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小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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 剛に劣情を抱いたのは、本当に幼い頃だった。まだ合宿所の同じ部屋で生活していた時の事だ。
 誰も信じられない世界で唯一の存在だった。何の経験もない人見知りの子供は、この世界で生きるには弱過ぎたから。
一緒にいた彼に全てを預けてしまった。今振り返ると、本当にどうしようもない子供だったと思う。
 朝目覚めてから夜眠るまで、剛がいない時間はとにかく不安で仕方なかった。この世界に自分しかいないような恐怖。いつでも彼の姿を探していた。
 恋と依存と、果たしてどちらの感情が先だったのか。
 唯一のものを愛するのは自然な流れだったと思う。それが普通の恋と違っていても構わなかった。
気付いた時には、隠しようもないまでに根付いていた気持ちだ。自分の心は、同性である違和感を抱かなかった。否定する気さえ起きない。
 剛が大切だった。剛しか愛していなかった。
 あの頃、自分の世界は本当に剛が中心で。心臓を侵食する感情を抑えるには、思春期の自分は幼過ぎた。
 好き過ぎて苦しい。女の子を思うのとは違っていた。もっと横暴で、抑制の出来ないものだ。
 あの時、自分には彼女がいた。人見知りでも何でも、芸能界と言う場所は確実に男女の距離を近付ける。多分、童貞を捨てる手前だった。
夏の暑い夜。初めては好きな人と、なんて女の子みたいな事を考えていた。浅はかな考えだ。
 蒸し暑い合宿所の部屋。剛は眠っていた。
 誰にも気付かれない完全犯罪。剛に知られてはならない。ひっそりと深夜を待った。幼い恋は真剣で、痛々しい。
 今なら何て事のない素振りで躱せる事も、真っ直ぐ受け止めてしまう頃だった。キス位、そう思える程大人ではなかったのだ。
 僅かな接触を命と同じ位大切に思った。剛にキスをする。自分の最初を誰にも気付かれないまま、渡したかった。
近い内に自分は、彼女と寝てしまうだろう。恋情を逃がす為の行為に罪悪感はなかった。
 最初の時を好きでもない人間に渡す事は出来ない。幼い自分の純情を笑う気にはならなかった。仕事でも欲求の為でもない接触を。
 あの夜に、二人の距離は決まってしまった。何度後悔しても、心臓を蝕む痛みは消えない。
 剛のベッドの脇に立って、眠りの深さを確かめた。規則正しい呼吸に安堵する。もう一時間以上、大きな変化を見せなかった。深い眠りの中にいるのだ。
 気付かれないように、そっと枕元へ近付く。幾ら幼くても、自分の恋が間違いである事は分かっていた。同性に思いを寄せるなんて、嫌悪の対象でしかない。
 だから、大して愛情もない女の子と付き合った。剛ばかりを見詰めないように気を付ける。
結局はその彼女すら少しも信用していなかった。明日彼女が消えても、きっと自分は泣く事が出来ない。
 何度季節が巡ろうとも、剛が唯一で他は何もいらなかった。勘違いでは納まらない感情だ。彼は、自分にとって「絶対」だった。
 幼い妄執に怖くなる。自分はこのままどうなってしまうのか。剛だけで生きてはいけない。彼に恋を抱く事は許されなかった。
 止まらない気持ちを持て余して、言い訳を重ねながらベッドサイドに立っている。気付かれなければ、存在しないのと同じだった。
幼い欲を剛が知らなければ構わない。この夜に二度と戻らないから。自分一人の秘め事にするつもりだった。
 最初の恋を永遠にする為に。
 枕元に跪いて、剛の寝顔を見詰める。強い瞳がなくても、意志の強さは全ての造作に顕れていた。自分とは違うものだから憧れるのだろうか。
 出会った時からずっと、彼だけを見詰めて生きて来た。運命だと錯覚してしまう位には共有するものが多い。男同士にそんなものはないのだと分かっていながら、尚惹かれた。
 手に入らないものだと、きちんと理解している。だからこそ、この闇の中動いていた。誰にも気付かれてはならない恋。
 剛の黒い髪をそっと梳いた。規則正しい呼吸は乱れない。息すら押し殺して、静寂を保った。この夜に生きる者全てが、自分の行為を見過ごしてくれるように。
 後どれ位子供の振りをしていられるだろう。ずっと一緒にいたい。でも、気持ちが溢れてしまいそうだった。隠し通せない。
いつか、好きと告げて二人の関係を壊してしまうのではないかと不安だった。
 頬に手を伸ばす。緊張した。指先が感電した時のように痺れている。ドラマの時とは比べものにならなかった。怖いと言う感情よりも触れたがる指の欲求が強い。
自分一人の秘密だった。剛にも気付かれないように近付く。
 この夜だけの、一人きりの秘め事だった。
 ベッドに体重を掛けて上から覆い被さる。呼吸を止めて、唇を近付けた。最初で最後になる可能性は高い。二度と触れられない覚悟は固まっていたから、せめて一度きりの接触をきちんと覚えておきたかった。
 眠りから覚める気配はない。心臓が馬鹿みたいに早く鳴っていてうるさかった。慎重に唇を重ねる。
 呼吸を妨げないよう軽く触れただけの口付けは緊張の方が強くて、覚えていられそうもなかった。好きな人にキスをすると言うのは、何て大変な事なんだろう。緊張で死ねるとさえ思った。
 唇を離す。至近距離にあるのは、剛の長い睫毛。焦点がぶれて上手く像を結べなかった。それでも良い。せめて、この距離にある剛の顔位は覚えておこうと思った。
 暗闇の中で、光一の完全犯罪は終わる筈だったのに。明日も同じ朝が巡ると信じていた。けれど。
「光ちゃん……」
「……っ」
 何の前触れもなく名前を呼ばれて、思わず仰け反った。ベッドに付いていた手が離れると、バランスを崩してそのまま尻餅をつく。何が起きたのか分からなかった。
この部屋で、自分の名前を呼ぶ人は一人しかいない。当たり前の事実を噛み締めようとして失敗した。どうして。
 ぼんやりした寝起きの風情を崩さないまま、剛は身体を起こす。自分は指先一つ、思考一つ動かなかった。光を失ったままの瞳に見詰められる。
 剛は寝惚けていた。今此処で冗談にしてしまえば、何も問題はない。笑え。それだけで良かった。明日も同じ朝を迎えられる。
「ごめん」
 呆然としたまま零れ落ちたのは、取り繕いようのない一言だった。謝ったら認めた事になってしまう。頭と身体が連動していない。
 何を思って近付いたのか。何の為にキスをしたのか。こんな時間に、誰にも分からないよう仕組んだ意味を。悟られてしまう。彼は勘の良い人だから、きっと自分の思いに気付いた。
 謝罪の言葉をどう受け取ったか。考えるのも怖かった。
 怖い。目を合わせる事は出来ない。こんなに慎重に動いたのに、彼に対する言い訳の一つも考えていなかった。どうしようもない。
 阿呆や、俺。剛への恋は、この世界にあってはならないものだった。
「もう遅いから、早よ寝ぇ」
 動く事も出来ずにいた自分へ剛が言ったのは、それだけだった。静かな声音。いつもと変わらない穏やかな響きだ。起き上がった時と同じように、何の感情も感じさせずベッドに入った。
 どうして、の言葉を飲み込む。動かない身体を叱咤して、どうにか自分のベッドへ戻った。剛には、自分を責める権利がある。彼の優しさだろうか。それとも口をきく事すら拒絶したのだろうか。丸まった背中を見ても、答えは見つからない。
 寝込みを襲うなんて、恐ろしくおぞましい事をしてしまった。剛の真意は分からない。けれど、彼が自分の思いを肯定してくれるとは思えなかった。
 ずっと隣にいたいのなら、何もしてはいけなかったのだと気付く。例え今、誰にもばれずに口付けられたとしても、自分の中に事実は残るのだ。
それは、罪悪を抱えると言う事。彼の隣に躊躇なく立てなくなってしまう。今更指先が震えて来た。
 今更、だ。剛は気付いた。自分は彼にキスをしてしまったのだ。震える手で口許を抑える。取り返しのつかない事をしてしまった。自分と剛を隔てる壁を、自らの手で築いている。
 彼がどんな風に笑ってくれても、これから先その瞳を真っ直ぐ見詰め返す事は出来ないだろう。事あるごとにこの夜を持ち出して、自分はきっと後悔する。
 朝が来ても眠れなかった。唯々怖くて、震えていたのだ。
 目覚めてからも剛は普通だった。もしかしたら、寝惚けていたのかも知れない。彼は真顔で寝言を言う人だった。そうあって欲しいと何度も願う。
 僅かに浮かんだ前向きな考えを砕かれたのは、一週間後の事だった。絶望と後悔と、微かな希望の中で生きていた時間。
 剛が、合宿所を出た。自分と同じ部屋を捨てて、一人で暮らすのだと言う。当たり前だった。
 同性のルームメイトに狙われた挙げ句、寝込みを襲われるなんて。剛は寝惚けていない。互いにあの夜の記憶を残した。優しい人だから何も言わなかっただけで、気持ち悪かっただろう。
 その後も普通に接してくれた剛に感謝こそすれ、出て行った事実に何かを思う事は許されない。原因を作ったのは自分だった。言い訳も後悔もしてはならない。
 多分、この時からだ。自分の恋にはっきりとした罪悪感を抱くようになった。態度に出さなくとも抱えているだけで、罪となる忌むべき感情。
 剛の反応は正しい。自分がおかしいだけだった。嫌悪感を持たれるのも自業自得でしかない。
 気持ちの悪い、蔑まれるべき感情。この世で最も醜い恋。
 けれど、同時に悲しい事実にも気付かされた。一人きりの部屋で、何があっても剛を嫌いになれない自分を知る。例え彼が嫌がっても、隣に立つ事すら拒絶されても、好きだろうと思った。恋の深さに絶望する。
 馬鹿だと思った。女の子と恋をしていれば、職業上スキャンダルではあるけれどいつか幸福になれる。その道を捨ててまで抱える価値はなかった。
 どうして俺は剛なのか。手に入らなくとも傍にいられるだけで満足だった。剛は合宿所を出ただけで、二人でいる事については何も言わない。それに救われたのか傷付いたのか、自分でも分からないけれど。
 隣にまだいる事を許されるのなら。二度と、この恋を出してはいけない。心臓の奥深くに仕舞い込んで、自身ですら忘れる位遠くに追い遣ってしまいたかった。
 きっとそれが、一緒にいる為の方法で、自分に課された償いだ。
 剛の幸福が自分の幸福と言う暗示は、幼い自分が剛の拒絶に耐える為の防衛手段だった。臆病な心を誰にも明かさず生きる為に。剛の隣に立ち続ける為に。
 捨てられない恋を忘れようとした。心臓に巣食うこの感情から目を背けてしまえば良い。なかった事にするのは、自分には容易だった。ゆっくりと見えなくして行く。
 仕事の相手として大切なんだと強く思い込んだ。あの夜は悪夢でしかないのだと、お互いに信じさせる為に振る舞う。自分の心を騙し続ける事に痛みはなかった。痛む事すら忘れてしまった。
 長い時間を掛けて、悪夢すら二人の間から消してしまう。簡単だった。新しい、二人の優しさで出来た記憶を重ねて行けば良いのだから。
 剛が苦しんでも思い悩んでも、自分は穏やかでいられた。彼の隣で真っ直ぐ立ち続ける事だけが必要で、笑っていようと決めている。お互いの心に温かい思い出ばかりが降り積もって行くように。
 あの夜を剛は忘れてしまっただろう。話せばきっと思い出すだろうけれど、二人で重ねた記憶に埋もれて行った。それで良い。
 自分は一人、剛を愛し続ける。誰も知らなくて良かった。剛と生きられるのなら、それで。
 一緒にいる事だけを考えて、自分は此処に立つ。けれど、その幸福な時間にも終わりが来た。一度重なった筈の運命は、またゆっくりと離れて一生を共にさせてくれる事はない。
 違い過ぎる二人だから一緒にいられるのだと思っていた。否、思い込もうとした。何があっても、一緒に生きて行きたい。願ったのは自分だけだと知っていた。
 剛が病気で苦しむ度、キンキキッズと言うグループが彼の足を留める度に。
 彼の幸福を考えた。自分の恋を思った。本当は、もっと早くに出すべき結論だったのだ。引き延ばしたのは、自分の醜い恋情だった。忘れ去る事の出来ない、心臓の一番奥にある厭うべき心。
 一緒に生きる事は、もう出来ない。剛を解放する事だけが自分に出来る事だった。自分の手で出来る、最後で唯一の。
 その繊細な心を壊してしまう前に、選ばなければならない。自由に生きて欲しかった。この世界でたった一人愛した人だ。幸福に生きてと願った。
 一年以上前、事務所に申し入れた事を後悔していない。正しい事をしたのだと信じている。
 例え今、剛の目の前に座る事がどれ程苦痛であっても。





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 事務所の計らいなのか、用意されたのは最上階のスウィートルームだった。ゆっくり話しなさいとマネージャーは言ってくれたけれど、先刻の光一の取り乱し方が忘れられない。こんなに長い時間一緒にいたのに、ほとんど見た事のない姿だった。どうして、と問う事すら許されないような。
 同じ場所へ向かうのに、車は別々にされた。チーフマネージャーが光一の肩を抱いて守るように車へ乗り込むのを見て、僅かに胸が痛む。
 悪い事をしているような感覚だった。キンキのスタッフといると、自分が悪者になる事が多い。自覚がない訳でもないが、今回の事に関して言えば解散を持ち出したのは光一で、自分に非はなかった。納得がいかない。
 けれど、年が明けて光一が事務所を出る時に相当の移動があるだろうと言われていた。キンキに付いていたスタッフは、独立して構える彼の事務所に行く者が多い、と。
 決定事項で話されているのであれば、実際自分は四面楚歌の状態と言う訳だ。皆光一の味方と知るのは辛い。
 解散なんて事態を引き起こしたのは彼なのに、皆その張本人を守るように動いていた。それが気に入らない。
 悪いのは俺か?違うやろ。相方さえ動かなければこんな事にはなっていなかった。
 部屋に先に入って、光一を待つ。広い部屋だったが、室内を見て回る気にはならなかった。夜景の見える窓際に据えられたソファーに身体を沈める。話を始める前から疲れていた。
 目を閉じて、先刻の光一を思い出す。デビューしてから何度も辛い場面に立たされて来たが、一度も拒絶する姿は見せなかった。どんな仕事でも前向きに、努力以上の努力で立ち向かって来た人だ。彼に不可能はないとすら、自分は思っていた。
 過去を辿っても思い出すのは笑っている顔ばかりだ。出会った頃の怯えていた幼い顔は、もう見る事がないと思っていた。先刻の光一は、あの頃の表情と同じだ。
 聞かなければならない。最後のコンサートに入る前に、きちんと話すべきだった。自分は、彼の口から何も聞いていない。
 どうして解散なのか。離れなければならないのか。自分は例え二人の活動がなくなっても、キンキキッズと言う名前を背負って行くつもりだった。あんなにも大事にしていた光一が、どうして。
 考えを巡らせても仕方ない。遠回りをしている時間すらなかった。
 十五分位待っていると、やっと扉の開く音が聞こえる。ソファから立ち上がる事はせずに、振り返って相方が入って来るのを見詰めた。俯きがちな姿勢すら、いつもの彼らしくない。
 「大丈夫か」と問うマネージャーの声に静かに頷いて、ゆっくりと扉は閉められた。二人きりになる。
「待たせたな。ごめん」
 顔を上げた光一の表情はいつも通りだった。一瞬前の空気すら払って、多分彼は舞台の上と同じように仮面を被る。自分自身を取り繕う透明の仮面。
俺は、そんなものに騙されてやらない。唯本心だけを求めていた。
「ルームサービス取る?マネージャーがええよ、って言うてた。お前、飯食ったか。俺食うてへんのや」
「そんなんいらんから、こっち来ぃ」
 明るい声で紛らわそうとする光一の意図を押さえ込んで、自分の隣に座らせた。途端に困った顔をする彼の横顔を見て、それで良いのだと思う。余計な計算は必要なかった。俺は、今更優しくするつもりはあらへんよ。
 窓の外に視線を映して、動き出すのを待った。彼の視線も同じように向けられる。東京の夜景は、無機質に明るかった。
「……あんな、剛。今日……」
「うん。お前とちゃんと話そうと思ってる。解散の事。二人きりのグループやのに、俺はお前と何も話してへん」
 「解散」と言う言葉を出しただけで、光一の肩が揺れる。強く握り締めた両手が白くなった。心臓が痛いのだろうと思ったけれど、そんな風に痛む事を何故持ち出したのか分からない。
 多分彼が口にさえしなければ、これからもキンキキッズは続いていた。
「事務所の人間の決定事項やなくて、お前の口から聞きたかった。正直契約とかそんな形式上の事はどうでもええねん。唯、理由が知りたい」
「……ごめん」
「いつから、考えてた?」
「え……」
「解散の事。事務所に話したのは、一年以上前なんやろ」
「……うん」
「俺が聞いたんは、ほんの二、三週間前や。お前は、いつから考えてた」
 詰問する声音で、自分の中にあるのが怒りだと気付いた。
 一緒にいる時も別れを見ていた光一の裏切りに対して、抑えようもない程はっきりと苛立っている。お前の一番近くにいたのは、俺やないのか。
 隠し事があっても構わない。嘘を吐いても良い。けれど、これは二人の事だった。言い訳も懺悔もいらない。
「お前はずっと、俺の隣で俺を見てる振りしながら、俺と離れる事を」
「剛!違う!そんなんじゃ、」
「ええんや。俺は本当の事知りたい。お前の事、ちゃんと」
 重ねた声に、光一は黙り込んだ。唇を噛んで俯く様は、見慣れたものだ。彼はこうして、色々なものを諦めて来た。生き抜く為に。
 こんな場所を作らなければ、多分光一は何も言わずに離れるつもりだったのだろう。言葉が足りない事を、誰よりも自分が知っている。それで擦れ違った過去が何度もあった。
 言葉の力を信じていない光一と、言葉にこそ愛を込めて生きている自分と。価値観が合わないのは分かり切っている。違うから一緒にいられるのだと自負していた。
 足りない思いなら汲み取ってやれる。けれど、言葉にしてくれなければ、何も分からないままだった。流されるように生きるつもりはない。
「きっと、これが最後や。もうすぐ最後の収録が来て、コンサートのリハも始まる。動き始めたらあっと言う間や」
 光一が当たり前のように横に立つ事は、もうない。自由と引き換えに失うものを、まだきちんと把握出来ていなかった。
 今はこの怒りを伝えて、彼の思いを汲む事だけを考える。思えば、こうして向き合うのも久しぶりだった。離れていた時間が、溝を作ったのだろうか。そう思いたくはなかった。離れていたからこそ、ちゃんと生きていられたと思っている。
 お前は、何を考えて切り出した?その瞬間、少しも二人の遠い未来は考えなかった?一緒に描く未来を。
「聞かせて、光一」
「……最後やから、今日話した事は元旦過ぎるまで思い出さないって約束して」
 光一はもう、未来を見ている。一人の未来を。
「分かった。約束する。お前との、最後の約束なんやな」
「そうや」
 素直に頷いたのに、痛そうに眉を顰めた。レールを用意したのはお前やのに、変やで。言ってやる事は出来ない。自分はまだ、現実を見るので精一杯だった。
「解散って言葉、最初に浮かんだのは随分前や。……お前が、病気になった頃」
 恐らく彼の指す病気は、十代の頃のものだ。そんなに、昔から?あの時もそれから後も、思い悩んでいる素振りは見せなかった。
 あの頃の光一は、強い人間のイメージばかりがある。きらきらと輝いて、何者にも立ち向かう毅然とした姿を覚えていた。弱くなっていた自分にとっては、畏怖の対象ですらあったのだ。
 その胸に解散を抱えて、でも優しく笑っていた。唯黙って傍にいてくれた。
「お前のやりたい事と、キンキで出来る事の差が広がって行くんが辛かった。お前はそぉゆうのに耐えられんかったから、余計。辛い思いさせてるなあって。此処にいなかったら、苦しまんで済むのに、って何度も思うたよ」
 視線を上げた光一は、あの頃と寸分違わぬ強い笑みを見せる。後悔している声音だった。二人でいる事に違和感を覚えたのは、彼の方だったのか。
「キンキでいたいのは、俺の我儘やった」
「そんな事あらへん。俺やって……」
「うん。分かってるよ。剛がキンキ大事にしてくれてるの、ちゃんと分かってた。でも、無理させてるのも知ってたから。お前の為に、って何度も思って、でも言えんかった」
 苦く笑って、光一は呟く。皆の言う俺の為、と言う意味をまだ把握出来ていなかった。でも、辿り着いた事が一つだけある。彼のソロ活動は、キンキキッズがしがらみにはなっていなかった。差異に拘ったのは、自分だ。
「俺が二人でいたかった、ずっと。俺の相方は、剛だけやから。……こんなん言われても嫌だろうって思った。聞いても面白くないやろ。ごめんな」
「今は?」
「え」
「もう、一人になりたい?」
 光一の言葉は、全てが過去の思い出のように紡がれる。まだ一緒にいるのに。終わったみたいな言い方が気に入らなかった。
「そんな事、ない。ある訳ないやん」
「じゃあ、何で解散するんや」
「それは……」
「俺の為、なんてそんな建前いらん」
 そんな自己犠牲で生きて欲しくなかった。きちんと自分の為に決断するべきだ。他人の為に決めたのだとしたら、光一自身に余りにもリスクが大き過ぎた。これからの周囲の反応を思うだけでぞっとする。
 けれど、彼は時々酔狂な、と思う事を真剣にやる事があった。何処に本心があるのか分からない。一緒にいると生きづらいのはお互い様だった。
 互いにリスクを背負って、それでも二人きりのグループを大事にして来たつもりだ。光一にだって自分と一緒ではやれない事が沢山あったのではないか。
「……俺は、あかんのや。お前の隣にいる資格がない」
「資格って、何やそれ。そんなん……」
 顔を歪めて、光一は首を横に振った。先刻楽屋で見たのと似た種類の否定だと思う。優しくしてやりたいのに、方法が見つからなかった。手を伸ばす事も言葉を掛ける事も出来ないような。
 彼の否定は、絶望の匂いがする。
「……剛、一回しか言わん。二度と言わないから、聞いて。忘れてくれて良い」
「うん」
 もう一度首を僅かに振って真っ直ぐ合わされた瞳は、僅かに濡れていた。可哀相だと、切実に思う。けれど、彼の身体は全ての優しさを拒絶していた。鋭利な空気を纏わせて、一人で在ろうとしている。
「俺は、お前が大切や。多分、今までもこれからも変わらん。ずっと一番に大切やった」
「うん」
「お前以外に、俺の隣に立つ奴なんかおらん。剛だけしかいらんと思ってる。今も、ちゃんと」
「うん」
「でも、傍にいられない。限界なんや。……お前には幸せになって欲しい。俺の隣にいたら、あかん」
 切実に零される言葉は、切ない位の愛情に満ちている。相方としての親愛が見えるのに、どうして泣きそうになっているのだろう。パートナーを思うのは必要な感情だった。何故、彼は自身の愛情に怯えているのか。
「光一……もう少し分かりやすく言うて。俺分からん」
 逸らさない瞳が、いっそ痛々しかった。彼は自身に泣く事を許していない。強く在る事だけを常に課していた。
 せめて、自分位は彼に優しくしてやりたいと願う。自分で自分を追い詰める人だった。小さな頭を撫でてやろうとそっと腕を伸ばす。
 小さい頃は、こんな些細な仕草ですっと落ち着いていた。自分が触れると、光一は驚く程緊張が緩んだのだ。
 そんな昔を思い出して伸ばした手は、けれど邪険に振り払われた。明確な拒絶に驚く。彼は、いつでも無条件に自分が差し出したものは受容していたから。
「あ!……あ、ごめっ。ごめん。触らんといて。俺、汚いから。お前に優しくしてもらう訳にはいかんのや」
 狼狽し切った表情で、視線を彷徨わせた。振り払った手を反対の手で押さえ込む光一の精神的な潔癖に、疑問を抱く。
 汚い?それが指す意味は何処にあるのか。分からなかった。どうして、今此処でそんな表現が出て来るのか。
 きつく掴んでいる光一の指先を呆然と見詰めて、気付いてはいけない可能性に行き当たる。まさか、と思った。そんな筈はない。
「剛が大切や。それはホント。信じて。でも、だから一緒にはいられない。このままやと、いつか俺はお前を壊してしまう」
 光一の言葉は抽象的過ぎて分かりにくかった。今夜の事はその時が過ぎるまで忘れて欲しいと言った表情。あれと同じような顔を見た事がある。遠い昔。
 記憶を辿るのは容易ではなかった。でも、知っている。思い出さなければならなかった。今夜しか、光一と向き合う時間はない。
 思い出せ。一緒にいられないと言い募る光一の苦しそうな表情。振り払われた手と直後に浮かんだ罪悪の色。自分の幸福だけを願う人。
 答えは、すぐ近くにあるのに。探し出せなかった。思い出す事がきっと、彼の真意を見出す鍵になる。
「……もう、動き出した事や。後ちょっとやから、我慢して。いつも通り、俺の事なんか考えんでええから」
 一方的に言って、光一は逃げようとした。立ち上がり掛けた彼の手を掴んで、強引に引き留める。先刻の拒絶を考えて、痛む程の力を込めた。
「つよ……!やっ、触らんで!」
「何で」
「あかん!ホント、駄目んなるから……ちゃんと最後まで、一緒にいたいんや。離して……」
「何、言うてんの」
「離して。汚いから」
「阿呆か。お前はいっつも綺麗やん」
「そんな事ない。あかん、離して」
 ほとんど泣いている顔を見せる。潤んだ瞳からは、今にも涙が零れそうだった。本気で嫌がって、光一は自分の手から逃れようともがく。
 ステージの上やカメラの前ではもっと過剰なまでに触れていた。必要以上のスキンシップは、体温を分け与える為でもある。幼い頃の名残だった。緊張する光一に笑ってもらう為。初めてだった、こんな拒絶は。
「お前、俺ん事嫌いになったんか?触れられるのも嫌な位」
「そんな訳あるか!俺は今でも、剛が好きや!」
 怒鳴った光一の言葉に幼い頃の記憶が呼び起こされた。鍵が手の届く場所まで近付いている。
 合宿所の暗がりで、泣きそうな瞳を見た。今と同じ、困惑と衝動が混ざり合った表情。
「……あ」
 何故、自分は今まで一度も思い出さなかったのか。「ごめん」と呟いたあの声と同じだった。光一の言葉は、あの夜と同じ響きで綴られている。
 幼い夏の夜。お互いに暗示を掛けて仕舞い込んだ筈の記憶だった。光一が忘れさせようとしているのが分かったから、自分も思い出さないように消したのだ。あの夜の温度も感触も全て。
 なかった事にする為に、部屋を出た。二人で仕事をして行くのに、一緒にい過ぎるのは良くないと思ったのだ。あのまま二人きりの場所に留まっていたら、きっと今頃自分達の関係は崩壊している。
 あの時の光一は、本気だった。怖くなった弱い自分も真実だ。男だからではなく、あんな熱情は初めてだったから。ひた向きに寄せられる感情に怯えたのだ。
 真摯な恋を受け止められる程、自分は強くなかった。だから、二人の世界を壊して、忘れた振りをしたのだ。
 心臓の奥へ押し込んだ記憶は、今もまだ鮮明に蘇らせる事が出来た。掴まれた腕の先にいる光一は、あの時の気持ちを抱いたままでいるのか。
「光一」
「……離して」
「質問に答えたら、離してやる」
「嫌や。離して」
「聞け。イエスかノーで良いから」
 譲らずに言えば、素直に腕を預けた。光一の方が力は強い。こんな拘束を解く事位簡単だった。
多分、此処にも彼の感情が存在する。いつもいつも、気付かないところで当たり前に愛情を差し出していた。
「お前は、今でも、俺の事愛してるんか」
 慎重に言葉を渡す。今でも、の言葉に反応して光一は目を見開いた。自分も同じ言葉を使ったのに。
可哀相だと思う感情が強い。誰でも今の彼の表情を見たら抱き締めてやりたくなるだろう。
「相方として、で聞いてるんやないよ。意味分かるな?ちゃんと答え」
 追い詰めてどうしたいのかは分からなかった。唯、真実が知りたい。光一の中にある答えをきちんと見つけたかった。
 どうして、解散するのか。もし今でも俺の事を思っているのなら、やはりおかしな決断だった。納得の行く理由を求める自分が、残酷な事をしているのは分かっている。
「……ノーや」
 僅かの沈黙の後、言い切った光一の瞳は一瞬で落ち着きを取り戻した。彼は、強い。揺るがない決意の色を見せた。この瞳に随分と救われて来たのだ。どんな時も自分を真っ直ぐ見詰めてくれた。
「でも、大切なのは本当。それだけは、今も昔も変わらない」
 光一は笑う。自分の感情を置き去りにして、その瞬間に相応しい表情を繕った。自分を悲しませない為に。
「俺の事なんか、忘れてくれてええよ。年が明けたら、お前は自由や」
 穏やかな表情で、真実を眩ませる。俺は、気付いてしまったのに。弱さと共に隠し通そうとする恋情。きっと二度と表れない本心。暴くつもりが、逃げられてしまった。
 再び口を開こうとして、躊躇する。知ったところで、自分にはどうにも出来なかった。彼の恋情を掬う事は出来ない。
 それなら、終わりの瞬間まで見ない振りをするべきなのだろうか。夏の夜の幻として、あの接触をなかったものにしたのと同じように。今夜の記憶も、深く深く闇の中へ沈めてしまえば良い。
「俺、もう帰るな。外にマネージャー待たせてあんねん。剛は、せっかくやから泊まって行けば?」
「光一」
 するりと腕を離して、何事もなかったように部屋を出て行こうとする。外に待たせていると言う事は、最初から長く話すつもりなどなかったのだ。真実すら告げずに、繕った言葉だけを並べて。
「後、一ヶ月ちょいや。それまでは、一緒におらせて。お疲れ様」
 言い切って光一は出て行った。止める隙を与えさせない。一人残された自分は、仕方なくソファに座り直した。夜景を見下ろして、深い溜息を吐き出す。
 用意周到に差し出された解散へのシナリオは、光一自身の防衛術だった。不当に傷付けられない為の彼一人の作戦だ。
 このレールを修正する事は出来ない。離れた方が良いだろう事も分かっていた。これ以上、光一を傷付けるつもりはない。今までの二人の時間を思って、泣きそうになった。
 自分は彼と共にいて、一体何をしてあげただろう。振り返る事もせずに過ごした時間がある。繋いだ手を離したいと願った瞬間が。それでも、彼は隣にいた。全ての感情を受け止めて笑っていた。
 光一の心は、何処へ行くのだろう。抱き続けた恋情は、いつ捨てられるのか。どうやって仕舞われるのか。
 どうして、ずっと一緒にいたのに彼の心を見つけられなかったのだろう。頭を抱えて、出て行った相方の表情を思い出す。いつもと寸分違わない穏やかで綺麗な笑い方だった。
 別れを目前に控えて気付いても、どうにもならない。知っていたからと言って、結末が変わるかどうかは分からなかった。でも、もう少し光一の近くで光一を救う方法を見つけられたかも知れない。
 長い時間一人で解散を悩んでいた。触れられる事に怯える程、深い恋を抱えて俺の隣に立ち続けた。
 俺の為の解散ではなく、光一の為の解散を考えてあげたい。あんな顔をさせて、自分だけが自由な空に飛び立つ事は出来なかった。
 二人きりのグループなのに。こんな瞬間ですら、俺達はアンバランスだ。光一の愛はずっと、見えないところで注がれて来た。
 俺がもっと彼を見れば良かったのだ。あんな風に色の変わる瞳だった、と初めて知った。見ていなかった。
 当たり前に隣にいたから。振り返らなくても差し出される優しさがあったから。
 シナリオは変えられない。二人の距離は変わらないまま。唯、小さな棘だけが剛の心に残って行く。
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