小説の再編集とか、資料とか、必要な諸々を置いておくブログ
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彼に恋とも憧れともつかない気持ちを抱いたのは、自分がまだ幼い頃だった。事務所に入って僅かの、戸惑いがまだあった頃。年齢の近い彼は、その時既に手の届かない存在になっていた。人見知りで他人との接触を嫌う人が、手を伸べてくれた優しさを生涯忘れない。
あの時からずっと、堂本光一は特別な存在だった。
+++++
地方公演は楽しい。一緒に食事出来るし、一緒の部屋で過ごす事も出来た。今の自分のポジションはなかなか良いと思う。大っぴらに愛の告白は出来るし、じっと見詰めていても不審がられなかった。打ち上げで隣の席を堂々と陣取っても文句を言われない(若干メンバーの嫌な視線は感じるけれど)。光一のバックと言えばMA、と定着しつつあるのも嬉しかった。
唯一つ問題があるとすれば、彼の態度だ。俺のこの気持ちを本気にしてくれない。本音とネタの間にある言葉を笑って流された。あの綺麗な顔で笑まれては、何も出来ない。多分、光一には俺の恋を理解する気がないのだろう。
地方公演の一日目。明日は夜だけだから、と当たり前に打ち上げの店を用意されていた。予約を入れたスタッフによれば「光一さん本人の希望です」との事だ。
今回のツアーは光一の様子が少し可笑しかった。ステージそのものは相変わらず追い込み過ぎだと呆れる位完璧を目指していたが、現場を離れれば途端に甘えた素振りを見せる。一人を好むのが常なのに、一人になりたがらなかった。接触すら厭う人が、他人の体温を欲しがる。
飢えた様な寂しさを持て余している瞳で、甘やかしてくれる場所を探していた。どう言う心境の変化なのか、と言うよりも押さえ込んでいた内面を見せられる様になったのだと思う。別に、これと言った変化はなかったから。
悔しいけれど相変わらず剛君とはラブラブだし、昔に比べれば仕事も自分の意思でこなしている筈だ。きっと、極度の人見知りで他人を信用しない光一君が、やっと俺達に馴染んで来たのだろう。嬉しいと思う気持ちと、素直に甘えられて狼狽える理性が音を立ててせめぎ合っていた。
「光一君、これ食べて下さい。美味しいっすよ」
「いや、もうお腹いっぱい……」
「ビールばっかりじゃないですか!あんなに動いたんだから、もっとしっかり食べないと」
「あ……じゃあ、もずく」
「光ちゃん。もずくで栄養になると思ってんの」
MAの三人に構われて(絡まれて、か)、隣に座る光一は拗ねた表情を見せる。「だって」とか「いらんもん」なんて言葉を口の中で小さく呟いていた。
確かに彼は食べていない。食べるのは好きやないけど、この雰囲気の中にいたいんや。何度となく聞いた言葉が蘇って来た。自分だって彼の小食は心配だけれど(必要な時は、誰よりも厳しいと思う)、三対一の状況では光一に付くのが得策だろう。楽しく此処にいたい、と言う気持ちを優先したかった。
「光一君、シャーベット頼みません?」
なるべく可愛いおねだりを心掛けて、首を少し傾げると明るく問うてみる。この仕草は光一から盗んだものだったけれど。子供の素直さで、膨れていた表情がぱっと全開の笑顔に変わった。
大好きな、花が綻ぶ様な柔らかい表情。ステージを降りても、彼はきらきらした空気を纏わせる。
「それええな。町田も食べる?」
「勿論ですよ。オーダーだってお供します!」
力強く宣言すれば、少し困った顔でこちらを向かれた。水分を多く含んだ黒目がちの瞳にどきりとする。
「お前は、いっつも俺が好きやなあ」
「大好きですよ!いつだって僕は、光一君の味方です」
「うん、知ってる。……たまに怖いけどな」
「それも愛故です」
真顔で答えれば、声を上げて笑われた。一瞬不貞腐れてやろうかとも思ったけれど、せっかく楽しそうに笑っているのだから押し留める。彼が信用しないのは、俺がなるべく言葉を軽い響きで渡しているからだった。臆病なのは仕方ない。勝ち目のない恋なら、良い後輩でいたかった。真っ向勝負をする気もない癖に、光一だけを詰るのはお門違いだ。
「オレンジとゆずとどっちが良いですか?」
「うーん、町田は?」
「俺はどっちも好きなんで」
「そっか。……じゃあ、お前ゆずな。俺、オレンジ」
こんな時だけ先輩らしい居丈高な態度で、勝手に決められる。勿論、それに異論はないから店員を呼んですぐに注文した。光一は皿に取り分けられた唐揚げを食べるともなしに箸で弄っている。
「光一君、全然食べる気ないでしょ」
正面に座る米花は優しく咎めると、箸を持っている白い手の甲を柔らかい仕草で叩いた。言われた事は間違いないので、また唇を尖らせて不貞腐れる。甘えたいのだと、その横顔を見てつくづく思った。一人になりたくないから、構って欲しい。誉められるのは怖いから、叱って欲しい。一足先に大人にならざるを得なかった子供は、今になってやっと愛情を素直に欲する事が出来たのかも知れない。
ずっと押し込めていた衝動。家族には甘やかされて育った印象がある人だから、この世界に入ってどれ程の我慢を重ねたのか。あんな小さい頃に親元を離れるなんて考えられなかった。意地を張って誰にも弱みを見せずに立っていなければ、今の位置まで上り詰める事は出来ない。
十年以上前の大人びた表情が蘇った。「町田は頑張ってるよ」そう言って厳しい目許を少し和らげた。あの時どれ程自分が救われたか。きっと彼には理解出来ないだろう。些細な出来事だった。でも、あの時の気持ちがあるから今の自分がいる。何も知らずに唯バックに付いているだけだったら気付かない彼の優しさ。他人には威嚇とも思える程、張り詰めた空気を見せる人だった。それが自分を守る為の虚勢だと言う事も今なら分かる。注意深く見ていなければ知らなかった事ばかりだ。
あの時から随分と長い時間が経ってしまったけれど、その横顔は多分子供の頃より幼い。無防備に甘えて、傍若無人な振る舞いで我儘を言った。けれど、座っている場所からも分かる様に、誰にでもその表情を晒している訳ではない。光一を囲む席配置は、決して彼の奪い合いの為ではなかった。
新しいスタッフもいて女性ダンサーも舞台等で馴染んだとは言っても、彼の性格から甘える事は出来ない。舞台の上で接触するのは平気なのに、其処から離れると途端に臆病になった。ずっと不思議に思っているのだけれど、光一は少し女性に対して引いている所がある。嫌いとまでは行かないが、不必要に近付かなかった。アイドル故の対策かと考えた事もある。けれど、自分が知る限りこの事務所に所属しているからと言って女性と付き合うのが駄目な訳ではないし、まして友達付き合いを止められた事はなかった。自分にも女性の友人はいるし、今はいないけれど彼女だって勿論作っている。
剛と付き合っているからと言って、光一はゲイではなかった。潔癖な所のある人だから、同性愛は精神的にも拒絶しそうな位だ。許せるのは、剛だからと知っている。そんなに何もかもを許容してしまうのを凄いと思った。長年連れ添ったパートナー。自分には仲間がいるし、グループが違っても仲の良い友達は事務所の中にもいる。一人だと感じた事はなかった。それ以上に、二人きりだと感じる苦痛も知らない。未知の感覚だった。
彼らは幼い頃からずっと二人きりだ。友人も親友もいるけれど、究極の所で言ったら二人だけで生きて来た。誰とも手を繋ぐ事は許されず、それが世界の秩序の様に互いだけを信用している。傍目には美しい愛情だけれど、趣味も嗜好も違う二人が狭い鳥籠で生き抜くのは辛かっただろう。冷めた表情は、全ての感情を押し止めた理性だった。望まなければ絶望を知らずに済むと言う諦念は、忍耐力ではなく唯の苦痛だ。
そうやって生きて来た人が、今隣で笑顔を見せてくれるのは嬉しい。二人きりじゃないと気付いてくれた。自分はずっと光一の背中を見て来たけれど、あの初めて言葉を掛けてくれた時には既に剛と共に生きていたのだ。嫉妬ではなく、自分は一人きりの光一を見た事がないのだとぼんやり思う。たった一人で立っていた頃の彼を想像しようとして失敗した。分からない。今の光一は、剛と歩いて来た道程で形成されて来た。もし一人で生きていたらどうなっていただろう。今とは全然違う人になっただろうと思うけれど、その先が描けない。剛のいない光一。光一のいない剛。どちらも想像を絶していて、形にならなかった。
改めて、堂本光一と言う人格を考えると相方の影響力を思い知らされる。悔しいと少しだけ思って、でもと考え直した。臆病な彼が、一人きりじゃなくて良かった、と。大分長い事一緒に過ごした自分達ですら、やっと光一の領域に入る事が出来たのだ。簡単に心を許さない事は、この世界での処世術だけれど彼は余りに頑なだった。自分達が強引にそして辛抱強く傍にいたから許される関係。言葉すら交わす事の出来なかった人が、今手の届く所にいる。それだけで幸福だと、強欲な自分は思えないけれど。少しだけ神様に感謝したくなった。
「町田ー」
不意に呼ばれて、固まってしまう。気の抜けた呼び方。呂律が怪しいのは、食事もせずにアルコールばかりを運んだせいだった。幼い響きに苦笑して、固まった身体を光一へ向ける。
「はい?」
「もう俺いらんー。食べて」
オーダーしたシャーベットは、自分の手で一瞬でなくなった。こんな小さなデザートすら食べられない光一が本気で心配になる。普段も食べない人だけど、公演中は更に食欲が落ちた。舞台中は話に聞くだけだから、実感が余りなかったのだ。けれど、今回のツアーは一緒にいる時間が長いから彼の生活が見えてしまう。これだけの摂取量で、どうしてあんなに踊れるんだろう。いつか本気で舞台の上で死んでしまいそうで、怖くなる。
「もう少し食べた方が良いっすよ」
屋良がすかさず口を挟んだ。人の事を言える程食べている訳じゃないけれど、少なくとも光一よりは彼の方が食べている。人に指図されるのは嫌いな癖に、わざとらしく顰めた眉と反対に堪え切れず緩んだ口許が彼の心情を物語っていた。
「こんなに食べれんもん、俺。腹壊したらどうすんの」
「そんなもんで壊す訳ないでしょ。……って、何シャーベットに力入れてるんだ俺」
食べさせなければと言う事にばかり意識が向いている事に気付いて、自問自答している。考えるの苦手な癖に。頭を抱える屋良を置いて、素直にシャーベットを受け取った。
「じゃ、頂きますね。うわー、光一君と間接キスだ。どうしよ、俺」
少しだけテンションが上がって(実際に想像するのはやめた。薄桃色の唇に銀色のスプーンが滑り込む映像なんて、身体に悪過ぎる)、光一を見詰めたまま食べる。ひやりとした感触と、オレンジの甘い味。光一と同じ匂いだと思うと嬉しくて、へへと笑ってみた。それはいつも通りのやり取りで、いつも通り流される筈の感情だ。彼を好きな気持ちは本当だけれど、迂闊に本音で迫る事は出来なかった。
けれど次の瞬間、光一はその場に相応しくない表情を見せる。悲しみを堪える痛ましい瞳と、下唇を噛み締める白い歯。どうしたのか分からなくて、ひやりとした。何か彼を悲しませる事をしただろうか。楽しい席で、いつも通りの軽口と一人だけ飲むアルコール。自分に落ち度はなかった筈だ。
「……町田さん」
「っはい!何ですか」
弱い声を恐れて返した言葉は、みっともなくひっくり返ってしまった。情けない。前に座る三人も、どうしたものかと固まっている。光一の周りだけ雰囲気が変わってしまった。困った顔で真正面から見上げられると、どうしたら良いのか分からなくなる。
「俺、ずっと思ってたんやけど」
「はい」
「俺は楽しいからええの。会場盛り上がるし、飲み行っても盛り上がるし。でもな」
「はい」
言いたい事が分からず、素直に返事をした。仕事以外での、特に自分の感情を言うべき場所で彼が要領を得ない喋り方になるのは知っている。内面を言葉にするのが苦手だった。
「そんな無理せんでええよ。せっかくお前も仕事終わってご飯来てるんやからさ」
「……何がですか?」
「え、やから。頑張らんでええって事」
「主語が抜けてます」
「あー、えと」
「はい」
「俺ん事好きなキャラは、舞台の上だけでええよ。ずっとそんなん演じてたら辛いやろ?普通にしててええよ。そやって嬉しい振りしたり緊張したり、お前気ぃ遣い過ぎや。MAが気ぃ遣いなんは知ってるけど、俺と一緒におる間そんなんやと、大変やん」
言われた言葉が瞬時に理解出来なくて、シャーベットを置いた。辛い?気を遣っている?彼が他人の感情に疎いのは知っていた。自分が意識してネタの様に振る舞っているのも自覚している。けれど、これは。
自分の愛情を全て否定された気分だった。光一は自分が人に好かれる人間ではないと思い込んでいる節がある。誰にも愛されない。剛しか愛してくれない。それはほとんど自己暗示だったけれど、だからこそ自分は柔らかく愛情を示して来た筈だ。剛の熱情も秋山の包容力も自分にはなかった。それでも自分が本当に彼を尊敬して、親愛の念よりも少しずれた感情で思っている事を信じて欲しい。裏切られた気分だった。
「俺の今までの言葉、全然信じてなかったんですね……」
怒りよりもショックが強過ぎて、上手く言葉にならない。光一なりの優しさだったのかも知れないが、見当違いだった。人の感情を全然分かっていない。
「町田?」
「俺は、光一君の事が好きです。振りでも何でもなくて、唯好きだから好きって言ってるし、一緒にいたら嬉し過ぎて緊張します。何処にも嘘なんかなかった。演技なんかしてない。俺っ……」
その先は言葉にならなくて、唇を噛んだ。小さい頃から憧れて来た人。手に入らないと知りながらも、愛したいと願った人。大切に捧げて来た思いを否定された気持ちに陥って、席を立つ。これ以上此処にいたら、どうしようもない事を言ってしまいそうで怖かった。信じて貰えないのは分かっていたけれど、それならもっと真剣に愛を告げた方が良かったのかと考えると違う気がする。
「俺、少し頭冷やして来ます」
立ち上がって、席を離れた。日本家屋の作りになっている個室は、部屋を出なくても庭に面した縁側に出る事が出来る。声を掛けて来るスタッフに適当な返事をして、障子を開けた。どの地方に行っても夜はもう冷える。硝子を通して伝わる冷気が縁側になっている廊下を満たしていた。頭を冷やすには丁度良いと一人笑った。打ちのめされた気分のまま、板張りの床に座り込む。何処で間違えたんだろうと、答えのない思考に嵌って行った。
「なあ、あれ。俺のせい?」
「そうです」
「当たり前です」
「言葉が足りない癖に、どうして一言多いんですか」
一斉に責められて、負けた気分になる。この席配置では、自分の分が悪かった。否、席の問題ではないようだ。
あの時からずっと、堂本光一は特別な存在だった。
+++++
地方公演は楽しい。一緒に食事出来るし、一緒の部屋で過ごす事も出来た。今の自分のポジションはなかなか良いと思う。大っぴらに愛の告白は出来るし、じっと見詰めていても不審がられなかった。打ち上げで隣の席を堂々と陣取っても文句を言われない(若干メンバーの嫌な視線は感じるけれど)。光一のバックと言えばMA、と定着しつつあるのも嬉しかった。
唯一つ問題があるとすれば、彼の態度だ。俺のこの気持ちを本気にしてくれない。本音とネタの間にある言葉を笑って流された。あの綺麗な顔で笑まれては、何も出来ない。多分、光一には俺の恋を理解する気がないのだろう。
地方公演の一日目。明日は夜だけだから、と当たり前に打ち上げの店を用意されていた。予約を入れたスタッフによれば「光一さん本人の希望です」との事だ。
今回のツアーは光一の様子が少し可笑しかった。ステージそのものは相変わらず追い込み過ぎだと呆れる位完璧を目指していたが、現場を離れれば途端に甘えた素振りを見せる。一人を好むのが常なのに、一人になりたがらなかった。接触すら厭う人が、他人の体温を欲しがる。
飢えた様な寂しさを持て余している瞳で、甘やかしてくれる場所を探していた。どう言う心境の変化なのか、と言うよりも押さえ込んでいた内面を見せられる様になったのだと思う。別に、これと言った変化はなかったから。
悔しいけれど相変わらず剛君とはラブラブだし、昔に比べれば仕事も自分の意思でこなしている筈だ。きっと、極度の人見知りで他人を信用しない光一君が、やっと俺達に馴染んで来たのだろう。嬉しいと思う気持ちと、素直に甘えられて狼狽える理性が音を立ててせめぎ合っていた。
「光一君、これ食べて下さい。美味しいっすよ」
「いや、もうお腹いっぱい……」
「ビールばっかりじゃないですか!あんなに動いたんだから、もっとしっかり食べないと」
「あ……じゃあ、もずく」
「光ちゃん。もずくで栄養になると思ってんの」
MAの三人に構われて(絡まれて、か)、隣に座る光一は拗ねた表情を見せる。「だって」とか「いらんもん」なんて言葉を口の中で小さく呟いていた。
確かに彼は食べていない。食べるのは好きやないけど、この雰囲気の中にいたいんや。何度となく聞いた言葉が蘇って来た。自分だって彼の小食は心配だけれど(必要な時は、誰よりも厳しいと思う)、三対一の状況では光一に付くのが得策だろう。楽しく此処にいたい、と言う気持ちを優先したかった。
「光一君、シャーベット頼みません?」
なるべく可愛いおねだりを心掛けて、首を少し傾げると明るく問うてみる。この仕草は光一から盗んだものだったけれど。子供の素直さで、膨れていた表情がぱっと全開の笑顔に変わった。
大好きな、花が綻ぶ様な柔らかい表情。ステージを降りても、彼はきらきらした空気を纏わせる。
「それええな。町田も食べる?」
「勿論ですよ。オーダーだってお供します!」
力強く宣言すれば、少し困った顔でこちらを向かれた。水分を多く含んだ黒目がちの瞳にどきりとする。
「お前は、いっつも俺が好きやなあ」
「大好きですよ!いつだって僕は、光一君の味方です」
「うん、知ってる。……たまに怖いけどな」
「それも愛故です」
真顔で答えれば、声を上げて笑われた。一瞬不貞腐れてやろうかとも思ったけれど、せっかく楽しそうに笑っているのだから押し留める。彼が信用しないのは、俺がなるべく言葉を軽い響きで渡しているからだった。臆病なのは仕方ない。勝ち目のない恋なら、良い後輩でいたかった。真っ向勝負をする気もない癖に、光一だけを詰るのはお門違いだ。
「オレンジとゆずとどっちが良いですか?」
「うーん、町田は?」
「俺はどっちも好きなんで」
「そっか。……じゃあ、お前ゆずな。俺、オレンジ」
こんな時だけ先輩らしい居丈高な態度で、勝手に決められる。勿論、それに異論はないから店員を呼んですぐに注文した。光一は皿に取り分けられた唐揚げを食べるともなしに箸で弄っている。
「光一君、全然食べる気ないでしょ」
正面に座る米花は優しく咎めると、箸を持っている白い手の甲を柔らかい仕草で叩いた。言われた事は間違いないので、また唇を尖らせて不貞腐れる。甘えたいのだと、その横顔を見てつくづく思った。一人になりたくないから、構って欲しい。誉められるのは怖いから、叱って欲しい。一足先に大人にならざるを得なかった子供は、今になってやっと愛情を素直に欲する事が出来たのかも知れない。
ずっと押し込めていた衝動。家族には甘やかされて育った印象がある人だから、この世界に入ってどれ程の我慢を重ねたのか。あんな小さい頃に親元を離れるなんて考えられなかった。意地を張って誰にも弱みを見せずに立っていなければ、今の位置まで上り詰める事は出来ない。
十年以上前の大人びた表情が蘇った。「町田は頑張ってるよ」そう言って厳しい目許を少し和らげた。あの時どれ程自分が救われたか。きっと彼には理解出来ないだろう。些細な出来事だった。でも、あの時の気持ちがあるから今の自分がいる。何も知らずに唯バックに付いているだけだったら気付かない彼の優しさ。他人には威嚇とも思える程、張り詰めた空気を見せる人だった。それが自分を守る為の虚勢だと言う事も今なら分かる。注意深く見ていなければ知らなかった事ばかりだ。
あの時から随分と長い時間が経ってしまったけれど、その横顔は多分子供の頃より幼い。無防備に甘えて、傍若無人な振る舞いで我儘を言った。けれど、座っている場所からも分かる様に、誰にでもその表情を晒している訳ではない。光一を囲む席配置は、決して彼の奪い合いの為ではなかった。
新しいスタッフもいて女性ダンサーも舞台等で馴染んだとは言っても、彼の性格から甘える事は出来ない。舞台の上で接触するのは平気なのに、其処から離れると途端に臆病になった。ずっと不思議に思っているのだけれど、光一は少し女性に対して引いている所がある。嫌いとまでは行かないが、不必要に近付かなかった。アイドル故の対策かと考えた事もある。けれど、自分が知る限りこの事務所に所属しているからと言って女性と付き合うのが駄目な訳ではないし、まして友達付き合いを止められた事はなかった。自分にも女性の友人はいるし、今はいないけれど彼女だって勿論作っている。
剛と付き合っているからと言って、光一はゲイではなかった。潔癖な所のある人だから、同性愛は精神的にも拒絶しそうな位だ。許せるのは、剛だからと知っている。そんなに何もかもを許容してしまうのを凄いと思った。長年連れ添ったパートナー。自分には仲間がいるし、グループが違っても仲の良い友達は事務所の中にもいる。一人だと感じた事はなかった。それ以上に、二人きりだと感じる苦痛も知らない。未知の感覚だった。
彼らは幼い頃からずっと二人きりだ。友人も親友もいるけれど、究極の所で言ったら二人だけで生きて来た。誰とも手を繋ぐ事は許されず、それが世界の秩序の様に互いだけを信用している。傍目には美しい愛情だけれど、趣味も嗜好も違う二人が狭い鳥籠で生き抜くのは辛かっただろう。冷めた表情は、全ての感情を押し止めた理性だった。望まなければ絶望を知らずに済むと言う諦念は、忍耐力ではなく唯の苦痛だ。
そうやって生きて来た人が、今隣で笑顔を見せてくれるのは嬉しい。二人きりじゃないと気付いてくれた。自分はずっと光一の背中を見て来たけれど、あの初めて言葉を掛けてくれた時には既に剛と共に生きていたのだ。嫉妬ではなく、自分は一人きりの光一を見た事がないのだとぼんやり思う。たった一人で立っていた頃の彼を想像しようとして失敗した。分からない。今の光一は、剛と歩いて来た道程で形成されて来た。もし一人で生きていたらどうなっていただろう。今とは全然違う人になっただろうと思うけれど、その先が描けない。剛のいない光一。光一のいない剛。どちらも想像を絶していて、形にならなかった。
改めて、堂本光一と言う人格を考えると相方の影響力を思い知らされる。悔しいと少しだけ思って、でもと考え直した。臆病な彼が、一人きりじゃなくて良かった、と。大分長い事一緒に過ごした自分達ですら、やっと光一の領域に入る事が出来たのだ。簡単に心を許さない事は、この世界での処世術だけれど彼は余りに頑なだった。自分達が強引にそして辛抱強く傍にいたから許される関係。言葉すら交わす事の出来なかった人が、今手の届く所にいる。それだけで幸福だと、強欲な自分は思えないけれど。少しだけ神様に感謝したくなった。
「町田ー」
不意に呼ばれて、固まってしまう。気の抜けた呼び方。呂律が怪しいのは、食事もせずにアルコールばかりを運んだせいだった。幼い響きに苦笑して、固まった身体を光一へ向ける。
「はい?」
「もう俺いらんー。食べて」
オーダーしたシャーベットは、自分の手で一瞬でなくなった。こんな小さなデザートすら食べられない光一が本気で心配になる。普段も食べない人だけど、公演中は更に食欲が落ちた。舞台中は話に聞くだけだから、実感が余りなかったのだ。けれど、今回のツアーは一緒にいる時間が長いから彼の生活が見えてしまう。これだけの摂取量で、どうしてあんなに踊れるんだろう。いつか本気で舞台の上で死んでしまいそうで、怖くなる。
「もう少し食べた方が良いっすよ」
屋良がすかさず口を挟んだ。人の事を言える程食べている訳じゃないけれど、少なくとも光一よりは彼の方が食べている。人に指図されるのは嫌いな癖に、わざとらしく顰めた眉と反対に堪え切れず緩んだ口許が彼の心情を物語っていた。
「こんなに食べれんもん、俺。腹壊したらどうすんの」
「そんなもんで壊す訳ないでしょ。……って、何シャーベットに力入れてるんだ俺」
食べさせなければと言う事にばかり意識が向いている事に気付いて、自問自答している。考えるの苦手な癖に。頭を抱える屋良を置いて、素直にシャーベットを受け取った。
「じゃ、頂きますね。うわー、光一君と間接キスだ。どうしよ、俺」
少しだけテンションが上がって(実際に想像するのはやめた。薄桃色の唇に銀色のスプーンが滑り込む映像なんて、身体に悪過ぎる)、光一を見詰めたまま食べる。ひやりとした感触と、オレンジの甘い味。光一と同じ匂いだと思うと嬉しくて、へへと笑ってみた。それはいつも通りのやり取りで、いつも通り流される筈の感情だ。彼を好きな気持ちは本当だけれど、迂闊に本音で迫る事は出来なかった。
けれど次の瞬間、光一はその場に相応しくない表情を見せる。悲しみを堪える痛ましい瞳と、下唇を噛み締める白い歯。どうしたのか分からなくて、ひやりとした。何か彼を悲しませる事をしただろうか。楽しい席で、いつも通りの軽口と一人だけ飲むアルコール。自分に落ち度はなかった筈だ。
「……町田さん」
「っはい!何ですか」
弱い声を恐れて返した言葉は、みっともなくひっくり返ってしまった。情けない。前に座る三人も、どうしたものかと固まっている。光一の周りだけ雰囲気が変わってしまった。困った顔で真正面から見上げられると、どうしたら良いのか分からなくなる。
「俺、ずっと思ってたんやけど」
「はい」
「俺は楽しいからええの。会場盛り上がるし、飲み行っても盛り上がるし。でもな」
「はい」
言いたい事が分からず、素直に返事をした。仕事以外での、特に自分の感情を言うべき場所で彼が要領を得ない喋り方になるのは知っている。内面を言葉にするのが苦手だった。
「そんな無理せんでええよ。せっかくお前も仕事終わってご飯来てるんやからさ」
「……何がですか?」
「え、やから。頑張らんでええって事」
「主語が抜けてます」
「あー、えと」
「はい」
「俺ん事好きなキャラは、舞台の上だけでええよ。ずっとそんなん演じてたら辛いやろ?普通にしててええよ。そやって嬉しい振りしたり緊張したり、お前気ぃ遣い過ぎや。MAが気ぃ遣いなんは知ってるけど、俺と一緒におる間そんなんやと、大変やん」
言われた言葉が瞬時に理解出来なくて、シャーベットを置いた。辛い?気を遣っている?彼が他人の感情に疎いのは知っていた。自分が意識してネタの様に振る舞っているのも自覚している。けれど、これは。
自分の愛情を全て否定された気分だった。光一は自分が人に好かれる人間ではないと思い込んでいる節がある。誰にも愛されない。剛しか愛してくれない。それはほとんど自己暗示だったけれど、だからこそ自分は柔らかく愛情を示して来た筈だ。剛の熱情も秋山の包容力も自分にはなかった。それでも自分が本当に彼を尊敬して、親愛の念よりも少しずれた感情で思っている事を信じて欲しい。裏切られた気分だった。
「俺の今までの言葉、全然信じてなかったんですね……」
怒りよりもショックが強過ぎて、上手く言葉にならない。光一なりの優しさだったのかも知れないが、見当違いだった。人の感情を全然分かっていない。
「町田?」
「俺は、光一君の事が好きです。振りでも何でもなくて、唯好きだから好きって言ってるし、一緒にいたら嬉し過ぎて緊張します。何処にも嘘なんかなかった。演技なんかしてない。俺っ……」
その先は言葉にならなくて、唇を噛んだ。小さい頃から憧れて来た人。手に入らないと知りながらも、愛したいと願った人。大切に捧げて来た思いを否定された気持ちに陥って、席を立つ。これ以上此処にいたら、どうしようもない事を言ってしまいそうで怖かった。信じて貰えないのは分かっていたけれど、それならもっと真剣に愛を告げた方が良かったのかと考えると違う気がする。
「俺、少し頭冷やして来ます」
立ち上がって、席を離れた。日本家屋の作りになっている個室は、部屋を出なくても庭に面した縁側に出る事が出来る。声を掛けて来るスタッフに適当な返事をして、障子を開けた。どの地方に行っても夜はもう冷える。硝子を通して伝わる冷気が縁側になっている廊下を満たしていた。頭を冷やすには丁度良いと一人笑った。打ちのめされた気分のまま、板張りの床に座り込む。何処で間違えたんだろうと、答えのない思考に嵌って行った。
「なあ、あれ。俺のせい?」
「そうです」
「当たり前です」
「言葉が足りない癖に、どうして一言多いんですか」
一斉に責められて、負けた気分になる。この席配置では、自分の分が悪かった。否、席の問題ではないようだ。
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