って来た。自分のせいで剛が悪く言われるのは嫌だ。責任感のある大人の態度。見た目の雰囲気に左右される薄っぺらい信用を得る為に、髪を明るく染める事もアクセサリーを付ける事もしなかった。
剛が中学生の時の担任に「父親と言うよりも母親みたいですね」と嫌味を言われてからは、細いだけだった身体も鍛えている。女顔はどうする事も出来ないから、線の細い身体位は変えようと思った。結局筋肉が付き難い体質だったようで、劇的な変化は望めなかった。
この担任とは何度か話をしている。理知的な瞳を持った初老の紳士は、嫌いではなかった。必要な事以外は話さない冷静な雰囲気は、家庭環境の良くない自分達には安心出来る。
けれど、胸の裡には不安が渦巻いていた。担任が手にする資料の中に、剛の進路がある。怖かった。今まで一度も抱いた事のない不安定な気持ち。自分の息子の事が分からない。
どうして、話してくれないの。廊下で剛の笑顔を見付けた時、思わず詰りそうになった。どうして。二人で暮らして来た八年の中で一度もない事態だった。何よりも把握しておきたい事が分からない。
「さて、時間も余りないものですから、始めましょうか」
「はい、お願いします」
「堂本君の最近の試験結果です」
データ化された資料が広げられる。この結果は見慣れたものだった。一緒に見直しもしている。相変わらず数学が弱くて笑ったのを覚えていた。俺理系やのに、何でそんなに出来んねん。笑顔の裏で僅かに痛んだ心臓。自分と剛は他人なのだと突き付けられているみたいだ。どれだけ一緒にいても、どれだけ愛しても、所詮疑似でしかないのだと。
「文系の大学で教科を選べば、然程進学は難しい事ではないでしょう。でも、堂本君の希望進路は違ったね」
「はい」
「え」
知らない、と言いそうになるのを慌てて押さえる。担任に不信感を抱かせたくはなかった。隣を見れば、すまなそうに笑う剛がいる。大人びた微笑だった。物分かりの良い、諦めを知った大人にはなって欲しくないのに。膝に置いた手をきつく握り締める。
「俺は、就職希望です」
「……っ」
「まあ、秋になって急に進路を変えたものですから、私も吃驚しましたけど、今からでもどうにか間に合うとは思います。就職難のご時世ですから、職種を選ばなければ、の話ですけれどもね。こちらでも面接の練習や履歴書の書き方なんかは見てやれますから。……お父さん、どうかされましたか」
「いえ、お手数をお掛けして申し訳ありません。」
上手く声が出ない。顔を上げる事も出来なかった。就職?そんなの聞いてない。高校受験の時ももめて、結局大学進学まで視野に入れたこの学校を選んだ。
早く大人になる必要なんてない。勉強が出来るのも、俺がお前を守ってやれる時間も僅かなんだから、甘えなさいと。ずっと言って来た。剛を連れ出したのは自分で、彼を育てるのは義務なんて言葉じゃ括れない位大切で当たり前の事なのに。
あの曇らない瞳が好きだった。手の中にある温もりを大切にしたかった。この手を離れて行く不安は、諦めにも似ている。いつかは離れて行くのだと、納得はしていてもそれは今じゃなかった。
「……もう少し、この子と話し合いをしたいと思っています」
「そうですか。私もその方が良いと思いますよ。此処で決める進路は、将来を左右するものですから」
「はい、ありがとうございます」
意思の疎通が出来ていないと思われるのは嫌だったけれど、担任は頷いて新しい進路希望用のプリントを渡してくれた。隣にいる剛の顔を見る事は出来ない。
「これが、最後の希望になります。二人でもう一度話してみて下さい」
深く頭を下げて席を立った。唇を噛み締めて、教室を後にする。黙って後ろを付いて来る子供を振り返る事は出来なかった。どんな考えで、どんな気持ちで就職を決めたのか。夏休みには目指す大学も見定めて必死に勉強していた筈だ。どうして、今更。
廊下には次の親子が待っていて、言葉を発する事は叶わなかった。無言のまま昇降口を目指す。今、自分の中にある感情は、一体何だろう。怒りか悲しみか、それとも不安か。分からない。剛の気持ちも自分の気持ちも見えなかった。
揃えて置いてある革靴に足を入れて、やっと口を開く。誰もいない放課後の昇降口は、懐かしい色があった。褪せた茶は、セピアの風景だ。射し込むオレンジとのコントラストが美しい。
「剛」
名前を呼んで悲しくなった。自分が生きて来た中で一番多く呼んだ名前。全てを共有して来たつもりだった。故郷を離れ、本当の父親から奪って今日まで。分からなくなってしまった。剛が何を考えているのか、どうして話してくれなかったのか。自分が、就職を希望した事よりも一番に相談してくれなかった事に傷付いている事に気付いた。
「光一。先、帰っててくれるか。俺寄るとこあんねん」
「剛、」
「……帰ったら、ちゃんと話すよ」
振り返れば、悲しい程の柔らかい眼差しがあった。上手く表情を繕えないのはお互い様だ。オレンジの光が、剛の顔に陰影を作った。僅かに息を呑む。
いつの間に、こんな。強い瞳はそのままだけれど、引き結んだ唇や寄せられた眉は、少年の表情ではなかった。眩みそうになって、慌てて目を逸らす。
「あんま、遅くなんなや」
「うん、ごめん」
「謝る位やったら……っ」
「ごめん、光一」
叫びそうになる衝動を堪えて、目を瞑った。剛の甘い声。謝罪を示す言葉が、耳に心地良い。
「じゃあ、帰るな」
落ち着きを取り戻し切れない声で小さく呟いた。俯いた視界の端で剛が動くのが見えたけれど、気付かない振りをする。伸ばされた指が何処に届くのか。追い掛ける事は出来ずに、校舎を後にした。胸が痛い。分からない事が辛かった。
成長すると言う事は、こんなに辛い事なのだろうか。身を切られる様な、心に空洞がある様な。耐えられないと思って、小さく首を横に振った。剛が大人になる事は、自分の願いだ。けれど、まだ今はその時ではない。日の翳った道を歩きながら、痛む心臓を押さえた。
+++++
「おお、いらっしゃい。二人で来たんか?今、茶出したるからな」
いつもと変わらない笑顔で迎えられてほっとした。岡田と並んで歩いて来たのを遠くから見付けてくれた。幼稚園を改造した屋内は、いつ来ても茂君の優しさで満ちている。
「こんにちは。お久しぶりです」
「ええ、ええ。そんな堅苦しい挨拶は。学校帰りか?したら、腹減っとるなあ。僕の秘蔵の饅頭出したるわ」
おっとりした笑顔と賑やかな喋りに気圧されて、勧められるまま室内に入った。茂君の自室兼園長室に通される。
何度も何度もこの部屋で話をした。涙を堪えた表情で、弱音を喉につかえさせたまま強く在ろうとした養父をこの場所でずっと見ている。
岡田と並んで古いソファに座り待っていると、程なくして部屋の主が現れた。両手に持ったお盆の上には、三人で食べるには多過ぎるおやつ。此処で生活している子供には決して優しいだけではない厳しさを持ち合わせている人なのに、たまに訪れる子供達には労う素振りで甘やかしてくれた。あくまでも、此処の子供にばれないように、ではあるけれど。
「子供らはこれから宿題の時間やから、ちょっとは静かやわ。まあ、食べなさい」
「はい、いただきます」
年齢不詳の園長は、日本茶を飲んでいる時が一番老けて見える。悪い意味ではなく、狡猾な翁のイメージだった。秘蔵の饅頭を食べながら、今此処で生活している子供達の事を話される。
「もうすぐお母さんと一緒に暮らせる中二の子がおってなあ。最近はその子が頑張ってくれるおかげで、園内は穏やかなもんやで」
闇を抱えた子供達が集団で生活するのは容易な事ではない。城島の肩には、大きな傷痕が残っていた。ずっと昔、子供が暴れて包丁を手に持ってしまったのだそうだ。自身の傷より、子供に犯罪歴を負わせた事をずっと悔やんでいる。
そんな人だった。優しさや正義だけで、私営の施設を維持する事は出来ない。己に厳しい、度量の大きな人だった。
「もう君ら、受験も追い込みやろ?こんな所で油売っててええの」
「今更焦る事もありませんし」
答えたのは、岡田だ。のんびりした雰囲気は、どちらの方が強いだろう。目に映る世界をきちんと見ていないような親友の瞳は、いつも違う現実を追っていた。城島は苦笑する。
「岡田は、そうやな。もう高校の授業で勉強する事なんかないやろ。僕は、早く大学行って勉強して欲しいなあ思ってたから嬉しいわ。行くとこは決めとんのか?」
「はい、もう大体は」
「そうか。春が楽しみやねえ」
岡田を小さい頃から知っている城島は、嬉しそうに目を細めた。関わった全ての子供達の成長をこうして心から喜んでいるのだろう。
岡田は自分とは違うが、長い間城島の施設に通っていた。彼の両親は幼い時に交通事故で亡くなっている。幸い叔父夫婦が引き取る事となり、小さな頃から大人びたところのある少年は、何の問題もなく養子として迎えられた。それでも、不安が大きかったのだろう。親交のあった城島に相談へ行くのは、当然の流れだった。
園内で一人物静かに過ごしている少年に声を掛けたのが出会いだ。聞き慣れたイントネーションに安心した部分もあるのだろう。それから不思議な距離感でずっと一緒にいた。小中学校と別々だったのに、秀才の彼が同じ公立高校にいるのは、恐らく自分の事を考えてくれたからだと、密かに思っている。
「准一に心配はしてへんけどなあ。剛はどうなん?夏休み、数学で苦労してたやろ」
「俺、実は今日その事で来たんです」
「……どうしたん」
子供の変化を城島は見逃さない。真剣な眼差しで話を促された。今日の三社面談の事や考えに考えた進路の事、早く大人になりたいと言う純粋な願いをゆっくり自分の心に偽らないよう気を付けながら話す。隣に岡田がいてくれて良かったと、力の入った自分の手を見ながら思った。
「それはまた、強引やなあ。大切にせなあかん人を、一番最初に傷付けてるやん」
「二人のルール破ったのは俺や。でも、光一の願う進路を選べない」
「剛、厳しい事言うようやけど、それは子供の我儘やで。養われてるから大人になれないんか?子供やからって、大切なもん背負えない訳ちゃうで。親の期待背負うんも立派な責任や」
違う、と言いたかった。子供だからとか親子なのにとか、そんな理屈ではない。唯、光一が好きで光一と対等になりたかった。守られるのではなく、一緒に生きたいのだと。
けれど、こんな思いを口に出す事は出来ない。異常な恋である以上、口を噤むしかなかった。
「俺は、光一を苦しめたい訳やない。でも、どうしたらそれが伝わるんか分からんのや」
「剛。僕に大事な事言うてないやろ」
「え」
「茂君」
咎める声を発したのは、岡田だった。大事な事は一つしかない。話の中核にありながら、避けていた自分の恋心。幾ら彼の度量が大きいからと言って、簡単に話せなかった。
「全部言うてくれんと分からんよ。きっと光ちゃんも、僕以上に困って混乱してるわ」
「茂君。そんな、青少年の育成妨げるような事、言うたらあかんのやないですか」
「うーん、別に助長させてるつもりはあらへんよ。でもなあ、はぐらかしながら相談されるとやっぱり人間やから腹立つのよ。こんな中途半端な話じゃ、何を言うてあげる事も出来んしね」
「茂君って、立派な大人に見えて、そう言う人ですよね」
岡田が神妙な顔で頷いた。剛だけが一人、会話に追い付けず固まったまま。青少年の育成?はぐらかしている?それは、自分の話なのだろうか。だとしたら、城島は自分のこの抱いてはいけない恋を知っていると言う事になる。
「茂君……?」
「剛が本当はどんな気持ちでいるのかなんて、毎日一緒にいる訳ちゃうから、全部分かってるなんておこがましい事は言わんよ。でもな、ずっと昔から君らを見てて、お互いを大切にしている事も、自分勝手に大事な事を決める親子じゃない事位は知ってんのよ。やからな、ちゃんと話して欲しい」
「俺……俺、光一が好きなにゃ。一番大切。育ててくれた恩とか、ずっと一緒にいてくれたからとかやなくて。俺はもう、長い事光一だけやった」
「剛」
「はい」
「それが、光一の望んでへんものでもか?」
「はい」
「……君は、一度決めたら強情やからねえ」
父親譲りやな、と優しく笑われた。彼の懐の深さは、既に尊敬の域だ。誰にも告げてはならないのだと決意した思いは、秘めれば秘めただけ辛くなった。岡田がいなければ、多分自分の身勝手な感情で光一との関係はとっくに壊れていただろう。それをまた、今城島が救い上げてくれる。
「しょぉがない子やね。光ちゃんがそんな思いを望んでいない事、分かってんのやろ」
「はい」
「嫌やな、もう覚悟してる目やないの。困ったなあ、おっちゃんは何言うてあげたらええのかねえ」
全然困っていない素振りで、温くなった茶を啜った。穏やかな仕草に身体の力が抜ける。嫌悪のない眼差しに安堵した。全てを受入れてくれる御仁だ。
「今日、帰ってから話すのやろ?僕は、昔から嘘を吐いてはいけない言うんが信条やから、アドバイスをするとしたら黙ってるのがええと思うよ」
「黙る?」
「うん、そうや。光ちゃんが好きで、その為に早く対等になりたいから就職したいんやって、真っ正直に言わんでもええと思う。これからも一緒に生きて行くつもりなにゃろ?」
「はい」
「じゃあ、優先順位は一緒に生きる事や。……これから、辛くなると思うで」
「いえないまま生活して行くのがしんどかったら、とっくに諦めてます」
「そうやな。一番大事な事を見失わないで、ちゃんと話し合ってみればええ。正直、剛も賢い子やから、僕は進学して欲しいけどなあ」
「後四年もなんて待てません」
「若さやねえ。君ら親子の事にあんまり立ち入る訳にはいかんけど、二人が納得出来る答えを探しなさい。独りよがりは絶対あかんよ。自分の思いが辛かったら、僕でも准一でも聞いてやるさかいなあ」
光一はきっと、自分の恋を許してはくれない。二人の間にあるのは親子の情であって、それ以外の何も要らないと言うだろう。分かっている。でも、自分を偽らずあるがまま生きていたかった。滑稽だと思われても構わない。理解されなくても良かった。ちゃんと墓まで、この恋は持って行く。光一には告げない。だから、傍にいる事を許して欲しかった。
秋は日の落ちるのが早い。急に暗くなった外を見て、もうそろそろ帰りなさいと促された。岡田と別れて一人になると、自分の決断が間違いではなかったかと不安になる。本当にこれで正しいのだろうか。……否、城島は正しいも間違っているも言わなかった。識者の振りで頭ごなしの説教をしない彼を信頼している。心が揺れたらまた此処に来れば良いのだと思った。
此処は、御伽話の世界。閉じられた綺羅綺羅の宝石箱の中。手を伸ばせば届く場所にある青い羽根。臆病な僕達は、まだ夢の途中にいる。
彼の寝起きの悪さにはもう慣れた。毎日繰り返される朝の光景に飽きない辺り、自分は良く出来た人間だと思う。間取り二Kの決して広くはない部屋に、剛の声が響き渡った。
「光一!朝やでー!ええ加減起きんと遅刻するわ」
まずは一回目。二人分の弁当を作る手は止めずに叫んだ。こんなもんで彼が起きる等とは勿論思っていない。低血圧で夜型人間の寝起きの悪さは、軽く想像を絶していた。
今日の弁当は、卵焼きとウインナーといんげんのバターソテー。定番メニューはたまに恋しくなるから不思議だ。未だ起きる気配のない光一の白米には、嫌味たらしくハート形に切った海苔を乗せた。我ながら繊細な出来栄えだと満足して、剛は朝食用のトーストをオーブンに入れると二回目に取り掛かる。
部屋の仕切りは全て襖だった。これではプライベートも何もあった物ではないと他人に眉を顰められた事もあったけれど、自分達にはこれ位が丁度良い。近過ぎる距離。安心出来る不可侵領域。二人肩を寄せ合って生きて行く為に必要な場所だった。
遠慮も何もなく襖を開ける。光一の部屋は、いつも簡素な雰囲気だった。六畳の空間には、本棚とアルミ製の机と小さな箪笥が一つ。本棚には、職業柄必要なPCシステムの雑誌と、捨てずに残された教育関連の書籍、そして剛の成長を記録した二人だけのアルバムが並んでいる。他の誰も映っていない、二人きりの密やかな記憶。
その部屋の中央に布団が敷かれている。寝汚い部屋の主は、毛布を抱きしめたまま身じろぎ一つしなかった。声を発する手前で一瞬躊躇する。
足下で蹲る小柄な姿に見蕩れた。寝癖で乱れた髪も少し伸びた髭も、布団からはみ出した骨張った足も、確かに男の物であるのに。毛布を掴んだ幼い指先や柔らかな髪の間から覗く額に僅かに残る傷跡、薄く開かれた誘う唇、晒された肌の発光しているかの様な白に。
惑乱される。
不覚にも欲情し掛けた自分を自覚して、剛は焦った。制服の裾を握り締めて、己の劣情を遣り過ごす。あかんわ、俺。朝っぱらから何考えてんねん。自分の年齢を考えれば寧ろ当たり前の事なのだが、何せ相手が悪過ぎる。今はまだ、駄目だ。
すっと息を吸い込んで、今度こそ声を張り上げた。夢の世界にいる彼にもきちんと届く大声。近所迷惑にならないかと、密かに案じてはいるけれど。
「光一さーん!朝ですよー」
言いながら、細い身体を跨いで窓へ向かう。ベージュのカーテンを開ければ、心地良い朝の光が入って来た。彼にとっては、安眠を遮る強い明かり。
「……うー」
後ろから呻く声が聞こえて、剛は間髪入れず光一を包んでいる毛布を剥がす。尚も呻きながら、やっと瞼を持ち上げた。
「お早う。目、覚めたか?」
「……はよ」
「そろそろ支度せんと、ホンマに遅刻するで」
「……んん」
ぐずる光一の腕を引いて、身体を起こしてやる。其処まで手伝えば、後は身体が勝手に動く筈だった。脳味噌が機能するのは、まだまだ先の事だ。起動の遅いコンピューター。
「俺もう行くかんな。弁当テーブルの上に置いてあるし、ワイシャツも其処に掛けてあるから」
「ありがと」
「なら、後でな」
「うん。……あ、何時?」
「三時半。遅刻せんといてな。昼休みに携帯に連絡入れよか?」
「大丈夫。お前の大事、やもん」
「……うん」
幼い響きで、それでも真面目な言葉を綴る。剛には、それが少し面白くなかった。贅沢な不機嫌だとは分かっていても、嫌な物は嫌なのだ。
「じゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃーい」
ひらりと手を振る光一を視界の隅に残して、朝の光が射し込んだ部屋を出た。焼き上がったトーストにバターを塗って、口に銜える。制服のボタンを留めながら、剛は自分の状況に少し笑った。
朝にこんな時間の余裕がある男子高校生なんかおらんやろなあ。原因は確実に彼にある。睡眠第一と言えば聞こえは良いが、地震が起きても起きないだろう眠り方には辟易した。他の人間だったら、絶対に放っておく。
鞄に弁当を入れて、家を出た。安アパートの階段は、体重を掛ける度に軽快な音を立てる。住み慣れたこの街の玩具みたいなアパート。二人の記憶が全て詰まった場所だった。蒼天を見上げて、僅かに眉を顰める。強い光に目が眩んだのではなかった。自分と彼の距離を思う度、胸が疼く。
光一と剛の関係を示す言葉は簡単だった。戸籍にも勿論明記されている。俺達は、『親子』だった。
+++++
小さな手をぎゅっと握り締めていた。それははぐれない為の物だったし、不安そうな瞳を隠そうともしない子供が伸ばして来た温もりを受け止める為でもある。光一は、今もその体温を明確に思い出す事が出来た。
あの時は分からなかったけれど、今ならちゃんと分かる。現実を自分の愚かさを、逃げずに理解していた。繋いだ指の先で怯えていたのは自分の方だ。彼は、子供特有の敏感さで一番正しい方法、安心出来る術を差し出しただけ。
東京行きの最終の新幹線だった。新神戸駅のホームは寒くて、剛にもう一枚着させるべきだったと後悔する。自分の荷物は全て先に送ってしまった。肩から掛けているスポーツバックの中は、剛の物しか入っていない。もう二度とあの家に帰る事はないかも知れないから、と持ち出したい物を全部入れさせた。全部とは言っても、決して多い量ではない。元々持っている物の少なさを示すだけだった。
「寒ない?」
「平気。光ちゃんは?手、冷たいで」
繋いだ指先を引っ張って問われる。吐き出す息がぞっとする程白かった。
「大丈夫や。俺、元々冷たいねん」
「そうなん?やったら僕があっためたるわ」
言って笑う剛の目許と口許には、痛々しい傷が残っていた。彼の父親が付けた暴力の証だ。
ホームに新幹線が滑り込んで来た。手を繋いだまま自由席の車両に乗り込んで席を確保する。窓側に剛を座らせた。シートに凭れると、ほっと息を吐いたのに気付く。緊張しているのだろう。
一週間前の夜、いつもの様に傷の手当をして一緒に夕食を食べている時だった。母親は、剛の父親に再三の勧告を言いに出ている。児童福祉士を長い事続けている母にとって、近所の家庭環境は放っておけなかったのだろう。自分は多分、そんな母親の影響でこの子供が気になっているんだと思う。
口の傷に染みるだろうと少し冷ました食事を剛は黙って食べていた。あの父親と二人では、普段碌な物を食べていない筈だ。
「美味しい?」
光一の問い掛けに剛は頷く。食べる事に夢中な感じだった。子供らしい、本能に忠実な行動。
「……なあ」
呼び掛ければ、視線だけを向けて来る。目を合わせて、光一は少し躊躇った。子供の瞳、肉親に傷付けられても濁る事のない純真な色を持っている。彼に、果たして告げても良い事なのだろうか。
自分は来週、東京へ引っ越す事が決まっている。大学生活を終えて、社会人になる為だった。警備会社のシステムエンジニアとして働き始めるのだ。本来なら、言うべきはお別れの言葉の筈だった。
「何?光ちゃん」
言葉の続きを待っていた剛に促される。その小さな身体の至る所に傷があるのに、彼の目は人を信じる強さを持っていた。環境も何も関係ない、この子供が持っている強い性質だ。
「うん、俺な東京で就職するんよ」
「……そーなん」
吃驚した顔に安堵した心は、罪に値するだろうか。大人の卑怯を、彼は受容してくれるだろうか。
「でな、剛さえ良かったら……」
少なくとも、小学四年生の子供に言って良い台詞ではなかった。頭では分かっているのに、言葉は身勝手に零れて行く。
「俺と一緒に、行かへん?」
目を見る事は出来なかった。一瞬の空白が、光一には永遠の審判の様に感じられる。唇を噛み締めようとした瞬間、呆気無く返答が落ちて来た。目の前には、光がある。
「うん、ええよ」
まるで、明日遊ぶ約束をしたみたいな軽い同意だった。視線を向けると、大人びた表情で笑っていた。幼い顔に浮かぶ理知的な色に、怯む。
「光ちゃんが連れ出してくれるんやろ?それやったら、東京でもアメリカでも何処でもええ。あの家やなければ、構へん」
答えた言葉は真剣だった。自分の言葉の意味をしっかり受け止めている。理解して考えて出してくれた結論だ。自分の中にある迷いや罪悪が綺麗に浄化されて行く感覚。剛を、このしっかりした強い子供を、自分が守るのだ。
「剛、一緒に行こう。一緒に生きよう」
窓の外は暗い。時々明かりが直線を引いては消えて行った。剛は深く眠っている。その表情に翳りは見られなかった。指先は緩く絡めたまま、膝の上にある。
もうすぐ名古屋に着く筈だった。剛がいなくなった事に、あの父親は気付くだろうか。ちょっと考えて、すぐに無理だと結論付ける。いなくなった事に気付ける位の人間だったら、息子を奪う様な真似はしなかった。この手を取ってしまった以上、手放す気はない。
多分一番に母親から連絡があるだろう。逃げない事は決めている。本当はそれが浅はかで無謀な事も知っていた。実の親子を引き離すのが難しい事位、母の仕事を見ていれば簡単に分かる。
今の児童福祉法や児童養護施設に、剛を守る事は出来なかった。ならいっそ、自分が守ってみせる。誘拐犯になっても構わなかった。何を犠牲にしても、この小さな手を守り抜きたい。
社会人にすらなっていない光一が、剛と二人で生活するのは困難だった。逃げ出したあの夜から八年の月日が経っている。二人の生活を支えたのは、沢山の優しい大人達が差し伸べた手によってだった。
あの時の不安も芽生えた罪悪も、胸の裡にある。けれど何より強いのは、繋いだ指先を離さないと言う使命感だった。剛は、自分が大人にする。それだけが、自分の夢であり希望だった。
+++++
会社に着いて、まず早退届を提出する事から始めた。随分前に上司には伝えてある。書類上必要な形式的な作業だった。
本部で勤務している光一は、直接警備とは関係がない。警備用のシステムのメンテナンスを主に担当していた。設置している施設への外回りはあるけれど、内勤が多くシステム異常等の緊急事態にならない限りは定時で帰る事が出来る。まだ学生の剛と生活するのには、丁度良い職場環境だった。
書類を提出しに行く為に廊下を歩いていると、後ろから騒音とも呼べる程の大きな足音が近付いて来る。振り返るより先に、足音の持ち主が光一を捕えた。
「光一ー!おっはよー!」
不意の襲撃を受けて、前のめりによろめく。後ろからこんな大男に乗られては、潰れてしまうではないか。不満たっぷりの声を同僚にぶつけた。勿論そんな言葉が通用しない相手である事は、経験から十分分かっている。
「長瀬!重いっちゅーねん」
「えー、朝のスキンシップじゃーん」
蛇に睨まれた蛙の様に肩を竦めて、大男は渋々離れて行った。大型犬が飼い主に叱られたみたいな表情は可愛い。しょうがないなあと言う気分にさせるのだから、侮れない奴だとは思っていた。
彼は、職場で唯一気の置けない存在だ。と言うよりも、上京した光一の数少ない友人だった。何で其処で親友って言わないかなーと、心の中を読まれていたら突っ込まれるだろう。
「ウチの子達は全然嫌がんないよ?パパーって大はしゃぎだぜー」
「子供と俺を一緒にすんな」
連れ立って歩きながら、背の高い彼を睨み付ける。身長差が邪魔をして、まあそれ以前に光一の顔立ちが愛らしい小動物と同じ物で出来ているから、そんな顔されても怖くない、と言うのが長瀬の意見だった。睨む友人の瞳は可愛いから、余計な事は言わないけれど。
長瀬と光一の始まりは、入社してすぐの事だった。光一は今でも最初の事を覚えている。新人研修の時に馴れ馴れしく声を掛けられた。同期は他に何人もいたし、長身で目立っていた彼がわざわざ女子にさえ埋もれてしまうんじゃないかと言う(身長は同じ位だけど、勢い的に)自分に真っ直ぐ向かって来る意味が分からない。仲良くなって来た今でも理解出来なかった。
だって、光一がダントツで好みだったんだもん。あっけらかんと言う長瀬は良い奴だと思うが、言っている事が自分の常識の範囲を超えていた。それでも仲良くなれたのだから、自分もこの規格外の男が好きなのだろう。
彼の押しの強さは関西の物に似ていた。当時はホームシックになるどころではなかったから思い当たらなかったけれど、多分その懐かしさに惹かれたのかも知れない。強気な姿勢が余り得意ではない自分が、最初から彼の存在を疎ましいと思わなかった。全然タイプの違う人間だけど、波長が合うと言った感じかも知れない。
一緒に行われた研修だが、自分はシステム管理に長瀬は警備部に入ったから、なかなか会う事は出来なかった。人付き合いの苦手な自分がそれでも関係を続けていられるのは、この友人が見た目の印象よりもずっと繊細で几帳面だからだろう。定時で上がれる自分と違って、四十八時間勤務もこなす警備部は想像以上に大変だと思う。警備の仕事を元気に続けられるのは、守る者がいるせいかも知れなかった。
ちなみに今は二人の娘に溺愛中で、親友と豪語される自分でも余り構って貰えなかったりする。全然構わないのだけど、ほんの少し寂しいと思ってしまうのは、自分の性質が我儘だからだった。
こんなお父さんやったら、子供は大らかに育つやろな。また他の家族と比較しそうになって、慌ててその思考を追い払った。他人と自分を比べるのは悪い癖だ。剛にも嗜められた事がある。他人は他人、ウチはウチ。強い息子の言葉を思い出して、弱気な思考を追い払った。
「何?光一。今日早退すんの」
手に持った書類を覗き込まれる。綺麗とは言えない署名と、形式通りの書面。
「うん。今日、三者面談やねん」
「あー、剛の。あいつ幾つだっけ?」
「おっちゃん、それこの間も聞いたで。高三、受験生」
「ごめんごめん。俺、頭悪いからさ。そっかー、あいつもそんな大きくなったか。そりゃ、俺も年取る訳だ」
長瀬は、剛が中一の時から知っている。面倒見が良く情の厚い彼は、自分達の生活を知ってから何気なく気に掛けてくれていた。異質な親子関係に口を挟むでもなく、旅行に行けば二人分のお土産を買って来てくれたし、インドアな養父の知らない遊びにも躊躇なく誘ってくれる。
親友の大事なもんは、俺にも大事。シンプルな発想で生きている長瀬に何度も救われていた。
「長瀬は初めて会った時から変わってへんよ。年取ったようにも見えん」
「それは光一だろ。お前年々若返ってく気するんだけど」
「そんな事あらへんわ。おっさんやもん」
「うん、知ってる。じゃなくて、見た目とか。入社したてん時とか、髪きっちり分けてて、スーツじゃない時も色のない物ばっか着ててさ。手とか唇とか荒れててもクリーム塗るの嫌がってたし。勿体無いなあって思ってた」
「……よぉ覚えとんな」
あの頃は生きる為に精一杯だった。連れ出した幼い命を自分の手で守りたくて、自分自身の事なんてどうでも良かったのだ。今も本当はどうでも良いと思っていた。元々関心がないと言う自覚はある。
「でも、最近変わったよね。ネクタイの趣味も違うし、前髪可愛いし」
「可愛いって言うな」
「剛のおかげなんだろうな。全部あいつがやってるんだろ」
「……何で分かるん」
吃驚した顔で見詰められると、苦笑するしかない。何年自称親友を続けていると思っているのだ。光一の身体にフィットする細身のスーツも、物が入っていれば紙袋でも構わないと言う思考の人が持つには機能的なバッグも、ふわりと香るシャンプーの匂いも、丁寧にファイリングされた爪も全部。
無頓着な光一が出来る事ではなかった。父親の世話を進んで焼いている、マメで凝り性な息子の顔を思い出す。きっと、美容院すら一緒に行って美容師に要望を言っているに違いなかった。顔の周りでバランス良く揺れる茶色の髪は、彼の年齢を分からなくさせる。
「剛は、親の手伝いやから当たり前やって言うんやけどね」
「お前ら、段々どっちが親でどっちが子供か分かんなくなって来たな」
言った途端、長瀬は後悔した。光一が立ち止まって傷付いた顔を見せる。悲しい瞳。彼の黒い目は吸い込まれそうに綺麗だけれど、いつも罪悪の色があった。消えないその色の原因を知っている。
「……そうやね。剛はしっかりしてるからなあ。しっかりせな、あかんかったから」
「光一」
「あの子をゆっくり育てたいって思ったのに、結局俺が大人になるの急かしてる」
「光一、お前のせいじゃない。おいつは元々しっかりした人間なんだ。知ってるだろ」
「うん。向こうにいた時から、しっかりした子供やった」
剛は、自分がきちんとしていなければ家庭環境のせいにされる事を分かっている。あんな若い父親だから、と光一に責任を向けられる事を酷く嫌がった。
「今日の三面って、進路の話?」
「うん」
「剛は、どうすんの」
「……分からん」
暗く沈んだ声。傷付いた顔をさせたくなかった。
「話してないの?」
「話そうとは、してる。でも言うてくれん。もう俺は自分の進路位自分で決められる年やから、って。ちゃんと決められたら話もするって。それっきりや」
剛が光一に話さないなんて、あり得ない事だった。この父親は連れ出してしまったその日から、不必要な罪悪感を抱いているせいで、時々過剰かと思う程息子になった子供の事を理解しようと必死になる。全て理解している事が義務だとでも言うように。
そんな光一の心を知ってか知らずか、剛は自分の事を何でも話した。学校であった事、夜中に布団の中で考えた事、街で聞いた音楽が良かった事、釣りに行って何が釣れたのか、帰り道に見上げた空の神秘的な色も。何もかも、自分を形成する全ての事を伝えていた。
基本的にこの二人に隠し事はない。光一は余り自分の事を話さないけれど、それは口下手なだけで嘘や誤摩化しはない人だった。
だから、剛の行動は可笑しい。初めての事かも知れない。何か考えがあっての事なのは間違いないだろうが、暗い表情で思い詰める親友を見て掛ける言葉は何も見付からなかった。
+++++
柔らかな陽射しが射し込む菜園は、剛達のお気に入りだった。学校内の敷地に於いて、これ以上完璧な優しさを有している場所はない。と言うのが親友の見解だった。
緑が褪せ始め少し肌寒くなっても、昼休みは此処で過ごしている。口数の少ない親友は、本を捲りながら、大して美味しくなさそうにパンを齧っていた。食事に楽しみを見出さない所は、あの養父と似ている。彼の事を思い出して、それから午後の憂鬱な予定を思って、剛は深い溜め息を吐いた。
「……どうしたん」
やっと本から顔を上げて、隣で膝を抱える陰気な人を見詰める。相談したいのなら、素直に言えば良いのに。手を差し伸べるように仕組む癖は、あの人の甘い教育の賜物だ。
彼なりに厳しく育てたつもりなのだろうが、最後の最後で甘さが残った。社会的には問題がないし、何より結局苦しむのは優しい彼なのだ。自分が嗜める事でもなかった。
「岡田ぁ、俺どないしよ」
「何が」
「まだ、進路の話してないねん」
「……ホンマに?」
黒い双眸を瞬かせて、信じられないと言う表情を作った。まさかとは思っていたのだが。決意を固めているのに言葉にしないのは罪に値する。少なくとも、剛と光一にとっては。
他人だからこそ、目を見ても手に触れても通じない。通じ合わせてはいけない。だから、どんな些細な事でも告げようと言うのが彼らのルールだった。
「言おう言おうとは思ってたんやけど、言えんくて」
「光一君は、大学進学希望しとんのやろ」
「ぉん。公立でも私立でも構わないから、行きたいとこ行けって」
「……ホンマ、良いお父さんやなあ。今時言えへんで、そんなん」
感心した口振りに剛は嬉しくなる。自分の大切な人が誉められるのは、優越感だった。慣れた感覚のまま笑おうとして失敗する。その、『良い父親』こそが今自分を苦しめているものだった。
相反する感情に結局剛は表情を消す。優しさも苦痛も、自分の中にある感情を左右するのは光一だけだった。小さな頃からずっと、自分の行動原理は彼にある。
「良い父親なんかやなくてもええねん」
「それでも、光一君は剛君の父親や。良い父親であろうとしてくれてるんやよ」
静かな声で岡田は嗜める。ついこの間会った時も優しい目で「学校どうなん?」と聞かれた。自分には入り込めない場所での息子の事を心配している真っ直ぐな感情だ。大切にしている愛情しか見出せない瞳。
岡田は、自分で認識している以上に彼の事を気にしているのだと知った。不器用な仕草で、でも迷わない意思の中剛だけに向けられる白い手が好きだ。
「分かってる。ずっと分かってたつもりやし、これからもちゃんと親子でいなきゃあかん事も知ってるんや」
剛は、自分の養父である人を愛してしまった。十八にもなれば、自分の恋が気の迷いではない事位分かる。幼い頃から面倒を見てくれた人だ。自分が他人を怖がらずに受け入れられるのは、彼のおかげだった。実の父親に付けられた傷は、彼の手によって癒されたのだ。感謝の気持ちを抱くべきであって、今抱えている感情は間違いだった。
捨てなければいけないと思ったのは、中学生の時だ。良い息子になろう、彼の笑顔を曇らせたくない、と必死で振り払おうとした恋だった。けれど。
今も尚、光一への恋は此処にある。捨てる事なんて出来なかった。大切な、自分を成長させて来た思いだ。
「好きって、言わへんの」
「言えへんよ。『親子』って関係の中でやったらずっと言って来た。多分これからも言い続けるよ。けど、そう言う意味では言わん」
「間違った気持ち、やから?」
「そうや。光一が望む俺は、父親の事好きになる様な不健康な奴ちゃう。俺が社会出て、彼女作って、結婚するんを心から楽しみにしとる。家族なんていらん言う俺の子供を抱きたいって言う。あいつが望んでるんは、自分の元を飛び立って社会に溶け込む事や」
「光一君らしいな。剛君いなくなったら一人になってまうのに」
「光一やって、俺がいなくなったらきっと自分で家族作るわ。今は俺がいるから一人なだけで」
「そうかなあ。僕は、光一君はもう剛君以外の家族は持たないと思うよ。どっちかが死ぬまで、剛君の為にいつでも待っててくれる気がする」
冷気を含んだ風が、岡田の黒い髪を持ち上げる。やんわりと毛先を押さえる仕草を追いながら、つくづくこいつは変な奴だ、と思った。血が繋がっていないとは言え、戸籍上は間違いなく親である人を愛し、その上それは同性に向けられている。年齢も一回り離れていて、どれだけの罪を重ねているのか分からない筈はなかった。
それなのに、この親友はあっさりと受容する。偏見も軽蔑もない瞳で「光一君綺麗やもんなあ」なんて暢気に笑う。他人と少しずれた感覚は、環境のせいか持ち合わせた性質なのか。歪んでいると言うよりも精神的な拠り所が違うのだろうと思う。自分の信じるものしか信じない。簡単に見えて、それで生きるには難しい生き方をしていた。岡田の価値観は、絶対的な尺度で構築されている。
「茂君には相談したん?」
「……どうしようか悩んどる」
「話してみたらええよ。きっと何か見付かるわ」
信頼に満ちた声で笑った。茂君、と言うのは自分と光一が一番お世話になった他人だ。法的手続きは、彼の手がなければ出来なかった。おっとりした笑顔を思い出す。
「そうやな。今日、帰りにでも寄ってみる」
「三面の後やなあ」
「茂君とこ行く時、どうなってるんか想像もつかん」
「僕も一緒に行くわ」
岡田と出会ったのは、茂君の施設だった。長い事、光一の母親と同じ児童福祉士として働き今は私営の児童相談所を運営している。法では救えない子供を、自分の手が届く範囲で見守る、と言うのが信条だった。親のいない、帰る家のない子供達が自立出来るまで、広くはない居住スペースで生活までさせていた。
あの場所は、悲しい事や辛い事も沢山ある筈なのに、いつも明るい。離れそうになる二人の手をいつも繋がせてくれたのは、茂君だ。
「俺は、光一を悲しませたい訳でも離れたい訳でもないんや。唯、ずっと一緒におりたい。一緒に生きていきたい」
真っ直ぐな瞳で話す剛が抱えているのは、恋よりも純真な心だと思った。欲も打算もなく、此処にあるのは愛したいと言う尊い感情だけ。恋に近いと思えるのは、其処に隠し切れない独占欲が滲むからだろう。茂君が彼らに明るいものを渡してくれたら良いと岡田は思った。冷たい風に冷えた指先を握り締めて、彼らの未来を願う。それは、午後の陽射しに溶け込む優しい祈りだった。
+++++
小さい頃の記憶は、痛みと共に思い出される。傷付けられた身体が辛くて、泣いてばかりいた。朧になった過去は、いつでも光一の体温が傍にある。今も昔も変わらないのは、彼の乾いた掌だけだった。
光一の母親が幼稚園に行っている筈の剛を見付けたのは、近くにある公園のベンチだ。殴られた痕と転んで出来た擦り傷が痛くて、顔を上げられなかった。涙を零すだけの自分を抱き上げて、父親のいる木造アパートではなくお日様の匂いがする光一の家に連れて行かれる。
リビングに剛を降ろすと、二階に声を掛けているのが見えた。少しもしない内に聞こえる、軽やかな足音。顔を向ける事は出来なくて、手が伸ばされるのを待った。
「剛。いらっしゃい」
俯いて待っていれば、当たり前の仕草で頭を撫でられる。やっと安心して、それでも伺うように顔を上げた。
「光ちゃん、何でおんの?」
友達や家族が呼んでいるのと同じ呼び方をしても、彼は怒らない。嬉しそうに笑って、何でも許してくれた。絶対に曇る事のない笑顔は、多分幼い自分にとって救いだったのだと思う。
「学校のな、試験終わったから、今お休みなんや」
「しけん?」
「普段ちゃんと勉強してるか確かめるもんや。お前も小学校上がったらあるんやで」
「そうなんや」
光一は、この時高校二年生だった。落ち着いた印象は昔から変わらない。近所に住む、こんな子供にも優しくしてくれた。思春期特有の尖った態度も反抗期も、彼からは見えない。
部屋でゆっくりしていたのだろう。ハイネックのグレーのセーターに、ゆったりしたパンツを履いている光一は、制服でいる時よりも柔らかく見えた。臆病な自分でも手を伸ばしやすい。
「あーあ。まぁた派手にやられてもうたなあ。今、手当してやるからな」
痛みを伴わない声音で笑って、一度救急箱を取りに部屋を出た。母親と会話している声が聞こえて、またすぐに戻って来る。自分をソファに座らせて、その目の前に正座した。目線を合わせて覗き込まれると、心臓の音が大きくなる。
「消毒だけしたるかわ、終わったら風呂入っといで。そんで、ご飯一緒に食べよ」
「うん」
「幼稚園には母さんが連絡入れたから、心配せんでええよ」
「……ありがと」
「早く傷、治そうな」
笑って消毒を始めた光一が、自分の気持ちを知っている事が嬉しかった。腹や足に付けられた傷なら気にしないけれど、今日みたいに顔に付けられると幼稚園に行きたくない。口の端と目の周りが青黒く変色していた。口の中に鉄の味がするから、きっと何処かを切っている。
痛いのは何処に付けられても変わらないけれど、友達や先生や他の親の目が痛かった。あれが同情や憐憫だと理解出来るのは、もう少し先の事だ。
温かいお湯は傷に沁みたけれど、浴室を出たら光一が真っ白のバスタオルを広げて待っていてくれたから嬉しかった。ふわふわした感触に包まれると、幸せな気分になる。此処にいても良いと許されている気分になった。
サイズの合わない服を着せられて、再びリビングのソファに座らされる。キッチンからは美味しそうな匂いが漂って来ていた。絆創膏と包帯と、不器用な指先が迷いながらも適切な処置を施す。清潔な肌と温かい光一の空気と、自分の為に用意されている食事の匂い。普段自分がいる場所と余りにかけ離れていて、剛は泣きそうになった。
「……剛、どうしたん?傷沁みるか?」
「ううん」
「じゃあ、何で泣くん」
困った顔で笑われて、頬に丸い指先が滑る。
「光ちゃん、剛に泣かれるとどうしたらええか分からんねん」
「……っう、光ちゃ。あんな家、帰りたない。あんなん、親やないっ」
最後まで言う前に優しく抱き締められた。胸に顔を埋めたら、もっと涙が溢れて来る。光一の匂い。いつでも彼は甘い香りがした。優しいお日様の名残みたいな。もし自分に母親がいたら、きっとこんな健康的な匂いがするのだろう。剛が生まれてすぐに他の男と蒸発した女は、母親の温もりを与えてはくれなかった。
「剛、そんなん言うたらあかんよ」
嗜める声音が優しく響く。背中を撫でる大きな掌に安心した。泣いている自分を宥める大人の手は沢山あったけれど、彼より心地良いものはない。
「やって、あいつのせいで、俺は……っ」
「そぉかも知れん。でもな、どんな風に思ったって、剛のたった一人のお父さんなんや」
「……そんなんいらん」
「辛なったら、光ちゃんが絶対に助けに行ったるから、悲しい事言うたらあかん。ええな?」
光一の口から、一度も父親を非難する言葉は出た事がない。現状を見兼ねてはいても、剛の心に憎悪の感情を植え付けたくなかった。あんな親だから子供もまともに育たないのだ、等と言われたくない。強い子供がそのまま成長したら良いと思っていた。
「剛、返事」
「分かった」
「ええ子やな。俺は、強い剛が大好きやよ」
甘やかす言葉に素直に顔を上げる。黒目ばかりの優しい眼差しにぶつかってどきりとした。この息苦しい感情をずっと抱える事になるとは知らずに、剛はゆっくり笑う。
「俺も、光ちゃんが好き」
「ありがとぉ」
ティッシュで涙を拭われながら早く大きくなりたいと思った。どうして、なんて疑問に思う前に食事が出来たと告げる朗らかな声が聞こえて、理由は見えなかったのだけど。
十八になった今も胸にある、早く大人になりたいと言う願い。愛されるだけの子供ではなく、光一を守る事の出来る強い人間になりたかった。
+++++
机を挟んだ向こうには担任、隣には剛が座っている。傾き始めた陽射しが、木目の机を鈍く光らせていた。息苦しい緊張感。いつだって歳若い養父だと軽んじられないように、気を張って来た。自分のせいで剛が悪く言われるのは嫌だ。責任感のある大人の態度。見た目の雰囲気に左右される薄っぺらい信用を得る為に、髪を明るく染める事もアクセサリーを付ける事もしなかった。
剛が中学生の時の担任に「父親と言うよりも母親みたいですね」と嫌味を言われてからは、細いだけだった身体も鍛えている。女顔はどうする事も出来ないから、線の細い身体位は変えようと思った。結局筋肉が付き難い体質だったようで、劇的な変化は望めなかった。
この担任とは何度か話をしている。理知的な瞳を持った初老の紳士は、嫌いではなかった。必要な事以外は話さない冷静な雰囲気は、家庭環境の良くない自分達には安心出来る。
けれど、胸の裡には不安が渦巻いていた。担任が手にする資料の中に、剛の進路がある。怖かった。今まで一度も抱いた事のない不安定な気持ち。自分の息子の事が分からない。
どうして、話してくれないの。廊下で剛の笑顔を見付けた時、思わず詰りそうになった。どうして。二人で暮らして来た八年の中で一度もない事態だった。何よりも把握しておきたい事が分からない。
「さて、時間も余りないものですから、始めましょうか」
「はい、お願いします」
「堂本君の最近の試験結果です」
データ化された資料が広げられる。この結果は見慣れたものだった。一緒に見直しもしている。相変わらず数学が弱くて笑ったのを覚えていた。俺理系やのに、何でそんなに出来んねん。笑顔の裏で僅かに痛んだ心臓。自分と剛は他人なのだと突き付けられているみたいだ。どれだけ一緒にいても、どれだけ愛しても、所詮疑似でしかないのだと。
「文系の大学で教科を選べば、然程進学は難しい事ではないでしょう。でも、堂本君の希望進路は違ったね」
「はい」
「え」
知らない、と言いそうになるのを慌てて押さえる。担任に不信感を抱かせたくはなかった。隣を見れば、すまなそうに笑う剛がいる。大人びた微笑だった。物分かりの良い、諦めを知った大人にはなって欲しくないのに。膝に置いた手をきつく握り締める。
「俺は、就職希望です」
「……っ」
「まあ、秋になって急に進路を変えたものですから、私も吃驚しましたけど、今からでもどうにか間に合うとは思います。就職難のご時世ですから、職種を選ばなければ、の話ですけれどもね。こちらでも面接の練習や履歴書の書き方なんかは見てやれますから。……お父さん、どうかされましたか」
「いえ、お手数をお掛けして申し訳ありません。」
上手く声が出ない。顔を上げる事も出来なかった。就職?そんなの聞いてない。高校受験の時ももめて、結局大学進学まで視野に入れたこの学校を選んだ。
早く大人になる必要なんてない。勉強が出来るのも、俺がお前を守ってやれる時間も僅かなんだから、甘えなさいと。ずっと言って来た。剛を連れ出したのは自分で、彼を育てるのは義務なんて言葉じゃ括れない位大切で当たり前の事なのに。
あの曇らない瞳が好きだった。手の中にある温もりを大切にしたかった。この手を離れて行く不安は、諦めにも似ている。いつかは離れて行くのだと、納得はしていてもそれは今じゃなかった。
「……もう少し、この子と話し合いをしたいと思っています」
「そうですか。私もその方が良いと思いますよ。此処で決める進路は、将来を左右するものですから」
「はい、ありがとうございます」
意思の疎通が出来ていないと思われるのは嫌だったけれど、担任は頷いて新しい進路希望用のプリントを渡してくれた。隣にいる剛の顔を見る事は出来ない。
「これが、最後の希望になります。二人でもう一度話してみて下さい」
深く頭を下げて席を立った。唇を噛み締めて、教室を後にする。黙って後ろを付いて来る子供を振り返る事は出来なかった。どんな考えで、どんな気持ちで就職を決めたのか。夏休みには目指す大学も見定めて必死に勉強していた筈だ。どうして、今更。
廊下には次の親子が待っていて、言葉を発する事は叶わなかった。無言のまま昇降口を目指す。今、自分の中にある感情は、一体何だろう。怒りか悲しみか、それとも不安か。分からない。剛の気持ちも自分の気持ちも見えなかった。
揃えて置いてある革靴に足を入れて、やっと口を開く。誰もいない放課後の昇降口は、懐かしい色があった。褪せた茶は、セピアの風景だ。射し込むオレンジとのコントラストが美しい。
「剛」
名前を呼んで悲しくなった。自分が生きて来た中で一番多く呼んだ名前。全てを共有して来たつもりだった。故郷を離れ、本当の父親から奪って今日まで。分からなくなってしまった。剛が何を考えているのか、どうして話してくれなかったのか。自分が、就職を希望した事よりも一番に相談してくれなかった事に傷付いている事に気付いた。
「光一。先、帰っててくれるか。俺寄るとこあんねん」
「剛、」
「……帰ったら、ちゃんと話すよ」
振り返れば、悲しい程の柔らかい眼差しがあった。上手く表情を繕えないのはお互い様だ。オレンジの光が、剛の顔に陰影を作った。僅かに息を呑む。
いつの間に、こんな。強い瞳はそのままだけれど、引き結んだ唇や寄せられた眉は、少年の表情ではなかった。眩みそうになって、慌てて目を逸らす。
「あんま、遅くなんなや」
「うん、ごめん」
「謝る位やったら……っ」
「ごめん、光一」
叫びそうになる衝動を堪えて、目を瞑った。剛の甘い声。謝罪を示す言葉が、耳に心地良い。
「じゃあ、帰るな」
落ち着きを取り戻し切れない声で小さく呟いた。俯いた視界の端で剛が動くのが見えたけれど、気付かない振りをする。伸ばされた指が何処に届くのか。追い掛ける事は出来ずに、校舎を後にした。胸が痛い。分からない事が辛かった。
成長すると言う事は、こんなに辛い事なのだろうか。身を切られる様な、心に空洞がある様な。耐えられないと思って、小さく首を横に振った。剛が大人になる事は、自分の願いだ。けれど、まだ今はその時ではない。日の翳った道を歩きながら、痛む心臓を押さえた。
+++++
「おお、いらっしゃい。二人で来たんか?今、茶出したるからな」
いつもと変わらない笑顔で迎えられてほっとした。岡田と並んで歩いて来たのを遠くから見付けてくれた。幼稚園を改造した屋内は、いつ来ても茂君の優しさで満ちている。
「こんにちは。お久しぶりです」
「ええ、ええ。そんな堅苦しい挨拶は。学校帰りか?したら、腹減っとるなあ。僕の秘蔵の饅頭出したるわ」
おっとりした笑顔と賑やかな喋りに気圧されて、勧められるまま室内に入った。茂君の自室兼園長室に通される。
何度も何度もこの部屋で話をした。涙を堪えた表情で、弱音を喉につかえさせたまま強く在ろうとした養父をこの場所でずっと見ている。
岡田と並んで古いソファに座り待っていると、程なくして部屋の主が現れた。両手に持ったお盆の上には、三人で食べるには多過ぎるおやつ。此処で生活している子供には決して優しいだけではない厳しさを持ち合わせている人なのに、たまに訪れる子供達には労う素振りで甘やかしてくれた。あくまでも、此処の子供にばれないように、ではあるけれど。
「子供らはこれから宿題の時間やから、ちょっとは静かやわ。まあ、食べなさい」
「はい、いただきます」
年齢不詳の園長は、日本茶を飲んでいる時が一番老けて見える。悪い意味ではなく、狡猾な翁のイメージだった。秘蔵の饅頭を食べながら、今此処で生活している子供達の事を話される。
「もうすぐお母さんと一緒に暮らせる中二の子がおってなあ。最近はその子が頑張ってくれるおかげで、園内は穏やかなもんやで」
闇を抱えた子供達が集団で生活するのは容易な事ではない。城島の肩には、大きな傷痕が残っていた。ずっと昔、子供が暴れて包丁を手に持ってしまったのだそうだ。自身の傷より、子供に犯罪歴を負わせた事をずっと悔やんでいる。
そんな人だった。優しさや正義だけで、私営の施設を維持する事は出来ない。己に厳しい、度量の大きな人だった。
「もう君ら、受験も追い込みやろ?こんな所で油売っててええの」
「今更焦る事もありませんし」
答えたのは、岡田だ。のんびりした雰囲気は、どちらの方が強いだろう。目に映る世界をきちんと見ていないような親友の瞳は、いつも違う現実を追っていた。城島は苦笑する。
「岡田は、そうやな。もう高校の授業で勉強する事なんかないやろ。僕は、早く大学行って勉強して欲しいなあ思ってたから嬉しいわ。行くとこは決めとんのか?」
「はい、もう大体は」
「そうか。春が楽しみやねえ」
岡田を小さい頃から知っている城島は、嬉しそうに目を細めた。関わった全ての子供達の成長をこうして心から喜んでいるのだろう。
岡田は自分とは違うが、長い間城島の施設に通っていた。彼の両親は幼い時に交通事故で亡くなっている。幸い叔父夫婦が引き取る事となり、小さな頃から大人びたところのある少年は、何の問題もなく養子として迎えられた。それでも、不安が大きかったのだろう。親交のあった城島に相談へ行くのは、当然の流れだった。
園内で一人物静かに過ごしている少年に声を掛けたのが出会いだ。聞き慣れたイントネーションに安心した部分もあるのだろう。それから不思議な距離感でずっと一緒にいた。小中学校と別々だったのに、秀才の彼が同じ公立高校にいるのは、恐らく自分の事を考えてくれたからだと、密かに思っている。
「准一に心配はしてへんけどなあ。剛はどうなん?夏休み、数学で苦労してたやろ」
「俺、実は今日その事で来たんです」
「……どうしたん」
子供の変化を城島は見逃さない。真剣な眼差しで話を促された。今日の三社面談の事や考えに考えた進路の事、早く大人になりたいと言う純粋な願いをゆっくり自分の心に偽らないよう気を付けながら話す。隣に岡田がいてくれて良かったと、力の入った自分の手を見ながら思った。
「それはまた、強引やなあ。大切にせなあかん人を、一番最初に傷付けてるやん」
「二人のルール破ったのは俺や。でも、光一の願う進路を選べない」
「剛、厳しい事言うようやけど、それは子供の我儘やで。養われてるから大人になれないんか?子供やからって、大切なもん背負えない訳ちゃうで。親の期待背負うんも立派な責任や」
違う、と言いたかった。子供だからとか親子なのにとか、そんな理屈ではない。唯、光一が好きで光一と対等になりたかった。守られるのではなく、一緒に生きたいのだと。
けれど、こんな思いを口に出す事は出来ない。異常な恋である以上、口を噤むしかなかった。
「俺は、光一を苦しめたい訳やない。でも、どうしたらそれが伝わるんか分からんのや」
「剛。僕に大事な事言うてないやろ」
「え」
「茂君」
咎める声を発したのは、岡田だった。大事な事は一つしかない。話の中核にありながら、避けていた自分の恋心。幾ら彼の度量が大きいからと言って、簡単に話せなかった。
「全部言うてくれんと分からんよ。きっと光ちゃんも、僕以上に困って混乱してるわ」
「茂君。そんな、青少年の育成妨げるような事、言うたらあかんのやないですか」
「うーん、別に助長させてるつもりはあらへんよ。でもなあ、はぐらかしながら相談されるとやっぱり人間やから腹立つのよ。こんな中途半端な話じゃ、何を言うてあげる事も出来んしね」
「茂君って、立派な大人に見えて、そう言う人ですよね」
岡田が神妙な顔で頷いた。剛だけが一人、会話に追い付けず固まったまま。青少年の育成?はぐらかしている?それは、自分の話なのだろうか。だとしたら、城島は自分のこの抱いてはいけない恋を知っていると言う事になる。
「茂君……?」
「剛が本当はどんな気持ちでいるのかなんて、毎日一緒にいる訳ちゃうから、全部分かってるなんておこがましい事は言わんよ。でもな、ずっと昔から君らを見てて、お互いを大切にしている事も、自分勝手に大事な事を決める親子じゃない事位は知ってんのよ。やからな、ちゃんと話して欲しい」
「俺……俺、光一が好きなにゃ。一番大切。育ててくれた恩とか、ずっと一緒にいてくれたからとかやなくて。俺はもう、長い事光一だけやった」
「剛」
「はい」
「それが、光一の望んでへんものでもか?」
「はい」
「……君は、一度決めたら強情やからねえ」
父親譲りやな、と優しく笑われた。彼の懐の深さは、既に尊敬の域だ。誰にも告げてはならないのだと決意した思いは、秘めれば秘めただけ辛くなった。岡田がいなければ、多分自分の身勝手な感情で光一との関係はとっくに壊れていただろう。それをまた、今城島が救い上げてくれる。
「しょぉがない子やね。光ちゃんがそんな思いを望んでいない事、分かってんのやろ」
「はい」
「嫌やな、もう覚悟してる目やないの。困ったなあ、おっちゃんは何言うてあげたらええのかねえ」
全然困っていない素振りで、温くなった茶を啜った。穏やかな仕草に身体の力が抜ける。嫌悪のない眼差しに安堵した。全てを受入れてくれる御仁だ。
「今日、帰ってから話すのやろ?僕は、昔から嘘を吐いてはいけない言うんが信条やから、アドバイスをするとしたら黙ってるのがええと思うよ」
「黙る?」
「うん、そうや。光ちゃんが好きで、その為に早く対等になりたいから就職したいんやって、真っ正直に言わんでもええと思う。これからも一緒に生きて行くつもりなにゃろ?」
「はい」
「じゃあ、優先順位は一緒に生きる事や。……これから、辛くなると思うで」
「いえないまま生活して行くのがしんどかったら、とっくに諦めてます」
「そうやな。一番大事な事を見失わないで、ちゃんと話し合ってみればええ。正直、剛も賢い子やから、僕は進学して欲しいけどなあ」
「後四年もなんて待てません」
「若さやねえ。君ら親子の事にあんまり立ち入る訳にはいかんけど、二人が納得出来る答えを探しなさい。独りよがりは絶対あかんよ。自分の思いが辛かったら、僕でも准一でも聞いてやるさかいなあ」
光一はきっと、自分の恋を許してはくれない。二人の間にあるのは親子の情であって、それ以外の何も要らないと言うだろう。分かっている。でも、自分を偽らずあるがまま生きていたかった。滑稽だと思われても構わない。理解されなくても良かった。ちゃんと墓まで、この恋は持って行く。光一には告げない。だから、傍にいる事を許して欲しかった。
秋は日の落ちるのが早い。急に暗くなった外を見て、もうそろそろ帰りなさいと促された。岡田と別れて一人になると、自分の決断が間違いではなかったかと不安になる。本当にこれで正しいのだろうか。……否、城島は正しいも間違っているも言わなかった。識者の振りで頭ごなしの説教をしない彼を信頼している。心が揺れたらまた此処に来れば良いのだと思った。
「お部屋探し達人3」
http://www.heyasagase.com/
http://www.gnbnet.com/
http://www.heyasagase.com/
http://www.gnbnet.com/
2007/10/29(Mon) 13:20:05 編集(投稿者)
MacOS10.3.9を使用しています。
以前使用していたLimeWireのverは不明なのですが、以前は使用できていました。
しかし、最近予定外にOSを更新することになってしまい、
OS更新の過程でLimeWireが削除されたため、
今回、新しくlimeWireをインストールしようと思いました。
ですが、いつの間にかLimeWireのバージョンアップが進んでいたようで、
Basicの最新版はOS10.4以降からとなっており、とても困りました。
10.3.9でも使用可能なver(おそらく4.12.6以前、4.10かもしれません…)の
ダウンロード先を探しております。
※win版のダウンロード先は見つけたのですが、mac版は見つけられません。
(4.12.6 win版 ttp://www.altech-ads.com/product/10001046.htm)
英語版でもかまわないので、ダウンロード先をご存知のかたがいらっしゃったら、どうぞよろしくお願いいたします。
【OS / CPU / MEMORY】 OS10.3.9 、PoowerPC G4、 256MB
【プロバイダ名/回線/速度】 YahooBB、多分50M程度、無線LANカード使用
【自分で試した事】 mac用最新版をダウンロードしましたが、OS10.4以降対応だったため、OS10.3.9で使用可能というLimeWire4.12.6を探しましたが、win版しか見つかりませんでした。過去verでダウンロード可能なものが、ほとんどwin版(exeファイル)なので、mac版を探しているうちにこの掲示板にたどり着きました。
よろしくお願いいたします。
引用返信 削除キー/ 編集削除
■18869 / ResNo.1) Re[1]: OS10.3.9使用可verの入手先を知りたい
▲▼■
□投稿者/ お 一般人(20回)-(2007/10/29(Mon) 14:05:13)
ここのはだめでしょうか?
http://net.sub.jp/lime/get.htm
MAC用ですがご希望に合うかよくわかりません、ちがったらごめんなさい。
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■18870 / ResNo.2) Re[2]: OS10.3.9使用可verの入手先を知りたい
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□投稿者/ あ 大御所(961回)-(2007/10/29(Mon) 14:19:48)
つ http://www.oldapps.com/download.p
hp?oldappsid=LimeWireOSXv4.12.6.dmg
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■18871 / ResNo.3) ありがとうございました
▲▼■
□投稿者/ マカー 一般人(2回)-(2007/10/29(Mon) 16:12:23)
お さん、あ さん、早速のお返事ありがとうございました!!
とてもお返事が早くて、本当にいい掲示板だと思いました。
あ さんが教えてくださったURLからダウンロードし、
無事起動が確認できました。
お さんも、どうもありがとうございました!!
MacOS10.3.9を使用しています。
以前使用していたLimeWireのverは不明なのですが、以前は使用できていました。
しかし、最近予定外にOSを更新することになってしまい、
OS更新の過程でLimeWireが削除されたため、
今回、新しくlimeWireをインストールしようと思いました。
ですが、いつの間にかLimeWireのバージョンアップが進んでいたようで、
Basicの最新版はOS10.4以降からとなっており、とても困りました。
10.3.9でも使用可能なver(おそらく4.12.6以前、4.10かもしれません…)の
ダウンロード先を探しております。
※win版のダウンロード先は見つけたのですが、mac版は見つけられません。
(4.12.6 win版 ttp://www.altech-ads.com/product/10001046.htm)
英語版でもかまわないので、ダウンロード先をご存知のかたがいらっしゃったら、どうぞよろしくお願いいたします。
【OS / CPU / MEMORY】 OS10.3.9 、PoowerPC G4、 256MB
【プロバイダ名/回線/速度】 YahooBB、多分50M程度、無線LANカード使用
【自分で試した事】 mac用最新版をダウンロードしましたが、OS10.4以降対応だったため、OS10.3.9で使用可能というLimeWire4.12.6を探しましたが、win版しか見つかりませんでした。過去verでダウンロード可能なものが、ほとんどwin版(exeファイル)なので、mac版を探しているうちにこの掲示板にたどり着きました。
よろしくお願いいたします。
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■18869 / ResNo.1) Re[1]: OS10.3.9使用可verの入手先を知りたい
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□投稿者/ お 一般人(20回)-(2007/10/29(Mon) 14:05:13)
ここのはだめでしょうか?
http://net.sub.jp/lime/get.htm
MAC用ですがご希望に合うかよくわかりません、ちがったらごめんなさい。
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■18870 / ResNo.2) Re[2]: OS10.3.9使用可verの入手先を知りたい
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□投稿者/ あ 大御所(961回)-(2007/10/29(Mon) 14:19:48)
つ http://www.oldapps.com/download.p
hp?oldappsid=LimeWireOSXv4.12.6.dmg
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■18871 / ResNo.3) ありがとうございました
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□投稿者/ マカー 一般人(2回)-(2007/10/29(Mon) 16:12:23)
お さん、あ さん、早速のお返事ありがとうございました!!
とてもお返事が早くて、本当にいい掲示板だと思いました。
あ さんが教えてくださったURLからダウンロードし、
無事起動が確認できました。
お さんも、どうもありがとうございました!!
この世界に入って、もう随分と長い時間が経つ。
沢山の人と出会って、幾つもの恋をして、様々な交友関係を広げ、色々な別れがあった。
多分こんな仕事をしているから、他の仕事をしているよりは人に会う機会と言うのは多かったように思う。
そんな中で、ずっと離れずにいたのはたった一人だった。
恋人でも友人でも替えは利くけれど、相方の代わりは誰も出来ない。
堂本光一と言う人間だけが、自分の相方だった。
その不在を埋める存在はなくて、このまま一生彼の隣を独占するのだろう。
それを辛いと思う時期もあった。
離れたいと何度も願って、でも何も言わないまま傍にいてくれた存在にいつも救われて生きて来たのだ。
光一を愛しいと思う心。
誰よりも理解していたいと願う独占欲。
手放したくない、と言う思いだけが今の自分の中にある。
「なあ、光一」
「……ぁ」
「起きてます?」
「起きてる」
畳の上で大人しく胡坐をかいて雑誌を読んでいる光一は、いつ見ても綺麗だと思った。
こんなに長く一緒にいるのに、何度も美しいと感じる。
もう病気なのかも知れなかった。
恋をしている時に患うのが恋の病なら、治りそうもない相方へのこの病は何と表現すれば良いのだろう。
「なあ」
「何やねん」
「今、ええ人おらんの?」
「ええ人?」
「そ、結婚とか」
「けっ……!!」
「ああ、分かった。了解」
「なっ何を勝手に納得しとんねん!」
「いやあ、その反応はいないって事でしょ。良かったあ」
「何が良かったや」
「やって、先に嫁がれたくないもん」
「嫁ぐんやない!貰うの!!」
「似たようなもんやん」
笑いながら光一に近付く。
警戒したみたいに身体を丸めて後ずさった。
かわええなあ。
簡単に光一の足を掴んで引き寄せた。
抵抗を見せる身体は強い筈なのに、自分が触れるだけで簡単に駄目になってしまう。
あれかな。
最近彼女が出来ないのってこいつで満足しちゃってるからかな。
孤独に不自由がないのだ。
「こーおーちゃん」
「何やねん!足掴むな!引っ張るな!わー!」
「往生際悪いなあ」
あっと言う間に光一の身体を仰向けに倒して、その腰に馬乗りになる。
遊びの延長のスキンシップ。
まだ時間はあるし、端の方にいるスタイリストももうすぐいなくなるだろう。
暇潰し、と言うにはちょっと熱心な遊び。
「涙目になってるで、光ちゃん」
「お前が!いきなりこんなんするからやろ!」
「やって、遊びたくなってんもん」
「お前は子供か」
「うん。お子様やからねえ」
「そんな髭面じゃ説得力あらへん」
「んー、じゃあ正直に言うわ。光一さんを押し倒したくなったの」
「……まだ、子供の方がええ。普通、相方にそんな事せえへん」
うんざりしたように呟く光一へ笑って見せて、ゆっくりと上半身を屈ませる。
顔を近付ければ、逃げるみたいに目を瞑った。
それでも本当には逃げないのが、光一の自分へ向けられた愛情だと知っている。
触れるだけの幼いキスをすれば、馬乗りになった身体がびくりと揺れた。
かわええ。
これが、三十前の男の反応とは思えん。
「……も、良い?」
「嫌」
「つよ」
「光ちゃんやって、俺とキスすんの好きやろ?」
「う……うー。髪セットしてもらったのに、ぐしゃぐしゃになる」
「それなら、寝てなきゃええねんな」
「剛!それ屁理屈!」
「素直じゃない光一さんが悪いんですー」
光一の上から身体をどかして、今度は反対に自分の膝の上に抱き抱える。
大人しく腕の中に納まる彼の真意は、もう長い事分からなかった。
キスを始めたのなんて、昔の事過ぎて今更きっかけも思い出せない。
唯、恐らくは十年以上こんな過剰なスキンシップが続いていた。
何ものにも定義出来ない接触は「相方」の距離として消化されている。
自分達は、友人でも仲間でも恋人でもなかった。
「相方」として生きて行く為に必要な行為の全ては、身近に例がないから自分達でルールを作るしかないのだ。
「何なの、今日は。甘えたいん?」
「んー、友達が結婚してくん見てるとなあ。寂しくもなるんよ」
「やから、結婚って言うたんか」
自分達には、とても遠い世界の出来事のようだった。
「結婚」を決める年齢にはなって来ていると思う。
現に自分の周りでは結婚をする友人や子供の産まれた家庭があった。
それでも、遠い現実だ。
自分には彼女もいないし、年々結婚願望自体が減って来ていた。
「光ちゃんは結婚したい?」
「結婚言うてもなあ。何かあんま想像出来ん」
「彼女は?」
「おらん」
「そっか」
「嬉しそうな顔すんな、阿呆」
抱き締めた光一を至近距離で見詰めると、嫌そうに視線を逸らされる。
彼女がいない事を馬鹿にされたのだと思ったのだろう。
その感情の流れが可愛くて、触れるだけのキスを与えた。
「独り身でええやん」
「剛は?けっこ……っううん。何でもない!」
言い掛けて飲み込んだ言葉の先を知っている。
言えなかった理由も、ちゃんと分かっていた。
言葉を失った光一は、肩口に顔を埋めてぎゅっと抱き着いて来る。
「こぉちゃん。もう、時効やで」
「ええの。剛がいつ結婚してもええ。ちゃんと祝えるから」
「光一」
随分昔、まだ彼女がいた頃。
どうしてもこの世界に馴染めなくて荒んでいた時期だった。
自分と、そして彼女の事を心配して声を掛けた光一を酷くなじった事がある。
それ以来、光一は決して自分の恋愛に口を挟まなくなった。
「……ごめ」
「俺が結婚しようなんてちょっとでも思ったら、絶対に一番に報告するから」
「いらん」
「何で」
「……嫌、やから」
抱き着いた光一から零される言葉は、まるで子供だった。
自分達は相方としての距離をきっと間違えているから、何が正しいのか分からない。
嫌だと言う光一を愛しいと思う感情すら正しくないものだと思うのに。
「光一」
「いや」
「顔、上げて」
「いや」
「光ちゃん。怖い事、せえへんよ」
ゆっくりと離れた光一の瞳の焦点が合うのを待った。
彼が怖がらないようにゆっくりと笑ってみせる。
背中をしっかりと抱いて、もう一度馴染んだ唇を合わせた。
このキスは、決して深くならない。
唯優しさがあるばかりだった。
何度も啄ばめば、安心したように身体の力を抜く。
「お前は、怖いもんばっかやなあ」
「……つよし」
「悪い事じゃないよ。俺の前で素直なのはええ事や」
「俺、」
「うん、ええよ。お前は強くないんやから。……でも、俺とのキスは怖がらへんな」
「……何で?怖くないよ?」
「ふふ、こーちゃん素直やなあ。怖い事してみたくなるわ」
「?剛やったら、何も怖い事ない」
きょとんとした顔で零される言葉に、絆されそうになる。
うっかり手を出すってこんな感じなのかな。
まあ、光一の事は物凄く大事だから迂闊に過ちを犯す気など勿論ないのだけれど。
「ほんまに?俺やったら何でもええの?」
「うん。……え、違うん?俺おかしい?」
「おかしくないよ。嬉しいなあって思っただけ」
距離感を間違えたと自覚があるのは、自分だけらしい。
光一は、今でも真っ直ぐに自分を愛してくれていた。
何も迷わずに、怖がりな彼が手を伸ばして守ろうとする。
「光ちゃん」
「ん?」
「大好きやよ」
「うん」
綺麗に笑った光一の表情をきちんと見詰めて、また飽きる事のない口付けをした。
彼の存在は「相方」としてしか表現出来ないけど、もしかしたら「相方」が今の自分の全てなのかも知れないとひっそり思う。
乾いた唇が自分の口付けで潤むのを感じて、キスの合間に笑った。
人並みの幸福なんてもう得られないのかも知れないけれど、自分には光一と言う宝物がある。
それって、人並み以上に幸せなんじゃないかと彼を抱き締めながら感じた。
沢山の人と出会って、幾つもの恋をして、様々な交友関係を広げ、色々な別れがあった。
多分こんな仕事をしているから、他の仕事をしているよりは人に会う機会と言うのは多かったように思う。
そんな中で、ずっと離れずにいたのはたった一人だった。
恋人でも友人でも替えは利くけれど、相方の代わりは誰も出来ない。
堂本光一と言う人間だけが、自分の相方だった。
その不在を埋める存在はなくて、このまま一生彼の隣を独占するのだろう。
それを辛いと思う時期もあった。
離れたいと何度も願って、でも何も言わないまま傍にいてくれた存在にいつも救われて生きて来たのだ。
光一を愛しいと思う心。
誰よりも理解していたいと願う独占欲。
手放したくない、と言う思いだけが今の自分の中にある。
「なあ、光一」
「……ぁ」
「起きてます?」
「起きてる」
畳の上で大人しく胡坐をかいて雑誌を読んでいる光一は、いつ見ても綺麗だと思った。
こんなに長く一緒にいるのに、何度も美しいと感じる。
もう病気なのかも知れなかった。
恋をしている時に患うのが恋の病なら、治りそうもない相方へのこの病は何と表現すれば良いのだろう。
「なあ」
「何やねん」
「今、ええ人おらんの?」
「ええ人?」
「そ、結婚とか」
「けっ……!!」
「ああ、分かった。了解」
「なっ何を勝手に納得しとんねん!」
「いやあ、その反応はいないって事でしょ。良かったあ」
「何が良かったや」
「やって、先に嫁がれたくないもん」
「嫁ぐんやない!貰うの!!」
「似たようなもんやん」
笑いながら光一に近付く。
警戒したみたいに身体を丸めて後ずさった。
かわええなあ。
簡単に光一の足を掴んで引き寄せた。
抵抗を見せる身体は強い筈なのに、自分が触れるだけで簡単に駄目になってしまう。
あれかな。
最近彼女が出来ないのってこいつで満足しちゃってるからかな。
孤独に不自由がないのだ。
「こーおーちゃん」
「何やねん!足掴むな!引っ張るな!わー!」
「往生際悪いなあ」
あっと言う間に光一の身体を仰向けに倒して、その腰に馬乗りになる。
遊びの延長のスキンシップ。
まだ時間はあるし、端の方にいるスタイリストももうすぐいなくなるだろう。
暇潰し、と言うにはちょっと熱心な遊び。
「涙目になってるで、光ちゃん」
「お前が!いきなりこんなんするからやろ!」
「やって、遊びたくなってんもん」
「お前は子供か」
「うん。お子様やからねえ」
「そんな髭面じゃ説得力あらへん」
「んー、じゃあ正直に言うわ。光一さんを押し倒したくなったの」
「……まだ、子供の方がええ。普通、相方にそんな事せえへん」
うんざりしたように呟く光一へ笑って見せて、ゆっくりと上半身を屈ませる。
顔を近付ければ、逃げるみたいに目を瞑った。
それでも本当には逃げないのが、光一の自分へ向けられた愛情だと知っている。
触れるだけの幼いキスをすれば、馬乗りになった身体がびくりと揺れた。
かわええ。
これが、三十前の男の反応とは思えん。
「……も、良い?」
「嫌」
「つよ」
「光ちゃんやって、俺とキスすんの好きやろ?」
「う……うー。髪セットしてもらったのに、ぐしゃぐしゃになる」
「それなら、寝てなきゃええねんな」
「剛!それ屁理屈!」
「素直じゃない光一さんが悪いんですー」
光一の上から身体をどかして、今度は反対に自分の膝の上に抱き抱える。
大人しく腕の中に納まる彼の真意は、もう長い事分からなかった。
キスを始めたのなんて、昔の事過ぎて今更きっかけも思い出せない。
唯、恐らくは十年以上こんな過剰なスキンシップが続いていた。
何ものにも定義出来ない接触は「相方」の距離として消化されている。
自分達は、友人でも仲間でも恋人でもなかった。
「相方」として生きて行く為に必要な行為の全ては、身近に例がないから自分達でルールを作るしかないのだ。
「何なの、今日は。甘えたいん?」
「んー、友達が結婚してくん見てるとなあ。寂しくもなるんよ」
「やから、結婚って言うたんか」
自分達には、とても遠い世界の出来事のようだった。
「結婚」を決める年齢にはなって来ていると思う。
現に自分の周りでは結婚をする友人や子供の産まれた家庭があった。
それでも、遠い現実だ。
自分には彼女もいないし、年々結婚願望自体が減って来ていた。
「光ちゃんは結婚したい?」
「結婚言うてもなあ。何かあんま想像出来ん」
「彼女は?」
「おらん」
「そっか」
「嬉しそうな顔すんな、阿呆」
抱き締めた光一を至近距離で見詰めると、嫌そうに視線を逸らされる。
彼女がいない事を馬鹿にされたのだと思ったのだろう。
その感情の流れが可愛くて、触れるだけのキスを与えた。
「独り身でええやん」
「剛は?けっこ……っううん。何でもない!」
言い掛けて飲み込んだ言葉の先を知っている。
言えなかった理由も、ちゃんと分かっていた。
言葉を失った光一は、肩口に顔を埋めてぎゅっと抱き着いて来る。
「こぉちゃん。もう、時効やで」
「ええの。剛がいつ結婚してもええ。ちゃんと祝えるから」
「光一」
随分昔、まだ彼女がいた頃。
どうしてもこの世界に馴染めなくて荒んでいた時期だった。
自分と、そして彼女の事を心配して声を掛けた光一を酷くなじった事がある。
それ以来、光一は決して自分の恋愛に口を挟まなくなった。
「……ごめ」
「俺が結婚しようなんてちょっとでも思ったら、絶対に一番に報告するから」
「いらん」
「何で」
「……嫌、やから」
抱き着いた光一から零される言葉は、まるで子供だった。
自分達は相方としての距離をきっと間違えているから、何が正しいのか分からない。
嫌だと言う光一を愛しいと思う感情すら正しくないものだと思うのに。
「光一」
「いや」
「顔、上げて」
「いや」
「光ちゃん。怖い事、せえへんよ」
ゆっくりと離れた光一の瞳の焦点が合うのを待った。
彼が怖がらないようにゆっくりと笑ってみせる。
背中をしっかりと抱いて、もう一度馴染んだ唇を合わせた。
このキスは、決して深くならない。
唯優しさがあるばかりだった。
何度も啄ばめば、安心したように身体の力を抜く。
「お前は、怖いもんばっかやなあ」
「……つよし」
「悪い事じゃないよ。俺の前で素直なのはええ事や」
「俺、」
「うん、ええよ。お前は強くないんやから。……でも、俺とのキスは怖がらへんな」
「……何で?怖くないよ?」
「ふふ、こーちゃん素直やなあ。怖い事してみたくなるわ」
「?剛やったら、何も怖い事ない」
きょとんとした顔で零される言葉に、絆されそうになる。
うっかり手を出すってこんな感じなのかな。
まあ、光一の事は物凄く大事だから迂闊に過ちを犯す気など勿論ないのだけれど。
「ほんまに?俺やったら何でもええの?」
「うん。……え、違うん?俺おかしい?」
「おかしくないよ。嬉しいなあって思っただけ」
距離感を間違えたと自覚があるのは、自分だけらしい。
光一は、今でも真っ直ぐに自分を愛してくれていた。
何も迷わずに、怖がりな彼が手を伸ばして守ろうとする。
「光ちゃん」
「ん?」
「大好きやよ」
「うん」
綺麗に笑った光一の表情をきちんと見詰めて、また飽きる事のない口付けをした。
彼の存在は「相方」としてしか表現出来ないけど、もしかしたら「相方」が今の自分の全てなのかも知れないとひっそり思う。
乾いた唇が自分の口付けで潤むのを感じて、キスの合間に笑った。
人並みの幸福なんてもう得られないのかも知れないけれど、自分には光一と言う宝物がある。
それって、人並み以上に幸せなんじゃないかと彼を抱き締めながら感じた。
http://www.geocities.jp/haneiku1201/gallery/gallery_index.html