忍者ブログ
小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
[101]  [85]  [84]  [83]  [82]  [81]  [80]  [79]  [78]  [77]  [76
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

+++++

 告白をした夜から、光一の元気がないのには気付いている。元々小食だったのが更に酷くなっていたし、仕事から帰って来るとぐったりした様子でそのまま眠ってしまう事も少なくなかった。危ないとは知っている。彼は弱さを晒したがらない人だから、こんな風に自分の前で辛い部分を見せている段階で殆ど限界を超えていた。
 分かってはいても、原因を作ったのが自分である以上、掛けるべき言葉は見付けられない。どうすれば良かったのか。やはり何も言わず「親子」を続けて行くべきだったのか。分からない。だって言わなければ「親子」の関係すら崩れてしまっただろう。堂本剛と言う人間の根底には、光一の存在がある事を知って欲しかった。
 けれど、毎日少しずつ内側から壊れて行く養父を、子供として守りたい気持ちも本当だ。自分達はずっと二人きりだったから。どちらかが倒れたらどちらかが守らなければならない。親であろうが子供であろうが、その関係性の背負い方に差異はなかった。共に生きるとは、そう言う事なのだ。
 いつものように光一を起こしてから、剛は学校へ向かった。最近ますます口数の少ない彼が何を考えているのかは分からない。唯自分はこれ以上悪くならないよう、形だけの日常を作って行くだけだ。どうにかしてあげたいとは思うけれど、光一にとっての最良と自分にとっての最良は、全く違うものだから。
 午後の授業の為に菜園から移動している時だった。制服のポケットに入れていた携帯が着信を告げて震える。メールではなく電話だった。滅多に鳴らない筈のそれに不安を感じて慌てて取り出す。表示されているのは、長瀬の名前だった。
「剛君?」
「ごめん、電話や」
 隣を歩く岡田に一言断りを入れて、そのまま通話ボタンを押す。途端に流れ込んで来た一人の男の大声に、剛は僅かに眉を顰めた。
「もしもし」
「もしもし、つよちゃん?授業中じゃない?大丈夫、今?」
「うん」
「あいつには言うなって口止めされてるんだけど、やっぱ心配だし」
「……何?」
「光一が倒れた」
「えっ!」
 自分の声に、岡田はそっと視線を向けた。静謐の中にある瞳が幾らか気分を落ち着かせてくれる。
「俺、たまたま夜勤明けだったから一緒に病院行ったの」
「……診断結果は?」
「過労と軽度の栄養失調。今、薬貰いに行ってる。受験生のつよちゃんに頼んで良い事じゃないとは思ったんだけど。光一心配だし。早退とか、して貰えないかな」
「勿論そのつもりや。て言うか、長ちゃんごめんな。仕事終わりやったら疲れとるやろ」
「俺は全然平気。じゃあ、タクシーで家まで連れて行くから」
「うん。お願いします」
 電話越しだけど僅かに頭を下げた。通話を終えて頭を切り替える。いつかこうなるだろう事は分かっていた。想定して然るべき事態だ。長瀬がいてくれて良かったと、心から思った。
「剛君……」
「光一が、倒れた」
「そっか。帰るんやろ」
「うん」
「なら、そのまま行き。後は僕がどうにかしたるわ」
「岡田」
「ほら、急いで。光一君より先に帰らな」
 岡田の言葉にはいつも無駄がない。必要外の事は殆ど言わないのに、どうして優しく感じるんだろうと思って、多分彼の表情がいつも穏やかだからだと気付いた。光一と同じ種類の優しさを持っている。だから、岡田にも惹かれたのだと自分の分かりやすさに苦笑した。
「ありがと、岡田」
「うん。光一君大事にしてやって」
 彫刻のような顔が繊細に動いて笑顔を作る。手を振ってその場を後にすると、一度教室に戻って鞄を持ち学校を出る。急げばきっと光一より先に家に着ける筈だった。
 心臓がぎしりと音を立てて歪む。痛んだ分だけ肌を真紅が伝えば分かりやすかったのに。苦しんでもどれだけ辛くても、光一には見えない。お前を思う気持ちを目の前に差し出せれば良かったな。そうしたら、もっと簡単に伝わる気がした。心臓に直接触れて、その指先が赤く染まったら良い。
 叶う事のない妄想は、剛の中で留まる事を知らず膨張を続けた。彼を愛おしむ心。失ったら自分が自分でなくなってしまうだろう。生きる事すら出来ないと真剣に考えて、本当にもうこの恋は引き返す事が出来ない場所まで来ているのだと自嘲した。
 光一に辛い思いをさせたい訳じゃない。けれど、遠く離れて親として愛する事を決める程の潔さは持ち合わせていなかった。彼を慈しむのは、いつでも自分でありたいのに。
 アパートに剛が到着するのと、タクシーが停まるのはほぼ同時だった。長瀬に抱き上げられて車を降りる光一を見付けて走り寄る。色を失った頬、更に細くなった肩。長瀬の腕の中で光一は余りにも不健康だった。意識がないのか、眠っているのか。目を閉じたまま微動だにしなかった。
「光一!」
「……静かにしてやって。薬が効いて来て、タクシーん中で寝ちゃったから」
 大きな長瀬は、華奢な身体を軽々と抱えている。自分には出来ない事だった。一瞬、眉を顰めてしまったのを長瀬に気付かれる。鞄を持ってと言われ、そのまま視線を外した。
「つよちゃん」
「……ん。はよ入ろ。光一の身体冷えてまう」
「こっち向け」
 普段は優し過ぎる程に大らかで穏やかな人間だけれど、自分の中にある正義を曲げないからいざと言う時は驚く程頑固だ。アパートの階段の手前で、仕方なく振り返った。現実を知るのは辛い。
「つよちゃん。これが今の光一との差だよ。どんなにこいつを守りたくたって、まだつよちゃんは子供だ。子供である事が悪いなんて言わない。でも、この差をちゃんと考えろ。つよちゃんから見た光一との距離なんかじゃない。光一から見たつよちゃんの距離だ。こいつを愛してるんなら、逃げるな。現実をちゃんと見ろよ。困らせて苦しませて、こいつを泣かせるな」
「長ちゃん……」
 光一の白い肌が悲しい。愛する気持ち一つではどうにもならない現実を思い知らされた。光一との差異ばかり気にしていた自分は、彼自身の痛みに鈍感ではなかったか。自分の恋を言い訳にして、苦しむ彼の内面を蔑ろにしていたのではなかったか。
 長瀬の容赦ない言葉に頭を殴られたような気分だった。光一の場所から見える自分達と、剛から見た自分達とでは決定的な違いがある。親が子を愛する事。他人の子供を奪ってしまった負い目。手放さない為の責任と、親であるが事の自負。全てを自分の為だけに背負ってくれている人だった。気持ち一つで動く事の出来ないしがらみがあった。
「つよちゃんも光一も偉いな」
「何処も偉くなんか……」
「偉いよ。お互いの事大事にしてるの、すっげー分かる。光一は倒れちゃう位までお前の事で悩んでる。お前だって、光一の為にずっと自分の気持ち言わなかったじゃん。一緒に生きて行く為の努力、だろ」
 偉い、ともう一度言われて言葉に詰まった。何も言えないまま部屋に入る。偉くなんかなかった。唯の子供の我儘だ。光一の愛情に甘えていた。彼が離れる事はないのだと言う傲慢な確信があった。守る事も出来ない癖に。布団を敷くと、その上に光一を横たえた。長瀬の手は、簡単に彼を守る。
「じゃあ、俺帰るな」
「え、でも……」
「つよちゃんがいるんだから、俺に出来る事はもうないよ」
 ぽん、と気安く頭を撫でられた。友人のようで兄のような、もしかしたら光一よりも父親らしい存在かも知れない。長瀬の周りにはいつでも光があった。明るい場所へ導くそれに嫉妬して、けれど彼が光一の友人で良かったと心から思う。
 何かあったら夜中でも構わないから連絡しろよ、と言いながら部屋を出て行った。二人きりの場所には沈黙だけが残る。眠る光一の表情は穏やかだった。倒れる前に手を伸ばせば良かったと、後悔しても遅い。血の気のない顔は、世界の全てを拒絶しているようにさえ見えた。後悔はしないと決めている。けれど、その決意すら鈍りそうな程光一は弱っていた。誰でもない、自分の為だけに。

+++++

 光一が目を覚まさないまま、夜を越えてしまった。どうする事も出来ず傍らにいた剛は、一睡も出来ずに太陽が昇るのを見詰める。朝の白い光の中、眩まないよう細心の注意を払った。世の中の雑音に惑わされず、自分の心の声を聞く。世間体も見栄も、「普通で」ある事も全て。光一への愛情に比べたら些細な事でしかなかった。自分が欲しい物はたった一つ。就職を決意した時にもう、覚悟してしまった。光一が何を不安に思うと、逃げるつもり等ない。浅い呼吸で眠る彼を見詰めながら、自分は生涯この人だけを愛するのだろうと確信の中思った。
 起きたら嫌がるかも知れないと考えながら、光一の会社へ欠勤の連絡を入れようと立ち上がる。幸い今日は金曜日だし、週末をゆっくり過ごせば体力も回復するだろう。自分も休んで後で買い出しに行こうと決めた。光一が好きな物を作ってやりたい。どうせ食べられないのだけど、少しでも口に入れられるように。
 携帯を手にしてメモリーを開くより先に着信音が響く。画面には昨日と同じ長瀬の文字。豪快なようでいて繊細に人を気遣える事を知っていた。心配してくれているのだろう。
「もしもし、長ちゃん?」
「おう、おはよう剛。どう?大丈夫?」
「うん、昨日から寝たまんまで全然起きないんです。会社休ませよう思って」
「そうだな、それが良いよ。あ、会社にはじゃあ俺が連絡しておく」
「え、いや、ええよ。俺自分で出来るし」
「大丈夫大丈夫。あのね、こう言う時は甘えなさい。俺が出来るのなんてこんなもんなんだからさ」
「……ありがと」
「いえいえ。一応心配してるからさ光一目ぇ覚めたら俺にも連絡ちょうだい」
「ん、分かった」
 じゃあね、と明るい声で回線は途切れる。後ろからは子供の声が聞こえていた。きっと賑やかな家庭なのだろう。自分達のひっそりとした部屋とは全然違う空気。彼が大黒柱なのだから当たり前だった。幸福は当たり前の感覚で彼らの中にある。ほんの少し羨ましいと思って、自分もいつか光一に幸福を見せられたら良いと思った。今は唯静かに眠る。世界の全てを拒絶する様に。
 振り返って見詰めた先の光景が余りに綺麗で息を呑む。光の粒子さえ見えるほどの白い陽光の中、彫刻の様に整った養父が身じろぎもせず横たわっていた。光が茶色い髪の先で踊っている。朝の神聖さを切り取った不思議な景色だった。
 ぼんやりと白い光一を眺めながら、暫く動きを止める。昔はもっと彼の色々な表情を見ていた筈だ。いつの間に、一緒にいる時間が減ってしまったのか。誰よりも近くにいたかった。朝から夜まで傍にいたいと願った事もある。
 大切で愛しくて仕方のない人だったのに。光一を見詰める時間すら失っていたなんて。彼が目覚めるまで、もう少し此処にいよう。買い物も後にいして、唯日が昇るに任せてしまいたかった。きらきらと光る毛先に指先を絡ませて、誰にもばれない様に大人びた笑みを零す。光一が嫌がる、子供らしさのない表情だった。

+++++

 午後を過ぎた頃、城島から連絡が入った。どうやら光一が倒れた事を知っているらしい。「栄養のつくもん食べさせたるからウチにいらっしゃい」と柔らかな声が告げた。断る理由もなかったし、結局買い物には行けていないから目覚めた光一が寝惚けている内に連れ出したのだ。
 園長室に入った辺りでやっと瞳が焦点を取り戻した。少し焦ったみたいな表情をして、それからゆっくり剛の方を向く。迷子の子供の仕草だった。
「つ、よし?」
「うん。光一、覚えてる?」
「え、やって俺、あれ……」
 全く状況を把握していない彼に苦笑して、きちんと説明してやる。まだ思考回路が完全ではないだろうから、なるべく易しい言葉で。
「具合悪くて、長ちゃんに連れられて病院行ったんや。んで、帰り道のタクシーで寝てもうて、今やっと目が覚めたんよ」
「俺、会社!」
「会社は長ちゃんが連絡してくれた」
「お前は?」
「病欠」
「……俺ん事なんかで休むなや」
「お前の事やからやろ」
 真剣な声音で告げれば、苦しむ顔で眉を寄せた。子供が親を大事にする愛情だとは、もう取って貰えないらしい。進歩なのか、悲しむべき事なのか。判別出来なかった。光一を苦しめたくはない。
 すぐに城島が入って来て、部屋の空気が一変した。明らかに安堵した表情を見せる彼の横顔を気付かれない様見詰める。顔色が良いとは言えない。脳味噌が働いていないのはいつもの事としても、回復するのには時間が掛かりそうだった。そんなに悩む事を渡したつもりなんてないのに。
 光一の身体の中を自分で一杯にしたいと何度も思って、その度に不可能な事だと己を笑った。二人だけで生きて来たけれど、世界はもっと複雑な要素が絡み合って構築されている。
 けれど、今の彼の状態は正に望んでいたものではなかったか。恋じゃなくても、光一は自分の一挙手一投足で感情を揺らしている。それは、子供の将来を案ずる親の愛情の域を出ていないのかも知れないけれど。
PR
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
年齢:
42
HP:
性別:
女性
誕生日:
1982/05/16
職業:
派遣社員
趣味:
剛光
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

photo byAnghel. 
◎ Template by hanamaru.