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小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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 光一が独立すると言う事を知ったのは、例年通りキンキのコンサートのバックに付く事を知らされた時の事だ。いつもはいない事務所の人が一緒に会議室にいたから、おかしいなとは思っていた。聞かされた時の感覚は、例えようがない。
 町田にとっては、二人の解散より光一の独立の方が気掛かりだった。現金と言われればそれまでだけど、仕方のない事だ。自分は、光一が大切なのだから。それは多分、他のメンバーも同じだった。
 光一と一緒にいられなくなる。その事を思って泣きそうになった。離れるなんて考えたくない。素直に漏らした言葉に、それは問題ないよと冷静に言われた。
 彼を外に出したくない社長が、事務所の人間に出向させる形で会社を興すらしい。だから、この先も同じように仕事が出来る。事務所の傘下、と言う位置付けだから何も不安はないのだと言っていた。
 唯、音楽はやらないからコンサートのバックに付くのは、これが最後になる。キンキキッズのラストコンサートに付く事。光一の後ろで踊る事。
 其処まで考えて、初めて解散の意味に気付いた。事務所を出て、音楽をやめて、そうして光一が求めたもの。
 彼が剛を好きな事は知っていた。長過ぎる恋を諦めさせてやりたいと何度思った事か。自分を選んでくれなくても構わない。唯、もう少し楽に生きて欲しいと願った。自分の為だけに呼吸する術を覚えて欲しいと。
 踊る為には音楽が必要だった。光一が好きなものを捨てる理由は、たった一つだ。
 キンキと言うしがらみを剛から外して、自由に歌えるように。確信だった。あの人は、何処まで自分を捨てるのだろう。
 考えると悲しくなる。叶う事のない恋だった。これから先も多分、苦しい恋を抱えて生きるのだろう。愛する人と離れて、一人で生き抜く事。
 町田は、光一の代わりに泣いた。彼を幸せにしたい。願っても願っても、自分の無力さに気付かされるだけだった。
 彼を幸せにしてくれるのは、一体誰なのか。





 今日が二人のレギュラー番組の最後の収録だと聞いていた。十二月に入った、コンリハの狭間の日だ。打ち上げを盛大にやって、別れを惜しむのだろう。
 恐らく光一は全てを語らず、悲しそうな瞳すら見せていない。誤解されやすい人だった。誤解を甘んじて受け入れる強い人だった。
 理解されないのを分かって、それでも自分を変える事が出来ない。年上の尊敬する先輩なのに、そんな不器用さを目の当たりにする度愛しさが募った。可愛らしいと素直に思う。
 剛は死ぬ程泣いて、メンバーやスタッフとの別れを惜しむだろう。彼は愛される人だった。愛される事を素直に望める。
 そんな相方を遠くに眺めて、光一は穏やかな表情を崩さないんだろう。痛む心臓を堪えて、相方の為に笑う。彼の痛ましさに、果たしてどれ位の人間が気付いてくれるのか。
 不器用な彼の悲しみや辛さを理解してくれる人が、少しでも多ければ良い。自分は傍にいられないから。此処でこうして、思いやる他ない。
 光一のマネージャーに事前に相談して、打ち上げが終わった頃を見計らって電話をした。四人一緒の方が良いかな、とも思ったけれど自分の思いを優先させる。
「あ、光一君。お疲れ様です」
 なるべく明るさを装って話し掛けた。電話はいつまで経っても緊張する。
「今、大丈夫ですか」
「うん。ちょうど帰るとこ」
 電話の向こうで光一の笑った気配がある。先輩らしい、余裕のある笑い方。繕わないで欲しいとは、言えなかった。
「こら、マネージャー。町田に俺のスケジュール漏らしたやろ」
 どうやら車の中にいるようで、大きな声と何か不穏な音が聞こえる。多分、マネージャーの座るシートを蹴ったんじゃないだろうか。
「あの!」
「んー」
 光一の声は柔らかい。何処にも暗いものは見出せなかった。緊張していた自分の強張りさえ解いてしまうのだから、凄い人だった。
 前から計画していた事を、意を決して告げる。
「もし良ければ、これから飲みに行きませんかっ!」
「町田と二人で?」
「はい!」
「……俺、襲われない?」
「保証はしません!」
「お前、その答えはあかんやろー」
 予想していたのと違う反応に吃驚して、上手い切り替えしが出来なかった。光一はからからと機嫌良さげに笑う。痛みも悲しみも伝わって来なかった。でも、自分は彼の不器用な強さを知っている。
「俺もう飲んでんのよ」
「はい。……やっぱり駄目ですよね」
「そーやなくて。どっか行くのしんどいから、ウチおいで」
「え!」
「あ、俺んちが嫌やったら……」
「そんな訳ないじゃないですか。目茶目茶行きたいです!」
「よし、決まりな。このまま車回してもらうから、下で待っとき」
 それに何度も頷いて通話を終わらせた。一応光一のマネージャーが気を遣って店をピックアップしてくれていたけれど、本人が望むのならそれが一番良い。
 程なくしてやって来た車に乗り込んで、家へと向かった。車内では緊張し過ぎて、ほとんど話す事が出来ない。何度もシュミレーションをして今日を迎えたのに、やっぱり駄目だった。仕方ない。
 自分の役目は、一緒にいる事だけだった。彼の痛みを癒す術はない。
 でも、一人で夜を越えさせるよりはずっと良かった。少しでも悲しいものを取り除いてあげたい。
 マネージャーは、いつものようにエントランスで光一を見送っただけだった。この先は本当に二人きりなのだと思うと死にそうになる。手を出すとかそんな次元ではなかった。秋山を連れて来た方が良かった、と今更思う。
 深呼吸を繰り返していると、光一に笑われた。部屋に入って酒を出されても緊張は解けない。こんな役立たずでいる訳にはいかないのに。
 思っても、心拍数は治まらなかった。光一が目の前にいる。その事実だけで眩暈した。
 互いのグラスを鳴らして飲み始める。ソファに座った光一はいつものバスローブスタイルだった。襲って下さいと言わんばかりだったが、今の自分にそんな気概はない。
 じっと見詰めて飲んでいると、ふと光一が笑った。柔らかい、粉雪みたいな微笑。
「ホンマにお前らは、俺の世話焼き過ぎや」
「え」
「今日、最後やったから心配してくれたんやろ?」
「あ……はい。すいません」
「何で謝るの。嬉しいで、俺」
「はい!ありがとうございます」
「それも変やろー。町田は相変わらずやなあ」
「光一君」
「ん?」
 グラスを傾けて笑う姿に違和感はなかった。繋げる言葉を口に出来ずに、再び沈黙が落ちる。駄目だ、こんなんじゃ。
「なあ、町田」
「はい」
「俺さ、事務所出るけど。これからも、こやって遊んでな」
「はい!勿論です」
「うん、良かった」
 ゆったりとした仕草は、いつもと変わらない。真っ直ぐに見詰める瞳の強さも、甘いイントネーションも、全部。
「あんな、お前らも連れて行きたいって社長に言ったんよ」
「え!ホントですか」
「うん。そしたらな、社長にこれ以上僕の財産を奪わないでって怒られた」
 彼が自分達を望んでくれた事が単純に嬉しかった。愛した人には真っ直ぐな愛情を向ける人だ。子供の愛情と同じ透明度。時々怖くなる位。
 嬉しかった。だからやっぱり自分も聞かなければならない。言葉が必要かどうかは、今も分からなかった。けれど、口にしなければきっと自分は後悔する。
「光一君」
「なぁに」
「光一君」
「はいはい。お前、人の名前呼ぶばっかりやなあ」
「俺が、こんな事聞いたらいけないのかも知れない。でも、」
「……町田」
「剛君を好きな気持ちはどうするんですか。一人になって、光一君は……」
 その先を紡ぐ事は出来なかった。光一の顔が悲しさで歪められたからだ。取り繕う事に慣れた狡猾さを持っているのに、彼は最後の最後でそれを放棄する。だから愛しいのだと、自分達は知っていた。
「町田」
「俺は、光一君が心配です」
「町田、俺……」
「はい」
 その指先からグラスが落ちる。カーペットの上に落ちたおかげで、大きな音は響かなかった。琥珀色の液体が染み込んで行く。
 平気な筈がなかった。身を切るような痛みがその内部に潜んでいる。
 持つ物を失った右手に自分の手を絡めた。何でこの人は可哀相なんだろう。成功者なのに、その手の中に一番欲しいものはなかった。自ら遠ざけているようにさえ見える。
 腕を引き寄せて、薄い背中を抱いた。きっと彼は泣かない。涙を見せる日は来ないだろう。
 それでも、ずっとずっとその心は涙で濡れている。我慢をし続けて生きている人だった。自分の手で守りたいと思う。
「町田」
「はい、俺は此処にいます」
 泣けない人だった。悲しいまでに強く生きる。誰の手も突っ撥ねて、剛とだけ生きる事を選び続けて来た。
 光一の手が背中に縋る。他人に臆病で、でもそれ以上に彼の痛みは強かった。もう癒えないまでに深く深く抉られた傷。
 膿んで腐って、死ぬ事でしか開放されない痛みだった。せめて、同じ痛みを共有したいと願う。愚かな事は分かっていた。
「……もう、嫌や」
「はい」
「二人でいるのは辛い。一人になる事考えただけで死にそうになる」
「はい」
 こんなに呆気なく弱さを露呈する人ではなかった。自分の腕の中で痛みを堪えるのが、誰なのか分からなくなりそうだ。
 光一の傷口は何処に潜んでいるのだろう。探ろうと伸ばした手を彼の背中に滑らせた。
 顔を上げさせて、柔らかな頬に口付ける。罪悪感はなかった。接触でしか癒せない痛みがある。光一も拒絶しなかった。
 これ以上の苦痛を与えないように注意しながら、ソファに押し倒す。上から見下ろすと、何て小さな人なのだろうと驚いた。この身体で、二人に掛かる全ての負担を背負い続けて来たのか。
 目を閉じた光一の唇に、そっと口付けを落とす。安心したように吐かれる吐息。愛情に餓えている人だ。他人の体温には無条件で安堵するのだろう。
 最後の収録をどんな風に終えたのかは知らない。オンエアは見るだろうけど、彼に聞く事はないだろう。体内には、どんな痛みが潜んでいるのか。
「離れたくない。……でも、もう決めた。俺が、決めた」
「……はい」
 掛ける言葉が見つからなかった。光一は、痛過ぎる。こんな感情を体内で飼い続けてどうして生きていられるのか。自分には理解出来なかった。
 愛する人を遠ざけてまで、その幸せを願うなんて、そんな。
 欲しがらない事が光一の強みだった。彼は全てを諦めてしまっている。だからいつも優しい。
「全部、滅茶苦茶にして欲しい」
 光一の願いを叶える事は出来ない。このまま抱くのは簡単だろう。彼には自分の身体を大切にすると言う観念がないから、躊躇なく受け入れられる筈だ。
 けれど、自分が望むのはそんな事じゃない。彼の痛みを、傍で感じる事。何を失っても、自分は離れないと信じさせたかった。俺達は、絶対に貴方の傍にいます。
 気が付けば、泣いているのは自分だった。細い身体を抱き締めて、その指先を握り締めて、静かにしている彼の悲しみを共有する。
 もう一度口付けた。温もりを与える為に。
 光一の傍にいたかった。年が明けても、仕事じゃなくても。彼はきっと、これから先もずっと恋情を抱えて一人で生きて行くのだろう。
 その痛みを少しで良いから分けて欲しい。俺達に預けて、僅かな間でも心安らかにいて欲しかった。
 身体を離して、ソファの上に二人で座る。視線を合わせて泣いた顔のまま笑えば、光一もつられて目尻を綻ばせた。悲しみを隠して、痛みを堪えて、彼はこれからも生きていかなければならないのだから。
「俺、ずっとちゃんと光一君の傍にいますよ。光一君が呼んだら、絶対にいつでも駆け付けられる場所にいます」
「ん、ありがとう」
 守る仕草で抱き締めた。少しでも光一の傍にいたい。一人で生きて行く事を決めた強い人。愛する人の幸福を願う優しい人。
 自分は無力で役に立たないかも知れないけれど、貴方の代わりに泣く事が出来る。だから、悲しい夜を一人で越えないで下さい。
「屋良でも呼びましょうか?」
「屋良?」
「そうです。あいつ今三線の練習してるんですよ」
「三線?」
「はい。ちゃんと弾けるようになったら光一君にも見せるって言ってたんで、此処でやらせましょう」
 なるべく明るい声を意識して提案する。半分は光一の為、半分は二人きりでいる事が怖いせいだった。臆病な自分。この期に及んでも理性が擦り切れる事を恐れていた。
「まだ練習中だと思うんですけどねー」
「それ、絶対嫌がられるやん」
「良いです良いです。ちょっと虐めてやりましょう。ついでに酒ももっと買って来させて」
「ええな。酒盛り?」
「そうです。米花も呼んじゃいましょうか。秋山には内緒で、今度悔しがらせましょうよ」
「うわ。それ賛成。それで行こ」
 楽しそうに笑った光一は、また痛みを隠してしまった。それが分かったけれど、あえて言葉にはしない。自分達には彼を楽しませる力があった。笑わせてあげれば良い。ほんの僅かでも苦痛の消える瞬間を作ってあげられれば、それだけで。
 結局光一の家にMA全員集まって、朝まで下らない話をして過ごした。お酒と音楽とダンスと。彼を笑顔にする要素を全て持ち寄って。
 光一の幸福を皆で祈っていた。





+++++





 吉田健がキンキキッズの解散を知ったのは、剛が事務所から言い渡されるよりもずっと前の事だった。光一が事務所外で初めて伝えた人間らしい。
 真剣な顔で「何処かで時間作ってもらえますか」と言われた時から、何となく予想は付いていた。これまでの短くはない人生で、解散と言う場面には何度も遭遇している。
 二人きりで飲みに行くのは初めてで、緊張させたら可哀相だと思い雰囲気の良い店を選んだ。店の一番奥のテーブルに座って、ボトルを頼むと人払いをしてもらう。聞かれたくない話だろうと思ったからだ。店員は嫌な顔一つせず頷いて、パーテーションも用意してくれた。
「健さん」
 光一の声は、いつもと変わらなかった。強い瞳も毅然とした態度も変わらない。もっと言えば、変える事すら出来なかった。自分にとっては可愛くて仕方のない子だ。
 不器用で愛される事に臆病で、それでもいつもひた向きだった。逃げる事も躱す事も知らない無防備な瞳。
 彼らの周囲の人間の大半と同じように、吉田は光一が大切だった。贔屓とかのレベルではなく、放っておく事が出来ない。怖がりの癖に不用意で、一人にしたら死んでしまうんじゃないかと冷や冷やさせられた。
 剛はまだ、生きる術を知っている。あの繊細さは時々怖くなるけれど、人に寄り掛かる方法をちゃんと知っていた。
 けれど、光一のアンバランスな強さは、周囲の大人の庇護欲を駆り立てる。手を伸ばしてやりたかった。せめて、自分の目の届く場所位は守りたい。
「俺、キンキ解散しようと思うんです」
「……そうか」
「ふふ。やっぱり驚かれんかった」
「え」
 暗がりの中で、光一は上手に笑う。不器用な心はそのままなのに、隠す事ばかり覚えてしまった。
「マネージャーにね、健さんには自分の口から話したいって言うたんです。解散決まったら番組も終わらせなあかんやろうし、お世話になった分迷惑も掛けるやろうな、って。そしたら、マネージャーがきっと健さんは驚かないよって」
「まあ、いつかはこんな話聞かされるだろうなって思ってたよ。限界は、周りの方が見えるんだ」
「そう、なんですか」
「ああ。解散なんて、一杯見てるからな」
 ミュージシャンとアイドルの解散では、全く意味が違うのだろうが、大体その時が来ると分かってしまう。そんなものだ。
 光一のグラスに酒を注いで、仕方のない事だと笑ってやった。形あるものはいつか壊れる。
「実はまだ、剛に言うてないんです」
「……二人で決めたんじゃないのか」
「俺が、我儘言うたんです。もう無理や、って」
「どうして」
 少なくとも、光一は剛を愛している。そんな事は、二人に出会ってすぐに気が付いた。今でも好きな筈だ。確信を持って言える。
 自分の問いに、光一は綺麗な笑顔を見せた。計算も駆け引きもない彼の素直な表情が好きだと思う。
「俺は、剛を解放したい。キンキが枷になってるの分かってて、ずっと一緒にはいられない。あいつを、幸せな場所に連れ出したい」
「お前の気持ちは?」
「……え」
「剛が、好きなんだろ」
「……健さんは何でも知ってるんですね。凄いなあ」
「茶化すなよ」
 厳しい声音で返せば、僅かに眉を顰めさせる。敵わないなあと小さく呟いて、煽るようにグラスを開けた。
 更に継ぎ足してやりながら、因果な子だと悲しい気持ちになる。もっと単純に生きていれば良かったのに。
「俺の気持ちは、最初から何処へも辿り着かんものやったから、ええんです」
 長い事一緒にいて、一度も彼の恋を聞いた事はなかった。プライベートに立ち入るのは趣味じゃなかったし、決して楽しい話ではない事を分かっていたからだ。
 けれど、今聞かなければ彼の恋は自分の前から永遠に失われてしまう。
「光一はそれで良いのか」
「はい。決めました」
「……笑うなよ」
「うん、俺他にどうしたらええんか分からんのです」
「しょうがない奴だな」
「はい」
 困ったように笑われて、泣いてくれたらどれだけ楽だろうと思った。光一は泣く事を潔しとしない。心臓が悲鳴を上げても、平気な顔で笑う男だった。
「健さん」
「ん?」
「色々迷惑掛けますけど、最後まで宜しくお願いします」
「ああ。見ててやる、ちゃんと」
 頷いて、乱暴に頭を撫でてやった。お前達の終わりを、いつも通り後ろから見届けてやる。
 光一の長い恋の終焉と永遠に行き場をなくした恋の始まる瞬間を。





 最後の収録の時も、彼は予想通り泣かなかった。穏やかな瞳のまま、共演者やスタッフに頭を下げる。申し訳ありません、と全てを引き受ける強さと共に。
 泣きじゃくる剛の事を時々気遣って、そっと背中を撫でていた。気付きにくい僅かな仕草だ。可哀相な子だとつくづく思った。
 薄情な人間だと思われる事まで想定して、それでも笑う。「解散」を自分の手許だけに置く為だった。公の場で何度も、自分が切り出したと言い切る。そのリスクを果たして剛は気付いているのか。
 師走とは良く言ったもので、幾ら噛み締めて過ごそうとしてもあっと言う間に最終のコンサートの日程になってしまった。何度も練り直したコンサートの構成は、最後を彩るのに相応しい出来となったのではないかと思う。
 光一は三十日も大晦日もいつも通りだった。拍子抜けする位普通に立っているから、自分でも騙されそうになる。MCでは、今までの感謝だけを口にした。何度も何度も繰り返される言葉の真意を、ファンは汲み取る必要がある。そう思わざるを得ない空気だった。
 収録スタジオより、ドーム内の方が反応は顕著だ。光一は、全ての批難を受け入れる覚悟だった。解散を決めた事、事務所を出る事、マイナスイメージがきちんと自分に流れるよう計算されている。
 毅然とした背中を見詰めながら、今すぐ抱き締めてやりたいと思った。あいつは、人を怖がって優しさに怯えていた幼い頃から、何一つ変わらないのに。
 ずっと瞳は優しく場内を見渡していた。それが辛くて、何度も彼の傍に行って肩を叩いてやる。お前は一人じゃないと伝える為だった。
けれど、それにも律儀に振り返って光一は笑う。苦しくないと、強がりではなく真っ直ぐに言っていた。





 最終日、そんな簡単な言葉で表して良いのだろうかと思う。彼らの終わりの日だった。二人の時間は、今日で止まる。
 そして、一月一日は光一の誕生日だった。二十代最後の一年が始まる日。彼がこの世に生を受けた記念すべき時。
 多分自分は、最初から分かっていた。
 珍しく楽屋にいる事を嫌がった光一は、ドームのスタンド席でギターの練習をしている。公の場で弾くのは今日が最後だった。自分と音楽を繋いでくれたものだから、と光一は愛しそうに六弦に触れて笑う。
 そんなに大切なものを、どうして簡単に捨ててしまうんだ。叱り飛ばしてやりたくても、全てを分かっている確信犯には何も言えなかった。あんなにも潔く愛を貫かないで欲しい。
 音響調節の為にステージの上に立つ吉田は、小さく丸まる姿を見付けて溜息を零した。微かに爪弾く音すら聞こえる。
 昨晩のカウントダウンコンサートで一度解散したも同然だった。調光卓からステージを見ていた吉田は、笑顔を見せる彼らを馬鹿だと思ったのだ。他のグループの痛ましい視線に気付かないのだろうか。
 互いを気遣って、でも見ない振りをして、ステージの上を走り回っていた。光一は、零時を過ぎても落ち着いていたと思う。だから、今日も大丈夫だ。
 今日が終わるまで、彼はきっと取り乱さない。自身に課した事は必ず成し遂げる男だった。死にそうな痛みを抱えて、それでも多分最後のステージですら笑ってみせるだろう。
 何の為に「今日」を選んだのか。その決意を思えば、キンキキッズを全うするまで絶対に崩れない。
 そう確信していた吉田の思惑は、光一の一場所から聞こえた大きな音によってかき消された。ギターを落とした音だ。
振り返って、スタンド席に目を凝らす。ドーム内は寒い位だったから、手がかじかんで滑ってしまったのだろう。
 声でも掛けてやろうかと思って見ていたら、一向に動く気配がない。椅子の下に蹲ったままだ。
 不安に思って、ステージを降りるとスタンド席まで駆け寄った。スタッフには調整を進めていて良い、と言い置く。まさか、と思った。
「光一!」
 近付けば、指先が震えているのが見える。とりあえず大切なギターを椅子の上に置いて、光一の後ろに回り込んで肩を掴んだ。少し乱暴な動作でゆする。
「光一。どうした」
「……っ」
 息を飲む音と同時に、きつく抱き着かれた。子供の仕草だ。首に腕を回して、光一は叫んだ。
「どうしよっ、俺!手動かん!」
「光一」
「怖い!嫌や、今日で全部……っ!」
 しゃくり上げて泣く光一は初めてだった。身体を震わせて、何度も怖いと口にする。
 吉田は気付いていた。
 最後の日を、自分の誕生日にしたいと願った意味。光一の決意は痛い程分かっていた。
 彼は、一生引きずる覚悟なのだ。キンキキッズと言う名前を背負って生きて行くつもりだった。二人で生きて来た日々も、解散の決意も、全部その心臓に囲おうとしている。
 そして、剛を愛し続ける覚悟すら。
 自分が生まれた日、新しい年を迎えるその度に、光一は決意する。罪を負う事。離れていても愛する人の幸福だけを願う事。
一人きりで、この長い年月の全てを抱えようとしていた。剛には飛び立って欲しいと願って。
 その明るくない未来に足が竦む事を、誰が責められると言うのだ。
「光一」
「っく……俺、こわぃ」
「そうだな。俺だって怖いよ。お前がそんな風に生きるのは」
「健さ……」
「まだ、本番まで時間はあるから。今は寝ろ。最後なんだ。今までで一番良いもの見せてやらなきゃ、嘘だろ?」
「……は、い」
「お休み」
 泣き疲れた光一は、素直に身体の力を抜いた。眠りに落ちるまで、その身体を抱き締める。彼は愛情にも温もりにも飢えていた。自分でそれに気付こうとしないだけで、寂しいと小さな身体は訴える。
 呼吸が規則正しいペースになった頃、マネージャーが慌ててやって来た。それに小さく笑って、光一の身体を楽屋まで運ぶ。
 剛はまだ来ていなかった。僅かな安息で構わない。最後の時を、光一は笑って迎えなければならないのだから。





 目覚めた光一は、もう弱さを見せる事がなかった。吉田に罰の悪そうな笑顔を向けると、ステージにいた剛にも声を掛ける。
 もう大丈夫だと、安堵した。彼の仮面は剥がれない。明日からの事ではなく、今は唯今日の事だけを考えようと思った。
 最後の公演だからと特別に張り切る二人ではない。今までと同じクオリティーのものを変わらずに提供する事。笑顔を失わない事。いつもと同じだ。
 会場は最初から涙で溢れていた。彼らの持ち味であるメロディーラインと相俟って、場内は哀愁に染まる。
 光一は震えなかった。何度も剛を振り返って、それから会場を見回す。広過ぎる場内の何処まで見えているのかは分からなかった。一人一人慈しむように視線が動く。悲しいメロディーを優しく歌っていた。
 もう彼が歌う事はない。剛に音楽を託して、この場所から去って行くのだ。確かに剛とは音楽に対する思い入れが違っていた。でも、光一は光一なりの方法で音楽を愛していたのだと思う。
 終わりに近付くと、客席もバックに付いている四人も、バンドも、そして剛さえ涙で動けなくなった。立ち尽くす会場を見渡して、光一は穏やかに笑む。あの体内の何処に恐怖が沈んでいるのか不思議だった。何の悩みもない表情を見せる。
 けれど、その目尻には僅かに朱が残っていた。恐怖の欠片に気付くのは、あの四人位のものだろうか。何度も確認するように伺っていたのを後ろで見ていた。
剛はきっと気付かない。光一の強さに圧倒されて、眩し過ぎる幻影を映してしまうのだろう。
「今まで、本当にありがとうございました。此処で生きられて、本当に幸せでした」
 柔らかな声が会場に響く。光一は叫んでいた。悲しい、辛いと。助けを求める子供の呼び声。けれど、それを客席には決して見せない。ステージの上で生きるとは、そう言う事だった。
 黙する事を美徳として、不当な批判すら真正面から受け止めていた。酷い中傷も野次も気にする素振りすら見せずに。
 光一が選んだ道を否定しない。けれど、幸せになってもらいたいと願う人間もいるのだと言う事を忘れないで欲しかった。
「僕達は離れてしまうけど、キンキキッズがいた事を忘れないで下さい」
 最後だ。
 十五年以上の長い時間を大人の力によって二人生かされて来た。光一は、自分達の手で幕を引く事を望んだのだ。
 彼に涙はない。剛は歪む視界を堪えて、相方の横顔を見詰め続けた。自分はいつまでも彼らの後姿を覚えているだろう。
 静まった会場に深く頭を下げて、二人でステージを去った。終幕に相応しい沈黙が大きな会場を満たす。もう二度と二人が並ぶ姿を見る事は出来ない。
 その事実を、恐らく誰も受け止め切れていなかった。





 会場の静けさを背負って、二人が降りて来る。打ち上げは予定していなかった。此処でお別れだ。
 二人並んでスタッフや共演者に頭を下げた。剛が泣き止むのを待って、別れの挨拶をそれぞれが静かに語る。寄り添うように立つ距離ではなかった。もう彼らは別の道を歩き始めている。
 二人に拍手を送って、最後の瞬間を見届けた。剛は泣き腫らした顔で、それでも小さく笑う。光一は真っ直ぐに顔を上げて、暖かな拍手を受け止めた。
 楽屋に入れば、もう彼らが顔を合わす事はない。それぞれ捌けようとした瞬間、剛が声を掛けた。
「光一」
 はっきりと名前を呼んで、歩き出そうとした光一の足を止める。
「何や」
「うん」
 小さな会話は、彼ら特有の呼吸だった。何度も繰り返されたやり取り。それは、最後の時であっても変わらない。向かい合ってお互いを見詰める二人に視線を向けて、動向を見守った。
「ありがとな。色々迷惑掛けてごめん」
「迷惑なんかない。それは、俺の方や」
 吉田は輪の中から外れて見詰める。これが、彼らの亀裂なんだと気付いた。光一と剛、その立ち位置がはっきり分かれている。二分された状態に彼らの現状を見た。光一の周りにはMAとダンサーが、剛の後ろにはバンドメンバーが立っている。
 こんなにも対極にある二人は、どんな引力で惹かれ合ったのか。それは、やはり「奇跡」に近いものなのだと思う。
 剛の指先が、そっと光一の目尻へ伸ばされた。当たり前のようにその感触を受け止めて、真っ直ぐに見詰め返す瞳に困惑はない。離れる事も一人になる事も恐れていない純真な色だった。
 指先を滑らせて、剛は苦く笑う。ああ、あいつはちゃんと気付いていたんだ。相方が黙って苦しんでいる事をきちんと見抜いている。重ねた時間は、決して無駄ではなかった。
「一杯、泣かせてもうたな」
「泣いてへん」
「俺の前では、な」
 強がる光一を、剛はもう甘やかさなかった。遠く離れる相方への最後の優しさだ。目尻に触れた指先に光一は自分の左手を重ねて、包み込むように握り締めた。
 接触が簡単ではない事を知っている。それでも、お互い最後の瞬間に怯えていた。当たり前だった体温が失われてしまう。二度と彼らが手を繋ぐ事はなかった。
「元気で」
 自然な動作で握り締めた手を握手の形に変える。剛もそれに頷いて、白々しい程他人行儀な笑みを見せた。
 別れの時を見るのは辛い。互いの事を思って泣く事はなかった。最後は笑顔で、なんて映画のワンシーンみたいな光景に苦笑を漏らす。彼ららしかった。本心は、心臓の奥深くに仕舞い込む。

 それが、二人の終わりだった。
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